紀野一義『「法華経」を読む』;講談社現代新書の、終章に近い部分からの引用ですが、皆様のご参考までに丸写しで紹介します。
1)常不軽菩薩のすさまじい楽天主義
今の日本人は、憎しみには憎しみを返すという型の人間が多いが、常不軽(じょうふきょう)菩薩は憎しみに対しては、愛を、尊敬を、信ずることを返した。
それは、「すさまじい楽天主義」だと思う。楽天主義というと人はすぐ、いいかげんとか、気楽さとか、人のよさとか、うすのろとか連想するらしいが、楽天主義とは、すさまじきものである。
殺されたって、人を信じ通すという人生観を変えないのだ。
人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、徹底的に信じ通すのだ。肯定、肯定、絶対肯定してゆくのだ。
常不軽(じょうふきょう)菩薩は、すさまじき楽天主義者である。
私はこの頃、男というものはどこかですさまじい生き方がなくてはならぬと思いはじめている。
すさまじいというと、面(おもて)も向けられないような修羅の形相を連想するのだが、そんなのではない、いつも微笑みを浮かべ、一見気楽そうな顔をしたすさまじさのことである。
騙されていると知っていても、最後まで騙されてやる男のすさまじさである。悪い奴も大ぜいいるのだと知っていても、やはり人間はすばらしいと信じ通すすさまじさである。
2)どこまでも肯定的に、すっきりと
風のごとくさわやかに、さわりなく、満月のごとく明るく肯定的に生きなくてはならない。
なんといっても、陰では話にならないのだ。どこまでも明るく、どこまでも肯定的に、どこまでもすっきりと生きて行きたいものである。
以上、私たちとはあまり縁のない「法華経」の中の常不軽菩薩の話ではありますが、私たちのように、日常、気の小さい、疑い深い衆生にとっても、大い参考になる話ではありませんか。


1)常不軽菩薩のすさまじい楽天主義
今の日本人は、憎しみには憎しみを返すという型の人間が多いが、常不軽(じょうふきょう)菩薩は憎しみに対しては、愛を、尊敬を、信ずることを返した。
それは、「すさまじい楽天主義」だと思う。楽天主義というと人はすぐ、いいかげんとか、気楽さとか、人のよさとか、うすのろとか連想するらしいが、楽天主義とは、すさまじきものである。
殺されたって、人を信じ通すという人生観を変えないのだ。
人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、徹底的に信じ通すのだ。肯定、肯定、絶対肯定してゆくのだ。
常不軽(じょうふきょう)菩薩は、すさまじき楽天主義者である。
私はこの頃、男というものはどこかですさまじい生き方がなくてはならぬと思いはじめている。
すさまじいというと、面(おもて)も向けられないような修羅の形相を連想するのだが、そんなのではない、いつも微笑みを浮かべ、一見気楽そうな顔をしたすさまじさのことである。
騙されていると知っていても、最後まで騙されてやる男のすさまじさである。悪い奴も大ぜいいるのだと知っていても、やはり人間はすばらしいと信じ通すすさまじさである。
2)どこまでも肯定的に、すっきりと
風のごとくさわやかに、さわりなく、満月のごとく明るく肯定的に生きなくてはならない。
なんといっても、陰では話にならないのだ。どこまでも明るく、どこまでも肯定的に、どこまでもすっきりと生きて行きたいものである。
以上、私たちとはあまり縁のない「法華経」の中の常不軽菩薩の話ではありますが、私たちのように、日常、気の小さい、疑い深い衆生にとっても、大い参考になる話ではありませんか。



その後の様子気になっていましたが、道中奥歯がガタつきY大先生の処置で更にもう1本の抜きさし歯にする診断がでました。(店も近場の外人さんが多いようですが再開店した当時よりは客も増え土曜日も一人で頑張っています。)
そうしたもろもろで一度前のブログに研修報告作成後コメントをしようと思っていた矢先、これを見つけうれしく、なにはさておきこうして打っています。
ユーさんとは、前記した近所の祭りには一緒に行った記憶はありません。中学生頃は日ももう少し早く丁度期末テストの最中でしたが私には勉強より祭りの方でした。
確か祇園祭りは一度宵宮の日かあちこちの町の鉾を見に薄暗い路地の間を歩き廻ったことが思い出されます。そしてこの祭りの間は日頃はあまり出歩かないこうした京都の町の若い人に出会うことができるとの話を信じ、鉾や山車を見る以上にきょろきょろしていました。帰りは蛸薬師の今の回転すしの元祖すし屋に行って握りをごちそうになったように思います。・・・ようなことが浮かんできました。半世紀前のことですが昨日のようです。
7日の法華経読みました。終戦の日と重なる盆も近いです。今年の盆は高速1,000円を利用して金沢へ墓参りに行ってこようと思っています。
梅雨明けももうすぐ、ますます暑くなります。寝冷えなどせずお体くれぐれもご自愛ください。今日のブログの元気をもらい月曜日からの仕事に頑張ります。ではまた。
久し振りの昔の思い出話。そう言えば、生国魂神社も高津神社も、縁日にお供した覚えがありませんね。多分、高校時代、当方は東区に住んでいましたので、両神社とは一寸縁が薄くなっていたのかもしれません。
祇園祭もほとんど記憶ありません。もし寿司屋へ行ったとすれば、三条河原町にあった学生食堂の如きサクラ食堂ではありませんか?150円もあれば、寿司とビールで満腹するようなお店でした。
婚約時代に将来の家内を連れてサクラ食堂へ行って、大顰蹙されたことを憶えています。
貴殿をお連れするとしたら、多分、同じところでしょう。それにしても、懐かしいことです。
前から、このお部屋を談話室と勝手な名前をつけさせて貰っていましたが、又、時々覗かせていただきます。暑さもこれからが本番!
お大事に・・・
懐かしい大阪の生魂神社や高津神社のお祭り。
祭りがあるのはいつも期末試験ごろ。「一時間だけ行こう。一時間だけやぜ}というロデイさんの魅惑的な誘いには勝てず、よく行ったものです。先日NHK「ふるさとが一番」という番組で生魂さんのお祭り直前の様子が放映され、懐かしい思いで見ていました。
京都の思い出といえば祇園祭りや大文字焼き、そしてあの貧乏学生には有難かったおすし屋さん。
一度トモさんがロデイさんと小生を大学の屋上へ連れて行ってくれ、それこそ一等席で大文字焼きを楽しませてくれましたね。今でもはっきりと覚えています。
おしてあのおすし屋さん。確か一皿20円。小さなお店だったが我々学生には有難かった!
バイトのお金が入ると飛んで行って10皿ぐらい無我夢中で食べたものです。
関東も梅雨明けとなり、いよいよ本格的な夏到来! 厳しい暑さが続くと思いますが、お互い
乗り切っていきましょう。
大文字山の送り火は京大の適当な建物の屋上から見るのが一番。数年前、吉田山の頂上付近から見たのですが人が多く良い場所は満杯でダメでした。昔は特に建物に施錠がなかったので屋上まで、関係者のような顔をして知らぬ顔をして入ったまでのことでしたね。今でも可能かもしれません。では、