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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

「眼下の危機」を如何に乗り越えていくか?

2008-07-27 | 雑記帳
 去年の夏も暑かったが今年の夏も暑い。年々暑くなっていくような気がする。が、今年の夏は、自宅では夜間に未だ一度もクーラーをつけていない。去年も、夜間はほとんど使わなかったが、本当に暑くて堪らぬときに限って、眠りに入る前のほんの1時間ほど使った。今年は物価がみな上がる中で、とことんガマンして何とか使わずに済まそうと考えている。
 クーラーを使わずに寝ていると、夜中に目が覚めてぐっしょりと汗をかいていることを発見する。昨夜も背中から胸にかけてずぶ濡れの汗をかいていた。喉が渇くので夜中にトイレに起きると、ついでに水を飲む。水を飲むとトイレが近くなって夜明けまでもたずにまたトイレに行く。しかし一度寝付くと途中で目が覚めても暑いという感覚はなくなっていて、意外と簡単に眠りに入れる。
 うっかり朝までクーラーをつけ放して寝込んでしまうと、どうも翌日の身体の調子がよくない。何となく身体がだるくなる。今年も真夏になって幾度かホテルで寝たが、ホテルの空調が利きすぎると、どうも身体の調子が宜しくない。朝になるまで空調を消したりつけたりするのに何度も目を覚ます。いつも田舎の安物のビジネスホテルに泊まるので、風量や室内温度の調節が出来ないことがある。一昨々日からの二日間は愛知県知多市で二泊したが、結局、風邪を引いてしまった。喉が痛くなって、二日目の今朝になってもまだ治っていない。暑くても夜は自然の温度の下で過ごすのがよい。
    ※     ※     ※
 ところで、みなさん、夜はクーラーを使っておられるでしょうか。使えば習慣になって使わないでは眠れなくなります。しかし、使わなければ、それなりに何とか使わないで済ますことも出来ます。
 原油価格が上昇するのは先物買いの投機筋の仕業とか、産油国の企みとか色々と言われていますが、基本的に世界の石油の消費が堅調過ぎるからです。我々は少し贅沢に慣れすぎています。ガソリン価格が上昇して、自動車の利用が減ったためか、高速道路の利用にも少々の影響が見え始めたとかの話もあります。
 供給と需要と価格の間には相互に関係があるというのは初歩の経済学の原則ですが、供給と価格に制約されて需要が変化するというような受身の考えではなくて、需要をコントロールすることで逆に供給と価格に影響を与えるという消費者としての前向きの考え方もあります。価格が上がりそうなものは徹底的に使用を控えるという皆さんの共同作戦は如何でしょうか。
 クーラーを使えば身体の調子がよくない。このことは、本当は事実ではないかもしれません。しかし、私は、自分にそのような魔術をかけて我慢ができる状態を演出したいと思っています。そして、今はそのことを心から信じていますので、本当に風邪の症状が出てくるほどの状態になっています。
 人間と言うものは信念の魔術が作用する存在です。昔の日本人は「鬼畜米英を殲滅する」まで「欲しがりません!勝つまでは」で頑張りました。1億の人間が真面目に頑張れたのは、そのように信じ込まされて、結果的に信じたからです。隣の人も同じであれば、貧乏であろうと、ひもじかろうと、案外、我慢できるように思います。時代遅れのような考え方かもしれませんが、当面の個人の生活防衛上、解決策はこれしかありません。
 我々に省エネルギーや生活上の我慢を強いる外圧は、実は、地球温暖化の方がもっと強烈かもしれません。しかし、地球温暖化を理由にして、個人一人ひとりに耐乏生活を強いても、誰も自分のこととして受け止めてくれません。むしろ、切実な問題として現在の家計が成り立たない、この現実を乗り越えるには省エネルギーとガマンしかないと考える方が、実効性が高いように思います。
 今年の初めには、わが国は京都議定書で約束した炭酸ガスの放出量が守れない不安が濃厚でした。これは民生用や運輸部門の省エネルギーがなかなか進まなかったからでした。しかし、ことここに至って、原油価格上昇のお陰で、ひょっとすれば、この国際公約は果たせるかもしれないという望みが出てきました。結果的に、我々の給料は下がる、生活水準は下がる、したいことが出来ないなどということになります。つまり過剰な贅沢はしないで済ますということで解決していくのかもしれません。これをみんなマンできるかどうか、このような結果になって、みなさん一人ずつの精神状態の維持が出来るかどうかに掛かっているように思われます。
 このような変化が、アメリカなどの先進国を含めて、いたずらに社会不安や文明の危機のような状態に陥ることなく、静かに贅沢だけを駆逐していくような緩やかな変化になっていくことを願ってやみません。イスラム圏や中国のような発展途上国の人々を共通の文明の仲間に引き込んでいくためには、仕方のない変化が始っているのではないでしょうか。
 私個人としては、自らマインド操作をして、再度「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことによって、不平や文句を言わなくて済むような人間になって行きたいと考えています。


幸せの日々この頃

2008-07-19 | 雑記帳
 ごく最近の我が生活の一こまを記録に残しておきたい。最近は、自分もそろそろ年だなと思うことが時々起こる。実は、昨日三重県四日市市のはずれにある保々(ほぼ)というところで仕事があった。その前日の一昨日は、午後3時頃に四日市で前泊のため、自宅を出発したのであった。
 四日市のホテルまでは気楽な独り旅。何とも形容のしがたいリラックスした嬉しい気分が伴う。大阪難波から近鉄電車で四日市まで行こうと思って、難波まで行って切符を求めたところ、乗り換えなしの名古屋行きは約1時間後出発と言うことであった。もっけの幸い。暑い夏のことだ。電車の待ち時間を利用して一杯飲もうと思った。生中のジョッキは思いのほか軽く、一杯を飲み干した時は砂漠に水をやるがごとく、10分ほどしか経過していなかった。全然満足できなかった。電車の出発までは、まだ30分以上もあった。しかし此処で沈没するわけにはいかないので、バドワイザーの缶ビールとサントリーの角水割り一缶を駅売店で買って、バドワイザーだけを飲んで時間を過ごした。気分はリラックスムードで完全に開放モードに達していた。
 電車に乗った。途中で読もうと思って本を数冊携行していた。ヘッセの小説、般若心経の本、それに日本の古代史の本だった。いずれも軽く読み流すための本で、サントリー角水割りをチビリチビリやりながら、それぞれを30分ずつかけて読んだ。その全ての内容にはしっかりとした記憶がある。本が面白かったので、途中では全く睡眠を取らなかった。近鉄電車は奈良県のど真中を横切るので、橿原神宮や桜井など昔懐かしの駅を通過するときに、何とも言えない懐かしさを感じた。
 古代史の本を読みながら考えていた。自分は、これまでは、縄文人は弥生人に文化的に征服された民族であると思っていた。しかし、現在の日本は弥生文化よりも縄文文化の方がより色濃く残存しているような気がしてきたのである。特に日本の首都が東京になってからは、東の文化の影響がさらに強くなり、現在では縄文人の後裔や縄文文化が日本を実質的に支配しているのではないか。軟弱な文化を持つ弥生人よりも、やや厳しい気性の縄文人の方が強い。生活力も旺盛だなどと考えた。電車の中で続けて読んだ他の2冊の本の内容もすべてよく記憶している。自分は決して酔っ払ってはいなかった。ずっと頭は冴えていた。自分は酒には強いと思う自信があった。
 そうこうする内に電車は四日市に着いた。時刻は夕方の夕食時の7時を回っていたので、ホテルに入る前に駅近くのラーメン屋に入った。ホテルで取り澄ました気分で高い夕食を食べるより、安いラーメン屋でのんびりと一人で好きな時間を過ごす方が自分の好みに合っている。そこでもまた瓶ビールを1本飲んだ。夕方の大阪難波発の4時頃からずっと飲みつくめで気分は最高潮に達していた。旅するたびに感じる一人でいるこの幸福感がたまらなかった。しかも一人で自分のペースで全てが運ぶのである。生きている喜びが腹の底からこみ上げてくるのだ。
 その後ホテルへ入って、翌日の仕事がある保々(ほぼ)駅までのアクセスに自信がなかったので、近くの四日市駅までその確認に出た。何しろ保々というところは、近鉄の富田駅から三岐鉄道と言う支線に乗り換えて、四日市からでも30分以上はかかると言うのだ。
 外は小雨であった。街灯のほとんどない暗い細い道を歩いていた。ポケットの携帯電話が気になって、取り出すと画面が妙に明るくて数日前の留守電のメモリーのマークが目に付いた。片手に傘をさし、もう一方の片手で携帯電話の画面を見ていたその時、突然もんどりうって自分の身体が前方に投げ出されたのである。何かにつまづいたのか、小雨で濡れた路面に足が滑ったのか、全く分らないが、前方地上に向って頭から滑り込んだのである。
 メガネが吹っ飛んだ。傘も、携帯も暗闇の中を何処かへ飛んで行った。気がつくと自分は道路の端で顔面を下に倒れこんでいた。眉間の右側眉毛の端に激痛が走った。右手の腕もアスファルトにこすってかなり擦りむいた模様である。眉間に手をやると血が出ているらしくべっとりとしたものが手に付いた。一瞬、明日の仕事が出来るかと不安が頭を横切ったが、意外と自分の気はしっかりとしていた。幸い見ている人は誰もいなかった。
 どうやら自分は千鳥足であったらしい。その状態で歩きながら傘と電話とその他の雑念を含めて身に余る負荷を全身にかけていたのだ。自分はハンカチで眉間の血をぬぐいながら、先ずメガネを探した。メガネは無残にも右側の蝶つがいがちぎれて分断していた。さいわいレンズには傷が付いていなかった。携帯も傘も暗闇の中から何とか回収した。その後のことはこれからゆっくりと考えようと思った。
 その後30分ほど酔い覚ましを兼ねてうろついた後、ドラッグストアへ行って傷の手当の薬とメガネを補修するための絆創膏を買った。駅員に保々駅までのアクセス方法や時間を確認して最後にコンビニに寄った。コンビニでまたもや眠り薬のアルコールを買った。
 しかし、その後で、またもや予期せぬトラブルに遭遇したのである。ホテルまでの道順が分らなくなった。am-pmと言う名のコンビニが周辺に数軒もあることを知らなかった。同じような電飾のストアだ。どうも駅の反対側へ出てしまったらしい。am-pmを起点にして、あるべきはずのホテルの方向へ、行けども、行けども見覚えのある景色が出現しなかったのだ。自分は完全に方向感覚を失った。夢遊病? 認知症? 意識だけがしっかりした中で、一瞬青ざめた。こんな現実があろうはずはないと思った。しかしそれも現実の一部であった。自分は、仕方なく振出しの四日市駅に引き換えした。同じ名前の同じ雰囲気のコンビニが3軒もあることを発見したのはその時であった。起点と考えたコンビニを間違えていたのであった。
 ホテルへは無事帰った。メガネを修復して、何とか鼻からずり落ちない程度にまで糸でしっかりと縛りつけた。眉間の傷は暫く出血していたが、傷口が丁度眉毛の濃い部分であったので外観ではほとんど分らないことが分った。その後、自分は安心して、シャワーを浴びて、寝酒を飲んで、深々と眠り込んだのである。翌朝、枕カバーには出血のどす黒い血の跡がこびりついていたが、枕を裏返しにして知らぬ顔をしてホテルを出た。
 翌日の仕事はごく普通に済ませた。仕事の終了が少し遅くなり四日市発が20時となった。自宅には夜の11時を回っての帰還となった。朝は仕事の準備のため5時に起床したことを考えると厳しい1日であった。また、この1日分の仕事の報酬はメガネ代に届かない。お金の差し引きはマイナスとなる。何のための出張であったのか分らない気もするが、2日間の命の時間を心楽しく過ごすことができたのだ。あれも人生。これも人生。こうやって楽しく生きていける間は、転んでも、怪我しても、楽しく生きていくに限る。メガネなど安いものだと思う。そろそろ自分も老境に近づいて来ているような気もする。が、まだ暫くはいけるであろう。いけるところまで行こう、後のことはその時のことだと思う。
 

死ぬまで働いたほうが良いのか?それとも?

2008-06-23 | 雑記帳
 人は何歳まで働くことができるのか。いつまで働くのが良いのか。健康や信条や過去の職歴など、いろいろな個別の事情があるので一般論ではなかなか簡潔に述べることが出来ない。したがって、ここでは自分のことだけを述べてみたい。
 結論から言えば死ぬまで働きたいと思う。え?90歳越えてまだ働くつもり?と聞かないで頂きたい。自分ですら我が90歳でどのような精神的、肉体的健康状態でおれるか分らない。いわんや90歳まで生きているかどうかすら分らない。現在68歳の自分が、ここ暫くの間、働き続けるかどうかだけを検討の対象とせざるを得ないのである。
 自分は超長期の将来を別にすればやはりできる限り働いていたい。自分は意思や精神が健康でさえあれば、あらゆる苦難や苦痛に耐えて生きていけると思うのである。また、精神が健康であれば病気への抵抗力が極めて高くなり、ほとんど病気にならなくなると信じている。自分には、経験的に、精神の健康は自分が働いているという実態から自然に発生してくるように思われる。仕事に関係する責任感、義務感、目標意識などに忙しく時間を消費しておれば、その他の些事や生活上の悩みなどを考えている時間がなくなる。単純にそう思っている。自分は、何もすることなく、ぼやっとしている時間が怖いのである。そのような時間があれば、本来は考える必要もない煩悩が心のスキマに忍び込んでくる。そして煩悩が悪さをして人を病気に駆り立てる。その結果、病気が人を仕事から遠ざけて煩悩をもたらせる。仕事から遠ざかることによって、煩悩と病気の悪循環が始まるのである。自分はそのように思っている。
 また、自分はいつまで働けるか分らないのにまだ勉強を継続している。現在、毎日、平行して読んでいる本は20冊以上に上る。仕事の本も半数近くある。たとえば、「設計開発の品質・・・」や「商品企画・・・」などは読み始めたばかりだ。今から、こんな本読んで何になるのかは敢えて問わない。ひょっとして90歳でもまだ仕事をしているかもしれないので、そのときまでにはひょっとして役に立つ機会があるのではないかと気楽に構えている。しかも、今すぐ活用する目標がないだけに気楽に読める。その分、消化がよく、過去10年来では最もよく理解が進むような気がしている。そのうちに、触発されて、オリジナルの構想が出てくれば、自分でも本を書いてみたいような気がする。
 しかし、あるとき、突然、調子が狂って大病をしたり、ぽっくりとあの世へいくかもしれない。その可能性はある。しかしながら、そのときはそのときのことだ。そんなことを予定に入れて、今から遊びまくるかと言えば、とてもそんな気にはなれない。無駄になってもよい。何時か来る死までの人生の時間を何かして楽しむのが良い。勉強はその有力な選択肢の一つである。タダそれだけのことである。
 今、遅ればせながら、リルケの「マルテの手記」を読んでいる。何とも言えない憂鬱の塊のような本である。リルケが、なぜ、こんな本を書かなければならないのか理解に苦しむほどだ。しかし、リルケは、あまりの大作に力を入れて書いた自負からか、それ以降、何十年にもわたって小説的な作品を作ることが出来なくなったそうだ。人は若いうちにあまりの力作や業績を残さない方が良いことの見本だ。あるいは、下手に業績など残さないほうが身のためだ。人生は、その過程で如何に幸福感に満たされ、意味のある人生を生きることができたか、特に人生の後半でそのような感慨を感ずることが出来れば、それが最上の人生と言うものかもしれない。可哀想に、自分から見ればリルケは作品と名を残したが、常人から隔絶した感受性のために、全く幸せでない人生を歩んでしまった。
 自分は小さな世界の片隅で辛うじて生きているだけの人間であるが、最近は、結局、人生というものはこんなものではないかという諦観と、それでも自分なりに何とかやっているとの達成感の両方を感じ始めている。それが今後とも継続するかどうか、それを決めるのは健康である。その健康は前述のように精神的な健康が肉体的の健康を先導すると考えている。そのためには何としても仕事を止めてはならない。自ら出口など探さなくても良い。淡々と仕事を続けるのが良い。出口から出るのは、それが止むを得なくなった時でよい。
 最近、至高体験とか自己実現とか健康心理学とか、マスローを起点とする、やる気の心理学を少しかじっただけであるが、下記のような人間の心理状態が存在することを確信する。
 
  意志と信念が健康でさえあれば
  挫折や葛藤はストレスではない
  ライオンの餌食にされようと
  イエスの足下に至るプロセスと思えば
  殉教者の苦悩も苦悩ではない
  他人の目で見て大いなる悲劇であっても
  当人は愉快な気持ちで凝視することができる


スキマ時間の過ごし方

2008-06-20 | 雑記帳
 現場で仕事をやっている時間はもう無我夢中である。現にある目の前の仕事以外のことは何も考えていない。その準備や事後の整理のためオフィスでデスクの前に座っているときも同様である。しかし、人は四六時仕事ばかりで一生を過ごせるわけではない。時にはどこか遠くへ行って仕事以外の時間を過ごしたいと思う。
 そう思って、今月6月初めの3日間、北アルプスは上高地に家内と二人でハイキング旅行に出かけた。入梅前の好天に恵まれて清流の梓川のほとりの山道を堪能した。雪渓の残る穂高や奥穂高の山並みもすばらしい眺めであった。何分にも上高地は初めてであった。新緑まぶしい唐松の林や楡の木の下を歩き回って、この世に倦まず、何とか生きながらえて、本当に良かったと心から思うことが出来た。また、昨夜は昨夜でイタリアレストランへ家内と繰り出して楽しいひと時を過ごした。これらの時間は、言うまでもなく、至福のひと時である。そのとき目の前に存在する幸福を噛みしめる以外に、考えることは何もない。
 このように、平素の毎日は仕事を中心に様々なことをして過ごしている。しかし、毎日の生活は仕事と遊びだけで成り立っているのではない。仕事の時間も遊びの時間も、そのときはそれ以外のことを考えずに済む幸せの時間帯であるが、格別何も考えない空白の時間帯も結構長いのである。その空白のスキマの時間帯が曲者であり、人間の幸福度を決める極めて重要な位置にあることに最近気が付いたのである。
 このスキマ時間は何も考えていないのではない。それこそ、普段にも増して色々なことを考えているのである。上高地へ行ったのは良いが、沢山のお金を使ってしまったとか、イタメシは美味かったけど、またまた、無駄使いをしたのではないかなど、他人に口に出しては言わないが、後悔に似た感情が交錯する。
 自分の最近の悩みは、年を重ねるとともに、仕事の時間が減り、積極的に遊びに行く時間も減り、このスキマ時間の存在が重みを増していくことにある。スキマ時間は一人のときに訪れる。大抵は同時に孤独を感ずる。忙しくてたまらぬ時の孤独は歓迎するが、一人淋しい時の孤独はたまらない。つい人生とは何かなど深みにはまり込んでいく。この時に考えることが人生の全てのような気になってしまう。折角の上高地やイタメシの幸福感をどこかへ駆逐する。
 色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。観念的に空や無を意識せよと言っているだけだと軽く受け流している間は良い。これらを只の知識として理解している分に怖いものは何もない。しかし、人生が絶対的に空や無であり、そこには何の意味もないと疑い始めて虚無感に襲われる時、そしてまた、そこに同時に孤独感が並存すると、何とも言えない、もの狂おしくも鬱々とした気分に支配される。色欲や物欲の煩悩に悩んでいる間はまだ正直人間としての可愛げがある。しかし、生きていることには何の意味もないと言うような考えに導かれると、行き着く先には何もなく、絶望と虚無だけとなる。将来に向かって勉強することも努力することにも意味がなくなる。今まで頑張って生きてきたことが全て否定されるような気分になる。
 人はこのスキマ時間に何を考えるか。このスキマ時間を如何に過ごすか。人の幸福度はこのスキマ時間の過ごし方如何にあるような気がする。当面、自分は空とか無とかの思想は排除する。その排除の程度が思考の健全性を示しているような気がする。と思いつつも気がつけば、いつの間にか、空とは何か、無とは何かを考えている最近の自分である。


みんな大きく育って欲しい

2008-06-19 | 雑記帳
 我が家の玄関に沙羅の木が1本植えてある。一昨年までは大きな鉢に植わっていたが、昨年、阪神大震災以来10余年間、放置してきた壊れた玄関前を改修したときに地植えにしたのである。その沙羅の木が1年ほどの間に一回りも二回りも大きくなった。今ではジャンプしても木の頂きに手が届かない大きさとなった。
 木肌は百日紅(さるすべり)のようにすべすべしている。樹皮がめくれて内皮が露出しているのである。夏の初め、丁度、今頃になると、白い中くらいの大きさの花が一斉に咲き出す。花の形は椿に似ている。冬に咲く赤い椿と同じように花ごと首から落ちて散っていく。夏が来る直前に咲くので夏椿とも呼ばれているのだそうだ。
 自分はこの木がなぜか気に入っている。鉢植えにしている時は、せいぜい人間の背丈と同じくらいしかなかった。しかし、これを植え替えると、1年で何と2倍以上の大きさに急成長したのである。環境によってこれほども違うものかと驚く。植物もその成長を支配しているのは、どうやらその生育環境にあるらしい。小さく育って、そこで成長が止まってしまうのは、狭く小さな空間では十分に根が張れず、十分な栄養が補給出来ないからであろうか。
 これは植え替えて初めて発見できたことである。同じ個体でありながら別人のようである。これは人間も同じではないかと思う。ある会社に入った人が、何年もその会社に居て、仕事ができず、うだつが上がらないことがある。その原因は、その人間に能力がないからだと、会社は評価し、本人もそのように思っている。実はそうではなくて、ただ本人に適切な仕事環境が与えられていないだけのことかもしれない。
 最近は中小企業の会社と接することが多いが、最も切実な問題の一つに人材難があるようだ。社員の中には能力がありながら、中小企業という小さな檻の中で、それが自分の能力だと思い込んで、それ以上に成長できない人達が多数居る。一方、しっかり責任を与えられて、能力以上に頑張っている人達も居る。しかし、全体的には、前者の人達が圧倒的に多いようである。もっと環境を整え、社員に成長のための栄養が行き渡るようにすれば、伸びる人が一杯居ることに周囲も本人も全然気付いていないのである。
 逆に、大会社には溢れるほどの人材が居る。しかし、仕事が与えられないために飼い殺しになっている人達が極めて多い。中小企業と比べて、給与や待遇が良いので、本人はそれなりに満足しているのであろうが、中小企業の人材難の窮状を見るにつけ、大会社は何と言う犯罪的行為を行っているのかと腹が立ってくるほどである。日本の国全体では、人材の配置や配分に著しい不公平やアンバランスが存在している。何とかならないものかと思う。色々な格差が存在する中で、止むを得ないことかもしれないが、社会的には大きな非効率の原因となっているのである。
 個人的な我が家の沙羅の木の植え替えから話が思わぬ方向に脱線したが、大きな組織で小さくなっている人達や、小さな組織で大きくなれない人達の耳元で囁きたい。自分の能力はもっと大きい。自分に自信を持て。自らの現状は現在の環境の制約を受けている。自ら環境を変える努力をせよ。受身の構えで安住していてはダメだ。誰も他人事には干渉してくれない。悪い方向への干渉は一杯あるが、良い方向への面倒な世話など誰がやってくれるものか。自分のことは、結局、自分で考えるのだ。そのために発生する苦労は苦労ではない。自分への当然の責務だ。自分の生涯の幸福を願うなら、それなりの努力をしなければダメだ。


スズメのPTSD

2008-06-18 | 雑記帳
 昨夜、仕事から帰って台所でくつろいでいると、隣の廊下でただならぬ物音が始った。ギャーギャーと言うか、チューチューと言うか、ズーイズーイと言うか、聞いたことのないけたたましい音であった。自分は驚いて、暗闇の廊下に出た。そこでは、何と我が家のネコが小雀を前足で押さえつけていたのであった。スズメはまだ元気があって、必死に飛び上がる度に、ネコに飛びつかれては組み伏せられているのである。ただならぬ物音は、この騒動の渦中にある小雀の発する必死の叫び声であった。いつもは猫可愛がりの自分ではあるが、このときは、とっさに「コラー」とネコを叱りつけていたのであった。
 その後、家内がまだ僅かに息のあるスズメを引き離して、再び襲い掛かられぬように、ベランダの片隅に隔離した。朝になるとこのスズメは姿を消しており、われわれはほっと安堵したのである。家内の言によると、夜明け頃には、外で仲間のスズメがうるさいほどチュンチュクと鳴いていたらしい。瀕死の小雀はどうやら仲間に無事に助け出されたようであった。当のスズメにとって見れば、とんだ災難であった。九死に一生を得た思いであろう。何はともあれ、良かったと思う。
 このスズメ。肉体的には傷が癒えても精神的なショックは一生残るのではないか。今後、一生おどおどして生きて行かなければならないのではないか。自信をなくして、動くものを見れば、絶えず恐怖に襲われるのではないか。そのようなことを思うと、何とも言えない不憫な気持ちが胸に去来する。
 あのスズメには何の落ち度もない。たまたまネコに襲われると言う不運に遭遇しただけのことであった。そのようなことで一生の不幸の烙印が押されてしまうとは、本当にこの世の中は不公平にできている。神様が作った世界にしては、この世界は本当に不完全なものだ。
 この話はスズメに限らない。毎日、人間世界のたまたま遭遇する不幸な人達が新聞の社会面を賑わしている。人間の場合はもっと複雑で、もっと深刻な人生がその後に控えている。そのような人や家族の人たちのその後のことを考えると、誠に暗澹たる気持ちに襲われる。このような事件に巻き込まれることが特になく、現在、平和に過ごしている自分などは本当に幸運だと思う。平素、些細なことに目くじらを立てていがみ合ったり、文句ばかり言っているのは、誠に、罰当たりに思われてくる。誰に感謝しろと言うわけでもないが、自分も含めて大過なく平和に生きることが出来ている人々は、現在の我が身の幸運を噛みしめ、常に感謝の気持ちを忘れてはならないのである。

※PTSD;心的外傷後ストレス障害(Post-traumatic stress disorder)→心に加えられた衝撃的な傷が元となり、後に様々なストレス障害を引き起こす疾患のこと(Wikipediaより引用)
※今回より、新しいカテゴリー「雑記帳」を設けました。時々は、その日に気が付いたり、目にしたりしたことなどをテーマにして書き綴りたいと思います。