去年の夏も暑かったが今年の夏も暑い。年々暑くなっていくような気がする。が、今年の夏は、自宅では夜間に未だ一度もクーラーをつけていない。去年も、夜間はほとんど使わなかったが、本当に暑くて堪らぬときに限って、眠りに入る前のほんの1時間ほど使った。今年は物価がみな上がる中で、とことんガマンして何とか使わずに済まそうと考えている。
クーラーを使わずに寝ていると、夜中に目が覚めてぐっしょりと汗をかいていることを発見する。昨夜も背中から胸にかけてずぶ濡れの汗をかいていた。喉が渇くので夜中にトイレに起きると、ついでに水を飲む。水を飲むとトイレが近くなって夜明けまでもたずにまたトイレに行く。しかし一度寝付くと途中で目が覚めても暑いという感覚はなくなっていて、意外と簡単に眠りに入れる。
うっかり朝までクーラーをつけ放して寝込んでしまうと、どうも翌日の身体の調子がよくない。何となく身体がだるくなる。今年も真夏になって幾度かホテルで寝たが、ホテルの空調が利きすぎると、どうも身体の調子が宜しくない。朝になるまで空調を消したりつけたりするのに何度も目を覚ます。いつも田舎の安物のビジネスホテルに泊まるので、風量や室内温度の調節が出来ないことがある。一昨々日からの二日間は愛知県知多市で二泊したが、結局、風邪を引いてしまった。喉が痛くなって、二日目の今朝になってもまだ治っていない。暑くても夜は自然の温度の下で過ごすのがよい。
※ ※ ※
ところで、みなさん、夜はクーラーを使っておられるでしょうか。使えば習慣になって使わないでは眠れなくなります。しかし、使わなければ、それなりに何とか使わないで済ますことも出来ます。
原油価格が上昇するのは先物買いの投機筋の仕業とか、産油国の企みとか色々と言われていますが、基本的に世界の石油の消費が堅調過ぎるからです。我々は少し贅沢に慣れすぎています。ガソリン価格が上昇して、自動車の利用が減ったためか、高速道路の利用にも少々の影響が見え始めたとかの話もあります。
供給と需要と価格の間には相互に関係があるというのは初歩の経済学の原則ですが、供給と価格に制約されて需要が変化するというような受身の考えではなくて、需要をコントロールすることで逆に供給と価格に影響を与えるという消費者としての前向きの考え方もあります。価格が上がりそうなものは徹底的に使用を控えるという皆さんの共同作戦は如何でしょうか。
クーラーを使えば身体の調子がよくない。このことは、本当は事実ではないかもしれません。しかし、私は、自分にそのような魔術をかけて我慢ができる状態を演出したいと思っています。そして、今はそのことを心から信じていますので、本当に風邪の症状が出てくるほどの状態になっています。
人間と言うものは信念の魔術が作用する存在です。昔の日本人は「鬼畜米英を殲滅する」まで「欲しがりません!勝つまでは」で頑張りました。1億の人間が真面目に頑張れたのは、そのように信じ込まされて、結果的に信じたからです。隣の人も同じであれば、貧乏であろうと、ひもじかろうと、案外、我慢できるように思います。時代遅れのような考え方かもしれませんが、当面の個人の生活防衛上、解決策はこれしかありません。
我々に省エネルギーや生活上の我慢を強いる外圧は、実は、地球温暖化の方がもっと強烈かもしれません。しかし、地球温暖化を理由にして、個人一人ひとりに耐乏生活を強いても、誰も自分のこととして受け止めてくれません。むしろ、切実な問題として現在の家計が成り立たない、この現実を乗り越えるには省エネルギーとガマンしかないと考える方が、実効性が高いように思います。
今年の初めには、わが国は京都議定書で約束した炭酸ガスの放出量が守れない不安が濃厚でした。これは民生用や運輸部門の省エネルギーがなかなか進まなかったからでした。しかし、ことここに至って、原油価格上昇のお陰で、ひょっとすれば、この国際公約は果たせるかもしれないという望みが出てきました。結果的に、我々の給料は下がる、生活水準は下がる、したいことが出来ないなどということになります。つまり過剰な贅沢はしないで済ますということで解決していくのかもしれません。これをみんなマンできるかどうか、このような結果になって、みなさん一人ずつの精神状態の維持が出来るかどうかに掛かっているように思われます。
このような変化が、アメリカなどの先進国を含めて、いたずらに社会不安や文明の危機のような状態に陥ることなく、静かに贅沢だけを駆逐していくような緩やかな変化になっていくことを願ってやみません。イスラム圏や中国のような発展途上国の人々を共通の文明の仲間に引き込んでいくためには、仕方のない変化が始っているのではないでしょうか。
私個人としては、自らマインド操作をして、再度「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことによって、不平や文句を言わなくて済むような人間になって行きたいと考えています。


クーラーを使わずに寝ていると、夜中に目が覚めてぐっしょりと汗をかいていることを発見する。昨夜も背中から胸にかけてずぶ濡れの汗をかいていた。喉が渇くので夜中にトイレに起きると、ついでに水を飲む。水を飲むとトイレが近くなって夜明けまでもたずにまたトイレに行く。しかし一度寝付くと途中で目が覚めても暑いという感覚はなくなっていて、意外と簡単に眠りに入れる。
うっかり朝までクーラーをつけ放して寝込んでしまうと、どうも翌日の身体の調子がよくない。何となく身体がだるくなる。今年も真夏になって幾度かホテルで寝たが、ホテルの空調が利きすぎると、どうも身体の調子が宜しくない。朝になるまで空調を消したりつけたりするのに何度も目を覚ます。いつも田舎の安物のビジネスホテルに泊まるので、風量や室内温度の調節が出来ないことがある。一昨々日からの二日間は愛知県知多市で二泊したが、結局、風邪を引いてしまった。喉が痛くなって、二日目の今朝になってもまだ治っていない。暑くても夜は自然の温度の下で過ごすのがよい。
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ところで、みなさん、夜はクーラーを使っておられるでしょうか。使えば習慣になって使わないでは眠れなくなります。しかし、使わなければ、それなりに何とか使わないで済ますことも出来ます。
原油価格が上昇するのは先物買いの投機筋の仕業とか、産油国の企みとか色々と言われていますが、基本的に世界の石油の消費が堅調過ぎるからです。我々は少し贅沢に慣れすぎています。ガソリン価格が上昇して、自動車の利用が減ったためか、高速道路の利用にも少々の影響が見え始めたとかの話もあります。
供給と需要と価格の間には相互に関係があるというのは初歩の経済学の原則ですが、供給と価格に制約されて需要が変化するというような受身の考えではなくて、需要をコントロールすることで逆に供給と価格に影響を与えるという消費者としての前向きの考え方もあります。価格が上がりそうなものは徹底的に使用を控えるという皆さんの共同作戦は如何でしょうか。
クーラーを使えば身体の調子がよくない。このことは、本当は事実ではないかもしれません。しかし、私は、自分にそのような魔術をかけて我慢ができる状態を演出したいと思っています。そして、今はそのことを心から信じていますので、本当に風邪の症状が出てくるほどの状態になっています。
人間と言うものは信念の魔術が作用する存在です。昔の日本人は「鬼畜米英を殲滅する」まで「欲しがりません!勝つまでは」で頑張りました。1億の人間が真面目に頑張れたのは、そのように信じ込まされて、結果的に信じたからです。隣の人も同じであれば、貧乏であろうと、ひもじかろうと、案外、我慢できるように思います。時代遅れのような考え方かもしれませんが、当面の個人の生活防衛上、解決策はこれしかありません。
我々に省エネルギーや生活上の我慢を強いる外圧は、実は、地球温暖化の方がもっと強烈かもしれません。しかし、地球温暖化を理由にして、個人一人ひとりに耐乏生活を強いても、誰も自分のこととして受け止めてくれません。むしろ、切実な問題として現在の家計が成り立たない、この現実を乗り越えるには省エネルギーとガマンしかないと考える方が、実効性が高いように思います。
今年の初めには、わが国は京都議定書で約束した炭酸ガスの放出量が守れない不安が濃厚でした。これは民生用や運輸部門の省エネルギーがなかなか進まなかったからでした。しかし、ことここに至って、原油価格上昇のお陰で、ひょっとすれば、この国際公約は果たせるかもしれないという望みが出てきました。結果的に、我々の給料は下がる、生活水準は下がる、したいことが出来ないなどということになります。つまり過剰な贅沢はしないで済ますということで解決していくのかもしれません。これをみんなマンできるかどうか、このような結果になって、みなさん一人ずつの精神状態の維持が出来るかどうかに掛かっているように思われます。
このような変化が、アメリカなどの先進国を含めて、いたずらに社会不安や文明の危機のような状態に陥ることなく、静かに贅沢だけを駆逐していくような緩やかな変化になっていくことを願ってやみません。イスラム圏や中国のような発展途上国の人々を共通の文明の仲間に引き込んでいくためには、仕方のない変化が始っているのではないでしょうか。
私個人としては、自らマインド操作をして、再度「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことによって、不平や文句を言わなくて済むような人間になって行きたいと考えています。


