徒然の三回目でござるのだ。
徒然とはいえ、中一月というと何を書こうかと悩むのでござるのだ。
この一月も小さな事なれど、毎日のように何か起こっているのでござった。
それこそいろいろでござるからして、かいつまんだ流れから少々というものでござるな。
遡ること七年八年前からの比較で話を進めることとなるのでござる。
というと、結構大層に思えるのでござるが、そのような事はないのでござるな。
その頃に、福祉という言葉に接しかけていたのでござるが、福祉で自分が何とかならないものかと思っていたのでござるな。
社会に作られている制度福祉ではなく、自らが必要な形で作る福祉というものを考えていたのでござるな。
また高位者が低位者に与えるものでもないと思うところでござった。
その頃接した園芸福祉は、その理念は素晴らしいものでござるが、そのシステムは使うものが心して使わねばただの金儲けだけになってしまうという事になったのでござる。
全国各地ににたくさん活動がある中で、地域によってその必要とすることを活動の質にしているのでござるが、それがいいものになったり低質のものになったりでござった。
拙者の接したところでは、障害者が元気になり過ぎたり、プライドというものが活動の障壁になったりでござった。
その後今の施設でアルバイトをするようになったのでござるが、そこはあるバイトでござるからして理念よりもどちらかというと拙者の生活が優先なのでござるな。
そういうと実も蓋もないのでござるが、「制度福祉の世界でござる」と割り切らねばならぬのでござる。
少々寂しいのでござるな。
その一連の中で、「理念・理想は変質するものでござる」というものでござった。
一時期はその理念理想が素晴らしいものと思えても、時間を経るにしたがってそれが変わってくるのでござるな。
それは、理想の変質というものかも知れぬのでござる。
自分の考え方が変わってきたりすると、対象とする理念や理想は見方が変わるのでござるからして、必然的に理念・理想としての姿ではなくなるのでござるな。
その逆が、自分が当初求めていた理念・理想とするものであっても、それ自体が変化してくればそこには理念も理想も存在しなくなるのでござるな。
それらの事に気付いたら、拙者は、「あ!そうか!そういうことか!」と気が着いて、理想や理念が消えるとともに新しい姿が生ずるところでござる。
「今がそのときなのか」と、拙者なりに思っているところでござる。
簡単にたとえれば、「でんでら」という映画がござったのだ。
拙者はそれが「楢山節考(?)」と同じものと思っていたのでござるが、全く違っていたのでござり、考えを変えたところでござる。
オブラートに包んで包んで、新聞紙で包んで、考えを表現するのも苦しいものでござるが、ま、明日の心でさらば!
徒然とはいえ、中一月というと何を書こうかと悩むのでござるのだ。
この一月も小さな事なれど、毎日のように何か起こっているのでござった。
それこそいろいろでござるからして、かいつまんだ流れから少々というものでござるな。
遡ること七年八年前からの比較で話を進めることとなるのでござる。
というと、結構大層に思えるのでござるが、そのような事はないのでござるな。
その頃に、福祉という言葉に接しかけていたのでござるが、福祉で自分が何とかならないものかと思っていたのでござるな。
社会に作られている制度福祉ではなく、自らが必要な形で作る福祉というものを考えていたのでござるな。
また高位者が低位者に与えるものでもないと思うところでござった。
その頃接した園芸福祉は、その理念は素晴らしいものでござるが、そのシステムは使うものが心して使わねばただの金儲けだけになってしまうという事になったのでござる。
全国各地ににたくさん活動がある中で、地域によってその必要とすることを活動の質にしているのでござるが、それがいいものになったり低質のものになったりでござった。
拙者の接したところでは、障害者が元気になり過ぎたり、プライドというものが活動の障壁になったりでござった。
その後今の施設でアルバイトをするようになったのでござるが、そこはあるバイトでござるからして理念よりもどちらかというと拙者の生活が優先なのでござるな。
そういうと実も蓋もないのでござるが、「制度福祉の世界でござる」と割り切らねばならぬのでござる。
少々寂しいのでござるな。
その一連の中で、「理念・理想は変質するものでござる」というものでござった。
一時期はその理念理想が素晴らしいものと思えても、時間を経るにしたがってそれが変わってくるのでござるな。
それは、理想の変質というものかも知れぬのでござる。
自分の考え方が変わってきたりすると、対象とする理念や理想は見方が変わるのでござるからして、必然的に理念・理想としての姿ではなくなるのでござるな。
その逆が、自分が当初求めていた理念・理想とするものであっても、それ自体が変化してくればそこには理念も理想も存在しなくなるのでござるな。
それらの事に気付いたら、拙者は、「あ!そうか!そういうことか!」と気が着いて、理想や理念が消えるとともに新しい姿が生ずるところでござる。
「今がそのときなのか」と、拙者なりに思っているところでござる。
簡単にたとえれば、「でんでら」という映画がござったのだ。
拙者はそれが「楢山節考(?)」と同じものと思っていたのでござるが、全く違っていたのでござり、考えを変えたところでござる。
オブラートに包んで包んで、新聞紙で包んで、考えを表現するのも苦しいものでござるが、ま、明日の心でさらば!
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