3月7日(日)
今日も朝から雨*(雨)*降りなので、どこにも出かけず、家でゆっくり久々にPCの更新をしたり、クレパスで絵を描いたりして過ごした。
末娘が私の絵を見て、いろいろ感想を言ってくれたのだが、『大地讃頌』のイメージで描いたと言うと、
「私達も卒業式で『大地讃頌』を歌うけれど、全然感動できない。もっと違う歌が歌いたかった。」
と言うので、
「歌詞の意味や、この歌が作られた背景とか、この歌は『土の歌』というカンタータの第7楽章なんだけれど、他の楽章については説明を受けたの?」
「ううん。毎年卒業式で歌っているからだって。歌ってても意味わかんないし、ノレない。」
そこで、ネットで『大地讃頌』を検索し、カンタータ『土の歌』の他の楽章と作られた背景について調べてみた。
その中で、興味深い解説があったので、アドレスだけ紹介するので、興味のある方はクリックしてみてください。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/daitisansyou.htm
これを読んで娘は少しは考えが変わったような感じではあったが、焦土から立ち上がり、命を育む大地に感謝するという気持ちにまでは行かないらしかった。
また、娘はこんなことも言っていた。
「私、戦争の話って嫌いなんだよね。特に原爆の話は。だって、私の誕生日(8月7日)は、広島と長崎の原爆の日にはさまれているんだもん」
そこで、私は、吉永小百合さんの『第二楽章』という広島の被爆者の詩の朗読集の中の、栗原貞子さんの『生ましめんかな』の詩を紹介した。
原爆投下の現場で、たくさんの命が失われた中で、過酷な状況の中でもたくさんの被爆した人たちに見守られながらこの世に生まれてきた小さな命の誕生の瞬間を書いた詩だ。
『生ましめんかな』
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
「65年前、あなたと同じ誕生日の子どもたちが、あの焦土の中で生まれ、たくさんの人の希望の光になった。元気に育つには大変な苦労があったことだろう。
あなたは、平和な時代に、設備の整った快適な産院で元気に生まれ、たくさんの人たちに祝福されてすくすくと育った。
戦争を毛嫌いする気持は分かるけれど、何故あんなことが起きたのか、あんな悲劇を繰り返さないためにも、ちゃんとあの時代と向き合って勉強しなくちゃいけない。
今日、きっかけは『大地讃頌』についてだったけれど、原爆のことや、歌の内容について、いろんなことに気づけたのはすごく良かったね。」
「ママが今勤めている学校の周辺は、梨の名産地で、生徒達の家は梨農家が多い。みんな小さい頃から美味しい梨を作るのに、家族がどれだけ苦労してきているか見て育ってきている。
今の自分達の生活を支えてくれる梨畑を、先祖がどれだけ苦労して開墾し、良い土作りをしてきたか分かっている。
だから、『大地讃頌』は、他の楽章を知らなくても、自分たちの歌として歌うことができるのかなあ。
あなたも、米作りや、野菜作りが好きな人だから、戦争とは関係なく、大地に感謝する気持ちは持てるんじゃない?」
娘はしばらく考えているようだった。
私は、CDジャケットデザインをする場合も、歌詞の内容や意味をよく考えさせたり、曲のイメージを色や形をどんな手法を生かして表現するかとことん生徒と話し合う。
クラスを持ったとき、合唱コンクールで歌う歌は、歌詞の意味を重視し、イメージイラストを描かせたりする。
歌は上手い下手やテクニックではないと思う。まずは「ハート*(青ハート)*」が大切だと思う。
気持が入らなければ、どんなに大きな声やきれいな声でテクニック的には上手に歌えても、人を感動させるような、気持が伝わってくる歌にはならないと思う。
言葉には『言霊』が宿り、歌には『歌魂』が宿るのだ。
さあ、今週は、卒業式に向けての礼法や歌練習が始まる。
最高の卒業式で、3年生を送り出してあげられるよう、頑張ろう。*(音符)**(びっくり1)*
今日も朝から雨*(雨)*降りなので、どこにも出かけず、家でゆっくり久々にPCの更新をしたり、クレパスで絵を描いたりして過ごした。
末娘が私の絵を見て、いろいろ感想を言ってくれたのだが、『大地讃頌』のイメージで描いたと言うと、
「私達も卒業式で『大地讃頌』を歌うけれど、全然感動できない。もっと違う歌が歌いたかった。」
と言うので、
「歌詞の意味や、この歌が作られた背景とか、この歌は『土の歌』というカンタータの第7楽章なんだけれど、他の楽章については説明を受けたの?」
「ううん。毎年卒業式で歌っているからだって。歌ってても意味わかんないし、ノレない。」
そこで、ネットで『大地讃頌』を検索し、カンタータ『土の歌』の他の楽章と作られた背景について調べてみた。
その中で、興味深い解説があったので、アドレスだけ紹介するので、興味のある方はクリックしてみてください。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/daitisansyou.htm
これを読んで娘は少しは考えが変わったような感じではあったが、焦土から立ち上がり、命を育む大地に感謝するという気持ちにまでは行かないらしかった。
また、娘はこんなことも言っていた。
「私、戦争の話って嫌いなんだよね。特に原爆の話は。だって、私の誕生日(8月7日)は、広島と長崎の原爆の日にはさまれているんだもん」
そこで、私は、吉永小百合さんの『第二楽章』という広島の被爆者の詩の朗読集の中の、栗原貞子さんの『生ましめんかな』の詩を紹介した。
原爆投下の現場で、たくさんの命が失われた中で、過酷な状況の中でもたくさんの被爆した人たちに見守られながらこの世に生まれてきた小さな命の誕生の瞬間を書いた詩だ。
『生ましめんかな』
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
「65年前、あなたと同じ誕生日の子どもたちが、あの焦土の中で生まれ、たくさんの人の希望の光になった。元気に育つには大変な苦労があったことだろう。
あなたは、平和な時代に、設備の整った快適な産院で元気に生まれ、たくさんの人たちに祝福されてすくすくと育った。
戦争を毛嫌いする気持は分かるけれど、何故あんなことが起きたのか、あんな悲劇を繰り返さないためにも、ちゃんとあの時代と向き合って勉強しなくちゃいけない。
今日、きっかけは『大地讃頌』についてだったけれど、原爆のことや、歌の内容について、いろんなことに気づけたのはすごく良かったね。」
「ママが今勤めている学校の周辺は、梨の名産地で、生徒達の家は梨農家が多い。みんな小さい頃から美味しい梨を作るのに、家族がどれだけ苦労してきているか見て育ってきている。
今の自分達の生活を支えてくれる梨畑を、先祖がどれだけ苦労して開墾し、良い土作りをしてきたか分かっている。
だから、『大地讃頌』は、他の楽章を知らなくても、自分たちの歌として歌うことができるのかなあ。
あなたも、米作りや、野菜作りが好きな人だから、戦争とは関係なく、大地に感謝する気持ちは持てるんじゃない?」
娘はしばらく考えているようだった。
私は、CDジャケットデザインをする場合も、歌詞の内容や意味をよく考えさせたり、曲のイメージを色や形をどんな手法を生かして表現するかとことん生徒と話し合う。
クラスを持ったとき、合唱コンクールで歌う歌は、歌詞の意味を重視し、イメージイラストを描かせたりする。
歌は上手い下手やテクニックではないと思う。まずは「ハート*(青ハート)*」が大切だと思う。
気持が入らなければ、どんなに大きな声やきれいな声でテクニック的には上手に歌えても、人を感動させるような、気持が伝わってくる歌にはならないと思う。
言葉には『言霊』が宿り、歌には『歌魂』が宿るのだ。
さあ、今週は、卒業式に向けての礼法や歌練習が始まる。
最高の卒業式で、3年生を送り出してあげられるよう、頑張ろう。*(音符)**(びっくり1)*