時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

浜千鳥 2

2008-10-24 14:03:40 | 王朝妖の百景 
「勝ったら、夢を見せてくれる・・だったな。」
 この時代では、囲碁と賭けはセットのようになっていた。掛け物を決めて、勝負をする。月冴えが、白の碁石をつまみ、にっと目を細めて応じる。
「うん。唐菓子をたんまりもらうよ。」
 彼女が勝ったら、唐菓子を翌日、指定の場所にそっと置いておくのだ。この間は、勝負がつかず、続きをやっている。勝負は一晩でついたりつかなかったり、つかなかった時は次に持ち越す。いつも、月冴えは、突然現われる。物の怪のくせに、昼間、大路を堂々と歩いていたりすることもあった。
 ぱちん。白い碁石が置かれ、黒い碁石が置かれようとしている。
 月冴えが、じっと碁石のように目を丸くしてみてる。
「相変わらず、会いたい人の夢かい。・・・欲があるんだか、ないんだか。摂政・・いや、位を退いて今はただの入道殿(道長)だっけ・・と左大臣(頼通)殿を呪ってほしいとか、言わないんだね。」
 ただの入道とは言ったが、もちろん実権は道長にある。実資(さねすけ)と道長とは、同じ藤原北家の嫡流摂関家だが、系統が違う。曽祖父の代でひとつになる、はとこの関係なのだが、祖父の代からの、実資(さねすけ)は兄実頼の小野宮流、道長は弟師(もろ)輔の九条流、というと小野宮のほうが主流のように聞こえるが、後宮政策で遅れをとり、主流は九条流に持っていかれた状態だ。参議以上の重要なポストについているものは少ない。今、朝廷を牛耳っているのは、九条流道長で、その跡は子の頼通、彼らが急にいなくなれば、混乱に乗じて、小野宮流の実資(さねすけ)が浮かび上がれるのではないかと、物の怪の月冴えが言う。
 物の怪の誘惑の言葉に、実資(さねすけ)は動じるふうもなく、淡々としている。
「物の怪に付け込まれそうな願いなど、するものか。・・・・この年になると、会いたい人は皆、鬼籍の人が多いんじゃ。」
「なるほど・・・。寂しいってか・・・。」
「・・・・・・・・。」
 そうかもしれない。親や兄弟は、末っ子だから置いて逝かれるのは仕方がないことだとしても、沿うた妻たちにも死に別れ、幼い子にも先立たれた。七十に手が届きそうな今、人より長生きしている分、友人たちも考えてみれば、あの世へ旅立ったほうが多い。
 碁石を握ったまま、実資(さねすけ)は、ぼんやりと考えていた。
 待っているのに飽きたのか、月冴えが姿勢を崩し、ごろんと床に横になった。肘を床について掌を枕に、くわっと大口を開けて欠伸をひとつする。物思いに耽る実資(さねすけ)の姿を見て、悪戯を思いついたように目をきらんと輝かせる。ほんの一瞬でその姿を変えて、だらしなく寝っ転がっている。
「うふん。寂しいなら、この姿はいかがあ・・?」
「!」
 声がして、顔をあげた実資(さねすけ)の目に飛び込んできたのは、麗しの亡き我が妻の姿。ただし、中身が月冴えなので、なんとなくだらしなく、行儀の悪い格好をしている。肘をついて頭を乗せているので、重ねた袿(うちき)の袖がまくれて腕が丸見え、足元にある碁石入れを手元に引き寄せようと、つま先でちょいちょいと動かそうとしている。長いはずの緋の袴がめくれて、足の指が見えかかった。
「う・・・・。」
 懐かしさに目を奪われたのは、認識するまでの一瞬の間で・・・。みるみる凍ったような微笑を浮かべ、怒っている。怒っているのに、笑うとはどういうことか。長年の習慣で、感情を露わにせぬ訓練のたまもの。京の貴族なら当たり前のことだが、こんな時でも板についている習慣に、物の怪の月冴えは内心感嘆の声をあげた。大したもんやな、物の怪より分りにくいわと、感心している。
「婉子(よしこ)の麗しい姿が・・・。」
 実資(さねすけ)は、懐から扇をとりだすと、その先で、月冴えの肘、足、尻を打つ。パシッ、パシッと音を立てるごとに鞠のように、物の怪がころころ姿勢を変えていく。続いて金魚すくいのようにくるっとどうやったものか、掬い取るようにすると、月冴えは正座させられていた。膝に両手を置き、目を真ん丸くあけている、その片方の膝を仕上げに、軽く叩かれる。
「膝っ。」
 元のように肩膝をたて、流した衣の裾も黒髪の乱れもなく、美しい女性が座っているのに、満足したのか、うんとひとつ頷くと、黒い碁石を自分の思ったとおりのところに置く。
「小野宮殿。怒るところがちょっと、ずれてやしないかい?」
「言葉づかい。・・・・何にせよ、姿を見れるのはうれしいが、その顔で、品のない、みっともないまねは止めてくれ。・・・いつも見ている姿が月冴えの本当の姿なのかどうかわからぬが、そなたはそなたのままの方が良いのと違うのか。それならば、別にどんなふうにしていても、かまわん。その方が、月冴えらしいであろう。」
「うわっ。ちょっと、感動・・・かも。」
 月冴えは、えへっと単純に気を良くして、元の姿にかえり、石を置こうとする。あらあら・・・ぜんぜん、動揺してへんやん。やっぱり、あそこに、置かはったわと、置いたばかりの黒石を確かめる。月冴えの反応に、実資(さねすけ)が、ほんのわずか口の端をあげて、満足げな顔を浮かべている。そうして、仕返しをしてやろうと、何気なく、口を開いた。
「小腹が空いたら、いり豆が部屋に取り置いてあるぞ。」
「えっ?どこ?どこに?」
 月冴えがすばやく反応し、きょろきょろと辺りを見回す。うっかり、手を下ろして、とんでもないところに白石が置かれる。はっと、気付いたがもう遅い。
「ずっるう・・・っ!」
「こんな手にひっかかるとは・・・。食い意地は変わらんな。」
「う・・・、も一回、やりなおし、お願い。」
「うむ・・・。」
 実資(さねすけ)はにやにやしながら、勿体ぶっている。月冴えが、脱力してはあっと溜息をついた。
「仕様がないね・・。何が、見たい。何が知りたいんだい?」
「言うまでも、なかろう。それで、出てきたのではないか?」
 京を騒がした事件。事件が続く時に、なぜか出現することが多い。知りたいと思っているとき、あるいは、政局で迷っている時などにも、よく、月冴えは姿を現す。こいつは、一体、どういう物の怪なのか。馴れ合っているのも、不思議な存在だと、実資(さねすけ)。
「うふふ。強い意思を持った魂を頂く機会なんざ、なかなか、ないさ。迷っているときもそうだけど、好奇心を強めている時もつけいる隙はありそうだからね。・・でも、これまで一度も付け入れなかった。あんたみたいな奴は、そういない。このまま、逃げ切られて天寿を全うするのをみるのも、たまにはいいさ。」
 物の怪には寿命のようなものはない。長い長い時が過ぎていく中で、ただの退屈しのぎになっても、かまわないのだと、月冴えが、実資(さねすけ)の胸の思いに答えをくれた。
「遊び半分、仕事半分か・・・。」
 月冴えの手が、実資(さねすけ)の手首を掴む。
「小野宮殿。それじゃ、行くよ。事件現場へ。」
「・・・・・。」
 実資(さねすけ)の視界が奇妙に揺れた。体から、重みが抜けたように軽くなり、このままでは宙に浮く・・と思った瞬間、夜空の上にいた。都の大路、小路が交わってつくる碁盤を視界の下に見るようだ・・・それも、つかの間、確かに認識したけれど、再び、足が土の上に立っている感覚がして、気がついたときには、あやふやな記憶になっていた。



浜千鳥 1

2008-10-24 13:56:52 | 王朝妖の百景 
 鏡の輝きのような鋭利な透明感を持つ闇空。月も冷たく、くっきりと白い面を顕にし、氷を砕いた欠片が飛び散ったような星が彩りを添える、冷たい冬の空。その夜空の下、寝殿造りの館の庭の泉から、パシャパシャッ・・・と、水に遊ぶ、水鳥の羽音のような音がしていた。
真夜中、静まり返った寝殿の一角には、まだ灯りがついて薄く開いた戸の隙間から、外縁へも灯りがもれていた。
その灯りのもとを辿っていくと、この家の主、小野宮(おのみや)殿こと、右大臣藤原実資(さねすけ)が、机に向かい白い紙とにらめっこしていた。もしも、その紙を覗いて見るならば、墨で細々(こまごま)と書き込まれ、箇条書きされたその上に丸やバツ、あるいは線を下まで引いて消された文章が、見えるはずだ。
文机のそばに置かれた燈台の灯りは、蜜柑のような灯りが灯ってる。暗い室内に、筆を持つ手元を照らす。同時にその表情も照らしていた。柔和な笑みを湛えたような顔。それでいて、眉間に縦の皺の痕がくっきりと刻まれて、この人物が見た目の印象とは違い、気難しい面があるのだと知らせている。
白く、薄くなった髪はきちんと結われ、烏帽子(えぼし)を載せている。身につけている直衣(のうし)も、年相応の地味な色目だが、織りも仕立てもよく、衣に焚き染められた香りもさっぱりと、品の良いじいさんだ。
私室で、真夜中に一人だというのに、着崩すこともなく、きちんと端座していた。腕を組み、考えこんでいたが、背筋がすっと伸びている。酒を飲んで、中身は酔っていても見た目は、常日頃から、あまり崩れない人物なのだ。
「いかんのう・・・。どうも、最近もの忘れがはげしくて・・・。さて、どういう見解を示したものか。」
 つい最近、京人(みやこびと)を震撼させた、さる事件について得た情報を頭の中で整理する作業をやっている。実資(さねすけ)自身が、色んな筋から集めた情報と、単に世上にながれている情報と、頭の中は、情報の欠片が虚実取り混ぜ、散らばっている状態だ。さながら、ジグソーパズルのようで、一枚の絵を完成させなければならないのに、違う絵のピースがたくさん混じっている。順番に遡って、いるものといらないものを取り分けて、絵を完成させようとしている。
 すう・・っと、薄く開いた戸の隙間から、冷たい空気が流れてきた。
実資(さねすけ)の眉間により深く、皺が刻まれた瞬間。
 影が中へ入って来た。
「月(つき)冴(さ)えか・・・。」
「こんばんはあ。遊びに来たえ。」
「いらんわ、阿呆。我が家の泉で水浴びなどやめてくれ。物の怪が出入りすると、妙な噂が立ったらどうしてくれる。」
「はあ、そういえば、あの泉お気に入りだっけ・・・。そやけど、こんな真夜中に水音を探って、わざわざ怖い思いをしようなんて奴はおらへんて。この間、盗賊に、皇女(ひめみこ)さんが殺害されたばっかりやん。」
 そう言って、物の怪はにっと笑う。実資(さねすけ)は、一瞬顔をひくつかせた。
いつも出てくるときは、若い女の姿をしているので、月(つき)冴(さ)えと呼んでいるが、何者であるのかはわからない。物の怪であることは、確かなのだが、(女の姿をしているのでとりあえず)彼女は、どうやら実資(さねすけ)を気にいっているらしく、時々、こんなふうに、やって来る。出会ったときから、変わらない姿。
そう、もう数十年が経つのに、若いままの姿だ。・・・・羽がついている。
 ぽたっ、ぽたっ・・・と、羽の下方から、滴が木の床に垂れている。
 月(つき)冴(さ)えは、羽を一度バサッと広げると、滴を掃い、折りたたむと羽の姿を見えなくした。
「月(つき)冴(さ)え。汚した床は拭けよ。でないと、遊んでやらぬぞ・・。」
「ええ?・・・細かい奴、朝までには乾くって?」
「駄目。」
 物の怪は、ぶうぶう文句を言いながらも、どこから出したのか、乾いた布で、床を拭く。元通り、つやつやした乾いた床に戻ると、実資(さねすけ)がうんうんと頷いている。
 月冴えは、格子戸の方へ片手を指し指し示すように手を、掲げる。手の動きにつれて、衣(きぬ)の袂(たもと)がしゃらっと鳴った。すると、音も立てずに、二枚格子の上部があがり、外の月明かりが差し込む。
「よっこらしょっと・・・。」
 月冴えは、先ほどまで机の横に置かれていた灯火を移動させ、端かに行き、両手を捧げるように下へおろす。ふわりと、宙に現われた重いはずの碁盤がゆっくりと沈んで下へ降りて行き、床に置かれた。白と黒のそれぞれの碁石容れ、碁盤を挟み、相対して、藁座(わろうざ)が容易された。
 ぱちん。ぱちん。碁石を打つ音が室に響く。ひとりでに、白と黒の碁石が次々置かれていく。碁石は同じ速度で、一定の音を響かせ、しばらくすると、その音が止まった。
「うんっと・・・だいたい、こんな感じじゃなかったかな。」
 月冴えは手をもむもむと合わせて、席につく。片方を立て膝にして座っている。平安朝では、正座ではなく、このスタイルだ。実資(さねすけ)が、向いの席に座る。
「うむ。」
 おもむろに、幾つかの碁石の位置をなおす。月冴えが、顔をしかめる。
「ほんまに、覚えてなさるんかいの?随分、前のことやし・・・。さっき、年のせいで物忘れはげしいって、言ってたやん?」
「そなたに、年のことを言われたくないわい。・・・ところで。月冴え、その格好、ちとえずくろしないか?」
 物の怪だから、いくつなのかとか、数えることがあるのかもわからないが、見た目は若い女性の姿をしており、それも、どちらかというと、出るところのきっちりでた、大人の雰囲気を漂わせている。なのに、月冴えは、汗衫(かざみ)姿(すがた)をしていた。汗衫姿とは、童女の着るものだ。種類があるのだが、彼女の着ているのは、袖をしぼれるように、先に紐を通してあるものだ。下に短い切袴、単衣、重ね衵のうえにその汗衫をはおる。汗衫は、袿(うちき)のように上に羽織るだけだが、印象は、袖の感じが水干に似ている。袖と肩口のあいだのスリットを結ぶ紐があり、それぞれ飾り結びが付いていた。丈は、短く、その分、身動きしやすい。
それに合わせたものか、月冴えの長い髪は、頭の両端に結ばれ、組みひもで派手に飾られている。はっきり言ってその格好は、童女のかわいらしさを見せるものなので、その盛りを過ぎたものが着ると、服装ばかりが悪目立ちする。えずくろしい・・とは、派手すぎるとかいう意味に使われる言葉だが、ある意味悪目立ちして見えたので実資(さねすけ)は、そう言ったのだ。ちょっと、月冴え、その格好どやねん・・・みたいな感じか。
「え?ああ、これ?衣が短いと動きやすいしな・・・。変かな、やっぱり・・・?」
 実資(さねすけ)の視線が一瞬、月冴えの姿を上から下まで辿った。
 物の怪だから、人の常識が通じるものかと、自らの質問に疑問を感じないでもないが、ともかく、見た目はアンバランスだ。無言の一瞥を受け取り、「そうかい。」と、月冴えが、何のこだわりもなくぱっと姿を変えた。袿姿になる。
「こんなもんで。」
「・・・・うむ。」
 どういう仕掛けになっとるのだと、思いながら碁石入れから黒い石をひとつつまみ、碁盤に置く。