2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅
6日目・2019年(平成31年)4月2日(火曜日) 新蒲原駅 ―> 蒲原駅 2.4Km
この駅の近くには御殿山があり桜の名所なのだが、今日は平日ということもあり観光客の姿はなかった。



天気がよいのにもったいなあ。
まあ、桜は観光客の都合に合わせて咲くわけじゃないからね。
旧東海道・蒲原宿の通りを歩いていくと、昔の旅籠を観光客用のお休み処にしているところがあった。



中ではボランティアの方だろう年配の女性がいろいろと説明をしてくれる。

表通りから裏庭へ抜ける細い土間の通路や2階への急な階段、明かり取りの天窓など、、、懐かしい。
わたしは盛岡市の古い民家に下宿をしていたことがあるのだがこんな家だったなあ。
夏は高い天井から風が抜けて熱を逃がしてくれるのだが、冬の暖房は炭のこたつだけだったので室内で水が凍るほど寒かった。
なにしろふすまと障子で仕切っているだけだから冷たい外気がもろに入ってくるのだ。
なぜ北国に適した構造の家を造ろうとしなかったのかと疑問に思ったものだ。
寒さの厳しい北国と温暖な静岡、気候はかなりちがうのに同じ形の住宅をつくるなんて日本人は保守的なんだな。
蒲原宿の通り沿いには 歴史のある建物がかなり残っていた。


盛岡市ではこのような格子戸はもう残っていない。


文化財として民家を残すのは大変なことだ。



補修もしなければならないし、古い家というのは現在の生活に合わないから暮らしにくいのだ。



この建物は五十嵐歯科医院だったそうだ。

玄関の柱には「電話 二十二番」とか「簡易保険歯科医」とならんで「東京歯科大学同窓會々員」のプレートが打ち付けてあった。

民家の前には無人販売のでこぽんが日傘の下で客を待っていた。
4個入って100円はお得だな。




橋の欄干や歩道にも名産の桜えびの絵があるのだった。
シラスも名産なのだが、どうもシラスは絵にならないようだ。
人通りのない道を進んでいくと蒲原駅に到着だ。






6日目・2019年(平成31年)4月2日(火曜日) 新蒲原駅 ―> 蒲原駅 2.4Km
この駅の近くには御殿山があり桜の名所なのだが、今日は平日ということもあり観光客の姿はなかった。



天気がよいのにもったいなあ。
まあ、桜は観光客の都合に合わせて咲くわけじゃないからね。
旧東海道・蒲原宿の通りを歩いていくと、昔の旅籠を観光客用のお休み処にしているところがあった。



中ではボランティアの方だろう年配の女性がいろいろと説明をしてくれる。

表通りから裏庭へ抜ける細い土間の通路や2階への急な階段、明かり取りの天窓など、、、懐かしい。
わたしは盛岡市の古い民家に下宿をしていたことがあるのだがこんな家だったなあ。
夏は高い天井から風が抜けて熱を逃がしてくれるのだが、冬の暖房は炭のこたつだけだったので室内で水が凍るほど寒かった。
なにしろふすまと障子で仕切っているだけだから冷たい外気がもろに入ってくるのだ。
なぜ北国に適した構造の家を造ろうとしなかったのかと疑問に思ったものだ。
寒さの厳しい北国と温暖な静岡、気候はかなりちがうのに同じ形の住宅をつくるなんて日本人は保守的なんだな。
蒲原宿の通り沿いには 歴史のある建物がかなり残っていた。


盛岡市ではこのような格子戸はもう残っていない。


文化財として民家を残すのは大変なことだ。



補修もしなければならないし、古い家というのは現在の生活に合わないから暮らしにくいのだ。



この建物は五十嵐歯科医院だったそうだ。

玄関の柱には「電話 二十二番」とか「簡易保険歯科医」とならんで「東京歯科大学同窓會々員」のプレートが打ち付けてあった。

民家の前には無人販売のでこぽんが日傘の下で客を待っていた。
4個入って100円はお得だな。




橋の欄干や歩道にも名産の桜えびの絵があるのだった。
シラスも名産なのだが、どうもシラスは絵にならないようだ。
人通りのない道を進んでいくと蒲原駅に到着だ。





