2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅
11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 浜松駅 ―> 高塚駅 5.3Km
浜松駅を後にして歩いていく。
まわりは高層ビルばかりなのでGoogleMapが無ければ迷いそうだ。

日曜日だから駅の隣の広場でもイベントが行われていた。
小学生の女の子のチアリーディングの大会なのかな。

足元には「出世街道」と縁起のよさそうなプレートがあるのだが、はたしてどちらの方向へ行けば出世できるのだろうか。

駅から離れたところにはステンレスの塔に時計という定番の組み合わせもあった。

時計が低い位置にあるのとガラスのケースに入っているのでやや見ずらいのが難点かな。


東海道本線沿いを歩いていくと「堀留ポッポ道」という標柱を見つけた。

その道を進んでいくと蒸気機関車が見えてきた。

遊園地の乗り物みたいな小さな蒸気機関車が展示されていた。



「ケ91」という名の機関車だが、それにしても「ケ」とは、、なぜこの名にしたのだろう。


機関車は大正7年製造とのことだが説明のパネルも大正時代に作られたかのように古びていた。
公園になっている道を歩いていくと今度は「伊場遺跡公園」の案内があった。

案内を読むと弥生時代の遺跡だという。
美しく整備された公園の一角に復元された家屋が建っていた。


ちょうど桜が満開で家族連れが写真を撮っている。


よく整備された公園は歩いて楽しいな。

工場への引き込み線を見ながら線路沿いを進んでいくとスズキ歴史館がある。

ここはGooglMapで見つけて見学したいと思っていたのだ。

道路の向かいはスズキ本社で広大な工場が見える。

入口の案内を見ると事前予約が必要と書いてあったが、受付で聞いてみると大丈夫見学できますよとのこと。
閉館時刻が近いので急いで館内を見て回る。

ずらーっと並ぶバイクの列、わたしが高校生時代に乗っていたのはこの形のバイクだったな。


当時はヘルメットも必要なかった、なにしろガソリンが1リットル50円の時代なのだ。
ガソリン代としてキーリングに50円硬貨を何枚か通していたものだった。

バイク仲間のF君はホンダ・ドリーム250ccに乗っていてちょっとうらやましかった。
就職したころ会社の車はダイハツ・ミゼットだった。

この車のようなまるで空き缶で作ったような車が普通に走っていた時代だ。
そういえばこの手前のバイクのようなホワイトタイヤも憧れだったな。

古いものを見ると感傷的になってしまうのはわたしがすでに老人になっているからだな。
まあ、さすがにこれほど古いバイクは乗ったことはないが・・・

館内には子供が楽しめるようなロボット・ラボなどもあって飽きない。

スズキ歴史館を後にして少し行くと髙塚駅だ。


今回の歩き旅はこの駅までだ。


東京駅からJR営業キロで262.5Kmだ。


今夜の宿は浜松駅前で予約してある。
3月30日にどこにも宿がなくて根府川駅から横浜まで戻ってカプセルホテルに泊まったという苦い経験から、土、日の宿は早めに抑えておくことにしたのだ。わたしも少しは学習しているのである。
髙塚駅から盛岡駅までの片道切符を買って途中下車しながら帰るのだ。


浜松駅前には巨大なステンレスと鐘の組み合わせの塔があった。


この組み合わせはさすがに見飽きたなあ。
ほかのデザインは作る気がないのかな。
あの鐘を使って音楽を演奏するとかの工夫はしてあるのだろうかと思ったりする。


大きな駅だから階段もでっかい。
これだけ広い階段を造らなければならないほど乗降客が多いのだろう。

駅を後にして行くとお店の前に長い行列が出来ていた。
看板を見ると“高級生食パンの店”とあった。

有名な店なのだろう行列は50mもあるのだった。
高級という言葉と行列を見て驚く。リッチとグルメには縁のないわたしだ。
今夜のホテルもカプセルホテルなのだが、わたしには贅沢なカプセルホテルなのだ。

ホテルの入口もちょっとだけ高級な感じ。

わたしにとって高級とはせいぜいカプセルホテルのレベルだなぁ。
カプセルホテルだが個々の入り口は別になっているし小さいながら机もある。

カプセル内にコンセントとUSB電源があるのはとてもよい、もちろんWi-Fiも使えるのだ。
わたしは利用しなかったが夜食としてカップメンも提供されるのだという。
風呂も広いし、外国人向けだろうか風呂場以外にシャワーブースがあるのだ。
ロビーをみると外国人の姿も数人いた。
カプセルの狭さだけ我慢すればとても快適な宿である。
夕食へと出かけたのだが今夜はものすごく冷えている。


あまりの寒さに北国育ちのわたしも歩き回るのをあきらめて目の前の“すき家”へ入ってしまった。わたしは“すき家”とよほど縁があるらしい。
カレーでの夕食とは情けない感じだが安上がりだったので良しとしよう。

11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 浜松駅 ―> 高塚駅 5.3Km
浜松駅を後にして歩いていく。
まわりは高層ビルばかりなのでGoogleMapが無ければ迷いそうだ。

日曜日だから駅の隣の広場でもイベントが行われていた。
小学生の女の子のチアリーディングの大会なのかな。

足元には「出世街道」と縁起のよさそうなプレートがあるのだが、はたしてどちらの方向へ行けば出世できるのだろうか。

駅から離れたところにはステンレスの塔に時計という定番の組み合わせもあった。

時計が低い位置にあるのとガラスのケースに入っているのでやや見ずらいのが難点かな。


東海道本線沿いを歩いていくと「堀留ポッポ道」という標柱を見つけた。

その道を進んでいくと蒸気機関車が見えてきた。

遊園地の乗り物みたいな小さな蒸気機関車が展示されていた。



「ケ91」という名の機関車だが、それにしても「ケ」とは、、なぜこの名にしたのだろう。


機関車は大正7年製造とのことだが説明のパネルも大正時代に作られたかのように古びていた。
公園になっている道を歩いていくと今度は「伊場遺跡公園」の案内があった。

案内を読むと弥生時代の遺跡だという。
美しく整備された公園の一角に復元された家屋が建っていた。


ちょうど桜が満開で家族連れが写真を撮っている。


よく整備された公園は歩いて楽しいな。

工場への引き込み線を見ながら線路沿いを進んでいくとスズキ歴史館がある。

ここはGooglMapで見つけて見学したいと思っていたのだ。

道路の向かいはスズキ本社で広大な工場が見える。

入口の案内を見ると事前予約が必要と書いてあったが、受付で聞いてみると大丈夫見学できますよとのこと。
閉館時刻が近いので急いで館内を見て回る。

ずらーっと並ぶバイクの列、わたしが高校生時代に乗っていたのはこの形のバイクだったな。


当時はヘルメットも必要なかった、なにしろガソリンが1リットル50円の時代なのだ。
ガソリン代としてキーリングに50円硬貨を何枚か通していたものだった。

バイク仲間のF君はホンダ・ドリーム250ccに乗っていてちょっとうらやましかった。
就職したころ会社の車はダイハツ・ミゼットだった。

この車のようなまるで空き缶で作ったような車が普通に走っていた時代だ。
そういえばこの手前のバイクのようなホワイトタイヤも憧れだったな。

古いものを見ると感傷的になってしまうのはわたしがすでに老人になっているからだな。
まあ、さすがにこれほど古いバイクは乗ったことはないが・・・

館内には子供が楽しめるようなロボット・ラボなどもあって飽きない。

スズキ歴史館を後にして少し行くと髙塚駅だ。


今回の歩き旅はこの駅までだ。


東京駅からJR営業キロで262.5Kmだ。


今夜の宿は浜松駅前で予約してある。
3月30日にどこにも宿がなくて根府川駅から横浜まで戻ってカプセルホテルに泊まったという苦い経験から、土、日の宿は早めに抑えておくことにしたのだ。わたしも少しは学習しているのである。
髙塚駅から盛岡駅までの片道切符を買って途中下車しながら帰るのだ。


浜松駅前には巨大なステンレスと鐘の組み合わせの塔があった。


この組み合わせはさすがに見飽きたなあ。
ほかのデザインは作る気がないのかな。
あの鐘を使って音楽を演奏するとかの工夫はしてあるのだろうかと思ったりする。


大きな駅だから階段もでっかい。
これだけ広い階段を造らなければならないほど乗降客が多いのだろう。

駅を後にして行くとお店の前に長い行列が出来ていた。
看板を見ると“高級生食パンの店”とあった。

有名な店なのだろう行列は50mもあるのだった。
高級という言葉と行列を見て驚く。リッチとグルメには縁のないわたしだ。
今夜のホテルもカプセルホテルなのだが、わたしには贅沢なカプセルホテルなのだ。

ホテルの入口もちょっとだけ高級な感じ。

わたしにとって高級とはせいぜいカプセルホテルのレベルだなぁ。
カプセルホテルだが個々の入り口は別になっているし小さいながら机もある。

カプセル内にコンセントとUSB電源があるのはとてもよい、もちろんWi-Fiも使えるのだ。
わたしは利用しなかったが夜食としてカップメンも提供されるのだという。
風呂も広いし、外国人向けだろうか風呂場以外にシャワーブースがあるのだ。
ロビーをみると外国人の姿も数人いた。
カプセルの狭さだけ我慢すればとても快適な宿である。
夕食へと出かけたのだが今夜はものすごく冷えている。


あまりの寒さに北国育ちのわたしも歩き回るのをあきらめて目の前の“すき家”へ入ってしまった。わたしは“すき家”とよほど縁があるらしい。
カレーでの夕食とは情けない感じだが安上がりだったので良しとしよう。
