東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR釜石線沿線を歩く旅 (23)

2018年05月09日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (23)2018年4月28日(土)

小佐野駅―>釜石駅 JR営業キロ3.7キロ

これは懐かしい改札用の柵。



いまでは珍しいのでは?
駅ではこの柵の中に駅員が立ちきっぷ切用のハサミをカチャカチャさせていたものである。





駅を後にして進んで行くと歩道にこのようなものが。



自転車通学の中学生はこの位置で自転車を降りろ、と書いてある。
何から何までマニュアル化するのは日本人の大きな特徴だろう。
このようにして従順な人間になるよう教育していくわけである。


さらに進むと歩道橋の上に人の動きがある。



近寄ってみるとSL銀河を撮影するために三脚を据えつけカメラを構えている人たちだった。





あと一時間ほどでSLが通過するのだ。
ここはよい撮影ポイントなのだろう一眼レフカメラを持って歩道橋へと向かう人が何人もいた。

わたしも歩きながらSL銀河を撮影出来たらと思ったのだが、このあたりから道路と線路が離れてしまう。

線路のほうへ行くと遠回りになるので3時57分発の列車に間に合わないかもしれない。





そのまま国道を進んで行くと遠くからSLの汽笛が聞こえてきた。



ああ、残念間に合わなかったか。

駅に隣接するシープラザ釜石まで来た。



急ぎ足だがマンホールの写真は撮る。



駅のほうをみるとすでにSLは到着していて乗客も降りた後だった。






駅へと向かう。



帰りの列車の時刻を確認しておく。



駅前をぐるりと回ってみる。
駅前広場にはお決まりの銅像、そしていくつかの記念碑が建っていた。





これは井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」の碑。



ああ、わたしも子供の頃この人形劇に夢中になったっけと感傷にひたる。
60年近く経ったいまでも「ひょっこりひょうたんじ~まぁ~」歌うことができる。
お気に入りは“ドン・ガバチョ”だった。

この“ひょうたん島”のモデルになった島が釜石市の近くにあるのだ。

さらに“製鉄の町”釜石なので当然ながら鉄に関する碑もある。



2019年にはラグビーワールドカップに開催地になっているので開催後はワールドカップに関する碑も造るんじゃないだろうか。

広場のとなりは「サンフィッシュ釜石・橋上市場」である。



その昔は本当に橋の上にあったのだが2003年に移設されたのだ。
釜石へ来ると必ず立ち寄った橋上市場だが、あのうらさびれた雰囲気が好きだった。



いまの時間帯の市場は客の姿は無く静かだった。

道路の向いは新日鉄の工場だ。







2011年の東日本大震災のあと4月にこの工場の前を通ったのだが、道路の瓦礫は片付けられていたものの停電は復旧していなくて交通信号が使えず警官が交通整理をしていたのだった。





海の近くへ行くと瓦礫も打ち上げられた船もまだそのままの惨状だった。







上の5枚は2011年4月の釜石駅前と市内の写真である。

あれから7年も経ってしまったんだなあ。



駅前のポストにはシャケが乗っかていた。



こちらは隣にある三陸鉄道の釜石駅。





さすがラグビーの町だけあって猫もラグビーをするらしい。



出発までの短い時間に駅そばを食べる。





熱い蕎麦をふうふう言いながら食べていると突然汗がどっと噴き出してきた。

釜石市まで行ったのに釜石駅から30メートルの範囲しか見ていない。



記念の写真も撮る。
まあ鉄道沿線を歩くことが目的だったからこれで良いのだけど、他人からみたら変なヒトだろうと思う。

大急ぎで食べ終えてプラットホームへと向かう。



残念ながらSL銀河は車庫に入ってしまって見ることができなかった。





途中の遠野駅では観光の帰りだろう大勢の人が乗り込んできた。
遠野は“日本のふるさと”だから外国人にも人気なのだ。
そういえば前回は遠野駅で台湾?からの家族連れと一緒になったっけなあ。

わたしの向かいには東南アジアからの観光客らしい若い女性が座った。

手にしているのは英語版の時刻表と「ジャパン・レールパス」だった。
来日する外国人用のJR全線乗り放題のきっぷである。
若い女性でもディパックひとつだけで外国を旅できるというのはとてもよいことだ。
いまはスマートフォンでリアルタイムで情報を得られるのでひとり旅でも困ることはないのだろうし、と考えていたら客のほとんどが新花巻駅で降りた。
みんな新幹線で東京方面へと行くのだろうか。


花巻駅で東北本線の盛岡行き列車に乗り換える。



車窓からはきれいな夕焼けが見られた。



きょう歩いた距離は約28キロメートルだ。
仙人峠からは下り坂だったので疲れは少ない、だが逆コースであの急坂を登っていたら疲労困憊していたかもしれないな。


これでJR釜石線90.2キロを歩き終えた。



JR釜石線沿線を歩く旅(完)

JR釜石線沿線を歩く旅 (22)

2018年05月08日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (22) 2018年4月28日(土)

松倉駅-->小佐野駅 JR営業キロ3.3キロ

松倉駅を後にして進む。



時刻は午後1時45分、順調なペースで歩いている。

次は小佐野駅だ。

そしてその次が釜石駅だ、自分にもう少しだがんばれと声をかける。

このあたりから車の通行量が多くなってきた。
「仙人峠道路」を降りた車が途切れなくやってくる。

今日は「大型連休」の初日である。
NHKのニュースでは「ゴールデン・ウィーク」と言わずに大型連休と言っている。
新聞やネットではゴールデン・ウィークだったり大型連休だったりで統一されていないようだ。

仕事をしていたころは連休が楽しみだった。
定年後は混雑する連休を避けて旅が出来るのがうれしい。
連休中は交通機関もホテルも料金が高いのでできるだけ避けるようにしている。

このような歩き旅では連休の混雑は影響はないのだけど。



左手に線路を見ながら歩いていく。

この踏切は白黒のゼブラパターンだが、



こちらはオーソドックスな黄色と黒色。



道路の拡張にともない線路わきに追いやられた道祖神を横目で見ながら通り過ぎる。





ここまで花巻駅から86キロメートル。





小佐野駅に到着。





ここは駅員さんのいる駅だった。



時刻は午後2時25分。



次の釜石駅までは4キロ弱なので3時57分の列車に間に合うはずだ。

JR釜石線沿線を歩く旅 (21)

2018年05月07日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (21) 2018年4月28日(土)

洞泉駅-->松倉駅 JR営業キロ3.6キロ

洞泉駅でも休憩せず国道283号線へと戻る。



もう一度「仙人峠道路」の巨大な橋の下をくぐると「道の駅 釜石仙人峠」が目の前にある。





ここでトイレ休憩だ。



時刻は11時半だがお腹もすいてきたのでディパックからパンを取り出してペットボトルの水で流し込む。

3分で食事が終わってしまった。
すぐに立ち上がり歩き出す。
こんなことしていたら胃にも悪いだろうし足の疲れも取れないのだが根っからせっかちな性分なのだ。

さわやかな快晴で雲は全く無い。

マーフィの法則というやつで「雨具を用意したなら雨は降らない」のである。
ディパックの中の雨具が重くてじゃまだ。
でも雨具を持たずに来たならにわか雨が降ったかもしれないしなあ・・





松倉駅に到着。



国道から140メートルほど山側にある。

マンホールを見つけたので写真を撮る。



絵柄は釜石の民俗芸能「虎舞」だ。

虎舞は江戸時代から伝えられているという。
テレビのニュースなどで豊漁を願って漁船の上で舞う姿を見たことがある。
だがなぜ「虎」なんだろう。
釜石だけでなく日本には虎は生息していない。
江戸時代ということならこの地方の人たちが実際に虎を見たことはなかったのではと思うのだ。
大きく強い動物ということで中国、朝鮮を経て伝わってきたのだろうなあ。
武士の名前にも虎の文字が使われることも多いし。

日本には大型の獣は多くない。
熊が代表的だがニホンオオカミや熊では「絵にならない」ということなのかもしれないな。

松倉駅も無人駅だ。






駅前には有料駐車場もある。



なんと一か月3000円という破格の安さ。
だが利用者はいるのだろうかと駅前のがらーんとした広場を見て考えてしまうのだった。








JR釜石線沿線を歩く旅 (20)

2018年05月06日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (20)

2018年4月28日(土)

陸中大橋駅―>洞泉駅 JR営業キロ5.9キロ

写真を撮ったら駅を背にして歩き出す。

道のわきの空き地でさきほどの高校生が休んでいた。
ここからあの坂を5キロメートルも走って登って降りてくるのだろう、スゴイなあ。


と、右手の山の上のほうから列車の音が聞こえてきた。
列車はトンネルに入るので音はいったん消える。
列車はオメガループのトンネルの中を走っているのだ。

しばらくすると今度は左後方から走行音が聞こえてきた。
トンネル内を回って反対側へとでてきたのだ。

列車は陸中大橋駅を発車して釜石駅へと向かう。
下り坂だからカタンカタンと軽快な響きである。





釜石まで16キロの表示が見えた。



時刻は11時15分。

出来るなら午後3時57分釜石駅発の列車で帰宅したい。
その次の列車だと盛岡駅には午後8時38分着になってしまう。



道の右手を流れているのは甲子川である。



「仙人秘水」にも使われるほどだから美しく澄んでいる。



緩い下り坂が延々と続く。
この時期は花がいっせいに咲く。



ながい北国の冬はやっと終わったのだ。

道の反対側になにやら店の看板が見えた。



「軽食喫茶 セッシボン」と書いてある。



おお!懐かしい。
イブ・モンタンの歌で有名なシャンソン「セシボン」ではないか。

トタン屋根のプレハブ小屋に見えるがフランスの雰囲気がよく出ている?
確かレコードジャケットのタイトルはセシボンだったはずだが「セッシボン」と、フランス語の発音に近づけたところをみるとオーナーはフランス語に堪能な方ではないだろうか。

などなど、独り言を言いながら進んで行くと前方に巨大な橋が見えてきた。





「仙人峠道路」である。



見上げると車が途切れることなく走っている。

それにひきかえ同じ国道283号線だが旧道のほうには自動車も歩行者もいない。



まあ歩きやすくてよいのは確かだが。

洞泉駅の案内が見えてきた。





洞泉駅へはこの道幅の狭い坂を登っていく。





なぜか無駄に広い洞泉駅前広場。



いまは無人駅だが以前は駅には駅員がいるのが当然のことだったので宿舎や倉庫などもあったのだろう。







ここでも駅の写真を撮っただけで国道へと戻る。


JR釜石線沿線を歩く旅 (19)

2018年05月05日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (19)

2018年4月28日(土)

足ヶ瀬駅―>陸中大橋駅 JR営業キロ12.5キロ


朝4時に起きて盛岡駅へと向かう。
まだ肌にピリッと来るような冷たい風が吹いている。
雲ひとつない快晴である。そのため最低気温は5度と冷え込んだのだ。



天気予報では今日も明日も快晴とのことだ。

だが、疑り深いわたしはディパックに雨具をしのばせておく。
大館駅まで歩いたときに雨に降られてしまった経験があるので不必要なほど警戒してしまうのだ。

さて歩くルートだが、
前回の歩き旅では「上有住駅」まで行ったがそこから県道167号線で箱根峠を通る道と、ひとつ前の「足ヶ瀬駅」から釜石街道、国道283号線を通るルートがある。

県道167号線を通ると次の駅「陸中大橋駅」に立ち寄るにはいったん逆行することになるし釜石線のオメガループを見られない。
歩くルートは国道283号線に決めた。


駅の券売機で「いわてホリデーパス」を買う。



盛岡駅から釜石駅までの片道運賃は2270円なのでおおよそ半額のお得なキップなのだ。

大型連休の初日ということだがローカル列車の始発なので車内は空いている。





自宅から持ってきたパンと缶コーヒーで朝食にする。
釜石市内へ入るまでコンビニなど商店も食堂もないので昼食用のパンも持ってきている。


列車は花巻駅で進行方向を変えて遠野方面へと向かう。

8時25分「足ヶ瀬駅」で下車する。





この駅で降りるのは私ひとりだけ、列車が行ってしまうと周りはしーんと静まりかえる。





周りには民家があるがまるで無人の町のような静けさである。



さっそく歩き出す。

少し行くと「仙人ギンナンロード」と書かれた柱が立っていた。



この道には銀杏の木を植樹しているのだろうか。

右手に早瀬川を見ながら進んで行く。



ダムがある、濃い緑色の水が神秘的だ。





連休だというのにたまに車が通る程度で交通量は少ない。
みんな新しい「仙人峠道路」を通るのだ。

ゆるい坂道を登っていくと「釜石まで26キロ」の標識があった。





さらに進むと「あと25キロ」、さらに進むと「あと24キロ」



もしかしたら1キロごとにボードがあるのかなと思ったがこの3枚だけだった。
3枚作ったところで予算が尽きたのかもしれないなあ。

牧草地の入り口をみるとこのようなものが、





「土入駐車禁ズ」とあるのだが、うーんこれは「立」と「土」の書き間違えではないだろうか。
「土足禁止」ではないだろうし、この土地に土を持ち込む人がいるとは思えないし・・と疑問は解決させないまま先へと進む。


1時間歩いて「仙人隧道」まで来た。



日差しはあるが弱い風があるのでほとんど汗をかかなかった。

いまは「トンネル」と表記するのが一般的だが昔は「隧道」と言っていた。



鉄道のトンネルも「隧道」だった、若い人には馴染みのない言葉だろうな。

長さ2500メートルのトンネル内は狭くて歩道は無い、大型車がやっとすれ違える大きさである。



車が来るたびにわたしは壁に張り付くようにして避けなければならなかった。

中ほどに釜石市と遠野市の中間地点がある。



トンネルを抜けると釜石市である。





駐車できるスペースがありベンチもある。



桜が満開なのでベンチで一休みする。





みると日陰部分にはまだ雪が残っていた。



石のテーブルに仙人峠付近の絵図がある。



かすれてしまって読み取れない部分はあるが見ても意味不明なところがある。

左部分の「遠野市250m」「釜石市5m」はなんだろう。



その下に「遠野41.0km」ともあるしなあ。
どこかに説明があるのかと探したが見つからない。謎だ。



軽自動車が来て女性が降りてきた。
だれかを待っているような様子である。

しばらくすると高校生くらいの子が4人走って来た。



どうやら車で来たのは高校の先生で、走って来たのはトレーニング中の生徒だろう。
背中に「なぎなた」の文字が読めたから高校のなぎなた部だろうと推察した。

帰宅後Googleで調べると釜石商業高校になぎなた部がある。

彼女たちはこの坂を走って登ってきたのだろう。





写真でもわかるように急坂である、交通標識にも「急勾配あと5000M」とあるのだ。



ということは彼女たちはこの坂を5キロも走ってきたのか。



歩いて登るだけでも大変なのに走って来るとは、、、若さだなあ。と、感心しながら歩き出す。
下り坂だからラクなはずだが老人の足には負担だ。膝がガクガクしてくる。



しばらく進むと彼女たちに追いこされてしまった。



坂の途中から下の道を見る、道路は崖に張り付くようにあるのだ。



「仙人秘水」というミネラルウォーターの看板があった。



岩手県では有名な美味い水である。この奥に工場があるらしい。



道路がループになっている部分の橋を渡る。



坂の途中に「緊急退避所」がある。





急な下り坂でブレーキが利かなくなったらここへ突っ込むのである。
でもブレーキが利かない状態でうまくあそこへ入れるものだろうか、だれか実際に試してくれないかな。

気温は16度で弱い風があるので汗をかかずに済むのはうれしい。



短い「中山隧道」を抜けると正面にダムのようなものが見えた。







GoogleEarthで見ても何かはよくわからない、砂防ダムなのだろうか?




道路の向かい側には要塞のようなものが見える。





ブレードランナーのようなSF映画の一場面に使えそうな雰囲気である。



ここは旧釜石鉱山のあったところで、あれは選鉱場の跡だそうだ。





その上部分には線路があったと思われる痕跡も見えている。



坂を下っていくと川向うに駅が見えてきた。陸中大橋駅である。

人の姿のない道を駅へと歩く。



この駅も「秘境駅」と呼ばれるのだろうか。









鉱山が閉鎖されてから周辺はゴーストタウンと化してしまったからなあ。
岩手県の山間部の駅はほとんどがテレビの旅番組で放送される「秘境駅」の範疇に入ってしまうだろうな。
駅名票にエスペラント語で「鉱石」と表記されているのが郷愁を誘う。


おやトンネルが2つある。





右側のトンネルは使われていないようだ。



このときは「右側のトンネルは鉱山鉄道で使っていたものだろう」と想像していたのだが、帰宅してインターネットで見ると廃線探索をしている人のページにトンネルはすぐ行き止まりになっているとあった。
いったい何のためにあのようなものを造ったのだろうか。

駅前にはインフォメーションセンターがあるが閉まっていた。





そのほか宮沢賢治の詩碑などもある。



桜が風に揺れるだけの音のない駅であった。


JR釜石線沿線歩き旅 続き

2018年05月04日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
2018年4月28日(土)

JR釜石線沿線歩き旅 続き


昨年の暮れに突然右肩が痛み出した。

寝ていると夜中に右肩の関節部分に強い痛みが走るのだ。

痛みはしばらくすると治まるのだが、時間をおいてなんども痛みが来るのでよく眠れない。
日中も痛みがあるが就寝中に痛みで目が覚めるというのは本当につらい。
インターネットで調べてみると「五十肩」の症状のようである。

原因は不明なのだが半年から一年ほどで回復するものらしい。
だがネットの情報だけで勝手に判断してしまうのは危険である。

わたしは40年近くも手、指の炎症に悩まされてきている。
「ばね指」の手術は両手で5回も受けているのだ。
現在でも両手のばね指の症状は小指以外のすべての指にあるのでペンチなど強く握ることができない。
右手は手根管症候群の症状で一時期は右手がほとんど使えない程に悪化したこともある。

やはり医者に見てもらおうと一昨年ばね指の手術を受けた病院へと行った。

レントゲン写真で見ると「右肩の骨の一部が盛り上がっているところがあり、これが別の骨と当たって痛みがくるのだろう」との診断だった。

もしかして手術かと思ったが「五十肩ですね、痛み止めとシップを出しましょう」とのこと。

それから3か月。

まだ痛みはあるが重いものを持ったり負担をかけなければなんとか我慢出るところまで回復してきた。

そんなこともあり冬の間はほとんどウォーキングもしないまま過ごしていたのだが、暖かくなると歩きたくなる。

4月の中頃は寒い日が続き、いったん仕舞った石油ストーブをまた出したりした。



【↑ 盛岡市の中央公園の桜】

やっと連休前に桜も満開になり歩くには最適なシーズンの到来である。




【↑ 盛岡市の国立病院機構盛岡病院の桜】


昨年はJR釜石線の上有住駅まで進んだ。

今回は目的の駅である釜石駅まで歩こうと計画する。