東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

33日目 浅虫温泉駅ー青森駅

2012年07月25日 | 東北本線 八戸駅~青森駅
33日目


2012年6月26日(火) 晴れ

浅虫温泉駅-野内駅6.8Km-矢田前駅2.2Km-小柳駅2.2Km-東青森駅1.9Km-青森駅6.3Km

計19.4Km


05時30分に起きだして今日も快晴だ。

風がまったく無いので海はまるで鏡のようである。



道の駅にいきトイレと洗顔を済ませる。

今日は浅虫温泉駅から青森駅まで歩く予定だ。
距離は20キロ弱なので昼過ぎには着いてしまうだろう。
青森駅前を見物したりしてから浅虫温泉の銭湯へ寄って汗を流してからゆっくり帰宅するのが今日の計画である。


朝食は町で唯一のコンビニでカツサンドと野菜ジュース、ペットボトルのお茶を買う502円なり。

06時20分、まだ朝食には早いので買ったものをディパックに詰めて歩きだす。

陸奥湾の向こうに青森市が見えている、岩礁では釣りをする人の姿も見える。



漁に出る小船の姿もある。穏やかな陸奥湾の風景だ。



浅虫温泉から左手に青い森鉄道のトンネルを見て海側の道を行く。

ときおり電車の音が聞こえるのでカメラを向ける。



町を通りすぎ小さな岬を越えていく。

電車はトンネルをくぐって行くが、道路はトンネルの上を通っているのだ。

この峠は採石場のようである。
峠の道路わきに少し谷間になっているところがある。

見るとなにやら薄汚れた白い塊がある。
なんと雪がまだ溶けずに残っているのだった。



7月まであと4日というのにこんなに雪が残っているとは驚きだ。

ここは高い山の上ではない、海抜は10メートル程度だろう。
しかも回りがうっそうとした森で日陰とかでもない、かなり日当たりの良いところである。
いったい冬の間にどれだけの量の雪が積もったのだろうか。

どれほどの雪の山なら7月になるまで溶けずに残るのだろう。


峠を越えるとまた民家が現れてくる。

この道路は以前は国道4号だったはずである。
道の脇には昔のガードレール?がぽつんと残っている。

丸い穴はその部分に鉄の棒が通されていた跡だ。
その脇の上部を赤色で塗ってあるコンクリート柱には729Kmと、東京からの距離が書いてある。





この地方の伝統的なつくりの民家。玄関の部分に特徴がある。



もうすぐ8時だから通学、通勤の人たちで道路は賑やかになって来た。



野内駅が近くなってきた。



豪雪地帯の人たちでなければなぜこのように窓に板が渡してあるのか分からないだろう。



これは雪で窓ガラスが割れるのを防ぐためのものなのだ。



取り外し式になっていて雪がなくなると板を外しておくことが出来る。
この地域ではこの位置までは雪が積もることがあるのだ。

北国の暮らしは雪との戦いでもある。
屋根の雪下ろしのための梯子も必ずある。
雪の重みで家が壊れないように雪下ろしもしなければならず、雪国の冬の生活は重労働の日々でもある。



駐車場の雪かきも重労働なので、このような消雪設備をつくるところもある。



駐車場の床部分に温水を通して雪を溶かすのだ。


野内駅が見えてきた。高校生がどっと降りてくる。



この駅も跨線橋は無い。
線路の下を通っている県道123号線を通って向かい側のプラットホームへと渡るのだ。

07時50分に真新しい野内駅に到着した。



駅待合室のベンチで買ってきたサンドイッチを食べる。



無人駅だが定期券のチェックのために時間帯によって係員がいるようだ。

朝食を終えるとすぐに歩き出す。

隣の矢田前駅は約2.2キロしか離れていない。
隣の駅が近いということも都会の象徴である。
田舎では隣の駅まで10キロ以上離れていることも珍しくない。
線路の脇に住宅が立ち並ぶのもやはり都会ならではの風景だ。


08時35分に矢田前駅に着いた。





無人駅で駅前に自転車が停めてあるのと跨線橋が無ければ、駅と気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。



歩いていくと林の中を抜けていくような歩道がある。





公園なのだが防災のための緑地でもあるだろう。



木陰はビルなどの日陰よりも涼しいので歩いて気持ちがよい。

次の小柳駅も近いので09時20分には到着した。





この駅も向かいのプラットホームへの移動は線路下の道路を使う。



駅前はアパートが建っているが片面は広大な広場になっている。



ここも数年後には住宅やアパートが立ち並ぶのだろうか。
片側が公園になっていて小柳緑地と看板があった。

このように広い公園がある町はうらやましい。



この駅もプラットホームだけの駅で待合室は工事現場のプレハブ事務所みたいだった。



隣の東青森駅は貨物駅でもある。

電気機関車がコンテナの入れ替えをしている。



機関車の屋根の一部の塗装が剥がれて錆が出ていたりするのがちょっと侘しさを感じさせる。

09時50分に東青森駅に着いた。





りっぱな駅舎だなあ、と覗いてみると事務所だった。
だが昔はここが待合室だったに違いない。

現在は連絡通路の中に待合室が設けられている。





この駅も無人駅だ、待合室の下を列車が通り過ぎていく。



あとひとつで青森駅だ。ゆっくり歩いても昼過ぎには青森駅に着くだろう。



東青森駅前には大型スーパーマーケットやドラッグストアー、入浴施設などが並んでいる。



スーパーに入ってひとやすみする。

日差しが強くなってきた。

青森市の主要な道路は道幅が広いので歩いていて開放感がある。
道路幅が広いのは冬は除雪した雪で道幅が狭くなってしまうからだ。

ふと看板を見ると「ブルドック旅館」というのがあった。



看板は旅館の文字の部分を後から貼り付けたように見える。

あの旅館の文字の下には何が書いてあるのだろう。
もしかして”ソース”とか?
ブルドック・ソースの営業所だったところを旅館に改装したとか?

旅館のオーナーが犬好きというのはあるかもしれないが、それだと旅館の文字を上から貼り付けてある理由がわからない。

ペットホテルかとも思ったがそうでもないようだ、それにしてもユニークなネーミングだ。


市の中心部へと入っていく。



日差しが強いので暑く感じるのだが気温はまだ19度だった。



青森ベイブリッジが見えてきた。

この橋を渡れば青森駅だ。
この橋とすぐそばに建つ三角形のビル「青森物産館 アスパム」は青森市観光の拠点である。



せっかく来たのだからベイブリッジを歩いてみる。
橋のたもとには船の碇。



なるほどこの街を象徴するものだろう。


橋は大きくなかなかの迫力である。



港には青函連絡船「八甲田丸」が見える。



さすがに観光の目玉だけあって平日だというのに観光客の姿が多い。







八甲田丸の見学料は500円ということなので今回はパス。

青函連絡船は高校の修学旅行や勤めててからの社員旅行などでなんどか乗ったことがある。
船と一緒に泳ぐイルカの群れを見たことが記憶に残っている。






青森駅には12時45分に到着した。



この駅はJR東日本の在来線と青い森鉄道が仲良く使っている。



新幹線の駅はここから離れたところにある。
乗り継ぎなどで間違える人が多いらしく注意の案内表示があった。

わたしは(旧)東北本線を歩く旅をしているので基本的には新幹線の駅には行かない。

実際は新幹線も東北本線ということになっているのだが、旧国鉄時代の東北本線にこだわっている。

だが、そのうち新幹線で青森駅まで来てみたいと思う。

駅構内のお土産売り場には大きな「ねぶた」が。



そういえば、あと一ヶ月で青森ねぶた祭りだ。

昼食はお手軽に早い安いのCoCo壱番屋のポークカレー、630円で済ませた。
そういえば前回の仙台駅から福島駅まで歩いたときも、福島駅前でカレーライスを食べたっけな。

わたしは食のこだわりが無いほうだけど、それにしてもどこへ行ってもラーメンとカレーライスだけで満足しているようでは少々悲しい。
ほんとうに貧相な食生活である。

昼食を終え、八戸方面行きの列車の待ち時間を利用して駅周辺を見て回る。


駅前には「ラ・ワッセ」というフランス語かと間違えそうな名前の施設がある。





青森ねぶたの観光施設だ。
東北の代表的な祭り「ねぶた祭り」は過去に3度見たことがある。

少し離れたアスパムの足元にはねぶたの山車を造る工場が立ち並んでいる。
ひとつひとつが学校の体育館ほどもある大きさだ。
公開はしていないようだが隙間から製作の様子を覗いて見た。
まだ骨組みの段階で一部は紙を貼っていたりしていた。作業をしているのはおばさんが多い、パートタイムなのだろうか。


さて目的の駅まで到達したので帰ろう。
だがその前に見ておきたいものがある。

鉄道線路脇にはキロポストというのがある。
東京駅には東北本線の起点のゼロポストがある。
終点の青森駅にも東京駅からの距離を表すキロポストがあると思う。

そこでJR改札口にいた年配の駅員さんに聞いてみた。

プラットホーム1番線に小さな丸い印があるという。

さっそく1番線のプラットホームを探しながら端から端まで歩いてみた。

見つけたのは小さな金属のプレートである。



どうやらこれが駅の中心点らしい。



だがキロポストが見あたらない、駅の中心というのは分かったが東京からの距離を表すものを見つけることが出来なかった。


現在はプラットホームは半分ほどが使われていない。



その昔はこの車両止めの向こうにもプラットホームが繋がっていたのだ。



この駅で列車を降りた乗客は青函連絡船での場所確保のために駆け足でプラットホームと跨線橋を渡ったものである。
青函連絡船の2等はカーペット敷きだから、先に場所取りをしないと身体を横にできるスペースが確保できなくなるのだった。

だがいまは青函トンネルで一気に北海道へ行ける。
青森駅は広いプラットホームをもてあましているようだ。



青い森鉄道で浅虫温泉駅まで戻る。運賃は440円だ。







車に戻り、まずは汗を流しに温泉に入りに行く。

今日は道の駅にある温泉ではなく町中にある公衆浴場に行く。
狭い路地を抜けて松の湯へ到着、ここも入浴料は350円だ。



小さなお風呂だが清潔で気持ちが良い。
時間も早いのでゆっくりとお湯につかる。

まだ午後3時を過ぎたばかりだから他に客がいなくて貸切状態だった。


4日間歩いた国道4号を車で南下する、ゆっくり走っても午後9時頃には自宅に着くだろう。

盛岡駅を基点として「(旧)東北本線に沿って歩く旅」は北の終点の青森駅に到達できた。

東京方面も福島駅までは行った。
だが(旧)東北本線は総延長740キロもあるのだ。
まだ福島駅から東京駅までの273キロが残っている。

歩き始めて3年経ったが、まだ37パーセントが残っている。

東京駅に着くのはいったいいつになるのだろうか。












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32日目 野辺地駅ー浅虫温泉駅

2012年07月18日 | 東北本線 八戸駅~青森駅
32日目

2012年6月25日(月) 晴れ  


野辺地駅ー狩場沢駅7.0Km-清水川駅4.9Km-小湊駅6.7km-西平内駅5.3Kmー浅虫温泉駅6.7Km 歩いた距離 30.6Km


朝の5時半には起きだした。

朝日がまぶしくてとても寝ていられないのだ。

明け方はかなり涼しかった。ちょっと寒く感じられるほどでシュラフにくるまってしのいだ。
寒いのも道理で、車の窓が開けたままだったのだ。
昨夜寝るときに窓を閉め忘れていたのだった。

こんなに朝早いのだが国道4号は大型トラックがたくさん走っている。

今朝は雲ひとつ無いすばらしい快晴である、海はまるで鏡のようだ。

だがゆっくりしていられない。
まずは朝食である。
昨夜買った半額のパンとヨーグルト、それにお湯を沸かしてインスタントコーヒーで朝食を済ませる。

その後は道の駅でトイレと洗顔を済ませる。



朝早いがホテルから観光客の夫婦が海を見に出てきている。



車を道の駅の駐車場に停めたまま歩いて駅まで行く。
今日は野辺地駅まで列車で移動して、そこからこの浅虫温泉駅まで歩く予定だ。

上りの列車は07時29分発の八戸行き。

野辺地までの運賃は660円とこれも結構高いのでツライ。



通学の女子高校生がにぎやかに青森方面行きの列車に乗り込んで行った。

わたしの乗る上り方面の列車はまずまずの込み具合だ。



運転手の鞄には青い森鉄道のバッジがつけてあった。





野辺地駅には07時55分に到着した。

電車を降りてさっそく歩き出す。列車を降りた高校生がぞろぞろと学校へと歩いていく。



ここからは国道4号と(旧)東北本線は平行しているので、ひたすら青森方面に向かって歩くだけだ。

信号は縦型である。これは横型にすると雪が積もって信号を見えなくしてしまうからだ。



東京から700Km地点で野辺地町を離れて平内町へと入っていく。





ここは南部藩と津軽藩の藩境であった。

その藩境塚が史跡として残されているのだが、塚は国道沿いではなく海岸沿いにある。



昔はあの位置に道路があったのだろうか。
だが番所はいまの国道4号沿いにあるのだった。



快晴で気温は19度だ。弱い風もあるので暑さはあまり感じられないのだが、腕と首筋がジリジリと焼けていくのが分かる。
帽子にハンカチをくくりつけて首筋を日光からを守る。

海側にはホタテを売る店が並んでいる。



どの店も店内に生簀を設けていてイキの良いホタテを売っているのだ。

店舗や住宅は海岸のすぐそばに建っている。
堤防や防潮堤というようなものはまったく無い。ここは湾の中なので津波の影響を受けないのだ。

青森といえば名産は”りんご”なのでガードレールもりんごの図柄だ。



狩場沢駅が見えてきた。ちいさな待合室とプラットホームだけの駅だ。







ここでアンパンと野菜ジュースのおやつ。特売品だったのが少々悲しいが。



歩きだそうと外へ出ると足元に小さなヘビがいた。



長さが10センチほどだが、やはり蛇は見て楽しいものではない。

だがこの日はこのあと2度も蛇にお目にかかることとなった。
昔の人は白い蛇を神の使いとしたらしいが、このような普通の蛇ははたしてどうなんだろうか。

右手に海を見ながら歩く。
青森方面から中年男性が自転車でやってきた。



彼はわたしが「道の駅、浅虫温泉」で今朝見かけた人だ。

どうやら自転車で旅行をしている人らしい。
言葉は交わさなかったがテントに泊まりながら旅行をしているようだ。

夏休み時期になると高校生、大学生が自転車旅行をしているのは良く見かけるが、中年の自転車旅行者はなぜか少ない。
やはり長期間の休みが取れないとか、家族が”危険だから”と反対するのだろうか。

マンホールの蓋の写真を撮る。



回りにホタテ、中央に漁船が描いてある、下に「漁集排」と書いてあるがどういう意味なのだろうか。。

清水川駅が見えてきた。

駅前の住宅地の小さな路地を歩く。



軽自動車さえも通れないほどの狭い道である。
昔の小さな漁村ではこのように民家が軒を接しているところが多かった。


10時50分に清水川駅に到着した。





ここも無人駅だ、待合室にはカラフルな椅子が並んでいるが窓側の長いベンチが昔を偲ばせてくれる。



駅前にある電話ボックスは地面から数段高いところにあるのは、この地が積雪の多いところだからだ。



ここも写真を撮っただけで歩き出す。

さわやかな青空といいたいところだが、強い日差しが肌に痛い。
それでも気温はさほど上がっていなくて、まだ18度だった。



右へ行けば冬に白鳥がやってくる夏泊半島である。



平内町へと入っていく、このあたりの神社の鳥居は白く塗られている。



マンホールの蓋には白鳥とホタテ、そして椿の花が描いてある、「地元の名物を全部描き込みました。」という感じだ。



町の街燈の看板にもホタテが描いてある、けっしてシェル石油の提供品ではない。





かつては賑やかだっただろう駅前の商店街だが人通りは無い。



木の幹に打ち付けられた駅への案内標識板、年代を感じさせてくれる。



この町は津軽三味線で有名なの高橋竹山の生誕の地だ。



生誕100年になるのだそうだ。

駅の正面には大きな三味線と高橋竹山の顔出し看板があった、顔だけでなく手も出す穴が空いている。



どうやら三味線もセットされていて穴から手を出して三味線を弾くポーズができるのだが、三味線の部分が無くなってしまったものらしい。

12時40分に小湊駅に到着。



この駅は平内町だけでなく夏泊半島に住む人たちの最寄り駅だから有人駅だし駅舎も大きめだ。

ここも駅舎の写真を撮るだけにして歩き出す。

駅前にある「ご家中のマツ」。





大きな松ノ木だがなぜ”松”ではなくて”マツ”とカタカナで書いてあるのだろうか。

平内町で昼食にしようと思っていたのだが、町中で食堂を見つけることが出来なかった。

国道4号を青森方面へと歩いていくとラーメン店とほっかほっか亭があった。

ほっかほか亭を見ると店内で食事ができるようテーブルがあったので昼食はここで食べることにした。

味噌汁も注文したが品切れ中ということで「ソースかつめし」だけで済ますことにする。400円なり。



かつがサクサクして美味しいし量もわたしにはちょうど良かった。

食べ終えて歩き出すと道端に蛇の死骸があった。



どうやら道路を横断中に車に轢かれたものらしい。
蛇はそんなに早く歩けないから(蛇では歩くとは言わないと思うが)、交通量の多い国道を横切るのはまさに命がけだ。

蛇だから「手を上げて横断歩道を渡る」ことも出来ないだろうしなあ。
と、くだらないことを考えながら歩き続ける。



国道4号を離れて田んぼの中の道を行く。



同じ天気でも田んぼの中の道の方が涼しく感じるのは車の騒音が無いからだろうか。
と、田んぼの脇でまたしても蛇を発見。今日はよくよく蛇に縁がある日だ。



西平内駅には午後2時40分に着いた。





今日の目的駅である浅虫温泉駅まであと一駅だ。
小さな待合室とプラットホームだけの駅なので写真を撮ったら歩き出す。



また国道4号へと戻る。
あと4キロ、約1時間だ。

3日目なので足だけでなく腰も痛い。

くしゃみをすると腰がぎくっとなって立っていられないほどだ。
両方の脚も痛い、なぜか足の裏に痛みがあるので足の裏にサロンパスを張ってしのぐ。
歩き続けていると痛い場所がつぎつぎと移動していくのだ。

始めは足の甲の部分だったが、そのうちにふくらはぎの部分が痛くなってきて、次は膝が痛み出すという具合なのだ。
歩くことが出来ないほどの痛さではないし一晩休めば痛みが消える、これは普段の運動不足、鍛錬不足から来るものだろう。

ここまで来れば青森駅がかなり近く感じる、もう少しがんばろう。

出来たばかりのバイパス道路を歩く。このような道は車には快適だが歩くには向いていない。
木陰もないしアスファルトの照り返しが強いのだ。



やっと海が見えてきた。すばらしく美しい、穏やかな海に太陽が輝いている。



これは地中海の景色にも負けない美しい景色だ。地中海を見たことがないが、こんな感じだろうなあと想像する。

海岸の消波ブロックや出来たばかりのバイパス道路が景色を台無しにしている部分もあるが、海だけ眺めていれば良いのである。



パノラマにするとこんな感じである、暑さがふっとんでしまう爽やかな眺めだ。



浅虫温泉の町が見えてきた。ここはもう青森市である。



有名な浅虫水族館が線路の向こうに見える。



浅虫温泉駅が近くなってきた。



午後4時15分に浅虫温泉駅に到着した。

今日はここまでとして青森駅までは明日にする。

駅には観光客の姿が途切れない。ほとんどが年配のグループである。
さすがにおばちゃんのグループは賑やかである。



駅前にはホテルの送迎バスがつぎつぎにやってくる。



有名な温泉地の駅だが駅舎は個性がない。

駅にある観光館内所で、この町に公衆浴場はあるかと聞いてみる。



「2軒ある、入浴料は350円だ」と、宿泊客以外は歓迎しないような雰囲気でそっけない。
そのうち一軒は道の駅のビルの5階にあるのだそうだ。

観光収入にならない客の相手などしていられないのであろう。

無理もないことだなと思いながら観光地図をもらって、いったん車に行き入浴用品と着替えを持って温泉にと急ぐ。

5階にある温泉は海側が大きなガラス張りになっていて眺めは最高である。

有名なホテルに泊まらなくても温泉が楽しめるのは本当にうれしいことだ。

温泉でさっぱりと汗を流して着替えを済ませて車へと戻る。

美しい夕焼けを写真に収めてから夕食の準備だ。



夕食とはいっても今夜もインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰というわびしいものだ。

食べ終えてしまえばあとはすることも無いので、シュラフを出してくるまって寝てしまう。














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31日目 向山駅ー野辺地駅

2012年07月15日 | 東北本線 八戸駅~青森駅

31日目

2012年06月24日(日)曇り時々小雨

向山駅ー三沢駅5.5Kmー小川原駅8Kmー上北町駅4.2Kmー乙供駅7.4Kmー千曳駅7.2Kmー野辺地駅7.4Km 合計約 39.7Km

「東北本線に沿って歩く旅」も足掛け3年、日数は一ヶ月にもなってしまった。

総延長距離は740キロなので、1日あたり30キロメートル歩けば25日で走破できる計算なのだが、怠け者のなのでなかなか進まない。

ある人のブログでは東京から盛岡までを11日間で走破したとあった。
なんと1日あたり50キロ近くも歩いているのだ、若い人らしいがそれにしても驚かされる。

江戸時代の参勤交代のときは弘前から江戸まで20日前後で歩いているらしい。
これもハイスピードでの歩きだ。途中の宿泊費用を節約するために急いだらしい。

まあ、わたしの旅は急ぐ必要がない。
お金は無いが時間だけは充分にある、貧乏には慣れているし毎日がキャンプ生活でもまったく苦にならない性格である。

さて、

昨夜は午後8時には寝たものだから朝の5時には目が覚めてしまった。

公園のトイレで顔を洗って向山駅まで車で移動する。

途中コンビニに寄って朝食用のサンドイッチを買う。飲み物は自宅から持ってきた缶コーヒーだ。
この缶コーヒーも特売で一個50円の物だが、わたしは味にはうるさくないしブランドも気にしない性格だ。

午前6時20分に向山駅前に車を停めて歩き出す。

雨は降っていないがどんよりとした曇り空である。

途中見た畑のグラディーションが美しかったのでパチリ。



三沢市に入るととたんにアメリカの雰囲気が出てくる。



回りがひろびろとしているということもあるのだが、ところどころにある米軍関係者用と思われる住宅や、案内標識とか看板がほかの町とは違うのだ。



米軍関係者用思われる住宅には”F1234”というような番号が貼ってある。

日本では住宅やビルに番号をつけるということはない。
”○○町○丁目○番地”といように土地そのものに番号を付けるが、アメリカでは道路名と建物に番号をつけて表すらしい。
”○○通りS123"といった感じだろうか。
通りの右側が偶数番号左側が奇数番号だから、通りにそって建物の番号を探していけばたどり着けるのだ、実に合理的である。



日本の場合はその土地のエライ人のいるところから番号を振っていくらしい。
県庁の住所が中央1番地1号とか、村の村長宅が1丁目1番地でそこからずっと離れたところにある村の助役の自宅が2丁目1番地とかになってしまうこともあったらしい。

そのように地番を振っていくと4丁目3番地の右隣が8丁目9番地になってしまったりするわけだ。
事実わたしの家のある住所と同じ地番の住所は5キロも離れていて、その間に別な町名があるのだ、連続していないのである。

いくら米軍基地があるとはいえここは日本だからアメリカ式の住居表示は米軍関係者用住宅のみだろうとは思うが。


そのようなところは貸家案内板も英語表記だけである。
アメリカ人が住んでいる住宅は庭を見るとすぐわかる。

必ずバーベキューセットがあるのだ。

と、基地のある町ならではの風景を見ながら三沢駅へと向かう。

レトロな雰囲気のスクールゾーンの標識。



その昔は小学生も学帽、胸に名札をつけて通学したものだった。

マンホールの蓋には「しもだ」とある、ここは三沢市ではないのかな?



やっと三沢駅が見えてきた。



線路の向こうに見えるのは三沢の小牧温泉だ。



わたしも過去に何度か来たことがある。
ものすごく広大な敷地のなかには温水プールと一度に千人が入れるという浴場があった。
浴場には人工の温泉の滝があるのだった。

ホテルの内部も広くて夜中に廊下を歩いて部屋へ戻るときなどは、広すぎるのでちょっと不気味にも思えるほどだった。

駅南側の踏切を渡る。



この線路は使われていないようですっかり錆び付いてた。
この線路は閉鎖されていたのだった。



この線路は十和田観光電鉄の路線だったはずである。
たしかに以前見たときも古い車両がゴトゴトと走っていた。乗客は少なかったのだが。

青い森鉄道(旧JR)の三沢駅の隣に十和田観光電鉄の駅がある。



出札口の上には今年(2012年)3月31日で十和田市ー三沢間の電車の運転は終了したと張り紙があった。
地方の私鉄が消えていくのは寂しいが仕方の無いことだろう。

手書きの運賃表は貴重な記録として残してほしいものだ。







待合室はこんな感じ、木製の窓枠とねじ込み式の鍵。





わたしが高校生の頃の駅はこんな雰囲気だった。
半世紀前にタイムスリップできる世界がここにはあった。

一部でいいから何らかの形でこの駅舎と電車を残してほしいものだ。

さて青い森鉄道の駅へ立ち寄る。
時刻は7時10分だ。

空港の町らしく駅前にはこんなモニュメントがある。



そして郵便ポストの上にも、さらに階段にも。





これは2011年にMiss Veedolという飛行機の飛行を記念したものだそうだ。

駅のベンチでコンビニで買ったサンドイッチで朝食にする。



米軍関係者の利用も多いのだろう。

案内には英語が併記してある。





朝食を終えて歩き出す。

駅近くのバス停にもしっかりと英語表記がある。



マンホールの蓋も三沢ではなくMISAWAの表示だ。



三沢市の商店街にはアーケードがある。



これは積雪が多いので歩行者のためである。


途切れてしまっている線路があった。



これは三沢基地へ通じる線路だったのだが使われなくなったので切ってしまったのだった。

公共工事の看板にも英語が併記されているのには少々驚いた。



県道8号を北上する。基地にほどちかい民家の庭になんと旅客機のコンコルドがあった。



それもかなり大きくて全長10メートル以上はありそうなものだ。
このお宅のご主人はかなりの航空ファンなのだろう、庭にはコンコルド以外にも航空機や空港で使われていた機材が展示? してあった。



このコンコルドはかなり良く出来ていて、そのままどこかの航空博物館に展示できるほどの出来ばえである。

このコンコルドはGoogle Earthでも見ることが出来るのだ。





三沢を後にして県道8号をひたすら歩く。

青い森鉄道(旧東北本線)はこの県道に平行して走っている。
道幅は狭いが道路はまっすぐで車はスピードを出している。
車が来ると脇の草地に避けながら歩くのでさっぱり前に進まない。

しかもこの道路は緩やかなアップダウンがあり、歩くとかなり疲れるのだった。
緩やかな登り坂がだらだら続いて、こんどは同じような下り坂になる。
車で走るなら快適だろうが、歩くとなるとふくらはぎと足首に負担がかかるのだ。
ふくらはぎと足首にサロンパスを貼ってなんとかしのぐ。

東北町へと入った。



小川原湖へ遊びに行く車だろうか、車が切れ目無く走っていく。



午前10時、小川原駅に到着。
駅名のよみは「こがわら」である。

だが近くの湖の名前は「おがわらこ」である。
道の駅の読み方も「おがわら」になっている。

なぜ同じ読み方に統一しなかったのだろうか。





小川原駅の写真を撮って歩き出す。



青森県は有名な温泉地がいくつもあるが、それ以外にもこのような小さな温泉があちこちにある。



しかも入浴料が350円~450円ほどと安いのもうれしいことだ。




小川原湖が近くなってきた。



「道の駅おがわら湖」には11時に到着した。



ここで20分間の休憩をする。
道の駅には産直施設がある。
みると大根が一本100円と安かったのだが、ここで大根を買って背負っていくのはしんどいので買わない。

次は上北町駅である。道の駅からは程近い。





駅前のバス停。誰が書いたのだろうか達筆である。



上北町駅前広場。どうやらこれは上北という漢字をあらわしているようだ。





11時40分に上北町駅に到着。



駅前のアーチには「湖といで湯の里」と書いてある、うーん納得。



この駅は駅員さんがいる駅だった。



駅舎の中には習字が張り出してあったりで、地域の交流の場でもあるようだ。



「秋まつり」とか「砂あそび」「花火大会」はよいとしても「名産佃煮」に苦笑い。



お店の看板を書かされたのだろうか。

駅舎の中のベンチもプラットホームに架かる屋根もよい雰囲気を残している駅であった。



駅を後にして歩いていくと八甲温泉というのがあり隣がドライブインになっている。



時刻はちょうど12時、昼食の時間である。
コンビニ弁当よりはマシではと思い、このドライブインで昼食とする。



店内は30年前そのままといった感じだ。
おそらく価格も20年以上変えていないのではないだろうか。
おばあさんがふたりでやっているようだ。

親子丼550円を注文する。

どうやら隣の八甲温泉とつながっているようで、湯治客の食事の場にもなっているようである。



アルミ製のお盆がなんとも時代を感じさせる。
味は薄味だったから老人向けなのかも知れないな。
うーん、わたしは老人だからこれでいいのだ。

カウンターの上には今は懐かしいテレホンカードも残っていた。
冷蔵庫にはスーパーマーケットのチラシがマグネットで貼ってあったりするので、田舎のおばあちゃんの家にいるような気分になれる。

食事を終えて左手に線路を見ながら歩き出す。

七戸町へと入る。



小川原湖を過ぎてから急に交通量が少なくなった、やはりあのたくさんの車はレジャーに行く車だったようだ。

歩いていくとまた東北町へと入っていく。東北町から七戸町へ入りそしてまた東北町だ。
どうやら町の境界が入り組んでいるようだ。

乙供駅が近くなってきてた。
もう駅に着いたと喜んだがこの跨線橋は駅ではなかった、歩行者のためのものだった。





しばらく行き午後2時10分に乙供駅に到着。



小さな駅だがここも駅員さんがいる。待合室はこざっぱりしている。





駅の写真を撮っただけで歩き出す。

あいかわらず右足の甲が痛い、そして左足のふくらはぎも痛くなってきたが我慢我慢である。
どうやら靴に問題があるようだ、足が靴の中で動くのだ。
別の靴は少々きつくて前回歩いたときには小指の爪が割れてしまった、そこで今回はゆったり目の靴にしたのだ。厚めのソックスを履いてくればよかったなと思う。

県道8号は道が狭いうえに道路の両側から樹木の枝や雑草がはみ出している。
カーブのあるところでは対向する車が葉が邪魔で歩行者に気づいてくれない。
ひやりとする場面も何度かあった。
車のほうもこのような道に歩行者がいるとは思っていないのだ。



「日本中央の碑」発見の地というのがあった。



ここで「日本中央」と書かれた石碑が発見されたということだが、いまでも樹木に覆われジャングルのようなところになぜそのような石碑を建てたのだろうか。



だが古代日本を代表する「三内丸山遺跡」が同じ青森県にあることを考えれば、その昔はこの地も”日本の中心”であったかもしれないのだが。


あいかわらずゆるいアップダウンの続く道を歩く。

線路は見えないが左手の林の中を電車が走っている音が聞こえる。



突然道路下に駅が見えた「千曳駅」だ。午後3時50分だった。
千曳駅は県道8号線の道路と交差する位置に駅が造られているのだ。

駅というものは人家の多いところに造るのが普通だが、この駅の周りには人家がまったく見当たらなかった。
しかも道路にはまったく駅の案内標識が無かったので、車で来たなら気づかずに通り過ぎてしまっただろう。

たまたま道路の左側を歩いていたから駅を見つけたのだ、右側を歩いていたなら気づかなかったかもしれない。



待合室とプラットホームだけの駅である。



向かい側のプラットホームに移動するには坂を登って県道へ出て橋を渡って行かなければならない。
ある意味でずいぶんと合理的な構造である、わざわざ線路を跨ぐ高架橋を造らなくて済むのだから。
舗装もされていないただの砂利道である。



いったいなぜこんな人家の無いところに駅を造ったのだろうと不思議に思った。
だが駅の写真を撮ってしばらく歩いていくと、ぽつぽつと民家が見えてきた。

民家が点在するところから駅までは距離があるが、線路は千曳駅の近くでトンネルになる。
人家のあるところはトンネルの上に位置しているし、ここが交通に便利だから駅を作ったというわけだ。

あと5キロで野辺地町だ。
ここからはなだらかな下り坂が続く。
すでに午後4時半だがまだ陽は高い。

午後5時、国道4号との交差点まで来た。



やっと今日の目的駅である野辺地駅への標識があらわれた。もうすこしだ。



野辺地駅が見えてきた。



午後5時半に野辺地駅に到着。



朝の6時半から11時間かかったことになる。
途中でなんどか休憩を取ったがそれでも9時間以上は歩き続けた。さすがに疲れてしまった。

今日24日は野辺地港で「常夜塔フェスタ」という祭りがあるそうだ。
だが祭り見物はいつか別の機会にしよう。

これは駅前にある「常夜灯」




青い森鉄道に乗って向山駅まで戻る。



トラックに隠れてよく見えないが「日本最古の鉄道防雪林」とある。

運賃は890円とかなり高い。



徒歩では11時間もかかったのだが電車はたった30分で向山駅に運んでくれた。実にあっけない。



お腹も空いたがまずは汗を流して着替えたい。

ここはどこにでも温泉があってしかも入浴料が安いのがありがたい。入浴料は300円だった。



さて夕食と思ったが食堂が見当たらない。

時間も遅いし真っ暗だからインスタントラーメンを作るのも億劫だ。

さいわいスーパーマーケットがあり、寿司のパックが閉店前なので3割引だったから買い物かごに入れた。
そうしてから惣菜を物色していると、店員さんが出てきて寿司の残りのパックに半額のシールを貼りだしたではないか、すぐにレジに向かわなくて良かった。

わたしは3割引きのパックを棚に戻し、半額のシールが貼られた寿司を買い物カゴに入れてレジへと向かったのだった。

今夜は浅虫温泉の道の駅に車を停めることにした。
広い駐車場で意外と静かだ。
すでに午後10時である、半額のお寿司を食べたらあとは寝るだけ。



















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30日目 北高岩駅ー向山駅

2012年07月10日 | 東北本線 八戸駅~青森駅
2012年06月23日(金)  

北高岩駅ー八戸駅5.7Km -陸奥市川駅 8.3Km -下田駅 5.2Km-向山駅5.3Km   
歩いた距離約24.5Km


天気予報を見ながら日程を考えた。ここ1ヶ月近くは時折暑い日もあったが肌寒い日が続いている。

予報では今日は曇りがちで所によっては雨らしい、明日からは晴れ時々曇りという予報だった。
車には昨夜のうちにキャンプ用品を積み込んでおいた。
前回の経験から不必要な物は持たずに済ますようにした。
ただし着替えは充分に持った、前回着替えが少なくて同じ下着を2日間も着続けて不快な思いをしたのだ。
だが長袖シャツと長ズボンの着替えを持つことは考えていなかった、晴れ時々曇りなら暖かくて長袖は要らないだろうと考えたのだ。

朝の5時には起きだして朝食用のトーストと残り物のサラダ、トマトジュース、バナナなどを持つ。残しておくと帰ってくる5日後には腐っているだろうから、今日のうちに食べてしまうのだ。
もちろんガソリンは昨日のうちに満タンにしてある。
5時25分に家を出て快調に走り、7時5分には三戸の道の駅に到着した。
ここで朝食にする。
雨は降っていないがヤマセだろう、かなり肌寒い。半袖では無理で周りの人もみな長袖の上着姿だ。

8時20分に北高岩駅に着いた。

駅前に車を停めさっそく歩き出す。



8時50分には櫛引橋の前を通る。いつもは車で右方向の八戸市内へと向かうが今日は直進し八戸駅と歩く。



「ひといち」と読む。おや、”日”の部分はどこへ消えたんだ?




天候は悪く風はかなり冷たい、半袖シャツの上に薄手のウィンドブレーカーを着ているが手がかじかむので手袋をした。

9時35分に八戸駅に到着。ホテルメッツやコンフォートホテルなど真新しいホテルが立ち並ぶ。



駅前にはユートリーという観光施設があったのでトイレを済ませる。



中には八戸祭りの大きな山車が展示してある。






駅前からは八食センターへのバスが出ていた。土曜日ということもあるのだろう車内は立つ人も多く込み合っていた。



駅のコンコースは観光客でかなりの賑わいだった。





駅の中をさっと見ただけで歩き出すと雨が降ってきた。

風も出てきて小型の折りたたみ傘だけでは濡れてしまう、デイパックからレインスーツを出して着込む。ゴアテックスではないので少し歩くと汗で中が濡れてくるのだが仕方ない。

歩道橋から八戸駅を望む。新幹線、(旧)東北本線、JR八戸線が乗り入れているのでさすがに駅構内は大きい。



雨の中を歩くとスピードは出ないし疲れる。

新幹線の脇の道路を歩いていったら道が途中で途切れてしまっていた、足元が悪いのでイヤだが田んぼのあぜ道を通って国道45号線へと出る。







途中で八食センターの脇を通る。今日は土曜日ということもあり駐車場は大混雑だ、中に入っても買い物をすることも出来ないので外観だけ見ながら通り過ぎる。



しばらく行くと青森まで100Kmの標識があった。「うーん、100キロか、遠いなあ」と独り言。



雨は降り続いている、すでに靴は中まで水が入ってしまった。



地図はMapionのをプリントして持ってきた。Googleの地図よりずっと見やすい。

八戸の基地に着陸する自衛隊機の姿が見えた。



11時50分に陸奥市川駅に到着。



駅前はこんな感じだ。



レインスーツを脱いでタオルで水気を拭き取る。



初日のうちにできるだけ歩いておきたい。2日目、3日目になると体力的にキツくなり、今回の旅で青森に到達できなくなりかねないからだ。

10分だけ休憩して歩き出す。すぐに「おいらせ町」へと入る。





次の駅までは4.6キロほどだから13時25分には下田駅に着いてしまった。



この駅には「停車場中心 655K330M」の標識があった。



駅の写真を撮っただけで歩き出す。
駅前の歩道にあった卒業記念の手形。





毎年このような記念手形を町中に残していたら面白いだろうなあ。

すこし行くと「下田橋」がある。その河川敷はきれいに整備されていて公園になっている。



この川は鮭が上ってくる川なのだろう。「しもだサーモンパーク」という名前である。11月には鮭まつりというのも行われているようだ。

雨は霧雨程度になったので、傘だけでも大丈夫だ。ここでレインスーツを脱いで水分を拭き取りデイパックにしまう。

右足首の甲の部分が痛い。サロンパスを持ってきているので貼ってしのぐ。
とにかく歩いていると足のどこかに痛みがくる、ウォーキング用のスティックがあれば少しは楽かもしれないが、いまは我慢だ。

県道8号線を三沢方面へと歩く。
この道路は車で走るには快適な道路だと思うが歩き旅にはイヤな道路だった。
道幅が狭いのにかなり交通量が多いのだ。
道路はまっすぐで信号も無いのでどの車もかなりスピードを出している。歩道が無いだけでなく歩行者が歩くスペースさえも無いので、車が来るたびに道路わきの草むらに避けなければとても危険である



いちいち車を避けていたのではさっぱり前に進めない。どうやら土曜日ということで小川原湖へドライブする車のようである。

やっと向山駅への標識が見えてきた。



「男前豆腐店」があった。店の名前は知っていたがこんなところに工場があったとは知らなかった。



その工場の一角に「仙人水の里」というのがあって、ポリタンクに水を詰めている人が並んでいた。



豆腐つくりには美味しい水が欠かせない。この水があってうまい豆腐が作れるのだろう。

やっと向山駅が見えてきた。





15時15分に向山駅に到着。



次の三沢駅までは6キロある。歩き続ければ午後6時ころになってしまうだろうから今日はここまでとすることにした。

駅の待合室にはなぜか会議用テーブルが。もしかしたらここは地域の人たちの集会所としても使われているのだろうか。



ベンチで濡れたシャツや傘を乾かしていると無人駅なのにテレビの音が聞こえる。もしかしたら駅舎の一部が保線作業員などの休憩用として使われているのかもしれないと思ったのだが、なんと駅舎の一部に「駅ミニミュージアム」というのがあった。
中へは入ってみなかったが入り口には懐かしい行先票などが飾ってあった。





それにしてもほとんど人の来ないだろうこの駅にミュージアムを作るとは、よほどの鉄道ファンに違いない。



さてきっぷを買おう。運賃表には北高岩まで550円とある。
だがこの駅には券売機が無かった。券売機が不要なほど乗降客が少ないということだろうか。



16時の列車で八戸駅へ行き、乗り継ぎ列車の時刻を見るとなんと40分の待ち合わせ時間だった。
乗り継ぎ時間を利用して駅そばを食べる、かき揚げ天そばで370円なり。



17時に北高岩駅に到着。



今日は寒い一日だったがレインスーツを着て歩いたので汗をかいた。
はやくお風呂に入って汗を流したい。
車で温泉を探しながら行くと「はちのへ温泉」があった。450円なり。



汗を流してさっぱりしてから今夜の宿泊地を探す。

やっと雨が上がり、青空が見えてきた。夕焼けが美しい。



運良く下田公園というのがあり駐車場も広く、トイレもあったのでここで泊まることにして、さっそくインスタントラーメンの夕食。

この駐車場は広いし、大きな通りではないので車はたまにしか通らないからとても静かだ、道の駅で泊まるより快適だ。
午後8時は寝てしまう。










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