東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線沿線歩き旅の記録。

JR山田線沿線歩き旅 千徳駅―>宮古駅

2020年07月29日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月22日 千徳駅―>宮古駅 JR営業キロ3.3キロ

千徳駅を出てすぐに宮古方面行きの列車とすれ違った。



あの車両が折り返し盛岡行きになるのだろうな。



ああ、盛岡からの始発列車が10時30分だったならゆうゆう間に合ったのだが、、と悔しがる。

そしてしばらく歩くと盛岡行きの快速列車がコトンコトンと軽い音をさせながら通り過ぎて行った。



そこから宮古駅までは3キロほどだったが、まるで10キロもあるかのように遠く感じられた。





薄日もさしてきて暑くなってきて汗は噴き出るし脚は重いしでしんどいのだ。
と、右に噴水のようなものが見えた。





ズームしてみると「水道公園」の看板が見えた。
水道局が管理している公園なんだろうか。

その先で右手を見るとすごく高い煙突が見えた。





有名なラサ工業の煙突だ。
高さは160mもあるという、しかも通称煙突山という山の上にあるのでよけい高く見えるのだ。

と写真を撮りながらもよぼよぼ歩いて行く。





やっと宮古駅の見えるところまでやってきた。









宮古駅到着。



ふうう、へとへとだ。

15キロ歩いただけでこんなにも疲れるとは思わなかったな。
汗だくだくなので駅前広場の水飲み場でタオルを濡らして身体を拭く。
その姿を通りかかった高校生が汚いものを見たかのように目を背けるのだった。

時刻は4時40分。



次の列車まで90分の待ち時間がある。
駅前の写真を撮って回る。
もう駅から50メートルも歩くだけの気力も体力も残っていない。
「おかしいなあ、先日は25キロ歩いても全く平気だったのに」

例年なら観光客の姿があるだろうけど新型コロナウィルス感染が拡大しているためだろう観光客らしい姿はない。
駅構内は広めなのだが駅舎、待合室は意外なほど小さい。





ここは三陸鉄道と共用駅だ。



完歩の記念に駅前で記念撮影をする。



駅前には例にもれず銅像があった。





「うみねこと乙女」の像だった。
うみねこというのはかなり凶暴だけどねぇ、乙女はうみねこを手なずけたんだろうか。

SLの動輪とC58―283型のプレートがある。





昭和19年山田線で雪崩のため脱線転覆したSLのものだ。



この事故は「おおいなる旅路」というタイトルの映画にもなっていてわたしも観た。
実際に山田線で機関車を転覆させて撮影したということで話題だった。







駅前のポストには浄土ヶ浜の模型が乗っていた。





ちょっとじみー。

三陸鉄道本社。



そして土産店。



なんとか経営を黒字にしたいといろいろ手を打っているのだな。
三陸鉄道の車両はカラフルで見て楽しめる。





だが、ここは首都圏から遠い三陸の地、観光客の誘致は並大抵ではない。

駅前のスーパーへ行き弁当を買う。
帰りの車内で夕食にするのだ。



つい割引の品に手が出てしまう悲しい貧乏人の性。
いやいやこのあとすぐ食べるんだから、、、と言い訳をするのもビンボーくさい。

改札を出ると「クロジカ君」の像があった。






三陸鉄道は沿岸地方の人の大切な交通手段だが大震災の津波、大雨の崖崩れなど災害続きもあってなかなか黒字にならないのだ。
それで黒字化のしゃれでクロジカなんだねぇ。
観光客がほぼ消えてしまった今後の三陸鉄道が心配だな。

一両編成の普通列車だが乗客はそれなりにあった。





宮古市から帰宅する高校生の姿も見られたし出張帰りらしいビジネススーツの男性も数人いる。

線路はくねくねと曲がりながら進む、区界駅までは上り坂だからスピードは出ない。
山間部へ入ると途中何度か警笛を鳴らしブレーキをかける場面があった。
おそらく鹿とか熊などの動物が線路上にいたのだろう。
山間部を走る列車と動物との衝突事故はときどき起きているのだ。
防護ネットを張っている場所もあるのだが全路線に張ることもできないだろうしなあ。

区界駅から上米内駅間は人家のまったくないところだから携帯の電波も届かない。
もちろん街灯など無いから周りは真っ暗でまさに暗い宇宙を走る銀河鉄道の雰囲気だ。

午後8時30分盛岡駅に到着。
今日はローカル列車の旅も楽しめたし歩き旅も完結した。
今日歩いたのは茂市駅から宮古駅まででJR営業キロは15.1キロ

延べ4日間かけて山田線を歩き切った。
盛岡駅から宮古駅までJR営業キロは102.1キロ、うーん遠かった。





JR山田線沿線歩き旅 花原市駅―>千徳駅

2020年07月28日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月22日 花原市駅―>千徳駅 JR営業キロ4.6キロ

駅の写真を撮ったら次の駅へと向かう。

このあたりから身体が重くなってきた、足が上がらない。
ほんの小さな段差でつまずいたりする。
弱い雨模様で湿気がつらいということもあるのだが、休憩を取らずに歩いているのが苦痛になってきたのだ。
1時間半から2時間ほど歩いたら10―15分の休憩をとるようにすればよいのはわかっているのだが。
もう少しだがんばれ!と自分自身にはっぱをかけて歩く。






やっと“町らしい”ところまで来た。





だが息が切れる。
ちゃんと歩道があっても雑草が行く手を遮っていたりする。



宮古まで5Kmの標識を見てから時計を見ると午後3時39分だ。





どう考えても5キロを20分で歩くのは無理である。
まあ仕方ないな18時10分のに乗ればいいさ。



宮古市のマンホールの蓋には「南部鼻曲がり鮭」が描かれていた。



ふうふう言いながらも千徳駅に到着。



宮古市も都会だからこの駅も住宅地の中にある。







周りに人家の少ない駅ばかり見ていたものだからちょっと感激したりする。



ここで午後4時の盛岡行き快速に乗れば、、
そんなことできる訳がないのだ、全線全駅歩き旅だからなあ。
自分で決めたことだからな、もう1駅だけだがんばろー。




JR山田線沿線歩き旅 蟇目駅―>花原市駅

2020年07月27日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月22日 蟇目駅―>花原市駅 JR営業キロ2.7キロ

現在午後2時15分、この蟇目駅から宮古駅まで10.6キロある。



宮古発盛岡行きの時刻は午後4時9分、その次は午後6時10分だ。
できれば午後4時までに宮古駅に着きたいが、2時間で10キロは歩けないだろうなあ。
でもやってみよう、と休憩なしで歩き出す。





マンホールがあったので写真に収める。



ここは宮古市と合併する2005年まで新里村だったのだ。

国道へ戻る。



進んでいくとトンネルが2つ見えた。



下のほうは鉄道のトンネルだが上のはなんだろう。
旧道なのかしらん、トラックが1台走っていったから道路だと思うのだがスマホの地図に表示されない不思議な道だ。

宮古まで10Km地点、ここまで来ると閉伊川の川幅はぐんと広くなり流れもゆったり。





急いでいるのに列車が来ると写真を撮ったりする。









ちょっと息を切らせながら花原市駅に到着。





この駅はじつにそっけない窓も戸もない開放式だった。









わたしはこの駅に来るまでこんな駅名があることを知らなかった。




JR山田線沿線歩き旅 茂市駅―>蟇目駅

2020年07月26日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月22日 茂市駅―>蟇目駅 JR営業キロ4.5キロ

相変わらず梅雨模様の日々が続いている。
おそらく今年は梅雨明け宣言は出されないだろうな。
太陽はほんのたまに「少しは日光の有難さを思いださせてやろうかな」と顔を出すが、すぐに厚い雲に隠れてしまう。
外出には雨具の携帯が必須の毎日である。
その梅雨の晴れ間を狙ってJR山田線沿線歩き旅の総仕上げに出かける。

そういえば出発駅の盛岡駅の写真はあまり撮っていない。
新渡戸稲造の像は先日撮影した、その先には石川啄木の碑がある。





駅2階にはしっかりと「祈り」というタイトルのブロンズ像もあるのだ。



盛岡駅西口には全国の駅?の例にもれずステンレス製のモニュメントがあるが、わたしの好みではないので今回はパス。
乗車前に山田線のゼロキロポストの撮影しようとプラットホームを歩き回ったが見つけれなかった、どこにあるのだろう。

日本一遅い始発列車と言われている(かもしれない)「快速リアス 宮古行き」に乗り込む。







茂市駅付近にはコンビニなど無いので駅中で弁当を買ってきた。
車内でお昼ご飯にするのだ。



乗客は20人ほどだったろうか空席が目立つ。



今日使うのは「いわてホリデーパス」だ。
通常は土祝日のみ利用できるのだが夏休み期間は平日の利用もできる。



2500円というじつにびみょーな値付けである。
盛岡駅から宮古駅までの運賃は片道1980円なので往復運賃との差は1460円とお得なのは確かなのだが、なにしろ始発が11時6分ということで使いずらい。
車で行けばガソリンは1000円以内で済むしなあ、、、とつい思案してしまうのだ。

山田線は過去に何度か乗っている。盛岡―花巻―釜石―宮古―盛岡と一周し朝から夜まで乗車したこともあった。
わたしは乗り物好きだが特に列車は大好きだ。
車窓からの景色を何時間も見ていて飽きるということがない。
今日は自分の足で歩いたコースを列車の窓から眺めたいということでJRで行くことにしたのだ。

先日も写真を撮ったが、旧道その上に現国道106号、そしてさらにその上に新国道。





閉伊川の渓流には釣り人の姿があった。





12時53分に茂市駅に到着。




天候は蒸し暑く、雨が降りそうな空模様だ。



駅前の以前は商店だったと思われるお宅の壁には懐かしいホーロー看板があった。





「ヤマサ醤油」はよく見かけるが「ナショナル電球」の看板はいまでは貴重だろうな。

時代は「白熱電球」―「蛍光ランプ」―「LED照明」と変わってきた。白熱電球と蛍光ランプは廃止される運命にある。
わたしは白熱電球以前の灯油ランプの時代を知っている。

歩道があるのは駅からほんの少し行ったところまでだ、ここからは歩道のない恐怖の道が続く。



歩道がなく路肩も狭いので避けることもできない。



ディパックには点滅するライトを下げて「ここに歩行者がいますよ」と知らせるようにしている。
ドライバーがそれに気づいて避けてくれることを願うだけだ。
直前まで気づかず進んできて慌ててハンドルを切るドライバーもいるのでスリル満点である。

左側に碑への案内があった。



「牧庵鞭牛道供養碑」の案内だった。



見ると階段が上へと向かっている。登ると小さな石碑があった。





そこからはまさに崖に道とも呼べないような狭い道のようなものが上へと向かっている。





道が完成する以前はこの崖を縄に掴まりながら昇り降りしていたのだという。
今は落石除けのネットが張ってあるけど当時はそんなものがあるはずもないだろうし。
まさにロッククライミングの世界だなあ。

このような険しい道は日本のあちらこちらにあったそうで、以前読んだ「きよのさんと歩く江戸六百里」にも命の危険を感じるような崖の道を何度か通ったと書いてある。



現在の106号線もそれなりに快適だと思うのだが、さらに早く快適にと横断道路を造成中なのだ。













蟇目駅への看板が現れた。





106号線から旧道へと入っていくといきなり車がいなくなり音も消えてしーんとする。





とうとう雨がポツポツと落ちてきた。わたしはもちろん雨具は用意してきている。



蟇目駅前には石碑があった、大きなほうには金毘羅の文字がなんとか読めたがほかはわからない。



蟇目駅に到着。









この駅には時計が掛けてあった。




JR山田線沿線歩き旅 腹帯駅―>茂市駅

2020年07月25日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月17日 腹帯駅―>茂市駅 JR営業キロ4.4キロ

腹帯駅では休憩をせずに先へと進む。





国道へ出るとダンプカーと大型トラックの往来が激しい。
このあたりには歩道は無い、歩行者は右を歩かなければと思うが右側は危ないのだ。





右側にはガードレールがあり川がある。
車を避けようがないのだ。



左側は草に覆われているところはあるが比較的歩きやすい。



ここでも熊は出てくるようだ。





昼の国道には現れないとは思うが夜はどうなんだろうか。

右手に「湯ったり館」という温泉施設が見えてきた。



ああ、温泉に浸かってくつろぎたいなあ、汗も流したいなあ。
だが今は茂市駅に向かってひたすら歩くしかない。
看板を横目に見ながら急ぎ足で通り過ぎる。

やっと茂市駅への入り口が見えてきた、



ここのバス待合所はリンゴの形。



そのわきには「鞭牛和尚生誕の地」の碑が建っている。



いまの国道106号線の元となる道を拓いた僧侶だそうだ。
こういう方を先頭に村人も協力しながら道路を造ってきたのである。

その像の後ろに茂市駅が見えている。



駅構内が広いのは以前はこの駅から岩泉駅まで線路が延びていたからである。
その岩泉線も2014年には廃止されてしまった。
この山田線もそうだが岩泉線も大雨が降ると崖崩れで不通になることが多かった。









腹帯駅からは1時間で到着した。足の痛みもなかった。
盛岡からここまで86キロ、残り宮古駅まで15.1キロだ。
もう少しだぞ。だーれもいない駅で自分自身を励ます。

列車が来るまで時間があるので自撮りをしてみたりする。




茂市駅の跨線橋は閉鎖されていた。おそらく古くなって危険になったからだろう。





手すりのある歩行者用傾斜路を通ってプラットホームへと行く。
この通路は車椅子、お年寄りへの配慮という面もあるのだ。



JRで川内駅まで戻る。





車窓からさっき歩いていた道を眺める。





川内駅からJR営業キロで25.5キロメートル、徒歩では8時間ほどかかったが乗車時間は35分、運賃は510円だった。





JR山田線沿線歩き旅 陸中川井駅―>腹帯駅

2020年07月24日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月17日 陸中川井駅―>腹帯駅 JR営業キロ9.1キロ

陸中川井駅を後にして国道106号線を歩く。
鉄道と国道は川を挟んで並行して通っている。
左の山側にお社への階段があった。



急な山だから鉄骨製の階段を作ったのだろうな。

ここでもトンネル工事が行われていた。



開通すればほとんどの車は川井村を素通りするのではないかと思う。
他人事ながらあのレストランとコンビニの将来が心配になってくる。

さらに進んでいくと、この先自動車専用道路の案内板が現れた。





新しい道路を造るのはいいことだが自動車専用で有料になるのならうれしくないなあ。
あのトンネルから先が自動車専用道路とのことだ。



自転車、歩行者は右手の川沿いの道を行くことになる。





車が来ないので歩くには快適だ。
と、油断していたら後ろから宮古行のバスが来た。





バスは村落のある「旧道」を通るのだった。
ここは旧道と言ってもごくあのトンネルが出来るまではメインストリートだったのだ。
その旧道(現行の国道106号)より古い道が山肌に沿ってくねくねと延びている。





車のすれ違いが難しいほどの狭い道路だ。あのような道を通っていたころ盛岡から宮古まで何時間かかっていたのだろうかと思う。

トンネルわきにこんな看板が立っていた。



「鵜の食害防止のため」と書いてある、へー!ここには鵜が生息していたのか、知らなかったなあ。
”旧道”だがごくたまに車が通る、通行量があまりに少ないからかかなりスピードを出しているのだった。



古田と書いて「ふった」という地名。





岩手にこのような地名があるとは知らなかった。

そしてまたトンエル工事があって、その先に腹帯駅への案内標識があった。







駅への道は旧道のさらに旧道という感じの細い道だ。

ここにもつり橋がある、腹帯発電所のものだった。





プレートを見ると昭和13年竣工とある、けっこう古いんだな。

畑の上を新国道の工事中。その奥に見えるのが現在の国道、さらにその奥には鉄道線路がある。



そしてわたしが歩いているのは旧、旧道なのだ。



現国道の橋脚は芸術的な錆具合だった。

振り返ってみると右手に線路、正面が現行の106号線、写真では見えないが106号線の橋の奥に建設中の新国道がある。



腹帯の集落へと入っていく。







少しいくと右手に腹帯駅があった。



まるで通行人から隠しているかのように目立たない駅で、駅への案内板もなかった。



なにはなくとも駅の写真だけは撮る。



ここのプラットホームには他の駅では見たことのない屋根がかかっていた。



以前はプラットホームを2面使っていたそうだ。

さて、、時刻は午後3時だが。
盛岡駅方面の列車は4時38分まで無い。
となりの茂市駅までは4.4キロメートルだから1時間ちょっとで行けるだろう。
ここまで7時間近く歩いて来たが足の調子もよいので茂市駅まで行くことにする。



JR山田線沿線歩き旅 箱石駅―>陸中川井駅

2020年07月23日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月17日 箱石駅―>陸中川井駅 JR営業キロ7.8キロ

箱石駅を後にしていくと倉庫前に駅への案内標識が落ちていた。





錆びて落っこちてしまったのだろうな。
「新たに作りなおす予算は無いしとりあえずここに置いときましょうや。」という感じ。
国道106号線に戻る。



盛岡方面行き上り列車が走っていく。コトンコトンとのどかな音だった。



今日も草刈り作業の人の姿がある、いやーありがたい。





先日も書いたが除草されていないとこんな状態なのだ。



宮古まで35Km地点。あと一日歩けば到着だ。



現在の国道106号線の上を新しい106号線の建設中。



人家は現在の道に沿ってあるのだがバス路線はどうするのだろうか。



閉伊川にかかるコンクリート製の古い橋は欄干が低い。







わたしの膝上くらいの高さしかない、近寄ると川に落ちそうでちょっと怖い。

盛岡駅から70キロ地点。あ、、そういえば盛岡駅でゼロキロポストの写真を撮るのを忘れていた。





道端にこんなものがあった。





一瞬これは環状列石ではないか?と思ったがどうやら違うみたい。

土蔵の前のアジサイが見事だった。





花のある生活というのは和むものがあるなあ。

だが、ここも安心できない土地である。





目の前は閉伊川、裏山は急斜面で崖崩れの危険のあるところなのだ。
住宅の裏は崩落を防ぐための工事がしてあるのだが油断はできない。





ここにも水力発電所があった。
このあたりになると川の流れも緩やかになる。

国道106号線からさらに旧道へと入っていく。







時代に取り残されたような静かな集落だ、大型車のすれ違いが困難なほど狭い道が以前の106号線だ。
ということはこの道路から現在建設中の道路で3代目ということなんだな。

川井診療所には「かぜ、発熱外来」は別の入り口からとの案内があった。



新型コロナウィルスの流行を考えると発熱のある人は一般と分けなくてはならないからなあ。

さて昼食の時間だ、ここ川井村にはコンビニがあるのだ。



と、コンビニへ行こうと思ったが隣にレストランがあるのに気が付いた。



よし、このレストランで昼食にしよう。
メニューを見ながらどれにしようかさんざん迷う。
「噴火盛り」という恐ろしい名前のメニューもあるが、これはざるそばの超大盛のことだった。
10分以上もメニューとにらめっこして選んだのは「幕の内そば弁当」1100円だ。



お客は道路工事関係とか運送関係とかの男性がほとんど、歩き旅、ハイカーというような人はわたしだけ(そりゃそうだ)

しっかりと食事を摂り休憩もするというのは大事である。
おかげで午後も元気よく歩き続けることができた。

食事を終えて目の前の閉伊川を渡って行く。



この鳥は川井村の村鳥、やまどりなのだろう。



すぐ陸中川井駅に到着だ。

















JR山田線沿線歩き旅 川内駅ー>箱石駅

2020年07月21日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月17日 川内駅―>箱石駅 JR営業キロ13.5キロ

天気予報では今日は曇りだが日中は日のさす時間帯もあるだろうとのこと。
ディパックにはペットボトルの水2本、おやつのクラッカーと一緒に雨具もしっかりと入れてある。
前回と同じく車で行く。
途中の「区界 道の駅」で朝食にする。
天候は霧で気温は14度だった。


車から出ると寒さでぶるっと震える。

盛岡、宮古横断道路の工事関係者と思われる車が目立つ、これから工事現場へと向かうのだろう。

午前8時に川内駅に到着。
駅前に車を停めて記念撮影。



うむう、この格好は山へ山菜を採りに行くみたいだなあ。
まあ、人のいない道を歩くのだからな、これでイイノダ。

駅前の道脇にこんなものがあった。



住宅の模型だった。









なかなか良い出来だ、内部までしっかりと作りこんである。
だが、なぜ屋外に?
大きな模型なので奥さんから「ちょっと! じゃまよどかしてちょうだい。」と言われてしぶしぶ道端に置いたのだが長年の風雨で朽ちてしまった、、、というのがわたしの推測である。
男の趣味は女性には理解されにくいものだよなぁ。

橋を渡り国道106号線に出る。





霧は晴れた、気温も18度まで上昇。
風は無く日焼けの心配もほぼ無い。歩き旅には最適な天候だ。


宮古市方面に向かって国道の脇を閉伊川が流れていて対岸を線路が通っている。



急峻な山と川だけで平地はほとんどない。
現在の国道と鉄道線路はトンネルと橋の連続だ。



トンネルの脇に下の旧道へと降りる階段があった。







遠回りになるけれど旧道を歩くほうが楽しいので階段を下りて旧道へと向かう。





このあたりから山の傾斜が緩やかになり平地も少しずつ現れてくる。





勾配票の数値も9パーミルになった。



畑の中の線路わきにはキロポスト。



自転車のおばあさんとすれ違う。
今日道で見かけた唯一の人間だった。



薪を積んだお宅のを横目に見ながら歩いていく。

発電所脇を通る。







水力発電はエコだけど効率が悪いんだろうなあ。
一年中同じ水量ということはないだろうし、、、今は火力発電、原子力発電に頼らなければ生活できない時代なんだな。
発電所内には吊り橋があった、渡ってみたかったが対岸の施設へ行くためのものなので立ち入り禁止だった。



このお宅にも大量の薪が積んであった。一冬でこれだけの薪を燃やすのだろうか。



いまはちょろちょろと流れている小川だが「土石流危険渓流」の看板がある。






先日の九州では豪雨による氾濫で大勢の死者が出たことでもあるし油断はできない。

進んでいくと道端に石碑があった。





この村で養蚕を始めた吉田市十郎という人の功績を記したものだ。

わたしがこどものころはまだ近所で養蚕が行われていた。
山には蚕の餌となる桑の木が植えられていたものだ。
繭を茹でて生糸を取り出す作業や、蚕に桑の葉を与える作業も普通に見られたものだった。
あのころ(昭和30年頃まで)で養蚕はほぼ終わってしまった。

道の右手を流れる閉伊川の清流。





日本各地にある有名な観光地に引けを取らない美しさだ。

「ああ、あそこに観光用吊り橋を掛けて、こちらには遊歩道を作ってしゃれたカフェを・・・」と夢想する。
でも、やはりこのまま自然を残しておいたほうがよいだろうなあ。

小さな集落が見えてきた。箱石である。



なんとここにも「義経の北行伝説」があったのだ。





さすがはスーパーヒーロー義経である。
実際に義経が生き延びてこの地まで来たということは無いだろうけれど、義経の部下の一人が追われてここまで来たというのはあるんじゃないかな。
「わしは源義経公の・・・」と言いかけたところを村人が「おお、あのおかたが義経様だそうじゃ」などど勘違い。
本人もつい持ち上げられてしまい「うむ、わしが義経じゃ、エヘン」
とかなんとか、ありそうなことである。

司馬遼太郎の小説「義経」に平泉に落ちてきた義経に地元のものが高貴な血が欲しい、都の血が欲しいと娘を差し出すという場面がある。
義経が「わしは種馬か!」と憤慨するのだが、都から遠く離れた地では京へと繋がること、京へのあこがれが強いのだということが分かる場面だ。

そういうことを考えると「義経の・・・」というだけで祭り上げられてしまうこともあるかなと思った次第。







現在の国道106号線開通以前はここも賑やかだったのだろう。
少ないながら商店も旅館もあったのだ。









いまではショーウィンドウだったところに置物が飾られているだけだ。

箱石駅は道路から高い位置にあるので待合室は2階にあたるところにある。一階部分は倉庫のようだ。







利用客はほとんどいないだろうけれど待合室はきれいに清掃されていて窓ガラスもピカピカ。
いままであちらこちらで窓はクモの巣だらけベンチは埃で座れない、というような駅を見てきたのでこのようにきれいな駅を見るとほっとする。





プラットホームには花が植えられていてこの駅は大切にされているのだということが分かる。
ここまで1時間30分歩いた。ベンチに腰掛けて10分の休憩をとる。






JR山田線沿線歩き旅 平津戸駅―>川内駅

2020年07月20日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月14日 平津戸駅 ―> 川内駅 JR営業キロ9.3キロ


平津戸駅前のバス待合室もきれいに清掃されていた。



その先にあった鳥居はなかなか形がよかった。



笠木の部分は天然木をそのまま使っているようで左右で太さが違うのだ。
荒削りな感じだがどっしりとした貫禄が感じられて見ていて気持ちのよい鳥居だった。

これで何台の宮古行きのバスに追い越されただろうか。



現在の106号線もトンネルが多い。



このように歩道があるトンネルだと良いのだが、歩道がないトンネルを歩くのは恐怖である。



車の風圧で体が飛ばされそうになってしまうのだ。

進んでいくと前方で草刈り作業中だった。





これはありがたい。
草刈りをしていないと歩道はこんな状態で、とても歩きにくい。



歩行者はわたしだけなので「いゃー、わたしのために草刈りをしていただいてありがとう」と心でお礼を言いながら通る。

「道の駅 閉伊の郷かわい」に到着。



産直館の前にはディズニーアニメでおなじみの七人の小人の像があった。版権はクリアしているのか?



なんだか唐突な感じだけど子供は喜ぶだろう。

とうとう雨が降り出してきた。
まだ小雨程度だがディパックからパーカーを出して羽織る。
ともかく川内駅までは行こう。

国道から旧道へ降りて橋を渡っていくと駅に到着。









SLが走っていた時代はここで給水をしていたのだろう。



構内はやや広めで今でもプラットホームは2面使っている。





しーんと静かな駅の待合室でひとやすみ。







待合室には「駅ノート」があった。ということは利用者は多いのかな。

雨降りになってしまったので今日はこの駅まで。
ざーざー降りではないが雨の中を歩くのは楽しくないからなあ。

JRで区界駅まで帰りたいが、、、、待ち時間が2時間半もある。
しかたない今日もバスに乗ろう。
雨の中を国道まで歩きバスで区界駅前まで戻る。





今日歩いたのはJR営業キロとほぼ同じ26キロだ。
費用は車のガソリン代を除くとバス運賃の760円だけだ。
なにしろコンビニどころか自動販売機でさえも無いようなところだからなあ。





JR 山田線沿線歩き旅 松草駅ー>平津戸駅

2020年07月19日 | JR 山田線 歩き旅
2020年7月14日 松草駅 ―> 平津戸駅 JR営業キロ8.6キロ

松草駅で10分の休憩をする。
疲れを抑えるためには休憩が必要なのだ。

新しい道路は橋とトンネルで沿岸地区とを結ぶ。
106号線はいたるところで工事が行われていた。





現在の105号線は川沿いに山肌にへばりつくようにして通っている。







名峰早池峰山への登山道の案内板があった。



ここから早池峰山へは意外と近いのだった。

山から流れ落ちる水は澄んでいてそのまま飲めそうなほど。





緑豊かな岩手の山だ。

と、前方を動物が走っている。
鹿にしてはずんぐりとした体形だしタヌキにしてはしっぽがないような、、、
いのししが道路を横断していたのだった。
国道なので交通量が多い、動物が道路を横断するのも命がけだろうな。
野生のいのししを見たのはこれが初めてだ。うーん岩手県は野生動物の王国だなあ。
写真は撮れなかった、残念。

平津戸駅までやってきた。





この駅前も広い。



駅はちょうど51キロ地点。



だが、なぜキロポストの上にさらに51Kと標識を乗っけているんだろうか。



プラットホームには不思議な構造物があった。



テーブルではないだろうし、水飲み場でもなさそうだし。



平津戸駅待合室の壁には「昭和6年10月31日開業 海抜466.26米」の木札がかかっていた。



区界駅から平津戸駅の営業キロは16.6キロだが高低差は278メートルもあるのだ。

時刻は12時ちょうど。待合室で昼食のパンをほおばる。