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東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR花輪線沿線を歩く旅 その8

2016年10月12日 | JR花輪線 歩き旅
2016年10月2日(日曜日)

田山駅ー>兄畑駅 歩いた距離約6.6Km


今年は岩手国体開催の年である。
ここ八幡平市でもテニス、ゴルフなどの競技が行われている。
田山ではライフル射撃の競技が行われていて会場へ向かう車が多数みられた。

田山駅の待合室で10分ほど休んでから歩き出す。

”(株)田山製甲所”という工場があった。



はて製甲とはなんだろう? 帰宅して調べてみると靴の上部分つまり靴の甲の部分を作っているのだそうだ。
革靴はパーツごとに別々な工場が製造しているんだそうだ。

田山の町を過ぎるとまわりは山しかない。



国道だから交通量はそれなりにあるが実に辺鄙なところである。



ところどころで線路と高速道路そして国道が交差したりする。

54キロのキロポストがあった。





やっと人家の見えるところまできた、兄畑地区へ入ったようだ。



兄畑駅前の民家の壁に結婚相談所の看板があった。



「出嫁」と書いてある。聞きなれない言葉だなあ。
帰宅してから出嫁という言葉をGoogleで検索してみると、中国語で嫁に行くこととある。
ネットのWebloo辞書でも中国語としての意味しか出てこない。
日本語ではないのか?
わたしは岩手県で生まれ育ったのだが嫁に行くことを出嫁というとは聞いたことがない。
ここ秋田県では出嫁というのだろうか、それとも業者さんは中国語に堪能な方なのだろうか。

兄畑駅に到着だ。



先ほどの田山駅と同じつくりの駅である。
屋根の勾配が急なのは雪の多い地方だからなのだろう。



さて、できれば次の湯瀬温泉駅まで歩きたいのだが、、、と時刻表を見る。



現在時刻は午後1時40分だ。
湯瀬温泉駅までの距離は4キロとちょっと1時間とちょっとで歩ける距離ではあるが、ここまで4時間半ほど歩いているので疲れてしまっている。
湯瀬温泉駅からの上り列車は午後2時40分発だ。それに乗り遅れると次は午後4時51分発になってしまう。
なんと3時間近くも待つことになるのだ。
10月なので午後5時ともなると薄暗くなるし冷えてくる。
きょうはこの駅までにしよう、無理をしないことだ。



ああ、もう30分早起きして自宅を出れば間に合ったのにと寝坊な自分を恨む。

それでも午後2時40分発の上り列車までここで1時間以上も待たなければならない。
「田舎はのんびりしてていいねえ」と言いたいところだがやはり不便だなあと思う。ここにはバスの便もないのだ、自家用車か鉄道のどちらかになる。

喉が渇いた。持ってきたお茶を田山駅で飲んでしまったのだった。
どこかに自動販売機があるだろうと考えていたのだが、さすがに民家のまったくないところには自動販売機も無かったのだ。

都会でなくとも駅前には自動販売機があるのが一般的だ。
だがこの駅には無かった。100メートルほど離れた国道沿いまで歩いてペットボトルの水を買いゴクゴクと一気に飲んでしまう。



やっと上り列車がやってきた。乗降客はわたしだけ。



車内で車掌さんから切符を購入。



途中の田山駅から国体の関係者と思われる人が乗り込んできた。

横間駅で降りて車で湯瀬温泉に向かう。
歩いて行き、鉄道で戻ってきて、さらにもう一度車で行くという実に無駄なことをしている。趣味でなければこんなことはしないだろうなあ。

湯瀬温泉には”湯瀬ふれあいセンター”という温泉施設がある。



ここで汗を流して着替えてさっぱりしてから帰宅しようというわけである。
受付でお金を払おうとすると「60歳以上ですか?」と聞かれた。
「はい」と答えると「では100円です」

なんと60歳以上だと100円で入浴できるのだという。

中には湯瀬温泉の歴史を紹介する展示もある。



施設はやや古さがあるものの豊富なお湯がザブザブ音を立てて流れていて、快適そのものの温泉だった。
さらにポスターを見ると高齢者にはバスの割引があるし、はり・きゅう・マッサージが1000円で受けられる割引制度もあるのだった。





ここ鹿角市はお年寄りに優しい街なのであった。



初秋の美しい夕焼け空を見ながらの帰宅となった。



JR花輪線沿線を歩く旅 その7

2016年10月11日 | JR花輪線 歩き旅
JR花輪線沿線を歩く旅 続き

手の炎症はだんだん悪くなってきている。
どうやら医者の選択を間違えたようだ。
1年以上も同じ医者に診てもらっていて症状が全く改善しなかったのだ、やはり手の専門医に診てもらうのがよいだろう。
お隣の青森県の弘前市には手の外科クリニックはあるが岩手県には手の外科専門クリニックは無い。
だがインターネットで調べてみると盛岡市に手の外科学会会員の医師がいるではないか。

しかも私が19歳の時に盲腸の手術を受けた病院である。
さっそく病院へ行き診察をしてもらう。

まず看護婦さんによる聞き取りがあった。
今までの病歴や現在受けている治療、薬などについて聞かれた。
薬の記録である”お薬手帳”を見て看護婦が「え、この薬を2年も飲み続けているの!」と驚いている。
私は処方されたステロイド剤をずっと飲み続けていたのだ。
危険な量ではないだろうが飲み続けてはいけない薬だったようだ。

さらに医師も「これだけ検査して薬も飲んで症状が改善しないのなら手術しかないでしょう」と結論が早い。
ばね指は手術すれば治ることは自分自身で体験しているから、私も「手術してください」と答える。
「じゃあ、手術しましょう。明日は都合どうですか」
わたしは迷うことなく「そうして下さい」と返事をした。

という訳であっさりと手術決定。

日帰りの手術だったが、手の甲をLの字型に切ったので6針も縫った。



やはり加齢によるものだろう手術からの回復はさほど思わしくなかった。
それでも2週間ほどすると腫れも引いてきて痛みもすくなくなった。


手が治ったら花輪線沿線を歩く旅を再開したいと思っていた。
10月に入ると北東北の季節は冬に向かって加速していく。
朝夕はフリースのジャケットが必要になってくるほどである。


2016年10月2日(日曜日)

横間駅ー>田山駅 歩いた距離約13.7Km

早起きするつもりだったのに寝過ごしてしまった。

パンとジュースを持って車で横間駅まで向かう。
天候は気持ちの良い快晴で予想最高気温は21度ほどである。



横間駅に着いたのは午前9時ちょうどだった。



駅前(と言っても山の中にポツンとあるプラットホームだけの駅で回りに人家などない)に車を停めてさっそく歩きだす。

この駅から国道へ出るには2キロメートルほど逆行しなければならないが、わたしは駅から駅までを歩くことにこだわっているのだ。

国道282号線へ出て北へと歩く。
ここは貝梨峠がある山道である。鉄道はトンネルで山をくぐるが道路は山を越えるのだ。

熊油販売の看板があった。



熊の油は火傷や肌荒れなどに効くのだそうだ。
岩手、秋田はマタギと呼ばれる猟師がいる。
わたしの実家の隣が漁師から毛皮を買いなめす仕事をしていたっけなぁと、60年以上も昔のことを思い出す。

このあたりは地区名をこのような看板で表している。風情があって好きだな。



少し歩くと「学校の宿、希望の丘」という看板があった。



廃校になった小学校を宿泊施設にしたものだという。
わたしは学校嫌いだったので学校に泊まりたいとは思わない。
それにしても食事のメニューが給食そのままの雰囲気だ。



大人の給食が880円とは少々お高いような気がするなあ、これでビール1本付いてくるなら良いんだが。
給食にビールがついたら楽しいだろうな、とアホなことを考えてしまった。

ぽつぽつと農家がある道を黙々と歩く。



国道なのに思いのほか交通量が少ない、日曜日だからだろうか。







人家が途切れるあたりにポツンとあった庚申塚。周りには栗がたくさん落ちていた。



途中で見かけた観光案内板は汚れて字が読めなくなっていた。



ここが貝梨峠の最高地点になる。標高430メートルだそうだ。





分水嶺公園というのがあってトイレも整備されていて休憩出来るようになっている。



東屋のベンチに腰掛けて10分ほど休憩する。
坂道を登ってきたので汗びっしょりだが、ひんやりとした風が心地よい。

休憩を終えたら歩き出す。ここからはずーっと下り坂だから歩く速度もスピードアップ。



すぐ隣に東北道高速道路がある。線路は左手の山のトンネルを通っているのだ。

畑や農家があるところまで行くと花輪線と交差する地点に差し掛かる。



道路から藁ぶき屋根の農家が見えた。



屋根の一部は朽ち果てている、どうやら人は住んでいないようだ。
自然と一体化してしまったような農家をみてちょっとだけ感傷的になった。
このような藁ぶき屋根の農家はほとんど残っていない。





鹿角市への距離がだんだん少なくなっていく、とうとう30キロメートルを切った。

田山町内へと入っていくと「だんぶり長者跡」の看板があった。



”だんぶり”とはとんぼのことだそうだ。
その近くには「だんぶり茶屋」というのもある。



「たやまはし」を渡ると田山駅はもうすぐだ。



と、ガソリンスタンドの跡があった。



廃業したガソリンスタンドを店舗にして雑貨の販売をしていたらしく、ウィンドウに洗剤やシャンプーが見えている。
その商品もそのままに完全に廃業してしまったものらしい。



ESSOの上にモービル石油を上書きしたようである。
懐かしいというか寂しいというか「ああ、時代の流れなんだな」としみじみ。





田山駅に着いた。



ちいさな待合室と片面プラットホームのこじんまりした駅である。





ここまで約3時間半歩いたことになる。