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東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR釜石線沿線を歩く旅 (23)

2018年05月09日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (23)2018年4月28日(土)

小佐野駅―>釜石駅 JR営業キロ3.7キロ

これは懐かしい改札用の柵。



いまでは珍しいのでは?
駅ではこの柵の中に駅員が立ちきっぷ切用のハサミをカチャカチャさせていたものである。





駅を後にして進んで行くと歩道にこのようなものが。



自転車通学の中学生はこの位置で自転車を降りろ、と書いてある。
何から何までマニュアル化するのは日本人の大きな特徴だろう。
このようにして従順な人間になるよう教育していくわけである。


さらに進むと歩道橋の上に人の動きがある。



近寄ってみるとSL銀河を撮影するために三脚を据えつけカメラを構えている人たちだった。





あと一時間ほどでSLが通過するのだ。
ここはよい撮影ポイントなのだろう一眼レフカメラを持って歩道橋へと向かう人が何人もいた。

わたしも歩きながらSL銀河を撮影出来たらと思ったのだが、このあたりから道路と線路が離れてしまう。

線路のほうへ行くと遠回りになるので3時57分発の列車に間に合わないかもしれない。





そのまま国道を進んで行くと遠くからSLの汽笛が聞こえてきた。



ああ、残念間に合わなかったか。

駅に隣接するシープラザ釜石まで来た。



急ぎ足だがマンホールの写真は撮る。



駅のほうをみるとすでにSLは到着していて乗客も降りた後だった。






駅へと向かう。



帰りの列車の時刻を確認しておく。



駅前をぐるりと回ってみる。
駅前広場にはお決まりの銅像、そしていくつかの記念碑が建っていた。





これは井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」の碑。



ああ、わたしも子供の頃この人形劇に夢中になったっけと感傷にひたる。
60年近く経ったいまでも「ひょっこりひょうたんじ~まぁ~」歌うことができる。
お気に入りは“ドン・ガバチョ”だった。

この“ひょうたん島”のモデルになった島が釜石市の近くにあるのだ。

さらに“製鉄の町”釜石なので当然ながら鉄に関する碑もある。



2019年にはラグビーワールドカップに開催地になっているので開催後はワールドカップに関する碑も造るんじゃないだろうか。

広場のとなりは「サンフィッシュ釜石・橋上市場」である。



その昔は本当に橋の上にあったのだが2003年に移設されたのだ。
釜石へ来ると必ず立ち寄った橋上市場だが、あのうらさびれた雰囲気が好きだった。



いまの時間帯の市場は客の姿は無く静かだった。

道路の向いは新日鉄の工場だ。







2011年の東日本大震災のあと4月にこの工場の前を通ったのだが、道路の瓦礫は片付けられていたものの停電は復旧していなくて交通信号が使えず警官が交通整理をしていたのだった。





海の近くへ行くと瓦礫も打ち上げられた船もまだそのままの惨状だった。







上の5枚は2011年4月の釜石駅前と市内の写真である。

あれから7年も経ってしまったんだなあ。



駅前のポストにはシャケが乗っかていた。



こちらは隣にある三陸鉄道の釜石駅。





さすがラグビーの町だけあって猫もラグビーをするらしい。



出発までの短い時間に駅そばを食べる。





熱い蕎麦をふうふう言いながら食べていると突然汗がどっと噴き出してきた。

釜石市まで行ったのに釜石駅から30メートルの範囲しか見ていない。



記念の写真も撮る。
まあ鉄道沿線を歩くことが目的だったからこれで良いのだけど、他人からみたら変なヒトだろうと思う。

大急ぎで食べ終えてプラットホームへと向かう。



残念ながらSL銀河は車庫に入ってしまって見ることができなかった。





途中の遠野駅では観光の帰りだろう大勢の人が乗り込んできた。
遠野は“日本のふるさと”だから外国人にも人気なのだ。
そういえば前回は遠野駅で台湾?からの家族連れと一緒になったっけなあ。

わたしの向かいには東南アジアからの観光客らしい若い女性が座った。

手にしているのは英語版の時刻表と「ジャパン・レールパス」だった。
来日する外国人用のJR全線乗り放題のきっぷである。
若い女性でもディパックひとつだけで外国を旅できるというのはとてもよいことだ。
いまはスマートフォンでリアルタイムで情報を得られるのでひとり旅でも困ることはないのだろうし、と考えていたら客のほとんどが新花巻駅で降りた。
みんな新幹線で東京方面へと行くのだろうか。


花巻駅で東北本線の盛岡行き列車に乗り換える。



車窓からはきれいな夕焼けが見られた。



きょう歩いた距離は約28キロメートルだ。
仙人峠からは下り坂だったので疲れは少ない、だが逆コースであの急坂を登っていたら疲労困憊していたかもしれないな。


これでJR釜石線90.2キロを歩き終えた。



JR釜石線沿線を歩く旅(完)

JR釜石線沿線を歩く旅 (22)

2018年05月08日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (22) 2018年4月28日(土)

松倉駅-->小佐野駅 JR営業キロ3.3キロ

松倉駅を後にして進む。



時刻は午後1時45分、順調なペースで歩いている。

次は小佐野駅だ。

そしてその次が釜石駅だ、自分にもう少しだがんばれと声をかける。

このあたりから車の通行量が多くなってきた。
「仙人峠道路」を降りた車が途切れなくやってくる。

今日は「大型連休」の初日である。
NHKのニュースでは「ゴールデン・ウィーク」と言わずに大型連休と言っている。
新聞やネットではゴールデン・ウィークだったり大型連休だったりで統一されていないようだ。

仕事をしていたころは連休が楽しみだった。
定年後は混雑する連休を避けて旅が出来るのがうれしい。
連休中は交通機関もホテルも料金が高いのでできるだけ避けるようにしている。

このような歩き旅では連休の混雑は影響はないのだけど。



左手に線路を見ながら歩いていく。

この踏切は白黒のゼブラパターンだが、



こちらはオーソドックスな黄色と黒色。



道路の拡張にともない線路わきに追いやられた道祖神を横目で見ながら通り過ぎる。





ここまで花巻駅から86キロメートル。





小佐野駅に到着。





ここは駅員さんのいる駅だった。



時刻は午後2時25分。



次の釜石駅までは4キロ弱なので3時57分の列車に間に合うはずだ。

JR釜石線沿線を歩く旅 (21)

2018年05月07日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (21) 2018年4月28日(土)

洞泉駅-->松倉駅 JR営業キロ3.6キロ

洞泉駅でも休憩せず国道283号線へと戻る。



もう一度「仙人峠道路」の巨大な橋の下をくぐると「道の駅 釜石仙人峠」が目の前にある。





ここでトイレ休憩だ。



時刻は11時半だがお腹もすいてきたのでディパックからパンを取り出してペットボトルの水で流し込む。

3分で食事が終わってしまった。
すぐに立ち上がり歩き出す。
こんなことしていたら胃にも悪いだろうし足の疲れも取れないのだが根っからせっかちな性分なのだ。

さわやかな快晴で雲は全く無い。

マーフィの法則というやつで「雨具を用意したなら雨は降らない」のである。
ディパックの中の雨具が重くてじゃまだ。
でも雨具を持たずに来たならにわか雨が降ったかもしれないしなあ・・





松倉駅に到着。



国道から140メートルほど山側にある。

マンホールを見つけたので写真を撮る。



絵柄は釜石の民俗芸能「虎舞」だ。

虎舞は江戸時代から伝えられているという。
テレビのニュースなどで豊漁を願って漁船の上で舞う姿を見たことがある。
だがなぜ「虎」なんだろう。
釜石だけでなく日本には虎は生息していない。
江戸時代ということならこの地方の人たちが実際に虎を見たことはなかったのではと思うのだ。
大きく強い動物ということで中国、朝鮮を経て伝わってきたのだろうなあ。
武士の名前にも虎の文字が使われることも多いし。

日本には大型の獣は多くない。
熊が代表的だがニホンオオカミや熊では「絵にならない」ということなのかもしれないな。

松倉駅も無人駅だ。






駅前には有料駐車場もある。



なんと一か月3000円という破格の安さ。
だが利用者はいるのだろうかと駅前のがらーんとした広場を見て考えてしまうのだった。








JR釜石線沿線を歩く旅 (20)

2018年05月06日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (20)

2018年4月28日(土)

陸中大橋駅―>洞泉駅 JR営業キロ5.9キロ

写真を撮ったら駅を背にして歩き出す。

道のわきの空き地でさきほどの高校生が休んでいた。
ここからあの坂を5キロメートルも走って登って降りてくるのだろう、スゴイなあ。


と、右手の山の上のほうから列車の音が聞こえてきた。
列車はトンネルに入るので音はいったん消える。
列車はオメガループのトンネルの中を走っているのだ。

しばらくすると今度は左後方から走行音が聞こえてきた。
トンネル内を回って反対側へとでてきたのだ。

列車は陸中大橋駅を発車して釜石駅へと向かう。
下り坂だからカタンカタンと軽快な響きである。





釜石まで16キロの表示が見えた。



時刻は11時15分。

出来るなら午後3時57分釜石駅発の列車で帰宅したい。
その次の列車だと盛岡駅には午後8時38分着になってしまう。



道の右手を流れているのは甲子川である。



「仙人秘水」にも使われるほどだから美しく澄んでいる。



緩い下り坂が延々と続く。
この時期は花がいっせいに咲く。



ながい北国の冬はやっと終わったのだ。

道の反対側になにやら店の看板が見えた。



「軽食喫茶 セッシボン」と書いてある。



おお!懐かしい。
イブ・モンタンの歌で有名なシャンソン「セシボン」ではないか。

トタン屋根のプレハブ小屋に見えるがフランスの雰囲気がよく出ている?
確かレコードジャケットのタイトルはセシボンだったはずだが「セッシボン」と、フランス語の発音に近づけたところをみるとオーナーはフランス語に堪能な方ではないだろうか。

などなど、独り言を言いながら進んで行くと前方に巨大な橋が見えてきた。





「仙人峠道路」である。



見上げると車が途切れることなく走っている。

それにひきかえ同じ国道283号線だが旧道のほうには自動車も歩行者もいない。



まあ歩きやすくてよいのは確かだが。

洞泉駅の案内が見えてきた。





洞泉駅へはこの道幅の狭い坂を登っていく。





なぜか無駄に広い洞泉駅前広場。



いまは無人駅だが以前は駅には駅員がいるのが当然のことだったので宿舎や倉庫などもあったのだろう。







ここでも駅の写真を撮っただけで国道へと戻る。


JR釜石線沿線を歩く旅 (19)

2018年05月05日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (19)

2018年4月28日(土)

足ヶ瀬駅―>陸中大橋駅 JR営業キロ12.5キロ


朝4時に起きて盛岡駅へと向かう。
まだ肌にピリッと来るような冷たい風が吹いている。
雲ひとつない快晴である。そのため最低気温は5度と冷え込んだのだ。



天気予報では今日も明日も快晴とのことだ。

だが、疑り深いわたしはディパックに雨具をしのばせておく。
大館駅まで歩いたときに雨に降られてしまった経験があるので不必要なほど警戒してしまうのだ。

さて歩くルートだが、
前回の歩き旅では「上有住駅」まで行ったがそこから県道167号線で箱根峠を通る道と、ひとつ前の「足ヶ瀬駅」から釜石街道、国道283号線を通るルートがある。

県道167号線を通ると次の駅「陸中大橋駅」に立ち寄るにはいったん逆行することになるし釜石線のオメガループを見られない。
歩くルートは国道283号線に決めた。


駅の券売機で「いわてホリデーパス」を買う。



盛岡駅から釜石駅までの片道運賃は2270円なのでおおよそ半額のお得なキップなのだ。

大型連休の初日ということだがローカル列車の始発なので車内は空いている。





自宅から持ってきたパンと缶コーヒーで朝食にする。
釜石市内へ入るまでコンビニなど商店も食堂もないので昼食用のパンも持ってきている。


列車は花巻駅で進行方向を変えて遠野方面へと向かう。

8時25分「足ヶ瀬駅」で下車する。





この駅で降りるのは私ひとりだけ、列車が行ってしまうと周りはしーんと静まりかえる。





周りには民家があるがまるで無人の町のような静けさである。



さっそく歩き出す。

少し行くと「仙人ギンナンロード」と書かれた柱が立っていた。



この道には銀杏の木を植樹しているのだろうか。

右手に早瀬川を見ながら進んで行く。



ダムがある、濃い緑色の水が神秘的だ。





連休だというのにたまに車が通る程度で交通量は少ない。
みんな新しい「仙人峠道路」を通るのだ。

ゆるい坂道を登っていくと「釜石まで26キロ」の標識があった。





さらに進むと「あと25キロ」、さらに進むと「あと24キロ」



もしかしたら1キロごとにボードがあるのかなと思ったがこの3枚だけだった。
3枚作ったところで予算が尽きたのかもしれないなあ。

牧草地の入り口をみるとこのようなものが、





「土入駐車禁ズ」とあるのだが、うーんこれは「立」と「土」の書き間違えではないだろうか。
「土足禁止」ではないだろうし、この土地に土を持ち込む人がいるとは思えないし・・と疑問は解決させないまま先へと進む。


1時間歩いて「仙人隧道」まで来た。



日差しはあるが弱い風があるのでほとんど汗をかかなかった。

いまは「トンネル」と表記するのが一般的だが昔は「隧道」と言っていた。



鉄道のトンネルも「隧道」だった、若い人には馴染みのない言葉だろうな。

長さ2500メートルのトンネル内は狭くて歩道は無い、大型車がやっとすれ違える大きさである。



車が来るたびにわたしは壁に張り付くようにして避けなければならなかった。

中ほどに釜石市と遠野市の中間地点がある。



トンネルを抜けると釜石市である。





駐車できるスペースがありベンチもある。



桜が満開なのでベンチで一休みする。





みると日陰部分にはまだ雪が残っていた。



石のテーブルに仙人峠付近の絵図がある。



かすれてしまって読み取れない部分はあるが見ても意味不明なところがある。

左部分の「遠野市250m」「釜石市5m」はなんだろう。



その下に「遠野41.0km」ともあるしなあ。
どこかに説明があるのかと探したが見つからない。謎だ。



軽自動車が来て女性が降りてきた。
だれかを待っているような様子である。

しばらくすると高校生くらいの子が4人走って来た。



どうやら車で来たのは高校の先生で、走って来たのはトレーニング中の生徒だろう。
背中に「なぎなた」の文字が読めたから高校のなぎなた部だろうと推察した。

帰宅後Googleで調べると釜石商業高校になぎなた部がある。

彼女たちはこの坂を走って登ってきたのだろう。





写真でもわかるように急坂である、交通標識にも「急勾配あと5000M」とあるのだ。



ということは彼女たちはこの坂を5キロも走ってきたのか。



歩いて登るだけでも大変なのに走って来るとは、、、若さだなあ。と、感心しながら歩き出す。
下り坂だからラクなはずだが老人の足には負担だ。膝がガクガクしてくる。



しばらく進むと彼女たちに追いこされてしまった。



坂の途中から下の道を見る、道路は崖に張り付くようにあるのだ。



「仙人秘水」というミネラルウォーターの看板があった。



岩手県では有名な美味い水である。この奥に工場があるらしい。



道路がループになっている部分の橋を渡る。



坂の途中に「緊急退避所」がある。





急な下り坂でブレーキが利かなくなったらここへ突っ込むのである。
でもブレーキが利かない状態でうまくあそこへ入れるものだろうか、だれか実際に試してくれないかな。

気温は16度で弱い風があるので汗をかかずに済むのはうれしい。



短い「中山隧道」を抜けると正面にダムのようなものが見えた。







GoogleEarthで見ても何かはよくわからない、砂防ダムなのだろうか?




道路の向かい側には要塞のようなものが見える。





ブレードランナーのようなSF映画の一場面に使えそうな雰囲気である。



ここは旧釜石鉱山のあったところで、あれは選鉱場の跡だそうだ。





その上部分には線路があったと思われる痕跡も見えている。



坂を下っていくと川向うに駅が見えてきた。陸中大橋駅である。

人の姿のない道を駅へと歩く。



この駅も「秘境駅」と呼ばれるのだろうか。









鉱山が閉鎖されてから周辺はゴーストタウンと化してしまったからなあ。
岩手県の山間部の駅はほとんどがテレビの旅番組で放送される「秘境駅」の範疇に入ってしまうだろうな。
駅名票にエスペラント語で「鉱石」と表記されているのが郷愁を誘う。


おやトンネルが2つある。





右側のトンネルは使われていないようだ。



このときは「右側のトンネルは鉱山鉄道で使っていたものだろう」と想像していたのだが、帰宅してインターネットで見ると廃線探索をしている人のページにトンネルはすぐ行き止まりになっているとあった。
いったい何のためにあのようなものを造ったのだろうか。

駅前にはインフォメーションセンターがあるが閉まっていた。





そのほか宮沢賢治の詩碑などもある。



桜が風に揺れるだけの音のない駅であった。


JR釜石線沿線歩き旅 続き

2018年05月04日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
2018年4月28日(土)

JR釜石線沿線歩き旅 続き


昨年の暮れに突然右肩が痛み出した。

寝ていると夜中に右肩の関節部分に強い痛みが走るのだ。

痛みはしばらくすると治まるのだが、時間をおいてなんども痛みが来るのでよく眠れない。
日中も痛みがあるが就寝中に痛みで目が覚めるというのは本当につらい。
インターネットで調べてみると「五十肩」の症状のようである。

原因は不明なのだが半年から一年ほどで回復するものらしい。
だがネットの情報だけで勝手に判断してしまうのは危険である。

わたしは40年近くも手、指の炎症に悩まされてきている。
「ばね指」の手術は両手で5回も受けているのだ。
現在でも両手のばね指の症状は小指以外のすべての指にあるのでペンチなど強く握ることができない。
右手は手根管症候群の症状で一時期は右手がほとんど使えない程に悪化したこともある。

やはり医者に見てもらおうと一昨年ばね指の手術を受けた病院へと行った。

レントゲン写真で見ると「右肩の骨の一部が盛り上がっているところがあり、これが別の骨と当たって痛みがくるのだろう」との診断だった。

もしかして手術かと思ったが「五十肩ですね、痛み止めとシップを出しましょう」とのこと。

それから3か月。

まだ痛みはあるが重いものを持ったり負担をかけなければなんとか我慢出るところまで回復してきた。

そんなこともあり冬の間はほとんどウォーキングもしないまま過ごしていたのだが、暖かくなると歩きたくなる。

4月の中頃は寒い日が続き、いったん仕舞った石油ストーブをまた出したりした。



【↑ 盛岡市の中央公園の桜】

やっと連休前に桜も満開になり歩くには最適なシーズンの到来である。




【↑ 盛岡市の国立病院機構盛岡病院の桜】


昨年はJR釜石線の上有住駅まで進んだ。

今回は目的の駅である釜石駅まで歩こうと計画する。


JR釜石線沿線歩き旅(18)

2017年08月31日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(18)

足ヶ瀬駅ー>上有住駅 JR営業キロ4.5Km(実際に歩いた距離21Km) 2017年8月27日(日)

7月の末までは夏らしい天候だったが、台風5号が通り過ぎたとたんに天気が悪くなり気温が急激に下がった。
なんと8月8日に気象台から「低温注意情報」が出たのだった。
その後8月は月末まで毎日どんよりと曇ったり雨が降ったりで、まるで梅雨の時期のような天気が続いた。
日照時間が少ないのは東京も同じだったようだが、宮城県仙台市では観測史上最長の36日連続雨降りだった。
農作物への被害が心配だなあ。


さて前回は足ヶ瀬駅まで歩いた。
次の駅は上有住駅だ。
JRの営業キロではたったの4.5キロメートルである、普通に歩けば1時間ほどで行けるのだが・・・

この区間は歩ける道路がないのだ。
この区間は急峻な山で遮断されている。
鉄道は足ヶ瀬駅からすぐにトンネルへ入り、上有住駅までトンネルと鉄橋で繋いでいる。
自動車なら新しくできた「仙人峠自動車道路」を通ればトンネルを抜けると上有住駅の前へと行ける。
だがこの道路は自動車専用道路だから歩行者も自転車も通行できないのだ。

足ヶ瀬駅から上有住駅まで歩いて行こうなどど考える酔狂な人間はまずいないので、歩行者のことはまったく考慮されていないのである。

仕方がないので大きく迂回して国道340号線を通り、住田町上有住の町を抜けて県道167号線を通って上有住駅まで行くことにした。
迂回する距離は約21キロメートルである。
たった一駅、4.5キロのところをこんなにも迂回することになろうとは思わなかった。
なんと不便なところに駅を造ったのだろうか。

今日も「いわてホリデーパス」を使用する。
盛岡発の始発列車午前6時1分発に乗るので早起きしバイクで駅へと向かう。
早朝はまだ薄暗く肌寒い。

始発の列車だというのに乗客が多い。みんなランニングをするような恰好をしてい。





今日は「遠野じんぎすかんマラソン」の開催日だったのだ。
花巻駅からさらに乗客が乗り込んできて立つ人もでるほどになった。





マラソン参加者は遠野駅で降りたので車内はがら空きになった。



平倉駅で下車をする。



この駅で降りるのはわたし一人だけ、車掌さんも「なぜ、この駅で降りる?」と怪訝な表情(だったかも)

なんど見ても小屋にしか見えない片倉駅を後にして歩き出す。



雲ひとつない青空なので日焼け止めクリームを腕や顔になすりつける。



空気は乾燥しているし心地よい風があるので歩いていても汗だくにならずに済むのはうれしい。
今日はユニクロのドライEXというウェアを着ている。
汗をかいてもべとつかずに済むのでとても快適だ。

歩くコース上にはコンビニどころか商店らしいものは無いので、ペットボトルの水3本、クッキーや昼食用のパンなどとともに雨具まで持ってきた。
今年の春に花輪線沿線を歩いたとき天気予報が外れて雨になってしまったことがあったので念のためである。
心配性のわたしはどうしても荷物デブになってしまうのだ。

少し行くと酒造会社があった。





いまは営業していないようだ、玄関わきには手押しの井戸ポンプがあった。



わたしが子供のころはまだ水道が普及していなくてこのような井戸ポンプを使っていたのだ。

国道340号線に出る。奥に赤羽根トンネルが見えている。



赤羽根トンネルは長さが2キロメートルほどあるが狭いながら歩道もあるので歩きやすい。





トンネルの中間地点からしばらく行くと住田町と遠野市の境の標識があった。





トンネルを抜けると長い下り坂になる、歩道はないが自動車の通行がさほど多くないので快調に歩く。



と、道の反対側に人がいた。どうやら落ちているゴミを回収しているようだ。
たった一人だけだし近くには民家なども無いので、もしかすると資源になる空き缶やペットボトルを集めているのかもしれない。



歩き旅をしていると道にビールの空き缶がかなりあるのに気づく。



自宅で飲んだビールの空き缶をわざわざ捨てに来たとは思えない、やはり運転しながら飲んでいるんだろうなあ。
どんなに注意しても罰則を強化しても飲酒運転は無くならない、困ったものである。

山深い土地だから神社への階段も急である。



旧国道340号線赤羽根峠道路の住田町側入口まで来た。



この旧国道は急勾配、急カーブで道幅が狭く冬季は通行不能とのことだ。
トンネルが開通するまでは別の道を迂回するしかなかったんだろうな。

ぽつぽつと農家がある地区まで来た。バスは大船渡市と盛岡市間が1日3便ある。





山に囲まれた土地ではあるが大きな農家が多い。
文字もかすれてしまったストーンヘンジ(笑)



農地を開拓していくときに出てくる石を集めて墓石にしたり、庚申塔にしたりということなんだろうか。





坂本川を渡る。見ると川辺に釣り人の姿があった。



数か所で見かけた「一万歩歩こう」の看板。
○○さん宅を右に折れて△△さん宅を左に曲がってと書いてあるのが面白い。



スーパーやコンビニなど目印にちょうど良いのがないから個人宅を目印にしているのだった。

「滝観洞まで13Km」の案内があった。



今日の目的地「上有住駅」はこの滝観洞のすぐ近くにある。
滝観洞は洞窟の中に滝がある有名な観光地なので高速道路のインターチェンジも鉄道の駅もあるのだ。
わたしはかなり以前に行ったことがある。
もう50年近くも前のことで車で行ったのだが、たしかあの赤羽根峠を通ったはずだ。
当時は道路も舗装されておらずものすごい土埃の道だった。



その時代に比べたら道路は舗装されているしトンネルはあるし良い時代になったものだ。

と、ここにも釣り人の姿があった。川の水は澄んでいてとても涼しげだ。



たまにしか車が通らないのでディパックからパンを取り出して歩きながら食べる。



「アリスパーク」というのがあった。その下には「アンルス」の案内もある。



ネットで検索したらアリスパークは川辺の公園でアンルスは介護保険事業者の名称だった。
名前から「不思議の国のアリス」を想像して行ってみたならさぞがっかりするだろうな。

歩いていると異様な臭いがしてきた。
うぇっ、この臭いはもしかして・・・

道路わきに大きな鹿の死骸があった。



角が見えているから日本鹿の成獣のようだ。
おそらく自動車にはねられたのだろう。数日経っているらしくすごい臭いである。
急いでその場を立ち去る。

歩き旅をしていると野生動物の死骸を見かけることもある。野生動物にとって自動車は天敵だろうな。

ここも山の中腹に神社があった。



平地は田んぼや畑にしたいし山そのものがご神体ということもあるから神社やお墓は山に作るのだ。

「ソロの木」と書かれたボードがある。



ソロとはなんだろう? 地元の民話とかに出てくる名前かな?
帰宅後調べてみると「ソロの木」という名の木があるのだった。
”植木ペディア”というページでみるとソロの木はアカシデという木の別名らしいのだが樹木に興味のないわたしにはさっぱりわからない。

さらに進んで「鏡石せせらぎ公園」の前を通る。



時間があればあの渓流に足を入れて涼みたいところだが先を急がねば。

前方に歩いている人たちの姿が見えた。



ヘルメットを持っているし、川の中へ入っていったところを見ると渓流を歩いたりして楽しんでいるグループのようである。


「さいかちの木」があった。



わたしの子供のころはサイカチのさやを石鹸の代用として使っていた。
石鹸は明治の初めころには日本でも使われていたそうだが、それ以前はこのサイカチのさやの部分を石鹸代わりに使っていたのだ。
昭和20年代のわたしが育った田舎でも石鹸はあったはずだが、たぶん当時はまだ石鹸は高かったのでサイカチも使っていたんだろうなあ。

サイカチは濡らして揉むと泡が出るのだが現在の石鹸とは違うぬるぬるした感触だったと記憶している。

「寒倉」という地名があった。「さむくら」ではなく「さぶくら」と読むのがいかにも寒い土地なんだと思わせてくれる。



その先には「金の倉」という縁起の良いところもある。







このあたりの畑はこのようにネットで囲まれている。



これは日本鹿の食害を防ぐためだろう。
山の麓から畑を囲むように延々とネットがめぐらしてあるのだ。
ここは五葉山の麓なのだが、五葉山には日本鹿が生息していて近年生息数が増えているのだそうだ。
農作物を食い荒らす被害も多いという。


それでこのようにネットを張って作物を守っているのだろう。





この山裾にも濃い緑に映える真っ赤な鳥居が見えている。



おやここも実に急な階段の上に神社がある。登っていくのは大変そうだなあ。



やっと自動車道の上有住インターチェンジが見えてきた。



現在時刻は12時16分だ。

急がねば・・・上有住駅発の上り列車の時刻は12時37分なのだ。
もし乗り遅れると次の列車は午後4時30分発になってしまう。
なんと4時間の待ち時間になってしまうのだ。
駅までの距離は2キロメートルある。
ゆっくり歩いていては間に合わない、今日も疲れた脚にムチ打つようにして急ぎ足で進む。
とたんに汗が噴き出してくるが拭う余裕もない。



心臓をバクバクさせながら駅への入り口にたどり着いた。



もちろん滝観洞を見学する余裕などない。

むこうから滝観洞の見学を終えた家族連れがやってきた、わたしは歩きながら写真を撮る。



駅へは緩い坂を上って行くのでこれもしんどい。
この右上が駅のプラットホームである。



ふう、5分前に到着だ。なんとか間に合った。



疲れてはいたが15分で2キロ歩いたのだ。





ディパックからタオルを出して汗だくの体を拭く、まだ息がゼイゼイいってる。



上り列車がやってきた。



今日は約21キロを4時間で歩いた、しかも全く休憩なしである。
年寄なんだから無理しないぞと決めていても列車の時刻との関係で急がなくてはならない状況だった。まあ、間に合ったからよかったけど。

さてSLの撮影である。

わたしの乗った列車は遠野駅で「SL銀河」を追い抜いてしまう。
前回「足ヶ瀬駅」まで歩いた時に確かめてあるのだ。

そこで遠野駅の先の土沢駅で下車して「SL銀河」を待ち伏せして撮影することにする。
乗り降り自由の「いわてホリデーパス」だから余分な費用はかからないのも良い。

土沢駅ではSLが来るまで1時間ほどの待ち時間がある。
この待ち時間を利用して昼食にする。
入ったのは「食堂まつば」だ。



ラーメンが450円とリーズナブルなのは嬉しい、最近流行りのラーメン専門店の味ではないが味もなかなかイケるのだった。



さて「そろそろ時間だ」と駅のほうへ行くとすでに良いポジションにはカメラマンが三脚をセットしていた。



スマホで写真を撮ろうという家族連れも大勢いてわたしは良いポイントを確保できなかった。
うーむ、のんびりラーメンを食べていたのが失敗だったのか。



土沢駅を発車するSL銀河は「今日はいつもよりたくさん煙を出しておりまぁーす」とばかりに、もくもくと黒煙を噴き上げる。



SLしか走っていなかった時代には、あの煙が迷惑でしょうがなかったのだが、まさか黒煙が格好良く見える時代がこようとは思ってもみなかった。



目の前を通り過ぎるSL銀河。





見ると車窓から男の子が体を乗り出して手を振っている、おいおいそんなに外へ出ると危ないぞー。



SLが行ってしまったら大勢いたカメラマンが一瞬でどこかへ消えてしまった。

わたしはカメラをしまってから、徒歩10分ほどの東和温泉へと向かう。
今日はディパックに着替えと洗面用具を入れてきたのだ。



温泉で汗を流してさっぱりとして着替えも済ませ、夕方の涼しくなった道を土沢駅まで戻り花巻方面への列車を待つ。

ああ、今日は天気も良かったしSLの撮影も温泉にも入って充実した一日だったなあ。

ところがである。

なんと花巻行きの列車が満員だったのだ。
運悪く遠野のマラソン大会に参加した人たちの帰りの列車に乗り合わせることになってしまったのだ。
車内はまるで通勤電車並みの混雑でぎゅうぎゅう詰め、しかもみんな汗臭い。
汗臭さとよどんだ湿気が車内に充満していたのだった。
ああ、せっかく温泉でさっぱりしたのにこれでは・・・・

結局自宅に帰ってからもう一度シャワーで汗臭さを流すハメになってしまった。


JR釜石線沿線歩き旅(17)

2017年08月11日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
平倉駅ー>足ヶ瀬駅 4.6 Km 2017年08月03日(木)


今日のSL銀河の運転は釜石駅方面からである。
時刻表で見るとこの付近を通過するのは12時過ぎだろう。
まだ時間はある、隣の足ヶ瀬駅まで行きSL銀河の撮影をしようと思う。

平倉駅をあとにして歩き出す。



このあたりもりっぱな造りの農家が多い。
養蜂箱を置いている農家があった。



壁にミツバチの絵があるのでわたしにも養蜂をしているのだとわかるのだ。





跨線橋にはなぜかこんなものが。



ツボのに違いないが、はてなぜこんなものが?
ここが壺など陶芸が盛んなところだとは思えないし、説明板もなかったのでわからない。





その先に庚申塔があった。



なかに小さな塔があって「猫佛」と読める。





猫の供養のために建てたのだろうか、それとも猫の祟りを鎮めるためかな。

さらにその先にも庚申塔があった。





地区で競って庚申塔を建てているんじゃないかと思ったほどだ。
遠野だから馬の神様「馬頭観音」の石塔もある。

線路沿いの道を進む。







さらに日差しが強くなってきて歩くのがしんどい。

舗装されていない農道を行く。



赤とんぼを見かけた。まだお盆前だがトンボを見ると秋を感じてしまう。







放牧地を進んでいき国道へと出る。







交通量が異様に少ない。
宅配業者のトラックと郵便配達のバイクが通ったが一般の車はめったに見かけない。

この国道283号線は釜石街道とも呼ばれ釜石方面への主要なルートだった。
わたしも以前は車で何度も通った道だ。
だが今では同じ283号線ではあるが「仙人峠自動車専用道路」が完成したので車はそちらを通るのだ。

薄情なもので便利で快適な道路ができればみんなそっちを通るのだ。
わたしは旧国道に同情してしまうのであった。

「日出神社」と言うのがあった。


ここも源義経伝説の地である。
義経の娘である日出姫がこの地で亡くなったのだという。



足ヶ瀬駅を目指して歩く。



国道沿いに小さなお社があった。





鳥居は鉄骨造りのようでしめ縄がしっかりと括り付けてあるのが印象的だ。



そこから少し行くと足ヶ瀬駅への入り口である。



この駅舎はやや大きめだった。





半分が乗客の待合室と通路で残りの部分は保線作業員の休憩所になっているようだ。







線路わきにはすでに撮り鉄の方が三脚をセットして撮影の用意をしていた。

わたしは邪魔にならないようにプラットホームの反対側へと移動する。



5分ほどすると汽笛が聞こえた。



SL銀河がゆっくりとやってきた。



わたしは知らなかったのだがSL銀河はこの駅で停車するのだった。



停車中の機関車の写真も撮影する。



10分ほども停車していただろうか「ボーッ」と汽笛を鳴らして発車していく。





山の中の単線には蒸気機関車がよく似合う。







なんといっても架線が無いのが良い。あれはSL撮影には目障りなのだ。
都会のビルの間を走る蒸気機関車ほど場違いなものはないとわたしは思っている。

プラットホーム脇にはSLの停車位置を示す標識があった。



今日の歩き旅はこの駅までである。

遠野駅から歩いた距離はJR営業キロで15.2キロメートルだし現在の時刻は12時半である。
隣の上有住駅まではJRの営業キロで4.2キロメートルなのだから歩ける距離に思えるのだが実際は大きく迂回しなければ”歩いて”行けないのである。

そのため今日はこの駅までとして12時43分発の列車でいったん遠野駅まで行き、列車を乗り換えて釜石駅まで行き、さらにとんぼ返りで盛岡行きの快速に乗って帰宅しようという計画だ。

なぜこんなことをするかというと「いわてホリデーパス」を目いっぱい使おうということなのだ。
一日乗り放題のきっぷをフル活用しようというワケである。

遠野駅へ着くとSL銀河の機関車が切り離されて水の補給をしているところだった。



いまは給水塔からではなく消火栓から給水するようである。



各駅停車がSL銀河に追いついてしまい、さらに追い越してしまうのだ。
SLの撮影をメインにするならこの各駅停車で花巻駅方面へ行くのがよいだろう。

写真を撮ってから釜石行きの快速に乗り込む。



釜石駅に着いたら隣のプラットホームに停まっている盛岡行きに乗る。

わたしは乗り物大好き人間なのでこうして一日中乗っていても飽きるということが無い。
SLの撮影もできたし充実した一日であった。



JR釜石線沿線歩き旅(16)

2017年08月10日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (16)

岩手上郷ー>平倉 2.8 Km 2017年08月03日(木)

ときおり車は通るものの人の姿はない。





踏切から岩手上郷駅を振り返ってみる。



ここから太平洋までは約50キロある。



日差しが強くなってきたが風があるのでなんとか我慢できる暑さだ。

バス停があったので時刻表を見ると1日に2本の運行しかないのだった。



バス会社としては路線を廃止したいのがホンネだろうな。





早瀬川を渡る。水量は多くないが水は澄んでいる。





踏切を渡ったところに石碑の団地があった。







庚申塔などを一か所にまとめてしまったように見える。
その端っこに「朝日巫女」と書かれた塔があった。



文字が丸ゴチック体というのがチト現代的?
「朝日巫女」に関しての知識が無かったので帰宅後に調べてみると、神の導きで巫女になった女性が吉凶を占ったり洪水の時に川の流れを変えて村人を救ったりしたのだという。

そこを少し行くと「仙人峠道路」と交差する地点になる。
ここには「源義経北行きコース」の案内ボードがあった。



平泉で”死ななかった”義経が北方に逃れたという伝説の道なのである。
時代のヒーローはなかなか死なせてもらえないのだ。
実は義経は平泉では生き残り北へのがれて最後にはジンギスカンになったという伝説だが、いつまでも義経は庶民にとってのあこがれなのである。



さてそろそろ平倉駅だがと探していると、農家の物置小屋に見えたのが平倉駅であった。





駅舎に入ろうと戸を開けると蜘蛛の巣に引っかかってしまった。
夜中まで明かりの点いている駅舎は虫が寄ってくるのだ。




この駅舎、どうみても物置小屋である、もしかして中に農機具が仕舞ってあるんじゃないかと思ったほどだ。









時刻は10時40分。この駅で20分の休憩を取ることにする。



JR釜石線沿線歩き旅(15)

2017年08月09日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (15)

青笹駅ー>岩手上郷 3.5 Km 2017年08月03日(木)


釜石街道に出ないで線路わきの細い道を行く。



さっきまでうす曇りだったが晴れて来た。



バックパックから日焼け止めクリームを取り出して腕や首、顔になすりつける。
汗をかけば流れてしまうだろうがなにもしないよりはましだろう。

しばらく歩き国道へと戻る。





線路の向こうに放牧された牛が見えた。



ここでは牧畜も盛んなのであちらこちらで牛を見かけた。



濃い緑の田んぼと青い空。よい風景だ。



赤川橋の付近では気温が24度に上昇していた。







赤川橋を渡ったところから駒形神社が見えている。



その神社前には馬の石像も見える。足場が組まれているから工事中のようである。



テレビの旅番組なら「おや? あそこに馬の石像が見えますよ、行ってみましょうか」
とリポーター役の人が発見して近くに行くと、”偶然”に地元の有志の方が作業をしている場面になるところだ。
わたしの歩き旅は「駅から次の駅へ」と歩くだけなので名所旧跡も立ち寄らない。
花巻駅からここまで歩いてきたけれどきっぷや飲み物は自動販売機で買ったし、誰かと会話するということも無かった。
そもそも人気のない道を選んで歩いているようなものだから他人と話す機会などありゃしないのだ。


岩手上郷駅方面へと国道を左に折れて入っていくと神社があった。





その前の側溝を澄んだ水が流れていた。



昔はこの小川の水で炊事洗濯などしたのだろう、庭から水辺へ降りていけるようになっている。







文字がかすれて読めなくなっている踏切。



おや、この踏切は黒と黄色の縞模様だ。
別のところでみた灰色と白の縞模様は最近のバージョンなのだろうか。

人も車もいない駅前の通りを進んでいくと、



岩手上郷駅に到着だ。





しーんと静かなところだった。







ここでも写真を撮っただけで次の駅へと進む。