東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

郡山市から帰宅 

2013年08月13日 | その他の 歩き旅


203年6月14日

福島駅から野崎駅までの歩き旅を終えた。

その先まで歩けばよいのだが今日は快晴でかなり暑くなるとの天気予報だ。

だから歩き旅はやめにして、一日かけてゆっくりと盛岡市まで帰ることにした。

連日早起きをして歩き旅に出かけた基点となったホテルを10時前にチェックアウトした。

空を見ると、雲はあるものの夏の日差し。



少し歩いただけで汗が出てくる。歩き旅に行かなくて良かった、行ってたら熱中症になったかもしれない。

朝食がまだなのでお馴染みの”なか卯”へと向かう。

と、向こうからショッキングオレンジのワンピースの女性が歩いてきた。

遠くからでもかなり目立つ。



なかなかの美人さんでスタイルも良い。

わたしは女性の歩き方に注目する。どんなにスタイルがよくてもファッションが最新でも歩き方が悪ければ台無しでである。

この女性は背筋が伸びて歩き方も素敵であった。なるほどこれなら蛍光オレンジのドレスでも似合うわけだな。



ここ”なか卯”がいつもの朝食場所。安い、早い、美味いなので文句なしの店だ。
今朝も280円の朝定食である。

郡山駅から普通列車で福島駅へと向かう。

特に福島に用事があるわけではないが立ち寄ることにするのだ。

車窓にはいかにも夏らしい風景が広がる。



福島駅に到着。またしても駅の写真を撮る。

ここには「福島駅」の看板が3枚も写っている。分かりやすいというかしつこいというか。



福島市もぎんぎんの夏空だった。



歩道にくっきりと影が、、、いかにも暑そうな風景。



置賜町のバス停。まだ駅から200メートルも歩いていないのだが、暑さで歩くのがイヤになってきた。



駅方面へ戻る途中にあったドトールでひと休み。

エアコンが効いていて涼しいので一時間近くも長居をしてしまった。



駅前の温度計は32.5度を指している。時刻はまだ12時である、まだまだ気温が上がるだろう。



阿武隈急行線、飯坂線の乗り場を見にいってみた。



高校生が帰宅するところのようだった。



もういちど温度計を見に行くと、気温は33.1度に上がっていた。



そしてとうとう33.7度にまで上昇!

「こりゃ、たまらんなあ」というわけで福島を脱出して仙台へと向かうことにした。



帰りのきっぷは黒磯から乗車の予定だったが、黒磯ー郡山間は無駄になってしまった。



駅のホームにはあじさいが涼しさを演出しようとがんばっているが、、、



仙台行きの快速列車に乗り込む。



仙台駅に到着。すこしだけ北上しただけなのに涼しく感じる。



ピカチューがホームでお出迎えしている。なにかイベントでもあるのだろうか。



仙台駅東口にある「太陽光発電システム」のパネルを見ると、、、ただいまの気温は24.5度の表示になっている。



空は福島と同じように晴れているのだが、たった60キロほど北上しただけで気温が10度も下がるとは?

表示の間違いではないかと思ったほどだ。


昼食の時間なので仙台駅の隣にある「半田屋」に入る。



味噌ラーメンが260円とめちゃくちゃ安い。

安いから味が悪いということも無いので少しでも出費を抑えたいわたしのお気に入りの店だ。



リーズナブルなんだからセルフサービスは当然だ。

仙台駅東口の「ヨドバシカメラ」をじっくり見て回ったり、仙台からの帰りに小牛田駅で接続列車を間違えて乗り遅れたりとアクシデント?があったので盛岡駅に着いたのは午後9時だった。





郡山市のちょこっと散歩

2013年08月11日 | その他の 歩き旅

今回の歩き旅のベースキャンプ?にしていた郡山市では駅とホテルの間を往復するだけだった。

朝は起きたらシャワーしてそのまま駅へ直行していたし、

歩く旅を終えたその日の夕方は駅からホテルへまっすぐに戻っていた。

せっかく郡山市に来たのだからちょっとだけでも散歩してみようと考えて、

最終日にホテルのすぐ近くにある「安積国造神社」へと行ってみた。



神社の境内にはお札を下げておくところがあるのだが。

願い事が書いてあるので、ふむふむとうなづきながら見ていく。

ほとんどは「○○高校に合格できますように」とか「「××くんといつまでも一緒にいられますように」とか、

「元気な赤ちゃんが授かりますように」などとほほえましいものばかりだが、、、

なんと「中井のゲリが治りますように」というお札を発見!

どうやら中井君のゲリを見かねた友人が神頼みをしたものらしい。



はたして中井君のゲリは治ったのだろうか・



大都会の中にあってもお社のある場所は静かである。



境内はさして広くは無いがとても落ち着いた佇まいだ。



この鳥居は面白い形だ。柱の一番上にある横棒部分が地震で落っこちたのかと思ってしまった。



このような注連縄や鳥居の形にはひとつひとつにちゃんとした理由があるのだろうなあ。

ご神木なのだろうか幹の太さが3メートル以上はありそうだ。





台風が去って青空が戻ってきたが、そのぶん暑さが半端じゃなく厳しい。



郡山駅にほど近いところにはこのような古い建物も残っている。



大きな町なのにまだどこかのんびりとした雰囲気もあって、すごしやすそうな町に思えた。




38日目 西那須野駅 => 野崎駅

2013年08月09日 | 東北本線 福島駅ー宇都宮駅
2013年06月13日

西那須野駅 => 野崎駅 歩いた距離 約5.3Km

駅の待合室で休んでいると外国人がきっぷの買い方で困っていた。
駅員が出てきて説明している。



日本の鉄道は世界一優秀だとわたしは思っているが、外国人にとっては必ずしも利用しやすくないだろうと思う。
きっぷの自動販売機などには英語表記はまず無いし、自動改札など慣れているはずのわたしでも戸惑うことがある。

外国からの観光客を誘致しようと思うなら、やはり英語での案内表記は必須であろう。



駅の中の観光案内を見ると「乃木別邸・乃木神社」というのがあるのだが駅からは少し遠い。



駅からほど近いところに大山巌の墓所があるという。
日露戦争で「陸の大山、海の東郷」と呼ばれた陸軍大将である。
だがわたしは大山巌については司馬遼太郎の「坂の上の雲」でしか知らない。

あれ、彼は那須の出身だったかかな?と思ったのだが、那須に別荘があり農場も持っていたそうだ。
なるほど、それでここに墓所があるのだな。

まだ11時10分である、時間はたっぷりあるので寄り道だが行ってみることにした。



大山巌の墓所はこの参道の奥にある。





参道は緑に覆われて公園からの散歩道としてもよさそうだ。





大震災のときに倒れただろう入り口の燈篭の上部が地面に転がっていた。







墓所の正面は閉ざされており門の隙間から中がかろうじて覗える。





町中にあっても杉木立の中は静かであった。




さて東北本線へ戻ろう。



西那須野駅前まで行きそこから野崎駅を目指す。

もう地図は無いので”野生のカン”だけが頼りである。

わたしは若いころはかなり方向感覚がよかった。知らない土地でも迷わず目的地へ行けることを密かに自慢に思っていたものだ。
地方から来た人は必ず迷って3時間は出られなくなるという新宿駅でも、あちらこちらと数時間もさまよってやっとたどり着けるという東京駅の京葉線プラットホームへも迷わずに行けたものだった。

だが老人になったら”野生のカン”が”錆びた空きカン”になってしまった。
よく知っているはずの盛岡市内を歩いていてさえ方角を間違え慌てることがある。

隣の野崎駅へは線路沿いに道路がある、これなら錆びた空きカンでも迷うことは無いだろう。

駅から少しいくと「那須塩原市 西那須野支所」の前を通る。
ビルから大勢の人が出てくる。
時計を見ると12時5分だった、近くの食堂に行く人や弁当店へ買い物に行くのだろう。

歩き始めたばかりだがこの辺で昼食にしようかと少し迷ったが歩き続けることにした。

しばらく歩いて愛宕神社の前を通る。

ここの鳥居にある注連縄もなかなか面白い。



両側の柱から一方が太い縄を中央で結んでいるのだ。

ここの注連縄も中央部分がかなり低くなっている。





こういう注連縄がわたしの子供時代にあったなら近所のワルガキと一緒になって注連縄でブランコ遊びをやっていただろうなあ。

「愛宕神社」の額の文字も面白いデザインだった。




「十一屋酒店」の前を通る。盛岡市にも十一屋という名前の酒店があった。
苗字や屋号が数字というのは珍しくないらしい。だがまったく離れた土地なのに同じ屋号で、同じ商売をしているとは偶然だろうが面白い。
この酒店には”タバコ販売コーナー”が面影をとどめている。



いまは自動販売機で買うのが当たり前になってしまったが、昔はこのように店の一角で対面販売だった。

盛岡市にはタバコ専門店まであって珍しい外国タバコが並んでいたものだ。もちろん当時は対面販売だった。

新幹線の下をまっすぐに歩いて行く。





新幹線と東北本線は平行して走っているので道を間違えずに済むのだ。



太夫塚踏切の距離表示を見ると150K333Mとある。東京まであと150キロか。





線路沿いの道は狭くまっすぐで単調だがほとんど車が来ないので歩きやすい。

「149」のキロポストがあった。とうとう150キロを切った。

新幹線も東北本線も直線が続く。



すこし線路から離れるところもあるが視野には東北新幹線の高架橋が常に見えているので迷うことが無い。





麦畑がある。



東北本線と新幹線が交差する地点。







町中に入り、もうそろそろ駅が近いはずと思っていると踏み切りの鐘の音がする。



見ると駅はすぐ近くだった。

「おおたわら」と書いてあるマンホールの蓋にあるのは那須与一の絵ではないか。



那須与一は那須の出身だったっけ?
事前に調べていないのでこういうことも「発見」である。



午後1時20分、野崎駅に到着した。







駅前がずいぶんと広い。その広い駅前の一角に那須与一の銅像が建っている。



ここで昼食にしようとあたりを見回すが駅前には食堂らしきものが無い。



遠くに食堂があるのが見えたがそこまで歩くのが億劫で、駅前のコンビニでおにぎりを買ってベンチに座ってほおばる。

ここから先の地図も情報もまったく持っていない。今回はこの駅までとしよう。

当初は黒磯駅までの計画だったので旅としては上出来である。

天候にも恵まれた。雨にも降られたがさほど強い雨では無かった。
なによりも足が痛くなったりとか、病気も怪我も無かったのだ。

6日間で歩いた距離は約118キロメートル。
一日平均20キロとスローペースだった。
もっとも後半は朝寝坊したり早めに切り上げたりしたからね。
後半の2日間のペースが落ちてしまったのは年齢による衰えだろう。
なにしろ歩き始めてすでに3年目なのだ。


午後1時42分発の下り電車が来る。



急いできっぷを買ってホームへ出る。



運賃は1450円、うーむ高い。



次回は青春18きっぷが使える時期に旅をしようかなあ。

野崎駅にあったキロポストを写真に収める。これも歩き旅の記念である。



途中の黒磯駅での乗継が悪く1時間近くも待つことになる。



郡山駅に着いたのは午後3時半過ぎである。



このホテルも今夜が最終日だ。
フロントの対応もよかったし、なによりも静かで良く眠れたのが嬉しかった。



ゆっくりと汗を流してテレビを見ながら時間をすごしていると午後6時を回った。

きょうも夕食は駅中で食べることにする。
駅近くに回転寿司でもないものかと見回したのだが見つけれなかったのだ。

入ったのはサイゼリアだ。



ステーキとライス、スープのセットを注文する。



今回の歩き旅の最終日ということで”ひとり打ち上げ”だからとグラスワインも注文した。

おお、豪華版だあ!!。
毎日”なか卯”と処分品の弁当ばかり食べていたから、感動モノである。



まあ、サイゼリアだからこの内容でも千円からお釣がくるのが嬉しいところ。
味のほうはというと「無難なファミレスの味」というところだ。

うーん、もう少し奮発して別のレストランに行けばよかったかな。






38日目 那須塩原駅 => 西那須野駅

2013年08月07日 | 東北本線 福島駅ー宇都宮駅
2013年06月13日

那須塩原駅 => 西那須野駅 歩いた距離 約7Km


きょうも午前7時に起きてしまった。朝寝坊のクセが戻ってしまったようだ。

さっとシャワーをして駅へと向かう。



空はところどころ青空が見えるが全体としては曇り空だ。



通勤通学時間帯だからプラットホームに乗降客は多い。
それでも車内は空いていてラクに座ることができる。





さっそく駅中のコンビニで買ったサンドイッチとコーヒーで朝食。



黒磯駅で乗り換えて那須塩原駅へと向かう。



9時20分に那須塩原駅に着いた。
さて次の西那須野駅に向かうには...と駅前の案内地図を見ると、
どうやら国道4号線を南下すればよさそうである。東北本線からは少し離れるが道に迷わず進めるだろう。

駅二階にある観光案内所で地図をもらう。



わたしの歩きたいコースは隅っこに小さくあるだけだがなんとか役に立つだろう。





さっそく駅を背にして歩き出す。



マンホールの蓋を見かけるととりあえず写真を撮る。







後日Wikiで見ると、黒磯市は合併して那須塩原市となったのだそうだ。


このまま新幹線の下を延びる道路を歩いて行き、国道4号線に出ればよいはずである。



左側を国道4号線が通っている。



と、突然道路が途切れて草むらになってしまう。
だがすぐ先には国道へ通じる階段があるのだ。
その階段も草で覆われているところをみると、この部分だけ草刈をしなかったもののようだ。



引き返すのもいやだし、ほんの5、6メートルだけ草むらを歩けばよいのだと無理やり進む。

ヒザ上まである草むらを掻き分けて進む。階段も草で滑りそうだがなんとか国道まで到達、やれやれ。





振り返ってみるとこんな感じ。





国道へ出る、東京までは157キロである。



蛇尾川に架かる那須野橋を渡る。
下を見ると水が無い。ここのところまとまった雨が降っていないのだ。



順調に距離を消化して行く。







「五十商店」の看板がある。
読み方が分からないので帰宅してから調べてみると”いそ”と読むらしいことがわかった。



国道4号線の道端にお墓があった。





自動車の無い時代に街道沿いにあった墓を交通量が増え道路が拡張されるときに移されてしまったんだろうなあ。
こんなに車が多くてはご先祖様もゆっくり眠っていられないだろうに。



西那須野の町中へと入って行くが、手元の地図に現在地は載っていない。





遠くに新幹線が見えているので「あっちの方角だろう」と見当をつけて進む。





事務所らしき建物の前に大きなガラスケースがあった。



中にはでっかい人形が入っていた。



西那須野駅まで0.7Kmの標識を発見。



新幹線の高架橋の下を歩いて行くと、西那須野駅が見えてきた。





駅近くの踏切のそばにある住宅。昔は旅館か商店だったのだろうか。



駅前の駐車場付近。



駅の正面から伸びる通り。工事中だが道幅が広く感じる。



11時10分に西那須野駅に到着。



駅の向かいには噴水のある小公園がある。
その前の歩道橋を渡って駅舎へと向かう。



駅前の交番にはでっかいピカチュウがあった。



待合室で10分ほど休憩をとる。




38日目 黒磯駅 => 那須塩原駅

2013年08月05日 | 東北本線 福島駅ー宇都宮駅
2013年06月12日

黒磯駅 => 那須塩原駅 歩いた距離 約6.2Km

今回の旅は黒磯駅まで歩くことが目的だったので黒磯駅から先の地図は用意してこなかった。

だが駅の案内地図を見ると黒磯駅から那須塩原駅までは県道303号線から国道4号線へと歩いて行けばよいことが分かった。

地図無しでの旅はちょっと不安だが国道から外れないように行けばよいのだ。
さっそく雨の中を歩き出す。



傘は小さいので胸から上はなんとか濡れずに済むのだが、ズボンもシューズもたちまちびしょ濡れになる。



カメラを濡らすと故障するのでスーパーのポリ袋に入れてディパックにしまう。
撮影するときだけ取り出して、写真を撮ったらまたしまう。面倒だが仕方が無い。

シューズの中も水浸しである。暑い時期だからよいものの気温が低い時期なら風邪を引いてしまうだろう。



マンホールの蓋のデザインが変わった。那須塩原市へ入ったのだろうか。



どうやら那須塩原市に入ったようだ。



東北本線との立体交差を通る。右上を新幹線が通っている。
その右下はどうやら新幹線の車両基地のようだ。盛岡市にも車両基地があるが同じような造りだ。



国道4号線を歩く。交通量が多い、特に大型トラックの数の多さには驚くほどだ。
主要な国道ではあるが片側1車線で、ところどころ歩道の無い部分もあったりする。



やっと那須塩原駅の案内が見えてきた。



駅へ向かう道路沿いにあったモルタル造りの住宅。



そういえば昔はこのようなモルタル造りの家があったものだと、カメラを向ける。
いまはアルミサッシの窓が普通だが木製の窓だ。
当時は大きなガラスは高価で手に入りにくかった、だから窓が小さいのだ。
そして懐かしいスリガラスの窓も残っている。
子供の頃あのスリガラスを爪でこすってキーッっという嫌な音を出して遊び怒られたものだ。
この住宅にはいまでも誰か住んでいるのだろうか。

午後1時50分に那須塩原駅に到着。





日光と那須高原への入り口の駅だから観光客が多かった。
那須には日光国立公園やサファリパークなど観光客を引き付けるポイントが数多くあるのだ。

駅にある市内観光案内マップを見ると、観光地の定番商品であるオルゴール美術館やトリックアート・ミュージアムとかもあるのだが、”黄金の巨大神像”というのもあるらしい。
観光客が増えるとそれを目当てにさまざまな物が造られるんだなあ。

駅前のオブジェ。



未来に羽ばたく少女のイメージだね。
でもこの像を夜中の墓場で見かけたならさぞかし恐いだろうと、ヘンなことを考える。

別のところには大きな鍋があった。



これは祭りのときに使われるものだそうだ。

駅の土産物屋は観光客で賑わっていた。





雨がかなり強くなってきたので今日はここまでにしてホテルへ戻ることにする。



郡山駅までの運賃は1110円。うーむ高いなあ。





安いホテルに泊まっていても、そこへの往復にお金がかかるし往復するための時間もかかる。
つくづく無駄の多い旅行をしているものだと思う。

日中の普通列車はいつもがら空きだ。



運転席の窓には強い雨があたる。



郡山駅に戻ったが、まだ午後3時半過ぎだ。

行く当ても無いので部屋へ戻りテレビを見ながら過ごす。

さて夕食はどうしよう。

駅の隣にレストラン街とスーパーマーケットがある。

スーパーマーケットを覗いてみたが食べたいものが見つからず、マクドナルドで夕食にしようかと思いつつ通路を歩いていると人だかりのしている店がある。

お弁当屋さんであった。なんとちょうど在庫処分割引が始まったところだ。

500円の弁当が390円というビミョーな割引だが迷わず購入。

安く買えて嬉しいような、またも処分品を買ってしまったという情けないような複雑な気持ちである。

しかも処分価格で100円という安さにつられて、フライドポテトまで買ってしまった。

ま、これだけ買っても490円だったからよかったのだとしよう。

ホテル備え付けの電子レンジでチンしてから部屋へ戻って食べる。

あとはすることも無いので午後9時前に寝てしまう。





38日目 高久駅 => 黒磯駅

2013年08月03日 | 東北本線 福島駅ー宇都宮駅
2013年06月12日

高久駅 => 黒磯駅 歩いた距離 約4.7Km

高久駅で10分ほど休んだ後は黒磯駅を目指して歩き出す。

雨は止んだがどんよりとした曇り空だ。
日差しが強くて暑いよりは良いのだが湿気が多いからじわじわと汗が出てくる。

”清水魚園”という看板があった。



右に書いてある”スタミナ40?の店”というのが気になる。



「40」は数字だろうが、その隣の文字が分からない。
「犬」とも読めそうだがそれでは意味が通じない。
「40才」かなとも思ったのだが「才」の右上に点が打ってあるので「才」ではないだろう。

”スタミナ40才の店”でも意味が分からないし。
謎は解消されないままに歩き旅は続く。

”TAKAKU HOLSTEIN FARM”というのがあった。



ホルスタインの牧場である。みると牛舎の脇の木陰に干草を入れた白いロールが並んでいる。
それになにやら書いてあるので、近づいてみると。
”アイ・ラブ・牛”であった。
”アイ・ラブ・ホルスタイン”ではなくて”牛”と書いてあるのがなんとも面白い。



県道303号線を快調に歩いて行く。

このまままっすぐ進めば宇都宮市へと行けるのだな。



那須塩原市へと入った。



橋を渡る。下を流れるのは那珂川である。
橋の名前は”晩翠橋”。



”晩翠”といえば土井晩翠しか知らなかったのだが。橋のたもとにある晩翠橋の由来には「晩翠とは冬になっても木々の緑が変わらない」という意味であるとあった。



幾何学模様のマンホールの蓋。
中央のマークはカタカナの”クロ”を組み合わせたデザインのようだ。



左折して黒磯駅へと向かう。



6月15日の午後はキャンドルナイトというイベントがあるのだそうだ。
事前にお祭りや観光案内を調べて旅をしていないので、このような催し物を見れないでしまう。



黒磯駅前にはどっしりとした古い建物がたくさん残っていた。



盛岡市では古い屋敷や商店は取り壊されてマンションや駐車場になってしまい、残っているのはほんの少しだけである。

このような格子の窓のある住宅などは最近では見かけなくなった。



だが、古い住宅は実際は住みにくいのだ。
残して行くには修繕費など経費もかかるので建て替えはやむをえない面もあるのだ。
店の正面には「板戸」。
「板戸」のある店を見たのはわたしが小学生のころまでだ。
建て直された店舗はシャッターになってしまう。



このような板塀もしっかりと残っている。



昔は銀行だった建物はカフェとして活用されている。



大正5年に建てられたものだそうだ。



案内板によると黒磯駅前は明治以来なんども大火に見舞われたそうである。
なるほど、それで耐火性のある石造りの蔵が多いのだな。

商店の正面も石造りで風格がある。



11時20分に黒磯駅に到着。



黒磯駅は大きな駅である。



この駅を境に東京側が直流、北側が交流と電化の方式が違っているのだ。
そのため東京方面からも盛岡方面からも普通列車はこの駅で折り返さなくてはならないのだという。
なんとも不便なものである。

黒磯駅から南は東北本線は別名”宇都宮線”というのだ。

家庭への電気も西は60ヘルツ、東は50ヘルツと周波数が違う。さまざまな事情があっただろうが統一出来なかったものかと思う。

駅構内の蕎麦屋で昼食にする。



駅中ではこの蕎麦屋が定番だが、思えば不思議なことである。
なにも蕎麦屋でなくてもよさそうなものだ。
でもSL全盛期ならハンバーガーなど無かっただろうしなあ。
誰でも手軽に食べられるということで蕎麦が定番になったのかもしれない。

きつね蕎麦が380円。濃いめで甘い感じのツユであった。



食事を終えて外へ出てみると雨が強く降っている。
雨具は持ってきていない。
ウィンドブレーカーに防水スプレーをかけてはあるが、ほとんど効き目がなくなっている。
これは困ったことになった。

今回の目的地である黒磯駅まで来たのだからここで引き返しても良いのだがまだ午後1時前だ、もう少し歩きたい。

駅のすぐ近くにイトーヨーカドーがあった。



店内には100円ショップがあったので折り畳傘を105円で購入。
傘を持ってこなかったのが悔やまれる。「うーん痛い出費だ」と自分でも苦笑い。



しかしスゴイ時代になったものである。
少々品質に問題があるとはいえ折り畳み傘が105円で買えてしまうのだ。
使い捨てタイプのビニール傘でさえも500円もするのに...。
物の値段はいったい何で決まるのだろう。


38日目 黒田原駅 => 高久駅

2013年08月01日 | 東北本線 福島駅ー宇都宮駅
2013年06月12日

黒田原駅 => 高久駅  歩いた距離 約4.5Km

昨夜は目覚ましをセットせずに寝てしまったので寝坊をしてしまった。
起きだしたのは午前6時半だった。今日もシャワーしてからすぐに駅へと向かう。

テレビで天気予報を見ると台風がかなり近づいてきている。
関東はこれから雨模様とのことだ。



このホテルは新聞も無料で用意してある。電車の中で読もうと新聞をディパックに入れる。



駅に着いたのは午前7時だが時刻表を見ると、次の上り列車は40分後だった。
寝坊したために5分ほどの違いで乗り遅れてしまったのだ。

駅前にはこのようなモニュメントがある。
どらえもんの”どこでもドア”を思わせるが、未来への扉ということのようだ。



駅前は通学の高校生が急ぎ足で歩いている。



40分も待ち時間があるなら”なか卯”へ行って朝食を食べてこよう。
目玉焼きと牛小鉢セットで280円である。
サンドイッチとコーヒーの朝食よりも安上がりなのは魅力だ。

わたしは普段の朝食はパン、サラダとコーヒーと決めているのだが、旅行中は和食でもなんでもかまわない性格だ。
そそくさと朝食を済ませて駅へ急ぎ足で戻る。

ちなみに駅正面にある”松屋”の朝食は350円からとなっている。だからわたしは少し遠いけどわざわざ”なか卯”まで行ったのである。



駅の自動きっぷ売り場で老年の夫婦が操作に手間取っている。
われわれ老人には自動販売機や自動改札は慣れていないのでしんどいのだ。





午前8時55分に黒田原駅からスタート。天候は小雨というか霧雨である。





「しあわせ通り」を通って行くと、「こんにゃく本舗」の看板があった。那須野はこんにゃくの産地のようだ。



町外れの余笹川を過ぎたころから霧雨が小雨に変わってきた。





道路と線路が平行して走っている。電車が来るとついカメラを向けるクセがついてしまった。





170キロポストがあった。



しばらく歩いていると雨はいつの間にか止んでいる。



おや、面白いポスターがある。



「スーパー兄弟」とは...うーむ、なんか分かったような分からんようなタイトルだなあ。

もうすぐ高く駅だが、
一瞬どっちへ行けばいいのか迷うような標識だったが、しっかりと見て右へ曲がる。
この標識が無ければ道を間違えたかもしれない。



やれやれ駅が見えてきた。



10時に高久駅に到着。



プラットホームにキロポストがあった。
167と二分の一キロなのか、それとも167キロと200メートルなのかわたしには分からない。
キロポストの上部だけが顔をのぞかせているみたいに見えてちょっとかわいらしい。



次は黒磯駅だ。ついにここまで来たぞ。





待合室の中にこんなものが貼ってあった。
「高久駅の新築落成の祝唄」だそうだ。



作詞は大倉キミ、作曲は白石貞男という人。
地元では有名な人なんだろうか。
それにしてもこの歌いったい、いつ歌われるのだろうか。



駅のすぐ脇には無人精米所がある。実に農家にとっても便利な駅なのである。