東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(14)

2021年09月29日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
2021年9月19日(日) 晴れ

両石駅 ―> 釜石駅 6.1Km

予報通りの快晴で風も無い、歩いていると汗ばむが日陰に入るとひんやりと涼しい。
歩き旅には最高のコンディションだ。

両石駅から釜石駅までは営業キロで6.1キロメートルだ。
線路は海岸沿いではなく山の中を通る。
海沿いのコースだと距離が長いだけでなく崖も多い。
昔の45号線だったと思われる現在の県道242号線とほぼ並行して走っているのだ。


現在の国道45号線は長いトンネルがあるので両石駅から釜石駅までは約5.3Kmだ。
線路と並行している県道242号線だと8.5Kmにもなるのだが、鉄道沿線歩き旅ということで県道242号線を歩くことにする。

前回鵜住居駅までとしたのはこの県道242号線を歩こうと決めていたからだ。
あのまま歩き続けていれば山の中を通るのは日暮れ時になってしまうからやめたのだった。

両石駅では写真を撮っただけで歩き続ける。



駅から少し行くと石碑が建っていた。











ひとつには「鮭供養塔」もうひとつは「魹供養塔」だった。
魹または海馬とも書く「トド」はアシカの一種なのだが説明を読むとこの漁港では明治のころまでトドが来ていて、漁師は捕獲したトドの肉や皮を盛岡などに売っていたという。
いまならトドが現れただけでニュースになるだろうな。

そのすぐ下は両石漁港だ。





完全にコンクリートの壁で囲まれている。



階段があるので降りてみた。



下から見上げるとコンクリートの壁の威圧感がすごい。



漁船にも人の姿はなくシーンと静かだった。



坂を上り国道45号線に戻る。



上から見るととても穏やかで素晴らしい景色が広がっていた。







水海トンネルを抜けて山のほうへと向かっていく。







テレトラック釜石がある。今日はレースがないのか人影はなかった。



その駐車場わきから県道242号線に上る階段があった。

登りきったところにフェンスがあって、扉があるのだがなんと鍵がかかっていた。



この階段は「津波避難階段」なのにだ。

津波が来たら、行政の責任者に連絡しそこから現場担当者へと連絡、さらに委託業者に連絡してカギを開けてもらうとう手順なので津波発生から2時間ほどで避難できる・・・・ということではないだろうが、、、

避難場所に指定されているのにカギがかけられていて「イザというときに使えなかった」というのでは避難場所の意味がないだろうにと思う。
実際にはこのようなすぐ使えない避難所は結構あるのではないかと心配になるのだった。

戻るのもイヤなのでフェンスを乗り越えて道路に出てしまった。

ここから山道へと入っていく。



山裾にはひっそりとお社がある。気温は18度で半袖では涼しいほどだ。









流れる水海川の水は澄んでいる。





坂を上っていくと鹿がこちらを見ていた。





見るともう1頭の鹿がいた。





カメラを向けると鹿は跳ねるようにして走り出したのだが、ここは民家の庭である。
庭で作業をしている人に気づいて慌てて山のほうへと走っていってしまった。

人家のある所に普通に鹿が現れるんだね、農作物の食害もあるんだろうなあ。。

このあたりから道幅が狭くなる。



道路は日陰になっていて車はほぼ通らないから道路にも苔の生えた部分があったりする。







さらに進むと車のすれ違いが難しいほどの道幅になってしまった。
30-40年ほど前まではこのような道路はごく普通にあった。



左側は谷のようになっているが谷底に線路が見えた。



地図ではわからなかったが線路は谷間を縫うように走っているのだ。
鹿だけでなく熊が出てきそうなところなのでビクビクしながら歩いていく。



トンネルがある。



普通車がやっと通れるほどの狭いトンネルで、驚くことに素掘りのトンネルだった。



一応モルタルで補強してあるのだが「いやー、最近こんなトンネル通ったことないなあ」とつぶやく。

40年ほど前まではわりと普通に見られたように思うのだが、いまでも残っているとは思わなかった。

アメリカ、ロサンゼルスのユニバーサルスタジオ見学ツアーのコースの中にこのようなところがあったっけなあ。
たしかトンネルの壁がぐるぐる回転して目が回るような仕掛けだった。

トンネルだから中は空気がひんやりしているが、気持ちも寒ーくなるようなトンネルであった。

トンネルを抜けると下り坂だ、少し行くと湧き水が出ている場所があってお地蔵様とともに花やお茶が供えてある。







木にはお札?が巻き付けてあり、ここは神聖な場所のようだが、、、、



「ここで車を洗わないでください」の注意書きがあった。
やはり罰当たりな人がいるのだろう。



下り坂になって遠くに海が見えるところまで来た。





道端に「クマに注意」の看板があった。



以前クマに襲われた人がいると書いてある、思わず回りを見るのだった。

民家の見えるところまで来ると道路わきに階段がある。





狭い道を下りていくと甲子川のほとりに出た。





駅が川の対岸に見えている。





川沿いを歩いていくと渋い住宅があった。



川沿いだがやや高いところに建っている、津波はここまで来なかったんだな。



駅近くの大渡橋を渡る。ここで海抜4メートル、海から2キロメートルほどだ。



釜石市のマンホールの蓋は伝統芸能の虎舞のデザインだ「おお、かっこいい」







釜石駅に到着。2018年に釜石線沿線を歩いて以来の再会だ。



三陸鉄道沿いに歩いているのにうっかりJRの駅前で記念撮影してしまう。



時刻は12時10分。
これで宮古駅から釜石駅間の営業キロ55.4Kmをすべての駅に立ち寄りながら歩いたのだ。

郵便ポストの上の南部鼻曲がり鮭もそのままあるぞ。





さて、昼食の時間だ。
せっかくだから街中へいって食べるとしよう。
駅近くの公園には南部鼻曲がり鮭のオブジェがあった。



駅から10分ほどのところにイオンがある。







行ってみると日曜日ということもありかなりの混雑だった。フードコートは座るところが無いほどだ。
レストランも同様に込み合っていたので他の食堂を探すことにした。

選んだのは回転寿司、混んでいないしお手軽だしでわたしは十分満足である。





街の広場では伝統芸能の虎舞が歓迎してくれる。








近くには石川啄木の「一握の砂」の碑もある。





釜石駅へ戻り、忘れずに三陸鉄道釜石駅の写真を撮影。





自動券売機でキップを買って待つ。



列車はイラストでラッピングされていてテーマパークの電車みたいだ。





車内もこのような状態である。なんだかちょっと照れくさい。





ディズニーランドの「ウエスタンリバー鉄道」にひとりで乗っているお爺さんの気分である。

鵜住居駅で降りて車で大槌の温泉施設へと向かう。



ぬるめのお湯で汗を流し、さっぱりとしてから帰宅できた。



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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(13)

2021年09月28日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
2021年9月19日(日) 晴れ

鵜住居駅 ―> 両石駅 2.2Km

今日は鵜住居駅から釜石駅まで歩く予定だ。
ゆっくり歩いても3-4時間で歩きとおせるだろうと自宅を午前7時過ぎに出発する。
区界高原付近は今朝も霧の中だった。



午前9時半には鵜住居駅に到着、新国道106号線と三陸道の完成で岩手県内陸部と沿岸部の移動時間はぐーんと短縮されたのが実感できる。



駅の隣が体育館ということもあり駅前には広い駐車場がある。
今日も天気は快晴だ。楽しく歩けるだろう。



駅の山側正面には新しく造られた鵜住居小学校が見える。



あの高さなら津波の避難所として大丈夫なんだろうな。

少し行くと鵜住神社があって道路わきには石碑の列があった。





以前は町のあちこちにあったのだろうが津波で倒れたりしたのをここにまとめたのだろうと思う。

バイク屋さんがあった。





店頭をみると古くなったバイクを塗装しオブジェのようにしている、なかなか良いアイデアだな。

通りはお店がポツポツとあるがガラーンとした印象だ。





住宅は山側へと移ったが空き地が目立つ。

国道45号線を南下していく。



三陸自動車道を上に見ながら歩いていくと遠くに海が見えてきた。





ここにも真新しい住宅が並んでいる。

両石駅前まで来た。



両石駅は高台にあるので津波の被害はなかったようだ。
旧国鉄時代からのものと思われる待合室。



木のベンチが昭和の時代を忍ばせてくれる。



蜘蛛の巣があったりするので他の真新しい駅を見てきたあとではちょっと汚れが気になるのだった。







屋外にコンクリート製のベンチがあるというのも昔風だなあ。






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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(12)

2021年09月27日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
大槌駅 ―> 鵜住居駅 4.0Km
2021年9月12日(日曜日)

大槌駅を背にして歩き出す。

しばらく行くとスーパーマーケットがあり、交差点を曲がると国道45号線に出る。





また長い上り坂になる。



トンネルを抜ける。



坂を下り45号線から海沿いの道へと進んでいく。

ここも海側は堤防で囲まれている。堤防の内陸部は広大な更地になっていた。



震災前はここにどれだけの民家があったのだろう。

遠くに釜石復興鵜住居スタジアムが見えている。





2019年のラグビーワールドカップの会場として使われたのだ。
スタジアムを横目に見ながら駅へと向かう。





鵜住居駅前には「釜石祈りのパーク」がある。







中央部には東日本大震災慰霊碑があって犠牲者の名前の刻まれたプレートがあった。





見上げると丘の上に津波の高さを表す表示が見えた。



そこへ登ってみると、、、
この高さである。



2階建て住宅の屋根より高いのだ。
この歩き旅でなんども見てきたが実際に現場に立つと津波の恐ろしさがよくわかる。

駅前には産直施設と食堂があり隣には釜石市民体育館がある。



ラグビーボールのモニュメントもあるのだった。



この駅に駅舎はなくてプラットホームに待合室があるだけ。















待合室の窓ガラスにもラグビーボールが描かれていた。



さて隣の両石駅までは2キロメートルほどだが、釜石駅までだと10キロメートルは歩くことになる。
いまの時刻は午後3時半だ。
釜石駅まで歩くと到着は午後6時になるだろう。
秋は日が暮れるのが早い。午後5時にはかなり暗くなるのだ。



今日はこの駅までとしよう。



待つこと50分釜石方面からの列車がやってきた。





陸中山田駅までの運賃は620円だった。


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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(11)

2021年09月26日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
吉里吉里駅 ―> 大槌駅 3.4Km
2021年9月12日(日曜日)

国道45号線に戻る。釜石まであと15キロメートルになった。



国道と線路の交差するところから海側を見る。



ここから海岸まで直線で1300メートルほどだ、やや高台になっているが津波はここまで来たようで、まわりは真新しい住宅ばかりであった。
復興工事関係者の需要も多いのだろうビジネスホテルも建っている。



坂を上っていく、気温は27度まで上昇。天気の良いのはうれしいが暑いのもしんどい。



吉里吉里トンネルの入り口に歩行者用押しボタンがあった。







押すと「通行者注意」と表示される。



これは他のトンネルでは見たことがない。
トンネルは歩道があると歩行者は安心だけど、せめてこのような表示で運転者に注意喚起をしてもらいたいものだ。
でも「通行者注意」より「歩行者あり」のほうがわかりやすいのではないかなあ。

トンネルを抜けると大きな構造物が目に入った。



災害時の水確保のタンクだった。



地震、津波、土砂災害などで水道が使えなくなることは多い、このような備えは必要だね。

さらに進むとまたトンネルがあったのだが、、



トンネルの上が墓場になっていた。



もちろんトンネルは後から造られてものだろう。
ご先祖様は「下のほうで自動車の音がやかましくてゆっくり休めないわい。」と言っているんじゃないかな。
平地は田畑、住宅になるのでお墓は山の上に作られるのは海岸沿いの町では当たり前のことなのだけど。

大槌の街中へと入っていく。


ここも海沿いは堤防で囲まれ海は望めない。





広い空き地の真ん中にお地蔵様が立っている。



行ってみるとやはり津波で犠牲になった人たちの供養のためのものだった。



仏像と一緒に十字架もあるのが印象的だった。亡くなった人には宗派は関係ないのだろう。

ここは大槌町役場のあった場所だ。
役場で震災対応に当たっていた町長をはじめ30人が亡くなったという。町全体では1286人の犠牲者だったそうだ。
この数字だけ見てもいかに被害が大きかったのかがわかる。

手を合わせてから駅へと向かう。







大槌駅も真新しい。
この町はNHKテレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の舞台になったところだ。

井上ひさしさん作だが、井上さんは「吉里吉里人」という小説も書いている。
山形生まれの井上さんだが釜石で働いていた時期があって岩手県とは縁の深い人なのだ。

わたしも子供ころ夢中になって「ひょっこりひょうたん島」を観ていた。
「ドン・ガバチョ」がよかったなあ、声は藤村有弘さんでガバチョの雰囲気にぴったりだった。

その「ドン・ガバチョ大統領」が駅前広場に堂々と立っている。





駅舎は上から見るとひょうたん島をかたどっているようだ。









駅舎にはレストランもあり待合室は観光案内所も兼ねている。
待合室に観光案内のパンフレットだけでなく新聞があるというのは珍しいなあ。



乗降客が多いのだろうきっぷは自動券売機でも買えるのだ。



ここは、ひょうたん島の人形があるので楽しい駅だ。



これはたしか「先生」だったよな。



上を見るとあれは「ギャング」だったっけ?





帰宅後調べてみたら「マシンガン・ダンディ」という名前だった。
囚人護送用飛行機から降りてくる設定だったので天井からぶら下がっているんだな。

駅前の時計もひょうたん島の形だ。





こういう小さなこだわりが楽しいなあ。



2階が展望台になっているので登ってみると、海が見えたはずのところは堤防が・・・





旧駅は大震災の津波で流されてしまったのだそうだ。
展望台には「ハカセ」が立っていた。





駅前広場には宮沢賢治の「旅程幻想」の碑がある。





そして駅前の飲み屋街もあるのだった。




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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(10)

2021年09月25日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
浪板海岸駅 ―> 吉里吉里駅1.8Km
2021年9月12日(日曜日)

駅前の東屋で15分ほど休憩してから歩き出す。
もう50年も昔のことだが夏休みにここの民宿に泊まりに来たっけなあ。と、とんでもなく古いことが突然思い出されるのだった。



浪板海岸は「片寄せ波」として知られていたのだが、大震災の影響で砂浜が失われたのだそうだ。

いまはサーファーのメッカになっていて海岸沿いにはサーフショップが立ち並んでいた。



ハワイのワイキキビーチにたとえる人もいるようだが、まあ・・ミニミニ・ワイキキビーチというところかな。



このあたりの海は親潮と黒潮とが三陸沖出会うので良い漁場となっているのだ。
おぼろげな記憶では海の色がもっと濃かったように思う。

今日は見事な快晴で風も波もないのでハワイに負けないほどのオーシャンブルーだ。



サーファーは沖へ出て波を待っているのだが、海は穏やか。





ボードの上でただただ待つしかないようだ。

海岸沿いの「ホテルはまぎく」の脇の坂を登っていくと湾が展望できるところがある。



ここにも津波到達の地の碑がたっていた。





海を見下ろす高台でホテルの4階ほどの高さである。

宮沢賢治の碑もある。これも大震災の津波の記憶を後世に残すためのものだ。





そろそろお昼時だ、国道45線を南下していくと食堂らしき建物に並んでいる人がいた。





あそこで食べようかな・・と行ってみると食堂は営業しておらず、マツタケの買取所だった。
山でマツタケを採取した人たちがここで業者に買い取ってもらうのだろう。

さらに進んでいくと海岸でカモメの集会が開かれていた。



「えー、今日の議題はわれわれ鳥民の安心安全を守るということについて・・・」というような内容だった、、かも。

そしてここにも津波の記念碑がある。





吉里吉里地区での犠牲者は100人だったそうだ。



吉里吉里駅が近いのだが食堂は見当たらない。
セブンーイレブンがあったので焼肉カルビ弁当を買う。





弁当を持って駅へと向かう。



駅前の広場に東屋があったのでそこで昼食だ。



暖かで風もなく屋外で食べる焼肉カルビ弁当はまことに美味い。



食べ終えたらゴミはディパックへと仕舞う、、がディパックに焼き肉の臭いが移ってしまうのには困った。

駅前には豪商 前川善兵衛というひとの墓がある。
大飢饉のときは蔵を開けて村民を救ったのだそうだ。



小さな駅なのに登る階段は幅が広い、昔は利用者が多かったのだろうか。



プラットホーム上に窮屈な待合室がある。





室内には地元の子供たちの自由研究なのだろうか「吉里吉里お宝マップ」が張り出されていた。



ちょっとほのぼの。
プラットホームには熊の木彫り彫刻がある。んん? ここは北海道かいな。





その隣には猫が鮭を担いでいる彫刻もあるぞ。





吉里吉里の地名は鳴き砂のキリキリという音から来ているそうだ。



そういえば昔ここへ来たとき砂浜を歩いて鳴き砂の音を聞いたんだったな。と、ここでも感傷にひたるわたしであった。



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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(9)

2021年09月24日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
岩手船越駅 ―> 浪板海岸駅 6.4Km
2021年9月12日(日曜日)

歩いていくと壊れかけた小屋に古い看板があった。



「名産 帆立漬」「コシタ時計店」と一緒に「新築鉄筋建 ビジネス旅館」というのがある。
『鉄筋建』というのが泣かせるなあ。

当時は木造が普通だったから鉄筋コンクリート造りの建物ということがウリだったのだな。
『洗車自由』というのもなかなかよろしい。
が、なんといっても『1500円』というのがスゴイ。

いったいいつの時代の看板なのだろうか、昭和50年代かなあ。
と、看板を見て感傷にひたるわたしであった。

釜石まで22キロメールになった。



時刻は午前10時半である、頑張れば今日中に釜石まで行けるかもしれない。

日差しは強いが気温は21度、風が無いので暑く感じる。



「四十八坂」へと差し掛かる。



船越湾が一望できる見晴らしの良いところだ。









観光案内のパネルはいったいいつのものなのか文字が読めないほど古いものだった。



この看板を見て感傷に浸るというわけにはいかないな。(笑)



青い海を眺めながらしばし休憩する。

トンネルを抜けていくと「きりきり善兵衛」というレストランがあって、その駐車場の海側に展望台があった。





「おお、これはよい景色だな」





遠くに見えるのは浪板海岸だろうな。



このレストランは海を眺めながら食事ができるようだった。

国道の下っていくと左手に波板海岸が見えてくる。





まずは波板海岸駅へと向かう。
駅への坂を登っていくとちょうど列車が到着するところだった。



これは大槌町のマンホールだろうか。



いろいろ欲張って描き込んであるねえ。

浪板海岸駅に到着だ。



わたしがまだ若かかったころは夏になると車でここの海まで遊びに来ていたものだ。
もちろん高速道路も現在のように整備された45号線も無かった、いま思うとずいぶん無茶していたものだ。

当時の駅名は「波板駅」だった、平成6年に「浪板海岸駅」に改称したそうだ。





真新しい駅舎はモダンな造りだったが窓を開けられないようで内部は熱気が籠っていて休憩する気になれなかった。



屋外に東屋があるのでそこで休憩する。

見ると「津波到達の地」の碑が建っている。





パネルを読むと22人が犠牲になったのだとある。



その場所からは海が見えるのだが「えーっ! この高さまで津波が来たのか」と驚かされるのだ。





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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(8)

2021年09月23日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅

織笠駅 ―> 岩手船越駅 3.8Km
2021年9月12日(日曜日)

織笠駅付近は高台になっていて震災後に移転してきたのだろう新しい住宅街になっている。



丘を越えていくと学校が見えた。



校庭が荒れ放題である。



織笠小学校は2020年に145年の歴史の幕を閉じたのだそうだ。



校舎はかなり立派なものだ、その昔はかなりの生徒がいたのだろうが閉校時には45人だったそうだ。
少子化の影響だろうな。



わたしは団塊の世代の人間だ。小学校、中学校でも1クラスは55人~60人だった田舎町なのに中学校の生徒数は1300人ほどいたように記憶している。
少人数での授業など考えられない時代だったのだ。

小学校の向かいには石碑が建っていて山の上には慰霊碑があった。過去の津波の記憶はこうして受け継がれていくのだ。







坂を下っていく。





道路わきの堤防の上には「山田湾展望広場」がある。





天気も良くまことに良い風景である。「ああ、こんな景色が見たくて来たんだよなあ」と写真を撮りまくる。





この穏やかな海が大震災であれほどの被害をもたらすとは、、、と、どうしても津波のことを思うのだった。

織笠川の河口では水門の工事中だった。はやく完成させてほしいものだ。





道路わきにはだれが手入れをしているのだろう見事な花壇があった。





天気が良いから気温もぐんぐん上昇して25度になってしまった。



今日も日焼け止めを忘れてきたので首にタオルを巻いて日焼け防止、マンガのコソ泥みたいな格好になった。

道の駅が近い。



長林バス停の中を見ると、ゆりの絵があった。







説明には「オランダの花 カサブランカ」とある。帰宅後にウィキで調べるとオランダで改良されたユリなのだそうだ。

さらに進んでいくと「カキ小屋」の看板があった。



毎年夏になると季節のニュースで取り上げられるのだが今年の営業はすでに終わっている。
その近くには「船越半島」のゲートがあってクジラが歓迎してくれている。



「鯨と海の科学館」があるのだ。わたしはかなり以前に見学したことがある。

「道の駅 やまだ」に到着。店内を見て回る。







海沿いなので当然のことだが海産物が多い。
山田湾のかきは500円とお手ごろだが、焼きうには2400円だ。





特産の松茸は4300円もするのだった。「えーっ!これ1パックでわたしの1か月分の食事だな」とオーバーに驚く。





わたしに100円の「まつたけのお吸い物」で十分だな。

冷凍ものだが「あずきばっとう」もあった。





わたしの田舎町でも昔は食べられていた。子供のころは甘いものに飢えていたから楽しみだったなあ。

店内を一通り見たら、また国道45号線に戻って歩く。





船越駅前までやってきた。







「本州最東端の駅」と書いてある、だが残念ながらこの駅から海は望めない。





海が見えたなら「最東端」が実感できただろうにと思う。





ここは高台なので津波の被害はなかっただろうと思うが待合室は新しかった。

どの無人駅でもごみ箱はないのだがなんと待合室にごみが捨ててあった。



新しい待合室だからマナーを守ってもらいたいものだなあ。


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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(7)

2021年09月22日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
陸中山田駅 ―> 織笠駅 1.2Km
2021年9月12日(日曜日)

天気予報では今日は快晴とのこと。
陸中山田駅からの歩き旅に出かけよう。

できればJR、三陸鉄道を使いたいのだがJR山田線盛岡発、宮古行きは午前11時6分となっていて使えない。
ではバスはどうかと調べてみると。
106急行バスなら宮古駅に9時50分着だ。だが、三陸鉄道との接続が悪くて陸中山田駅着は午後1時12分となってしまう。
盛岡駅始発のJR釜石行きと三陸鉄道を使うと陸中山田駅着は9時46分だ。
同じ出発時刻でも車のほうが2時間近くも早く到着するのだ。
仕方ないなあ、車で行こう。



トンネルと霧の中を走って陸中山田駅に着いたのは午前8時過ぎだった。



雲ひとつない見事なほどの青空だ。



日曜日だからか駅も駅前もしーんとしていて人の姿がない。

駅前には船をかたどった石のベンチがあった。



見ると脇のところに「ももちゃん」とか「みっくん」とか書いてある。造った記念に子供たちのニックネームを刻んだのだろうか。





歩いていくと公営住宅だろうか大きなアパートがあった。その周りも真新しい住宅ばかりである。







遠く山のほうにある住宅は震災以前からのもので実にくっきりと津波被害の有無がわかるのだった。

線路の向こうに津波避難タワーらしきものも見えた。



住宅を高台に移転したからといって油断してはならないのだ。

海沿いの国道45号線を歩くと堤防だけしか見えない。





40分ほどで織笠駅に到着。





この場所は小高いところにあるのだが駅舎は新しかった。





旧駅は津波で流されたのでここへ移転したとのだそうだ。







窓枠には折り鶴が置かれていた。




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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(6)

2021年09月18日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
豊間根駅―> 陸中山田駅 営業キロ11.1Km
2021年9月7日(火曜日)

駅の写真を撮って歩き出す。
駅近くの以前は商店だったと思われる店先には懐かしいホーロー看板があった。







昭和を偲ばせる建物だがよく残っていたものだ。

この付近は海から6キロメートル以上離れているから津波の被害はなかったんだろうなあ。

国道45号線に戻り、歩いていくと山道にさしかかる。





急坂ではないが長い坂道は足にこたえる。
昼過ぎなので日差しも強い、風もないので身体じゅう汗びっしょりになってしまう。

ディパックには雨具、予備のバッテリーなどが入っている。
さっき買ったキュウリが重く感じられる。
「うーむ、キュウリなど買うんじゃなかった。」と反省するのだった。
重いからといって捨てるわけにもいかず、、、、
ちょっとふらふらしながらも歩いていく。

この坂道はかなりしんどかった。
バスが通ると「ああ、あのバスに乗れたら・・」とつい弱音を吐いてしまう。



それでもなんとか峠を超えて坂を下っていくと「レーダー口」というバス停があった。



見ると遠くに山の上にパラボラアンテナやアンテナドームが見える。



航空自衛隊のレーダー基地があるのだ。このような軍事基地をバス停に表示して大丈夫なのか(笑)

下り坂になるととたんに元気が出る。





でずんずんと進んでいくとマンホールの蓋がホタテのデザインになった。



さらにクジラのデザインのものもある。
そうだった、ここ山田町はその昔は捕鯨の基地でもあった。
町には「鯨と海の博物館」もある、わたしはかなり以前に見学したことを思い出した。



この町も海沿いは大きな堤防が取り囲んでいて海は見えない。
「海を見たしなあ」と思い、出かけてきたのだが防災と風情は共存できないのだった。

ここでも堤防に登ってみる。





「魚賀波間神社」と書いて「ながはまじんじゃ」と読むとは思わなかったな。









進んでいくと別の形の堤防があった。





階段を登ってみるとまるでベルリンの壁みたい。





山田湾に見えるのはホタテの養殖場だろうな。

駅のほうへ向かっていくと右手にアパートが見えた。





そのアパートの壁に津波の高さが表示されていた。
ここでは2階部分まで水没したんだなあ。

堤防と水門はまだ工事中の部分がある、いつまたあのような大津波がくるかもしれないので早く完成させてほしいものだ。







道路わきの民家にも津波の高さが表示されていた。







わたしは大震災後の4月に山田町を車で通っている。

↓の写真はそのとき撮影したものだ。





堤防には住宅がひっかったままだったし、屋根の上にも漁船が乗っていた。





当時の堤防の高さはこの程度だったんだなあ、これではあの巨大津波は防ぎようがないな。



火災も発生したのだろう事務所と思われる建物は黒く焦げていた。

見渡す限り一面ガレキだらけだった。



驚いたのは木の中ほどに引っかかっていたタンスの一部だ。





ここは海岸から3キロメートル近くも離れている山の中なのだ。
あのタンスは波に運ばれてここまで来てひっかかったのだ、これではかなり山の上まで逃げないと波にさらわれてしまうだろう。
本当にぞっとする光景であった。

あれから10年、町はまだ完全な復興ではないにしても整備され活気を取り戻しかけていたのだが、、、
このコロナウィルス騒ぎである。
観光客が戻ってくるのは早くても来年だろうか。







ここでも堤防への階段を登ってみたが、かなりの高さである。
ちょっと怖い、もちろん堤防の上を歩くことはできない。


陸中山田駅前にはスーパーマーケットや銀行、温泉施設などが集まっている。





駅の西側は住宅地になっている、たぶんこのあたりは津波の備えとして土盛りをしているのだろう。

駅を見ると駅舎は風車を模したものだった。



オランダのザイスト市と山田町が姉妹都市だからこのデザインにしたそうだ、、、が
うーむ、なんだか微妙に中途半端。



駅前にはこのようなモニュメントがある。ギヤがくるくると回っていた。



駅の待合室は「ここはスタバか?」と言いたくなるような豪華さ! ソファが贅沢な感じだなあ。
無料のWi-Fiもあるのだ。







今日の歩き旅はこの駅までとする。

ここでも駅前で記念撮影。





この駅は地元のコミュニティ施設も兼ねているようで隣接した建物は図書館だった。
観光案内所も兼ねているような窓口で宮古駅までのきっぷを買う。



手書き感あふれるステキなきっぷだ。



宮古方面行の列車の待ち時間は1時間もあったのだが、ソファに座っていると眠くなってしまうのだった。



午後5時すぎなので都会なら下校する高校生や帰宅するサラリーマンで込み合う時間帯なのだが、車内はがらんとしていた。







これでは三陸鉄道の黒字化は大変だろうなあ。



宮古駅へ着いたら午後6時少し前だった。


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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(5)

2021年09月17日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅

払川駅―> 豊間根駅 営業キロ4.1km
2021年9月7日(火曜日)

払川駅でも休憩せずに歩き続ける。

いまのところ足は快調である。自宅を出る前に膝に痛み止めのバンテリンを塗ったのがよかったみたいだ。





駅そばの踏切を渡ったところに無人販売があった。





見るとキュウリがあった、「おっ!100円か、、ひとつ買っていこうか」
ちゃりん! とお金を入れてキュウリをディパックへ入れた。

また国道45線にもどり、もくもくと歩く。





車の通行量はさほど多くない。大震災後に造られた「三陸自動車道」があるのでトラックなどはそちらを通っているのだろう。

山田町へと入っていく。





看板だけはわたしのような旅人でも歓迎してくれる。

もうお昼時だ。
お腹がすいてきたのでどこかで昼食にしたい。
田舎町だから道路沿いに「マクドナルド」や「すき屋」が立ち並んでいるということはない。

グーグルマップで見るとスーパーマーケットが近い。

「荒川川」を渡るとスーパーマーケットが見えた。





はて、、なぜ「荒川」でなく「荒川川」と川の字を続けたのだろうか、とふと疑問がわいた。

が、腹が減っていて考える力が湧いてこないのだった。

地元密着型のスーパーマーケット『びはんストア』で「三元豚かつ丼」を買う。





駐車場わきにはテーブルがあった。おお、あそこで食べよう。





食べ終えたらスーパーマーケットの裏の細い道を通って駅へと向かう。





コンテナハウスみたいな「豊間根駅」に到着。





へー、この地区は松茸が名産なのか。



高級食材の松茸に縁のない貧乏じいさんのわたしであった。




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