東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

宮脇俊三さんの本

2014年06月27日 | つぶやき

青森駅から東京駅までの歩き旅を終えてしまい
とりあえず書くことが無くなってしまったので、、、、

私が大好きな作家、宮脇俊三さんの本のことを書こう。



宮脇俊三さんは2003年に亡くなられたが
鉄道に関する紀行文の名作をたくさん書いた方である。

「時刻表2万キロ」とか「シベリア鉄道9400キロ」
「乗る旅・読む旅」「中国火車旅行」などは何度読み返しても面白い。

軽妙な語り口でユーモアがあり文章に無駄が無い。
鉄道に関してだけでなく土地の文化や地理についても博識なのに
それをさらりと嫌味の無いタッチで書いてあるのには感心させられる。

雑誌の編集長をしていた時代に休日を利用して、
日本の(当時の)国鉄の全線を完乗したのを本にしたのが「時刻表2万キロ」なのだが、
ひとりで列車で旅をして、乗った路線を塗りつぶしていったのだそうだ。

本を出版してから「完乗したことを証明することが出来ないのではないか」という人もいたらしい。
確かにひとりだけでの旅だし、各駅でスタンプをもらうわけじゃないからね。

宮脇俊三さんは”時刻表”の愛読者だった。

そして時刻表からその時代を読み取る名手でもあった。

私はこのひとの本で鉄道の旅の楽しさを教えてもらった。




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ちょっと寄り道 【川越市】

2014年06月15日 | その他の 歩き旅
ちょっと寄り道  【川越市】 2014年4月20日

東京までの歩き旅を終えたら、行ってみたい街があった。

私はNHKの「世界ふれあい街歩き」という番組が好きでよく見る。
現地の人たちの生活が垣間見える狭い路地に入り込んで行くところは私の旅のスタイルと同じでうれしくなるのだ。

その番組で川越市を紹介したことがあった。
小江戸と呼ばれる伝統のある街で立ち並ぶ蔵の映像がとても魅力的だった。
ここまで来たのだからぜひ見たい。

と、言うわけで川越市に行ってみることにした。

例によって、事前の下調べはまったく無しである。
そもそも川越市の位置さえも良く分かっていないのだった。

川越までのルートも電車の乗り方もさっぱり分からかったのだが、それでも川越駅まで来ることが出来た。






観光のメインである“蔵づくりの町並み”へは本川越駅で降りたほうが近いのだということに気がついたのは川越駅で降りてからのことである。
やはり事前に調べておけば時間もエネルギーのロスも少なくて済むのである。

ディパックを背負ったまま駅を後にして歩き出す。



コインロッカーを使わないのは単にお金をケチったからであるが、
これが疲れを倍増させてしまったと気づいたのは2時間後のことだ。

4月の20日だというのにとても寒かった。
いまにも雨が落ちてきそうな曇り空である。



まずは“蔵づくりの町並み”を目指して歩き出す。

アメ横?みたいな賑やかな通りを進む。





私はこのような若者向けの店が連なる通りは苦手である。
そこで脇の小路を進むことにした、住宅街だから人通りはほとんど無い。





マンホールの蓋の写真を撮るのは習慣になってしまっている。
このマンホールの蓋のデザインはとても良い。







本川越駅前を通る。





こんどは別のデザインのマンホール蓋。カラーバージョンだ。



“蔵づくりの町並み”まではけっこう距離があった。
途中の厳島神社では縁日ということでお祭りをやっていた。



タイからの観光客が記念写真を撮っていたので後方からパチリ。



日本への観光がビザ不要になったので急激にタイからの観光客が増えているそうだ。
タイでは日本に観光キャンペーンが大々的に行われているのだ。
このように観光でたくさんの外国人が来てくれるのはすばらしいことである。

古いお店が“その古さゆえに”人気になり、観光客を呼ぶ目玉にもなっている。



がっしりとした蔵作りの商家。



強固なつくりゆえに壊して新しく建て直せなかったのだろうか、
それとも伝統のあるこの建物を残そうとして現在に至ったのだろうか。

銀行を思わせる石造りの建物。





こういう雰囲気の建物は昭和の中頃まであちこちに残っていたものだ。
だが耐震性の問題とか使いにくいとかでほとんどが消えてしまった。







このような木造の商家は地方でもまず見かけなくなってしまった。



本当に良く残っていたものだと思う。

だが残念なのは、、、
観光のメインである“蔵づくりの町並み”の通りが歩行者専用道路でないことだ。
自家用車、バス、トラックが行きかうので落ち着いて見ていられないのだ。
写真を撮ると御覧のような状態で行き交う車を撮影しているみたいになってしまう。
バスやトラックを避けてシャッターを切ってもこのありさま。



観光地だから人が多い、車が途切れないというのは危険だろう。

NHKの番組を撮影したのは観光客の少ない時期だったのだろうか。



それとも撮影が上手だったからかな、たぶんその両方だろうな。







和服姿の女性が通って行く。



「あ、いいねえ。 この街に良く似合うなあ」と、、、
だが聞こえてきた二人の会話は中国語だった。
「はて? 地元に住む中国人の方かな」と思ったが、
観光客相手に和服の貸出しをする店があるのだった。
和服から小物、履物まで一式借りられて着付けまでしてくれるのだという。
これで小江戸の街を歩けば楽しさ倍増である。

観光業は平和産業だという。
紛争中のイラクやシリアへ観光に行こうと考える人はいないだろう。
平和だからこそお互いの国を観光して回れるのだ。
そして重要なことは互いの国を見て知ることによって理解が深まることだ。

新聞、雑誌テレビなどのメディアでは真実を曲げて伝えることもあるのだ。
そのほうが読者、視聴者の関心をひくからなのだが、、
それゆえにすべての中国人が日本に敵意を持っているような報道があったるするのだ。

最近日本から中国、韓国への観光客が激減しているという。
でも、このように日本へ来てくれる中国、韓国からの観光客はかなりいるのである。

それにしても、、
どこにでも商売上手な人はいるものだなあ。
このようなレンタル業は京都や秋田県の角館町などにもあるそうだ。





有名な“時の鐘”の回りはひとだかりがしていたので遠くから撮影。



川越本丸御殿も見たいのだが、寒いし疲れてしまったのであきらめる。
なによりお腹が空いた。

“蔵づくりの町並み”付近の食堂は込んでいたし、観光客料金なので少々高めだ。
うろうろ歩いていたら“成田山川越別院”の前へ出た。

ここは山門からだけ撮影。





その向かいに蕎麦屋があったので迷わず入る。



お腹が空いていたので食べてから「あ、写真を撮らなきゃ」



遅めの昼食を終えて駅へと戻りながら被写体を探す。



“仙波東照宮”があったので入ってみる。



どうしても鳥居が気になる。で、写真を撮る。



ロープ状の注連縄を鳥居に結び付けている。



東照宮を見てから歩いていくとバスが来た。



クラシックなボンネットバスのデザインだが新車のようだった。

こんどは川越八幡宮の前を通る。





ここの注連縄も鳥居に結びつけるタイプだ。



注連縄から下がっている房が面白い。

さらに進んでいくと小さな稲荷神社があった。



ここの注連縄は尻尾の部分が細く房のついているタイプ。
キツネの像が頭にかぶっているのは帽子?それとも耳掛けなのか。




足が重い。
目的を持って歩いているときは朝から夕方まで歩き続けても平気だったが、
ただぶらぶらと歩くほうが疲れるとは思わなかった。
もう一歩も歩きたくないという感じである。

川越駅に戻り盛岡までの切符を買う。



大宮駅まで行き、駅の売店で夕食の弁当を買う。





やはり条件反射的に割引商品に手が出てしまう私であった。
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「脱出記」を読む

2014年06月13日 | つぶやき
「脱出記」を読む。

第二次世界大戦中にシベリアの収容所からインドまで歩いた男たちの記録である。



その距離は6500キロ!

収容所からの脱走なので食料と持ち物はほとんど無い。

足跡を残さないように真冬の雪の中を歩き続けたそうだ。

ソビエト領内で捕まると死刑、良くても死ぬまで収容所生活だ。
そのためソビエト領内を出るまでは人家を避け夜に移動したりだったという。
当然地図もコンパスも持っていないので太陽を見ながらひたすら南を目指して歩いたのだ。

中国で捕まるとソビエトに送り返される可能性が高いから、東には行かないようにしたという。
砂漠では水が無く食料も尽きたのだが蛇を食べて生き延びた。
ヒマラヤを越えたときには”雪男”と遭遇したらしい。

脱走して一年かかってインドにたどり着いたそうだ。
インドのイギリス軍に保護され、その後はイギリスで暮らしているという。

それにしても6500キロとはものすごい。


インターネットには中国を横断した男性の話が載っている。

4600キロをこれも一年掛けて歩いたのだという。
ただ、こちらはリヤカーにテントや食料を積んで引いて歩いているし、
たまにはホテルに泊まっているらしい。


日本列島を縦断した人は大勢いてブログなどで見ることが出来る。
また中山道、奥州街道などの街道を歩くことを趣味にしている人も多い。
巡礼の旅はスペインにもあるが、日本で良く知られているのは四国八十八箇所の霊場を回るお偏路の旅でこれもたくさん本が出ている。


みんなスゴイことをしているんだなあ。


人類はアフリカで誕生しその後ヨーロッパ、アジアそしてアメリカ大陸へと渡ったと言われている。

当然ながら歩いてだろう。

食料を得るための移動だったのだろうけど、移動しながら新たな風景に感動するなどの楽しみもあっただろうと想像するのだ。


人類には歩くこと、旅をすることがDNAに刻まれているんじゃないかなあ。
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東北本線全線全駅歩き旅 【祝 完歩】 44日目 神田駅 => 東京駅

2014年06月12日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
【ゴールイン】 2014年4月19日 44日目 神田駅 => 東京駅約2.3Km

さあ東北本線全線全駅歩き旅の最後の行程だ。

神田駅から線路沿いにまっすぐに東京駅へ向かうことも出来るが、その前に日本の道路の基点である日本橋へ行きたい。

神田駅を後にしてまっすぐ行くと、
日本銀行がある。



重々しいというか重苦しいというか「ここに近づくんじゃない!」と言っているようだ。



まあ日本の財政を仕切っているんだからね、建物もちっとはエラそうにしなきゃ。

隣は三越である。
こちらも私には縁の無いビルだから壁の写真だけ撮って通り過ぎる。



日本橋に到着した。
上を通る高速道路があまりにも邪魔である。



日本の道路行政は景観ということをまったく考慮していないようだ。
この地区は日本橋と東京駅を中心として、まさに日本の中心部なのにデザインがばらばらのビルが立ち並び、そのビルの間を高速道路がぐにゃぐにゃと通っていて景観の統一性が感じられない。
ひとつひとつのビルや橋は歴史もあり美しいのだが残念なことである。




それはさておき、、
道路のゼロキロポストを見に行く。
こちらは複製だが、「日本国道路元標」とありじつにシンプルなものである。



ちなみにこれは中国の北京にあるゼロキロポストである。



観光客でにぎわう前門というところにあった。



中央部にゼロ、回りに中国語で「中国公路零公里点」と英語で「Zero Point Of Highways,China」そして外側にはいかにも中国らしく玄武、朱雀、白虎、青竜の絵があるのだ。
日本のそれに比べるとずいぶんと仰々しいのはお国柄ということか。

日本橋の袂には里程標というのもあり、仙台市までは350キロ、青森市までは736キロとある。



東北本線は青森まで740キロだから国道との差はたった4キロ。
ほぼ国道と東北本線は平行して走っているというのが分かる。
札幌市までは1156キロか、、あと420キロ歩けば札幌まで行けるのか。
青森から札幌まで歩くのも楽しそうだなあ。





一通り写真を撮ったらセルフタイマーで記念写真。



さてゴールの東京駅へと行こう。
風は冷たいが雨は降らない様子だ。
八重洲口ではなく正面から入りたいのでぐるっと大回りする。

これは高校生のときに撮った丸の内一丁目の写真。



後方に斜めに見えているのが東京駅の屋根だ。
この頃は警官が交差点で交通整理をする姿を見ることが出来た。
まだ高層ビルが建つ前だから遠くまで見渡せている。

あれからちょうど50年が経った。
50年前は東京駅周辺に高層ビルが立ち並び、高速道路が出来るなど想像もしなかった。

私はその東京駅へあと一歩のところまで来た。
最後の行程144キロをなんとか6日間で歩き通した。

東京駅の屋根が見えてきた。





東京駅は独特の雰囲気がある。レンガ造りの建物だからかな。





ガラス張りの高層ビルと比べてみる。



1914年完成ということだから100年という歴史が凝縮されているように感じる。
さいわいなことに東京駅中央部分の後方には高層ビルが建っていない、そこだけ空が広く感じる。



だが、駅前広場のガードレールの邪魔なこと。





フラワーポットにするとかガードレールの色を濃い目の茶色にするとか工夫してほしい。

ついにゴールの東京駅に到着だ。
文字も大きくカラーにして写真も大きくしてみた。

ここでもセルフタイマーで記念写真。



そういえば青森駅から東京駅までの間、駅の写真は全部撮ったが自分の写真は数枚しか撮っていない。
ああ、、、駅とのツーショットを撮っておけばよかったなあ。





駅へと入っていく、改装されてホール天井はとても鮮やかだ。





天井部分は大きな画像で。



一番線へと向かいゼロキロポストを探すと、あっさり見つかった。



これも大きな画像で。



ごく小さなもので、興味の無い人が見たら「だからなんなのよ!」と言いそうだ。

ちなみにこれは先日青森駅で撮影した、東北本線740キロポストだ。





青森駅には2012年6月26日に行ったのだがキロポストを撮影しないで帰って来たのだった。
そこで今回、青森に用事で行ったついでに駅に立ち寄り撮影してきたものである。
我ながら酔狂なことだと思う。


キロポストの前で記念写真、大きな画像で。



この格好で青森駅から東京駅までの全部の駅に立ち寄りながら線路沿いに歩いて来たのだ。

2010年に散歩の延長として始めた歩き旅。
足掛け四年かかってしまったが、なんとか自分の足で歩き通した。
やれやれ終わった。

【祝 完歩】

ということで今日の夕食は豪華海鮮丼である。



まさかこの日に吉野家の牛丼じゃねぇぇぇ。


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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 秋葉原駅 => 神田駅

2014年06月11日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 秋葉原駅 => 神田駅 約0.9Km

秋葉原駅を出て次の駅へと向かう。
今日はラジオ会館などを覗いている時間は無い。

駅を出て少しいくと歩道に女子高校生が立っていてにこにこと笑顔を向けてくる。
「ああ、緑の羽根の募金なんだな」と思ったが、、
女子高校生にしては様子が変だ。
妙に大人っぽいというか演技っぽいのだ。
前を通り過ぎて、振り返ってもういちど見てやっと気がついた。
メイド喫茶の呼び込みの女の子だったのである。
メイドの格好をしていないので気づくまで時間がかかってしまった。
あとでよーく考えてみると緑の羽根募金の高校生がジイさんに笑顔を振りまくわけが無いのである。

あーっ、写真撮るんだったなあ~。
緑の羽根募金だと思ったから避けるようにして通り過ぎてしまったのだった。


外国人観光客が電気店に群がる人の写真を撮っている。



自分が客の立場で電気店の店頭にいたときは気づかなかったが冷静に見ると面白い被写体だ。
というわけで私もその様子を撮影してみた。



さて、万世橋を渡る。



歩道の柵には蒸気機関車の絵が、、



以前ここには交通博物館があった。



いまは大宮駅近くの鉄道博物館に引っ越してしまったけれど。
正面入り口には蒸気機関車と新幹線の実物の頭部分があって、その前で記念撮影をしたものだった。

さて山手線の高架下へと戻る。
このレンガ造りの高架はとても趣があっていいなあ。ぜひとも残してほしい。



アーチ部分の中は倉庫などに使われている。



アーチの下は暗くてなにかの秘密基地みたいな雰囲気だ。

神田駅脇のガード下も昔のまま。





ギャングが活躍するミューヨークやシカゴを舞台にする映画の一場面みたいだ。

なんと神田駅も工事中だった。







ここもガラス張りのモダンな駅に変わってしまうのか。



神田駅東口の脇に隠れるようにして銅像があった。



都心では駅前に広場をつくり大きな像を建てるスペースは無いんだろうなあ。
それにしてもこんな隅っこに、、、、、
駅が新しくなったらもっと広いところへ移してやりたいねえ。



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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 御徒町駅 => 秋葉原駅

2014年06月10日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 御徒町駅 => 秋葉原駅 約0.9Km

空模様が急激に怪しくなってきている。
雲が多くなってきただけでなく吹く風が冷たくなってきた。
御徒町駅から秋葉原駅までは高架下の道路を進んでいく。



900メートルほどだから難なく秋葉原駅に到着。
ヨドバシカメラのでっかいビルが目の前にそびえている。



私は電気店を見て歩くのが好きな人間なので、このビルにも何度か入ったことがあるがあまりに広すぎて歩き疲れてしまうのだった。
どちらかというと秋葉原は昔のラジオ会館のほうが好きである。
一坪ほどの狭い店舗に床から天井まで電気部品が並んでいるところを回りながらパーツを買うのが楽しみだったのだ。

ステレオのスピーカーやレコードプレーヤーなど部品を買って作ったり、改造したりするのが楽しみだった。
出来の良し悪しはともかく作ることが好きだったのだ。

だが今では秋葉原はフィギャアなどの店が増えてオタクの聖地になってしまった。
ラジオやオーディオ機器のパーツを買うようなマニアはいなくなってしまったんだろうなあ。
スマートフォンなどで音楽も楽しめるのだが、あれは自分で改造したりして楽しむことは出来ないからね。

秋葉原駅もガラス張りのおしゃれな外観になっていた。









携帯からスマートフォンの時代になるとともに秋葉原も大きく変わってしまったのだ。


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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 上野駅 => 御徒町駅

2014年06月09日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 上野駅 => 御徒町駅 約0.7Km

これは私が高校生の頃の上野駅前の写真だ。



上野公園側から撮影しているのでアメ横方面が写っている。



なんとも懐かしい上野の京成聚楽のビル。
このビルの地下が京成線の乗り場だったはずだ。
まだ路面電車が上野広小路を走っているころの写真である。

上野駅をもっとじっくりと観て回りたかったが、まずは次の駅へと向かう。
上野駅正面玄関口より広小路口のほうが圧倒的に客の姿が多い。



こちらがアメ横に近いからなのだ。
アメ横へ通じる歩道は人で溢れていた。



外国人観光客の姿もかなり見かける。
上野周辺には京成電鉄で成田空港からここまで直行で来れるからだろうか。
人を掻き分けるようにして歩いていくと御徒町駅前に着いてしまった。



私はこのアメ横と秋葉原の電気パーツ街のごちゃごちゃとした通りが大好きで、東京へ来ると必ず立ち寄るようにしていた。
アメ横には外国製の菓子や化粧品を売る店がその頃も多数あった。
まだ外国、特に西洋からの輸入品を「舶来品」と言っていたころである。
私の田舎では見ることも無い外国製の品物を見て回るのが楽しみであった。






御徒町駅は工事中だった。



この駅はいつ来ても工事中のような気がするんだけど気のせい?


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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 鶯谷駅 => 上野駅

2014年06月08日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 鶯谷駅 => 上野駅 約1.1Km

次は“東北本線の実質的な終着駅”である上野駅である。
東北新幹線も開業当初は盛岡駅―大宮駅間だったが、次は上野駅まで繋がり現在は東京駅が終着駅である。
新幹線開業以前も現在も在来線の終着駅は上野駅なのだ。

鶯谷駅を後にして歩いていると左手にスカイツリーが見えた。



線路沿いの歩道を歩く。





土曜日だからか交通量が少なく歩き易い。

大きなビルに挟まれて昭和の面影を残す建物があった。





バイク屋さんだったのだろうか、いまは営業していないようだ。
両側のビルに挟まれて窮屈そうに見える。

これは何だろう?



台東区のなにかを表現しているもののようだ、
料理屋などで出される箸袋のように見えるが、、、よくわからない。

とうとう上野駅に到着だ。
鶯谷駅から上野駅の入谷口前を通って上野駅正面玄関口へとやってきた。



じつはここが正面玄関口だと気づいたのは写真を撮ってからだった。



上野駅には何度も来ているが、いつも広小路口か不忍口を利用していて正面玄関口を気にしたことはなかったのだ。
今日はたまたま正面玄関口から入っただけの事である。
そういえば昔はこの近くにでっかいパンダの像があったはずだ。

意外に思えるほど地味な印象の正面玄関口から入ると。



新幹線が東京駅まで開通する前には必ず通ったコンコースだ。



だが、いま見ると古臭い印象は否めない。
駅の規模からみてかなり狭く感じられるし天井もさほど高くはない、
今の駅舎は1932年の完成だそうだから80年以上経っているはずなので古びていて当然なんだろうけど。

登る用事が無いから眺めるだけだった二階へもエスカレーターで登ってみる。





ヨーロッパの美術館を思わせるような造りだ。





ゆるいアーチの天井の梁が広さを感じさせている。



改装したのだろうが回廊の手摺もなかなかシックなデザイン。



スリガラスを通して柔らかな光が入ってくるというのは気持ちを落ち着かせてくれる。



だが外から見るとつまらないほどそっけない。



正面玄関口を真正面から見る。



開業当時ならそれなりに威厳のある建物だったんだろうけど、いまでは荷物の積み下ろし場みたいに見えてしまう。ああ、もったいない。

私が高校生だったころ上野駅へ来たことがある。
当時は上野駅から地下鉄への通路(現在の東京メトロで入り口)に浮浪者(ホームレス)が棲みついていて小便の臭いがひどかった。
戦後16年ころのことだが日本はまだそんな時代だったのだ。
などと感慨にふけりながら上野駅を後にする。




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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 日暮里駅 => 鶯谷駅

2014年06月07日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 日暮里駅 => 鶯谷駅 約1.1Km

日暮里駅を後にすると時刻はすでに午後2時10分だ。
「たかが写真を撮るくらい」とタカをくくっていたが思いのほか時間をとっている。
それでも写真を撮りながら歩く。

駅前の不二家の店頭にはぺこちゃんの人形が立っている。



女の子はぺこちゃんが掛けているバッグが気になるらしい。
それにしてもぺこちゃん、もこもこの厚着である。
真冬バージョンのまま春先まできてしまったのだ。早く着替えさせてあげようよ。

鶯谷駅を目指してずんずん歩く。



ここからもスカイツリーの上の部分が見えている。



言問通りを通っていく。



鶯谷駅に到着。
ずいぶんこじんまりとした駅である。



駅前の道路も細く、パチンコ店やコンビニが並んでいた。




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東北本線全線全駅歩き旅 44日目 西日暮里駅 => 日暮里駅

2014年06月06日 | 東北本線 宇都宮駅ー東京駅
2014年4月19日 44日目 西日暮里駅 => 日暮里駅 約0.7Km

次の日暮里駅までも700メートルほどの距離だ。
私の自宅から最寄り駅までは約.1.3キロメートルある、電車に乗るためには早足でも20分はかかるのだ。
「700メートルなんて電車で行く距離じゃないだろう。」と言いたくなるが、都会というところはあまり歩かずに済むように出来ているのである。
電車、地下鉄、バスなどの交通手段が充実しているのは大都会の証なのだ。

田舎では駅まで遠く、バス乗り場まででさえ20-30分歩くことは珍しくない。
身近なはずのバスだが、それも1時間に1本あればよいほうで、午前と午後に2本だけという地区もかなりある。
田舎暮らしに自家用車は必需品である。
車が無ければ買い物にも病院へも行けないのだ。

そんなことを言っていると「それならお前も東京へ出て来い」と言われてしまいそうだが。

西日暮里駅脇の坂道を登る。



登りきったところに“西日暮里公園”があった。



公園で一休みしたいところだが空模様が怪しくなってきた。
さっきまで青空だったのがあっという間に曇り空になってしまったのだ。
気温が急激に下がってきた、慌ててウィンドブレーカーをディパックら出して羽織る。



「富士見坂」があるということは、ここからも富士山が見えるというこなんだろうなあ。

少し行くと諏訪神社があった。
石造りの鳥居だが、注連縄が竹竿に結び付けられている。



この注連縄は細めの「干し大根タイプ」のものだ。



中央部分だけみると普通のロープのように見える。このタイプの注連縄は正面から見て左に尻尾というか房の部分が来るように掛けてある。

社務所に掛けてあるものも同じだがこちらは中央部分を少し下げている。



「れ組」と書かれた台座に乗っている狛犬はずいぶんと前脚が突っ張っていた。



別の狛犬を見ると、、



鼻血は出ているし口からは真っ赤な血が滴り落ちている、怖ろしいねえ(笑)

と、、そのまえの石の上にメガネケースのようなものが、、、



目薬、コンタクトレンズ入れなどが見えている。
回りを見たが誰もいない。誰かが忘れていったもののようだが???
ちいさなミステリーである。
こんなことで時間がかかってしまった。



だが、そのすぐ先にはお寺があって桜が散りかけていた。



参道には散った桜の花。



その先を見ると仁王像が見えた、ここは名のあるお寺らしい。



時間が無いからこの寺は道路から写真だけ撮って先へと歩く。

と、、こんどは下町にふさわしい? 昭和の面影を残す長屋が現れた。



ああ、昔はこんな長屋に住んでいたんだよなあ。と、思わず声が出る。



風通しが悪いのに冬になると隙間風が入ってくる、そんな長屋だったっけ。

諏訪台通りを抜けていく。





お寺や神社があちこちにあるからついカメラを向けてしまうのだ。



そろそろ西日暮里駅かなというあたりで、こんどは煎餅屋の前を通る。
「谷中せんべい」と看板にあった。



人気の店らしく行列というほどではないが客が途切れない。



ガラスのケースが昭和の雰囲気を出していてうれしくなる。
すこし行くと今度は人力車。



なるほど人力車で昭和の面影の残る町を回ろうということなのだな。
ここの地名は御殿坂だった。



距離はなかったが見所が多かったので時間がかかった。
やっと日暮里駅に到着だ。
はしょって、、駅の看板だけ撮影。




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