東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅

2019年06月23日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅 【番外編】

2019年(平成31年)4月9日(火曜日) 江ノ島電鉄体験記

熱海からの帰りに大船の湘南モノレールと江ノ電に乗ってみたいと考えた。

このチャンスを逃すと二度と乗れないかもしれないのだ。


まず大船駅で途中下車して駅前を見て回る。



来月に改元されるということで商店街では便乗セールの真っ最中だ。





早くも「令和」は大安売りされていた。セールの口実はなんでもいんだよね。



大災害があったなら「大災害特別セール」などというのもやるんじゃないか。

モノレール駅へと移動する。





懸垂式ということで車両上部に連結器がついている、これは知らなかったな。





連結器イコール電車の下部というイメージしか無かったのだ。

今日も快晴だがかなり冷えている。
モノレールなので車窓からの眺めがよい。



窓から富士山がきれいに見えたので写真を撮りまくる。
地元の人は見慣れている光景だろうけどわたしは観光客だからね。
江の島駅で降りると外にテラスがあって、ここからも富士山が正面に見える。









降りた乗客は皆ここで写真を撮るのがキマリのようだ。
もちろんわたしもしっかりと撮影する。



エスカレーターで地上に降りると交差点の向かい側に魚屋さんがあった。
「船善」という店なのだがひらがなで魚やエビの形を書いているのが面白い。





なかなかしゃれたデザインだな。
看板の「海産物、魚料理」の文字がゴチックというのがちょっとおしいなあ。
せめて明朝体にしてほしかった。

江の島方面へと歩いていくと、パンの移動販売車があった。



その先にも同じような車があって路上のカフェになっているのだった。



さらに先には味噌もちや串もちの販売車もあった。



わたしの住む田舎だと村祭りのやぼったい屋台にしかならないけど、江の島だと串もちもおしゃれに感じるから不思議なものである。

江の島方面へと歩いていくと右手にくっきりと富士山が見えた。





うーーん!これは確かに絵になる光景だ。
左に見える女性は中国からの観光客なのだろうか、なんどもポーズを変えて写真を撮っていた。



一緒の男性は単にカメラマンとして来ているかのようにシャッターを押す姿がいじらしい。
どこの国でも男性は女性のお供でしかないんだなあ。

江の島駅へ戻る途中でサーフボードを運んでいる人とすれ違う。



今日は冷たい風が吹いているがサーファーは寒くないんだろうか。
つい、セーターでも着たら?と声をかけてあげたくなるのだった。

江の島駅から鎌倉駅まで江ノ電に乗る。



過去に鎌倉へ来たことはあるが大仏を見たという記憶しかない。
江ノ電に乗るのはこれが初めてだ。





電車の行き先票を見ると桜の絵が表示されていた。



つい、「観光客に媚びるんじゃない!」と言いたくなった。





江ノ電は観光客に人気なのだがあまりの混雑で地元の人が乗れなかったりするという弊害が起きているのだ。
そのため地元の人を優先的に入場させるなどの対策を打ち出しているという。
江ノ電としては観光客からの収入は欲しいが地元の人を無視できないし、、という苦肉の策なのだろう。
今日は平日だが晴れていて桜も見ごろだから観光客が多いのだった。(わたしもそのひとりだが)
途中の駅には三脚を立てて撮影する外国人の姿もあった。これは混んでいるときは迷惑だよなあ。



運転席の後ろには中国系と思われる女性が3人いて、それぞれがカメラとスマホを構えて撮影中だった。
中国でも撮り鉄の女性が増えているんだろうか。
気弱なわたしはその隙間からそーっとカメラを出して写真を撮る。



鎌倉駅で降りて車止めを見ると、、カエルが乗っていた。これも観光客向けなのか。





さて昼食の時間だが周りのレストランはどこも満員だ。どこも観光客でごった返しているのは桜の時期だからだろう。





駅近くに東急ストアがあったので弁当を買う。





店の前のベンチに腰掛けてちょっとだけお花見気分のお昼ご飯。わたしは安上がりな人間だ。



鶴岡八幡宮への参道も観光客でいっぱいだった。
目立つのが若い観光客の姿だ、昔は神社のお参りといえば爺さん婆さんが列をなしていたものだが、いつの間に信心深い若者が増えたのだろうか。
商店街の中には韓国の人が見たら「なんだ、これは!」といいそうなものもあったりする。



この町でも着物のレンタル業がさかんなようで着物姿で写真を取り合う女性の姿があちらこちらにいた。





カップルで和服を着て歩く人もいるのだが、「お嬢様、おらがお荷物をお持ちしますだ、、」と、男性は女性のお供にしか見えないのが気の毒である。



お殿様の姿にすればよさそうだがちょっと間違えると“バカ殿様”になってしまいそうだし、、むずかしいところだね。
人力車も大流行で客が途切れない、まさに書き入れ時。



体力と楽しい会話の能力が必要だろうけどな。そういえば人力車の運転免許なんてあるのかしら。

鶴岡八幡宮の境内にも外国人観光客が大勢いた。



われわれには見慣れた手水舎も面白い被写体になるのだな。



当然ながら桜と鳥居という組み合わせは日本を表現するには最適なわけで全員がカメラを向けている。





わたしも撮影したのだが、桜と鳥居だけではどこで撮ったのかわからないな。
どちらを向いても人、人、人で田舎の村祭りどころではない人出の多さだった。





そうそうに神宮を後にして駅へと向かう。





途中でも花が咲いていればセルフィーをする女性の姿がある。女性というのは自分の写真が好きなんだろうな。







湘南モノレールと江ノ島電鉄に乗れて充実した一日を終えて帰宅の途につく。

東海道本線全線全駅歩き旅 68

2019年06月22日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11目・2019年(平成31年)4月8日(月曜日) 熱海駅 ―> 函南駅 9.9Km

この歩き旅を始めて4日目(3月31日)のことだが、足の痛みで熱海駅から函南駅間をパスしている。

この区間を歩かないと「全線、全駅歩き旅」ということにはならない。


足の傷はかなりよくなってきている。
昨夜も風呂に入ったが傷にしみる程度だった。かかとの痛みも出ていない。

今日は熱海駅まで行きこの区間を歩こうと思っている。
泊まったグローバルキャビンはバイキングの朝食付きだ。





朝食会場が開くと同時に入ってもりもり食べる。
なにしろここまでは“すき家”とかスーパーの割引弁当、カップ麺などを食べていたのだった。
まるで恨みを晴らすがごとく食べまくった。

チェックアウトして外へ出ると雨降りだった。



カプセルホテルだから窓が無く外の様子がわからなかったのだ。
天気予報を見ると9時ころには雨は止むようだ、これなら歩くのに支障はないだろう。



雨の中をパーカーを羽織って浜松駅へと向かう。

7時32分のこだま号で熱海駅へと向かう。





東海道新幹線に乗るのは20年ぶりかなあ、忘れるほど昔のことだ。





ついうれしくなってきょろきょろして写真を撮りまくる。
熱海駅の構内にも銅像があった。ダイナミックな動きの女性像だった。



前回熱海駅へ来たときは日曜日だったので駅も仲見世通りも大混雑だったのだが、今日は月曜日であいにくの雨降り。







朝の時間帯とはいえ見事なほど客の姿はなかった。客というのは薄情なものだなあ(笑)。
人気のない仲見世通りを歩いていくと、ところどころに温泉地らしい工夫がしてある。



雨は霧雨程度なので雨具がなくてもなんとかしのげるほどだがかなり寒い。





温泉街の狭い坂道を登って行くと来宮駅がある。



来宮駅は東海道本線の駅ではないけれど立ち寄ってみる。







熱海駅から函南駅間のJR営業キロは9.9Kmだが線路は丹奈トンネルを通る、道路は山道を行くので実際に歩く距離は17kmほどになる、しかも熱海峠までは急な上り坂だ。







歩いていると息が切れる、ゆっくりと進んでいく。





有名な梅園のわきを通る、でも天気が悪いので見学はしない。



坂を上っていくと澤田政廣記念美術館というのがあった。
ちらと門の中を見ると、、なにか見慣れたような像が見えた。





人魚の像だがどこかで見たことがある。



記憶をたどると2018年9月15日に八戸駅前で見た像によく似ている。



【2018年 八戸駅前】

そして2014年4月19日に川口駅で見たのも両手を上げた人魚像だった。





【2014年 川口駅前】

そうかこれらの人魚像はこのひとの制作したものだったの(かも)か!
同じ型を使って腕の向きだけ変えて別の作品にしたんじゃないだろうけどねえ。
制作者が同じだとどうしても作品は同じような感じになるのは仕方のないところだが、なんとなくスッキリしないな。

でも人魚というのはロマンだからね。
ディズニーのアニメのリトルマーメイドも人気だし、コペンハーゲンには有名な人魚像もあるし。
なぜ人魚は女性だけなのだろうか? オス(男?)の人魚はいるのかな。
男だと半魚人ということになってしまうなあ、そしたら怪獣だよ。男の人魚はロマンじゃないな。
と、くだらないことを考えながらも坂道を歩いていく。









途中一休みして竹林の写真を撮ったりする。





さらに上っていくと霧が出てきた。
気温がグングン下がってきて寒さで手がかじかむ。





なんとか熱海峠まで到着した、ここからは下り坂だ。





こんなところを歩いているのはわたしだけだし霧があるので、車にわかってもらえるようにヘッドランプを点灯する。ドライバーに歩行者がいることを知らせなくては危険である。





トンネルを抜けていくと視界が開けて霧も晴れてきた。



ここから丹奈断層の遺跡へと下りていく。
函南町は酪農が盛んな町のようだ。





この酪農家の壁にも牛の絵が描いてあった。もちろんバックには富士山が描かれている。





太陽が出てきて畑から水蒸気が立ち上る。



さっきまであんなに寒かったのがウソのような暖かさだ。

「丹奈断層公園」は満開の桜が迎えてくれた。









ちいさな遺跡公園だが断層の状態がよくわかるようになっていた。







みると1mほど横ずれしているのだ。
震源は直下だそうで、マグニチュードが大きくなくても被害は甚大になるのだ。
ここでは過去700~1000年に一度の割合で大きな地震があったということだ。



次の地震まで数百年の余裕はありそうだが油断はできない。

函南駅方面へと緩い坂を下っていく





農家が点在するだけの地区なので自販機さえも無い。



しばらく行くとコンビニがあったので迷わず入る。





ここでチャーハンを買って昼食にした。
コンビニのご飯は進化していて美味いのだ。



店内で休んだので冷え切った体も温まった。歩き旅を続ける。
函南駅への案内が見えてきた。







駅近くには魅力的な撮影場所があったので電車が来るのを待ってシャッターを切る。







熱海峠への上り坂がきつかったのでここまでずいぶん時間がかかった。







今夜は熱海市内のホテルを予約している。
温泉地だがちゃんとビジネスホテルがあるのだ。
1人旅のわたしには温泉旅館、温泉ホテルは高くてとても泊まれない。
ふつう2人以上で1部屋利用、夕朝食付きというのが日本の温泉旅館の料金設定だから1人旅だとかなり割高になるのだ。
いまはそんなことはないと思うが以前は1人旅の客は泊めないということもあったのだ。

ここも昔ながらのビジネスホテルで部屋は狭い、施設も古びているのだが静かで快適な宿だった。









熱海に来たから温泉にも入りたい、、ということで駅前の公衆浴場へと出かけた。
歴史があるといえば聞こえはいいが、いかにも古い施設だった。
看板の文字もかすれてしまって読めないほどだ。





男湯の客はわたしひとりだけだった。



やや熱めの湯に入ったり出たりして過ごしていると疲れが消えていく。やはり温泉はいいねえ。

風呂からの帰りはコンビニで買い物だ。
カップ麺とおにぎりという組み合わせは主食と化してしまった。まあ、旅の間だけだからね。



足の傷はほぼかさぶた状態になった。
温泉に入ってもほぼしみなくなるほどまでに回復した。



これで東京駅から高塚駅までの262.5Kmを歩きとおし、すべての駅に立ち寄ったのだ。
11日かかっているので1日あたり23Kmほど歩いたことになる。
すごく遅いペースだが年齢のこともあるし、観光もしたのだし、足の傷のことを考えるとまずまずのペースと思いたい。





東海道本線全線全駅歩き旅 67

2019年06月21日 | 東海道本線 浜松駅~
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 浜松駅 ―> 高塚駅 5.3Km

浜松駅を後にして歩いていく。
まわりは高層ビルばかりなのでGoogleMapが無ければ迷いそうだ。



日曜日だから駅の隣の広場でもイベントが行われていた。
小学生の女の子のチアリーディングの大会なのかな。



足元には「出世街道」と縁起のよさそうなプレートがあるのだが、はたしてどちらの方向へ行けば出世できるのだろうか。



駅から離れたところにはステンレスの塔に時計という定番の組み合わせもあった。



時計が低い位置にあるのとガラスのケースに入っているのでやや見ずらいのが難点かな。





東海道本線沿いを歩いていくと「堀留ポッポ道」という標柱を見つけた。



その道を進んでいくと蒸気機関車が見えてきた。



遊園地の乗り物みたいな小さな蒸気機関車が展示されていた。







「ケ91」という名の機関車だが、それにしても「ケ」とは、、なぜこの名にしたのだろう。





機関車は大正7年製造とのことだが説明のパネルも大正時代に作られたかのように古びていた。

公園になっている道を歩いていくと今度は「伊場遺跡公園」の案内があった。



案内を読むと弥生時代の遺跡だという。
美しく整備された公園の一角に復元された家屋が建っていた。





ちょうど桜が満開で家族連れが写真を撮っている。





よく整備された公園は歩いて楽しいな。



工場への引き込み線を見ながら線路沿いを進んでいくとスズキ歴史館がある。



ここはGooglMapで見つけて見学したいと思っていたのだ。



道路の向かいはスズキ本社で広大な工場が見える。



入口の案内を見ると事前予約が必要と書いてあったが、受付で聞いてみると大丈夫見学できますよとのこと。
閉館時刻が近いので急いで館内を見て回る。



ずらーっと並ぶバイクの列、わたしが高校生時代に乗っていたのはこの形のバイクだったな。





当時はヘルメットも必要なかった、なにしろガソリンが1リットル50円の時代なのだ。
ガソリン代としてキーリングに50円硬貨を何枚か通していたものだった。



バイク仲間のF君はホンダ・ドリーム250ccに乗っていてちょっとうらやましかった。

就職したころ会社の車はダイハツ・ミゼットだった。



この車のようなまるで空き缶で作ったような車が普通に走っていた時代だ。

そういえばこの手前のバイクのようなホワイトタイヤも憧れだったな。



古いものを見ると感傷的になってしまうのはわたしがすでに老人になっているからだな。
まあ、さすがにこれほど古いバイクは乗ったことはないが・・・



館内には子供が楽しめるようなロボット・ラボなどもあって飽きない。



スズキ歴史館を後にして少し行くと髙塚駅だ。





今回の歩き旅はこの駅までだ。





東京駅からJR営業キロで262.5Kmだ。





今夜の宿は浜松駅前で予約してある。
3月30日にどこにも宿がなくて根府川駅から横浜まで戻ってカプセルホテルに泊まったという苦い経験から、土、日の宿は早めに抑えておくことにしたのだ。わたしも少しは学習しているのである。
髙塚駅から盛岡駅までの片道切符を買って途中下車しながら帰るのだ。






浜松駅前には巨大なステンレスと鐘の組み合わせの塔があった。





この組み合わせはさすがに見飽きたなあ。
ほかのデザインは作る気がないのかな。
あの鐘を使って音楽を演奏するとかの工夫はしてあるのだろうかと思ったりする。





大きな駅だから階段もでっかい。
これだけ広い階段を造らなければならないほど乗降客が多いのだろう。



駅を後にして行くとお店の前に長い行列が出来ていた。
看板を見ると“高級生食パンの店”とあった。



有名な店なのだろう行列は50mもあるのだった。
高級という言葉と行列を見て驚く。リッチとグルメには縁のないわたしだ。

今夜のホテルもカプセルホテルなのだが、わたしには贅沢なカプセルホテルなのだ。



ホテルの入口もちょっとだけ高級な感じ。



わたしにとって高級とはせいぜいカプセルホテルのレベルだなぁ。

カプセルホテルだが個々の入り口は別になっているし小さいながら机もある。



カプセル内にコンセントとUSB電源があるのはとてもよい、もちろんWi-Fiも使えるのだ。
わたしは利用しなかったが夜食としてカップメンも提供されるのだという。
風呂も広いし、外国人向けだろうか風呂場以外にシャワーブースがあるのだ。
ロビーをみると外国人の姿も数人いた。
カプセルの狭さだけ我慢すればとても快適な宿である。

夕食へと出かけたのだが今夜はものすごく冷えている。





あまりの寒さに北国育ちのわたしも歩き回るのをあきらめて目の前の“すき家”へ入ってしまった。わたしは“すき家”とよほど縁があるらしい。
カレーでの夕食とは情けない感じだが安上がりだったので良しとしよう。



東海道本線全線全駅歩き旅 66

2019年06月20日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 天竜川駅 ―> 浜松駅 4.4Km

天竜川駅を後にして歩く。


そろそろお昼時だ。
ちょうどマックスバリュがあったので入ってみる。



店内に休憩スペースがあったのでカツ重とコールスローを買って無料のお茶を飲みながらガツガツ食べる。



残念ながらこの休憩スペースはトイレへの通路わきにあって落ち着かなかった。




食事を終えたらすぐに歩き出す。わたしはヘンなところにせっかちである。



浜松市のランドマークを正面に見ながら線路沿いの道を歩いていく。



駅が近くなって歩道を見ると流星のようなデザインのプレートがあった。





はて? 子供向きに描いたのだろうか。
後日グーグルアースで見るとすぐ近くに浜松科学館というのがあって屋上に同じものが描いてあるのだった。科学館への目印なのだろう。
上を見上げると浜松アクトタワーがそびえていた。






浜松駅に到着。ここも大きな駅だ。







駅北口へ行くと軽快な音楽が聞こえてきた。





駅前広場でバンド演奏が行われていたのだった。日曜日で天気も良いので聴衆も多い。
聴いている人にお年寄りが多いのは曲目がオールディズだからだ。日差しが強いので演奏者も聴衆もつらそうだった。





東海道本線全線全駅歩き旅 65

2019年06月19日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 豊田町駅 ―> 天竜川駅 3.9Km

豊田町駅前には「お助け号乗合所」というのがあった。



オンデマンドの乗合タクシーで自宅から病院などへ定額で利用できるのだそうだ。
これはとても良いシステムだと思う。
最近は高齢者の運転による交通事故が問題になっていて、高齢者から強制的に免許を取り上げろというような声もあるほどだ。
バスは15分も待てば来るし電車は5分間隔で走っているんだからそれを利用しろ、というような乱暴な意見もある。
都会生活者の目線でしか見ていない意見で、地方に住んでいる高齢者は死んでしまえと言われているようなものだ。

だが、このオンデマンドタクシーはよい考えに違いないけど田舎では無理だろうと思う。
ある程度の規模の町でないと機能しないだろう。
なにしろ田舎は人口が少ないから需要が少ない、自宅と病院や駅、スーパーとの距離も都会とは比較にならないからだ。
とかいって、田舎住まいの高齢者を強制的に都会に移転させることもできないだろうし、、解決策は無さそうだなあ。

駅を後にして歩いていく。



端午の節句にはまだ一か月もあるが鯉のぼりを上げているお宅があった、気が早いねえ。



“磐田市香りの博物館”の前を通る。





あれ?さっきの案内には“豊田町香りの博物館”とあったぞ、そうか市町合併したんだな。
わたしのようなものが入館したなら、、
「あの~! お客様、、加齢臭と混ざると困りますので、、、」と、追い返されそうだから外観を見るだけで立ち寄らない。

ここにもオレンジの木がありみごとに実っている、ちょっとうらやましい。



県道261号線から国道1号線に進むと天竜川に出る。







大井川ほどではないが天竜川も大きな川だ。



この橋はいまは県道だけど以前は国道だったんだろうな。





いまは隣に架けられた橋が国道になっている。河原ではバーベキューを楽しむ人たちが見えた。

旧道には歩道がないので新しい橋を渡る。





この橋の浜松市よりのところがちょうど250Kmだった。



橋を渡り切ってから振り返ってみる。やはり旧道の橋幅は狭い、歩いていて大型車が来たら避けるのが大変そうだ。



橋のたもとには旧東海道の案内があったのでそちらの道へと行く。







ここは江戸時代の宿場町の雰囲気が感じられる通りだ。





通りにある餃子屋さんの店名は「かめ」で猫が店長をしていた。なぜ「かめ」という店名なんだろう。



猫店長は通る人ににらみを利かせていた。

その先の電柱には赤い買い物かごがくくりつけてあった。



いったいなぜだろう、鳥の巣のためなのか?なんの説明書きもないのでわからない。



旧道にはかっぽう着姿のおばあさんがよく似合うな。





明治時代にここから浜松市内へと軽便鉄道が走っていたとのこと。




歴史の道という雰囲気がよい。







その先には一部分だけだが松並木が残っていた。このまま残しておいてほしいものだな。











天竜川駅に到着だ。







この時間は客の姿もなく静かだった。



東海道本線全線全駅歩き旅 64

2019年06月18日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11目・2019年(平成31年)4月7日(日曜日) 磐田駅 ―> 豊田町駅 2.9Km

磐田駅を後にして行くと道端に菩薩さまがいて交通安全を願っている。





人通りのない商店街を歩いていく。








“ビタミンロード栄町”と書いてあるが、寂れて見えるこの商店街にビタミン注射をしてあげたくなるなあ。



かなり古い外観の店があった。



文字がかすれてしまいなんの店かもわからないほどだ。
電話番号の局番が一桁ということからも古さがわかるというものだ。
不思議なものでこのような建物がかっこよく見えてしまう。

さらに進み東海道本線沿いに出ると茶色に塗られたガードレールがあった。





ところがよく見ると錆びて茶色になっているのだった。



この錆の上から茶色の塗料を塗ったほうがいいんじゃないかな。

“一言踏切”があった。



ネットで調べると一生に一度だけ、ひとことだけ願いを聞いてくれる観音様がいるのだという。
そこから地名がきているらしいのだ。

さらに進むと“万能踏切”というのもある。



やはり人間は欲張りだから“一言”よりは“万能”のほうがいいのだね。

線路わきにカメラがセットしてあったが、周りを見ても人影がない。



特別な列車でも来るのだろうか。
まさかカメラマンが置き忘れたんじゃないだろうなと、歩いていくとかなり離れたところの車の中で休んでいた。
盗難の恐れはないとは思うがそれにしても不用心だなと思う。


まっすぐで平らな道が続く。





線路わきの柵を見ると、境界の杭を避けてしっかりとコの字形にしてある。



ここまでしなくてもよいのではと思うのだが、日本人の性格としては作りこみたくなるんだよね。

この踏切は読み間違いが多いのだろうか、かなを振ってあった。





「もしもし、きこじまふみきりで事故です」
「え? きこじま、、ああ、けこじま踏切のことだね。困るね間違えちゃ、、プツン」

豊田町駅が近くなってきた。





この町の花は藤だそうでマンホールにもしっかりと描かれていた。





駅前にはこんなものがあった。



空飛ぶ円盤(古いなあ)に乗って月へと帰るかぐや姫の像である。



円盤下部からジェット噴流が出ているところもしっかりと表現されている、すばらしい作品だ。
これは平安時代の熊野御前という方の像だとのこと。

ステンレスの塔はないかと探すと、、おお!この駅にもちゃんとあるのだ。



もう完全にパターン化している安定の組み合わせ、ステンレスの塔と鐘。
塔の基部を見ると「香りの鐘」と書いてある。



別の柱を見ると“豊田町香りの博物館”というのがあるのだと分かった。



そしてなぜか唐突に鳩の像もあるのだ。



この時間は駅の中に人影がなく静かだった。







通路のステンドグラスには藤の絵、なかなか良いね。





東海道本線全線全駅歩き旅 63

2019年06月17日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

11日目・2019年(H31年)4月7日(日曜日) 袋井駅 ―> 磐田駅 7.8Km

旅館の廊下に方言番付表というのが貼ってあった。



「ねがりかかる」は腐りかかる、「こらしょとある」は「沢山ある」の方言だ。
「すくしょ」は無いかと探したがさすがに無かった(笑)
そして観光案内も貼ってありトリップアドバイザーのシールもあった。



外国からの客もいるのだろう英語での案内もあるのだ。

チェックアウトは鍵をフロントの箱に放り込むだけ、防犯上ちょっと心配な気もするが問題はなさそうだ。





午前6時前なので駅への道に人影はない。天気は良いのだが今日も寒い。



旅を終えるまでずーっと寒い日が続いていたのには参った。
桜の時期を選んだのはよかったのだがこの寒さはまさに予想外。



列車の中づり広告に「駅中パン通りマップ」というのがあった。



駅中で買える人気のパンが載っているのだが、“海老ドリアサンド”は良いとしても“ういろうワッサン”というのには少々驚いた。
クロワッサンの中にういろうを入れたんだろうけどわたしなら甘すぎて食べれなそうだ。

袋井駅から歩きだす。



高西橋を渡って進むとパナソニックの工場があった。







看板には“ランドリー・クリーナー事業部 静岡工場”とあるから掃除機や洗濯機を作っているのだろうと思う。



右には大きな物流センターもあるし乳業工場もあるのだった。



雲ひとつない快晴で風も弱い、これで寒くなければ最高の天気だが。







田んぼの中のまっすぐな道を歩いていくと、電柱に「カラスの巣残置中」と書いてある。



上を見るとトランスのところに巣を作っているのだった。



感電や漏電の心配はないのかな? 
わたしはカラスは嫌いだが、生き物を大切にするのはよいことと思うので感心してしまった。

ここにも自転車でツーリングをする人の姿がある、そうか、、今日は日曜日だった。





磐田市のマンホールの蓋のデザインは数種類あるようだ、なぜかタツノオトシゴのデザインのもあるぞ、磐田市の名産なのかしら?









進んでいくと前方にスコップや鍬を持った集団が歩いている。





ボランティアでどぶ掃除? 

交差点にある案内板には近くに古墳があるとのこと。





消火栓の蓋にはジュビロ磐田のマスコットが描かれている、ここもサッカーの盛んな町なのだ。





ヤマハの工場わきを通るとラジオ体操の音楽が聞こえてきた。



日本の会社、工場では朝にラジオ体操をするところが多い。
海外に進出して工場を造るとそこでもラジオ体操をさせたり、社歌を歌わせたりしているらしい。



地図を見るとほかにも古墳がある、ちょっと寄り道してみよう。
と、、行ってみると残念ながらなにも残っていなかった。







案内では全長110mの前方後円墳だったとのことだが宅地などにされてしまったのだろうな。





今之浦川沿いには見事な桜並木があった。満開の時期は過ぎたがまだ桜を楽しめる。



公園があったのでベンチに腰掛けて朝食にする。





この公園には子供の銅像が数体あった。銅像よりは遊具やベンチを充実させたほうが喜ばれると思うがなあ。





さらに進んでいく。近年このようなタイマッサージのお店が増えた、入ったことはないけど人気なんだろうな。







磐田駅前まで来た。





おお!ここでもやはりステンレスの塔が立っている。



七重の塔のようだが、、、はて。





ネットで調べると遠江国分寺にあった七重の塔だそうだ。
同じステンレス製でもこのような形ならよいな。

駅前には復元模型もあるのだった。



ああ、どうせならステンレスでなくこれを大きめに作ったほうが、、、と、無責任な観光客は考えるのだった。

さらに周りを見ると犬がふんどしをしている石像があった。



ゆるキャラだろうけどなぜこの形なんだろう。
これもネットで検索すると磐田市に伝わる霊犬伝説からきているそうだ。

その石像の後ろには巨大なクスノキがそびえていた。





おお! これは素晴らしい! 樹齢700年とのことだ。



よく残してくれたものだ。
駅前再開発で邪魔だから切り倒せということもあったのではと想像するが、これを残しただけでも尊敬してしまうなあ。

駅を見て回ると、
旧こ線橋の支柱というのがあった。





明治44年製とのことだがなんと昭和61年まで使われていたとのこと。



南口を見ると鳥居のようなものが立っていた。
鳥居を分解して再構築したのかなあ、ピカソ感覚の芸術作品かな。





コンコースにはジュビロ磐田のマスコット、ジュビロ君の大きな像がある。









磐田駅は見ごたえのある駅であった。





東海道本線全線全駅歩き旅 62

2019年06月16日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

10日目・2019年(平成31年)4月6日(土曜日) 愛野駅 ―> 袋井駅  3.5Km

愛野駅から袋井駅までは東海道本線沿いにまっすぐに道が伸びている。





交通量も少ないし走る電車も見られるので楽しい。





風に逆らうようにしながら歩いていく。



今日の最大瞬間風速は10mくらいだろう。





袋井駅近くにはこんなものがあった。





なんと太平洋戦争中に銃撃を受けた跡“弾痕”だった。





こんな鉄板でも貫通しちゃうんだなあ。
これなら木造家屋なら屋根から床まであっさり貫通するだろうな。
そこから袋井駅が見えた。



風はあるが快晴なので喉が渇いた。
どれでも100円の表示につられてドリンクを買ってしまう。



駅前にあるスルガ銀行の建物は新築だろうがとても良い雰囲気だ。



当行は長い歴史がありますので、、と建物から顧客にアピールしているわけだな。

駅前広場にはベンチがあって石の猫が昼寝をしている。





うっかり腰かけると猫の耳がお尻にグサッ!

この駅はしっかりとステンレスの塔にボールという組み合わせだった。



どうもこの塔には見覚えがある。
記憶をたどると、、2014年4月に東北本線の栗橋駅で見たのによく似ているのだった。


【栗橋駅前のもの】

たぶんこれらは同じ人の作品なのだろう。
「あ、、そこのボールはちょっと下へ移動させてね、、うん、これで別の作品になったな、よしよし」




道向かいにはこれまた楽器演奏する家族の像があって、ちゃんと決まりを守っているのだった。





袋井駅の壁には「どまん中通り」と大きく書いてある。





ここ袋井市は東海道五十三次の京都と江戸のちょうど中間地点だそうで、どまん中というこなんだとか。



この駅の自由通路にもひな人形がずらっと並んでいた。





南口へ行ってみると現代彫刻作品が建っていた。





市のホームページで見ると日本最大クラスのブロンズ像だそうだ。

偏屈者のわたしが周りをみると、、、郵便ポストの上に鳥が乗っている。





袋井市のキャラクターでフッピーというのだそうだ。
「ふくろい」だから「ふくろう」ということで女の子のふくろうにしたんだろうな。
ポリ袋や紙袋じゃキャラクターが作れないもんね。

時刻はまだ午後3時半過ぎだが足の痛みもあるし疲れも溜まっている。
今日はこの駅までにして掛川市まで電車で戻る。



今夜の宿も旅館である。
1人旅には広い6畳間だが部屋はしっかりと清掃されているし寝具も清潔で文句なし。







早めに風呂へ行く。ゆっくりと風呂に浸かって疲れを癒す。
傷口はまだ赤くて湯がしみるのだが入浴は問題なくできる。



夕食は途中のスーパーで買った海鮮丼だ、この内容で290円なら安いほうだろう。



部屋の窓から見えた夕焼けが美しかった。





東海道本線全線全駅歩き旅 61

2019年06月15日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

10日目・2019年(平成31年)4月6日(土曜日) 掛川駅 ―> 愛野駅 5.3Km



もうお昼時だ、どこかで昼食を食べようときょきょろしながら歩いて行くとスーパ―マーケットがあった。



最近のスーパーには店内に休憩スぺース設けていることがあるが、この店にはなかった。
店舗前のベンチに座って今日も特価処分品で昼食にする。



強い風が吹いているので自転車も倒れている。



風でパックの蓋も、錦糸卵も飛んで行くので食べにくいことこの上なしだ。
マヨネーズをかけようとしたら風で流させて手にかかってしまう、、とほほ。

昼食を終えて歩き出す。



十九首塚という怖い名前のところがある。



平将門の19名の首が埋められたところらしいが臆病なわたしは素通りする。



広い道路を歩いて行くと、、
屋根にオオカミが乗っかっている家があった。





建築中だと思うが、おそらくケーキ屋さんだろう。
“さんびきのこぶた”のレンガの家なんだな。よくみると脇の窓に子豚の姿があった。
かなりよく出来ている、そのままディズニーランドで使えそうなほどだ。





東海道本線、新幹線を左に見ながら歩いて行く。



愛野駅が見えてきた。





愛野駅前にはこのような構造物が建っていた。





おや? ステンレス製の柱ではないのか。

この駅にも銅像はちゃんとあるのだ。



二宮尊徳の像だった。





本を読みながら歩く子供の像のイメージしかなかったが、当然大人になるわけで、、、
尊徳さんは庶民、農業の再興、藩の再建に尽力した偉人なのだ。



この駅も広く明るい。自由通路にはたくさんのひな人形が飾られていた。





“可睡斎ひなまつり”という有名なひな祭りがあるそうだ。





そこで余ったひな人形を、、ということではないと思うが。これだけ並ぶと見ごたえがある。

南口へも行ってみる。
この駅は静岡エコパスタジアムの最寄り駅なのでラグビーボールが建っていた。





さらに工事現場の鉄骨(笑)もあるのだった。





東海道本線全線全駅歩き旅 60

2019年06月14日 | 東海道本線 熱海駅~浜松駅
2019年4月 東海道本線に沿って歩く旅

10日目・2019年(平成31年)4月6日(土曜日) 菊川駅 ―> 掛川駅 7.1Km

菊川駅前は歩道が整備されていた。



レンガ造りの建物が残されている。





その昔はお茶の工場だったそうだ。明治時代の建物で残っているのはこのような頑丈なものだけだろう、日本の家屋は木製なので火災や地震だけでなく老朽化で消えていく運命である。

市役所前には「お茶の菊川」を紹介するパネルがある。



ここにも“ゆるキャラ”があるのだ。
「きくのん」という名だそうでへそでお茶を沸かしている。



お茶だけだと他の農家から「お茶以外にも名産があるぞ!」と言われるのでモコモコパンツにいちご、メロンなどを書き込んでいるのだった。
茶摘み娘ではゆるキャラにならなかったんだろうか。

マンホールの蓋にも茶葉が描かれている。



農家の点在する道を歩いて行き、東海道本線の下をくぐる。







軽自動車がやっと通れるほど幅が狭くて高さも2.4mしかない。
これを造った当時は庶民が自動車を持つなんて考えられなかった時代なのだろう。

東海道本線沿いの道、県道37号線を進む。



緩い坂を上っていくとトンネルの脇に「つま恋リゾート」への案内板があった。



つま恋という名前は「ヤマハポピュラーソングコンテスト」の開催地ということで知っていたが、どこにあるかはこの看板を見るまで知らなかった。
吉田拓郎が人気だったのでコンサートがつま恋で行われたのは知っていたが岩手県からは遠すぎたのだ。昔を思い出してちょっとセンチメンタルな気分になる。
なんといってもLPレコードの時代だったからなあ。

ここから掛川市になる。



わたしの知識は有名な徳川と武田の掛川の決戦があったところ、、、という程度。
いや、もしかしたらゴジラ対メカゴジラの決戦だったのかも、記憶があやふやだ。



猛烈な風が吹いている。両手を広げると上空へ飛んで行けるのではないかと思うほどだ。



竹林が強風で大きく揺れている。



しばらく歩いて行くとカフェがあった。
“ぎょくろ”と看板にあったから「おお、さすがお茶の郷だけあるなあ」と、近づいてみると珈琲専科とあるではないか、紛らわしい名前をつけるんじゃないよ(笑)。



マンホールの蓋は掛川城だろうな。





掛川駅に到着だ。



おお、やはりここでもステンレスの柱に時計の組み合わせ。



お決まりの銅像は、、と見ると。



歩きスマホの元祖(失礼)二宮金次郎の像だった。
片時も休まず勉強に励むということで作られた像なのだろうな、当時は車もなくて事故の心配もないし。
ネットで調べると二宮金次郎の教えを受けた岡田という人が掛川市のひとだったということ。





掛川駅は木造だった。
うーん、落ち着いた雰囲気がよいな。