桃源路の散歩道

日常ブログです。。。

安陽・殷墟Ⅲ

2016-07-18 09:00:30 | ちょっと歴史探索



まとまった雨が降ってから、ここ2.3日涼しい朝を迎えている鄭州です


春節のころから約半年近くヤフーメールが開かなくて不便しております

ログインはできるみたいなのですが、文字認証してログインすると

メールが開かずヤフーのホームページ画面に戻ってしまって

何度やっても堂々巡り。。。


友人からのメールもめっきり減ってしまってるので

支障はないと思いますが、もしメールをいただいていたら

返信できてなくてスミマセン。。。





さて、安陽編の最終回です

じつのところ、殷墟博物館だけで時間切れになってしまったんです

あんなとこやこんなとこも行きたいと、一応計画してたのですが




↑甲骨碑廊



↑甲骨碑林と同じく甲骨文字を見やすく石に拡大したものと

現在の文字にしたものと、左は解説






碑廊はL字型の回廊になっていて、↑こちらは甲骨文字(古代文字)を

一文字ずつ解説された回廊





↑最後は資料館










↑資料館は、外の大きな「司母戊鼎」のレプリカの後方にあった建物

もしかして最初に見学するところだったかも。。。




↑展示室は、殷墟博物館以外は、だいたい左上写真のような建物でした

広い敷地でした。。。。




↑敷地内から見た入場門の裏側

天気に恵まれたのは良かったのですが、蒸し暑かったです。。

そしてこの後、入り口の外の炎天下で

次の目的地である「殷墟王陵遺址」(同じチケットで見学可)へ

行くために、無料送迎の車を待っていたのですが

待てど暮らせど来ず。。。タクシーもない。。。


時刻は14時半・・・さすがにお腹も減ったのに近くのお店は

みな閉まってるし。。。

これ以上待つとなると、移動と見学の時間と「殷墟王陵遺址」でも

見学後に送迎の車やタクシーにすぐ乗れなかった場合のことを思うと

帰りの新幹線に間に合わなくなるので、行くのを断念。。。

その後、やっと見学者を乗せてやって来たタクシーに走りよって乗り

とりあえず、食事ができるところまで行くことにしました。。。





遅い昼食中に夕立になり、暑さのせいか娘が頭痛がするというので

そのままお店でゆっくりして帰ることに。。。





↑駅に向かう途中、「安陽博物館」らしき建物の前を通りました




↑安陽東駅に到着



↑駅舎に入る時に荷物検査をすると、すぐに待合室

改札を通れば、ホームまですぐでした



↑ホームとホームから見える広々とした景色



↑「黄河」

なんかアスファルトの道路のように見えますが黄河です^^

河南省というのは、黄河の南に位置する省ということなのですが

安陽市のように、黄河の北にあっても河南省という市が若干あります。。



↑黄河を過ぎると10分ほどで鄭州東駅(写真左上・・・5分停車)

鄭東新区にある塔(写真左下)・・・名前忘れました。。。^^;




↑そして鄭州駅(西口)

ちなみに、黄〇の中に見えるのは、鄭州駅正面である東口の塔
(・・ていうか角みたいな)の一つです。

以上、安陽殷墟の旅でした





2005年11月から、約11年間暮らした河南省鄭州市から

じつは、この7月をもって日本に完全帰国することになりました

保育園の年中だった娘も、中学を卒業し日本の高校に編入する予定です


落ち着くまで、ブログはお休みさせていただくことになると思いますが
(そうじゃなくても、二ヶ月とかほったらかし状態だったりしてますが)

今までありがとうございました!・・・そして

日本に帰ってもブログを続けていきたいと思っていますので

これからも、宜しくお願いいたします。


出発までに、また更新できたらしたいと思います



安陽・殷墟Ⅱ

2016-07-14 06:40:30 | ちょっと歴史探索



安陽2回目です。。。

前回書き忘れましたが、鄭州駅の写真が無いのは撮る時間がなかったからです^^;


余裕をみてバスに乗ったのですが、予想以上の渋滞で・・・
(通常15分ほどで駅に着くところ40分もかかってしまいました)

駅に着いて写真どころではなく猛ダッシュ!

チケットと身分証の検査に、荷物検査・・・飛行機に乗るのと

大差ない検疫みたいなのがあって、人が多いと時間もかかるので焦りました

幸い検査の方は予想に反して人が少なく、待合室に辿り着いた時には

まだ20分ほど余裕があってホッとしましたが

写真は撮れず仕舞い。。。渋滞知らずの電動バイクで行くべきでした。





さて、安陽2回目写真が多くなりますが

一気に参ります。。。




↑刻辞卜骨・・・牛骨に刻まれた占いの文字




↑こちらは玉で文字が造られています
(彫った文字に玉を埋め込んである!)




↑亀の甲羅も数多く・・・




↑こちらは、甲骨文字の代表のように司母戊鼎とともによく

ポスターやパンフになったりしてます




↑「司母戊鼎(后母戊鼎)」1939年3月出土・・・世界最古で最大といわれています
(国外不出)

サイズは、W112×D79.2×H133・・・(単位はcm)

重さ832.84kg!、方形部分の厚みは6cmとの事。


この重厚感伝わりますでしょうか。。。

5年ほど前に鄭州でちょっとした博覧会があった時、安陽市のブースに

この司母戊鼎のレプリカが展示されていて、ぜひ実物を観たいと思っていました
(河南博物院で国宝展が開催した際も、展示されませんでした)




↑この「母戊鼎」は、ここ安陽と北京の中国国家博物館とで

一定の期間ごとに交互に展示されてる?ようで・・・中国国家博物館では

母戊鼎」と称されています。


それは出土した当初、政治家で歴史家でもあった郭抹若氏が、鼎の内側にあった

「司母戊」の文字をとり命名したが、近年になって「司」の文字は「后」との解釈の方が良いと

中国国家博物館の新館がオープンした折、「后母戊鼎」と改名して展示されたようです。。

オープン(2012年)の模様や改名はテレビニュースになり

改名の件はかなり論争が起こったらしいです。。。(全然知らなかった)

殷墟博物館では、以前のままの名称で展示されています。




↑美しい水蓮が咲いた池のほとりを通って次の展示室へ。。。

その前に池のほとりにあった小さなお店で水とアイスを買って小休止^^;




↑甲骨文碑林



↑出土した甲骨文が分かりやすくはっきりと石碑にされていました
(分かる方には分かりやすいですね。。。)




↑殷代車馬展示庁(殷墟乙七基址)



↑車輪に細い溝があるのが分かりますでしょうか・・・

これは細いレールの上を移動する時のものだったとか。。。

現在の電車の先駆けであるとか・・・と

となりで他の観光者のガイドさんが話していたと、娘が通訳してくれました^^;






↑馬の骨とともに人骨も一緒に出土、展示されていました




↑屋外には「殷墟乙八基址」





↑「北組宗廟祭祀坑」

乙七、乙八は、宮殿跡で、この二つの宮殿を建てる際に

生贄のためになのか、基礎に埋められた人や動物や馬車などだったようです





長くなっても今回で安陽の旅の模様を終了させるつもりだったのですが

続きは次回にしたいと思います。。。





蛇足ですが・・・中国の鉄道は、ホームの混雑を回避するために

ホームへ行く改札口前に大きな待合室があり、そこで電光掲示板で案内が

あるまで待ちます。。。でもそれ以前に・・・

駅舎に入ってから、検疫みたいな・・・と最初に書きました荷物検査があり

そして待合室に入る時にも駅員によるチケット検査を経て、ようやく最後に

ホームに行く改札口・・・となり、電車に乗るまでに改札口を3回通る感じです。。。

行先や便によっては、ものすごい混雑がありますので

ご利用の際には、時間に余裕を持った方がいいです。



安陽・殷墟Ⅰ

2016-07-07 11:07:07 | ちょっと歴史探索



安陽プチ旅行をお届けしたいと思います!


私がずーーッと行きたかった安陽!^^

あまり乗り気でない娘でしたが、絶対見せておいた方がいいと思って

あれやこれやと説得し^^;日帰り旅行決定!
(一泊くらいしたかったのですが。。。)





予定は、世界遺産の「殷墟」と、あと2009年に発見された「曹操の墓」

「曹操の墓」の真偽は、専門家やファンの間でいまだ賛否がありますが

2011年より曹操高陵として展示開始
(2013年に国の重要文化財に指定、正式名称を「安陽高陵」に。
・・・ってことは国が認めたってことですよね。。。)

・・・を見学する予定でしたが

昨年末「曹操高陵」の駐車場の一部が陥没して、観光受け入れ不能とかで

しばらく見学中止との情報を、直前に知って・・・がっくり


でも、他にも宋代の武勇「岳飛の故里」とか、「玄帝廟」(黄帝の孫)とか

名所旧跡はあるので気を取り直して。。。




↑↑時間短縮のため高速鉄道で・・・

鄭州駅から安陽東駅まで、1時間とちょっと。。。

こんなに近かったのならもっと早く行けばよかった・・・なんて^^
(同じ省内なのに新幹線で1時間強かかるのを、近いとは
言わないかもしれませんが・・・)






↑安陽東駅・・・なんか人がいない

駅舎の雰囲気は、ちょっと鄭州駅の西口に似ています。。。
(鄭州駅は東口が正面)

さっそく「殷墟」へ。。。




↑途中「文学博物館」の前を通りました

そしてタクシーで約30分。。。思ったより遠い・・


↑世界文化遺産「殷墟」に到着!やっぱり人がいない!

世界遺産なのに・・夏休みなのに・・・?

でも静かに観れるのに越したことはありません^^





↑殷墟というと、こんなアングルで撮られた写真をよく目にするような^^




↑ここで出土した世界最大といわれる青銅器「司母戊鼎」のレプリカ




↑殷墟博物館の入り口です




↑緩やかに傾斜がかかった、回廊みたいな道を下って行きます


地面の左端のタイルには、入り口に向かって年号が近代から殷代(商代)まで順に

遡って彫られていました




↑中庭に浅い池が・・・中央の石は亀の甲羅の形




入ると、ここで出土した動物の骨や貝殻、化石の展示、人骨もありました

右上の貝殻は・・・


↑世界最古の貨幣と言われている「貝貨」です




↑左上の壺は50センチほどの大きい陶器

銅製の武器は他にもたくさん出土したようです




↑銅鉞・・・まさかり
(ま~さかり担いだ金太郎~♪・・・大きなまさかりでした)



↑銅製鼎いろいろ




↑この器は30センチ弱くらいで、ゆるキャラっぽい魚や鳥が描かれていて

可愛かった^^



↑こちらは「玉(ぎょく)」の武器や装飾品

動物の作りや形は、後の時代に比べれば単純ですが

3千年以上前に、すでに装飾品を造る余裕がある社会だったことに驚きです





↑やっと登場!甲骨文字・・・亀のお腹の甲羅


でも、長くなりましたので続きは後日ということで・・・^^;





乞うご期待^^



日光見ずして結構と言うなかれ

2015-09-02 08:30:00 | ちょっと歴史探索



このところ毎日のように夕立がある鄭州です

一昨日は久しぶりに朝から雨で、午後には止んで夕立も雷もなかったのに

突然停電・・・午後3時から結局8時過ぎまで停電してて困りました。。。


幸い暑くなかったのと、ロウソクも常備してあったのでよかったのですが

電気がないのはホント不便ですね。。。





さて、10年ぶりの日本の夏

ブログの更新が遅くなりましたが、一時帰国の日光編です。。。



↑日光といえば、日光東照宮。。。

中学の修学旅行で来て以来2度目・・・何十年ぶりだろう。。。

階段を上って正門へ向かいます



↑正門

葵の御紋が眩しかったです^^

写真では分かり辛いかもしれませんが、とても広い境内です


日光東照宮は、徳川家康が祀られた神社

詳しくいうと・・・江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した
東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。
日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない
「東照宮」であるが、他の東照宮との
区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。(Wikipediaより)

家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。
家康は遺言中に「遺体は久能山に納め、(中略)
一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。
そして、八州の鎮守となろう」と述べている。
家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。
家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と
日本の恒久平和を守ろうとしたのである。(Wikipediaより)

1999年に世界遺産になっています
(でも、世界遺産のマークとか全然見かけませんでした。。。)



↑階段の先に見える「石鳥居」は

元和四年(1618年)、筑前藩主の黒田長政が奉納したのだそうです

日光東照宮では、この「石鳥居」以内が参道と呼ばれます




↑五重塔



↑なんかいい感じ^^



↑神厩舎(しんきゅうしゃ)

神様にお仕えする 神馬 ( しんめ ) をつなぐための 建物

猿が馬を守る動物であるという伝承(陰陽五行説から生じたとか)から

猿の彫刻を施した。。。

中でも・・・



↑「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は有名ですよね




↑東照宮本殿




↑そしてこちらは・・・・



↑こちらもかの有名な「眠り猫」です

こんなに小さかったっけ?・・・という感想

案内板と矢印がなかったら見逃して通り過ぎていたかも。。。




↑眠り猫は、江戸時代初期に活躍した匠「左甚五郎」の作

眠り猫の裏側はスズメの彫刻になっていて、裏でスズメが舞っていても

「猫が眠るほど平和」を表しているのだそうです


ところで・・・



↑本殿や眠り猫に行く前に「陽明門」をくぐるのですが



↑残念ながら現在は修復中(黄色の矢印)で見られませんでした



↑陽明門の修復作業をしている現在の匠




↑階段を上って家康公のお墓へ向かいます。。。



↑さらに階段が・・・

階段が長いのと、帰国の移動の際に靴擦れをおこしてしまっていて

ちょっと辛かったです。。。




↑階段の途中にあった、徳川家康の遺訓

「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし 急ぐべからず」


といわけで、階段も休み休み上りました。。。(意味が違うか^^;)




↑徳川家康のお墓「奥宮御宝塔」

建てられた当初(1617年)は木造であったが、その後石造に改められ

五代将軍、綱吉公の時に現在の唐銅製(金銀銅の合成)に改鋳された。。。と

案内板に書かれていました




↑「奥宮御宝塔」の周囲をぐるりと歩けるようになっていて

こちらはさっきとは反対側(たぶん西側)から撮ったもの


その後、階段を下って薬師堂の天井に描かれた「鳴き龍」を見学
(残念ながら撮影禁止だったので写真はありません。。。)

この鳴き龍は、天井にかなり大きく描かれていて、龍の顔の真下で拍子木を打つと

鈴が鳴ってるような音がするというものです

別の場所で打ってもただ拍子木の音だけで、音の響き方が違うというか

顔の下で打った時は、ずっと響いていました。。。^^




↑最後に、お茶して日光東照宮をあとにしました。。。

珈琲ソフトが美味しかった!^^

つづく・・・



北京へ

2014-11-27 05:05:05 | ちょっと歴史探索



前回のブログに書きましたが、パスポート更新のため

日曜日(23日)から、二泊三日で北京へ行ってきました。。。


在中国領事館は、中国の数か所にありますが

河南省は、北京の領事部の管轄なんですよね。。。

当初、一泊の予定だったのですが、いろいろありまして・・・^^;

ま、追い追いアップしていきたいと思います。。。





今回は、娘のパスポート(未成年なので5年Pポート)の期限が来年2月ということで

少し早目ではありますが、天候とか娘の学校の試験とかを

考慮して、中間試験が終わった今、更新に行ったわけです。。。



↑鄭州駅(西口・・・駅裏になります)

家は駅の西側なので、去年?西口ができて

家からバスで約10分と大変便利になりました!^^

鄭州駅正面のツインタワーが見れないのは、ちょっと寂しい気もしますが

人と車でごった返している正面に比べると人の数が圧倒的に少なくて

ストレスを感じません^^


前夜からの雨で地面は濡れていますが、この時は小雨がパラついてる程度で

傘は必要ないくらいで助かりました





↑中国新幹線の中

始発の鄭州を出発した時は、乗客もまばら




↑安陽東

安陽も一度行ってみたい。。。




↑北京西駅(南口)・・・鄭州から約3時間半で到着




↑お昼を済ませた後、地下鉄に乗って移動・・・

日曜日なので大使館(領事部)はお休み。。。

なので、この日は市内観光!^^

着いた先は・・・




↑天壇公園!(世界文化遺産)




↑祈年殿

天壇(てんだん)は中華人民共和国北京市東城区に位置する史跡で、明清代の皇帝が天に対して
祭祀(祭天)を行った宗教的な場所(祭壇)である。
敷地面積は約273万m²。1998年よりユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。Wikipediaより




↑祈年殿の内部



↑南側から見た祈年殿

地下鉄を利用すると「天壇東門」(写真の右側)からの入場で

祈年殿の東入り口から祈年殿はすぐ目の前に現れる

よく写真で見かける祈年殿は、南入り口から撮影したもの



↑皇穹宇

皇室の皇に、大空を表す穹と、宇宙の宇という字を書く。
圜丘で祭事が行なわれる時、壇の上に置かれる天の神や
歴代の皇帝の位牌をふだん安置しておく所である。Wikipediaより



↑回音壁

皇穹宇正殿を取り囲んだ壁が有名な「回音壁」
この壁の左右に二人で立って話をすると、声が壁を伝って相手に聞こえるのだとか

残念ながら、フェンスがあって壁にピッタリと近づくことは
できませんでしたが、フェンスから身を乗り出して
試している人も多かったです^^

この回音壁は国内における四大声楽建築の一つだそうです

この壁、落書きがすごかった・・・それでフェンスが設置されたのでしょうね。。。




↑圜丘壇

皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所
毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。
天壇では祈年殿が有名であるが、本来的な意味では圜丘殿こそが
最も重要な場所である。Wikipediaより


創建は明の嘉靖9年(1530年)、南京式の建築により青の瑠璃煉瓦を用いている。


↑その瑠璃煉瓦がコレ・・・すごく素敵でした。。。^^




↑天心石

圜丘壇の中央にある石
この石の上に立って大声で叫ぶとこだまが響きわたり戻ってくる・・・とか。




↑公園内で踊る人々・・・

中国では、朝夕に公園とかで太極拳とともにダンスをしてる人々も多いのですが
なぜか観光客もどんどん参加して、すごい人数でした。。。

観光客はなにも北京の人だけという訳では無いはずだし
・・・なのに次々と、ダンスに参加するって・・・
この曲とか振付とかが、全土的に流行なんでしょうかね。。。?





ま、そんなこんなで夕方になり宿泊するホテルに向かいました^^

次の日(月曜日)は、朝一番で在中国日本大使館領事部へ行きます。。。