石焼きいも他に、おでんを売りに来る人がいた。
トラックの荷台いっぱいにおでん鍋が備え付けてあって、
値段ごとに仕切られていた。
こちらは、明朗会計。
近所の主婦が、鍋をもって集っていた(←マイバック持参的なもの。っていうか、パックなんてなかった)
総菜を売ってるとこがほぼない時代だから、物珍しさも手伝って
そこそこ繁盛していた(←と思う←子供のころの感想)
今考えると、不思議な点が二つ…
①汁物をトラックで運んでこぼれないものか?
木の落としふたがあったような気もするけど、その程度じゃ絶対こぼれるよなあ…
②火加減はどうしていたのか?
おでんの適温を、どのように保ったたのか?そもそも熱源は何か?
う~ん、おでんトラックの謎は、迷宮入り…
それとも、自分の勘違いなのかなあ?
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