何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

スマホの契約メモリが無くなり、画像転送出来ません。

2016年12月21日 17時50分53秒 | Weblog
色々ありましたが今日も、元気です。
今日は、なおちゃんとミキさんがかさこさんを連れてみまいに来てくれました。

素敵な贈り物

2016年12月20日 16時24分44秒 | Weblog
昨日は、夕方突然娘家族がやって来てくれて賑わいだ、そして孫達のささやかなプレゼントも
は病院生活をちょっぴり豊かにしてくれるだろう。
長引いた病院ぐらしで必要なかったつめきり、竹内さんに買って来てもらえて重宝してる。

物ではなく、ミキシング知識をリハビリのOTさんから教えてもらって、又大ボラだがグラミー賞をねらえるほどの音質に上がった。
それだけでなく、OTさん本来の仕事で僕の姿勢を直す事で、左手の小指の痺れを軽減させてくれた。
これも、僕にとって素敵な贈り物。
OTさんとの出会いは、検査づけの病院ぐらしを充実したものにしてくれている。

あと一週間がんばるぞ〜。

孫達のプレゼント

2016年12月19日 18時27分37秒 | Weblog
今日も、造影剤とゆうのを注射されてCTで肝臓の撮影。
注射と共に喉の奥が熱くなった。
人間モルモットだ。
身体の検査の為に、身体に悪影響を与えそうな物を注入される。
体調が悪いのは、そのせいかもしれない。
ほぼ検査は終わった。
あと一週間ガンバッタラ退院だ。

夕方に典子さんと次女の家族が全員で来てくれた。
胃腸炎とインフルエンザがやっと治ったらしい。
いつも静かな病室がにぎわいだ。
早く帰りたいよ〜!。

語れないから語ろう・動けないから動こう・唄えなくても作ろう

2016年12月18日 17時11分11秒 | Weblog
病院の公園の葉もすっかり落ちた。
冬を乗り越え、大地のエキスを吸って蓄え、若葉咲かせる春を待つ。

竹内さんがやって来てくれた。
今日で3度目の訪問だ。
前回はスマホの充電コード、今回は爪切りを買って来てもらった。
入院期間がのびたのでもって来てなかったので大助かり。
毎回、曲が出来たときのエピソードを聞きたがってくれるので話し方のリハビリにもなる。

生活の全てがリハビリだ。
語れないから語ろう・動けないから動こう・唄えなくても作ろう。
竹内さんと話していてそう思った。
まずは、新曲を作ろう。
立ち止まって考えていても風も起こらない、歩きだせば風は起こる。
風を吹かせよう。

語れない動かない

2016年12月17日 19時24分49秒 | Weblog
この左手が動いてくれない。
右手は何とか動いてくれている。
昨日のリハビリ、OTの時間は、音楽の話じゃ無くて手作業のリハビリ。
小さな豆つぶのようなものをつままされて指の動きを診られたが豆粒大の物をつまんで移動させる事が出来た。
だが、今日になってご飯時つまめない事は無いが、箸を持つのがもどかしい。
ご飯をもらう時、必ず名前を言うのだがまともに名前がはっきり発音出来ない。

リハビリで頑張るしか、言語能力、運動機能を維持できる手段は無い。

頼む左手、もう少し動いていてくれ!。

一週間ぶりの入浴

2016年12月16日 17時20分43秒 | Weblog
まだ幼稚園のここみが先日の中央公園で拾って来た枯れ葉で、押し枯れ葉を作ってくれました。
裏には、覚えたてのひらがなで「たいいんしたらまたあそぼおね。」と書かれてあった。
うれしいね。

今日は介護入浴してもらえました。
先日、頭をぶつけて後頭部に出血したので入れなくて、一週間ぶりの入浴だ。
もともと風呂嫌いで、何日はいらなくても平気な奴だが、乾いた血が固まってかさぶたになり頭が痒くて仕方なかった。
3度目の介護入浴で、洗ってもらう間素っ裸なのにもなれた。
さすがの風呂嫌いも一週間ぶりは気持ちいい。
朝からふらつきは今までで一番ひどかったが、気持ち悪さをこらえリハビリにせいをだしたおかげか、悪い気分はきえた。
頭も痒くない。
今日はグッスリ眠れそうだ。

才能ある人が思わぬ所で掘り出せた

2016年12月15日 15時21分09秒 | Weblog
今日も朝から体調は良くないが、今、気分は絶好調。
午前中はB型肝炎ウイルスがいたずらしてないかエコー検査で朝食ぬき。
そして、ハードな体幹のリハビリ、飯食って無いのできつかった。

午後は、OTさんとSTさんのリハビリ。
前にも話したがOTさんは元ミキシングエンジニアーの大場さん。
僕に比べるとまだ若い大場さんだが、ミキシングエンジニアーとして尊敬の念でお付き合い頂いてる。
今ミキシング中の「ありがとう」の収録曲「ライブオン・ザ・ハイウェイ」と「71億分の1の奇跡」を聞いてもらつた。
もちろん大場さんから先日教わった基本的なコンプレッサーの使い方やリバーブのプリディレイの使い方を取り入れたモノをだ。
OTとは作業療法のリハビリなんだが、今日はミキシング技術の講義を受けた。
さらに深いリバーブの使い方を教えてくれた。
そして音楽の話で、リハビリの時間は過ぎてしまったが、僕をミュージシャンと認めてくれたのか。
大場さんの過去の経歴を少し話してくれた。

なななんと、あの和田アキ子さんがアメリカのR&Bのメッカ、アポロシアターでライブした時のDVDのミキシングを担当したと言う。
びっくりなんてもんじゃない。
と言う事は、今僕はプロ中のプロにミキシングのノウハウを教わっている。

いついかなる時も、人とは紳士に真剣に付き合えば、本音の部分を見せてくれる。
才能ある人は、以外な所に埋まっている。
掘り起こせるか掘り起こせないかは、運だけじゃない。
どん欲な探究心があるかどうかだ。
これからも音の世界をどん欲に追求していこう。

ここが広場だった頃よく来たな~

2016年12月14日 20時17分01秒 | Weblog
インフルエンザが治ったばかりに鷹の台駅にある中央公園で遊ぶ孫のここみの写真です。
その母親である次女ゆいがまだ幼かった頃この公園はただのだだっ広い広場だった。
街中の人が野球に散歩に幼い子を遊ばせにピクニックにバトミントンにキャッチボールに、様様に集まって来ていた。
まさしく市民の憩いの場だった。
それが立派な公園になった途端、規制が多くなって自由に出はいり出来なくなって足が遠のいた。
整備される事は悪くはないが、管理されると規制がはいって自由に遊べなくなる。
ゆいが小さい頃出来た公園も40年近くたちこんな立派なイチョウの木が育ってる。
月日の流れはあっという間だ。
その頃僕は新米の父親だった。
イチョウの木が植樹されたばかりの直ぐにも折れそうな細い木だった頃。

孫達の写真で華やいでいます

2016年12月14日 08時06分33秒 | Weblog
ラインで孫達のマンションの玄関に飾られたクリスマスツリーと一緒に写した写真が届きました。
病棟から出られない病院ぐらし。
廊下の窓から見える景色だけが季節を感じさせてくれる。
広葉樹が日に日に枯れ葉を落とし今は枝ぶりだけが残っている寒い風景だ。

病棟の中は日々変わらぬ風景。
日々、少しずつ脚が動かなくなる変化を感じながら・・・。
孫達の写真で気分は華やいでも、どうも体調は下りぎみ。
朝もまったく
食欲が無く、ご飯に手がつかなかった。

体調が良かったり悪かったり日々変化する。
朝起きて毎日一喜一憂、覚悟は出来ているつもりだが心は動く。
今はただ、退院して年末年始家族みんなと過ごす事を想像しながら心待ちに日々を送ろう。

幾分か良くなりました

2016年12月13日 07時21分07秒 | Weblog
朝起きて気持ち悪さが、幾分か良くなりました。
注射で注入された薬物が抜けたのでしょう。
良かった。
でも、ふらつきや左手の震えは増しています。

やっぱりこの病気、なかなか手強いわい。
朝ごはんも完食とは行かなかったが半分は食べれたので良しとしよう。
完治するとか元に戻るたか、甘い考えは捨てて今を生きる事を考えよう。
これからも、運動機能の衰弱は止める事はできないそれが現実なんだからしっかり受けとめて、いつも言っているように昨日より衰弱した今日、何ができるか考えて行動を起こす。
それがこの病気との闘いだ。

僕の歌、アルバム「ありがとう」に入っている「大切なひと」でうたっているように
・・・やり直す事は出来ないけれど
   始めることは今すぐ出来る♪〜

過去に戻る事も、老いを止める事も出来ないけれど、調子がどうであれ今の状況の中で出来る事を探して行動する。
それが闘いであり生きる事。
今を生きる。