凍結していた受精卵が全てなくなったため、採卵をしました。
私の場合は多嚢胞性卵巣です。
フェマーラやクロミッド、スプレキュアを使った方法では排卵までいきませんでした。
排卵誘発剤の注射を使いました。
それも卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になってしまうため、ホルモン値の検査をしながら薬を微量に調節しながら慎重に行いました。
2回目の採卵では全部で25個採れました。
数が多いと卵の質が落ちるので、10個くらいに留めておきたかったのですが。
私の卵巣は直前までどれも反応しなくて、あるラインを超えると一気に全部が育つという感じでした。
その中で無事受精できたのが9個。
さらに胚盤胞まで育って凍結できたのが5個でした。
どれもグレードAだったのでよかったです。
しかし、結局どれも着床まで行かなかったのです。
1個ずつ戻していったのですが、5回ともダメでした。
厳しい結果でした。
ホルモンの数値、内膜の厚さはいずれも問題なかったのですが。
何回体外受精しても着床しない。
一般的に女性が生涯排卵する卵は400個前後。
私の場合は普段自力での排卵ができないので、卵が卵巣に残っています。
1回の採卵で20~30個採れます。
普通に排卵すれば、2年から2年分の排卵ということでしょうか。
卵が一気になくなってこわいです。
それでもまだましな方で、地元のクリニックでは
「あなたの場合は50~60個くらい一気に育ってしまって、OHSSになってしまうので、採卵が難しい。卵の質も悪くなってしまう。」
と言われました。
体外受精ができる卵が採れるだけうれしいです。
5回体外受精することは日数も半年以上1年近くかかります。
お金も1回に30万以上+遠方からの通院費で30万近く。
4、5日に1回の新幹線での通院。
時間もお金も体力も心も使い果たしていく感じでした。
でも私の場合、子宮体がんの再発のリスクがあるため、1日でも早く妊娠しなければいけない。
治療を休むことは子どもをあきらめない限りできませんでした。
この頃はとにかく必死でした。
結果がだめでも立ち止まることはできません。
その日からすぐに次の周期に向けての準備が始まりました。
なんでこんなに治療に必死になったか。
やはり主人に我が子を抱かせてあげたかったからです。
独身であればここまで必死にならなかったかな。
主人との離婚も考えて何度か話し合いましたが、主人は離婚を考えていないと言ってくれました。
私もこの人の子どもを産んであげられないのなら身を引くべきと思いながらも、この人と別れるのはいやだと思ったり。
いろいろ悩み考えてました。
代理出産も考えました。
養子も考えました。
どうすることが私たち夫婦の生きる道なのか、何度も何度も考えました。
考えた上でやはり自分たちの子どもがどうしてもあきらめられなかった。
自分の体のリスクを考えてもあきらめられなかった。
それが治療への執念のようなものでした。
それでもなかなか妊娠できませんでした。
卵を全て使い果たし、3回目の採卵になりました。
私の場合は多嚢胞性卵巣です。
フェマーラやクロミッド、スプレキュアを使った方法では排卵までいきませんでした。
排卵誘発剤の注射を使いました。
それも卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になってしまうため、ホルモン値の検査をしながら薬を微量に調節しながら慎重に行いました。
2回目の採卵では全部で25個採れました。
数が多いと卵の質が落ちるので、10個くらいに留めておきたかったのですが。
私の卵巣は直前までどれも反応しなくて、あるラインを超えると一気に全部が育つという感じでした。
その中で無事受精できたのが9個。
さらに胚盤胞まで育って凍結できたのが5個でした。
どれもグレードAだったのでよかったです。
しかし、結局どれも着床まで行かなかったのです。
1個ずつ戻していったのですが、5回ともダメでした。
厳しい結果でした。
ホルモンの数値、内膜の厚さはいずれも問題なかったのですが。
何回体外受精しても着床しない。
一般的に女性が生涯排卵する卵は400個前後。
私の場合は普段自力での排卵ができないので、卵が卵巣に残っています。
1回の採卵で20~30個採れます。
普通に排卵すれば、2年から2年分の排卵ということでしょうか。
卵が一気になくなってこわいです。
それでもまだましな方で、地元のクリニックでは
「あなたの場合は50~60個くらい一気に育ってしまって、OHSSになってしまうので、採卵が難しい。卵の質も悪くなってしまう。」
と言われました。
体外受精ができる卵が採れるだけうれしいです。
5回体外受精することは日数も半年以上1年近くかかります。
お金も1回に30万以上+遠方からの通院費で30万近く。
4、5日に1回の新幹線での通院。
時間もお金も体力も心も使い果たしていく感じでした。
でも私の場合、子宮体がんの再発のリスクがあるため、1日でも早く妊娠しなければいけない。
治療を休むことは子どもをあきらめない限りできませんでした。
この頃はとにかく必死でした。
結果がだめでも立ち止まることはできません。
その日からすぐに次の周期に向けての準備が始まりました。
なんでこんなに治療に必死になったか。
やはり主人に我が子を抱かせてあげたかったからです。
独身であればここまで必死にならなかったかな。
主人との離婚も考えて何度か話し合いましたが、主人は離婚を考えていないと言ってくれました。
私もこの人の子どもを産んであげられないのなら身を引くべきと思いながらも、この人と別れるのはいやだと思ったり。
いろいろ悩み考えてました。
代理出産も考えました。
養子も考えました。
どうすることが私たち夫婦の生きる道なのか、何度も何度も考えました。
考えた上でやはり自分たちの子どもがどうしてもあきらめられなかった。
自分の体のリスクを考えてもあきらめられなかった。
それが治療への執念のようなものでした。
それでもなかなか妊娠できませんでした。
卵を全て使い果たし、3回目の採卵になりました。