大瀧詠一氏、急死の報。
日本のニューロック創生期に、日本語で歌うロック・バンド『はっぴいえんど』のヴォーカル、ギターを担当。
小生は、’71年中津川フォークジャンボリーのライブアルバムに録音された「かくれんぼ」、「12月の雨の日」によって『はっぴいえんど』を知った。
この頃は、ロックと言えば洋楽指向で、上記の2曲と「春よ来い」の3曲はお気に入りであったが、アルバムにはまだ興味がなかった。
その後、岡林信康のバックで録音されたものを聴いたりしていた。
1990年代後半になって、ロックや日本のフォークのライブアルバムを収集するようになって、『はっぴいえんど』のCDアルバムなどを手に入れたが、バンド解散後の各メンバーのソロ活動には関心はなく、ナイアガラ・サウンドにもほとんど興味は持たなかった。
2004年発売の『はっぴいえんどBOX』が最後に手に入れたものとなる。
元旦は、氏の追悼の意を込めて、『はっぴいえんど CITY』と『ライブ!!はっぴいえんど』の2枚のアルバムを聴いた。
ライブアルバムは、伝説の解散コンサートと謳っているが、そのサウンドは小生が求めた『はっぴいえんど』ではなく、すでにスタートしていたソロ活動の延長線上にあるサウンドであった(特に、鈴木茂のギター・ソロ)。
これを、発売当時、FM放送で聴いた時、来るニューミュージックを支えた新しいサウンドを認めつつも、単純には受け入れることはできなかった。
その後、山下達郎やユーミンの音楽によって少しずつ受け入れることとなるのだが。
氏の活躍の大きさは認めつつも、未だ小生自身は『はっぴいえんど』に留まったままである。
’70年代に活躍したミュージシャンが今、60歳代半ばとなってきているが、あるライブで誰かが言っていたことは、「生涯現役で唄えたらいいなぁ」、「ミック・ジャガーも今の歳まで歌い続けるとは思っていなかっただろう」と。
高田渡氏が亡くなって以降、ミュージシャンとファンがお互いに健康で無事を確かめ合う感じで、毎年1回行われるライブを「生存確認ライブ」と小生は位置づけている。
小生も、食後に2種類の錠剤を飲んでいる身。
大瀧氏に、合掌。
65歳はまだ若過ぎる・・・
合掌。
この場を借りて・・・
謹賀新年。
本年も宜しくお願い致します。
ストレス発散には、好きな音楽を聴いてリラックスして!
ではでは。