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Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

ありがたし

2016-12-25 | Weblog

友人からお歳暮をいただく。
お歳暮というものは、友人からいただくものなのだろうか?(笑)
送ったことがないのだが(ビンボーだから)。

ありがたいなぁ…。

目ん玉が飛び出るほど忙しく働いているはずの人からお歳暮をいただいた。
一体全体、いつそんな手続きをする暇があるのだろうかと。

何もお世話をしたわけでもなく、心苦しいのだが。
でも、お酒は嬉し~~ぃっす!(←現金だな!)

プレモル好きを考慮しての、たぶんサントリーなんだよね。
あぁ、もう高いのに。
申し訳ない。

(もう、ほとんど飲んじゃったよ(笑))

う~ん、贅沢!


そして、第2弾はジロー君から。
や、ジロー。
アテクシ、今年君と話してさえいないんじゃないか?

若干、アテクシの方が年上ではあるが、別になんもしてないし。
お歳暮をもらう謂れはとんとないのだが。

それもクリスマスの日に~~~。

ゴディバのチョコだよ~~~♪
わ~い♪



ヘーゼルナッツプラリネ好き~~~♪

ありがたいなぁ。
アテクシなんぞに、一生懸命働いて稼いだお金を使っていただいて申し訳ない。

ありがたく今回は頂戴するけれど、次回からはもう自分の為に使っておくれ。
もっと生産的なことに使ってほしい(笑)。

飲んで食っての、ありがたき年末でござる♪



Merry Christmas!

2016-12-25 | Weblog

昨今は、一人でクリスマスを過ごす人を指して「クリぼっち」などと言うそうですな。

アテクシもご多分に漏れず、そのメンバーです。
ぽっちりもクリぼっち。(韻を踏んでいるわけでは~)

い~んです。

一人だってちゃんとやるんだ、クリスマス。
意地みたいなもんですな(無駄な)。

鶏モモを一人前買う、この哀しさよ(笑)。

しかし、ケーキ買うのに並んでとか。
近所のスーパーで買い物をしたのだが、帰りのバスの時間があって、あぁ、到底並んだら間に合わんだろうと思って希望のお店では買えんかった。でもま、別の「ちょっとダメそうな菓子屋」で買った(笑)。
クリームがな、イマイチだったな。
しゃーないわ。

シャンパンも一人で3/4くらい飲んじまったじぇい!
プチ贅沢だわぃなぁ。アテクシ的には。


大勢で過ごしている人も、クリぼっちの人も(気持ちを押し殺してでも)メリークリスマス!


クリスマスって「呪い」だよなぁ(笑)。
「楽しく過ごさなきゃいけない」的な(笑)。

いいんだ、自画自賛の日だよ。
社会的にはなにも貢献していないが、家内的には結構頑張ったはずだ、アテクシ。
一人で介護して、施設を見て回って、呼び出しがあれば毎度医者に連れていき、役所の手続きに奔走し。
誰に相談できるわけでもなく、仕事を分担できるわけでもなく。
施設を決めて手続きして、膨大な量の契約書にサインして、施設への度々の引っ越しをし、月々数回見舞いに行って世話をし。
そうこうしている内に、一年が経ったのだよ。
全部、一人でやった。

そんなアテクシへのご褒美が、たかだか数千円のシャンパン一本なら、安いもんだぜよ。

被災している方々のことを思うと、温かい家があってお風呂に入れてご飯が食べられるのは、なんともありがたいことだ。


ふるさと納税は是非、被災地へ。


Wish you a very Merry Christmas!






火の用心

2016-12-24 | Weblog


新潟で大規模な火災がありましたなぁ。
家々を消失された方々にあっては、実にお気の毒なことです。

なんともまぁ、こんな風の強い日に。
出火をさせるかね。

クリスマスやらお正月やらと節目の時を楽しみに待っていた方も多かったろうに、ほんの一人の愚かさで、街一体が焼野原になってしまったよ。

出火元の中華料理屋さん。
中国人か日本人か知らんけど。
認知症だったのだろうか?
鍋を火にかけたまま、離れた自宅に帰るとか、普通あり得ます?
料理をする人間にとって「鍋を火にかけたら、決して目を離さないこと」というのは、鉄則だわいなぁ。
ましてや中華料理屋のような油を多用する店で。

普通に考えて、あり得んだろう。このミス。
せめて認知症であってほしいよ。そうでなければ、お家を無くされた方々が報われない。
TVの映像で、高齢の女性が呆然と失った家の方向を眺め「何も持ってくる暇がなかった」とさめざめと泣いておられた。
余りにも、やりきれない。
その老女の手に淡い緑の翡翠の指輪がはめられており、それを眺めながら脳のどこか奥の方で「あぁ、糸魚川だなぁ」とぼんやり思っていた。

そもそも、この糸魚川の地域は「姫川ダシ」という強風が吹くことがある地域だという。
過去にも何度も大火を起こしている。
今回もご多分にもれず、台風並みの強風の日に失火して一気に広まり、飛び火して離れた地域まで燃えひろがった。消火しようにも防火水槽のキャパシティを超えての水量が必要だったため、思うように消火活動が進まなかったという。

これを機に、こういうことが起こりやすい地域なのだから、防火水槽をブロックごとくらいのレベルで作る必要があるのではなかろうか。そして、延焼を防ぐために、ところどころ公園とか、広めにとった施設を作っておく必要があるのではないかなぁ。

小さな失火でも、こうして状況が悪ければ一気に今回の規模にまで広まってしまう。
同じ事を何十年と繰り返すのは、あまりにアホだろう。

死傷者がほとんど出ていないのが救いだが、せっかく楽しみにしていたであろうお正月を、家を無くして迎えなければならないと思うと心が痛い。しかも、高齢者の方々が多いことだろうに。
辛いなぁ。


乾燥している冬場は、火の元から決して目を離してはなりません。
面倒くさくても、一度消して。
たったそれだけのことで、多くの命を守れるのだから。

急がば回れ、ですよ。ほんとに。

火の用心!




枯れ葉よ~♪

2016-12-15 | Weblog

足を伸ばして、外苑前へ行く。
よく秋になると外苑前の銀杏並木の映像がTVで流れるが、行ったことがなかった。

近くまで行ったものだから、行ってみようと。
人もそろそろ帰りはじめる夕暮れ時であった。

駅からちょっと歩く。
ふいに目の前の道が開ける。

おおっ。これが銀杏並木であるか。
あるな。

あるがー。

見事に枯れとるやんけ!(笑)

ま、そら、そだよな。
うちの方でももう、銀杏は枯れちゃっているんだから。
遅かりし。

でも、見事な銀杏並木ですねー。
立派な銀杏だ。

銀杏並木、実は結構近所にもあるし、学生の頃、学校にも結構見事な銀杏並木があったので、割りに気持ちの上で身近な存在。でも、これだけ立派な銀杏並木はそうそうないなぁ。黄葉の頃であれば、さぞ美しかったでしょうねぇ。地面を覆い尽くしている落葉だけでも、それでもとても綺麗だけれど。

お洒落な人々の間を、なんとなくバツ悪く歩く(笑)。
おしゃれ空間、苦手。
たとえば欧州のカフェとかだと、お洒落であってもそんなに肩肘張らないでいられる気がするのだけれど、日本だとおしゃれ空間のカフェとかお店とか、なんかその不自然なまでに「おしゃれ感の演出」があることが、苦手。息苦しい。アテクシ、場違いだしさ。

道沿いのカフェとかおしゃれ空間だな~と思いながら、歩く。
そして、なぜかやたらに高級車ばかりが停めてある。ベンツとかBMWとかポルシェとか。
車から降りてくるお兄さんも、ええもん着てるなぁ、確かに。
なんなの、この路上駐車はw。

銀杏並木はすっかり落葉してしまっているので、横の小道に逸れてみる。
こちらはあまり人がいなくて、落ち着いた。
ほんとに、人混み苦手だなぁ(苦笑)。


(足長ぽっちりw)





夕暮れ時の日差しが一番好きかも。



ほんの短い時間の散歩だったけれど、きれいだったなぁ。
今度はちゃんと黄葉の時期を調べて来てみようかなw。

ほっと息のつける、静かで楽しい時間だった。


ややこしや~

2016-12-15 | Weblog

所用があって赤坂に参る。
駅員さんに道を聞いて(かわいい男の子の駅員さんで、元気に大きな声で教えてくださった。周りの地理まで全部把握しておかないといけないのだから、駅員さんのお仕事も大変だよなぁ…。ありがとう、助かりました)そのように歩いてきたわけだけれど。

週末の赤坂のビル街はしんとしている。
しかも、朝。

本当にこの方向でいいのだろうか?とちょっと心配になってきたところで、右手に大きな社と思しきものが見える。赤い柵で囲われている。

豊川稲荷。

えー。
こんなところに神社があるなんて、前日に調べた地図に乗っていたっけ?
道、間違ったか?

立ち止まってスマホで確認をする。
と、どうやら道は正しい。思っていたよりも歩くようであった。
合っているのであれば、時間はまだある。
早めに出てきてしまったので、まだ30分はゆうに余裕がある。

ので。

んじゃ、豊川稲荷よってこ♪

観光バスまで横付けされていて。
思いのほか、境内には人が多かった。

たくさんの社があって、一部の人は巡礼みたいなことをしている。
はて~?



朝の空気の中で見る境内はとても綺麗だった。

後から調べてみると、豊川稲荷は元々愛知の曹洞宗のお寺。赤坂はその分院だそうである。
そう、神社ではなく、実はこちらは「寺」。
でも、境内に鳥居もあるんだよ~。ややこしや。
参拝している方も、柏手を打っている人もいた。
アテクシ、なんかどっちか分からなかったので、ちっさく柏手打ってた(笑)。

稲荷というと神社に思いがちなのだが、こちらの豊川稲荷は本尊が豊川ダ枳尼眞天で、そのお遣いが狐さんであることから、狐さんを祀っているのね。「天」がつくものは、確かもともとインドの神様なんだよな。



そして、境内にどうやら七福神があるようで、巡礼している方々は七福神巡りをしていたのだね。
かわいい若い女の子二人連れが、ピンクのお団子やら、お神酒(?)、油揚げなんかのセットになってお皿に乗せられたものを購入して、好みの七福神にお供えしようとしていた。そこへ通りかかった品の良い老婆が色々とそのお供え物について質問をしていて、女の子たちが「あっちで買えます」とか「どこでも好きなところへお供えすればいいんですよ」とか作法を教えていて、とても微笑ましい光景だった。
アテクシもちょっとお供えもしてみたかったけれど、そこまでの時間はなかったので軽くめぐって退散。

朝のジョギングがてら七福神に祈っている人もいた。
一心に祈る人の後姿というのは、いい。

じつに清々しい。




がっしゃ~ん!

2016-12-05 | Weblog

おいおい、である。

昨今、高齢者の自動車事故のニュースが毎日のように報道されている。
60歳を過ぎたら、正直、反応は日々鈍くなるだろう。
70代とか、80代とかで運転って、相当のリスクを背負っている。

アテクシの母も70代半ばで運転しているが、正直、乗せてもらっていると「怖い」。
実際、以前、夜に運転していて追突事故も起こしたことがある。
それも、止まっている自動車に追突したのだというから、すごい。
止まっていてくれて、「幸い」ではあったのだが。

本日。
ベランダで作業していたら。
突然。

がらがら、がっしゃ~~ん!


という、大きな音が響いてきた。

え゛?と思って、階下を見る。

尋常ではない音であった。

集合住宅の倉庫の部分に、一台の車がぶつかっていた。
ぶつかったまま、それでも直進し、一部破壊しながらどうにか道路に戻る。

オイオイオイ…。

補強の管とか、壊れて外れているし…。

車から降りてきたのは、一人の老婆であった。

あーあ、やっちまったよ。
ばあさん。

すげぇな。
団地の前の、ただの一直線の道路で。
どうしてこういう運転ができるんだか。

でもこれが「老人の運転能力」なんだよね。
怖いよなぁ。
こういう人が公道に出ているんだからさ。

運転免許制度は、高齢者については認知症検査も含め、毎年チェックをすべきだと思う。
確かな技術を持っていなければ車って「走る凶器」ですからね。
ただの「殺人者」だよ。

皆さま、注意しませうね。
運転している人が、必ずしも確かな技術を持っている人ばかりとは「限らない」のが、昨今です。


はや、師走

2016-12-04 | Weblog

なんだかんだ言って、もう師走なんだよ。
やんなっちゃうねぇ。

先日、少し早いが窓掃除をした。
年末までにまた汚れちまうんだろうけどな。
溝の汚れは、なかなか落ちないんだよねぇ。もう諦めているんだけど。
やるくせに完璧にはやり切れないところが、アマチュアよねぇ。
プロに頼めばキレイにしてくださるんだろうけれど、おいくら万円かかることやらだしなぁ。

勿体ないもんねぇ。
自力でやるしかない。

今週は天気が良さそう。
今日はカーテンを洗濯。6枚。
でもまだ残り何枚かあるな。

柔軟剤入れたら、結構匂いがついて。
最初は甘くていいかなと思ったのだが。
洗濯後、部屋にカーテンをつけなおし、ずっと部屋にその柔軟剤の匂いが充満していると。

気持ち悪くなった…(涙)


匂い、弱いんすよねぇ。
あと、ゴム製品とかの揮発している化学薬品の臭い、あれもダメ。
吐気がしてきてしまう。

ん~、早くとべ、香(←バカ)

なんだかんだで、師走ってやることが多くて。
そしてなんだかんだで、あちこちお金がかかるんだよなぁ。
その上面倒な親戚づきあいまで加わって。

あ゛ー、気鬱の病だよ。

深遠な問い

2016-12-03 | Weblog

緑道を歩く。
背後から少年二人と母親と思しき人が、自転車で抜かしていった。

右側を走っている8-9歳程度の少年が、並行して隣を走る少し背の高い、おそらくは兄であろうと思われる少年に問う。

「ねぇ、『右』って知ってる?」

兄はその問いを完全に「スルー」して黙々と自転車を漕ぐ。
引き離されそうな弟は一段と加速して漕ぎ、尚も問う。

「ねぇ、『右』って知ってる?」


年若き少年よ。
君より背が高く、自転車を早く漕げる兄は…


「きっと『右』を知っているよ…」
(お前が今漕いでいる側が、兄ちゃんからしたら『右』だよ(笑))


しかし、いざ、口頭で『右』を定義せよと言われたら、なかなかに難しいものですな。
三浦しをんさんの『舟を編む』では(思想ではなく、物理的な)『右』は『身体を北に向けた時、東にあたる方』とされている。

ほぅ、なるほどなぁ。
言葉って難しいよね。
同じように使っていながら、同じ言語を用いる人でも、「同じ意味」で使っていない時がある。

あらためて「定義」を見つめると、案外分からないものだよな。




是清公園

2016-12-01 | Weblog

高橋是清記念公園とは、なんじゃらほい。
てな、感じである。

近くに立ち寄り、時間があったものだから散策する。
高橋是清邸跡地のようですな。(まぁ、なんて広いんでしょう)



大きなクスノキ。
都会の緑ですなぁ。背後にはビル。

ちょうど紅葉の時期で。









日差しがとても綺麗でしたぞぇ。
都会の一等地で場違いな感じがしていたアテクシだが、この緑の場所だけはほっと安らいだ。

緑はいいね。

懸命で、強かで。
静かに、辛抱強い。


すんばらしいっ!

2016-11-30 | Weblog

先輩が、年内のお稽古納めだったこともあって手土産を持ってきてくださった。

なんと、それは!

八雲もち!

わ~~っ♪
ずっと食べてみたかったんだぁ♪
嬉しいよ~~~!

アテクシ以前、「東京の手土産」的な和菓子のガイドブックみたいなのを買ったことがあって。
その中に、出ていた。都立大学、「ちもと」さんの「八雲もち」。ただ、デパートなどでも扱っていなくて、このお店に買いに行かないと食べられないのよね。なかなか行く機会もなくて、食べたことがなかった。

とってもセレブで素敵なマダム。
「気遣い」というもの、「大人」というものは、こういうものなのだなという気がする。
「余裕」って、こういうことなんだなぁ。

ありがたく頂戴する。

帰宅して、緑茶を入れて、いただく。

和紙のこよりで「八雲もち」と。丁寧に一つずつ結ばれている。(手作業でこれを結ぶのは、さぞ大変だろう)あぁ、ありがたいなぁ。

持っただけで驚愕の柔らかさ!てろんと自身の重みで崩れていくようだ。
こんな柔らかい羽二重もちは初めてじゃよ!

はぐっと一口。

美味し~~~~っ(涙)。

ほのかに黒糖の甘み、淡雪のように口の中で融けていく。
カシューナッツが香ばしさを添えている。

うわぁ、美味しいなぁ(笑)♪

念願叶ったりであったことと。
余りの美味さに、泣きそうになった。

しかも、常温で5日はもつという、和菓子としてはありがたい日持ち。
素敵です。
もし、都立大学のお近くにいらっしゃることがあれば、是非お試しあれ。

お手頃価格で、素晴らしい和菓子。


ドーパミン祭

2016-11-30 | Weblog

 

(元?)歌手のASKAさんが覚せい剤の使用で再逮捕されたそうだ。

ま、でしょうね。

やめられるはずもない。

覚せい剤まで手を出したら、もう、社会復帰は基本的に無理だろうと思う。

 

驚きはない。

ただ、彼が幻覚や幻聴で警察にまで自ら電話をして、ことが発覚したという経緯が明かされると哀しいなと思った。

 

幻覚や幻聴に悩まされた人がどういうものか、アテクシは現実に知っている。

アテクシの父がそうだからだ。

アテクシの父の場合は、身体が不自由になっていく病なので、それを遅らせるために意図的に「ドーパミン」を出させる薬を飲んでいたこともあった。だが、そうすると体のいくらかの自由は保てる分、脳は常に興奮状態になり、年がら年中「幻覚・幻聴」に悩まされる。眠ることもできない。

「部屋に誰かが入ってくる」だの「盗聴されている」だの「トイレが爆発する」だの、「部屋が燃えている」だの。

その度に、年中、朝夕関わらず呼ばれ、くだらない世迷いごとにつきあわされる。「それが現実ではない」と言っても、所詮無駄なこと。当人にとっては、どれも鮮烈に「現実」なのだ。恐怖におびえているのは「彼らにとっての」現実。しかし、実際の「現実」には、盗聴者もいないし、監視者もいない。ただ、そこにいるのは「頭のおかしい人が、一人」である。認知症の方や、こうした幻聴・幻視に悩まされる患者さん相手には、傾聴して同意するしかない。しかし、健常な人間がこうした「頭のおかしい人」の相手を親身になって「聞く」ことって、ほんとに疲れるんだよ。同じことの繰り返しだし。狂ったループに放り込まれる感じ。

書いていると笑えるけれど、これに実際、ましてや一人でつきあうことになったら、少しも笑えない。

その切実さを身に染みて知っているから。ASKAさんが切羽詰まっていたのだろうなということは、良く分かる。

ご家族も大変だろうな、と。彼は20年近く覚せい剤を使用しており、ヘビーユーザーだったろうから、正直もう「復帰」は無理だろうと思う。脳が「やられて」いるんだよ。

この人、もう、死んだ方が幸せだろうな…。

ファンの方の中には「信じていたのに裏切られた」とか感じている人もいるようだが、覚せい剤中毒にまでなった人が、「意志」だけで、社会復帰できると思ったら大間違いだ。一生、施設の中などで過ごさない限り、薬物の乱用を繰り返すだろう。それが「薬物」というものだ。

人の「意志」程度で、どうにかなる話ではない。脳細胞や神経が損傷しているのだから。戻らないのよ。

 

人間の身体って、本当に一つひとつの原子でできていて、身体の中で起こるすべからくは「化学反応」なのだなぁと。

この人はもう、元には戻れないでしょう。

 

 

 

 


木曜日、雪。

2016-11-26 | Weblog

 

11月なのに。

雪。

 

積もるというほどにはならなかったけれど、ひらひらと。

腕を窓から差だし、手のひらに雪。

あっという間に融ける。

 

どこかの研究者が「雪の結晶の写真を送って」と言っていたのに。

送れません(笑)。

 

寒い…。

寒いけど、きれい♪

 

さすがに、ストーブを出しました(笑)。

 

 


チア!

2016-11-23 | Weblog

元気出せ、アテクシ!
(とか、そういうことではないです)

ドンキへ行った。
そして、最近、うちの道路を隔てた真向いにあるドンキは、ついに「野菜」まで取り扱い始めたぞ。
品質はイマイチだが、そこそこ安い。
小松菜、買っちゃったよ。だって98円だったんだもん。(今、この値段でなかなか買えんよ)

それはともかく。

チアシードなるものを買ってみた。
なんか安売りしていたし。どんなもんじゃろと思って。

バジルシードみたいなビジュアルだなと思ったら、チアもシソ科の植物で、サルビアの仲間だそうだ。
そりゃ、同じ科だもの、似ているわいなぁ。

それにしてもチアシードの栄養バランスはいいことはともかく、カロリーの高さにびっくり!
大匙一杯で、50kcalぐらいあるんすよ。
すごいね、それ。

メキシコからグアテマラにかけての中米原産なので、古代アステカとかマヤとかそういうところで食されてきたのでしょうなぁ。
食物の確保が難しかった古代では、これだけ栄養分が高くて高カロリーな実というのは、確かに価値が大きかったのでしょうね。
ま、種とか卵、というのは、そこから生命が育まれていくわけだから、栄養価が高いのは当然だよね。

味は、少し粉っぽくて噛むとジャリジャリしていて(笑)、独特の苦みと青みがかった香がありますな。
バジルシードはそうでもないけれど、チアは少し癖がある感じ。

酒を飲みながら、パラパラとヨーグルトに混ぜて蜂蜜をかけて食べた。
つまみがヨーグルトって、なんだそれだが(笑)。

で、そのあと、ネットでチアシードについて少し調べてみたら。

「生で食べるのは危険です」と…。

え゛…、食っちまったよ?

種には「発芽毒素」があるので、生では食べない方が宜しいようです。
(食っちゃったけど)

12h以上浸水させて戻してから使うとよろしいそうですゎ。(かえるの卵みたいにゼリー状に膨らむ)

ま、いまんとこ、お腹は大丈夫。

あんまり美味いものではないけれど…。
ヨーグルトに混ぜて一晩おいとけば、ちょうどいいかな。きっとホエーで戻るだろうし。

別に健康嗜好とかオーガニックlife万歳とかじゃ、全然ないのです。
ただ、「どんなもんじゃろ?」と思っただけ(笑)。

とりあえず、試してみるという、ただのミーハーでした。

追記:

一晩プレーンヨーグルトに混ぜて戻したチアシードは、生のものより食べやすかったです。
以前、友人がドライマンゴーをヨーグルトに浸して一晩寝かせると、ぷりぷりに戻って美味しい、ということを教えてくれたのですが、同じ原理ね。水に浸したチアの方が断然苦みが減ったように感じられて食べやすい。チアシードの一日の摂取限界量は大匙一杯まで、だそう。


ヌーハラ

2016-11-22 | Weblog

ヌードのことかと思ったら。
ヌードル・ハラスメントの略だそうである。

訪日した外国人が、日本人が麺を「ずずず」とすする音に嫌気がさすというもの。

…。

知ったことかっ!

何様だよ?

日本人が外国へ行って、その国でパスタとかを「ずずず」と啜っているということに対して「嫌だ」「マナー違反だ」と思うのなら、分かる。それは致し方ない。彼らの国の食べ物だから。

でも、日本で蕎麦やうどんを「ずずず」と啜ることの何がいけないのか?
そもそも、外国人は「啜る」ことができない。それがマナー違反という教えが幼いころからあるから、「啜る」という行為そのものができないのだ。

しかし、日本人の、特に蕎麦に代表されるような「啜り」には香りを楽しむという実利がある。
蕎麦の美味さは「啜ら」なければ、逆に味わえないのだ。
外国人のようにくちゃくちゃ小さくちぎってもそもそ食って、蕎麦の味わいが分かるはずもない。

その食べ方こそ、こちらからしてみれば「汚らしい」んだよ!

郷に入っては郷に従え、である。

大抵、その地で実践されている方法には、それなりの理由がある。
それを知りもしないで、自分の価値観だけを他所の国に来てまで押しつけるなよ。
なんたる「傲慢」か。

嫌なら耳栓でもして、食えよ。
ここは「日本」で、日本では麺類を啜ることは「マナー」に適っているのだから。


外国の方にそれをしろとは強制しない。
が、あなたたちの価値観とはまったく別のベースで生きている国に対して、自らの価値観を傲慢に押しつけないでほしい。

あなた方は、たかが日本人のために自分たちのやり方を変えるか?
変えんだろう。

逆も然りだよ。
Fairというのは、そういうことさ。


あなたたちの価値観が、defaultなわけじゃないョ。


日曜日、晴れ。

2016-11-21 | Weblog

前日は寒くて、ざぁざぁ降りの雨であった。
今日は天気が良くて、早く起きられれば良かったのだが、前日夜更かしをしたので起きられず。

せっかくの洗濯日和を数時間、無駄にしてしまった。

誰かが家事をやってくれればいいのだがなぁ。
ひとり暮らしだとそうもいかず。
ご飯も自分で作らないと、誰も作ってくれない。
当たり前のことだが、時々嫌になる(笑)。

遅ればせながら、布団を干す。
干すには遅いが、数時間は干せるだろう。

溜まった録画を見ることもできるが、せっかくの晴れなので、少し外に出たいなと思う。
布団を干しているから、数時間で戻らねばならない。ゆえに、遠くには行けぬ。

となると、近所の日本庭園にでも行くか。

取り立てて何にもない。
だが、ビルを借景に、こじんまりとした日本庭園があって、抹茶も飲めるのでなかなか良いのである。

出かける。

日曜だから、なんだかんだあちこち人混み。
家族連れ。
そうよな、日曜だもの。

アテクシのようなものには、居場所のない日曜の景色である。

良く晴れた日曜であったので、庭園には結婚式のカップルが先取りの写真撮影をしていた。
おめでたいことなのだろうが、そうするとのんびりと眺めることもできず、そそくさと撮影の邪魔にならぬよう前を通りすぎねばならない。
迷惑だが。
致し方ないな。
めでたいことなのだし。

「おめでとうございます」と言うことは、アテクシとて忘れない。

嫉妬、というほどのものでもない。
ただ、何かしらの「切なさ」ではあろうな。
そんな風に幸せな時を一度たりとも過ごせなかった自分への。
チャンスはあったろうのにね。

選ばれなかったのか、選ばなかったのか。
今となっては、どちらでも同じことよのぅ(笑)。

幸せな人というのは、どこかで無意識に、幸せでない人を不幸にする。
だけどそれは、幸せな人には思いもつかないことだから、これまた致し方ないよね。

小学校低学年くらいの男の子が母親と一緒に散歩に来ている。
橋の上で、彼は買ってもらった「鯉の餌」を撒く。

鯉が狂ったように、押し寄せてくる。
一様に口をあけて、橋のたもとへ。
ほとんどホラーである(笑)。

少年はケタケタと笑い、母親も奇声をあげる。
鯉だけが必死に餌にたかる。

少年は知ってか知らずが分からないが、橋のたもとにある石の上に餌を撒く。
鯉は口をバクバクさせるが届かなくて、石の上に乗りあげるようにして餌を求める。

なんだろうな。

少し意地悪な子だなと思った。
あえて、そこに餌を落す必要はないのに、より取りにくい場所に彼は選んで落としている。

必死な鯉の形相を笑う親子。

確かにグロテスクでシュールではあったが。
彼らは必死で一途なだけだろう。

「笑える」と言えば、笑える光景なのかもしれない。
だが、必死に生きようとしている生物の姿を高笑いするのは、気持ちがいいものではないな。
それが、どんな生物であれ。

君が餓えて、必死に食物を欲している姿を、どこかの誰かが上から(それも君がなかなか届かない位置へ)餌を投げいれ、笑っていたらどうだろう?

優位な立場であるならば、尚更のこと。
「思いやり」は必要だと思う、少年よ。

その行為は確かに純粋な楽しさであったのかもしれない。
でも、アテクシはこの少年を「子どもらしい残酷さに満ちている」と感じた。

それほど色鮮やかではないが、紅葉がいくつかあった。やたらに、つわぶきの黄色い花も咲いていた。
庭師の年配の男性が何人か世話をしており、目の合った一人とは通りすがり様に挨拶を交わした。


もうすぐ冬が来る。


あまり知られていない庭園だけれど、それがいい。
時々ふっと立ち寄って、季節のお菓子とお抹茶をいただいてくる。

入場料は100円。お抹茶500円。
なかなか安価な「幸せ処」である。

しかし、日曜は人が多くていかんね。