Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

今年もお世話になりました。

2007-12-31 | Weblog
今年もあと残すところ数時間で終わりです。
お風呂上りに「琥珀エビス」を飲んでほろ酔い加減でございます。琥珀エビスは缶の色が実に綺麗ですね~~♪

今年も出ました。
我が家の大晦日の定番「ざくざく煮」。今年も具沢山です。汁が見えません(笑)。ハムのように見えるのは「するめ」でごわす。白い物は百合根。この百合根が美味いんだ♪ギンナンも♪

地球の反対側からは既に気の早いNew Year's cardが届いた。
あの寒い国で、世界で一番美しい広場を持つといわれるあの国で、あなたは笑って新年を祝うのでしょうか。仕事なんてしていないと良いのですけれど。
どうか、彼方の国にいる君にも、星のようにたくさんの幸せが降り注ぎますように。

皆様、今年もオンライン、オフラインともにお世話になりました。
どうか皆様の新年が初恋のようにドキドキするような幸せなものとなりますように♪

P.S. そしてなぜかBGMはStingのBest版。このブログのタイトルとも微妙に被るところがありますかね。
なぜStingyな気持ちなのか、よく分かりませんが(笑)。

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「武士の一分」

2007-12-31 | Films
藤沢周平原作の、山田洋次監督の映画。
まぁ、木村拓哉の時代劇と言ったらこんなもんかねぇ、というところである。それほど酷くもなかったけれど、お金出してまでこれを見にいかなくてもいいかなというような出来。

木村拓哉は現代劇ならばまだいいかもしれないけれど、時代劇というのはちと無理がありますね。ちょんまげ似合わないし。箸の使い方、食べ方、城に上がって礼をする時に指先が揃っていないのがとても気になる。いかに下級武士と言えど、礼儀作法ができない武士というのは、ありえないでしょう。やたらに口をもごもごさせて演技をしたような気になっているのもちょっと鬱陶しい。

木村は途中から盲目になる役柄なのだが、盲目の演技もいささかわざとらしい。やたらに障子やふすまをバタバタと触ってみたり、熱いお茶を飲むのに湯飲みを物凄い勢いで上下させたりする。目が見えなくて、熱いお茶が入っているのだったら、そんなに素早く湯飲みを動かせますか?お茶がどこまで入っているのか分からないのだから余り動かさないで飲むでしょう、普通。それに目が見えなくなって暫く経ったら、家の中の間取りくらい覚えるでしょう。そんなに見えなくなった直後のようにバタバタとけつまずいて家の中歩いたりしないでしょう。

と、突っ込みどころはたくさん。

ただ、脇役陣が良い。ことに下男役で出ている笹野高史がとにっかく素晴らしい。もうこの人が主人公達を飲む勢いで芸達者である。彼が出ていなかったら、私はそうそうにこの映画を見るのをやめていた。ただ、余りにも笹野さんがいい味を出しているので、最後まで見たのである。もう、完璧。いいねぇ。彼は芸達者ゆえに実は歌舞伎の舞台なども踏んでいるのだが、TVで一度中村勘三郎と共演しているものを見たけれど、歌舞伎の舞台でも見事なものである。本当の役者、というのはこういう人を言うのであろうな。そうです。彼の演技を見てください。それだけでいいです、この映画は。

坂東三津五郎も敵役で出ているが、いいですね。やはり歌舞伎役者さんは着物にまず不安がない。着姿が美しいし、所作が完璧に美しい。割に好きな俳優さんだけれども、出てきた瞬間とその台詞からもう大体展開が分かったが(笑)、まぁ、これまたいやらしい役もお似合いで・・・(笑)。

檀れいさんは綺麗なんだけど、「金麦の宣伝」からして私はどうも好きになれない女優さん。まず金麦のイメージが酷く鬱陶しくて嫌いなんです。悪くはないのだけど、この映画でももう少し声が低かったらよかったなと思う。泣いたり、叫んだりのシーンがキンキン声でやられると、非常にうざいんですね、正直。もっと共感を得られるような演技の仕方があったと思う。なんというか、彼女の「感情」というものが通り一遍の演技で余り伝わってこなかった。

山田洋次も年を取ったのかなという感じの作品である。カメラワークがいかにも撮影のために人を配置しているというのが、とてもよく見えてしまう。下男の男がショットの左から縁側沿いに入ってきて、中にいる主人へ近寄るのにわざわざカメラの右端へ寄る。これは部屋の中の中央に妻と木村が座っているから被らないようによけているわけだが、不自然でしょう、それ。よくドラマのテーブルを囲って座る配置で手前だけ誰も座らない、みたいなさ。無論カメラがあるんだから、そうしないと映せない、そりゃそうでしょう。だけど、それを見ているものに分かるようにそういう作為性をショットに映しちゃ、監督はダメなんじゃないかと私は思うのだ。

ドラマも映画も「嘘っこ」である。虚像なのだ。でもそこにどうやってリアリティーを生み出すかと言ったら、その「嘘っこ」の世界がどれほど「本当の感情と理」で動いているかのように演出するかということだろう。カメラのために俳優が遠回りして「行かなければならないところへ向かう」というのは不自然だ。主人に呼ばれたら下男は最短距離でそこへたどり着く経路を選ぶはずである。なぜなら彼は主人に快く仕えている下男だからだ。そういうリアリティーを便宜のために潰して欲しくは無い、と私は思うのだ。

そうした不自然なショットが私には随分と目に付いた。殿にお目通り願うために砂州に座って殿を待つ間に蚊に刺される、という設定でも蚊がCGか何かで異常に大量発生してまとわりついている。どこだよ、これ。アフリカかよっ。っていうか座っている人の周りに飛ぶ「蚊」なんて普通映像で見えないだろ。何も物理的に黒い点をそこに作るまでもないのではないか。それは演技でいかようにも見せられるところだと思う。最近はCGで何でもできてしまうが、できてしまうからこそ、演技の幅が狭まってしまったような気がする。

果し合いのシーンも。見せ場なのに、今一つ盛り上がらず。やっぱりねぇ、殺陣くらいはきちんとできる人でないと時代劇というのはできませんよ。腰の入っていない殺陣ほどお粗末なものはない。

これは本当に笹野さんでもっている映画。
ビバ笹野、です。

個人的には評価は、星二つくらいかの。
惜しい、チンって感じ。
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「獣の奏者」

2007-12-31 | Books
先日、「精霊の守り人」というアニメをみたことがきっかけで、上橋菜穂子さんの「獣の奏者」という上下巻の児童書ファンタジーを読んだ。これも家人が買ってきてくれたクリスマス・プレゼント(のようなもの)である。お正月用にどうやら買ってきてくれたらしいが、読み始めたら結構面白くて上巻300p、下巻400pを一晩と半日で読破してしまった。

上巻は、申し分なく面白い。(上巻は、というところがミソね)

ファンタジーの説明はなかなか難しい。
その世界には起源を一つにする(主に)二つの国がある。神の血筋を引いているとされる王国とその臣下が興した国。神の国には王獣という光り輝く翼を持った獣がいて、臣下の国には水陸両用の戦闘用の怖ろしい巨大蛇がいる。神の国は流血を汚らわしいものとしてこれと言った武力を持たないので、神の国を守る為に、つまり軍部の役を引き受けた臣下の国は、王国の外堀を守るように神国の外側に国を構え、神の国を軍事的に守っている。汚い仕事を一手に引き受けるというわけだ。しかし、何世代か経つにつれ、国防を引き受けた臣下の国では大公が権力を持ち、今まで血塗られた仕事を一手に引き受けてきたにも関わらず未だ神の国からは蔑まれて見られることに段々と憤ってくる。

主人公エリンはそんな軍部を引き受けた大公の国の闘蛇と呼ばれる戦闘用蛇の世話を任された母の元に生まれた。父は大公国の生まれだが既に亡くなっている。母は地元の人間ではなく、異部族の出身だ。大公の国でも異端児として育てられたエリン。ある日、母が世話をしていた貴重な闘蛇が死んでしまったことで、母は捕らえられ処刑される。命からがら神の国近くまでは逃げたエリンは、そこで養蜂を営む老人に拾われ、養われる。老人から高度な教育を受け、命の仕組みについて関心の深かった彼女はその才能を認められ、神の国の王獣を専門に保護する獣医となる。人には慣れないとされていた王獣を彼女は慣らすことに成功し、その能力のせいで政治の駆け引きの渦中へと巻き込まれていく。

ま、王道ファンタジーです(笑)。設定的には。
ただ、舞台がアジアらしい背景を持っているので、今までの西洋的なファンタジーとは違って新鮮である。まぁ、王獣がこうやたら光り輝くばかりに美しい、という設定と闘蛇が怖ろしく醜いという白と黒、正と悪のような二極的な設定からは抜け出していないし、主人公が混血児で、特殊な能力を持っていて、社会的にも異端児であるというのも、ありがちといえばありがち。

作者の上橋さんは文化人類学の背景を持っている方なので、文章を読んでいても彼女のものの見方のスタンス、彼女がおそらくアカデミックな世界でも疑問に思っていた事、追求していたことというのが文面からよく分かる。その距離感、葛藤、それでも追及していこうとする姿勢が私はとても好きだった。

ことに蜂の生態に関しての記述は、それがそもそも彼女がこの小説を書くきっかけにもなった事象だそうで、非常に丁寧に描かれているし興味深い。蜂は女王蜂を中心としたグループがある一定の大きさに育ってしまうと、半数の蜂を残して(大抵)元の女王蜂が別のグループを形成し巣を離れる。その移動の際、女王蜂を守る為にまるで黒い一つの塊のようになって巣から飛び出していくのだ(これを分封というらしい)。巣が決定しておらず、女王蜂が危険に晒されているこの時期は非常に危険で、下手に襲うと人間は命を落とすことにもなる。

上巻は細部まで大変丁寧に描いている。のちに関わってくる神の国の王の警護をするいわばSP役の青年が、趣味で家具を作る。その箪笥の出来が大変よく、出来上がって最後の引き出しをつめたところ、上の引き出しがぐっと突き出てくる、などという記述もちょっと芸が細かいと思う。それは寸分の隙間も無いほどに上手く箪笥を作ると空気の行き場がなくて、上の方の引き出しが自然に押されて出てくるのだ。それが良い箪笥の目安ともなっている。そういう知識をさりげなくちりばめているところなどはなかなか面白い。

しかし、如何せん下巻がまずい。下巻後半部分から妙に端折りすぎて、前半の丁寧さはどこへやらで一気に畳みかけて終わらせてしまう。妙に尻切れとんぼな結末なのだ。思わず、はぁっ?ってな感じになってしまった。

その気持ちは分からぬでもない。以前論文を書いていた時、私も同じようなことをしたのだ。始めは丁寧に、丁寧すぎるほどに書いていたが、最後になって時間がない、字数が足りないなどで妙に端折って急いで終わらせる。結果、やけに尻すぼみの論文になってしまった。この小説はまさにそんな感じである。素材はいいし、もう少し結末を丁寧に書くべきだったと思う。主要な登場人物たちのその後の様子も、細かく書かないまでもある程度の方向性くらい分からないと、なんだか煙に撒かれたようになってしまう。

丁度戦闘状態の最中に話は終わってしまうわけで、どういう治まり方をしたのかもやはり読者としては知りたいではないか。ハリウッド映画のように続編を作るつもりで途中で切ったのか、とも取れない事は無いが、それにしても出版社の担当はよくこれでGOサインを出したものである。

ありえない、だろう。この終わり方は。

もし私が担当なら、時間がかかってもきちんと書き直しをさせただろう。この終わり方は余りにまずい。上巻だけなら星4つくらいの良さはあったのだが、下巻でぐんと下がる。星2つもいいところだ。エリンという主人公が、結局何をしたかったのか皆目分からないばかりか、妬まれるほどに才能のある女性という描かれた方をしていたにも関わらず、まるでこれじゃ「バカ」である。慣れないと言われていた野生生物と心が通わすことができて、嬉しい、と。そりゃ、そうだろうが、それで戦争まで(結果的に)引き起こしているのだから、もうちょっと広い総体的な視野も持ってくださいよ、おい(苦笑)である。あんただけが納得したらハイ、終わりってわけにはいかんでしょう

結末がまずいということで総合的な評価は下がってしまうので、残念ながら非常にいい素材を持っているファンタジーだけれど、これを誰かに贈ることはできない。完成度が悪い。実に惜しい一品だ。

いわば未完成の大作。
せっかく久しぶりに800p近くを一気読みしたのにィ~。

実に、実に惜しい。

ということで、正月に読むものがなくなりました。



上橋 菜穂子 / 講談社(2006/11/21)
Amazonランキング:14194位
Amazonおすすめ度:




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雲をつかむような話

2007-12-31 | Weblog
家人が畳に座りながら入浴の用意をしている。風呂掃除の話から私の抜け毛が酷いという話になった。

「排水溝の所にお前の抜け毛が凄いんだよ。5mmから1cmくらいになっている。」

5mmから1cmというのは抜け毛が積もった高さが、ということであろうか。
5mmと1cmじゃ二倍ですが・・・と突っ込みたい気持ちを抑えてフムフムと聞いておく。家人はさらに続ける。

「なんだっけ?ほら『青い蜜柑とヨウキロウ』みたいなの使ってみたら?」

(『青い蜜柑と妖気楼』というのは一体全体ナンですか??)

「なに、それ?」

「ほら、あるじゃん。毛が生えましたとか言うの。『青い蜜柑』とかなんとかいうのとなんだっけ?『蜃気楼』じゃなくてさ、そんなような名前の・・」

一所懸命聞いているが、ナンの話やら皆目分からない。分からないが、どうやら「育毛剤」系統の話のようである。しかし、「青い蜜柑」?「ヨウキロウ」?なんだよ、遊郭かなんかみたいな名前だなぁ・・・(笑)青い蜜柑はどうやら「成分」らしい(笑)。

真面目に話しているらしいのだが、真面目に聞いていたら余りにも雲を摑むような、推測の仕様もない話なので大笑いしてしまった。まぁ、私の抜け毛が凄いということのようなので、明日は私が風呂掃除でも念入りに致しましょうか。

しかし、気になる。
『青い蜜柑と妖気楼』。なんだかまるで小説の題名のようではないか。
そんな怪しげな育毛剤があるのなら、効果の程は別にしても使ってみたいものである。


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振り返る

2007-12-30 | Weblog
友人から転居の報せがあった。
この年末、超多忙であったに相違ないのに、わざわざ律儀に封書で知らせてくれたのであった。メールでもすむ所をこうして丁寧に手描きの手紙で知らせてくれる。ありがたいことであるなぁと思う。

その中で今年一緒に楽しんだイベントをいろいろと思い返してくれていた。考えてみるとそのイベントの全ての言いだしっぺがおそらくワタクシである(笑)。言いだしっぺなので必然的に幹事役になったりもしていたのだが、これもまたいつにないことである。通常私は率先して人を束ねたりすることは好まない。「適当にやって。任せるよ」というタイプである。その私がわざわざ重い腰を上げて物事に取り組むのだから、たぶん相当この仲間が好きであるし、たぶん本当に自分のやりたいことしかやっていないからなのであるなと思う。

なぜなら嫌いな仲間や、やりたくないことには頑として腰を上げないからだ(笑)。嫌われようが、村八分にされようが一向に意に介さない。唯我独尊である。学生の時は学級ごとの駅伝大会なるものがあった。私は持久力は皆無で全くその手の運動は嫌いなのだが、短距離は意外に早かったこともあって、勝手にクラスの駅伝走者に選ばれてしまった。

「大丈夫、ぽっちりちゃんなら出来るよ」とクラスのイケテルグループの女性が言ってきたのだが、「選ぶのは勝手だけど、私嫌だから休むよ」と言っておいた。実際当日休んだら、後でクラスから総スカンを食らった。(笑)翌日平然として出て行ったら仲の良い友達には「もう一日くらい休んだら良かったのに」と言われたが、今日休む理由は無いのだ(笑)。「選ばれたんだから来るだろう」と思われても困る。そもそも、クラスで「勝ち」に行きたいから「勝てるチーム作り」をしようという根性が浅ましい。怒りたくば怒ってくれたまえ。

このようにワタクシは団体行動というものを平気で無視する人間である。が、この駅伝で私の代わりに当日走らされたミズタさんには何十年経った今でも申し訳なく思う。機会があれば謝りたい。

話が飛んだが、友人からの手紙でそんな風に「あれもやりましたね、これもやりましたね」と書いてあるのを見て、今更ながらおお、そうだったと思い出した。そういや、あんなこともこんなこともやったのだった。ライブに行ったり、ホタルを見にいったり、バレエも見にいったし、旅行にも行ったのだった。盛りだくさんでしたね。インプットばかりの非常に文科系イベントばかりですが(笑)。ま、そこはそれ、企画者がワタクシですから。

無事に楽しく過ごせた一年でございました。
来年もまた、気が向けば(笑)何か企画いたします(笑)。


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ごごごごっ。

2007-12-30 | Weblog

ちょっと嫌なことがあったので、ここ最近溜まっていた請求書類の整理をした。
シュレッダーにかけて「ごごごごっ」と紙を粉々に切り刻むのである。
ムカつく人の顔を想像しながら、ごごごごっ。

暗いなぁと思いつつも、これが案外楽しい。
資料の整理にもなるし、一石二鳥である。

ざまぁみやがれ、ごごごごっ。
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冬の雨

2007-12-29 | Weblog
首が回らない。借金じゃ、ない。
このところ天気が良くない。雨と冷えで頚椎と肩が痛むのだ。寝ようと思ってもろくすっぽ寝ていられない。
じんじんと痛みに堪えるだけである。首が回らないので、ロボットのような動作を繰り返している。

ロボット首のまま、家人がコートに帽子姿で出かけるのを見送った。この雨の中をディック・トレーシーのような装いで彼は葬式に出向いている。つい昨日、同じ階段のご近所さんの旦那様が亡くなったのだ。末期癌だったそうで3ヶ月ほどの闘病だった。俳優のジャック・ニコルソンに似ていた。アル中で、いつも赤ら顔をしていたので、余計にそっくりだった。先日、家人とも茶を飲みながらふとそんな話をしていたのだった。大丈夫かねぇ、年を越せるかねぇと。その時、ふと嫌な気がしたのだった。訃報を聞いた時も、だからなんとなく知っていたような気がした。

その家の奥様には私が幼い頃よくしてもらったし、その娘ともそこそこ仲が良かった。ミーちゃんは少し知能遅れのところがある子だったが、とても気立ての良い子であった。そんな皆が会場ではうなだれているのだろうな。

人が亡くなるのには年末も年始も関係ない。逝く時は逝ってしまうものである。しかし、仕方がないとは言えこの時期に亡くなられると、喪主も参列者も、斎場も大変である。流石の斎場も年末年始は休みになってしまうので、急遽年内に事を済ませてしまうという所だろうか。慌しく全てが過ぎていくのだろう。また、こういうことはなんだか分からないくらいにバタバタと過ぎ去ってしまうくらいの方がいいのかもしれない。どうせ後からどんと喪失感は来るのだから。

しばらくして家人が帰ってきたので、塩をかけようと待ち構えていたが、(このときとばかり思い切り投げようと思っていたのに)「軽くでいいよ」と言われてしまった。ちっ。お返しにいただいてきたお茶を早速いただいて、一緒に入っていた梅干もつまむ。梅干を食べながら、家人は口を「ひょっとこ」のようにすぼめていた。


(この人もいつまで元気か分からないもんなぁ。そうすりゃ喪主は私なんだろうなぁ。)


外ではまだ雨がしとしと、静かに降り注いでいる。



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頭のうちどころが悪いだけで、頭が悪いわけじゃない、たぶん。

2007-12-27 | Books
頭のうちどころが悪かった熊の話、だそうだ。
新聞の年末書評欄みたいなものに載っていて、なんとなく絵がかわいらしかったのとタイトルが面白かったのに魅かれて、そこに丸印をつけておいた。(←オヤジっぽい)丸印をつけたからと言って必ずしも買うつもりはなかったのだが、家人が買い物に行ったついでになんと買ってきてくれた。

「こんなに薄い本なのに1,500円もするんだよ。児童書だってよ。」

児童書、字は大きいし、読みやすくっていいじゃないか(笑)。児童書と言うと舐めて捉える人もいるかもしれないけれど、ワタクシは結構児童書が好きである。ちなみに絵本も好きだ。(←聞いてないから)何しろ書いているのは「大人」である。自分が子どもの頃ならいとも簡単にそんなファンタジックな物語を紡げたかもしれない。

実の所、子どもの頃ワタクシは「ずっとそんな子どもでいよう」と思っていたのだ。しかし、年を重ねるにしたがってすっかり「こども心」なんて忘れてしまう。何に興味を覚えていたか、何が好きだったか、遠い霞の彼方の記憶としては残っているけれど、確かな手ごたえがない。それが普通なのだと思う。そのことを思うと、児童作家というのはかなり大変な仕事だなぁと思うのだ。

「こども目線」を既に忘れてしまったワタクシは、今はむしろ「おとな目線」で、大の大人がどうやって子供向けの作品を書いているのかなということに興味がある。様々なプロとしての制約の中で、どうやってこども心に訴えるものを創造するのかな、と。

タイトル通り、頭のうちどころが悪かった熊の話と、たぶん同じ世界でなんとな~く繋がっている幾つかの短編が収録されている。ひらがなの多いということでは確かに子供向けなのだろうけど、話の内容としてはブラックな要素も含まれていて、エンディングでほんわり♪とするタイプとブラックユーモアのある、あらら(汗)という二タイプに分かれている。

ルイス・キャロルのような言葉遊びや昔のイソップなどの童話に見られるような繰り返しの手法(大きなカブをおじいさんが引いて、おじいさんをおばあさんが引いて、おばあさんを犬が引いて、とかそういった類の)が取られている。また、動物達の食物連鎖や、生きるために食べることに関する記述も見受けられる。簡単に読み進められるので、小一時間くらいで読了してしまった。

面白くないことは、ない。あやふやな言い回しになるが(笑)。面白くない事はないけれど、どうもどれもどこかで読んだような感じの話だなぁ、である。色々な話があるから素材が出尽くしている感があるのかもしれないけれど、宮沢賢治の童話を思い起こさせたり(とくに「よだかの星」ぱくってる?っていうくらいちょっと設定が似ている)、虎という設定も「ちびくろ・さんぼ」とか、児童書ではないけれど「山月記」なんかを彷彿とさせる。

面白くないことはないのだけれど、オリジナリティーがどうも感じられないなぁというのが感想。もしこれを書店で手にとって立ち読みしたら、十中八九買わなかったろうなぁと思う。

本の帯で、確か梨木香歩さんが絶賛していたが、そう手放しで褒めるほどのものでもないかなぁというのがワタクシの感想である。まぁ、梨木さんはもともとの専攻が確か児童小説だった人だからこういった感じのものがお好きだったのでしょう。

絵は可愛らしい。雑貨屋さんなどによくありそうな絵柄。子供の描いたラインのようにも見えるけれど、それにしてはまとまりすぎているので「狙って」描いていることが分かるライン。そこの線引きは難しいところだけど、この挿絵もまぁ、ありがちな感じであるかな。

大人が子供向けの作品を作るということは、本当に難しいことだと思う。プロであれば当然出版社の意向やら納期やら、色々な面で制約が出てくるだろう。それらもクリアしながら、なおかつ自分の描きたいものも描く。かつて絵本作家の荒井さんが製作過程は「大人の自分」と「こどものじぶん」の闘いだ、と言っていた。上手い「落としどころ」をどうしても探っていこうとする自分と、それを制御して自由奔放に描こうとするじぶん。

まるで右手と左手が別々の意志を持って闘っているかのよう。
ある程度年を重ねたものとして、子供向けだからと言って決して創作活動が楽ではないことが今なら分かる。子供だからこそごまかしが効かない。子供が喜んでくれなければ仕方がない。だが、財布の紐を握っているのは「親」だ。(笑)

この本を読むと、宮沢賢治の凄さというのがよく良く分かる、ってのは少しも褒めてないか(笑)。

まぁ、なんというかワタクシにとっては「クリスマス・プレゼント」になったので、よござんす。それなりに。

Happy Bear♪


安東 みきえ, 下和田 サチヨ / 理論社(2007/04/02)
Amazonランキング:1472位Amazonおすすめ度:




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納屋を焼く

2007-12-26 | Books
先日本屋に行ったら、村上春樹の短編集の文庫本が出ていた。村上春樹は「ノルウェイの森」しか読んだことがない。しかもそれは英訳の「ノルウェイの森」(笑)。友人のT君が彼の作品を好きで、記念にくれた物だった。

それしか読んでいないから、なにしろ村上の良さなんて私に分かるはずはない。ただ、長編で見た「なんだかもー鬱陶しいな」という主人公の優柔不断な性格が余り好きではなくて、特に他の作品を読んでみようと思わなかった。空に浮かぶ雲を見上げながら「君もどこかでこの雲を見上げているんだろうか。そうして雲を見上げながら、でも君が何を考えているのかなんてことは本当のところ僕にはわかりはしないのだけど。」とかなんとか思っていそうで鬱陶しい。村上春樹の書く男はあれこれ色々思い悩むくせに、肝心な所で何も行動を起こさないのだ。起こさないけど、「自分がそう感じた」ということだけで満足し感銘を受けちゃっているような所がある。うひょぅ、勘弁してよ、である(笑)。

という結構辛らつな評価しかしていなかった村上春樹であるが、まー、あなた。短編。宜しいです。彼の空気感というものは残っているものの、短編だともっと「攻めて行く」感じが見受けられる。

なかでも大変に面白かったのが「納屋を焼く」。結婚している男だが、当たり前のことのように「彼女」がいる。その彼女が新しく付き合い始めた「男」。主人公も「男」も結構いい暮らしをして落ち着いている事が文脈から予想できる。その彼女が、主人公の家に新しい彼を連れて来て三人でお茶を飲んだりするのだ。なんというか、中・上流階級のけだるい崩れたモラル感。ギャッツビーのようだ(笑)。

そして暮らしには困っていないこの「男」の趣味が「納屋を焼く」ことなのだ。無論安全面には配慮する。納屋だけ焼けて回りに迷惑がかからないよう死傷者を出さないよう。ただ、焼くだけ。「あなたの家のご近所にも納屋がありますよ」そう聞かされた主人公は、今か今かと納屋が焼かれる日を待つようになる。このあたりの心理描写と言い、主人公の行動と言い、傑作である。

村上はいい塩梅で長編と短編でバランスを取っているのかもしれない。短編はシュールで、ブラックで、にやりとさせられる話が多い。長編作家だとばかり思っていたが、この人の短編は侮りがたい。久しぶりに出会ったぞくぞくするような短編作品であった。

併録されている「踊る小人」という話も最高に好きだ。ブラックもブラック。主人公が勤めているのが「『象』を作る工場」というわけのわからない設定なのも楽しい。事細かに象の製作過程が描かれ、まるで本当に4頭の象を継ぎはぎして5頭象を作り出すことができるのじゃないかと思う。こんな話も書けるのだなぁ。むしろこういう話の方がこの人は自由に筆が進むんじゃないだろうかと思うくらいだ。

踊る事に取り憑かれて、孤独な人生を歩んでいる小人。ヨーロッパの昔話に出てくるような計算高い結構凶悪な小人であるが、「音」そのものになることができるような踊りを披露する小人の「踊り」に対する気持ちが全ての事を仕組む根底にある。踊る神の化身となる喜びを知っているこの小人をなぜだか憎むことができない。そして、性悪なくせに「契約」に関しては妙に律儀なところがいかにもヨーロッパ産、という感じがする。

小人は主人公の願いを叶えるが、交換条件を一つ出す。主人公の願いがきちんと叶う瞬間まで、一言も言葉を発しない事。一言でも発したら、主人公の身体は生涯小人が乗っ取るという約束だ。そして、どうやって小人が彼に言葉を発せさせようとするか。見ものである。まさか村上春樹の作品でこういう展開になるとは予想していなかったので、いい意味で裏切られた。ちょっとRoald Dahl(「チャーリーとチョコレート工場」や「ジャイアント・ピーチ」を書いたイギリスの児童小説作家)の短編のような匂いまでする。

村上の短編、実にいい。

すっかりこれで、彼を見直した。


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煤払い

2007-12-26 | Weblog
文字通り、煤払いである。
少しばかり大掃除もどきをしてみた。

「何かに使うかも」と取ってあった宅配便の箱。
どんだけ「何かに使う」機会を待っていたというのでしょうか、ワタクシ。あらゆるサイズに適応できそう。箱沢山。宅配便屋ができそうでした。捨てる。

イタリアで買ったフルラの鞄。なんかもち手が溶け出して(笑)いた。でろでろ。高かった奴でもったいなかったけど、なにか溶け出していて、外側の袋にまで汚れが付いてしまっている具合なので、これはとても修理も不可能そうだと諦め、捨てることに。さよ~なら~。ローマのスペイン広場脇のフルラで購入したのでした。まぁ、思い出は残るよね。イタリア男とそこで怒鳴りあいのけんかをしていたのでした(笑)。ろくな思い出じゃねぇな。

荷造りをしていてカッターをつかっていたら、指を切った。それも「刃」の部分で切ったのではなくて、なんと「背」の部分を指の関節に突き刺してしまった。
「背でも切れるんだねぇ・・・」なんて感心している場合じゃないっ!

インドで怪しげな人形遣いのおぢさんからもらったヘンな人形。結構嫌な思い出でもあることだし(笑)、一年飾ったからもういいや。これもさよ~なら~。

久しぶりにかけてあった写真家のRobert Capaの額縁(のようなもの)を拭く。このCapaの写真は最高にハンサム♪埃だらけになっちゃってて、ごめんねぇ。でもこのポスターの写真はCapaの写真じゃないのだ。当たり前だけど(笑)。アマチュアの日本人が撮った写真。でも凄くセクシーでいい写真なんだよぅ。

こうして少し整理したわりには、なんだか少しも「すっきり」した感じが見えてこないのは、なぜなのかしら?くっすん。

一作業終わった後で、日本蕎麦を食べる。
そば湯まで飲む。
働いた後は、美味いね。
ごちそう様。

なんだか既に年を越してしまった気分だ(笑)。

とりあえず今日の煤払いはこれで、よし。(にしよう)
要は気持ちの問題だ。(ということにする)

P.S. ただいまのBGMはフランクのヴァイオリン・ソナタ。
こんなCDを持っていたことを忘れていた(笑)。



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石田さんの頭のなか

2007-12-26 | Weblog
TVで石田衣良の「考える」過程を追うというドキュメンタリーをやっていた。なんとなく面白そうなので見てしまった。TV局が石田さんに、三つのキーワード「ガチョウ、草書、光学」を使って「自殺を考えている女の子に自殺を思いとどまらせられるような童話」を48時間以内に書け、というお題を渡すのである。

何しろ私は石田さんの作品を一つしか、それもつまらない恋愛小説、読んでいないので、この人の作品がどれほどの力量を持っているのか実の所知らない。直木賞を取ったような作品の名前は知っているけれど、別段食指が動かないので読もうと思ったことがない。

ただ、モダンな白い部屋に座り、スタイリッシュに執筆作業をこなし、背景に見える白い本棚に整然と並べられている本やCD類を見ていると、多分根本的に性質が合わないタイプの人だとは感じながら、どんな風な思考形態で作品を作り出すのだろうかということには興味があった。個人的にはこんなにモダンで、こんなに明るい部屋で執筆作業ができるということが信じられない。多分私とは真逆の性質の人だろうと思う。で、真逆だからこそ、興味もわくし人として魅かれもするところがあるのだ。

「自分の中にもう一人の自分がいる」と彼は言う。無意識下にいる相手だからその相手を石田さんは「彼」と呼ぶのだそうだ。作品の粗筋を作ったところであとはその「彼」に投げてしまう。あとは「彼」がスラスラと作業を進めてくれるのだそうだ。真顔でそう答えている石田さんを見て、ちょっと「怖いな」とも思った。おそらくこの人は多分にメディアに対して自分を「プレゼンテーション」しているところもあると思う。自分の中にもう一人の自分がいる、とか、そこに投げてしまえば作品が作れる、とか、ちょっと聞くと「人とは違っていて、才能があって格好いい感じ」がするではないか。意識してそういうことをしている部分も多分あるだろう、と思う。

と、同時に確かに誇張はされているにしても、実際に自分の頭の中でそういう作業順序を経て製作しているということもあるのだろう。

「自殺を思いとどまらせる童話」というのも結構痛い課題であるし、キーワードもどうにも胡散臭い(笑)。で、色々本屋で資料を調べたり石田さんもしていたが、結局できあがった話は、なんというか私の想定範囲内であった。主人公が11歳の女の子、という設定もちょっと使い古された感じだった。童話の筋も、予想通りのところがあった。

天涯孤独の女の子が自殺をしようと思い立つ。死ぬ前に旅をしようとして共のガチョウを連れて光の都へ行く。光学の都は現代技術を駆使したきらびやかな都で美しいが、殺傷能力の高い兵器を開発した事を祝っている。少女は都も見たし、さぁ死のうと森へ入る。しかし、そこでガチョウが先に自殺をして、少女に死を思い留まらせる。本当に困った時に開きなさいと彼女に祖父から託されていた手紙には草書体で彼女の名前が美しく描かれていた。それを見て生きる大切さを知り、彼女は再び新たな町へ向かって歩き出す。

という話であった。

課題はクリアしている。キーワードも全部使っている。

しかしな、である。この童話を読んで、自殺を考えている少女が自殺を思い留まるだろうか。番組の最後には、実際の学生、多分中学生くらいか、制服を着ていたような気がするから、に読ませていた。ある学生は「生きる大切さを学ぶと思う」という世慣れた、けれども本心ではない回答をしていた(笑)。最後にインタビューに答えた少女が良かった。

批判しているわけでもなく、ただ率直に感想を述べたという感じの彼女の風情が良い。

「この作品を読んでも、自殺の決意を翻す事はできないと思う。」

石田さんの思考の過程は大変面白く見たし、こうしてこの人は作品の世界に集中するし、時間を有効活用していくのだなということも分かった。ただ、童話の感想としては、この最後の少女の意見に私は同意である。

むしろ、私はこの女の子に、童話を書かせてみたいと思った。
この子なら、ひょっとすると同じ目線からの物語を紡げたかもしれない。

この童話が物凄く面白いものだったならば。
彼の作品をもう一つくらい読んでみようかとも思ったかもしれないけれど、これを見て、やめた(笑)。
この程度なら、わざわざ読む必要は、ない。

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年の瀬

2007-12-26 | Weblog
まさしく年の瀬という感じである。今年最後のカイロ施術に行って来た。年末になるので少し銀行に寄って引き出しておこうと思ったら、銀行の自動ドアの外まで人が並んでいる始末。うわぁ・・・。マジで?丁度給料日辺りと重なっているので尚の事だろう。

カイロの先生とは年賀状の話をする。別のその話をしたかったわけではないが、その辺りが無難なので。どうでもいい話をしながらも一年も通っていると段々と先生の個人情報(笑)も分かってくる。50歳くらいの男性だが、学生の頃は水球をしていたんだそうである。水球、ってのは帽子がヘンだけど(笑)、物凄く体力の要るスポーツだろう。立ち泳ぎができない私には到底無理である。そして今日、先生は40歳まで普通にサラリーマンをしていたことを知った。意外というほどでもないが、なんとなく今の風貌からはスーツを着ていた姿が想像できない。

「あ、でも。スーツとか着ていたら格好いいかも分からないですね?」

(いいかも、って微妙な言い回しよね、と自分で言ってから内心笑う。)

先生はちょっと照れていた。男ってサー、いくつにもなっても「褒めりゃ」機嫌が良くなるよね。分かりやすい・・・。私なんて「褒められる」にも相手によるなぁ、と思うんだけど。基本的に人のことを疑ってかかる性格なので(笑)、あんまり綺麗ごとを言われると逆に「信用ならないな、こいつ」と思うんですけどね。ま、年末だし、いいか。(←なんだ、それ(笑))

良いお年を、と年末のご挨拶をしてカイロを去る。

駅前のデパートには、普段の倍近くの人がいるような気がする。化粧品売り場にもどうもいつもより人が多い。よく分からないんだけど、年末であることと化粧品を買うことに関連性があるのかしらん?あれか、新しい年だから、美しく装いたいみたいなことかしら?ま、私は余裕でスルー(笑)。売り場の異常な明るさも、店員のロボットみたいな化粧も、あらゆる化粧品が蔓延している独特の匂いも、嫌いなので。

ぎりぎりまだクリスマスなので、入り口付近ではシャンパンやケーキを一生懸命売っている。売る方は大変だよなぁと思う。稼ぎ時。クリスマスに何もケーキを食べなければいけないということではないのだろうけど、日本の場合は明らかに洋菓子業界の策略ですな(笑)。いつもは和菓子の我が家でも、別段食わなくてもいいのだが、まぁ、記念にということで小さなケーキを買って帰る。ホールはとてもじゃないけど、食べられないからねぇ。

考えてみれば、自宅でケーキを食べるのって多分クリスマスだけだな。私は外でたまに軽食代わりに頼むことがあるけれど、家人は多分この日だけだ。苺のショートケーキ。どんなにきらびやかなケーキの種類があったって、洋風なものはどうせこの人には分からないので、ショートケーキ。それで、いいんです。私は苺がリボンのように見え、ケーキがプレゼントボックスのように見えるケーキを買った。いや、しかし。この地下食品街の混雑ぶりは、殺人的。

電車に揺られて帰る。
車内には水仙の花の切花を持っている人がいた。以前華道をやっていた頃を思い出す。この時期は水仙でしたなぁ。で、この水仙って奴は、ほんっと~~に、曲者なんだ。いけるの。見かけはシンプルなんだけれど、ものすっごく大変。年末はお花の先生の家で、いやいや水仙を活けていたことを思い出す。それでもすっかり離れてしまえば、この時期には自然に水仙の花に目がいってしまうのだ。うんざりするほど嫌なのに、少しばかり「生けてみたいなあ」なんて思いも頭をよぎるから不思議だ。

子ども達の団体が後ろできゃーきゃーと騒いでいる。周りの事には全く目がいっていない。騒ぎまくる声を聞きながら、ニュースで見たイブにバスのドアから路上に落ちて後続車両に轢かれてしまった男の子を思い出した。死んでしまった子も哀れだし、その子の家族はこれからずっとイブを楽しく祝うことはできなくなるんだろうなぁ、と。後ろを走っていた車も不運と言えば、不運だな。

年末になると、のんびりと温かく過ごせたらいいのに、それでも殺人やら強盗やら放火やらのニュースも目に入る。新年に備えての買い物客で賑わう街の風景、足早に家路を急ぐ人々、そんな風景を見るにつけ、無事に年を越せるというだけでも幸せなことなのだなぁと思う。


金色の紙袋に包まれた小さなケーキの箱を抱えながら、そんなことを思っていた。


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所見

2007-12-25 | Weblog

昨夜、ヴーヴ・クリコを飲んでも今一つ良さが分からんと書いたが、翌日になると一本2500円と5000円のシャンパンの違いがはっきりした。

クリコや。宿酔いがないですね。
ほとんど一本一人で飲んでしまったのだが(笑)、去年陥ったような頭ガンガンの状態にはならなかった。ワイン一本空けたら当然宿酔いする私であるが、このシャンパンではどうやら大丈夫。途中「和らぎ水」(いわゆるChaserね)を飲んでいた事もあるだろうけど。

う~む。
侮りがたし、クリコ。

できればロゼが良かったが、それはまたいつか。

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和風にクリスマス

2007-12-25 | Weblog
先日ちょいと早めに鶏肉やら羊肉やら、大量に食べてしまって、元々肉食度が低い私はもー、肉はいいという気分になってしまった。

ということで、クリスマスイブは寿司になりました。

渋いねぇ。

寿司にヴーヴ・クリコのシャンパン。どこかでヴーヴ・クリコという名前を知って、飲んだ事がないから事前に購入しておいたのだ。寿司にシャンパンってのもどうかと思うんだが・・・(笑)ドンペリには手が届きませんや。

で、初めて飲んだヴーヴ・クリコ。イエロー・ラベルではあったのですが、飲んだ感想は「別に」って感じでした。ごめん、味の違いが分からんよ(笑)。いやまぁ、普通に飲めますけどね。取り立ててどうということはないような(笑)。

家人はシャンパンだ、と言っているにもかかわらず「どこの?」と聞く。
おいおい・・・シャンパンつぅのはフランスのシャンパーニュ地方で作った物だけを言うんだよ。後はスパークリング・ワインですがな。ったく。どうせ高いの買ったって、この人にはありがたみも分からんのでしょうな。

しかし、シャンパンというのはキツイですな。アルコール度(ちなみにアルコールって語源アラビア語ってご存知?)はワインと同じだから、飲み口がいいのでパカスカ飲んじゃうと当然酷い宿酔いになりますね。当たり前だ。普通のワインだったらこのスピードで私飲めないもんな。

既に頭ガンガンしております。
1/5くらい残して、一人で飲んでしまいました。苺食べながら。苺っていうと、映画の「Pretty Woman」思い出しますね。リチャード・ギアとジュリア・ロバーツの。ジュリアが苺を食べた後、バスルームに籠もっているのでギアに変に思われるのですが、実は苺の種が歯に挟まってしまっていたので(後でキスをすることになるだろうから身だしなみとして)フロスで取ろうとしていた、というシーン。わたしゃ、フロスを気にするような必要もないんで、ガツガツ苺食べてます(苦笑)。

明日、辛いなー。
頭ガンガンで起きれるでせうか?

あ、でも。今日、ほとんど年賀状書きましたよ。
一気に仕上げました。今年は結構派手目です(笑)。

イブにしこしこ年賀状書いているなんて、実直です、私(笑)。
地味ですが良いクリスマスイブでした。

Merry Christmas!

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メリー・トワイライト・ゾーン(2)

2007-12-25 | Weblog
料理屋は「ざくろ」と言う。中東の名産「ざくろ」をその名に冠した店だ。店に着くと、まず靴を脱げ、という。店に入るとそこは一面に絨毯が敷かれていて、てきとーに天井には布がかかっていて、中東っぽい雰囲気を醸し出している。まだ客はほとんどいない。先に来ていた二人組みの男性は異国のベストやら帽子やらを身につけている。仮装パーティなのか?

店長は異常にテンションが高い。開口一番、
「どーして、そんなに綺麗なの?」

あー。テンションが高いのは聞き知っていたけど、「うざい」かも(苦笑)。メニューはあるが、お勧めはセットメニュー、という。というか、それしか出す気はどうもないらしい。店長が歩き回って超ハイテンションでぺらぺらしゃべりながら、中東のお菓子を一人ひとりに餌付けする。直接口に入れたりもする。(店長、トイレで手洗っているんでしょうね・・・)

最初のスープは実に美味しかった。スパイシーで、と言っても「辛い」スパイシーとは違って多種多様なスパイスが使われているスパイシーである。だが、後の食事はどうも「中東風バイキング」レベルを出ない。まずくはないのだけど、別段それほどという感じだ。店長は異常にハイテンションなのだが、他の女性ウェイトレス(日本人)は一様に無愛想である(笑)。運んできた料理の説明も聞き取れないほど小さい声で、次々と置いていく。あぁ、そうそう、ここは絨毯に座るので、テーブルというよりはでかい板が真ん中に置かれているのみである。そのテーブルいっぱいに色々な料理が次から次へと並べられる。

客の女性は褒め上げ、男性はけなしつくす。料理の順番もなんのその、気が向くとお菓子が振舞われる。なかにローズウォーターのゼリーがあった。強烈なローズウォーターの香りである。意外に知られていないがイランというのは薔薇の産地であるし、中東の料理には物凄く頻繁にローズウォーターを使う。懐かしいのぅ。この香り。雅な香りだ。中東というところは、どうにも「色気」のある場所であるなぁと思う。文化にしろ、食事にしろ、衣装にしろ。イスラムの教えは時に女性にとっては窮屈なものであるし、男尊女卑的傾向が確かにあるにはあるが、でも、そうした文化だからこそ育まれた美意識なり価値観なりもあるので、何がいいのかというのは一概に言えない事である。ただ当事者が「変えたい」と思ったときには、少なくとも「変えられる余地、手段」があるとはいいと思うのだけど、ね。

店長は女性を褒めている、とセクハラしている、のきわどいラインを行き来する。でも、ペルシャ人のお客さんがやってきてペルシャ語で話すとごく「普通」だ。「きっと外国語だからあんな風なテンションになるんだろうね」と小雪ちゃんが観察する。それは、あるだろうなぁ。外国語、というのはある意味自分を解放してくれる媒体なのかもしれない。

いつの間にかお客は続々と現れ、いつの間にか席は全て埋まってしまった。私たちの隣には韓国人の女性二人組み。その隣にはインド人と日本人のハーフだというなかなかハンサムな中年の男性と、子豚ちゃんのような愛らしさ(褒めているんですが)を持った日本人女性のカップルがいた。でもこの日本人女性、絶対に海外暮らしの経験がある人だよな、というのがなんとなく見て取れる雰囲気を持っているのだ。なんというのだろうね、風貌に関係なくどこか「自信」を持っているような凛とした感じが、海外に長く暮らした人にはあるんだよね。所作などからも大体分かる物だけど。

そうこういううちにクリスマスのサービスかベリーダンスが始まる。なかなか色っぽい日本人ベリーダンサー。当然男性陣は垂涎ものである。店長が客を一人ひとりひっぱりこんで一緒に躍らせようとする。ハーフインディアンの男性はさすが、であった。その彼女の子豚ちゃんも、実は本職がダンサーで、見事なものであった。日本人男性陣はたるんだお腹を出して裸踊りを始める・・。うわぁ、これは公害ですがな・・(笑)ベリーダンサーは色っぽい。こりゃ、男でなくても見ちゃうよな。グラマーである。小雪ちゃんは小声で「あの胸、本物?」と私に聞いた(笑)。

店長に言わせると、私は「社長の女」みたいなのだそうである。それは「女社長」ということなのか「社長の愛人」ということなのか?どっちか分からんねぇ、と答えていたら、「どっちにしてもお金持ちでしょう?」と切り返された。どうも、よく分からないけど、「社長の女」です(笑)。

もうこれ以上食べられそうに無いので、私達は水煙草を頼んだ。これがやりたくて来たようなものである。小雪ちゃんは初めて、ということで楽しんでいた。途中、トイレに立ったりして、店の中を見回すと皆好き放題に絨毯の上で寝転がり、水煙草を吹かしている。

(まるで、阿片窟のようだな・・・)と思わず笑ってしまった。
そういうけだるさが中東文化の素晴らしいところだろう。たらふく肉を食って(おかげでクリスマスにももう肉は食いたくなくなってしまった(笑))、色っぽいベリーダンスを見て、眉間がきぃんとするほどに甘いお菓子を食べて、甘い紅茶を飲んで、水煙草を吹かす。本場なら多分この後に確実に本物のハシーシとか加わるのだろうけど、ここは日本ですので、あしからず(笑)。

料理は今一つかな、というところだが、ざくろの名誉のために付け加えると、どうもこの時期は冬料理に移行する時期で色々と入れ替えをしている+スタッフが皆「忘年会で『やられている』」のだそうだ(笑)。「やられている」という言い様が素直で、とてもダメっぽくて好感が持てた。

店に入ってからいつのまにか3時間も経っていた。楽しかったというよりは、店長のテンションにあてられて、ぐったりと精気を吸い取られた感じである。大人数の飲み会などにはいい場所でしょうねぇ。しっぽりと語り合いたい場合は絶対に選んではいけない店です(笑)。はじけたい時にはいい店ですが。民族衣装とか無理やり着せられるし・・(笑)

ようやく店を出た頃には、外の静けさと夜気の冷たさにどこか「ほっ」としていた。またまた夜の墓地の合間を歩いてみる。流石に夜になるとちょっと怖い感じもする。向こうからぼーっと歩いてくる人がいたり、公園で一人座っている男性がいたりする(笑)。墓地の中にある交番の明かりも、なにやら不気味。そうこうしているうちにまたもや道に迷った。あれぇ?と歩き回っているうちに駅の反対側にでる道を見つけ、道なりに進むと、またもや羽二重団子沿いの王子街道に出てしまったのだ。

・・・?

この奇妙な、狐につままれたような感じをなんと言ったらいいのだろう。
今日一日で、同じ韓国食材店の前を3回も通っているのだ(笑)。小雪ちゃんは「もう、これは買って帰れということじゃないかしら?」とくすくす笑いながら言う。

こうしてなんだか同じ場所をぐるぐるぐるぐる、狐にばかされたように回っていたのだった。しかし、それがなんだか楽しくもあり。日暮里という街は都内なのに、現代の都内でないような雰囲気がある。やたらに寺も多いし、古びた木々もある。タイムスリップしたようなこの街の中で迷えたなんて、どうにも素敵なクリスマスであった。

Merry Twilight Zone!

皆様、素敵なクリスマスをお過ごしください♪

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