Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

汗だくぅ・・

2005-07-29 | Weblog
暑い。
とは言え、涼しい格好をしていればどうってことないのである。

しかし、炎天下の中、長袖のGジャンを着ていたら、暑い。エェ。誠に。

本日はお休み。
天気がいいのも今日までだというので、先週乗れなかったから息吹号をお散歩(?)に連れて行った。相変わらず、へたぴぃ。どうしてこうも下手くそか。

またもや、近くの海まで行く。
他にルートはないのか?と思うのだが、あんまり遠くまで行く自信はないのです(笑)。工具も車載しているのはないし、何かあった時帰ってこれる距離くらいが精一杯。ほほほほ。

して。リュックしょって、Gジャン着ていると暑いっす。
汗染みだらだらで、化粧なんてしてもメットを脱ぎ来する時に、眉なんてなくなってしまうから(爆)、どろどろである。

風速3mの風が吹いていたので、海岸は暑くても心地良かった。
写真に見える、コンクリの上に寝転んで。
携帯の写真じゃ、全く見えないけど、この細いコンクリの先に
青年が一人座っている。

真っ直ぐにどこまでも続く風景、というものがどうやら私は好きらしい。
意識がその先まで飛んでゆくような気がする。

カモメは見事に風を読む。
スポーツ関連でやってみたいことと言えば、空関係だ。
海よりどうやら私は空が好きかもしれない。

研ナオコの「かもめはかもめ」なんて一人ごちてみる。(笑)
いい歌だけれど、私はカモメにはなれない。
生まれかわるなら渡り鳥になりたい。
大海原を、自分の翼だけで飛んで行く。そんな渡り鳥の生き様が好きだ。

数十分ほど寝転がっていたら、帰ってきた時、えらいことに気付いた。
タンクトップの形そのままに肩がものすごくやけている。
ひょーーーーーっ!

顔は途中からタオルを載せていたので、肩ほどひどくない(か?)。

しかし、相変わらず息吹には翻弄される。
なじょして、ゆうこときかないでしゅかーーー?←壊れ気味。

帰りにoutletで一本、パンツを購入。
またしても黒。
いいかげん、芸ないし。(笑)
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愕然

2005-07-29 | Weblog

洋書で日本の歴史に関する本を、ネットでざざざ、と見ていた。

そして、ある一冊の本を目にして愕然とする。

え゛ー。

探しているのは「日本」の歴史の本なんですが。

目の前に見えるのはどうみても、ロシア、ロマノフ王朝最後の「皇帝」に関するものですけど?ツァーリ。

はて??

もしもし?Amazon??
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納得

2005-07-28 | Weblog
バランスが悪い事はあるけれど、有能だ。
その才能を持て余している。

と、そんな風にある人に言われた。

バランスが悪い、と面と向かって言われた事がショックでもあり、
だが、しばらくするとくすくすと笑いが洩れた。

確かに。

人の事は良く分かるのに、こと自分のこととなると見えないものだ。

バランスが悪くて、有能。
バランスが良くて、無能、よりずっといいと思ってしまう自分がいる(爆)。
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ひまわり

2005-07-28 | Weblog

ひまわりが嫌いだった。
夏生まれの私は、誕生花というと大抵「ひまわり」と書かれていたものだが、
幼い頃はひまわりのどてらっとした風情が好きになれなかった。

しかし、イギリスという色彩の暗い、グレイな時期が多い島に数年いたせいか、
明るい色のものを恋しく思うようになった。
黄色は華やかに、元気付けてくれる色だ。

いつ頃からだろう?
花屋に並ぶ小振りのひまわりを恋しく思うようになったのは。
それはひまわりが明るいだけの花ではないと感じるようになった頃からだろうか。

***

再び司馬さんの話になるが、彼のエッセイの中でゴッホを扱ったものがあった。
彼の人生について書かれている。
ゴッホと言えばひまわり。
何十億円も出して、確か日本の生命保険会社か何かが以前この絵の一枚を買ったかと思う。

ゴッホという名前は知っていても、彼の生き様まではあまり知らなかった。
初めて接する時には、私は大抵芸術家の人生そのものには余り関心を抱かない。
音楽なり絵画なり、まずはその作品そのものを見たい、感じたいと思うからだ。
予備知識を入れると、感覚が左右されてしまう気がするのだ。

だから、ゴッホの人生というのは司馬さんのエッセイで初めて知った。
一言でまとめるならば、壮絶。
この人は激しい何かをした、絵画への激しい情熱が当初からあったわけではないらしい。

とにかく、生きることに下手な人のようだ。
人とコミュニケーションが上手く取れず、仕事は何をやっても大成しない。
想像するに地味で、暗く、要領の悪い感じがする。

それでいて思い込むと、自分の愛を証明しようと焔に指を突っ込んだりしてしまう人だ。そして相手にも、愛の証明として同じ事をおそらく欲する。

う~~ん。
孤独と絶望の繰り返しのような人生。

それは実際の人生を知らずしても作品を見れば分かる。
独特の絵の具ののり方。色彩感覚。
儚げな美しいものを描いているだけなのに、どこか心臓を鷲掴みにされるような息苦しさがある。そのため、私はどうしてもゴッホの絵は好きになれないのだ。

強い印象を受けるし、忘れられない絵画であることは確かだ。
しかし、自分の部屋において毎日見たいかと問われると、私の答えは否、なのである。

鬼気迫る。

それがあらゆる事を試したにも拘らず、絵を描く、という他に救いを見出せなかったゴッホの姿そのものなのかもしれない。

ゴッホは若い頃、オランダのハーグで働いていたらしい。
概して欧州は、冬が長く、寒い。
ハーグは海辺の都市で、二度ほど訪れた事があるが、天候が悪くなると海風がびゅうびゅうと吹きすさぶのである。

光を求め、イタリアやフランスを目指す気持ちは分かる。

行く先々で、人々に愛情を注ごうとゴッホは努力しているようなのだが、どうも独りよがりで空回りし、挙句の果てには気味悪がられてしまう。距離感の取り方が全く分からない人だったのだろう。

人との関わり方というのは難しい。
どんなに熟練しても、これでいいということはない。
ましてやコミュニケーションが苦手な人ならば、どれほど努力しても実を結ばない孤独は一体どこへ向けたら良いのだろう。

絶望の果てに見つけた色が、あの黄色だったのか。

おそらく私はこの人とは、たとえ同時期に生きていても友達にはなれないだろう。
けれども、画家としてのゴッホは賞賛する。

文字通り、身を削って、彼は描いた。
それだけが彼の生きる道だった。

そして、たとえそうであっても。
自らを表現する手段を彼が持っていたことを、私は心のどこかで羨ましく思う。


壮絶な生。


この夏も、ひまわりは変わらずに咲くだろう。
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「無名の人」

2005-07-27 | Books
何を今更、的な感もあるのだが、ここ最近司馬遼太郎の本を読んでいた。
小説を読んだ事はなく、専らエッセイ集だけなのだが。

たまたま手にした司馬さんの単行本のページをぺらぺらとめくっていると、「無名の人」というタイトルが目に入った。

懐かしい。

なぜ、懐かしいかと言えば、同年代で同じ教科書を使っていた人なら、案外思い出してくれるかもしれないが、確か国語の教科書にこの短編が載っていたのではないかと記憶している。

なぜだか私はこの話をよく覚えている。

明治維新の頃、その後有名な政治家となる青年の命を全く無名の男が助けるのである。その無名の男はその後有名になるのかと言うと、そうではなく、たった一度きりその青年の命を助けただけで歴史からは消えていく。司馬さんのこういう縁の下の力持ちのような人々の生き様を掘り起こす姿勢が好きだ。

物を書く、というより調べることが好きな人だ。
似て非なるものかもしれないが、私も同様の喜びを知っている。
一旦、書く段階に入ると、私には苦痛であったりもするのだが、資料を探して読み進んでいる時というのは、実に楽しい時間である。

司馬さんのエッセイを読んでいると、そういうワクワク感が伝わってくる。

再び「無名の人」に出会ったのは何かの縁かもしれないと思う。
遠い昔の自分に、再び出会ったような気もしてくる。

司馬さんの知性も感性も非常に好きだが、唯一むかっ腹を立てたのは、彼の女性に対する言動かもしれない。ダメ男を表すのに「女のヒステリー」みたいな、とか「女の腐ったの」などという表現をするのだ。

これには閉口した。
女の私から言わせれば、女よりも男の方がよほど「女々しい」し、度胸が座っていない奴が多い。土壇場になってケツの穴の小さいのは、大抵男の方だ。

これだけが、司馬遼太郎をして、「惜しい」と思わせられる。
が、歴史的な知識と言い、客観的な判断力と言い、司馬さんの文章には唸らせられるものが多い。

私は彼が戦争体験者だとは知らなかった。年齢的には無論おかしくはないが、両者が結びついていなかった。
常に距離を置いて客観的な判断を下す彼をして、自身の戦争体験の話になると、その距離感を欠く。当たり前のことかもしれないが、感情が他の作品よりも前に出る。

それだけに、戦争の「重さ」を考えさせられた。

「無名の人」から話がそれたが、彼の文章を読んで、一度しっかり日露戦争、太平洋戦争の事を読んでみようかと思わせられたのである。

ここで司馬遼太郎に再び出会ったのも、縁だろうか、などと思う。
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まだ見ぬ友人達へ

2005-07-27 | Weblog
台風一過。
猛烈に暑い一日となった。
ところが、私は元気溌剌。青空と比較的からっとした暑さだったので、妙に心が浮き立つのであった。

オフィスの女性陣は一様にでろ~んとしているのに、私はワクワク。
台風一過の青空ほど気持ちの良いモノはない。
ちなみに、台風も好きだ。
非日常的な過剰で劇的な「何か」にいつも興奮する。

ま、それはさておき。

最近なじみのblogが立て続けに閉鎖されている。
寂しい限りだなぁ、と思う。
まぁ、日常のあれこれを書き連ねるblogなんていうものへの興味は、やはり一年くらいが限界なのだろうか、とも思う。

物理的に自分の生活が動かないのに、あれこれ思索をめぐらせても段々ネタにつきてくるのかもしれない。それくらいなら、自分が動けよ、ということになるのだろうか?

寂しい限りだが、それもいいんではないかな、と思う。
また、縁あらば案外どこかで巡りあったりすることもあるのかもしれない。

各々に良き出会いだったと思う。
たかがblogというなかれ。
たかがblog、されどblog。

そんなところから交流が始まることもある。
程よい距離を置いていたり、実際には会わなくても一角の心の交流をすることもできる。
また、その「出逢い」によって、確かに私はあれこれ豊かになったと思うのだ。

自分にとって興味が沸くようなネタがあれば、そこから膨らませて自分で本を買ったり、音楽を聴いたりした。そうやって、一つの小さな点から次々と点が増え、やがて揺るやかな曲線を描いて繋がっていく。

きっかけを与えてくれたのは、いつもそうした出逢いだった。

まだ見ぬ友人達。
その後の活躍の報告を心待ちにしている。
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震源地でした

2005-07-23 | Weblog
どえらくデカイ地震があった。
震度4くらいまでは、慣れたもので寝ていても飛び起きたりはしない。

が。

今日の夕方に関東地方であった地震は流石に驚いた。
丁度JRの構内を歩いて、反対側に出ようとしていた通路の中で起きた。
突き上げてくるような揺れで、一瞬私は自分がひどい目眩でも起こしたのかと思ったのだ。

周りを見ると皆一様に立ち尽くしている。
電気が揺れているのを確認して、地震だと分かった。
不思議と焦った気持ちはなく、さらに地震がくるのであれば、駅構内から急いで出なければ、と冷静に考えていた。

駅前の広場にも膨大な数の人々が立ち尽くしていた。
丁度建物も何もない広場なので、よくよく考えてみると避難するには適当であったかもしれない。

まるでストップモーションのように立ち尽くしている人々の間で、即座に家に電話をかけた。
父の安否を確認した後では、とりたててすることもなく。
立ち尽くす人々の間を縫って、ブラブラとウィンドウショッピングを続けた。

その後出かける予定であったのだが、驚いたのはここからである。
3時間経っても電車の復旧の目処が立たない。
私の住んでいる辺りは全滅。

しばらくカフェで時間を潰して復旧を待ったが、どうにも無理そうなので諦めて家へ帰った。
バスで帰る事が出来る距離にいたので良かった。

友人の一人は都内の新橋におり、完全に電車が止まってタクシーで帰ってくると言っていた。
タクシーも既に2時間待っているとか。
散々ですなぁ。

S氏は神田の古本屋にいたらしいのだが、会社が近いのでとりあえず会社に避難。
どうやら今夜は家に帰れなさそうである。

しかし、これほどの地震が来るとなると関東にもどでかいのがどーんとくるかもしれんなぁ。
あの突き上げてくる感覚は初めてだった。
つーか、震度5を外にいる時に体感したのは初めてだ。

ポイントチェックは必要だとは分かるけれども、しかし、地震発生から5時間経っても戻らない交通システムというのもどうかとは思うがなぁ。ならば、宿代くらい用意しろよ、と言いたい。
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「く」は

2005-07-23 | Weblog

悔しい



「く」。


***

TVで服部有吉というバレエダンサーを知った。
最近バレエを余り見ていないし、コンテンポラリーはどちらかというと苦手なのだけど。
「たけしの誰でもピカソ」に彼が出ていた。

踊りを見たら、生を見たくなった。

調べたら。
なんと今日が東京での最終日。

なんだよー。(涙)
もう一日早く放映してくれよぅ。

週末は関西での公演。
うーん。
往復したら結構な値段だもんなぁ。
バレエの公演自体高いし。

返す返すも「悔しい」。

なんだよぅっーーー。
久々にみたいなーと思う人だったのにぃ。
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そして、再び。

2005-07-21 | Weblog
またもやロンドンでテロ。
前回に比べてややマイナーな駅などだが、それでも、である。

Bethnal Greeneは元彼がDJをしていた場所だ。
最後のデートもここでだった。

懐かしい場所が次々に安心して歩けない場所へと変わっていく様を見るのは忍びない。

矛先が最も弱き者に向けられるようでは、大国が国家レベルで自国本位でやっていることとそう大差がないではないか。

是如何?
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色気

2005-07-21 | Weblog
「それは何と仰るご飯なの?」

あぁ、私はつくづくこういう物言いが好きである。
ランチ時、近くの中華料理屋に一人で出向いた。メニューに「冷やし中華」があったので、試しに頼んでみた。その店で冷やし中華を食べた事は、まだない。というか、外で冷やし中華を食べた事は今まで余りない。

隣の席には老夫婦が座っていた。
何か白湯の湯麺か何かを頼んでいたようだった。人は真っ直ぐ向いていても、眼球の端に人の動作というものを見て取れるものだ。このおばぁさまはなんだかチラチラとこちらを向いているような気がしていた。話しかけられる前から。

そして、冒頭の台詞である。

「ごめんなさいね、物を知らなくて。」

困ったものだ。まさか冷し中華を見て分からない人がいるとも思わなかった。基本的に「冷し中華」と言われて人が頭に思い描くソレの域を決して出てはいない代物なのに。こバカにしたようになってはいけないので、丁寧に答えた。

「これは冷し中華ですよ。」

正直を言うと、ここの冷し中華は個人的には「ハズレ」であったのだ。たれが甘すぎるし、ブタの皮みたいなのが入っていて、ちょっと苦手であった。他の品より数百円高いのに、損をしたような気がしていた時におばぁさんに話しかけられたものだから、「美味しいですよ」とも言えず、芸のない応対になってしまった(笑)。

品のいい老夫婦である。
老いて、こうして仲良く供だって出かけて、食事を外でするなんて随分と素敵ではないか。
老人の動きというものは大抵どこか共通しているところがあり、自分の祖父母を思い出させた。
頑固さもわがままさもあるのだが、それでいて香るような色気がある。老人独特の色気である。
戦時中に青春を過ごした、そうした者達のみが持つ気骨のある色気。そんなものがこの老夫婦からも感ぜられた。

なぜだか一言二言、言葉を交わしただけで、私は滅法嬉しくなってしまった。
老婆のフルフルと震える手でお札を用意する姿が愛しく思えるのである。

彼らは先に席を立っていったのだが、食事中に邪魔して申し訳ない、というような形で
夫君は軽く私に挨拶をして出られた。つられて、こちらも軽く会釈をして「外は暑いですから、どうぞお気をつけて。」などという、まるで昭和初期のような挨拶が口をついてでたのである(笑)。

あぁ、いつか、
私も傍の若い子に

「それはなんと仰るご飯なの?」

などとふくよかに笑みを浮かべながら尋ねられるようになりたいものだ。

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飛びますっ!

2005-07-21 | Weblog

今、夏限定でYahooが「ガンダム占い」なるものを掲載している。つい、紅い彗星「シャア」に当たらないかと儚い願いをもってトライ。

結果=惨敗

私はどうやら「ビグロ」とかいうやつらしい。
もたっとしたずうたいのデカイやつらしい。
全長45m。(オイ)

以下抜粋。

***

人の迷惑をかえりみない自分勝手人間のアナタはいつでもどこでも万事無礼講で大ざっぱ。そのため、失礼な言動も多いようです。でも、それを指摘されると神妙に謝る素直さがあるため、憎めない人です。大推力で周囲を引っ張り、楽しい空気を作るところは、ある意味カリスマ。恋人も多少の強引さには目をつぶってくれるかもね。


ブワーッと飛んできてブワーッとビーム発射、なんだか「ブワーッとね、ブワーッと。今夜は無礼講ってことで。ガハハ」とのたまうサラリーマンのおじさんみたいな大雑把さで戦いを繰り広げていたビグロくん。見たまんまで豪快な性格のようです。全長45mの巨体を誇るアナタのことですから、小さいことは気にせず強引にコトを運ぶタイプです。随伴機のリック・ドムくんも置いてけぼりです。そんなだから失敗を失敗とも思いませんし、立ち直りも早いアナタは、おだてられると調子に乗って成功すらしてしまう勢い。賑やかで明るく、毎日無礼講のアナタです。

***

思い当たる節もありすぎて。
笑うに笑えん。

つか。
細かいこと気にする奴が多すぎるんだよー。
日本人ゎ。

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男の作法

2005-07-19 | Books
池波正太郎の単行本で、薄っぺらい「男の作法」なるものがあったので手にとってみる。
池波正太郎の小説を読んだ事がないのに、エッセイだけ買うのもどうかと思ったが、結局買った。
この人は、確か死ぬ前に食す最後の食事として「蕎麦が食いたい」というような食通らしい。

そういえば以前、友人が池波正太郎の食べ物に関する描写が好きだと言っていた。
さもありなん。あれこれと薀蓄がありそうだ。

しかし、読んでみるとごく当たり前であるようなことも。
天麩羅屋さんで天麩羅を出されたらさっさと食べなさいとか、余りお酒をばかすか飲むものじゃないとか、さっと食べて、さっと飲んで、だらだらといつまでも店に迷惑をかけるようにはべっているのでなく、
粋に去りなさい、と。

まぁ、そんなところである。

一昔前の粋な男の姿、というところか。
しばらく読んでいたら、一冊読み終わる頃には段々うざったくなってきたが(笑)、
とかく男尊女卑っぽい言動が多いので(笑)、それはそれでまぁ、時代というか、
そういうものが許されていた時期なのだからそれもよいかと思わせられる。

自分なりの美学があって、筋が通っているからそれも良いのだ。
お仕着せでなく、自分で良いと思ってやって、身についている事だから「粋」にも見えよう。
こういった類は、こんなエッセイなんぞよんだからといって真似してみてはいかんだろう、と思う。
まず、エッセイを読んでいる時点で、既にダメだろうとさえ思う(笑)。

今から見ると時代錯誤にも思える。
「男」が「男」として粋であった時代の名残。
また、女も男を立てる振りをしながら非常に強かな時代。

面と向かって挑む昨今の女より、よほどツワモノだと思わざるを得ない。

「男の作法」とは言うが。

私の理想とする「女」というものは池波の描く「粋な男」と大抵美学が被る。(笑)
男だけに許すには、ややもったいないか。(笑)
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耳に心地良く

2005-07-17 | Weblog
一昔、弐昔前は懐かしい。
色鮮やかに想像できるほどに身近で、それでいて冷静に眺めることが出来るほどの距離がある。
そう、それは自分の幼い頃の思い出に似ている。
喜びも、哀しみも。
どこかセンチメンタルで、十分に甘やかだ。

今夜、そんな時を過ごした。

何って、

『落語』である。

興味はないわけではなかったが、一人で敢えて行こうと思えるほどでもなかった。
私を息吹とめぐり合わせてくれたかつての恋人は、元落研であった。
その頃の写真を見せてくれたが、まぁ、これがなんと爽やかな甘いマスクであったことか(笑)。

そんな出逢いから、興味を持ち始めていた。

この週末、銀座で落語大会が開かれている。
毎年恒例のものだそうだが、初めて知った。

落語を始めて聞く。

桂 千朝さんの「立ち切れ線香」という話にほろりと来た。
花魁に入れあげ、大枚を湯水のように使う若旦那に心を入れ替えてもらおうと親戚、番頭一同画策して、若旦那を蔵に100日ほど軟禁する。その間、馴染みの花魁は毎日、手紙を人に託して使わす。そして80日目にしてぷつりとその手紙が途絶える。動向を見守っていた番頭は、もう恋の火も冷めたろうと翌日、若旦那の幽閉を解く。若旦那は改心して、お金のありがたみも分かるようになっていた。今まで止めておいた手紙を一つも見せないというのでバツが悪い、ということで最後に女から届いた手紙を番頭は若旦那に見せる。

直ぐに会いに来てください。消え入るような文字で書かれたそれをみた若旦那は、適当な言い訳を見つけて、花魁の下に駆けつける。ところが花魁は今か今かを待ちわびて、食も細り、若旦那が以前注文してくれていた三味線が出来上がり届けられたのを大層喜びながら、しゃん、と一回鳴らしたところで息絶えてしまっていたのである。

打ちひしがれる若旦那が三味線を仏前に備え、供養している最中に、三味線が一人でに鳴りだす。
サビの部分、というところで三味線はぷつりと途絶える。あぁ、何しろ、花魁の持ち時間、一線香分の時間が終わって線香が今消えてしまいましたから。もう花魁は奏でてくれませんよ。

そんなオチで終わる噺である。

まぁ、こんな人情ものにこういうオチがいるのかどうかは別として。

あちきはすっかり泣いてしまいました。


落語ってすごい。


江戸時代頃の話が多いけれど。
そう、それは自分の子ども時代の気持ちを振り返るように、
どこか懐かしい。
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2005-07-16 | Weblog
今日は休み。
久々に晴れた。昼過ぎから活動だから、一日は短い。
けれども晴れだ。貴重。

友人に言われた言葉が引っかかる。
あんまり仕事の愚痴ばかりこぼしているものだから、「君はmotivationを作るセンスに欠けているな。」と言われた。
それはそうかもしれない。

例えば判子一つ押すのでも、綺麗に美しく、かつ早くを極めれば職人の域に達するワケだ。
そういうMotivationの作り方もあるのかもしれない。
でも私はデザイン的なセンスとか皆無だから、
郵便=届けばいい
と思っている。

私の押した料金別納郵便は、丸の一部が欠けている。
でも、届く。
私は、届けば、いい。(笑)

そうして、こういうことを言ってくれる友人をいい奴だと思いながら、
どこか男として好きになれないのは、いつでも「答え」を出そうとすることだろうと考える。
問題に対する解決策を考える。

それ自体は有効なことだけれど、
私を初め、女というものは大抵「答え」なんぞ必要としていない。
よっぽどバカなら別だが、物を考える力のある女なら自分で十分解決できるものだ。

愚痴る時にはただ流して聞いておけ、と思う。
その為に、最初に「愚痴っていい?」と聞いている。
ダメなら、言わない。

どうしてもノブに戻る理由は多分そこだ。
あの人は愚痴を聞くのが上手い。
ダメといわれた覚えがない。

天性のホストなんだなぁ、と思う。
私が払うのは交通費くらいだから。
割にはあっているのかもしれない。

やけにノブが恋しい。


***

息吹と散歩した。
海岸に行こうと思っていたのだが、なんだか途中で物凄い渋滞。
イライラする。
でも車の横を通り抜け。(少しだけ)
バイクでよかったと思うのはこんな時。

でも余りに渋滞しているので、途中でてきとーに迂回。
そうしたらまるで知らない場所に行き当たり、尚且つ一方通行なんかが多くて、どこにいるのかワケ分からんくなった(笑)。

どうにかして海へ出る。

暑い。汗だく。(長袖だし)

なんだろう。
ヒッチコックの「鳥」も真っ青なくらい、
千鳥?が舞っている。

チィチィ、ピィピィ。
トンボがふらりとやってくる。

草原。
ウィンドサーフィン。
日光浴を楽しむ男。

一人。
私はそこで上着を脱いで、寝転んだ。
じわじわと焼け付く日差しの中で。

千鳥がピィピィ鳴く。

少しだけ
私の中に
「私」が帰ってくる瞬間。

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Subtle

2005-07-14 | Weblog

なんだかね、全てが「微妙」って感じです。
ノブちゃんと一時期別れたのでした。
一週間くらい連絡しないで、そのままかなとも思っていたのだけど
結局連絡は復活して。面目ないことこの上ない。

しかし、全ては微妙。
とりあえず、来週末の動向によりけり。

仕事はもー。しょうもなー。です。
とりあえず、やってます。
それだけ。

バカになる。(笑)
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