Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

おれんじいろ

2008-12-30 | Weblog

お正月用に知人よりお花をいただいた。
五葉松、グロリオサ、カスミソウ、オレンジ色の薔薇。

生けてみたら、なんとも収拾がつかない感じの花になってしまったので、掲載は諦めた(笑)。巨大化(笑)。気分は刈屋崎さん?

お正月用の花があるなんてのは、寿いだ感じでよござんすね。

ちょろっとお花が残ったので、切り落としたグロリオサとオレンジの薔薇とカスミソウ、以前いただいて残っていた白い蘭をシマウマ柄のカップにさしてみた。
結構キッチュな、北欧モダンみたいな感じでかわいい♪

今年もあと一日か。


恋しい音

2008-12-29 | Weblog

人の相手をするつぅのも、えーかげん疲れるものですわいな。
話せば多少は楽になるのだろうけれども。

なんていうか、時々余計な音のない世界に行きたいなと思うことがある。
静けさの中の、小川のせせらぎとか小鳥のさえずりとか。
そうしたものがワタクシにとっては極上の音楽であるので、人工的な音は特になくても暮らしていける。

世の中には、なんとも無駄な音が多すぎる。
雑音が多すぎる。

風の音と、湯の沸く音。
そんな音が恋しい。

○○○○○○△た

2008-12-28 | Films
今更ながら、であるが、黒澤明監督の「七人の侍」を見た。今まで見てなかったの?という突っ込みもあろうが、見てなかったんです(笑)。NHKBSでここ数ヶ月、ずっと黒澤特集をしていて、全30作くらい放映していたのだが、なんせ長い、七人の侍。4時間近くあるもん(笑)。

録画はしたものの放置していたのだが、昨夜から二日に分けて見終わった。

うん。いいです。

おい。あっさりだな(笑)。

いや、文句つけようがない(笑)
良い作品である。ま、これだけお金と月日を使ったら、これくらいの作品は作らないと、とは思う(笑)。

白黒だけれど、光と影の使い方がとても綺麗であるし、最後の雨の中での泥にまみれての合戦シーンも素晴らしい。冬の寒い時期に褌一丁でこれを撮ったのだから、良くやったと思う、三船敏郎。三船敏郎は決して上手い俳優ではないと思うけれど、独特の荒くれた存在感があって、それだけで充分。若い時の彼の美しい身体も賞賛に値するものだと思う。

黒澤作品に良く出てくる志村喬も本当にいいねぇ。ワタクシはこの人が好きである。味のある良い俳優さんだ。舞台俳優さんだと思うが、台詞を言っている時に、ちゃんと腹式で台詞を言っているから腹が激しく上下する。声高に台詞を言っているわけではないのに、深く渋い声で通るのだね。じぃんと染み入る。

若い侍が農村の娘と恋をするシーンでは、一面の花畑が用意される。モノクロのフィルムの中で、白い花が一面に咲き誇る。これがまたとても綺麗なのだが、これをスタッフが確か手植えで全て用意したのではなかったか。大変な労苦であったろうと思う。

騎馬の美しさ、村人の衣装、その汚れ方、侍たちのそれぞれの個性、しっかりと描いている。

表題は、七人の侍たちが集まって、合戦の時に掲げる旗指物に描かれる印であるが、○は正当な侍、△が三船演じる農民上がりのなんちゃって侍を表わしている。そして、た、が農民。

野武士に襲われる農村が、村を守る為に、ご飯だけを無償で提供するから七人の侍に村を守ってくれるように頼む。報奨金もなく、飯を喰わせるだけで?命をかけるか?と西洋の人々にしてみたら納得できないところらしいのだが、これらの侍は「食」のためだけに命を捧げるのではない。「義」のためである。

白米を身を粉にして作っている農民が、自分達は白米を食べられず稗や粟を食っている。志村喬はその一膳の白米を手にとって、農民たちに一礼する。

「この飯、おろそかには食わんぞ!」

飯があって人は生きる。
その一膳の飯を作るために、農民のどれだけの努力があるか。

この年の瀬はリーマン・ショックから世界的な大不況に陥った。
日本各地で自動車産業を中心に非正規職員の解雇も続いている。身を粉にして企業のために働いてきた人々を、使い捨てで切り捨てる風潮が続いている。

人は、食わねばならない。
食わねば、死ぬしかない。

七人の侍のような義侠心に富んだ侍は、この平成のご時世には期待できないのだから。我々も、この映画の農民のように無知で、不幸に泣いているばかりではなく、強かに自分の身を守る為に知恵をつけ、敢然と立ち向かう必要があるのだ。

誰も、守ってなど、くれない。
生き延びたければ、戦え。


お疲れ様

2008-12-27 | Weblog
皆、お疲れ様。
一年間、良く頑張ったね。

楽しいことよりも、辛いことの方が多かったでしょう。
楽しいことなんて、小指の爪の先ほどしかなかったでしょう。

それでも、やり遂げたんだから。
100%でなくっても。
良く頑張ったと思うよ。

お疲れ様。

今日はワインとチーズでお祝いしませう♪

誰も褒めてくれないのなら。
自分で自分を褒めてあげませう。

日常を生きる。

そのことが。
とんでもなく、大変なんだから。






百物語

2008-12-26 | Books
先日、友人からクリスマスのプレゼントに本をいただいた。
包みを開いてみると、杉浦日向子の「百物語」である。

杉浦さんは江戸風俗研究科としても名高いが、元々はガロ系の漫画家さんである。酒好きで「ごくらくちんみ」という酒の肴に関する短編集があって、それも大変すきなのであるが、彼女の漫画を読むのは初めてである。

百物語なのだから、一遍一遍じっくりと味わえばいいものを、と思ったのだが、ついつい嬉しくて一気読みして、いただいたその夜に全て読んでしまった(笑)。

絶品。
秀逸。
芸術品である。

一遍一遍、話によって絵のタッチもかなり違うから、それを楽しむこともできる。擬音を文字で書き下ろすのも漫画ならでは、の手法である。日本で漫画が流行った背景には、そもそも擬音の豊富さがあるのではないかとふと思った。

雨がざぁざぁと降っている。その雨の線は特に描かれていない時もある、スクリーントーンを貼っただけ。でも「ざぁざぁ」という暗闇の中での擬音があることで、激しく雨が降っていることが分かる。

舞台は江戸時代。99の不思議な、時にちょっと怖いような話が続く。怖いのだけど、どこか切ない。じぃんと、胸の奥に染み渡ってくるような話ばかりである。

絵画的なコマ割の上手さがあるな、と思う。視点が効果的に、巧みに変わるのだ。庭師の頭、煙管の煙、松の枝。全体像が描かれているわけではないのに、庭師が松の枝に座って、作業の合間に一休憩していることが分かる。庭師の頭と松の幹の近さでそれと知れるのだ。その後に小さなカットで、彼が枝に腰掛けていることが分かる。

心憎いなぁと思う。「絵」を最大限に生かしている。無駄な「言葉」は一切ない。絵で説明していることは、決して「言葉」では書かないのだ。

蔵の壁に生える「手」の話も好きだ。蔵の白壁に手のひらが夜毎「生える」のである(笑)毎晩、生える場所が違う。白魚のような指をした美しい手である。それを認めた主人は、ある夜その手に石榴の実をそっと乗せるのである。それだけの話なのだが、なんとも言えず優雅で、隠微で、美しい。

百物語。百まで語ってしまうと何か怖ろしいことが起きるから。その一歩手前で話は終わる。実に心憎い。

切なさの奥に背筋のぞくりとするような怖さがあり、ぞくりとしながらも、愛しい気持ちが湧き上がってくる。

質の高い、美しい漫画。
一遍の詩である。


I want a fairy tale・・・

2008-12-26 | Films
Merry Christmas!
イブだろうが、クリスマスだろうが、正月だろうが、交通網が完全にストップすることがない日本という国はありがたいと思う。いや、本気で(笑)。

昨夜飲みきれなかったシャンパンで(実質一人で飲んでいるから。シャンパンは効くんだよねぇ。)イチゴを食べる。

ふと、懐かしい映画を思いだした。
Pretty Woman。

売春婦のジュリア・ロバーツと金持ちの実業家であるリチャード・ギアが恋に落ちるという、あくまで「おとぎ話」である。一時はやったし、所謂「女性の夢」みたいなところがあるだろう。ハーレクイン思想というか(笑)。うわぁ、くっだらないよなぁと思いつつ、ハッピー・エンドであるので、勿論「おとぎ話」であるということを重々承知しながら、どこかホッとする気持ちもある。

どうでもいい映画だが(笑)、一つ心に残るシーンがある。
それがシャンパンと苺のシーンだ。

苺を食べながらシャンパンを飲んだジュリアは、その後化粧室に入ったままでてこない。不審に思ったギアが部屋に入ると、咄嗟に彼女は後ろ手に何かを隠す。おそらくは何かを盗まれたか、悪事をごまかそうとしているか、と疑ったギアが彼女の摑むと、握られていたのはフロスであった。(糸楊枝って書いちゃうと、色気もなんもないね(笑))苺の種が歯に挟まってしまったのだ。これから一緒に夜を過ごすのに、苺の種が歯に挟まっていたんじゃ、とフロスでそれを取り除こうとしていた女心である。

くだらない映画だが、このシーンはかわいい♪
女心のかわいさよ。

シャンパンと苺。
ついこのシーンを思い出す。

しかし、お尻の穴にモルモット突っ込んで、救急車呼んじゃうようなギア相手じゃ(笑)。苺の種なんて気にしなくていいと思うけどね(笑)。

I want a fairy tale...




それぞれの聖夜

2008-12-25 | Weblog

クリスマスってのは心楽しいようでもあるが、いざとなると疲れるもんだなぁと思う。
決して「○○しなければならない」ということではないのに、でもやっぱりプレゼントいるでしょう?とか、ケーキあったほうがいいでしょう?とか、せっかくだもんシャンパンもねぇ・・・みたいなことが、さ。段取り良く前々から準備しておけばいいのだろうけれど、どうも毎年その日に殺気立ったような食品売り場に足を運んでへとへとになって帰ってくるような気がする。

とは言え。
嬉しいこともあった。
欧州の瀬名君からクリスマスカードが届く。控えめな、お上品なカードで書いてある言葉も2-3行。(笑)わざわざ送ってくるほどの内容とは思えないのだけど、それでもまぁ煎餅のお礼か律儀に送り返してくれた。丁度イブに届くなんてのは、ちょっと乙なものである。今頃彼は北欧旅行を楽しんでいることだろう。いいなぁ♪

同じく煎餅を送った東南アジアにいる友人にも、ちょうど荷物が届いたと連絡があった。政治体制のかなり厳しい国であるので、ひょっとすると届かないかなー(つまり、途中で盗られちゃうかな)とも思いつつであったのだが、税関で包みを開けられたものの、無事届いたということで嬉しい。やっぱりせっかく送ったんだしね。(しかし欧州には4-5日で届くのに、近いはずのアジアで2週間かかるってのは、結構な『システム』の差であるなぁと思わずにはいられない。)諦められる値段のものしか送らないけれど、それでも煎餅を異国の空の下で、ぱりぱりやっている姿を思うと、つい微笑んでしまう。

また、別の日本にいる友人からも元気の出るような黄色の封書が届いた。先日、本をプレゼントしてくれ、それは別便でいただいていたのであるが(しかも既に一晩で読み終わった(爆))その手紙がどこかしんみりとしてしまう内容でもあり、くくくと笑いを誘うようでもあり、なんとも愛しいなぁと思うのであった。自分でどうにか賄える範囲のプレゼントを贈っただけなので、どうか気にしないで欲しいのだが、やはりいただいた以上お返しをしなければと考えてしまうものだろう。

友人は色々と忙しい時期で、その多忙の時期に却って手間をかけさせてしまったことを申し訳なく思う。気が利いているんだか利いていないんだか、どうもワタクシはいかんところがある。と言いつつ、やっぱりプレゼントを貰えば嬉しくて、それも好みをピンポイントでついてくる品物だったりするから心地良い。その本の話はまたいつかしようと思う。

遠くにいる友人もメールでメッセージを送ってくれたり、ピンキーはハードスケジュールが祟り具合を悪くして寝込んでいるらしいので、励ましたり。かと思うと職場のボスから仕事の件で確認事項がありメールが入っていたり。わざわざクリスマスに確認するほどのネタでもないんだが、仕方がないのでこちらも返事を書いた。

なんて言うか、年末は皆色々あるねぇ・・・。TVのニュースでは飯島愛さんが亡くなったと流れていた。なんだか切ないねぇ。きつそうに見えたけれど、確かに根性もあったろうけど、存外脆い感じのある彼女だったからなぁ。

ヤマアラシに送ったプレゼントは気に入ってくれたし。チキンとシャンパンとケーキ、というお約束のベタなメニューでようやくクリスマスの一仕事を終えた感じである。ヤマアラシは毎年「こんな豪華なクリスマス祝ったことがない」と言う。毎年・・・である(笑)同じメニューだって。シャンパンの銘柄も一緒だってば。

いやはや。
クリスマスも疲れる。
一種「業務」みたいな所がないか?(笑)
わくわくどきどきを演出する、というような(笑)。
まぁでも、年に一度だものね。

今年はクリスマスなんて浮かれるどころじゃない人たちもたくさんいるし、ワタクシもほんと他人事ではないよなぁと思う。衣食住どうにかなっているだけで、本当にありがたいことである。

しみじみと。
そんなことを思う聖夜であった。


プレイ?!

2008-12-24 | Weblog
近くの公園の傍を通り過ぎた。
公園の出入り口付近の土手で、幼い子供たちがおままごとか何かをして遊んでいる。ベビーピンクのフリースジャケットを着た女の子は、お下げを三つ編みにして、眼鏡をかけている。男の子は水色のセーターを着ていた。二人して正座して何か話しこんでいる。

通り過ぎ様、女の子の声が耳に入る。


「店長さん、柏餅食べますか?」


・・・。

どんな、プレイだ?(笑)




ご隠居生活2

2008-12-24 | Weblog

水仙を見ると、お正月の生花を思い出す。
毎年、毎年、お正月前には水仙を生けたものだ。
これがなかなか手ごわい。
たった3本の水仙だけで、小さな「宇宙」を思い描く。