版画家の川瀬巴水の展覧会へ行ってきた。
結構な出展数で、ちょっと疲れちまいましたがね。300点弱、展示されていた。
しかも、なかなかの盛況具合。
断然、中高年が多い。
お着物で来ると割引なんてキャンペーンをやっていたので、結構若いお嬢さんがお着物で来ていた。
眼福、眼福。
着物で歩くって結構難儀な話なので、アタシは無理です(笑)。(そもそも帯を結べない(笑))
その名の通り、常に「水のある風景」でした。
巴水さんは旅の好きだった方で、日本全国、津々浦々。いろいろと旅をされている。
展覧会へきている方も「あぁ、ここ行ったわよね?」「どれどれ?」と、皆さん、版画そのものから「その先へ」話が続いていくんですね。
私はひとりで行ったので(いつものことよ!(笑))そういう話を小耳に挟みながら、版画を見ていた。
どれを見ても、懐かしいんですね。
どこか、懐かしい。
従来の江戸時代の浮世絵とは違って、現代の世相も十分に反映されている。
大正時代の世俗風景そのものが、写し取られていて、非常に豊かな「質感」が感じられる。
本当に、あぁ、きっとこういう人々が生活していたんだろうな、というような。
大正時代は、私の亡くなった祖父母が生きていた時代で、おそらくこういう景色を日々目にしていたんだろうと。
電線なんかも、ちらほらあるんですよ。
へぇっ、そうか。
大正時代って電気、あるんだ?みたいな(笑)。
初期の頃は、ほの淡い色調のイメージがあるが、大正末期から昭和初期にかけて、歴然として、版画の色が変わっている感じがする。なんというか、ぱきっとしたクリアな原色に近いような色合い。線もシャープになって。ちょっとね、違和感も感じました。
これを見て思ったのは、あぁ、これはまるで「アニメのセル画」みたいだな、と。
そう思うと、日本でアニメが一大産業として成功した理由って明白な気がします。
日本文化にはもともと素地があるんですよ、きっと。
絵巻物だって、もともと筋のほかに「絵」がついているものでしょう?
絵巻物を解いていくにあたって、物語が動いていきますよね?
あれはいわば、アニメーションの原型でしょう?
「時間の経過」がそこに描かれている。
アニメの原点を、見た気がした。
版画に。
版画はどうしても線で区切る必要があるし、区切られた区域に色をのせていく。
絵の具の違いはあっても、コンセプトとしては、浮世絵とアニメのセル画は、変わらないんですよね。
なんか妙に、納得をしました(笑)。
あぁ、そうかと。
自分自身が旅した場所なんかもたまに描かれていて、楽しいんですよ。
以前、
法師温泉という群馬の片田舎の温泉に行ったことがあるのですが、そこの版画があるんですね。
湯船の様子とか、今でもそのままなのです。
鄙びたイイところです(笑)。
(しかも、ここは未だに『男女混浴』です。うひっ♪)
それから谷中の風景では、五重塔の版画がある。
これはひょっとすると、幸田露伴が小説に書いた「五重塔」ではないかしらん?
焼失してしまって、現在は「礎石」しか残っていないのであるが、たぶんこれはそうではなかろうか。
こうやって版画を通して、旅をできるのは幸せね。
雪の様子。
しんと底冷えのする寒さ。
雪の重さ。
伝わってくるんですね、巴水の版画からは。
ガス灯の灯の表現も、たまらなく美しい。
市電が走り始めた世の中に、ガス灯がぽぅっと照る夜の風景は、実に絶品です。
これ、葉書とかの印刷物にすると、まったく違うんですよ。
実物はとってもエロティックで、暖かい灯でした。
寒い雨や雪の夜に、この灯を見つけてどこかほっとするような。
そういう、灯。
そして、なんと言っても素晴らしかったのが、巴水の絶筆となる雪景色の中尊寺金色堂の一枚。
若い頃に中尊寺金色堂の参道の階段の版画は描いている。
けれども、この絶筆の一枚は、そこに一人の老僧を描き加えているのですね。
この老僧の位置を、微妙に右にしたり、左にしたり。試行している。
ほんの少し、中央から左へ寄った位置で、しんしんと降りしきる雪の中を、笠をかぶった老僧が静かに登っていく。
なんともねぇ、いいんですよ、これが。
ちょっと涙ぐむくらいに。
戦時中、戦意高揚のための版画なども作っているのです、彼は。
しかし、それは決して彼の本意ではなかったろうなとも、思います。
たゆたう水の柔らかさ、降りしきる雪の抒情。
そういうものを、心から愛した人であったろうと、そう思いました。