Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

きんとした風

2011-08-30 | Weblog

たまたまテレビを見ていたら「日本人イヌイット 北極圏に生きる」の生活を紹介していた。
イヌイットの人々は日本人ともよく似た風貌をしているが、それにしても日本人っぽい顔立ちのおじいさんだなぁと思っていたら、なんとその人は正真正銘の日本人であった。

大島育雄さん。40年前に北極圏に移住し現地の女性と結婚して、以来イヌイットとして生活している。
番組は育雄さん、息子、孫の3世代に渡る生活の様子を追ったものであった。

なんとも言えない良い笑顔なのだ。
彼らの顔にのぼる表情が。

それは北極圏でマイナス何十度にもなろうかという場所であるから、自然環境は過酷なことこの上ないだろう。
にもかかわらず、彼らの表情は本当に活き活きとしていて、日々満ち足りている様子が分かる。
なんだか見ているだけで心が洗われるようであった。

孫のイサム君(9)が誕生日を迎え、そろそろ大人への階段を上るから、おじいちゃんやお父さんと一緒にトナカイの猟に行くかと誘われる。その時の恥らうような、それでいて喜びに溢れた表情。なんという健やかさだろうか。大人の世界へ足を踏み入れる希望に満ちている。しかし、そのトナカイ猟の最中、イサム少年はおじいちゃんと道ではぐれてしまい、お父さんは必死になってイサム君の名前を呼んで探す。背に大きなトナカイの生肉を乗せて。島の端には断崖絶壁があるのだ。幸い無事であったが、お父さんにしこたま怒られ、ちょっと拗ねたようなイサム少年。お父さんがあんなに怒ったのは、心配したからなんだよと声をかけたくなってしまう。帰りの船の中。苦いブラック珈琲に挑戦するイサム。砂糖なしでは苦い。お父さんは目を細めながらそれを眺め「お前も珈琲が飲めるようになったんだなぁ」。お父さんは感慨に浸る。イサムの珈琲にスプーンで砂糖を入れてあげながら。

いいなぁ。
うるうる。

イヌイットの食べ物というものをあまり知らないのだが、なんとかという渡り鳥?を捕まえて、それを煮てスープにする。それは普通に聞こえるのだが、よく見ると驚いたことに鳥、羽根つきのまま煮てます。えぇっ????羽根むしらないのぅ?それはちょっと、なんというか、すごい画だなぁ(笑)。口にけばけば羽根ついちゃわないのかねぇ??

その鳥を、これまたなんとかいう(←いいかげん)保存食にする。鯨の皮の中か何かに詰めて醗酵させる。これまた羽根つきのまま。というかビジュアル的には鳥の姿そのままです(笑)。頭だけ落としているのか。このおそらくは酸っぱい匂いをさせていると思われる鳥を羽根のまま(やはり)しゃぶる。孫の5歳くらいの女の子がおいしそうにしゃぶっている。が、口、そら「血だらけ」ですよ?(笑)でもねー、まぁ、なんか嬉しそうに、おいしそうに鳥、手も口もそこらじゅう血だらけになってしゃぶっているのですよ。あたしゃぁ、好きですねぇ、こういうの。ほとんどホラーじゃん。こえぇよ。でも、心の底から幸せそうな、無心に食べ物を食らう野生生物のような可愛らしさがある。

勿論、楽な生活ではないだろう。
だけど、彼らは日々満たされているのだろうなぁ。

この表情は。
今の日本のどこを探しても、もう見つからないのかもしれない。

番組は、8月31日の深夜に再放送されるそうだ。
もしご興味があったらご覧になってはいかが?

本当に皆、いい表情で、きんとした風が頬をなぶるようで泣けてきます。

追記:
この番組を早速友人が見てくれて、海鳥はどうやら『アッパリアス』という名前だったと教えてくれた。ついでに見てみたら、醗酵させるために詰めるのは鯨ではなく、アザラシの皮で、その発酵食品の名前はどうやら『キビヤ(ック)』です。
あっぱれ、アッパリアス!(←我ながら、ちょっと気に入っている(笑))


心酔はしないけれど、嫌いじゃない。

2011-08-14 | Books

またもや二重否定かよ。
イギリス人かよ。

ドン・デリーロというアメリカ人作家の『ボディ・アーティスト』という小説を読んだ。
ちくま文庫から出ている。
ジャケ買い、です。いつものごとく(笑)。
女性の骨ばった背中の絵で、たぶんそうだろうなぁと思ったら、エゴン・シーレの絵であった。
好きなのである。エゴン・シーレ。
不健康そうだし、病んでいる印象でしょう?シーレって。
でも、あの骨ばった感じが好き。
ダンサーの身体なんかが好きな人間にはちょっと訴えるところのある画家だと思う。

それで欲しいなぁと最初目にしたとき、まずその絵のためにそう思った。
しかし、ちくま文庫は結構値段が張るのよ。エェ。
文庫で800円とかは、私みたいな貧乏人にはちょっとためらいの値段である。
同じ本屋に二度足を運んで、やはり欲しいなと思ったので今回買ってみた。

感想:辛いです。

少し読んでいて辛い感じの話であった。
ダンサーというわけではないのかもしれないが、ボディ・アーティストと呼ばれる身体によって内面をあるいは世界を表現する女性の話である。

夫とのある朝の会話の風景から物語は始まる。
小鳥が餌台にやってきて餌をついばんだり、オレンジジュースが欲しいかどうかなどという会話が交わされたり、一見日常の穏かな風景に見える。しかし、明らかに夫婦の会話は噛み合っていないし、なんというかそこに幸せな風景も描けないような会話であった。ことに妻が些細なことを執拗に追求するあたりは、読んでいて「いや、これ離婚寸前じゃねぇのか?」とつい思ってしまうくらい噛み合っていない。既にこの時点で不穏な空気は流れている。

やがて読み進むうちに、これが夫との最期の会話であったことが判明する。

その日、夫は亡くなるのだ。

ドン・デリーロという作家さんを知らなかったのだが、アメリカの気鋭の作家で最もノーベル賞に近いとも言われている方なのだそうである。ふぅん。知らない。(←バカ)

日常の風景から、彼女の目に映るものから、淡々と、しかし細やかに描写していく。もともと作家がそういうテイストなのか訳者によるものなのか分からないが、文章に色気は無い。文章の美しさはあまり感じない。箇条書きのように、詳細な事実(虚構の世界においての)が羅列されていく。

その精緻な描写力によって情景は浮かんでくる。
しかし、個人的には感情移入は全くできない。
主人公が女性である、という実感も湧かなかった。

夫が亡くなってから、一人の青年と出会う。
家のどこかに勝手に住み着いていたと思われる青年。
描写から察すれば、どこかに知能障害を持っているかと思われる青年。

だが、その青年は異常に物まねをすることが上手く、亡くなった夫の声色で彼と実際に話したことをリピートする。
問いただせば、青年はまるで禅問答のような頓珍漢な答えを出すのみで、通常のコミュニケーションは取れない。
それでも主人公の女性は、この青年との生活で、夫を失った哀しみから抜け出す糸口をつかめている、のだろうか?

トリッキーな点は、この青年の存在さえ、「本当に」存在していた人物なのかどうか物語を読み終えても分からないのだ。
あるいは彼女の妄想が作り出した人物と読むことも、できる。

「本当」ってなんだろうか?
あなたが今感じている「実感」とか「実在感」とか「本当と感じていること」って、案外あっけなく崩れていくものじゃない?というような問いを物語から感じる。

物語としては悪くないなと思う。
よく書けているし、新しいことに挑戦してもいる小説かと思う。

ただ、私にはこの主人公の女性を、「人間」として認識できなかった。
ましてや夫を亡くしたという状態の「女性」としても感じることができなかった。
なにかこう、ちょっとロボットが生活している様を遠目に眺めている感じがあった。

生きていることを実感するために、彼女の生業でもあるボディ・アーティストとしてストレッチをしたり、トレーニングをしたり、呼吸法をストイックに実践したりしているのだが、そもそも深く哀しみに沈んでいる人間は『身体を動かすことができない』と思う。そこを乗り越えて動かせるようになったということなのだろうが、その辺りが全く私には伝わらなかった。

そのため、正直読了してもどう評価していいのか、分からない作品である。
どなたかが村上春樹の『1Q84』に出てくる「青豆」というストイックにトレーニングを続ける女性主人公のモデルが、この作品の女性ではないかと言っていたが、確かに似ているかもしれないなとは思う。

生身の「人」を感じさせないのだ。

特に好きなわけではない作品だ。
でも、たぶん、ずっと心のどこかになんとなく気に掛かる作品であり続ける気がする。
いつか再び、ページを繰ることがあるかもしれない。




グンソクる

2011-08-14 | Weblog

これもまた出来心で、買ってしまった。
韓流スターのチャン・グンソク君がCMにも出ている「ソウル・マッコリ」。
いかがなものかと思って試してみた。

微炭酸でありながら、少し振って良いらしい。
というか、マッコリって沈殿するもんね。

えー。

なんつーか。

んー。

まずいわけではないですが。
二度は買わないと思う(笑)。

マッコリの良さはある程度の「酸味」だと思うのだ。
その酸味が、このドリンクにはほとんど感じられない。
冷やしが足りなかったのかもしれないね。
ま、そこまで期待していたわけでもないので、OK。

いや、グンソク君が注いでくださるのであれば、そりゃあ、美味いかもしれませんが。
(って、一応言ってみているだけです。別に彼のファンなわけではないです。)

まー、なんか。
ふぅんって感じ。

今日は土曜日ですが・・・

2011-08-14 | Weblog

近くのドンキホーテに行く。
それも一番暑い時間帯にバカみたいに行く。
というか、バカである。

目と鼻の先にある店だが、ほんの数分歩いただけで汗だく。
ところが店内を見ると人々は涼しげな装いである。
あぁ、そうか。大概の人は車でいらっしゃるのであった。
バカみたいに歩いてくるのは私くらいのものである。

正直ドンキは嫌い。
ごちゃごちゃしすぎてそれほど頻繁に来るわけでもないから、どこに何があるのか分からない。
(それが売りなんだろうけれど。)

そして大抵余計なものまで買ってしまい、大枚はたいてしまう。
(それがもくろみなんだろうけど。)

しかも今回はレジのおねーさんが故意か偶然かは知らぬが値段を打ち間違えていて、後から50円くらい余分に取られていることに気づいた。レシートと現品を持ってまた暑い中交渉に行くべきか否か。迷うところである。たかが50円、されど50円。賽銭箱に自発的に出すのであれば惜しくないが、明らかにサイズが違う同種のものを2つ買って、それをLサイズの方で2個掛けで値段を出してしまっている。気づくと思うんだけどなぁ、これだけサイズ違ったら。見て分かるのに。

それは、さておき。
出来心で買った『横須賀海軍カレー』。

海軍さんは金曜日にカレー、という話は聞いていたが、実物がレトルトででまわっとる。
思わず買ってしまった。

期待していなかったのよ。
レトルトだしね。

が。
がががっ!

ちょっとお好きな野菜を炒めてカレーと混ぜると良いのだが、(これはビーフカレー)


うまっ!


ちょっと甘味があって、それでいて辛さもちゃんとあってコクがある。
んまいっす♪

返金交渉に行きつつ、また買ってきちゃおうかなー♪

やー、海軍はカレーだね!
って、うちの亡くなったじぃちゃんは陸軍なんだよ。

土曜なのに、金曜気分。
なんのこっちゃ。




暑いので・・・

2011-08-12 | Weblog

ヴィシソワーズを作った。
まぁ、本当はそんなこじゃれたものではなくて、単なる「冷たいジャガイモのスープ」といったところである。

出来合いのコンソメキューブを投入しているだけであるし。
裏ごしも本来はすべきなのだが面倒くさいのでミキサーで攪拌しただけで終わり。

えっっへん♪

パセリがないので、ねぎだよ、ねぎ。
いいんだ。
おいらは日本人(笑)。

しかし、暑いねぇ・・・・・・。


白い結婚式

2011-08-11 | Books

久しぶりに安野光雅氏の「旅の絵本」を開いた。
1980年代頃に描かれた絵本だから、もう30年近く前になる。

先日、たまたま友人がこの絵本の話をあげていて、あぁ、それうちにもあるよ、なんて会話をしたばかりであった。
友人の記憶によると、そこには「白い結婚式」が描かれているのだそうだ。

一時期「ウォーリーを探せ」という縞々模様の服を着た青年を、大勢の人々の描かれている中から探す絵本が流行したことがあったが、安野さんの「旅の絵本」はそれよりももっと早くに、そのコンセプトを描いている。絵本でありながら、文章は全く無い。

青い服を着た旅人の青年が、海から大陸に渡ってきて馬を手に入れ様々な景色を旅していく。いつも巻末で、道中ともにした馬を置いて彼は船で次の大陸へ旅していく。置いていかれる馬が、少し切ない(涙)。画面にはたくさんの人がいて、それぞれの人生があり、それぞれの生活がある。それらが活き活きと描かれていく。

時代背景は正直不明。車があったり中世のお城があってパレードをしていたり、で実際の年代はよく分からない。近代だろうけれど、まぁ、そんなことはどうでもいい。
物語のあちこちに聖書の挿話であったり、童話の一場面であったり、見る人が気づけば気づくという具合に色々な要素が盛り込まれている。二羽の鳥が飛んでいて、それらが数ページに渡って飛んでいるかと思うと、次のページでは巣に帰って雛に餌をやっている。本当に細やかに描きこまれいる。

主にヨーロッパの様子を描いているが、イギリスではシェークスピアの小説の一場面などがちょろっと描かれていることもある。
小粋な感じである。

本当に何十年ぶりくらいに開いた。
以前にさらっと見た時よりも、より多くのものが描かれていることに今回は気づいた気がする。


白い結婚式を、見つけたよ。



2匙分

2011-08-11 | Weblog

姉からスリランカの土産が届いた。
スリランカの人々の手作りのカード。サンダル柄。
適度にざくざくした作りになっていて、いかにも「手作り」感が溢れている。
お世辞にも丁寧ではないのだが、そこがいかにもスリランカらしく、いかにも日本の職人の手作りのような完成度の「無さ」がかえってこれはこれで味があっていい。

一瞬アロマ用の精油か何かか?と思うような、小さい箱二つがお茶でございます。
ねーさん。もそっと大きい袋でくれるかと思ったのに(笑)。
茶さじ、2匙分くらいで使いきりの量です。
ま、量じゃないですけどね。
わざわざ送ってくれているんですしね。

櫛は姉の地元では観光客に人気のちょっと「おしゃれ系」な櫛らしいです。
こちらは中国人の職人さんが作ってくださったものらしく、確かにラッピングなぞはこじゃれた感じ。
梳いてみるとね・・・・・・イタイ(笑)。
微妙にイタイのである。たぶんツボを刺激するように作られているからだろう。
イタ気持ちいい、感じ。
しかし、櫛として髪の毛を束ねるのに使うには、正直あまり使い勝手は宜しくない。(まぁ、そんなこったろうと思った)

まぁ、でもツボのマッサージと思えば、結構気持ちいい。
それなりに楽しい。

暑くて、まだお茶はいただいていない。
インク壷のようなパッケージが可愛らしい。

姉様、ありがとう♪


どこまでして、よいものやら

2011-08-04 | Weblog

病院へ行った。
検査の前にトイレに寄る。汗を抑えたり、化粧を(一応、したってしょーがないけどな)直してみたり。

鏡の前に立っていると、70-80歳代のおばあさんが入ってくる。
カートを押しながらよちよちと歩いてくる。
そこだけ時間の流れが違うのかと思うほど、緩慢な動きである。

トイレの個室に入ろうとされていて、カートの持ち手にマジックテープで留めてある歩行杖を取ろうとされているようだった。
時間がひどくかかりそうだったので、マジックテープをほどくのをお手伝する。
「まぁ、ご親切にどうも」
個室の中に入るまでカートを支えていた。
しかし、トイレの個室は通常のサイズなので、カートは大きすぎて入れられない。

「じゃ、外に置いておきましょうか?」と尋ねたのだが、おばあさんは貴重品が中に入っているから、扉を開けたままでカートで扉を押さえる形にして、用を足す、と仰る。

本来だったら、最後までちゃんとお手伝いするべきだったのかなぁとも思う。
だが、扉を開けて用を足そうとされていて、時間はかかるがご自分である程度できるので、後は大丈夫かなと後に残して出た。
一人の方が、気兼ねが要らないかもしれない。

「カートを、私が見ておきますよ」と言うことも出来たけれど、私だって初めてトイレで出会っただけの人間なので、貴重品を託すほど信頼できるわけではない。おばあさんとしては目の届く所へ置いておくのが、一番だし正解だ。

終わるまで待って差し上げれば良かったかもしれないなぁとも思うが、関係の無い人にそんなに待たれて世話されても嫌かもしれないしねぇという思いと、ついでに自分の検査予約の時間が迫っていたこともあって、結局その場を後にしてしまった。

病院なのだし、せめて各階のトイレに車椅子用のトイレがあればなぁとも思った。
しかし、おばあさんのような方は車椅子なわけでもないし、車椅子用のトイレとなると今度は面積が広くなる。
便座にたどり着くまでが、彼女のような足の悪い方には大変だろう。
結構世の中の設計や建築って、使う人の便宜を全く考慮に入れないで作られているものが多い。
トイレ一つにこんなに苦労しなければいけないなんてなぁ。やりきれない。

どうしたらいいのかしらねぇ。

ご本人は「もう老人だからねぇ」と仰ってそれほど気にされていらっしゃらないようだったけれど、人前で排泄するというのは、(よっぽどそういう趣味がある人でもなければ(笑))年齢に拘わらず、おそらく楽しいことではないだろうと思う。

途中で抜けてしまって気になっていたが、私が会計を済ませている時に、先のおばあさんがえいこらと公衆電話の所へ向かって、よっこらしょと自分のカートに腰掛けているのが見えた。顔見知りの方と少しそこでおしゃべりをしているようで、無事で良かったなと思う。


死ぬのも、大変。
生きるのも、大変。

ほんとにね。


霧の中の青と緑のあいだ

2011-08-02 | Books

なんとも、不思議な本であった。
このアルゼンチンの作家、詩人で批評家でもあるのか?
ホルヘ・ルイス・ボルヘスという作家を知らなかった。

そもそも、南米の作家と言われてもガルシア・マルケスの「百年の孤独」くらいしか知らない。
それだって、読了したはずなのに内容を一つも覚えていないのだ。
ただ、面白くなくはなかった、気がする。(二重否定やな(笑))

ボルヘスもなんとも、言い表しがたい謎めいた雰囲気の作家である。
本屋でたまたま見ていたら「岩」のような表紙が目に入った。
後から気づけば、それは「砂の本」というタイトルの通り、砂で作られた本の形なのだが、初めて見た時にはなんとなく岩っぽく見えた。
その絵と帯の台詞に惹かれて、まぁ、所謂「ジャケ買い」である(笑)。

当初、読みにくかった。
ボルヘスには様々な知識がありすぎて、しかもそれは一般的な日本人読者が常識として供えている知識ではないようなものも、文中に頻繁にでてくるものだから、訳者の方が文中に( )で脚注を入れていることが多いのである。個人的に、私は文中の( )で入る脚注が嫌いで、それは文章のリズムをどうしても乱すからである。ある程度の「流れ」で読みたいところを、( )で説明が入ってくるとどうしても邪魔される。ならばいっそ、書面下部に線を入れて、本当の「脚注」にするか、あるいは巻末にまとめて入れてくれる方が、個人的な好みとしてはありがたい。実際、そんなに脚注をいちいち読むだろうかねー。

ということで、とっかかりはかなりその世界に入るのが辛かった。
短編の連作、というどちらかというと私の好きな形態であるにも拘わらず、「いやー、ほんと訳わかんない」としばらく思っていた。その世界観も、非常に奇妙で、ある種南米らしく血みどろで、ねっとりとした質感もあるかと思えば、突然、北欧やケルト神話的な世界の話、あるいは中近東の千夜一夜物語のような様相も呈してくる。小説というよりも、なにか「神話」を眺めている感じに近い。サーガとか。日本でいえば「古事記」とか。そういうノリ。

幻想文学と言ってしまえば、それまでかもしれない。
不思議に思ったのは、この人の作品には捉えどころかない感じなのだ。豊富な知識があり、世界を股にかける歴史的な知識があり、それでいてリアルを越えるリアルな手触りがありながら、それこそずぅっとひんやりとした霧に呑まれているような印象を受ける。

巻末の解説を読んで、その理由が分かった。
それはボルヘスのある肉体的な資質に基づいている。
あぁ、そうか。
その事実を知った時、なるほどと全てが腑に落ちた。
と同時に、何か凄まじい戦慄が背筋を駆け抜けた。

これから読まれる方もあるかもしれないので、ここでは秘密にしておく(笑)。

万人にとっつきやすい本ではないと思う。
しかし、砂の本の短編連作には(特に個々の繋がりはないけれど)魅力的な作品が多いし、やはり「砂の本」はとても素敵な作品である。

その本を開く度に、うたれているページは異なっている。
同じページが開くことは二度とない。全てのページは異なっている。
はじめも無ければ、終わりも無い。

その本が手に入るとしたら。
あなたの大切なものと引き換えに。

あなたには、その本を手に入れる勇気がありますか?



ホルへ・ルイス・ボルヘス
集英社
発売日:2011-06-28

おたんぜうび、おめでたう♪

2011-08-02 | Weblog

昨日、はっぴばーすでー、でした。
おいらの。
誕生日だけは、米倉涼子と一緒(爆)。
身体のサイズは、森公子と一緒(笑)。

友人たちが、皆ハードスケジュールで多忙な中、色々素敵なプレゼントを選んで送ってくださる。
身に余る光栄。
いや、本当に。
ちょっと申し訳ないくらい。

一人寝の寂しい女の背中をそっと撫ぜてくれるモンキー人形とか。
詰めれば詰めるほど軽く持ち運べる魔法の鞄、狐印鞄とか。
悲しい時に食べると、元気が出る「七転び八起きだるませんべい」とか。
夢見の悪い私の夢の番人、白兎のイナバ君とか。
でも、たまにふっと涼風の吹く柳の下で、友達の猫ちゃんと釣りをしたりして遊びに行っちゃうから要注意。
そういう時は、悪夢を見ます(笑)。
一度、髪に挿せば、フランス女になれる媚薬を染み込ませた黒真珠の櫛とか。

久しぶりの友人からもお祝いの便りをいただいた。
ジロー君も、無事にイタリアから帰国したそうでメールをくれた。
(しかし、ジロー。こういう時こそ、電話の方がいいんじゃないか?(笑))ま、しかし、ジローにしたら数行のメールを携帯で打つことは相当に「難儀」なはずなので、とてもありがたいと思う。

姉からも電話をもらってお祝いのはずだったが、いつのまにか小一時間愚痴を聞かされた。
一緒に旅行に行った彼氏が現地でマラリアだかデング熱だかにやられて、険悪な仲になったんだそうである(爆)。
はっはっは。
そうそう、ヌワラエリアを一袋、その内送ってくれるらしい(爆)。
しかし、「パパの誕生日ももうすぐだから、そのうちお土産一緒に送るねー」ってそれはどうなんですか?
パパの誕生日は、来月ですがーーーっ。
ま、でも悪態はついてみるものですね。運がよければ、ヌワラエリアが届くらしい(笑)。

お鮨も食べられたし♪

40628歳になりましたっ♪(自称、永遠の28歳)
4万年も生きてりゃ、五十肩にもなるさ、そりゃ。

新たな年を迎えられるというのは、ありがたいものですな、実際。
特に、今年のような年には。

生きていれば。
チャンスはありますから。