時期的にタイムリーなんでしょうな。
新聞の広告で見てから、ちょっと読みたいなと思っていた。
そんなことを思っているうちに、アルジェリアの人質事件があり、グァムでの通り魔殺人事件があった。
この本に描かれているのは、「国際霊柩送還士」という職業の人々の活動だ。
聞き慣れない名称であるが、海外で邦人が事故や事件に巻き込まれて亡くなられた際、海外から日本までの送還手続きを請け負い、遺体が帰国してから防腐処理および復元作業を施して、遺族に引き渡すのが彼らの仕事である。
この本はノンフィクションとして開高健賞を受けている。
なるほど、こういう職業の人がいるのだなと初めて知った。
それはそうである。そういう職業の人が是が非でも必要である。
数年前、映画の「おくりびと」が話題になったが、ここのところ日本では東日本大震災もあって「死」が今まで以上に身近になり、死にまつわる職業が注目されるのかもしれない。「おくりびと」の国際版、というか、中継役が国際霊柩送還士である。
辛い仕事だなと思う。
そして、意義深い仕事でもある。
ふと、昔知り合いが口にしていたことを思い出した。
その人はカトリックのキリスト教徒で外国の方だったのだが、「絶対にやりたくない仕事」が「葬儀屋」と言っていた。なんのきっかけでそういう話になったのか、思い出せない。その時、私は言葉にできない違和感を覚えた。私にとって「死」というものはどこか身近で、それほど忌み嫌うものではない。例えば、キリスト教徒の「死」が終末に向かっての「直線」的時間の中で語られるものであるとすると、東洋人である私の感覚では(仏教的なのだろうけど)「死」は一つの円のある一点という認識なのである。生きているものは当然いつかは死ぬであろうし、それは哀しく辛いことかもしれないけれども、同時に安らぎでもある。私は常に「死」と寄り添っているという感覚がある。死ねないほうがむしろ辛かろう。(昔、手塚治虫の『火の鳥』でそんな話があったね)
この本に、日本人は近親者や親しい人が亡くなった時、最後の別れに遺体に触れることを厭わないという記述がある。我が身を思い起こしても、そうだなぁと思う。ドライアイスで恐ろしいほどひんやりとしている従弟や祖父母の体に触れてきた。その冷たさが辛くはあったけれども、別段、嫌悪するようなことではなかった。生きて温かい時には触れたこともなかった頬に、ひどく冷たくなってから触れるのは皮肉なものだ。さようなら、と。それがお別れの形であろうかとも思う。
しかし、欧米の方というのは、近親者であってもあまり遺体に触れることがないのだそうだ。
もちろん、人によりけりなのだろうが、触れることを忌避する気持ちが幾分働いているのだろう。「死」は忌むべきもので、どこか遠ざけておきたいものなのかもしれない。
(だけど、同時に不思議に思うのは、カトリックは遺体を土葬にするんだよね、本来。中世のイタリアあたりではカタコンベと言われる地下のお墓にミイラや白骨化した遺体が、ぞろぞろ並べられている。いや、ほんとに。観光名所にもなっているし。服とかそのままで。ディズニーランドの「カリブの海賊」みたいなしゃれこうべ万歳状態よ(笑))「死」を忌み嫌っているのか、しかし、どこかで恐ろしい「死」を保存しておきたいのか、よくわからんのよね。こっちの方がよっぽど怖いぜ)
読みながら、この仕事は時間的に非常に束縛がきつい業種だし、お金の為だけでは到底できないなと思った。
以前、祖父の湯灌をしてくださった様子を見た。その方は若いきれいな女性で「どうしてこういう仕事を選ばれたのだろうか」と思ったものだけれども、丁寧に美しく世話をしてくださる様子は、とてもありがたかった。親族は悲しみが深くて、なかなか葬儀を取り仕切れない。そういう中でまったくの第3者である葬儀屋さんのスタッフが、淡々と丁寧に仕事を続けてくださるのはありがたいなぁと思った。忌むべき仕事だとは、私は思わない。楽しい種類の仕事ではあるまいが、間違いなく人の役に立つ仕事であるし、なければ多くの人が困る職種だ。そういう仕事を忌むべき理由が見当たらない。
私は、場合によってはこういう喪の仕事も素敵だなという気さえする。
ただ、私の精神はひどく弱いので、辛くて心が壊れてしまうから無理かもしれないなぁ(苦笑)。
感情移入が激しいので、道端の草花や雲一つにさえ涙することがあるので、こうした職業の方を尊敬しはするけれども、到底私の神経はこの職務に耐えられない気がする。
だからこそ、この国際霊柩送還士という仕事は、生半可な気持ちでは務まらないタフな仕事だと思う。
送還される遺体は、美しい状態ではないものも多い。送還元の国によっては防腐処理などの技術が低く、空港に着いた頃には遺体がひどい状態であることも多いそうだ。それを彼らが丁寧に世話をして、直して、最後の別れを告げる遺族がせめて生前の美しい姿を思い出せるような状態にまで戻してあげることが彼らの使命だ。24h、朝も夜もなく、遺体の送還の都合で働かなければならない。
大変な仕事だ。お給料は良いのかもしれないが、お金だけでは到底務まらないだろう。
実は、私が以前、お仕事をご一緒させていただいた方も海外で亡くなって、この本で取り上げられている。
その部分を読んだとき、ふと仕事の打ち上げの席で、その方に日本酒のお酌をしたことを思い出した。
豪快で、快活で、本当に優秀な方であったが、事件にあって亡くなられた。
お仕事でご一緒した方を、何人かそういう事情で亡くしたことがある。
あんなに元気に笑っていたのに。あっけなく。人は亡くなってしまう。
でも、ある程度の形を保って、遺体が日本に戻って来られるだけでも恵まれているのかなとも思う。
やはり最期は、日本の地を踏ませてあげたいではないか。
丁寧に洗浄し、防腐処理をし、死化粧を施しても、あとは火葬するだけである。
燃やすためだけに、遺体を綺麗にするのはひどく不毛な気もするけども、それが日本人の美意識であり、遺族への思いやりだろう。
生前の美しい形で、遺族の心に留めてあげたい、という。
覚えている人が死なない限り、故人は亡くならないのだよねと思う。ずっと、その人の心の中で生き続ける。
遺族がきちんと生と向き合って生きていくためにも、このプロセスは必要なのだ。
きちんとお別れを言えないと、ずるずると引きずることになる。
この本はネタがいい。作者の取材力や構成力はさほどでもない気がするのだけれども、興味深く読み進めることができた。
だが、章分けは、さほど意味がない感じ。同じような内容を繰り返し述べている気がして、章立てている意味が正直あまりよくわからない。さらに、作者が、遺族へ取材するにあたっての葛藤なども描かれているが、いや、そんな言い訳はいらないよと私は思った(笑)。だって、こういうネタを取材するってことは、当然、痛みの癒えていない遺族の傷口に塩をすり込むような行為でしょう?それは最初から分かっていることではないか。それでもやる価値があると思ったからこの人は取材しているのでしょうから、そのことに対して「私にも葛藤がありましたよ」とかいう、自己弁護的な報告は別にいらない。
本としての物足りないと感じる主たる理由は、遺族に対してあまり突っ込んだ取材をしていないからなのだ。どんな複雑な思いを当時作者が抱えていたにしろ、この本に作者の感情的な思いは必要ない。むしろ淡々と事実を連ねて書いてくれるだけの方が、より説得力があったろうと思う。そこが少し惜しいかな。
国際霊柩送還士のメンツは、皆見事で、頭が下がる。遺族の取材がさしてできないのであれば、彼ら一人一人について、もっともっと掘り下げてほしかった。
こうした縁の下の力持ちが、自分の辛い気持ちを押し殺してまで、過酷な現場で日々真摯に働いていてくれるということは、本当に本当にありがたい。
ただただ、頭が下がる。
青空を行く一機の飛行機を目にする時。
人は「あぁいいなぁ、どこへ行くのだろうか、あの飛行機は」と思う。
しかし、彼らはこう思う。
「あぁ、あの飛行機にも遺体が積まれているかもしれないな」と。