Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

おかえりなさい。

2013-02-24 | Books

時期的にタイムリーなんでしょうな。

新聞の広告で見てから、ちょっと読みたいなと思っていた。
そんなことを思っているうちに、アルジェリアの人質事件があり、グァムでの通り魔殺人事件があった。

この本に描かれているのは、「国際霊柩送還士」という職業の人々の活動だ。
聞き慣れない名称であるが、海外で邦人が事故や事件に巻き込まれて亡くなられた際、海外から日本までの送還手続きを請け負い、遺体が帰国してから防腐処理および復元作業を施して、遺族に引き渡すのが彼らの仕事である。

この本はノンフィクションとして開高健賞を受けている。
なるほど、こういう職業の人がいるのだなと初めて知った。
それはそうである。そういう職業の人が是が非でも必要である。

数年前、映画の「おくりびと」が話題になったが、ここのところ日本では東日本大震災もあって「死」が今まで以上に身近になり、死にまつわる職業が注目されるのかもしれない。「おくりびと」の国際版、というか、中継役が国際霊柩送還士である。

辛い仕事だなと思う。
そして、意義深い仕事でもある。

ふと、昔知り合いが口にしていたことを思い出した。
その人はカトリックのキリスト教徒で外国の方だったのだが、「絶対にやりたくない仕事」が「葬儀屋」と言っていた。なんのきっかけでそういう話になったのか、思い出せない。その時、私は言葉にできない違和感を覚えた。私にとって「死」というものはどこか身近で、それほど忌み嫌うものではない。例えば、キリスト教徒の「死」が終末に向かっての「直線」的時間の中で語られるものであるとすると、東洋人である私の感覚では(仏教的なのだろうけど)「死」は一つの円のある一点という認識なのである。生きているものは当然いつかは死ぬであろうし、それは哀しく辛いことかもしれないけれども、同時に安らぎでもある。私は常に「死」と寄り添っているという感覚がある。死ねないほうがむしろ辛かろう。(昔、手塚治虫の『火の鳥』でそんな話があったね)

この本に、日本人は近親者や親しい人が亡くなった時、最後の別れに遺体に触れることを厭わないという記述がある。我が身を思い起こしても、そうだなぁと思う。ドライアイスで恐ろしいほどひんやりとしている従弟や祖父母の体に触れてきた。その冷たさが辛くはあったけれども、別段、嫌悪するようなことではなかった。生きて温かい時には触れたこともなかった頬に、ひどく冷たくなってから触れるのは皮肉なものだ。さようなら、と。それがお別れの形であろうかとも思う。

しかし、欧米の方というのは、近親者であってもあまり遺体に触れることがないのだそうだ。
もちろん、人によりけりなのだろうが、触れることを忌避する気持ちが幾分働いているのだろう。「死」は忌むべきもので、どこか遠ざけておきたいものなのかもしれない。

(だけど、同時に不思議に思うのは、カトリックは遺体を土葬にするんだよね、本来。中世のイタリアあたりではカタコンベと言われる地下のお墓にミイラや白骨化した遺体が、ぞろぞろ並べられている。いや、ほんとに。観光名所にもなっているし。服とかそのままで。ディズニーランドの「カリブの海賊」みたいなしゃれこうべ万歳状態よ(笑))「死」を忌み嫌っているのか、しかし、どこかで恐ろしい「死」を保存しておきたいのか、よくわからんのよね。こっちの方がよっぽど怖いぜ)

読みながら、この仕事は時間的に非常に束縛がきつい業種だし、お金の為だけでは到底できないなと思った。
以前、祖父の湯灌をしてくださった様子を見た。その方は若いきれいな女性で「どうしてこういう仕事を選ばれたのだろうか」と思ったものだけれども、丁寧に美しく世話をしてくださる様子は、とてもありがたかった。親族は悲しみが深くて、なかなか葬儀を取り仕切れない。そういう中でまったくの第3者である葬儀屋さんのスタッフが、淡々と丁寧に仕事を続けてくださるのはありがたいなぁと思った。忌むべき仕事だとは、私は思わない。楽しい種類の仕事ではあるまいが、間違いなく人の役に立つ仕事であるし、なければ多くの人が困る職種だ。そういう仕事を忌むべき理由が見当たらない。

私は、場合によってはこういう喪の仕事も素敵だなという気さえする。
ただ、私の精神はひどく弱いので、辛くて心が壊れてしまうから無理かもしれないなぁ(苦笑)。
感情移入が激しいので、道端の草花や雲一つにさえ涙することがあるので、こうした職業の方を尊敬しはするけれども、到底私の神経はこの職務に耐えられない気がする。

だからこそ、この国際霊柩送還士という仕事は、生半可な気持ちでは務まらないタフな仕事だと思う。
送還される遺体は、美しい状態ではないものも多い。送還元の国によっては防腐処理などの技術が低く、空港に着いた頃には遺体がひどい状態であることも多いそうだ。それを彼らが丁寧に世話をして、直して、最後の別れを告げる遺族がせめて生前の美しい姿を思い出せるような状態にまで戻してあげることが彼らの使命だ。24h、朝も夜もなく、遺体の送還の都合で働かなければならない。
大変な仕事だ。お給料は良いのかもしれないが、お金だけでは到底務まらないだろう。

実は、私が以前、お仕事をご一緒させていただいた方も海外で亡くなって、この本で取り上げられている。
その部分を読んだとき、ふと仕事の打ち上げの席で、その方に日本酒のお酌をしたことを思い出した。
豪快で、快活で、本当に優秀な方であったが、事件にあって亡くなられた。
お仕事でご一緒した方を、何人かそういう事情で亡くしたことがある。
あんなに元気に笑っていたのに。あっけなく。人は亡くなってしまう。
でも、ある程度の形を保って、遺体が日本に戻って来られるだけでも恵まれているのかなとも思う。
やはり最期は、日本の地を踏ませてあげたいではないか。

丁寧に洗浄し、防腐処理をし、死化粧を施しても、あとは火葬するだけである。
燃やすためだけに、遺体を綺麗にするのはひどく不毛な気もするけども、それが日本人の美意識であり、遺族への思いやりだろう。
生前の美しい形で、遺族の心に留めてあげたい、という。
覚えている人が死なない限り、故人は亡くならないのだよねと思う。ずっと、その人の心の中で生き続ける。

遺族がきちんと生と向き合って生きていくためにも、このプロセスは必要なのだ。
きちんとお別れを言えないと、ずるずると引きずることになる。

この本はネタがいい。作者の取材力や構成力はさほどでもない気がするのだけれども、興味深く読み進めることができた。
だが、章分けは、さほど意味がない感じ。同じような内容を繰り返し述べている気がして、章立てている意味が正直あまりよくわからない。さらに、作者が、遺族へ取材するにあたっての葛藤なども描かれているが、いや、そんな言い訳はいらないよと私は思った(笑)。だって、こういうネタを取材するってことは、当然、痛みの癒えていない遺族の傷口に塩をすり込むような行為でしょう?それは最初から分かっていることではないか。それでもやる価値があると思ったからこの人は取材しているのでしょうから、そのことに対して「私にも葛藤がありましたよ」とかいう、自己弁護的な報告は別にいらない。

本としての物足りないと感じる主たる理由は、遺族に対してあまり突っ込んだ取材をしていないからなのだ。どんな複雑な思いを当時作者が抱えていたにしろ、この本に作者の感情的な思いは必要ない。むしろ淡々と事実を連ねて書いてくれるだけの方が、より説得力があったろうと思う。そこが少し惜しいかな。


国際霊柩送還士のメンツは、皆見事で、頭が下がる。遺族の取材がさしてできないのであれば、彼ら一人一人について、もっともっと掘り下げてほしかった。
こうした縁の下の力持ちが、自分の辛い気持ちを押し殺してまで、過酷な現場で日々真摯に働いていてくれるということは、本当に本当にありがたい。
ただただ、頭が下がる。

青空を行く一機の飛行機を目にする時。
人は「あぁいいなぁ、どこへ行くのだろうか、あの飛行機は」と思う。

しかし、彼らはこう思う。
「あぁ、あの飛行機にも遺体が積まれているかもしれないな」と。





桃色吐息

2013-02-24 | Weblog

思わず、ため息をついてしまう。
たまたま見かけたピーター・フランクルがただ鮨を食べている映像(笑)。

結構長くて30分ほどある動画なのだけど、見惚れてしまいます。
美味しそう。
丁寧な大将の仕事。

ネタの美しさもさることながら、シャリの「ほわっ」とした感じが映像からでも伝わってきて、うまくないはずないよね~と思う。
あぁ、こんな高級なお鮨には縁がないですよ。しくしく。

でも、この映像のおかげで本当に高級店に行けたような気分になりました。

お茶の淹れ方も丁寧で。器を温めたり、湯冷ましさせるのは手間ですけれども、このひと手間で美味しいお茶が入りますからねぇ。
鉄瓶のお湯はとても柔らかくなるのです、本当に。

いい仕事をしているお鮨屋さんですね。
六本木駅からすぐの「鮨なかむら」というお店のようです。お近くの方は、何かの折にどうぞ。

ピーターさんが羨ましいよ(笑)。
美味しいものを食べている時の笑顔って、いいねぇ。

鯛、食べたい♪


Slumdog Millionaire

2013-02-21 | Films

地上波で放映していた「スラムドッグ・ミリオネア」を見た。

そうねぇ…。
公開当時、アカデミー賞を総なめにしたらしいけど、まぁ、ハリウッド向きかもねぇ(笑)。

舞台はムンバイ。
スラムで生まれ育った青年ジャマルが、賞金をもらえるTVクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出演し、全問正解して大金を手にするという話。無学な彼がどうして全問正解できたのか。彼が人生経験から得た知識が、クイズの正解に導いてくれたということらしい。

スタイリッシュな作りの映画で、動きのある画面にインド亜流のような音楽。
スラムの汚らしいシーンではありながら、子供たちも比較的きれいだし(笑)、色彩豊かに撮っている。

悪に染まった兄ちゃんが、最後には純真なカップルの恋を助けてくれるという素敵にお涙ちょうだいな感じのハッピーエンディング。

ダニー・ボイル監督という名前をどっかで聞いたなぁと思っていたら、あぁ、「トレイン・スポッティング」の監督だね。この映画でユアン・マクレガーが世に出たのだった。この映画のドラッグでトリップしているシーンは良かったねぇ(笑)。
それを知って、あぁなるほどと思った。そう言われてみれば、作りが似ているかもね。

綺麗に仕上がっている映画じゃないかなぁとは思う。
ま、でもこの映画に惚れこむのかと言われれば、それはないな(笑)。

あんまりにも単純すぎるストーリーだし、全体的に映像が綺麗すぎるもん(笑)。

ムンバイというのは、私にはちょっと思い入れがある都市だ。数年前に初めてインドへ一人旅した時に、一番初めに寄ったのがムンバイ。のっけからフライトの遅れなどがあって(さすがインド)家を出てから、ちょうど24h後にムンバイに到着してくたくたになって寝た。翌朝、ホテルの窓を開けたら、きらめく日差しの中を飛んでいく緑のオウムの群れを見た喜びを忘れない。わぁっ♪
ぁ、ここはインドだと実感した朝。

残念ながら私は舞台になっているダラヴィというこのスラム地区に行っていない。つぅか、行ったときそんなことは知らなかった。知っていても一人で行けるようなところではないだろうし、調べてみたらどうやらスラムツアーがあるらしいけど(苦笑)それもなんだかねぇ…。(そういえば、旅で出会ったリキシャの運転手(リキシャワラーというらしい)に「日本人はスラムが好きだよねえ…」と言われた。これほど痛烈な皮肉もないね(苦笑)。)

スラムには行かなかったが、夜中に空港に着いてオートリキシャでホテルまで向かう途中、街灯ひとつないような真っ暗な道で何か無数に地面でうごめくものを見つけた。よく見ると、それは人であった。家さえも持っていないような人々が、それこそ道からあふれるくらい、そこいら中に寝ているのだ。どの国でも、空港と言うのはちょっと都心から離れたエリアにあり、都心から離れるほど収入の低い人々が住んでいる。日中は暑くても、夜はかなり冷えることもある。母親が毛布もないので、代わりに子供に自分の着ているサリ-をかけてやる姿が暗闇の中でもうっすらと見えた。心の準備はしていたつもりだったが「あぁ、こうして道端に寝ている人がこんなにもいるものか」としみじみ思った。渋谷の交差点くらいの人数がいると思ってほしい。

ムンバイは素敵な町である。イギリス植民地の名残の美しい建物もあるし(語弊はあるだろうが(笑)。美しいタージマハル・パレスホテルは数年前そういえばその後のテロで燃やされた。)、高級なエリアは目玉が飛び出るくらい超高級である。
それがインドの凄まじいところである。ここにいると絶対、金銭感覚とか価値観とか、おかしくなるんだ(笑)。
基準になるものがないから。
金持ちは超絶に金持ちだし貧乏人は逆さに吊り下げられても鼻血も出ないほど貧乏だ。
なぜだか非常に貧しい人の家に招待され、ネズミの子供とこんにちはをしながら、蚊に刺されまくったというよくわからない思い出もある。どうやったらその状態で生きていられるんだろうか?と思うような障害を持った人が、下半身のないまま、腕だけでひょこひょこと道路を渡ってきて小銭をせびることもある。

しかし、人間そういうのに慣れるんだよなぁ、怖いことに。
ショッキングと言えばショッキングなのだろうけれども、その人一人に小銭をあげたところで、さしてその人の生活が変わるわけでもない。インドでは重い障害があればあるほど、人から施してもらってどうにか生き延びられる。映画の中で似たようなことが描かれていたが、親が実の子供の手足を切断することもよくある。ま、そういうこともあるだろうな。

まぁ、いろいろひっくるめてインドである。
実際に現地へ足を運んだ者としては、映画が描こうとしている世界は決して間違いではないだろうと思う。ただ、同時にどうもこぎれい過ぎるというか、少なくとも子役たちのまるで埃をかぶっていないようなきれいな顔は、ううん?と思ってしまう。本当に汚いし、ぼろだらけの子とか実際にはめちゃめちゃいるんですよ。で、かわいいんだけど、ものすごく皆あざとい(爆)。でも、それがインドだしね。生き抜くという意味では、えらい子たちだと思います。
私は旅行中、たまに小銭があればあげるし、気が向いたらガキたちを連れて、屋台で一品ずつおごったりした。お金は元締めに取られちゃうけど、食べ物なら少なくともその日は凌げる。とは言え、インドの子供全部をご馳走するわけにもいかないんだから、所詮焼け石に水っちゃ、水です。いいんだ、それで。この状態を改善したいのだったら、まず、インドの金持ちたちがそれをやるべきでしょう。生きる能力の高い、頭のいい子たちが多いから、適度な教育の機会さえあれば、きっとインドはさらに強くなるでしょう。

まぁ、映画そのものよりも、そのシーンシーンで、いろんなことを思い出しました。
インドの列車とかね。そう、乗降口に扉ないんだよねぇ。こえぇよねぇ。走っている間、押されたら落ちるやんけ(笑)。
あんな列車に乗って7-8時間移動とかしたなぁ、とか。寝台の倒し方分からなくて、まごまごしていたら、「バカじゃないのか?」って顔をしておじさんがやってくれたり(笑)。

インド人は基本的に皆、親切。そして、皆ずるがしこいのです(笑)。ふふふ。
同じ一人の人の中に、優しい面とずるがしこい面と露骨に共存するのが面白い。
でも、私はインド人とけんかするの、ストレス発散できて好き。旅行していた最中はぷりぷりしていたけど、帰ってきたら「楽しかったなぁ」ってなぜか思っちゃうんだよね。ぼられたことも含め(笑)。死ななかったし、強姦されなかったし。それで充分。

映画の中で、ジャマルが思い焦がれているラティカに一緒に逃げようという話をした時、「どうやって生活するの?」と彼女に聞かれて「僕らには愛があるさ」と答える場面を見て、ぽっちりさんは砂糖を吐きました(笑)。


愛じゃ、暮らしていけね~よっ!(怒)


何かと「運命、運命」ほざいているジャマル。
お前、結局ラティカ救うためになんもしてねーやんけ。

ま、今はミリオネアだからいいか?(笑)

でも、こんな大金手にしたら、間違いなく殺されません?(笑)

ちなみに、この映画、原作とは全然話の筋が違うみたいです。原作は良いのかもしれないな。
しかも、その原作を書いたのはインドの外交官で、映画公開当時、なんと日本の大阪のインド領事館で勤務していたそうなんですよ。へぇっ。

ムンバイってもう一つ忘れられない思い出がある。
交通の激しい道路で、横断歩道もないしどうやって向こう側に渡ったらいいのか分からなくて、近くのキオスクの白髪のひょろりとしたじいさまに尋ねた。

「向こう側に渡りたいんですけど、どうやって渡ったらいいですか?」
じいさまはにっこり笑って答えてくれた。

「すべての道は、通じているよ」


Kwaidan

2013-02-18 | Dreams

先日、夢を見た。
家の内装工事を自分でしている、という設定であった。
私のほかにもう一人、細身のあごひげを生やした男性が手伝ってくれている。(この方はダレですか?現実世界でも知りません。(笑)見覚えのない人)

くたくたに疲れて、就寝。
私は手前のベッドのある部屋に寝て、男性は一つ奥の和室に寝ている。

私が寝ているのはベッドなのに、なぜか電燈は和風。
竹ひごを編んだようなカバーに、コードがぷらんと垂れ下がっているタイプ。

ベッドに入ってうつらうつらとしたところで、妙な気配を感じて目が覚める。
消して寝入ったはずなのに、頭上の電燈が点いている。
しかも、揺れている。
地震ではない。部屋は揺れていない。

電燈だけが意思を持ったように奇妙に揺れている。

ぞぅと背筋に鳥肌が立つ。
あぁ、この部屋ダメか、とつい思う。

しかし、貧乏性ゆえか内装工事をしたのに住めないなんてと、逆に腹立たしくなって、電燈のコードを押さえて揺れを止めようとしてみる。

すると。

突然、狂ったように電燈が揺れ始めた。
ぶぅんぶぅんと左右前後に回転し始め、もはや静止するどころではない。
手にコードがからんで、引きずりあげられ、電燈に腕が食われそうになる。

こりゃいかんと思い、右手で電燈を殴りつけ左手を抜き取り、ふすまで隔てられた隣の部屋の男性の所まで逃げる。
彼を揺り起し、事情を説明したところで、これまたなぜだか分からんのだが、寝室にいきなりキッチンのシンクが現れ(夢だからね)、シンクの中から両手を恨めしく垂れた幽霊がぼぅっと伸びあがってくるのだ。

そして、一言。


「と~ち~ぎ~~~!」



***

そこで、目が覚めた。
なんだ、この幽霊(笑)。

電燈のところまではものすごく怖かったのだが、起きて冷静に考えると、「何?栃木って?」と思って、笑いが止まらなくなった。
なんの幽霊なの?

「とちおとめ」なのか?(笑)

今度は霊に「耳うどん」でもお供えしておこうと思う(笑)。





Viva 秋田!

2013-02-13 | Weblog

いぶりがっこ、うめぇ♪
ご存知の方も多かろうとは思いますが、「いぶりがっこ」というのは、秋田名産の「沢あんの燻製」でありんす。

うんめぇんだ、これが(笑)。
日本酒には、やっぱり「いぶりがっこ」だよなぁ。

えぇぞぅ♪ (←ただの酔っ払い(笑))

ほろほろ

2013-02-11 | Weblog

最近、やけに涙もろい。
更年期か。たぶん、そうである。

何を見ても泣ける。
ある種、特技かもしれない。
一見そうは見えないかもしれないが(強面だから)、涙もろい。
泣き黒子まであるンダヨ。(←どうでもいい)

たとえば。
鮭の溯上の映像を見て泣く。体をぼろぼろにしながら、あるいは時に体の形状まで変えて溯上していく。
カモメやクマに途中で襲われる。
肉が割け、肌はぼろぼろ。
産卵し、やがてその命を終える。

鮭の屍が累々と川底に積みあがっている。
それをまた小魚が食べ、ワシが食べる。

かわいそうに、なのか。
羨ましい、なのか。
分からない。

白くふやけて、腐っていく身体に、泣く。


ある時はまた、89歳のおばあさんが雪深い土地で一人で郵便配達する姿を見て泣く。
十数軒だけの配達であるが、山の上の方に家があるので、全部回れば3時間ほどもかかるという。
かんじきを履いて、橇で郵便物を引っ張って。郵便物が濡れないように、ビニールまで巻いて。
89歳のおばあちゃまが立派な足腰で、しゃきしゃきと歩いていく。吹雪の中を。
帰りは橇でGo!

泣く。

どんなに元気でも。
89歳で寒い雪の日に3時間も山を登ることが楽なはずはない。
これで大したお給料をもらっているわけでもあるまいに。

偉いなぁ。えらいなぁ。


今日、髪の毛を切った。
結構、切った。
20㎝くらい、切った。

失恋、したわけではない。
(むしろ失恋ぐらい、したい。失恋さえ、何十年もご無沙汰(爆))

こんな風にざっくり切り落としてしまうのであれば、。
しっとりさせようと頑張って常々毛先に塗っていた椿油が、実にもったいなかったなぁと思って。

泣いた。(←おい)


…。
テンペ、食うべし。




春の立つ日に・・・

2013-02-05 | Weblog

今度は團十郎さんが亡くなられたか。
新歌舞伎座の杮落としも間もなくだというのに、残念。

歌舞伎界はこれから大変だなぁ。
しかし、海老蔵や。インタビューでいかに師匠でもあるとは言え、自分の父に対して『ご苦労して~』と話しているのを聞いたときは「バカだなぁ」と神妙な雰囲気の中で思わず笑っちまったよ。

おバカちゃん。
頑張れよ。

もう、父ちゃんが後始末はしてくれないぞ。


土曜日の面会室

2013-02-01 | Films

重い。
息のつまるような、重い愛の映画だ。

邦題では『愛について、ある土曜日の面会室』となっている。
原題は”QU'UN SEUL TIENNE ET LES AUTRES SUIVRONT”フランス語はできないので、自動翻訳のお世話になる(笑)。すると「一つだけを選び取り、あとはそれに続く」というような意味だそうだ。邦題の「土曜日の面会室」は確かにその通りなのだけど、やたらと原題についてもいない「愛」をつけるのやめちくり~。

舞台はフランス、マルセイユの刑務所。
土曜日の囚人への面会時間に訪れ、たまたまその場に居合わせる3組の人々の群像劇。

監督はレア・フェネール。長編としてはこの作品が初監督作品だそうだ。28歳の新進気鋭の監督である。
逸材だ。

フルに2時間ある作品なので、やや冗長ではある。「ある土曜日の面会室での出来事」その場面にのみフォーカスを置いているので、そこに至るまでこれといった出来事は起こらないからだ。でも、その「起こらない時間」も、人生のある一瞬を描くためには必要であったと思うし、冗長な部分はあるが初監督作品であることを考慮すれば、これも許容範囲かと。俳優たちの演技がとにかく素晴らしいので、顔ばかり映すような長めのショットでも十分に見ごたえはある。初監督作品のレベルではないよ、これは。

日本人にとってのフランスと言えば美食と芸術の国。美しく愛を語り合うような人々というところか。それが表向きの「フランス」であるとしたら、この映画はその裏の顔の「フランス」を描いている。



アルジェリア人のゾラ。息子はフランスに行っていたが、ある日殺されて遺体だけが帰国する。息子の死の真相を究明しようとゾラは単身渡仏する。息子を殺した相手、その家族に秘密裡に近寄っていくゾラ。

16歳の少女ロール。街中でたまたま出会ったロシア人移民の青年と恋に落ちる。しかし、青年は犯罪を犯し収監。未成年で一人では面会に行けないので、これまた町で出会ったフランス人医師の青年を立ち合いに恋人への面会を重ねる。やがて、彼女は恋人の子供を妊娠していることを知る。

アルジェリア系移民のステファン。救いようのない惨めな底辺の生活を続けている。恋人のエリーザへの献身的な愛はあるが、生活は成り立たない。そんな時、ふと知り合った金持ちの男が、「君は刑務所にいる私の親友に瓜二つだ」と言う。「金は払う。彼と入れ代ってくれ」と。



うんざりするような重いテーマばかり。フィクションだけれども、ずしりと実感がある。
アルジェリアという国がどこにあるのかなんて、ほとんどの日本人は今まで知らなかったろう。ガスプラントの人質事件が起き、日本人の犠牲者が出て知ることになった。アルジェリアが出る映画と知って見たわけではないが、なんとも言い難い切ない思いで画面を眺めることとなった。

アルジェリアはフランスの旧植民地で、当然フランス本土にも移民が多い。移民の2世、3世も多い、フランス人との血も混じる。どこまでを移民というのだろうか。しかし、外見からどんなに血が薄くてもアラブ系であることは分かってしまう。差別も無論あるだろうし、移民が仕事にありつけるとしても一般的に人がやりたがらないような下層の仕事が多いだろう。世の常だ。貧しいから、当然犯罪者も多くなるし、犯罪者が多いからなおさらフランス人の移民に対する印象も悪くなる。悪循環だ。

現実だなぁ、とため息がでる。

1シーン、1シーンがとても丁寧に描かれていて、時に絵画的な美しさも感じた。ステファン役のレダ・カテブという俳優さんは、たぶんアラブ系の血が1/4くらい入っているような感じで、なんだかちょっと格闘家の武蔵に似ている気がする(笑)。この俳優さんは決してハンサムというのではないが、味があって色っぽい。ダメ男ぶりも素晴らしい(笑)。彼の表情が映らずに、光が顔に当たっていて、向きによって顔に影ができるシーンがある。表情は読めないのに、光と影の表現が美しく、影が心情を語る。レダはその後、二役を演じるのだが、ダメ男ステファンと入れ替わる予定の相手との演じ分けも、いやぁ、俳優さんってすごいなと思うくらい、まったく同じ顔なのにきちんと「別人格」として認識できる。

主たる俳優たちの一つひとつの表情が美しく、セリフは決して多い方ではないが、「映像」の利点を十分に活かしている映画だ。
「映像」がきちんと機能していれば、「セリフ」はそれほど必要ないということを証明してくれている。
それぞれの人物がとても魅力的に、人間的に描かれていて、手を伸ばせば彼らに触れられそうだし、体温や匂いまで伝わってくるような気にさせられる。


ラストシーン。
何もない荒涼とした刑務所の景観。

晩秋だろうか。
渡っていく風が、カサカサと枯れ葉を揺らす音だけが響いている。