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Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

ほりだしもの

2016-01-16 | Books

父が一時的にお世話になるかもしれぬ施設の下見に行った。
電話応対してくださった方はお休みとかで、若い男性が案内してくれた。
こじんまりした施設だから見るのに30分もかからないけれど。

エレベータで移動する際に中で二人きりになって。「ぽっちりさんは、体調大丈夫ですか?」
「?え?私ですか?」
そう答えてから気づく。ああ。
「リウマチですか?今のところ、薬で抑えられているので大丈夫です。お気遣いありがとうございます♪」

介護関連で人とやりとりをするようになって何が嫌かと言うと「プライバシー」というものが全く無くなってしまうことだ。
致し方のないことなのだが、家族構成やらなにやら、あちらこちらにすべて話さなければならない。

たとえばこの施設の彼のように、一見の人であって見ず知らずの人であるのに、彼の手元には私の個人情報まですべて渡っているのだ。アテクシの持病の話までケアマネは書いていたんだろうね、申請書に。私は書いていないはずだが。

仕方がないんだけどね。必要な情報なのだろうし。
でも、うんざりするよ、こういうの。
悪気がないのは分かっているし、施設の兄ちゃんは気遣ってくれてのことなんだろうけれど。


施設見学を終えて、歩いて駅まで行く。


この近くの病院に父は通院しており、なんどか入院などでも世話になって行き来はしていた。
その時、一軒、古本屋があるのが目に入っていた。

なんどか前を通ったことはあるのだが、なかなか入りづらく立ち寄ったこともなかった。

幸い時間もあったし、帰り食材の買い物もしていかねばならないからたくさんは買えないが。
ちょっと覗いて見ようと。そんな気分だった。

鄙びた町の片隅にある、小さな古本屋。

特に期待してもいなかった。

が…。

あれ?
意外にここ骨太かもしれないぞ?(笑)

店の外の棚に、川端康成やら夏目漱石、森鴎外なんかのハードカバーがちらほら置いてある。
この場末じゃ初版本とは思わないが、なかなか悪くないチョイス。
入口入ってすぐに、村上春樹のコーナーがあって一連の諸々。100円コーナー、200円コーナーも悪くない。

間口は狭いが、中に入ると案外の蔵書数。その分通路は狭く、ここで大きな地震があったら、死にそうだ。
少し奥に入ると芸術系の雑誌や演劇関係などもあるし、写真集もある。小島一郎がないか探したが、残念だがなかった(ちぇっ)。音楽関係、CD類も置いてあるし、奥には漫画も。落語の志ん生の本もあって、ちょっと惹かれたな。

幅広いなぁ。結構網羅している。料理本とか新書なども置いてあるし。
短時間ではとても集中して見きれない感じ。
ちょっと疲れていたし、アテクシも。

100円コーナーで、前からちょっと読みたいと思っていた桜木紫乃の「ホテルローヤル」を見つけた。
お♪買おう♪100円でっせ(笑)。直木賞受賞作よ?(笑)

重くなるから、あんまり買えないなと思って2冊だけ選んで、レジへ。
レジがこれまたかわいい♪
昭和レトロな、玉のれんみたいなジャラジャラした感じのものが垂れ下がっている。

そして、驚いた。
レジの兄さん。結構ロン毛で、少しウェーブのかかった髪を後ろに一つに束ねている。
かなり縄文系の濃ゆい面立ちで、案外若い。店主なのだろうか。
むさくて、ワイルドな感じで、結構セクスィ~♪(笑)

なんつーか、これまた意外なとりあわせやね(笑)。
もっと枯れたじぃさんとかがやっているのかと思ったが、でも、蔵書のチョイスを見るとなるほどとも。
表に止めてあったバイクは兄さんのかな?

なんかちょっと好きだな、この本屋。
また、機会があったら寄らせてもらおう。
意外に掘り出し物かも。

本を売るならここに売るのもいいかもな。
大事にしてくれそう。

2冊で、216円(笑)。なんて贅沢な買い物か(笑)。
なかなかよさげな掘り出し物を手に入れて。

ちょっと嬉しい午後。


2015-09-16 | Books

久しぶりにヴィレッジ・ヴァンガードに立ち寄る。
こんなところにあったんだ?

くだらない雑貨とかたくさんあって、好き。
牛肉柄のタオルとか、えげつない感じが素敵だった。

穂村弘や星野源が力を入れておいてあるあたり。
あ、店長とアテクシは好みが合うかもよ?(笑)

そして、見つけた。
エドワード・ゴーリー。
非常にブラックなシニカルな絵本を描く人なのだが、うっすらとは知っていても読んだことはなかった。
思わず立読み。

不幸な子ども


おわ~~~っ。
マジで、不幸。
不幸すぎる…。

思わず絶句。

このノリで来たら、結末はある程度予想できたが、その予想通りの「不幸」さに、絶句。

いやいやいや。
これ、「絵本」ジャンルでいいのか?(笑)

大人でも、どうにもならん胸の痛さを感じる作品だよ。

エドワード・ゴーリー。
ひどすぎ(笑)。

これは子供向きの本ではないでしょう(笑)。

大人でさえ、人を選ぶ。
ブラックであっても多少なりともユーモアがあればと思ったが、ユーモアはない。
ただ、悲惨なだけ(笑)。

こりゃ、すごいよ。

淡々と。
なにもかもが不幸。

柴田元幸さんの訳も美しく、残酷。

あはは…。
不幸すぎると、人は笑える。

ただ、確かに麻薬的な魅力はあるかもなぁ…。
この毒はさ。


偏重

2015-07-24 | Books

あづぃねぇ…。
駅ビルに寄った。大きな重い荷物を担いでいたのだが、待ち合わせまでまだ時間があるので、本屋で涼もうと。
本屋は大抵涼しいではないか。

したが、君。
この駅ビルの本屋は全然エアコン効いてな~い~(涙)。すごく暑い。トホホ。

又吉君の『火花』が出ていた。

そういえば先日友人と話した際、彼が言っていた。
「又吉君じゃない方の芥川賞受賞した人、なんか気の毒だね。だって、本来ならもっと脚光を浴びるはずだっただろうにね?」

その時、私は又吉君が受賞して良かったなぁしか頭になかったから、そう言われて、おおそうだ。確かにそうだと思った。
本来ならば、ばーんっと宣伝されるはずが、又吉君に話題をすべてかっさらわれて、メディアにも未だにほとんど露出していない。

これもね、どうかと思うよね。
こうなることは予想できたのだから、今年は又吉君オンリーにしても良かったのじゃないか。
だって、羽田さん、人生一度しか受賞できない芥川賞を取ったのに、まったく話題にならずに終わってしまいそう。
それなら、今回見送って別の機会にソロで受賞させた方が良かったのにね。
ダブル受賞、ってのは大抵失敗するよな。

そんな友との会話を思い出しながら、又吉君の本を眺めると、さらに驚いた。
いやさ。
羽田さんの本がないの。

普通、ダブル受賞なんだからさ。並べて売るんじゃないのか?
又吉君のは置いてあるのに、羽田さんのがない。

いやいやいや。
これは失礼でしょうよ。

又吉君の方が話題性があるし、売れるからって分かるけれど。
本屋にないことはないんだろうけれど、どこかにあるんだろうけど、目につくところには置いてないの。

なんかなー。
そりゃないよなって思うよ。

彼だってちゃんと受賞しているんだし、なんでメディアもちゃんともっと彼の話題も取材しないのかな?
まだ、周りが知らない人なのだし、そういう人を上手く取材して、世間に広めるってのはメディアの仕事なのに。
汗かかない取材って、何さ。

もはや又吉君のネタは食傷気味になってきたので、そろそろ羽田さんのネタにでも振ってもらいたい。

あ、でも又吉君、Blendyのアイスコーヒーのペットボトルにエッセイを載せるんだそう。読みたい。
読みたいが…。
困ったことに、おいらは珈琲アレルギー。
誰か飲んで。

空のPETボトルください(笑)。

羽田さん、へそを曲げちゃダメだよ。
あなたも実力で取ったんだから。もっと自分を売り込んでいって。
頑張れ!


ごめんね、太宰

2015-07-16 | Books

又吉君、芥川賞取ったね♪
フフフ。

ほれみぃ?取るて言うたやんか?
まぁ、ビジネス的な算段も結構あるとは思うけれども、質はクリアしているんだから何も問題ない。
選考委員の山田詠美さんが「最後の部分を削っても良かったのでは」と言っているのを聞いて、同感。実は、私もそう思った。
最後の部分を削って、天才の先輩は「行方不明」で終わらせた方が、美しかったかなと。私が編集者なら、そうアドバイスするな。

やー。作家先生になっちゃったのね、又吉君。
又吉君が大好きな太宰治もかつて受賞できずに、選考委員だった川端康成に恨み節の手紙を書いたほどの芥川賞(笑)。(ちなみにアテクシは太宰は嫌い(笑)。上手いとは思うけど)

中編デビュー作で受賞しちゃうんだもんなぁ。
でも、デビュー作ってやっぱり作家の「最高傑作」なんだろうよね。

欲がないし、素直に自分の書きたいものを書いている。
ビジネス的な、世論や読者のことや、出版社の事情とかも関わっていないから。
デビュー作というのは、本当にその作家の「純粋な想いの結晶」なのだと思う。

やー。驚きはないさね。
やっぱりね、という感じよ。

『火花』これでまた売れるんだろうなぁ(笑)。

良かったね、又吉君。
天国で太宰もきっと地団太踏んで悔しがっているよ(笑)。

又吉君の為には嬉しいのだけれど、どこか遠い人になってしまったようで、少し寂しいのも本音かな。
でも、おめでとう♪
良かったね♪

取るでしょう

2015-06-26 | Books

おそらく「取るでしょう」と思う。

芥川賞。

又吉直樹君の処女作『火花』。文芸誌を異例の増刷をさせ、その後すぐに単行本化までした。
単行本までは買っていないが、「文学界」の方をアテクシは買って読んだ。「文学界」を買ったのなんて初めてだった。

三島由紀夫賞は一票の僅差で惜しくも逃した。

が、なんと芥川賞候補に選ばれた。

受賞しても全く不思議ではないと思う。
昨今の芥川賞は本当に質が低下していて、とかく「話題性」だけのものが多かった。
新人さんに与えられる賞だから、完成度はまだまだにしても「何か光るものがある」という作品に対して贈られる。

でも今まで読んできた芥川賞は正直「はぁ?」というものが多くてね。奇をてらいすぎなんじゃないのかと。
選考委員が「話題性」に流されているよなと。

ただ、もし又吉君の「火花」が今回選ばれるのであれば、私は納得だ。

なぜなら。
正統派、の純文学なんだよ。これは。
少しも気をてらったところがなく、自分のよく知っている世界を素直に書いている。
若干、終盤が冗長でもう少し削っても良かったかもと個人的には思ったが、処女作でここまで書ければ、正直立派なものと思う。

話題性ということでも十分すぎるほどだし、芥川賞受賞によって、彼以上に本が売れる新人作家なんていない。
(ビジネス的に考えても)もしこれが今年芥川賞に選ばれないのであれば、何を選ぶんだろうと思う。

とにかくすごい、というレベルの作品ではない。フツーだ。フツーすぎるくらいフツー。
だけど、それを新人作家がフツーに書いていることがすごいのよ。中堅どころの作家さんぐらいの落ち着きを持って、デビュー作を書いている。しかも、芸人である彼にしか書けない類の小説。


シンプルで、素直な作品。

芥川賞にはこういう作品を選んでほしいなと思う。
芥川龍之介って人は、大変に文章の綺麗な人じゃないか。日本語の美しさを感じられる作品を描いた人じゃないか。
(『蜘蛛の糸』『杜子春』『地獄変』『蜜柑』、『歯車』(=狂ってるけどね)等々、好きですねぇ…小学校の時、『蜘蛛の糸』の読書感想文でなんか賞を頂きました、そういえば(笑))
そういう作家の名を冠した賞に与るのは、やはりそれに見合う「小説」としての『品』と『実』を持った作品であってほしいのだ。

ベージュのパンツのところの描写が、私はすごく好きでしたね。
あれが、又吉君の真価だと思っている。

取ってほしいナ。
これを受賞させないのであれば、選考委員の目は(様々な意味において)「節穴」だ。






『火花』

2015-02-01 | Books

又吉直樹君の小説デビュー作『火花』を読んだ。

うん、良かったと思う(笑)。
ざっくりな感想であれだけど。

以前にも書いた通り、硬質な文章で、かなり難しい語句も多用しているので、見開き画面は「重い」印象を受ける。
ただ、彼はポーズでそういう言葉を使っているわけではなくて、おそらくそれだけのストックを元々持っている人で、言葉を感情に沿わせて厳密に選んでいくと、そうした小難しい言葉が結構でてきてしまうのかな、と。

面白いです。
面白いというのは、読んでいて「とても又吉君だなぁ」という感じがすごくするからw。
昨今のゴーストライターとは違って、これは又吉君でないと書けない類の文章であると思うし、主人公の職業がお笑い芸人というところからも、まったくそのままではなくても、おそらくかなりの部分で自分の経験や、周りの知己を参考にしたエピソードがたくさん含まれている気がする。

小説全体としての出来よりも、一つひとつの会話、そこに使われているエピソードが秀逸。

売れない漫才師の主人公、徳永と、こちらも売れない漫才師の先輩、神谷さんの物語。
大阪弁がそこそこ出てくるので、どうしても主人公の顔や声が又吉君のそれに「勝手に」被ってしまう。
やっぱり彼が、こういう言葉を発しているところを想像して読んでしまう。

徳永君が尊敬する漫才師神谷なのだが、あまりにも笑いにストイック過ぎ、光るものはあるのだろうが時代や環境に恵まれず表舞台からは消えていく。

いそうだよなぁと思う。
誰がモデルというよりは、おそらくこれまでに又吉君が見てきた数々の「消えていった芸人たち」の偶像がこの神谷さんなのかな、と。笑いへの真摯さと、それに反比例するような社会生活での凋落具合。そのコントラストが非常に美しく、容赦なく描かれていて、芸人の生活に「笑える」部分なんてすこしもないなという気分にさせられる。

後半の徳永のライブは、正直全然笑えるものではなく、むしろ切ない。
泣いた(笑)。
作者のお笑いへの想いが溢れていたから。

ボケとツッコミが文面に描かれると、なるほど「笑い」ってのは本当に難しいものだなと思わせられる。
読んじゃうと、少しも面白くないのね(笑)。
やはりお笑いというのは「生」で「ライブ」で見ていないと、ただ字面があればいいというものではなく、それを演じる芸人の力量がなければ成り立たないのだなということも、この小説読んでいて感じた。たぶん、ちょっとユーモアを思わせる感じで書いているんだろうけれど、そこはあんまりおもしろくないんだよね(笑)。(←ひどい)


個人的には、最後の数ページの神谷さんとの絡みの下りは削除しても良かったかなという気がする。


熱海で始まったので熱海で終わるという趣向なのだろうと思うが、神谷さんを、なんというかストーリーのピークを越えてまで、描きこむ必要はなかったかなと。行方不明で終わらせた方が「美しく」はあったかなという気はする。だが、そうするといかにも「小説然」としてしまうので、あえての、選択かもしれないけれど。

少し読みづらい小説ではあると思うが、言葉の選び方、感情の表現の仕方はとてもいい。細やかな神経を持った作家だなと。
神谷さんの大胆なようで繊細な気質や、それを汲み取る徳永の繊細さが表れるコーデュロイのベージュのパンツの挿話あたりは、とても印象深いと思う。

お笑いへの素直な情熱と愛情と、そして挫折が描かれていた良作だった。
ただ、2作目何を書くかと言われたら、そこが問題だろうな。

2作目の方が、遥かに難しいだろうから。



ゲット!

2015-01-29 | Books
(しかも、なぜか表紙は秀雄w)


遂に!
『文学界2月号』来たわよ~~♪
案外小さい雑誌なのね、初めて買った。(文学界って文芸春秋なんだね。菊池寛かよ)

又吉君の小説、短編かと思いきや、230ppという結構な分量やんけ?

まだ、数ページしか読んでないのでお話自体は分からんのだが、見開きパッと見は、「かなり漢字多いねー」っていう(笑)。
割りに全体的に黒く、重い画面になっていて、本を普段から読む人ならいけると思うけれど、そうでない人にはちょっと厳しい感じの文面ですねー。

割りに硬い文章ですね。難しい漢字も結構あるし。そのくせ「芳しい」に振り仮名フラれちゃっているのはどうなのかとも思うけれど。売れない漫才師コンビのお話らしい。

えらいですね。
こういう良く知った分野のお話にするというのは、正しい選択だと思う。

物を書くって案外難しくて、本当に知らないと書けないんですよね。
いざ、書こうとすると、微細などうでもいいような日常のことが、実際にその生活を送っている人間でないと「分からない」んです。
想像や資料である程度分かるかもしれないけれど、そういうのって、読んでいて「あぁ、頭で考えているな」って分かるんですよね。
私、割とそういう小説、嫌いなんですよ(笑)。

最近の作家さんに多いんだけど。頭もいいし、構成もしっかりしている。キャラの設定もできてる。
でも。「出来過ぎてる」(笑)。
つまんないのよ。そういうの。

硬い文面でありながら、又吉君らしいユーモアの感覚も随所に見受けられるし、パっと数ページだけの印象だけれども、悪くないかな、と。変に気取っていないというか、一生懸命素直に書いている感じがするのね。
そういうの、大事なんですよね。

作家が「デビュー作を越えられない」って。
これ、本当だと思うのよね。

その人の本質とか、物の見方。
それがデビュー作って凝縮している。
しかも、欲がなく、技術に手練れていない分、デビュー作って本当に美しい、純粋鉱物の「結晶」みたいなイメージなのよね。

又吉君がこれで作家を目指して行ったら面白いね。
可能性はあるんじゃないかと思う。


大ショック!

2015-01-19 | Books

ううう。
重い荷物を持ちながら本屋さんに行ったのにぃ~~~(泣)。

「文学界」の2月号。ピースの又吉君が小説を書いているというので読みたいなと思っていた。
しかし、売り切れ。文芸誌としては異例の増刷を今日あたりにされているというので、本屋さんに寄ってみた。

…。
ないっす…。

本屋の、色白のメガネをかけてパリッとシャツを着ているお兄さんに聞いてみた。
いかにも本屋さん的な(笑)でも、ちょっと好み♪結構、メガネフェチだと思う(笑)。
こういう人を焦らして、いたぶるの、好きだなぁ…(爆)。

するとお兄さんは「私、二日間お休みをいただいていまして…」
(いや、知らんがな。そんな個人情報(笑))
「引継ぎにないか調べてみますね」と言って、連絡事項用のノートを確認してくれた。
(デジタルのいまどきでも、連絡事項って手書きでノートなんだなぁ、と妙なところに感慨を覚える)
そのあと在庫の確認もしてくださったのだが、どうやら一度補充したもののすぐに売り切れてしまって、出版元にももうないらしい。

がーんっ。
そっかー。
残念ですぅ…(泣)。
わざわざ遠回りして歩いてきたのになー。
しゅん…。

まぁ、しょうがないよねぇ。
ふだん文芸誌とか買わないし、単行本でさえ買わない。文庫か古本くらいしか買わない人間だからさぁ。
情報が遅かったのだよー。るーるる。

誰か、「文学界」2015年2月号、買ってないですかぁ?
貸して~?
又吉君の「火花」だけでいいんだけどなぁ…。読みたいよぅ…。

悲しいです。
がーんっ。(死語だって言われたけど、気にしないョ!)


又吉君、芥川賞取れるかなぁ?(笑)




結局、それだけのことだ

2014-07-09 | Books

以前から読んでみたいと思っていた「ダニイル・ハルムスの世界」という本を古本で購入。

表紙のデザインが好きだなと前から思っていたのだが、買ってみると装丁はクラフト・エヴィング商会。つまり、吉田篤弘さんの手によるもの。装丁家でありながら、彼は作家としても活躍されており、「つむじ風食堂」は私も大好きである。初めて読んだ「クラウド・コレクター」も良かったな。美術品としての装丁と、装丁込の実用品としての「本」というものの楽しさを教えてくれる人。

そして、この本の監修をしているのが翻訳家の柴田元幸さん。確か東大の教授でいらっしゃる方だが、彼の翻訳は本当に美しい。さらりと日本語として響くし、当然、オリジナルの意をできるだけ損なわないように配慮している。外国文学って翻訳家の良し悪しで雲泥の差を生んでしまうから恐ろしい。私は翻訳物はあまり好きじゃないのだが、彼の翻訳と、あと土屋政雄さんの訳(カズオ・イシグロのものを訳されている)は美しいねぇ。やはり、日本語の美しさがないと、「文学」として成り立たない。そして、翻訳をあまりにも日本語の背景に落とし込みすぎた訳文も私は嫌いなので、その頃合いがこのお二方は絶妙。

ハルムスはロシアの不条理文学の先駆者である作家と言われている。スターリン圧政下で細々と書き続け、子供が好きじゃないのにw児童文学作家としてしか活躍する場所を得られず、最終的には「粛清」されてしまった不遇の作家である。よくカフカも不条理文学と言われるけれども、このハルムスの作品を読むと、カフカにはまだ道理があると思えるほど(笑)。

もうとにかく、ドライ。
不条理も不条理で、なんの脈絡もなく話は突然始まり、突然終わる。
非常に暴力的な描写も多く、いきなり頭が飛ばされたり、足が切断されたり、殴られて歯が折れたりと。
短編集なのだが、一編を読み終わっても「きょとん?」とするしかないのである(笑)。

あんまりにもシュール過ぎて、私は最初、笑いが止まらなかった。
鼻の奥から「ふっ」と自然と笑いが洩れてしまう。

なんじゃ、こりゃぁ?

淡々と暴力的。
その徹底ぶりが見事で、逆に滑稽。
ブラック・ユーモアなのだが、笑いながらもその背後にスターリン時代の震撼する時代背景が立ち上ってくる。
笑い事ではなく、まさに彼らの「日常」はこれほどに不条理だったのだろう、と。
笑っているのに、しんと心が凹み、でも片方の口の端だけひくっとニヒルにあげて笑うような、小粋な感じ。

私はこれ、好きだなぁ。

ナンセンスな戯曲としての面白さもあるし、これを舞台化なんてしてくれたら、結構面白い気もする。
シュールなコメディ。


裏表紙にハルムスの書いたメモの写真が載っている。

「今日は急ぎの用事があるので、家にいるけれど誰にも会わないし、ドア越しにも話しません」

ハルムスって、こんな人なんですw。


ハルムスの世界
ハルムスの世界




こゝろ

2014-04-20 | Books

100年ぶりに、夏目漱石の『』が朝日新聞に掲載された。
奇しくも大正3年の同日、4月20日に連載が始まったのだそうである。
心憎い演出。

仮名遣いは現代のものに少し直されて読みやすくなっているそうなのだが、それでも懐かしく古めかしい言葉遣い。
カットイラストなどは当時のままのものが採用されている。素敵なデザインで、あぁいいもんだなと思う。
思えば、漱石の時代の「本」というのは、インテリだけが扱えるような一種の「財産」であるから、装丁にも凝って大切にしていたのよね。早々、買える人ばかりではないから、貸本業なども普通にあったろうし、人から借りもしたろうね。

明治に出版された漱石の作品の装丁は、どれもなかなか洒落ているんだよなぁ。
すごく好きだけど、神保町の古本屋なんかで当時の物を探したら、眺めて涎を流すくらいで、到底手が出ない値段だよねー。

だから、当時の雰囲気を味わえるこの企画はよいなと思う。


丁度、鎌倉の海辺に海水浴に来たところから始まる。友達に呼ばれて鎌倉の海まで主人公が来るが、友達が急用ができて帰ってしまう。残された主人公は一人で浜へ通ううちに、「先生」と呼ばれる人と出会うのだ。
そうか、こういう書き出しだったんだっけね。

***

私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所(ここ)でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字(かしらもじ)などはとても使う気にならない。

***

こちらに当時の紙面が掲載されている。随分とこまめに振り仮名が振ってあるのねぇ?これだったら、十分このオリジナルのままでも読めるのにな。このままで再掲載してほしかったなぁ。(しかも、この紙面、面白い。ペルーの縄文字の紹介があったり、ヨーグルトの効用が宣伝されていたり。はたまた、ゴーリキーがこの当時生きていてw、イタリアのなんとカプリ島に療養滞在しているらしい。ゴーリキーとカプリ。なんて似合わないんだろう(爆)。当時から、碁の解説とかもあったのねぇ。広告もイイ感じ。お時間あったら、覗いてみてください)

近代の文豪たちの文章というものは、実に美しい。
しかも、本当のインテリであるし、知識量が半端じゃない。漱石の本とか、脚注多すぎる。
でも、勉強になる。何かしら、その中に自分の知らないことが書かれていて、そこで骨董や他の本の話、思想や哲学、中国の故事なども自然と知るから、おのずとそれをきっかけにまた別の本へと導かれることになる。読書というものは、元来そういうものだったのでしょうね。


『心』。
暗いよねぇ(笑)。

でも、漱石って言われてパッと思いつくのは、やはり『心』かなぁ。
いくつか読んでいるけれど、後はあんまり覚えてないのよねwなんか話が皆ごっちゃになって、どれだっけ?となってしまう。
そう思うと『坊ちゃん』ってありゃ、異質ですね。子供の頃は『坊ちゃん』の話は爽快で好きだったけれど、大人になると「ありえねーよ、坊ちゃん。おまえ、松山まで行って、結局まともに仕事してねーじゃねーかっ!」ってなっちゃう(爆)

マニアックかもしれないけれど『夢十夜』も好きである。特に、豚に襲われる話。「こんな夢を見た」と言っては、夢の話を続けるだけ。豚の話は、わけわからなくて好き。かなり鬱が酷かった時代の話なのかもしれないけれど、それはそれでよし。確か百合(?)の話も怖いけど、印象的だったな。

以前、ドナルド・キーンさんがどこかのインタビューで「日本人は皆、漱石が好きですよね」と言っていた。でも開高健さんはあまり漱石が好きではなかったらしい。ま、開高さんはね、しょうがないかな。嫌いそうだし(笑)。ただおそらく嫌う理由って、漱石のあのインテリでイジイジしていてプライドだけは高いけど、鬱になっちゃう、そういう気質だろうが、それと似たものをおそらく彼も自分の内に持っているから嫌いなんでしょうね。見かけは正反対だけど、やはり物を書くような人は、内面に似た部分はあるような気がする。
イジイジして、一人思い悩むところとか、たぶんとっても日本人に共通の気質だから、読むとほっとするのかも。(爆)。(←褒めてない)


『心』の後半の先生の手紙になってくると、本当に重い。この先生、私はすごく卑怯だなとは思うのですけど。自分の人生の重みを、主人公に告白することで自分は楽になれるのかもしれないけれど、告白された主人公は、この先相当なものを背負って行かなくてはいけないでしょう?なんだかな、と思う(笑)。(あ、でもこれ主人公が話を促したんでしたっけね?確かそうだった気がする)
でも告白文という手紙の形で、あのシリアスな後半を一気に読ませてしまう力量は、立派なもの。
やはり『心』の肝は、この後半だものな。

改めてこうやって毎日の連載の形で読むと、味わいがある。
当時の空気感を楽しめる。
清らかでのどかな鎌倉の浜辺も想像される。由比ヶ浜あたりかな。


やはりいい作品というものは、年を経ても決して古びない。

今の作家の作品で、100年後もこうして読み継がれる質のものが、果たしてあるかしらん?



直観を磨くもの

2014-04-01 | Books

まさか自分が小林秀雄の本を買うようになるとはねぇ…。
エイプリル・フールかよと自分で突っ込む。

子どもの頃は彼の文章が嫌いだった。
それまで国語は大好きだったのに、秀雄の批評文が出てくる頃から、もうさっぱり???
しかし、嫌い嫌いと思いながら、それだけ強烈に「嫌い」な印象を残していたわけだし、それがきっかけで後々わざわざ購入して読むようになるのだから、人間は分からん。

巻末の解説で「小林秀雄は『効いてくる』までに時間がかかる」と書いてあった。
同意。私の場合、数十年かかっとるわ。

先日、本屋を覗いたら小林秀雄の『直観を磨くもの』があった。これまた分厚いねと思ったけれど、対談集だったので読みやすいかなと購入。

『人間の建設』はさらに薄いし読みやすいのでおススメ。読みやすいと言っても、基本的にある程度硬い文章を読み慣れている人でないとキツイとは思う。先般、学生時代の友人に会った折、アテクシが友人にこの本を薦めたところ「あぁ、岡潔?」と即分かる辺りが、さすが理系友(笑)。普通は、岡潔なんて言われても分からんよなぁ。読んでみるね、とは言っていたけれど、本屋で見かけたから送っておいた。お礼のメールに「図書館行って探してみたんだけど、上手く見つけられなくて」と書いてあった。わざわざ図書館で探してくれたのね、友人のこういう「真摯」なところが好き。この人の場合、こういうコメントは社交辞令ではない。そういう人ではないし、もし本当に探していなかったら、おべっかでこういうことを言う人でもないのだ。

さて、秀雄。
『直観を磨くもの』もなかなか面白かった。と言っても、私は読む傍から内容がすぐに抜けてしまう人間(笑)。あんまり覚えていない(←ダメじゃん)しかし、様々な人との対談で、まぁ、よくこれだけ幅広い分野をカバーしているよなぁと感心する。一昔前の知識人って、桁外れに頭いいわよね。脚注だけでも山ほどあって、いまどき、こんなに日常会話で「脚注」が必要な話なんてないでしょう?

それに比べると昨今は、簡単な言葉が多くなった。読みやすいことは悪いことではない。突き詰めて表現がシンプルなのも、悪いことではない。ただ時にはある程度、難しいものも読まないとね。容易いものばかりに囲まれて、いくらそこで量を重ねても、質の向上はないものな。その意味では、私にとって秀雄は常に「挑戦」ですな。分からないけどw。大抵、玉砕だけど。分からないのだけど、時々この人はとってもお茶目。

今回読んだ中で一番好きだったエピソードは「怪我っぽい」秀雄のことである。
なんだよ「怪我っぽい」ってw。

読んでみると、本当にこの人は怪我っぽいのだ。
戦時中か何かの酒の貴重な時期に、一升瓶を抱えて駅のホームで酔っぱらって寝る。
グダグダに酔っているものだから、そのままホームから落ちる。下手したら石で頭を打ってお陀仏なわけ。
それでもしっかりと一升瓶を抱えていて、後から分かったところでは肋骨を折っている。

…。
バカだ、この人…。

さらには、泥棒に入られた話。
何度か泥棒に入られているそうで、ある時は寝ていたところをナイフで頬をピタピタとやられて目が覚めたそうである。
それであれこれ金品強奪されているらしいのだが、その時、泥棒と結構話して、秀雄が吸った煙草に泥棒さんが火をつけてくれたとか。な、何をしているの…???

後にその泥棒は捕まったそうなのだが、なんと秀雄は減刑嘆願書を書いたそうなんですね。おかげで泥棒さんは予定より早く出所できたと。さらには、「実はあの時の泥棒で…」と出所後、秀雄の家まで挨拶に来て、ついでに仕事を彼の口利きで紹介までしてもらう始末。しかし、そこは泥棒。やはり紹介された先でお金を持ってトンズラする。行方不明。ところが、それから何年かして、秀雄の家にまた泥棒が入るのである。それが新聞に載ったとかで、最初の泥棒がまた連絡してくるんですよ。「あの時押し入った強盗です。また泥棒に入られたという記事を見ました。お懐かしい…」と(笑)。

なにしてんだよー(笑)。
なに、和んでるんだよー。

なんていうか、いい時代だったのかもしれないなぁ。
泥棒も泥棒で、インテリもインテリで、どこか人としての情味に溢れていた時代なんだろうかねぇ。
まぁ無論、戦後のような生きるのに大変な時代を経験していると、暮らしていくのに大変なことは誰しもが分かっていたことだから、秀雄のようなインテリで、ある程度財を成したような人は、泥棒に入られるのも当然というか、そういうものとして考えていたのかもしれないねぇ。
Noblesse Obligeというところか。

この秀雄の泥棒エピソードがとっても好きでした。
「お懐かしい…」には笑っちゃいましたよ。泥棒に仕事を紹介してあげる胆力も結構なものだし、それを受けて入れてくれた知人も太っ腹。当然、この持ち逃げ分にも、秀雄はなんらかの補償をしているでしょうね、彼の性格を考えると。意外に、情に厚いのよねぇ。

とても豪胆なところがあるかと思いきや、繊細で、とっても子供っぽいところのある人。
面倒くさいけど、男として魅力のある人だったでしょうねぇ。
そう言えば、中原中也と女性を巡って三角関係になったのでしたね。

私は、彼の書いている小難しいことよりも、こうしたお茶目な秀雄の「ふるまい」が好きなんですね。
こういうお茶目な人柄だから、時々ざっくりと斬っているように聞こえる物言いもそんなに嫌味がない。
要は「正直」なんですよ、彼は。子どものように、思ったことを言ってしまうだけ。

読みながら、結構クスクス笑ってしまう。
だって本当にかわいいんですよ、この人(笑)。

最近、新潮社から新刊で『学生との対話』という、講演内容をまとめたものも出た。
これもつい、買っちまいましたよ。これも、とってもチャーミングな感じです。


人間は変わるもんですなぁ。
私が、秀雄の本を買うんだから。

この人の本は、年食わないと分からないでしょうね。
学生の時は分からなくていいんだろうと思う。ただ、分からなかったことを、心の隅で覚えておけばいい。

そうすれば、何十年後かでも、時が来れば巡りあう。
ちゃんと、今度はそれを拾える自分がいる。

「本物」に出会うということは、そういうことなのでしょう。








圏外へ

2014-03-26 | Books

吉田篤弘さんの小説『圏外へ』を読了。

あ゛ーーーー。
辛かった。

今回は辛かった。今までに二、三、彼の作品は読んでいて、中でも一番好きなのは『つむじ風食堂』の、のへらーんとしたゆるい感じ。これはとっても好きだった。一番初めに出会った「クラウド・コレクター」も装丁が綺麗で、ファンタジックな素敵な本であった。吉田さんは小説家のみならず、装丁家としても活躍されている方なので、作りが凝っていますね。紙製の本というものの喜びが体験できる本が多い。

今回の『圏外へ』も文庫本ながら、各章の扉など凝ったデザインと作りになっている。

ただ、この話はきつかった。
吉田さんの本を、私は今までさらっと読めていたのだが、この本は600p近くあるという厚さのせいもあるけれど、なかなか読み進められなかった。これと言って筋がない。作家である「カタリテ」という人物が、自分の描く作品の虚構世界と現実と行き来しているというのか、オーバーラップしているというのか、入り混じった感じで進んでいく。ぐちゃぐちゃ。

カタリテの紡いだらしきお話の登場人物もあちこちに登場し、でも、どのお話も中途半端で結末は分からずじまい。登場人物も多いし、骨太な人格があるというわけではなく、キャラクターとしての設定程度なので、印象が薄くて、どの登場人物がどれだったか、読み進めているうちに忘れてしまう。

私は読みはじめたら、一応その作品は読み終えるまで読む方なのだが、今回はほんと、途中で止めようかなと思った。
前半を読むまでに、何か月かかったか分からない。2-3p読んで眠くなってしまうということの繰り返し。

作家としての吉田さんのこだわりの「語感」や「言葉」そのものへの想いというものは、伝わってくる。
作家が一つの言葉を選ぶのに、どれほど苦心しているか。言葉の音や意味というものにどっぷりとはまり込んで、しまいには混乱を極めていく様子。広辞苑の海を泳ぐような生活。

解説を三浦しをんさんがなさっていて、彼女は帯にも「レジへ行くべし!」と絶賛していた。迷っていたが章ごとの装丁がかわいく、吉田さんの作品ならば大きく外すこともないだろうと思ったから購入したのだが、私はコレ、ダメでした。実験的と言えば、そうなんだろうと思う。小説らしい小説ではなく、作家の苦悩を具現化したような本だから。しをんさんは、ご自身が作家でこうした悩みを日々感じているだろうし、個人的にも親しい間柄のようなので、まぁ、推薦されたのでしょうね。この本は、好き嫌いが二分する気がする。まぁ、賛否両論というのは、実験作品としては良いことでしょうが。

私は、やはり「筋」が欲しい読み手である。
一貫した筋のない話は、読めない。登場人物に感情移入できないのも、読み進めるには辛い。それほど深く、一人の人物が描かれてはいないから。


一口で言うと「混乱」というような本のような気がする。


2/3くらいまで進んでから、ようやく少し読むリズムが出来はじめるのだが、それは的が「カタリテ」一人に絞られてくるからである。後半のお話はほぼ吉田さんの現実での体験がベースになっているようだ。無論、吉田流にファンタジックにアレンジはされているけれど。

エジンバラ氏というマッサージの先生が出てきて、この人が「超へんてこりん」なので、この先生は好き。
会話の文体が、みょうちきりんなことになっていて、ほとんど頭のおかしい人のような感じ。言葉遊びというか。同時に哲学的で。「アリスの不思議な国」の「きちがい帽子屋」みたいな感じか。この人がいなかったら、もう私読むの辛くて止めたと思う(笑)。

本の前半は、少しガルシア・マルケスっぽいどろんとした感じと、南な感じ。魔術とか因縁とか、そんな領域の話の感じがする。
全体的には、読んでいて何かに似ているようなと思っていたが、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』を彷彿とさせますな。
しかし、物語としては果てしない物語の方が、非常に出来がいいと思うし、バランスのいい美しさがある。
『圏外へ』は前半、こんなにページ使う必要あるか?とちょっと思う。


産みだすということは、大変なことだ。
1→10や10→100は、1が基礎として存在していれば、大変だけれども努力をしていくことで到達が可能なことだろう。

しかし0→1というのは、「飛躍」だ。とんでもないジャンプ。
これは、そう簡単なことではないし、誰にでもできることではない。

そういう産みの苦しみに苛まれているんだろうなぁというのは、なんとなく読んでいて感じる。

でもなぁ、正直言っちまうと、その「産みの辛さ」に読者が付き合わされてもなぁって思うんだよね。
だって、自分で書けないから、本を買って読んでいるわけだし。

読者は身勝手だから、「自らの苦悩」を作家に共有してほしいとは思っている。「共感」という形で。
あぁ、この本共感できる、と。私の悩みをこの人は書いてくれている、と。太宰みたいなのね。

けれども「作家にしか分からない苦悩」を、読み手は「共有」したいとは思っていないんだよね。
読み手が求めているのは、「自分の満足」だけだから。

酷いけど。

人間は自分の痛みは他人に理解してほしいけれど、自分が経験したことのない未知の痛みは、できれば知りたくないものだ。






冬虫夏草

2013-12-02 | Books


梨木香歩さんの『冬虫夏草』を読んだ。
大好きな『家守綺譚』の続編ということで、わざわざ単行本で買っちまったのよ。
しかし、のんびりしていたら初版は売り切れたと見えて、手にしたのもは二版。あれま。

昨夜、夜中に読み終わったのだけど。
あたしゃぁ、これはなんか煮えきらなくて今一つですな。

「家守」ではしがない物書きの綿貫征四郎が、亡くなった友人の古い家を管理しがてらのらりくらりと暮らしている。四季折々の緑に囲まれたその家では、妖怪や幽霊などがついそこいらに顔を出すという具合。筋というほどの筋もないような、のんびりと征四郎と愛犬ゴローとの妖怪チックな日々をつづったものである。

あたしゃぁ、この話がとっても好きだったんだがね。

今回の続編はねー、なんか暗いんですよ、全体的に。
ゴローが長いこと行方不明になって、征四郎は暮らしている滋賀辺りから、今回は三重の鈴鹿辺りまで旅をする。山に分けいって、これまたいろいろな人々や人じゃないものにも出会い、という具合なのだが、話の2/3くらいまで正直私はちょっと退屈していたかなぁと。色々山の様子を描写してくれているのだが(梨木さんはかなりのナチュラリストでもあるので、草木の名にも詳しい)、なにしろアテクシは木の名前とかさっぱりわからんのね。山で暮らしたこともないので、今一つ分からんのよ、情景が(笑)。

しかも、今回ストーリーらしきストーリーもない。
ゴローを探して漠然と旅している。その背景にはいろいろな理由があるらしいのだが、その全容は皆目分からず、たぶん解明するつもりもないんだろう。あるいはシリーズ化して追々解明していくのか知らんが。
結末読んで「は~~~~~?」とちょっと、そりゃないだろ、と思いましたね。

執筆時期を奥書きで確認すると東日本大震災の頃も被っているんですよね。
途中で洪水の話なんかもでてきて、まぁ、あの震災が影響していないことはないんだろうなぁ。

正直、今回の『冬虫夏草』はあまり面白くなかったな。
征四郎が旅しているのが、いかんのかもしれん(笑)。
征四郎って旅するキャラじゃないんじゃないか?ゴローは旅するキャラだが(笑)。

征四郎は、ごろんと家に寝転がってうだうだしているのが似合うのよ。
そして、征四郎って東大卒だったのか(爆)。知らんかったその割にはバカじゃない?(←おい)

高堂も今回はなんかパッとしないしなぁ。

旅の宿の3兄弟は、とっても可愛かったけれど♪
(ということで、My ladies, わざわざ買うほどでもなかろうと思うので、次回会う時にでもご要望があればお貸ししますわ♪)

イワナが食べたくなった。塩焼き!
(でも、欲を言えば鮎の方が好き♪)

できれば地図をつけてほしいなぁ。地図を(笑)
段々「指輪物語」みたいになっちゃうけど(爆)。お願い、ガンダルフ!

P.S. そうそう、朝の連ドラ「ごちそうさん」で女中さんのことを義姉が「おなごし」と呼んでいるのね。この意味が分からんくて、でもまー「女中さん」つぅ意味なんでしょうと思っていたんだけど。
この本の中で「女子衆(おなごし)」と書いてあって、あぁ、そうかと。謎が解けました。(なぞって…)
勉強になりますねぇ。


残るは食欲

2013-09-26 | Books

ジャケ買いだ。
表紙の、たぶんオレンジケーキがやたらに美味そうなんだもの。じゅるっ♪(後で知ったら、これ、絵本作家の荒井良二さんの手によるものなんだね。この絵、いいなぁ)
そしてタイトル『残るは食欲』。物欲も愛欲も捨て、残るは食欲、と。嗚呼…身に沁みる。

阿川さんが雑誌の「クロワッサン」に連載した食にまつわるエッセーをまとめた本。
さらっと読めて、楽しい。
阿川さん、ひょうきんでかわいい♪お顔もかわいいのだけど、やることなすこと、とってもチャーミング。

意外に(?)お料理上手(たぶん)。
結構おおざっぱな性格らしいので、基本レシピ通りにやらない(笑)。
赤味噌が必要だって言っているのに、普通の米こうじ味噌で代用して作ってみちゃう。
やー、すごいな。雑だなとも思うけど、それぐらいでいいんだな、きっと。

多々失敗もしていらっしゃるが、そこは「かかか♪」と高らかに笑い飛ばす阿川節。

ま、私もレシピ通りにやらないで失敗するタイプだけれども、だからこそ、まずはレシピ通りにやった方がいいんだろうとは経験上、知っている。基本をマスターした上で崩す分には問題ないのだけど、基本がないのに最初から応用ってやっぱり無理。
最初から一足飛びに高度なものを望もうということ自体が、誤りなんだな、うんそりゃ、そうだ。

そうか、でも普通の味噌でも「甜麺醤」とか自家製でできるんだー?
でも、甜麺醤作っても、あとどうすればいいんだろー?毎日マーボ豆腐ってわけにもいかん。

クリスマスに鶏を丸ごと一羽料理するとか、阿川さんすごいなー♪
食べたい~♪
阿川さんとお友達になってお呼ばれしたい。

微笑ましい阿川さんの食い気のキュートさを楽しむ本(笑)。



最後はムーミンか

2013-04-13 | Books

(これから読もうと思っている方も、ネタバレはしてないので、大丈夫ですよ。読んでくださって)

おいらも大概ミーハーだよなと思ったけれども、『熱帯雨林』でたまたま村上春樹氏の新作の予約が出ていたから、買っちまいましたのよ。数か月前くらいだろうか。特別ハルキストというわけでもないんだが…。夜中に並んでまで買おうとは思わんもんな。
つぅか、どんなことにも夜中に並ぼうとは思わない口だ。並ぶの嫌い…。

予約したのだから、発売日には届くように送ってくれるのかなと思いきや、なぜか今回に限って関西の配送センターから送られてくる上に、キャリアーは郵便局だそうだ。はー?ヤマトにしてくれよ、ヤマトに。うちの辺りの佐川や郵便局は勝手に日時指定とかを自分の都合で変えてしまうことがあるから、嫌なのである。信頼が置けない。
あー、もう。
と思っていたら、小太りの郵便局のお兄ちゃんが「ポストに入らなかったので」と言って、上の階まで持ってきてくれた。
(や、本来。直渡しが基本なんじゃないのかー?)ま、ありがたいけどさー。

さて。つくる君。(「つくると」君かと思った(笑)どんな名前や)
巷ではニュースになるほど村上春樹本タワーなんぞができていて、怖い感じさえする。

販売戦略は確かにうまいな。
「秘密」ってのは最良のスパイスだろうし。
ザ・青髭戦略。
「決して、この扉の向こうを覗いてはいけませんよ」
の~ぞ~く~~♪

しかし「1Q84 」では本当に金返せと思った。
あれとおんなじパターンだったら、二度と買わないぞぅ。

読ませる上手さは、村上春樹にはあるんだろうなぁ。
文章がするするとリズムよく滑っていって、詩的な比喩が連なって、なるほど村上ワールドなのですね。

で。
目をギンギンにして。飲まず食わずで。(いや、えびせんべい食べた)
5時間ほどで読了しました(笑)。

そんなに素晴らしかったの?と問われても、そうでもないよなぁと思う(笑)。
でも「1Q84」よりは、ある程度筋の通った、至極まっとうな話でした。

最近の村上作品は、もうこれが外国語に翻訳されることを作者も重々承知しているせいか、日本語自体が「翻訳用」に書かれているような日本語になっている。やや不自然な感じさえするのよねぇ。こんな言い方、日本語のネイティブの人、絶対にしないだろーよー、みたいな。私はそれがどうも気にかかったな。なんかこういうところが鼻持ちならない感じがする(笑)。

まぁ、でも値段相応かな。
個人的には、1400-1500円くらいでもいいんじゃないかなとも思うけど。
この数百円高めに設定しているところが、ちょいといやらしい(笑)。
村上バリューってことか。

村上春樹も年取ったなぁって感じが少ししたな。
巡礼、とかさ。
そういうことを思ってしまうあたりに。

無論、東日本大震災の被災者や亡くなられた方へのレクイエム的要素も無きにしも非ずなんだろう。

ちなみにタイトルは、私が読みながらある個所で、春樹君に突っ込んだ言葉です。
「最後はムーミンなのかよ」と(笑)。