みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

出雲神話の大団円(おおぎり)「国譲り」

2018年10月19日 | 俳句日記


天孫族の娘、スセリビメと出雲に帰った
大国主は、大国主派の族長達とオオムナ
チを攻めた八十神達を平らげた。
元々、呉の遺臣達の貴い家系である。

その人が武人の如き胆力、知力、武技を
身に付けて帰って来られた。
武力を行使する迄も無く、彼らは平伏し
たに違いないのである。


彼は、スサノヲ尊が遺した斐伊川平地に
司々の神を生み、豊穣をもたらした。
私は以前書いたが、主役の神が産むとさ
れる神々は役割を担った臣下だと思う。

更に言うならば、「尊」や「命」は諡で
あるから「尊」は天孫族の直系を示し、
「命」は貢献度著しい臣下のことで、時
には「神」とまで讃え称したのだろう。

大国主はスサノヲ尊からすると、始めは
ただのオオナムチであって、スセリビメ
を正妻に迎えたので「命」となった。
ただその後の働きが抜群であった。

特筆されるのが「国譲り」である。
以降の各地の豪族達は、大和政権に恭順
する際、それを模範としたのであった。
姻戚となる。本領は安堵。大臣となる。

戦国時代には似たような構図があった。
この前例を見習ったのかも知れない。
だが天孫族は、実は二度失敗している。
最初の使は大国主に惚れて臣下となる。

二人目は大国主の娘を妻とした。
天照様は高天原で会議を開いて、鹿島神
宮の祭神タケミカヅチと香取神宮の祭神
フツヌシの二柱の神を送った。

二柱とも武勇の神である。
つまりは武力侵攻であったが、タケミカ
ヅチ神の知略で争いには至らなかった。
青谷上寺地遺跡の様にはならなかった。


タケミカヅチは海に剣を逆さに立てた。
その上に座り、こう説いた。

「この大八洲は天孫がシラシメス国ぞ。
君らは海の向こうから渡来してこの地を
ウシハイ(領有)ておるが、それは許され
る事では無い。直ちに天孫に返すのだ」


現実的に想像すると、ヤイバを抜いて海
に入り水平線の彼方を指し示し、決意の
程を大音声で吠えたのではなかろうか?
この威勢には大国主も驚いた。

「分かった。スサノヲ尊には大変な恩義
がある。しかもヌシが言う通り我々の先
祖は呉を追われてこの地に住みついた。
以来数百年、穏便にクニを営んで来た。
このごに及んで争いなどしたくは無い。
ただ、私の二人の息子の意見も聞いてみ
たいと思う。暫しの猶予を!」

こうしてその場は納まった。
この続きはまた明日た。

(…つづく)

10月19日〔金〕曇り 時に狐の嫁入り
立冬までに1カ月を切った。
歳時記では十月はすでに初冬だ。
台風や秋雨前線の停滞に加えて、
異常な暑さにも見舞われもして
とても初冬とは思えなかった。

今日の気温は上着が必要だった。
そして狐の嫁入り、狐花を思った。
去年彩りを愉しんだ墓所に行った。
秋草の中に幾筋か茎を伸ばしてはいるが、
あの真紅の花は左程も無い。

狐花とは曼珠沙華のことである。
虞美人草とも謂れる。
劉邦に敗れた項羽の手で、
垓下に散った薄幸の美人の名だ。
彼女の血の色がその伝説を呼んだ。

〈異常なる 季に戸惑うも 狐花〉放浪子
季語・狐花(秋)












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