みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

随筆「東日本大震災」Part 1

2019年03月11日 | 俳句日記

福岡市役所前の半旗


3月11日〔月〕晴れ

予報に反して晴れました。
午後には北部九州にも東支那海からの低気圧が影響を及ぼすと言っていたので、それまでに追悼の記帳を済ますべく庁舎を訪れました。

だが半旗は翻っているものの記帳台が無い。
受付けに問い質しました。
「福岡市にも避難者が居たのでは?」
「さあ⁈私くしの方では聞いておりませんが?」

確かめもせず来訪した私が馬鹿なのですが、政府広報では発災時刻の黙祷を呼び掛けていたので、てっきり有るものと思っていたのです。
仕方なくすごすごと帰る羽目になりました。

8年も経つとこんなことか?と落胆をしました。
そこで私なりの追悼の意を表すために、2014年
に郡山市で書いた随筆の一部を紹介して、薄れゆく記憶を今一度呼び覚まして欲しいのです。

随筆「絆をつむぐ」ー第3章 東日本大震災ー

第1部 その日

平成23年3月11日、新装の博多駅は九州新幹線の開通を翌日に控えて、多くの人々でプレオープンの催しで賑わっていた。
明日のメインイベントとして、航空自衛隊松山基地からブルーインパルスが飛来して展示飛行を行うことになっている。
その日は正午から演習飛行がおこなわれた。
私は、元陸将補の友人に誘われて観に行った。
待つことしばし、お馴染みの5機の編隊が博多湾の方角から、つまり北の方向からこちらに向かって来ると、博多駅の上空で放射状に展開してそれぞれまた北へ飛び去るだけのもので、あっけなく終わった。
その帰りもう一人の元陸将補である友人の会社に立ち寄った、そこで信じられない映像を観る。

「社長、大変なことになっとるよ東北は‥‥!
早よこっちに来てテレビを観てみんね」
彼は私を大仰に手招きすると、応接室のソファへ早く座れと促した。
「凄か波ですなぁ。なんですかこれは?」
「津波たい。奥尻島の時は夜間じゃったから、こげんまじまじと見ゆる波の映像ちゃなかったばってん、改めて観ると凄かなぁ」

彼はテレビを凝視している。
「あ〜、こりゃ大きな火災が起こるばい」
独り言のように彼は言った。
「津波で火災ですな?」
「奥尻の時はそうじゃった。我々が上陸した時にゃ焼け野が原でまだくすぶっちょったよ」
「奥尻に行きんしゃったとですか?」
「うん、派遣隊長じゃった。まだ現役じゃったけんね」

二人は暫く映像を観ながら、彼の経験談や被害予測などについて話しをしていた。
被災地は青森から関東にまで及んでいる。
この時点ではテレビ局の報道も気象庁が報じた地震に関する情報がおもで、津波については自衛隊の「ヘリ映伝」(ヘリコプターによる実況映像)が
届いたばかりであった。

まるで上陸用舟艇が何波にも分かれて陸地に押し寄せるて来る光景のようである。
じきに、陸の定点カメラが捉えた港の映像が流れだした。
真っ黒な海水が防波堤を越えて陸地に流れ込む様子が映っている。
「もう全自衛官に帰隊命令が出ちょろうな」
「そげんですか?そうでしょうね。こうなりゃ警察と消防と自衛隊だけが頼りですもんね。それじゃ私も会社に戻ります。また話を聴きに来させて貰います」

お暇して社に戻ると幾つもの電話が入っていた。
震災に関するものもあった。
取り敢えず社内処理をして早々に帰宅すると、テレビの前に座り込んだ。
彼が言ったとおり千葉県から岩手県までの沿岸部に火災が発生して夜空を焦がしている。
関東圏のコンビナートの火災ではテレビキャスターが悲鳴に近い声で危機を伝えていた。
予想をはるかに超える被害のようだった。

翌日、状況はさらに悪化する。
福島第1原発が水素爆発を起こしたのだ。
勿論その時点ではそれとは断定されてはいない。
爆発と聞いただけで、やはり日本は終わるのかと
思われた。
第三の文明の火が、昭和二十年まで遡って新たに問われ始めた瞬間であった。
日本は何処まで住めなくなるのか?
いつまで続くのか?
映画「日本沈没」のシーンが頭を巡る。
我々はどうすればいいのか、家族は?会社は?
ここ九州は、被災地から南西部にあたるから死の灰の影響が出るまでは間があるだろう、その間にどうすべきか?
などと足元のことをまず考えてしまった。

結論など出よう筈はない。
なにせ有史以来の初めての出来事である。
政府のコメントも実に要領を得なかった。
我々一般人の動揺を瞬間なりとも押し留めたのは
テレビが伝える航空自衛隊の空からの海水の投下、消防隊の放水、次々に送り込まれる各地からの警察を中心とする救援隊の動き、それらが報道されていたからである。
我々庶民は彼らに運命を委ねるしかなかった。
彼らが逃げ出した時、我々も崩壊するのである。

(つづく)


今日のボリュームで連載を続けるならば、10日を
費やすかもしれません。
随筆自体は叙情的なものですが、この章だけは我々日本人が忘れてはならない記憶、伝えなければならない記録として読んで頂きたいのです。
しばらくお付き合い下さい。


〈北国の 春の記憶の 痛ましき〉放浪子
季語・春










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