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個性豊かな物理

2007-03-04 15:03:48 | Weblog
 最近、物理という営みそのものについて考えることが多々あった。例えば「経済物理学」という言葉ができるわけを考えてみた。


 経済物理学というのは、金融工学や経済学を統計物理的な手法で解析する学問のことだ。これは決して「金の動きもやはり物理現象だから…」的トンデモではないことに注意したい。例えばひもとかブレーンとかは出てこないからご安心召されよ。

 私ははじめ経済物理学という単語を聞いたとき(確か、"econophysics"と聞いたのが先だったと思ったが)物理学という名詞を経済が修飾しているのだから、扱う対象はあくまで「物理」なのか、と考えた。しかし説明によれば「ほら、株価はランダムウォークするブラウン運動なんだよ」みたいなことが書いてあって、なんかよくわからんな、とも思った。要するに、あくまで対象は「経済」でそこに物理的手法でアプローチしてるんじゃないの、と。


 でもそうじゃないんだ。そう気づいたのはごく最近だった。


 ものすごーく一般に、「Aが論理的に分かったとするのはどんなときか」という問いを考える。論理的にという制約から、「Aの必要条件だとか十分条件だとか、逆にAが成り立たない例なんかを見つけてくることだ」と答えることができる。

・Aの必要条件、すなわち「条件BがなければAは成り立ち得ない」という命題を探すこと。
・Aの十分条件、すなわち「条件CがあればAは絶対に成り立つ」という命題を探すこと
・Aの反例、すなわち「条件DはAと両立し得ない」という命題を探すこと(すなわちDの否定が必要条件になっている)

 他にもあるかもしれないけれど、とりあえず思いついただけを挙げておく。パース流のabductionなんかは十分条件の羅列以上の意味を持っているのかもしれないけれども、ここでは触れない。

 必要条件を探すこと。これはかなりの天才のなせる業だと思う。こういう命題は少なくとも扱う対象全体を含むことになるのだから。だから逆にそういうことが見つかると、われら凡人たちにとってはすごく嬉しい。わーい、これでいろんなことが分かるぞ、と。

 十分条件を探すこと。これはまさに個性の世界だ。こんな面白いことがAには埋まってるんだよ、ということを教えてくれると、Aの世界を垣間見たような気になれるし、それとの関連で他の現象もまた見やすくなる。


 さて。長々と前口上を述べたが、結局経済物理はなんなのか。私は経済物理は、従来の物理学の中での確率・統計的現象(多体問題、と言い換えてもいいかもしれない)を、現象だけとして取り出す行為なのではないかと思っている。それによって経済的な振る舞いが説明できる、というのは副次的な効果であって、ひょっとしたらやっぱり超伝導が説明できたり宇宙の成り立ちが説明できたりするかもしれないと思うからだ。もっと強い命題として述べれば

      ある現象を「この現象」として取り出すこと

が物理の本質なのではないか、ということだ。「この現象」としてカッコをつけたのは人間の限界と受け取ってもらってもかまわないけれども、そのように言うならば、まさにその限界を逆手にとって「その現象は『この現象』だ」と述べなおす行為が物理の重要な見方なのだろうという風に言いたい。よってその意味での物理は哲学ではない。哲学とは恐らく真なるものに興味があるのだろうから、こんな個性丸出しの学問を哲学と呼んでいいわけがない。


 このような物理観は、上の一般論で言うところの十分条件的な考え方だと思う。世界を見る色眼鏡を積極的に開発すること。それが何に役に立つかはやってみるまでわからないけれども、やっぱりいろんな見方ができるほうがいい。複眼的思考、とかいうとかっこいいけれどそんな偉そうなことではなくて、単に目の前でやっているガマの油の腕から出た血を、実は血ではないんじゃないかと思いながら見る事なんだと思う。血ではないんじゃないかと思いながら見ることができた瞬間に、何かが決定的に変わった、と言っていいと思う。


 物理っていうのは絶対的に真なるものを探求する学問だし、またそうじゃなければならない、と思うことを否定するわけではない。そういう考え方が、例えば相対性理論を生んだと思う。人間が見方を変えるだけで、時空概念を本質的にゆがませることができるとは思えない。(見方ってのはもちろん、系の変換って意味じゃなくてね。)だけどそれだけが物理じゃないってことは、もっと強調していいと思う。そのいい例が経済物理みたいなものなんじゃないかと、思った。



かく言う私は、経済物理でやっていることについて何も知らないんだけれども。