暇に飽かさたな。

はまやわらかいブログ。

広尾ってすげぇ

2007-11-27 23:25:54 | Weblog
 昨日・今日・明日と、広尾の某研究所に顔を出している。あんなオサレな街に行くことは金輪際なかろう。21年度には立川に移転らしいし。


 出てみると、プロの方々の話、という感じのする研究会だ。けれんみがない、というのはこういうのを言うんだろうか。実際にやったときにどこが難しくて、どこをどういう風に料理したのか、という話が多くて初心者にはついていけない部分も多々あるが、趣旨としてはそういうものなのだろう。。

enum型ブログ

2007-11-25 01:47:24 | Weblog
 気づけばクリスマスケーキ予約のCMが流れている。今年もあと一ヶ月強。


 樋口一葉は24歳で亡くなったそうだ。私と同い年。彼女の遺したものはあるけれど、私の残せそうなものは、まだない。いつまで消費者でいれば気が済むのか。


 最近KYという言葉をよく耳にする。「空気読めない」の略らしい。Kirkwood-Yvon theoryではないらしい。24年間生きてきて手に入れたこととしては、空気を読むことと相手のことをちゃんと考えて行動することは正反対である、という事実がある。類型化した行動の通りに振舞っていればいくらでも空気を読むことはできるが、それは優しさのかけらも持たない。空気なんて、所詮空気だ。

しゅうぢゃくのこころ、うせにけり

2007-11-19 10:37:01 | Weblog
 最近固有名詞を取り違える。昨夜もアカギとカイジをひっくり返してしまった。もうお歳ですね。。。


 固有名詞には、多分その人の愛情が表れるのだと思う。だって自分が好きなものは名前など間違えないはずだし。例えばDoping Pandaの曲が好きでもDoping Panda自身のことをよく知らなければ、間違えてMr. Orangeと言ってしまうかもしれない。(これはさきおとといやりました。。)


 ものに対する執着、とでも言いましょうか、そういうものはやっぱり年を取るにつれて薄れていくのを感じてしまう。晩秋。

研究における二重対数の法則

2007-11-18 16:24:36 | Weblog
 だいぶリラックスできてきた。どうやら私にとって 

   リラックスできてる度 ∝ log(アルコール摂取量)

 という関係がありそうだ。

 考えてみれば確かに学部生のころは、少なくとも週に一回ぐらいは家でなり表でなりお酒を飲んでいたと思う。「仕事がありますから…」なんてセリフは言いたくはなかったけれど、実際大学院生になってみると

   成果∝log(log(努力))

  という関係がありそうなことが分かってきて、いつまでもネバーランドにいるわけにもいかなくなるのがわかった。一つ目のlogが自分の感覚と客観的な量の補正で、二つ目は、ある閾値を越えると線型に立ち上がるが、十分遠方で効用が逓減することの表れ。

 さて、ということで今夜も居酒屋へ…。

疲れた 

2007-11-14 13:21:42 | Weblog
 どうしたんだろう。ここのところ毎日10時間以上寝ているのに疲れが抜けない。朝起きると足がだるい。今日は大学に行けなかった。

ひと段落?

2007-11-11 16:11:31 | Weblog
 最近、土曜定休の週6日出勤が体に染み付いてきた。体力的にやばそうだったときのための日曜、というポジションになりつつある。まぁクリスチャンでもないので、忙しいときは日曜に休む義務はないのです。


 先日の話で論文を書くことになった。なかなか落としどころが難しかったが、どうにかこうにか第一稿を書き上げた。なんだかいまいちすっきりしない点もあるが、まぁいいんじゃないか。そういう苦労もあったほうが勉強になる。

ミキちゃーん!

2007-11-06 15:57:40 | Weblog
 やばい、「キサラギ」が面白い。。


 この映画のラストシーンでは、人生で初めて笑いながら泣きました。コミカルなのに感動的。”謎はすべて解けた!”とか、”真実はいつも一つ!”とか、そんな確信など確信犯的に消し去る一本でした。主演(?)の小栗旬は、私のなかで評価が急上昇です。


 いやー、こういう映画を観られたのは僥倖でした。文芸坐さん、ありがとうございます。

おのぼりさん

2007-11-05 19:26:02 | Weblog
 私の大学は、キャンパスが二つある。一方が主に1,2年生用で、もう一方が3,4年生用と言った感じで使い分けられているのだが、私は前者にデスクを頂いている。しかし今日はとあるシンポが普段行かないほうのキャンパスで開かれることになっていたので、そちらに参加してきた。いろいろと面白い話を聴かせてもらったのだが、今日書きたいのはそういったことではない。学食の話だ。


 普段行きなれないキャンパスでどうにかしてお昼ご飯を食べようと思ったのだが、しかし食堂がどこにあるのか分からない。うろうろと歩き回っていると生協らしきお店を見つけたのでそこに向かって歩いていったら、一つ下の知り合いに会った。

 向こうは開口一番「なんでこっちにいるんですか。」 確かに変かもしれんな。しかし私も私で開口一番「アノー、ショクドウハドチラデスカ?」うん、やっぱり変だ。


 そんなやり取りを通して、中央食堂という場所のありかと食券を売っている場所を教えてもらえた。いや、あれは教えてもらわなければどう考えても入ることすら不可能だ。あまつさえ食券は階段の踊り場のようなところを分け入ったところで購入し、料理は下の階で出してもらうなどと言う器用な真似が素人にできるはずもない。


 そして券売機の前にたどり着いた。しかし券売機ごとにメニューが異なることに気づくのに3分ぐらいかかり、さらに料理の見てくれを確認できるガラスケースが存在することに食券を購入してから気づいた。ここまでわかりにくいと、もはや国家的な策略が働いていると考えざるを得ない。ちなみに私はもっとも安全そうな「中央定食」とかいうのを選んだ。その、何だ、大戸屋に初めて行ったらまず大戸屋ランチを頼んでみたくなるのと同じ感じだ。


 そして階下へ。階段がむちゃくちゃ広く、「マイ フェア レディ」でオードリーが降りてくる階段を思い出した。単純につくりが昔風なんだろうな。


 そんなこんなで、あとは普通にご飯を食べることができたので、後輩に感謝したい。こっちのキャンパスに慣れ親しんだ方々からすれば、なんと落ちのない文章だろうか。

欧米か。

2007-11-03 18:34:42 | Weblog
 更新が月一ペースになりつつある。。


 先日、某ヨーロッパの大物に自分の研究を聞いてもらえるチャンスをいただいた。その方は想像していたよりずっと若く、すごくフランクでやさしい方だった。初めて目が合ったときにすぐ"Good morning."と右手を差し出してくれたのだが、あまりに緊張してしまい自己紹介すらできない始末。。


 研究発表のほうも、彼にとってはまぁそれはちょっと計算すれば出る結果だよねー、ぐらいの受け止められ方しかしなかった。悔いは残らなかったけれど悔しさは手の中にはっきりと残った。ちくしょー、すごすぎるぞあいつ。


 世界的に活躍する人が箱庭のように慣れ親しんだ分野で何事かを言って向こうに面白いと思ってもらう、というのはまだまだ遠い目標なのだなぁ、ということを本当に実感した。ちょっと思いついたことを使ってちょちょいと出るような結果など、大抵私が生まれる前の論文でコメントされている。だからこそ何年もかけて大学院という精神病棟に入院するわけだし、そんな簡単に非自明な結果が得られるわけはない。まずは修行なのです。