開店休業中だったこのブログも、久々の更新。
最近の勉強から話をさせていただく。今、van Hemmen-Palmerの論文を読み、レプリカ法の不思議さについて学んでいる最中である。まずその不思議さを伝えることにする。
以前書いたかもしれないが、レプリカ法とはE[・]を確率変数の期待値として、
lim(n→0) (E[Z^n] -1) / n = E[log Z]
の関係式によって右辺 E[log Z] を求める作戦である。(Z^nはZのn乗)
E[log Z] がわかれば、統計力学的にはhelmholtzの自由エネルギーという量がわかったことになり、それを熱力学変数で微分したりすると種々の量が計算できるので嬉しい。だから、上の式が「もし」成り立っているのならば E[Z^n]の計算をするだけでいい。そしてこの量は、nを非負整数に限れば、E[log Z]よりも計算が(比較的)簡単なので困難を回避できた、と喜べるわけだ。大雑把に言ってこれがレプリカ法である。
しかし、である。とりたい極限はn→0なのに、計算できるのはnが非負整数の場合のみ。要するに関数f(n) = (Z^n - 1)/n を実数に内挿/外挿しなければならないのだ。ここに困難が現れる。計算できた値をすべての非負整数上でとるように、実数上に拡張する方法は何通りかあるか?それとも一意なのか?これをレプリカ法の接続の問題と呼ぶ。
他にも問題点はもう二つあるのだが、それは上の接続の問題をどのように解決したかによって回答が変わってしまうので、とりあえず上の問題だけを考える。
まず始めに思うこと。f(n)をn=0 で解析的にして、解析接続させてしまえばいいのではないか。そうすれば自動的に原点周りでfの接続は一意になり、接続問題は解決される。
しかし、fの解析性からレプリカ法の接続一意性を結論付けるには、どうやら条件が足らないようなのだ。数理物理学者には有名らしいCarlsonの定理というのがあって、その条件を満たすならレプリカは成功する。しかし残念ながら、fはSherrinton-Kirkpatric模型という、(一応は)実際の世の中を反映していると思われているモデルに対してはCarlsonの定理の仮定を満たさないようなのだ。残念。
もちろん、これはレプリカ接続が原点で一意でないことの十分条件でしかない。ひょっとしたら接続は一意かもしれないし、そうでないかもしれない。上の事実からではどちらともいえないのだ。
しかし私は、個人的な意見としては一般の場合について接続性如何が示せては「いけない」と思う。それはあくまでmodel-dependentであるべきだと考えたほうが物理的には自然に思えるのだ。
例えば、虚心坦懐に整数上から実数上に拡張することを考えたとき、ある関数のクラスに制限したとしてもその中でいかようにもできるのは明らかだろう。例えば、f(n) = n が整数上で成り立つべし、と言われたとき、(解析的ではないのだが)十分微分可能な接続は、例えばf(x) = x + g(x);ただしg(x) = 0 if x:整数
と書いておいて、gを決める問題になる。よってg(x) = sin(πx)とおけばいい。
例えばCarlsonの定理の場合は、複素平面上での関数の増加の仕方を要請することによって上のような周期関数を用いた一意性のなさを巧妙に排除しているのだが、それは決して物理的には自明なことではない。別に、実数上では実は三角関数で変調がかかっているのだ、と言うのは言える。だって、nが実数に対してはいまだ誰もE[Z^n]を計算した人がいないのだから。
このように書くと、レプリカ法なんてマユツバ以外の何者でもないように思えるかもしれない。しかし、この方法は、現実的には「ほとんどすべての」モデルに対して正しい答えを与えている(ように見える)のだ。(ように見える、としたのは正しい自由エネルギーが計算できないからレプリカ法を使うからで。。)ただし、おもちゃみたいなモデルを作って、どうやらこの上ではレプリカ法は使えないよ、なんていうことを言った報告もある。ってことで、数学的には非自明なのに、現実的には自明なものとして使ってもさほど問題ない。のだ。
レプリカ法は、どうやら、まぐれあたりにしてはよくできすぎているようだ。