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しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  キハ181系 特急 やくも   倉敷駅にて  其の一

2012-11-17 22:44:55 | 国鉄時代
冷たい雨降りの一日でした。
家の用事もありましたから雨降りでも良かったような悪かったような・・・(笑
明日は地元の「ふれあいフェスティバル」が行なわれるので非鉄になりそうです。

今夜は久しぶりに「あの頃の・・・」を

懐かしい国鉄時代の写真をご紹介している「あの頃の・・・」ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれますのでお楽しみ下さい。

今回は以前ご紹介した、キハ181系 特急 やくも 岡山駅編の続きと言いましょうか、倉敷駅で撮影したキハ181系 特急 やくも の写真を


倉敷駅へ進入中のキハ181系 やくも             s.52(1977年)頃





倉敷駅に停車中の特急 やくも





今ではホーム下へ降りて撮影など到底出来ませんが・・・
当時は撮影していると、注意されるどころか運転士さんがライト点灯のサービスもあったりして、実に大らかな時代だったんですね~。





当時は伯備線ホームにも売店があったり、山陽本線ホームには立ち食いうどんもあったように記憶しています。





優等列車としての貫禄も十分にありますね。  タブレットキャッチャーも懐かしいです。





写真は出雲市 行きですが 益田行きなんかもありました。


つづく・・・
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あの頃の  昭和46年  さよなら 井笠鉄道   コッペル 蒸気機関車

2012-10-24 11:33:22 | 国鉄時代
先日受診した人間ドックで再検査の結果が・・・
昨年までは至って健康体だったのですが、今年は再検査の結果に (+_+)
来年には50の声を聞く年齢になり、これから先 何が遭ってもおかしくない無理の利かない年齢になります。
気分的にはまだまだ若いつもりでいますが、正直そうもいかない年齢になってきたようです。
家族の為にも、これからの自分の為にもしっかりと再検査を受診しておかないと・・・
今週はちょうど夜勤の週に当たりますので、まずは医師の診断を受けて精密検査を受診することにします。


さて、嫁さんのオヤジ様が撮影した、懐かしい 井笠鉄道 さよなら列車の写真の続きです。

さよなら運転の当日は、まだ幼かった私の嫁さんと義理の姉も見学に行っていたようで数枚の写真の中には列車と一緒に写っている写真があります。


昭和46年3月31日   井原駅   
この写真ではコッペル社の蒸気機関車が連結されて出発を待っています。





井原笠岡軽便鉄道 機関車第1号形蒸気機関車    1913年製造

この機関車は今も笠岡市新山の井笠鉄道記念館に保存されています。





機関車トーマスのような小さな蒸気機関車   動輪もオモチャのように小さいですね。


文献を調べると、1971年3月31日の井笠鉄道線全廃まで車庫に保管され、同日14時38分笠岡発井原行の井笠鉄道としての最終列車である「さようなら列車」の先頭に無火状態で連結されて運転された、となっておりますが
写真では笠岡方面へSLは連結されているようです、時間や詳細は不明です。








ホジ1の先頭にも飾り付けが施してありますから、おそらくは前回の写真のようにホジと客車で運転されて最終列車前に蒸気機関車が連結されて運転されたのかも知れません。





多くの子供たちが機関車に群がっております、当時も今も蒸気機関車は大人気です。





写真を見ると既に井原駅構内は鉄道線路を廃して半分位は駐車場のように活用されていたようです。
鉄道廃止と共に駐車場も無くなり、現在のように井笠バスセンターとなったようです。





井原駅にて                   昭和46年3月31日


これで嫁さんのオヤジ様が撮影した井笠鉄道 さよなら列車の写真は終わりです。

当時の井笠鉄道の様子が少しでも伝わればと思います。

当時の稀少な写真を撮影していたオヤジ様、やはり慣れ親しんだ井笠鉄道の写真を記念に残していたのでしょう。

昨年(2011年) には創立100周年を迎えて多彩な記念行事が企画されました。
そして100周年の記念キャラクターとして作成されたのは、蒸気機関車の「コッペルくん」でした。


煙突と顔が描かれた二つの車輪で「100」を表現、煙の中に「皆様に愛され、励まされて100周年」と記されて、会社の新たな歴史への出発をアピールするものでした。

今月末 101年の歴史を閉じようとする井笠鉄道株式会社
時代の流れとは言え 何とも寂しいかぎりです。
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あの頃の  昭和46年  さよなら 井笠鉄道   井原駅

2012-10-22 11:22:33 | 国鉄時代
あちらこちらのニュースで、井笠鉄道(株)が今月末をもってバス事業を含む全事業を終了すると発表がありました。
今後は会社清算に向かう見通しという利用者には寝耳に水の突然の発表でした。

子供の頃から慣れ親しんだ井笠バスが無くなるのは何とも寂しく複雑な心境です。

昨年、創立100周年を迎えて、今年は101年目の事でした・・・

自家用車の普及などで、同社が鉄道事業から撤退したのは1971(昭和46)年春でした。

先日、嫁さんの実家へ行った折
嫁さんのオヤジ様から 「しゃりお君、こんなんあるよ」 とわたされたアルバム

そこには昭和46年3月31日の井笠鉄道の井原駅での さよなら列車の写真です。

廃線当時 私は小学生低学年で 井笠鉄道の廃線はまったく知りませんでした。

ただ、おぼろげながらではありますが、幼稚園に入るか入らないかの年端の行かない頃、当時 井原駅前に住んでいた私の母方の祖母に連れられて、よく井原駅へ列車を見学に行っていたのは記憶の片隅に残っています。
当時は改札を抜けるとホームにもりっぱな屋根があり、駅の待合にも売店があった記憶がありますし、何より私と同じ年代の方には分かる方が居られると思いますが、透明のドームに噴水のようにオレンジジュースが攪拌されていたオレンジジュースの自動販売機から紙コップに注がれたオレンジジュースを駅に見学に行く度に祖母に買って貰っていた記憶は何故か鮮明に残っています・・・
当時は子供の頃だったせいでしょうか、多くの人が行き交い駅も大きく感じていたものです。



前置きが長くなってしまいました。
本日は2回に分けて嫁さんのオヤジ様が撮影していた、井原駅での さよなら列車の写真をご紹介


井原駅        昭和46(1971年).3.31    廃線を惜しむようにホームはきれいに飾り付けしてあります。
現在も井原バスセンターとして使われている井原駅
当時、バスは井原駅前に建屋ががあってそこから出発していた記憶があります。
写真右端の客車の向こう辺りにバスが写っています。
当時はボーリングブームで駅2階はボーリング場だった記憶がありますが、廃線当時ボーリング場だったかは記憶がありません。





さよなら列車入線の様子     ホジ1
随分とのんびりとした様子ですね。
ホームの高さも低く線路幅も狭い、まさにマッチ箱のような列車
手前の乗用車 サニー?も懐かしい(笑






マッチ箱のような客車に別れを惜しむ多くの乗客が乗り降りしてます。
他の方のHPなどでよく掲載されている、蒸気機関車、気動車、客車の混合編成のさよなら列車写真は有名ですが、この写真では蒸気機関車は連結されておらず気動車と客車2両の3両編成に見えます。





ホーム隅にあった気動車用の給油小屋
運転に向けて給油しているのでしょうか?





当時の子供たちも今では いい歳のオッチャンになっている事でしょう。
その線路幅もさることながらホームも写真から察すると狭そうです。





ホジ1    車内も飾り付けがされていたようです。


廃線後、このホジ1も鬮場(くじば)車庫に保管されていましたが、放火で車庫に残っていた大半の車両が焼失してしまいました。
気動車ホジ1、2、8 は3両とも全焼してしまいました。



つづく・・・
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あの頃の  キハ181系 特急 やくも   岡山駅にて  其の三

2012-09-27 10:00:00 | 国鉄時代
夜勤勤務の週の方がブログの更新頻度が高いのは何故・・・?
自分でもよく判らないのでありますが、今日もしっかり更新します(爆



あの頃の撮影はやはり駅撮りが中心で、ご多分にに漏れず やくも 撮影も駅撮りばかりです。
列車本数の少ない伯備線沿線へ出かけての撮影など子供の私たちには考えもしませんでした。

そんな子供の頃、岡山へ撮影に出かければ駅から歩いて岡山機関区岡山気動車区 へ撮影と見学に行っておりました。

今回の写真は手元に残っているフィルムから察すると、宇野線で宇野へ行く時に寄り道をして撮影していたようです。


s.52(1977年)頃                     岡山





今か思えばよくこんな所で撮影出来たなと思われる場所
やくも 左に写っている高架が宇野線が岡山駅をでて山陽本線をオーバークロスする辺り
さすがに当時でもこんな所に入れるはずはありませんから、おぼろげながら職員の方に連れて行ってもらった記憶があります。
今から思えば当時はかなりおおらかな時代でした。

写真を見るとデカ目の115系の横辺りに やくも の食堂車キサシ180が辛うじて写ってます。
115系の横にはこれまた懐かしい80系電車・・・


そして宇野に向かう電車の車内から

すでに やくも の姿はありませんが115系、80系、153系、12系?、113系、キハ26?
宇野に向かう車内から記念に撮影したのでしょうか?
それにしても乗車している電車の編成が長いこと・・・しっかり後ろの編成が写り込んでます。





岡山からの帰りの電車の車内からは、よくこんな光景が見られました。


これで 特急 やくも 岡山駅編 は終わりです。

次回からは、これまた懲りもせず「あの頃の 特急 やくも 倉敷駅編」の予定です(笑
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あの頃の  キハ181系 特急 やくも   岡山駅にて  其の二

2012-09-26 09:33:33 | 国鉄時代
夜勤明けで今日も眠いな~
昼間寝るのってなかなか熟睡できないのでどうしても寝不足になってしまいます・・・

昨日今日と爽やかな快晴で撮影には持って来いのお天気ですが・・・
これ以上 寝不足になっては叶わんので我慢、我慢 (笑



当時の やくも は食堂車も連結して8両編成と11両編成がありました。
一日 6往復のうち 下り1号、5号 上り4号、12号 が8両編成
その他 4往復が堂々の11両編成で運転されていました。


撮影は岡山駅西口側の津山線、吉備線のホーム端からの撮影だったと思います。





やくもが到着する度に多くの乗客が乗り降りして、それに合わせての接続列車もあり駅は一気に賑わっていました。





威風堂堂としたキハ181系 やくも
中央に掲げられた 金と銀の特急エンブレムが国鉄時代の特別感を醸し出します。

それにしても気になるのが写真右端に写っている乗用車 何故ホームに?
当時は岡山駅でも荷物扱いが行なわれていましたからホームまで車がはいれたのでしょうか? 謎です・・・(笑










堂々とした11両の長編成で岡山駅を出発して行く 特急 やくも


つづく・・・
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