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しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  SL 復活当時の山口線  やまぐち号 C57-1

2013-05-18 23:22:21 | 国鉄時代
皆様、こんばんは。
何だか久しぶりの更新であります。
ここ一週間 仕事の方が忙しく、遅く家に帰って寝るだけの日が続きましてブログ更新の余裕がありませんでした。
来週からは夜勤の週に入りますが今週と同じような余裕のない日がしばらくは続きそうです。

撮影の方も今月から来月半ば頃まで週末事に行事が重なって こちらも危うい感じであります・・・
しばらくは近場のいつもの場所でストレス発散にチョコチョコ撮影出来ればと思ってます。

日の長いこの季節、撮影には持って来いなのですが なかなか都合よくいかないものです。

さて、愚痴はこれくらいにしまして・・・(^^ゞ


久しぶりに懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」を更新しようかと。
私の気分と気力次第で不定期の更新で、前回の「あの頃の・・・」から実に5ヶ月ぶりの更新であります(笑

今回の「あの頃の・・・」は山口線を走るSL やまぐち号

ちょうど「SL やまぐち号」が山口線を走り始めた昭和54(1979年)~昭和56(1981年)頃の話です。

当時私は高校生で山口線にSL復活の話を聞いて夏休みを利用して叔母の住んでいた徳山(現 周南市)から何度か撮影に出かけてました。
しかしながら当時の写真の多くは行方不明で余り手元には残っていませんが、その中からご紹介していこうと思います。


C57-1        s59(1979年).8月     SLが山口線に復活して間もない頃    小郡駅(現 新山口駅)
細いボイラーと大きな動輪の組み合わせからスタイル全体のバランスがとれ「貴婦人」の愛称で今も現役で活躍中のC57-1、当時は12系客車×5両を牽引していました。





当時は今と違って沿線へのSLの煙を考慮してか大型集煙装置を装備していました。
しかしながら出発時にはモクモクと煙を噴き上げて大きな汽笛とともに出発していきます。
あの頃は写真をみても今のように人が群れる事もなく実にのんびりとした様子が伺えますね。





湯田温泉付近を走る貴婦人










大型集煙装置がみてとれます。





当時はSLに12系客車の青い車体はアンバランスだな~何て思っておりました。





運転本数の少ない山口線沿線で復路の やまぐち号を真夏の暑い最中に延々待った記憶があります(笑
当時はコンビにもなく、今から考えるとこんな田舎で何を飲み食いしていたのか思い出せないのでありますョ・・・





やまぐち号の復活当初は予備機のC58-1共々 赤プレートでした。


つづく・・・
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あの頃の  宇野 ・ 赤穂 を走った旧型国電

2012-12-28 22:11:22 | 国鉄時代
今日は仕事納め
今週は仕事に追われた一週間でした・・・
明日からは休みに突入する訳ですが毎度の事でダラダラと過ごして、あっと!言う間に無駄に終わってしまうんでしょうね~(笑
学習能力のない私・・・(爆


昨日の福塩線の70系の記事を書いていて、ふと思い出した写真があります。

私が中学生の頃、父親のカメラを借りて友達と時折り岡山駅などに撮影に行っておりました。
撮影を終えて帰りの電車の中から撮影した一枚の写真


クモハ51       s.51(1976年)頃    
宇野線・赤穂線で活躍していた旧型国電、いわゆる通称 ゲタ電
私たちが岡山や宇野へ撮影に行き始めた頃には既にこの旧型国電は走っていた記憶はありません。
おそらくは私たちが岡山へ通い始める少し前に この旧型国電たちは運用から外れ行き場を失った車両は電車区に留置されていたのだと思います。
一部の旧型国電は福塩線へと転属してしばらく活躍していましたが、大方の旧型国電は廃車になっていきました。





キハ181 特急 やくも  傍らには 80系湘南電車と12系客車が見てとれます。

当時はまさに旧型国電が淘汰され始めた過渡期の時代
しかしながら、当時のオタクな少年だった私たちは毎日 福塩線で見かける古ぼけた旧型国電よりも颯爽と駆け抜ける花形の特急列車に憧れておりました。

そんな中、たった一枚ではありますが偶然に撮影していた宇野・赤穂の岡山地区の旧型国電
何気ない写りのイマイチな写真でありますが、今ではお宝のような写真でありますね。
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あの頃の  癒しの 70系電車

2012-12-27 23:10:01 | 国鉄時代
仕事の方が年末の追い込みで毎日 帰宅が遅くなる日々が続いております。
明日、28日はやっとと言いましょうか仕事納め、この一週間は長かったのであります(笑
あと一日頑張りましょ!


そんな中、知り合いから「最近、懐かしい写真の あの頃の・・・ 更新しないの?」とのお言葉・・・
リクエストを聞くと「懐かしい写真なら何でも良いんだけど 出来れば福塩線70系!」との事
それじゃあと言う訳でリクエストにお答えして本日は懐かしの福塩線 70系を

取り分け当時は福塩線沿線に住んでおりましたから、ホームグランドだった福塩線は多く撮影しておりました。
懐かしい福塩線の写真はブログカテゴリー「国鉄時代」に多くご紹介しておりますので時間がある時にでもご覧下さい。
ただかなり前の記事になりますので、かなりページをめくらないといけないかも(笑



70系電車     s.56(1980)頃         備後本庄~横尾

今の電車のようにイカツイ顔つきと違って何とも優しい顔つき
実際 乗り心地も ゆる~い アナログ感たっぷりの癒し系であります。
疲れている時に乗ると、その揺れと振動と心地よいモーター音でついつい眠りを誘いそう(笑





                                       横尾~神辺
80系電車と共に、この一世を風靡した顔つきが一両も保存されず現存しないのが何とも不思議で残念です。





当時の横尾駅は今の様に交換駅ではなく単線の駅でした、元々は交換駅でしたが線路が外されて線路跡が残っており駅中ほどには昔 貨物扱いでもあったのか小さなホーム跡も残っていました。
今では備後本庄駅に変わって再び交換駅となっています。


懐かしい福塩線 70系の写真はまたいずれ少しづつご紹介していこうかと思っています。
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あの頃の  鮮魚列車 「とびうお」号

2012-11-23 09:20:20 | 国鉄時代
夜勤明けで一杯やりながらの更新であります。
血圧が高めなので飲み過ぎは厳禁なんですが、今日はチョイ飲み過ぎたようです・・・
酔いが一気に回ってきてます・・・(笑
眠い・・・

今日は勤労感謝の日で三連休の方が多いと思いますが、私は今夜も夜勤がありますのでこれから寝ないといけないんでありますね。



本日の更新は「あの頃の・・・」
幡生~東京市場間を結んだ鮮魚列車「とびうお」号

鮮魚を運ぶと言う性質上、特急列車並みのスピードで山陽・東海道路を駆け抜けた貨物列車の花形中の花形のような存在でした。


EF66-49+レサ10000系貨車                s.54(1979年)頃
オール真っ白な冷凍貨車の編成で当時最強の機関車 EF66が牽引

何度か撮影した記憶があるのですが写真が見当たらず、この一枚のみが残っていました。
この貨物列車が通過すると鮮魚列車独特の 魚屋 の匂いがしたものです(笑

博多港~大阪市場間には同じく「ぎんりん」号が走ってました。

今では見ることの出来ない懐かしい鮮魚貨物列車は正に当時の花形貨物列車でした。
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あの頃の  キハ181系 特急 やくも   倉敷駅にて  其の二

2012-11-18 20:10:00 | 国鉄時代
今日は朝から予定通り、地元の「ふれあいフェスティバル」に参加して非鉄の一日でした。
今週は土日と非鉄で撮影はナシでした。
しかしながら外にいると風は冷たいですね~。
明日の夜からは夜勤勤務ですが、夜中の寒さは堪えそうです。
まだ冬の始まりなのにね~(^^ゞ  真冬になったらどうなるんじゃろ?(笑



昭和52年当時、まだ倉敷駅は現在の南口にしか改札がなく旧町筋の北口(現 アリオ倉敷)側は古い町並みが残って、駅南側に行くには倉敷駅構内 東側 (岡山 側)の寿町踏切を渡っていました。


倉敷駅に停車中の岡山行き やくも 
写真右に写っている古い町並み 今は無きチボリ公園の開園の頃に開発が進んで、今ではその面影は無くなってすっかり様変わりしてしまっています。










今では倉敷駅は橋上駅舎になってしまいましたが、当時は何とも古めかしい跨線橋でホームは繋がれていました。





伯備線側(現 北口)は当時は結構広々としていました。
倉敷駅構内は伯備線を含めて側線も電化されていて やくも後方にはEF66-28号機も留置されています。
以前この側線については記事 (かなり内容が曖昧ですが・・・) にしておりましたのでリンクを貼っておきますのでこちらをご覧下さい。






米子方面からの上り やくも 倉敷駅入線         s.52(1977年)頃
写真後方に線路を跨ぐ歩道橋が写っているのがお判りでしょうか?
その写真左隅 歩道橋下辺り ちょうど架線柱で少々判り難いのですが白と赤っぽい色の車体が小さく写っているのがお判りでしょうか?
当時はその辺りに水島臨海鉄道 旧倉敷市駅がありました。
この写真に小さく写っている車両は旧倉敷市駅に留置されていた車両なのです。





その水島臨海鉄道 旧倉敷市駅脇に掛かっていた歩道橋の上から、倉敷駅を出発して伯備線へと入線して行く キハ181系 特急 やくも    撮影はおそらくs.56(1981年)頃





こちらは岡山方面から倉敷駅に入線中の下り やくも

当時は倉敷までやって来ると憧れの特急列車が見られるのでとても楽しみに倉敷駅、岡山駅へ撮影に出かけていました。
轟音と共に長編成で走り去る特急 やくも 
今よりもずっと当時は高嶺の花だった特急列車が懐かしい・・・
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