先日受診した人間ドックで再検査の結果が・・・
昨年までは至って健康体だったのですが、今年は再検査の結果に (+_+)
来年には50の声を聞く年齢になり、これから先 何が遭ってもおかしくない無理の利かない年齢になります。
気分的にはまだまだ若いつもりでいますが、正直そうもいかない年齢になってきたようです。
家族の為にも、これからの自分の為にもしっかりと再検査を受診しておかないと・・・
今週はちょうど夜勤の週に当たりますので、まずは医師の診断を受けて精密検査を受診することにします。
さて、嫁さんのオヤジ様が撮影した、懐かしい 井笠鉄道 さよなら列車の写真の続きです。
さよなら運転の当日は、まだ幼かった私の嫁さんと義理の姉も見学に行っていたようで数枚の写真の中には列車と一緒に写っている写真があります。
昭和46年3月31日 井原駅
この写真ではコッペル社の蒸気機関車が連結されて出発を待っています。
井原笠岡軽便鉄道 機関車第1号形蒸気機関車 1913年製造
この機関車は今も笠岡市新山の井笠鉄道記念館に保存されています。
機関車トーマスのような小さな蒸気機関車 動輪もオモチャのように小さいですね。
文献を調べると、1971年3月31日の井笠鉄道線全廃まで車庫に保管され、同日14時38分笠岡発井原行の井笠鉄道としての最終列車である「さようなら列車」の先頭に無火状態で連結されて運転された、となっておりますが
写真では笠岡方面へSLは連結されているようです、時間や詳細は不明です。
ホジ1の先頭にも飾り付けが施してありますから、おそらくは前回の写真のようにホジと客車で運転されて最終列車前に蒸気機関車が連結されて運転されたのかも知れません。
多くの子供たちが機関車に群がっております、当時も今も蒸気機関車は大人気です。
写真を見ると既に井原駅構内は鉄道線路を廃して半分位は駐車場のように活用されていたようです。
鉄道廃止と共に駐車場も無くなり、現在のように井笠バスセンターとなったようです。
井原駅にて 昭和46年3月31日
これで嫁さんのオヤジ様が撮影した井笠鉄道 さよなら列車の写真は終わりです。
当時の井笠鉄道の様子が少しでも伝わればと思います。
当時の稀少な写真を撮影していたオヤジ様、やはり慣れ親しんだ井笠鉄道の写真を記念に残していたのでしょう。
昨年(2011年) には創立100周年を迎えて多彩な記念行事が企画されました。
そして100周年の記念キャラクターとして作成されたのは、蒸気機関車の「コッペルくん」でした。
煙突と顔が描かれた二つの車輪で「100」を表現、煙の中に「皆様に愛され、励まされて100周年」と記されて、会社の新たな歴史への出発をアピールするものでした。
今月末 101年の歴史を閉じようとする井笠鉄道株式会社
時代の流れとは言え 何とも寂しいかぎりです。
昨年までは至って健康体だったのですが、今年は再検査の結果に (+_+)
来年には50の声を聞く年齢になり、これから先 何が遭ってもおかしくない無理の利かない年齢になります。
気分的にはまだまだ若いつもりでいますが、正直そうもいかない年齢になってきたようです。
家族の為にも、これからの自分の為にもしっかりと再検査を受診しておかないと・・・
今週はちょうど夜勤の週に当たりますので、まずは医師の診断を受けて精密検査を受診することにします。
さて、嫁さんのオヤジ様が撮影した、懐かしい 井笠鉄道 さよなら列車の写真の続きです。
さよなら運転の当日は、まだ幼かった私の嫁さんと義理の姉も見学に行っていたようで数枚の写真の中には列車と一緒に写っている写真があります。
昭和46年3月31日 井原駅
この写真ではコッペル社の蒸気機関車が連結されて出発を待っています。
井原笠岡軽便鉄道 機関車第1号形蒸気機関車 1913年製造
この機関車は今も笠岡市新山の井笠鉄道記念館に保存されています。
機関車トーマスのような小さな蒸気機関車 動輪もオモチャのように小さいですね。
文献を調べると、1971年3月31日の井笠鉄道線全廃まで車庫に保管され、同日14時38分笠岡発井原行の井笠鉄道としての最終列車である「さようなら列車」の先頭に無火状態で連結されて運転された、となっておりますが
写真では笠岡方面へSLは連結されているようです、時間や詳細は不明です。
ホジ1の先頭にも飾り付けが施してありますから、おそらくは前回の写真のようにホジと客車で運転されて最終列車前に蒸気機関車が連結されて運転されたのかも知れません。
多くの子供たちが機関車に群がっております、当時も今も蒸気機関車は大人気です。
写真を見ると既に井原駅構内は鉄道線路を廃して半分位は駐車場のように活用されていたようです。
鉄道廃止と共に駐車場も無くなり、現在のように井笠バスセンターとなったようです。
井原駅にて 昭和46年3月31日
これで嫁さんのオヤジ様が撮影した井笠鉄道 さよなら列車の写真は終わりです。
当時の井笠鉄道の様子が少しでも伝わればと思います。
当時の稀少な写真を撮影していたオヤジ様、やはり慣れ親しんだ井笠鉄道の写真を記念に残していたのでしょう。
昨年(2011年) には創立100周年を迎えて多彩な記念行事が企画されました。
そして100周年の記念キャラクターとして作成されたのは、蒸気機関車の「コッペルくん」でした。
煙突と顔が描かれた二つの車輪で「100」を表現、煙の中に「皆様に愛され、励まされて100周年」と記されて、会社の新たな歴史への出発をアピールするものでした。
今月末 101年の歴史を閉じようとする井笠鉄道株式会社
時代の流れとは言え 何とも寂しいかぎりです。
私が高校生くらいまでは井笠鉄道の路線跡がそこここに残っていましたが、最近ではそれも難しくなってしまいました。
さらに会社自体が清算という事になれば、さらに難しいもにになってしまいそうです。
公共交通機関がなくなってしまう事はそこに住む方々への影響も計り知れませんね。
いずれにせよ今まで慣れ親しんだ えんじ色の帯の入ったバスが走らなくなるのは寂しいです。
後、倉敷駅前の某デパートの場所にあった駅前バスセンターや矢掛行きの国鉄バスなんかも懐かしいです!
特急バスは岡山バスセンターまで走っていたようにおもいます。
福山方面は特急や急行は走っていなくてローカルバスばかりでしたが・・・
国鉄バスのスワローマークも懐かしいな~。
1000PF様に書いていただくまで忘れてました (^^ゞ