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しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  小郡機関区    扇形庫 と 転車台     

2011-11-01 22:21:20 | 国鉄時代
今日から11月ですね~。
今年もあと2ヶ月・・・ 本当に一年が早い (-_-;)
郵便局では今日から年賀状が発売されたようです。
本屋の店頭にも年賀状のイラスト本がたくさん並んでいますね。
毎年、今年こそは年賀状は早めにパパット済ませようと思うのですが毎年ギリギリです・・・(笑


さて、本日の「あの頃の・・・」は、小郡駅(現 新山口)にあった小郡機関区の写真が枚数は少ないのですが残っていましたので載せていこうかと

写真は昭和52年(1977年).5月頃の写真です。
まだ SLやまぐち号が走り始める前です。

当時は親戚が駅前に住んでいてよく遊びに行っていた徳山駅より多くの車両が見られましたし、何よりキハ181系 おき 特急が見られるので子供の私にはポイントが高かったのです(笑

当時は今と違って気軽に機関区や構内に立ち入る事が出来て、職員の方に一声かければ結構自由にあれやこれや見学が出来た時代でした。


キハ181系 おき    伯備線やくも と同じく当時は181系全盛の時代
隣には12系客車が見えます、当時は当たり前のように団体列車は12系客車でした。




出発前の車内清掃をしているのではないかと思います。     s52(1977年).5月頃





キハ181系 おき 12系客車の並び  今ではこんな贅沢な並びは見ることが出来ませんね。





小郡機関区にあった扇形庫   すでに蒸気機関車の姿はなく気動車が入庫してます。
今ではこの扇形庫も解体されて転車台のみが残っているようです。





小郡機関区の扇形庫と転車台  大きな扇形庫だったようです。
キハ181系 キハ20 キハ26  今見れば博物館のようです。

私が訪れた頃にはすでにありませんでしたが、小郡機関区にはもう一つ転車台があったようです。
蒸気機関車時代の栄華を物語ますね。

ただ、今でもSL C57-1が休息する「煙の絶えない」機関区であるのです。


次回も、当時の小郡機関区の写真を・・・


つづく・・・
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あの頃の  1977年当時の 岡山気動車区

2011-10-20 23:23:23 | 国鉄時代
昨日の昭和の三次駅の気動車たちに続いて、本日も気動車つづきでいってみようかと・・・

本日は岡山駅近くにある岡山気動車区です。

岡山駅からでも歩いてすぐに行けたので当時は何度か撮影に行った記憶があるのですが
肝心の写真の方は、ほとんどが行方不明のままです。

それでも数枚の写真が残っていますのでその写真をご紹介しようかと。

今では岡山気動車区はキハ40、キハ47、キハ120の3種類の気動車が所属してバラエティーも少ないのですが昭和の当時は彩りも鮮やかに多くの気動車を見ることが出来ました。

撮影は昭和52年(1977年).3月頃です。


岡山気動車区   昭和52年(1977)
キハ55、キハ20、キハ11、キハ58  パッと見ただけでも多くの種類の気動車が・・・
バックの景色も今と違って高いビルが少ないですね~。





キハ58津山線の快速でしょうか?

当時は気軽に気動車区構内の見学も出来て今から思えば天国のような時代でした。


右からキハ65 急行幕 キハ17 キハ65快速幕 横には荷物列車マニ36でしょうか?
急行は津山線の「砂丘」でしょうか?それとも伯備線の「伯耆」でしょうか?
3両とも連結幌に所属区のオカキの文字が





キハ65 運転室  パノラミックウインドウが当時はカッコよかった。
運が良ければ職員の方に車内入れてもらって運転室の見学も可能なおおらかな時代♪
職員の方も鉄道好きな方が今より多かったような気がします。





キハ65、キハ17    この写真を見ると連結幌のオカキの文字が良く見えますね。
今では見られないタブレットキャッチャーも
上の写真の運転席見学のついでに運転席の窓から覗いて撮影したようです。

当時は岡山気動車区を撮影した後は岡山機関区へハシゴをして撮影していました。

その昭和の時代の岡山機関区の機関車たちの写真も残っていますが、その写真はいずれまたご紹介しようかと思っています。 ← 出し惜しみしてるだけかも?(笑 

今では一昨年に引退したキハ28、キハ58の国鉄色も見られなくなり寂しい限りです。
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あの頃の  昭和の時代の 三次駅

2011-10-19 22:55:22 | 国鉄時代
よく訪問させてもらっている、せとうちSUN号さんのブログ「せとうち鉄道写真館」
その、せとうちSUN号さんが木次線の「奥出雲トロッコ号」に乗りに行かれた際に、三次駅に訪問されたようでブログに三次駅の記事を載せておられました。

その記事を読んで ふと思い出した、あの頃の思い出と写真・・・

昭和51年(1976)当時、私は13才の中学1年生
その夏休みの8月に友達の I 君と二人で福塩線を全線乗り鉄した事がありました。

しかしながら私の記憶には途中の沿線の事は、ほとんど記憶に残っていません・・・

ただ行きの気動車の中で母親の握ってくれた握り飯を食べた事と、冷房などない車内でトンネルに列車が入る度に車内に涼しい風が入ってきた事を覚えています。

福塩線の終点は塩町駅ですが実質的には三次駅が終点になっいてます。
三次駅は芸備線、三江線、福塩線の三線が交わる県北の中心駅です。

その時に撮影した昭和51年当時の写真が数枚残っていますので載せてみます。


三次駅ホームから機関区を望む   昭和51(1976)年 8月
当時は新見、津山と並び中国地方の山間部の主要駅として君臨して機関区もあり気動車などが多く留置されていました。
機関区には蒸気機関車こそすでに姿はありませんでしたが、ターンテーブルや扇形庫もありました。





三次駅に到着?する キハ20





キハ55-238 機関区隅にはすでに廃車なのか、くたびれた姿で留置されています。
貨車(車掌車)も見えますから当時は貨物の扱いもまだあったのでしょうか?





キハ45 国鉄色がいいですね~。         当時はキハ23もこの配色でした。
機関区の構内には照明塔もあり夜には水銀灯が煌々と照らされていたのでしょうか?





キハ17    右側には三次駅ホームが見えます。





構内より扇形庫を望む  
キハ11やキハ17が多く見られます、入れ替え用?のDE10の姿も、扇形庫内にも気動車が見えます。
機関区にあるターンテーブルも見学したのは覚えているのですが写真がありません・・・


I 君と二人、三次駅前も散策したような気もしますがこれも記憶がおぼろげです・・・
駅で立ち食いうどんを食べた気もしますがこれも記憶違いかも・・・?


急行 ちどり たいしゃく      駅員さんがタブレットを持って列車脇を歩いています。
急行全盛の時代、長編成の列車が行き交っていました。

当時は陰陽連絡急行が多く運転されていて深夜にも夜行急行が運転されていました。

ちょうどこの列車にテレビのカメラが乗っていたようで、しばらくして当時の夕方の地方ニュースの中国地方の沿線紹介か何かの特集を家でテレビで見ていたら、私たちがらこの列車を撮影している様子が映し出されてビックリした思い出があります。


今では当時の栄華をその広い構内と長いホームが知るのみですが・・・
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あの頃の    影の薄かった花形寝台特急  紀伊 ・ いなば

2011-09-28 22:33:11 | 国鉄時代
7月から始まった節電を目的とした操業日の変更が今月で終わり・・・
来月からは元通りの土日の休日となります。
明日から日曜日まで休日の調整の為 4連休であります♪
明日は取り合えず、いつもの近場へ朝練の予定


昭和50年当時の東京駅での機回しの様子を記事にしました所、私がいつも拝見している「70'sの鉄道写真&平成の再出撃」に当時の時同じくして撮影された東京駅での機回しの写真が紹介されております。
管理人様の と~ちゃん48才様とは年齢も同じようで東京、上野近辺の懐かしい写真写真や現在の様子なども紹介されておられます。
遠く離れた見知らぬ方と偶然とは言え30年以上の時を隔てた懐かしい写真で繋がるとは当時の私は考えもしなかったでしょうし、これも当時は考えもしなかったネットのお陰でしょうか。


さて、本日も東京駅での懐かしいブルートレインです。

東京駅での花形ブルートレインの中でも地味な存在だった 紀伊・いなば
東京への到着も早朝で出発もブルトレの中では一番遅く出発するので撮影も子供泣かせの時間帯でした・・・

牽引もEF58で東京発のブルートレインのトレードマークであったHMもなく、当時 子供だった私はHMの付いていない牽引機のEF58には目もくれなかったようで、その希少なEF58牽引を撮影していませんでした・・・
正に若気の至り・・・(笑


14系 紀伊           s.50年(1975)頃?            東京駅13番線に停車中
集客振るわず意外と短命に・・・  





14系 いなば           編成は上り側に紀伊 下り側に いなば の併結運転
いなば は運行区間延長で出雲に改称されました。
今でも「いなば」の愛称は「スーパーいなば 」としてキハ187系気動車で岡山~鳥取間を走っています。

当時はEF58牽引で唯一東京駅発着、今だったら一番人気でしょうね~(笑
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あの頃の   懐かしの東京駅の機回し模様

2011-09-26 22:33:55 | 国鉄時代
少し涼しくなれば暖かいお風呂が気持ちいい♪

風呂に入ってシャンプーで髪を洗いシャワーで流す・・・
そしてトリートメント・・・
ん?また泡が・・・
  
シャンプーとトリートメントを取り間違えた・・・

そしてもう一度シャワーで流し、トリートメント・・・
ゲッ!また泡が・・・(@_@;)

今日の風呂での出来事・・・
髪はきれいになりましたが心が萎えました・・・(泣
歳なんでしょうか・・・?


ここ2回ほど笠岡駅での客車列車の機回しや福山駅での12系客車を紹介しましたが
機回し、12系客車から連想されるブルーに白帯の車体とキーワードを並べると、私の中では機回し→東京駅  ブルーに白帯の車体→ブルートレイン 
と、言うことで今回は当時の東京駅名物?のブルートレインの機回し模様を

撮影は昭和50年(1975)頃~51年(1976)頃だったと思います。

残念ながらフィルムは相変わらず何処にいったか不明で辛うじて写真が残っていましたのでスキャンしてます。

当時 東京駅の12番、13番ホームはブルートレインの発着ホームでした。
10番線と12番線の間には機回し用の11番線がありました。

今はそのホーム跡は東北方面に向かう新幹線の22、23番ホームになっているようです。
私は残念ながら今の東京駅の様子は判りません・・・。

当時の東京駅ホームはブルトレブームもあってか子供の鉄道ファンで大変な賑わい。
田舎者の私もその中で右往左往してました・・・


20系 瀬戸とEF65-508 あさかぜ の機回し     s.50(1975)頃       東京駅





20系 瀬戸とEF65-507 瀬戸 の機回し           s.50年頃

当時は子供たちはホームで自慢の写真を見せ合ったりしていました、田舎者の私も写真を見せてその写真を交換したりして・・・
今でも私の保存している写真の中には当時交換したのであろう写真が残っています。
その交換した写真も私が撮影したのではないのでありますが、何かの機会にはご紹介してもいいかと思っています。





24系 富士とEF65-537 富士 の機回し           s.51(1976)頃





24系 富士とEF65-512 はやぶさ の機回し         s.51(1976)頃





24系 出雲とEF65-509 出雲 の機回し

この頃だったかな~?子供たちが撮影しているホーム端辺りには白線の他に青線があってそこは立ち入り禁止になっていたような思い出が・・・

あの頃は本当に子供の撮影者が多かったのに、今はどうなんでしょうか?

あの頃は今思えば本当に花形列車が多く発着していた東京駅
今も日本の中心駅には変わりないのでしょうが花形列車のいなくなった発着駅としては少々寂しくなってしまいました。
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