goo blog サービス終了のお知らせ 

しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  懐かしい国鉄時代の岡山機関区  EF65 1000番台

2012-03-06 22:21:33 | 国鉄時代
雨がよく降りましたね~。

今日は山口を除く中国地方に春一番が吹いたようです。

部署が変わった仕事も少しずつ慣れてきましたが、先週も書いた通り今日から一人での作業をまかされました。
まだ毎日ではないのですが、今日は気を使いながらの作業で気疲れです・・・
しかも上司がインフルエンザにかかって今日からお休み・・・
少々 放置プレー気味な一人作業初日となりました (笑
また明日から気合を入れて頑張っていこうかと。


さてさて、あの頃の国鉄時代の岡山機関区

本日も余り代わり映えがしない写真で申し訳ないですがお許し下さい。
このブログの「懐かしの・・・」は、このブログをご覧になって頂いている皆様に懐かしい写真をご覧になっていただく目的もあるのですが、ブログを書きながら私自身の薄れかかっている記憶をたどる良い機会でもあるんです。
最近撮影した写真を載せてブログを書くのも、あの頃の・・・懐かしい記事を書くのもある意味自分の記憶を留めておきたいのであります。

前回に続き今回も話が少々それてしまいました・・・(^^ゞ



EF65-1052           s.53(1978)頃            岡山機関区
後ろにはEF58とEF60が止まっています、隣に写っているのは前回ご紹介したEF60-128だと思います。
この頃、EF56 1000番台はなかなか見ることが出来ない機関車で、たまに見かけると結構興奮した覚えがあります。
1052と1053号機は広島所属ではなかったかと思いますが間違っていたらスミマセン
白ゴム、切り抜きプレートが実に懐かしい





EF60-13     





EF60-81     前照灯とテールライトを同時点灯
この同時点灯が始業点検の為か、入換作業か何かの合図なのかは不明です・・・
後ろに写っている本線を走る貨物列車が当時の典型的な貨物編成で今見ると実に渋いですね(^^♪
それにもまして現在の岡山機関区を知る方が見ると、この写真の撮影位置がどこか判るのが面白いかも?


つづく・・・
コメント (2)

あの頃の  懐かしい国鉄時代の岡山機関区  EF60

2012-03-04 14:33:22 | 国鉄時代
今日も朝から雨模様のお天気
仕事で疲れが溜まっているにも関わらず、昨日は鉄分補給したので今日は家で家族と大人しくしてるんであります。
この季節の雨は、一雨ごとに確実に春を運んでくるんでありますよ・・・
春が待ち遠しいな~(*^_^*)


さて、あの頃の 国鉄時代 昭和53(1978年)の岡山機関区

当時の私の撮影した写真を検めて見てみると、圧倒的にEF60を撮影した写真が多いんであります。
当然、EF58やEF66も撮影してますが当時 一般的な貨物列車を牽引していたのはEF65 0番台よりもEF60が牽引している方が多かたような気がします。

当時の私たちは一般型のEF60やEF65の牽引の貨物列車やEF58牽引の荷物列車は「またか・・・」の様な感覚でスルーする事が多かったのですよ。
地味な色の釜や貨車よりも 颯爽と駆け抜けるブルートレインや特急列車に強い憧れを抱いていた頃でした。
当時はフィルムも高く現像費などを含めると学生の私たちの少ない小遣いでは、列車を選びながら撮影をするのが当たり前でした。

話が少々それてしまいました・・・

そんな当時の岡山機関区の写真を見ても やっぱりEF60が多く駐留しているんです。


EF60-13 1次量産車     s.53(1978)頃             岡山機関区
EF58の姿も写っていますね。





EF60-8   運転席の窓のデフロスタも懐かしいです。 
  
EF60-1・3・4・6・7・9・10・11号機はEF61 200番台へ改造されてセノハチ用補機となりましたが上記の8・13号機の1次量産車は計画が中止になった為にセノハチ用補機への改造はありませでした。





EF60-128 5次量産車       パン上げで出庫準備中のようです。
当時は今のように昼間にライトの点灯は有りませんでしたから、おそらく機関士さんが撮影していた私たちの為に点灯してくれたのでしょうか?





EF60-117        s.53(1978年)
前照灯が2灯シールドビーム化されてサイドの通気口の上に明かり取り窓と、EF65 0番台と見分けが付きませんね~。

この後の あの頃の岡山機関区 の更新にも度々EF60は登場してきます。
その位 当時の岡山機関区にはEF60が沢山いたんです(笑


つづく・・・  
コメント

あの頃の  懐かしい国鉄時代の岡山機関区  昭和53年(1978)  

2012-03-02 23:24:25 | 国鉄時代
今日は久しぶりに仕事が早く終わり、いつもより早く家に帰ることが出来ました♪
慣れない仕事のうえ気も使いながらの為 疲れが溜まっているので明日はゆっくりしようかと・・・
来週からは毎日ではありませんが一人で仕事を任されそうな気配で少々不安であります(-_-;)
ま、前向きに挑戦してみるんであります。


さて、本日は久しぶりに「あの頃の・・・」を
昨年の11月半ばから今年の1月末にかけて岡山機関区に長らく留置されておりましたEF65 0番台及び1000番台が広島車両所に廃車回送され次々と解体されております。
これですべての岡山機関区に留置されていたEF65は全廃になりました。
と、同時にEF65 0番台も保存される事無く終焉をむかえました。

国鉄時代を支えてきたEF65 0番台もとうとう全廃されて昭和の時代がまたひとつ終わりを告げたようです。

そんな変わりゆく岡山機関区の懐かしい国鉄時代の模様を今回の「あの頃の・・・」で数回に分けて載せていこうかと思ってます。
時は昭和53年(1978年) 私は中学2年生でした。
岡山機関区には数回訪問した記憶があります。
当時はこの辺りで唯一走っていた特急 やくも(キハ181系)を撮影するのが主な目的で、機関区にはそのついでで立ち寄った感じだったと記憶しています。

当時の岡山機関区は今と違い比較的自由に出入り出来ていました。


左から EF65-132 EF65-1053 EF60-123          s.53(1978年)頃          岡山機関区
EF60 100番台はEF65とほとんど見分けがつきませんね、写真端に写っているDD51は伯備線貨物用でしょうか。
地元岡山のファンの方は写真右に見える新幹線高架の位置関係から撮影位置が想像出来るのではないでしょうか?





EF65-96 EF60-? EF60-?   
写真左奥、ワムと電気機関車が小さく写っている後ろ辺りに宇野線(現 瀬戸大橋線)が走っています。





上の写真とは別の日に訪問した写真ですがs.53(1978年)頃です。
EF60、EF58、EF65 1000番台、EF65 0番台と多くの機関車がひしめいておりますね~。
写真は上の写真の対面方向から倉敷方面に向いて撮影しています。


これから何回かに分けて、懐かしい岡山機関区の様子をお送りします。


つづく・・・
コメント (6)

あの頃の   雪の福山駅にて新旧 最後の並び 70系と105系  

2012-02-08 22:11:00 | 国鉄時代
今日は昨日の暖かさから一変 寒い一日でした。
昼間には雪花が舞い、仕事をしていても底冷えがして本当に寒かった・・・
明日の朝は道路が凍結しているかも? ちょっと心配です。

今日のあの頃の更新は、今日のようなそんな寒い雪の福山駅 福塩線ホームにての懐かしい写真を


70系電車と105系電車     s.56(1981年).3.1              福山駅
写真は70系電車の さよなら運転 のあった当日です。
さよなら運転も終わり、記念HMも外されて側線に留置されて新型の105系との並びを撮影したものです。

さよなら運転当日は思いもよらぬ雪で 70系電車の なごり雪となった一日でした。



雪に霞む福山城をバックに新旧最後の並び
今では福山駅北口にはマンションなどのビルが立ち並び、このような撮影は難しくなってしまいました。

あれから30年、当時新車でデビューした105系は延命改造を受けながら今でも現役で、まだまだ頑張ってくれそうです。
ただ、福塩線専用色だった黄色に青帯の車体色も地域色と呼ばれる「濃黄色」に統一されつつあるのが残念です。
コメント

あの頃の  朱色の気動車   福塩線にて

2012-02-07 22:33:00 | 国鉄時代
明け方まで降っていた雨は朝には止んで今日は曇りのお天気ながら暖かい一日でした。
ところによっては4月中旬並みの所もあったようです。
ただ明日からは再び冬型の気圧配置になり日本海側では再び大雪になるとの予報、注意が必要ですね。


本日の更新は久しぶりに「あの頃の・・・」
何回か続く連続した懐かしい話ではなく単発の「あの頃の・・・」です。

JR西日本では地域色と呼ばれる塗色化が進んでおりますね。
電車の塗色は「濃黄色」、コンセプトは「瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージした色」

気動車の塗色は「朱色」、コンセプトは「JR西日本の統一色として、新製当時の朱色で統一を図る」

地域ごとにシンプルなデザインとし、利用客に親しみを持ってもらいたいという狙いだそうです。
ま、本音は経費節減でしょうけど・・・

そんな気動車の朱色の塗色、確かにキハ47は新製当時から朱色でしたから違和感はないんですが、当時の写真を見直して見ると国鉄色だったキハ11やキハ20が朱色になっていたんですね~。
当時は珍しさも伴って何回か撮影していたようです。


キハ11     s.54(1979年)頃                   横尾駅付近
それまでの国鉄色から朱色に変更され始めた頃、後ろの気動車は国鉄色のようです。





キハ20+キハ20                     神辺~横尾
残念ながら国鉄色の気動車が朱色にすべて変わってしまったのか否かは私の記憶にはまったくありません。





キハ11+キハ25+キハ47+キハ47     s.54(1979年)頃       横尾~備後本庄
朱色に統一された編成、当時はまだ珍しかったように思うのですが、これも記憶が曖昧です。
確かこの頃からキハ47が福塩線にも入線が始まったような記憶がありますが、確かでは有りません悪しからず・・・


地域色として朱色にもどりつつある気動車

私にとって懐かしさもあるのですが邂逅でもあります。
コメント (6)