"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“福島第一原発四号機について”

2011-07-17 23:58:58 | 日記

ふくいちライブカメラ、ご存知の方も多いと思います。

http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index-j.html

 

東京電力さんが、福島第一原発1号機~四号機の映像をリアルタイムで配信しているものです。

なぜか最近は、一~四号機の状況についてニュースで取り上げることがほとんどなくなっています。

ということもあり、私は、一日に一回は、自分なりに状況を確認する為に、この画面を見るようにしています。

 

いつも気になるのは、夜になるとわかりやすいのですが、四号機周辺から、蒸気のようなものが出ているのが見えることです。

すると一緒に、放射線も出ているのだろうな、と思います。

 

更に、最近は、そのあたりが光っているように見えます。

確かそこは、使用済み燃料が大量に保管されている場所ではないかと思います。

 しかし、東京電力さんは、こうした件について何もコメントしていません。

(カメラの角度、四号機のところが見づらくなっているのもなんとも言えないところがありますが・・・)

 

恐れは禁物だと思いますし、別の理由もあるのかも知れませんが、

一応、何かあった時にどうするかということは、考えておいた方がいいように思います。

ただ、あくまでも自己責任でお願いします。

しかし、まずは、東京電力さんにコメントをお願いしたいですね。

 

1~3号機の状況も知りたいところです。

事故からなんと三ヶ月も経って、ありえないと言っていたメルトダウン、更にメルトスルーを認めましたが、

その後、中の燃料は一体どうなっているのでしょうか?

地面に抜けてしまっていて、実はもうほとんど残っていない、という可能性だってあると思うのです。

大型台風、東北から回避すること、強く祈念します。 


“細胞の不思議と奇跡”

2011-07-16 20:56:00 | 日記

「致知」メルマガ「一日一言」(http://www.chichi.co.jp/i/i-friends.html

 より、転載いたします。


 
いつもお読みいただきありがとうございます。

昨今、命を粗末にする事件が頻発していた日本ですが、このたびの震災によって、

我々日本人は当たり前にある命が如何に尊いかを実感するようになったのではないでしょうか。

『致知』8月号では、筑波大学名誉教授・村上和雄氏の好評連載「生命のメッセージ」にて、

“幸せに生きるための祈りと魂の働き”とは何かを語っていただいています。

本日は、その中から村上氏の言葉をご紹介します。

 * * *

この前聞いた話ですが、世界各国の国民幸福度を調査したところ、日本は90位だったそうです。

こんなにも物質には恵まれ、医療水準も教育水準も高いのに、そこで暮らす日本人は幸せじゃないと思っている。

その原因は何かと考えた時、1つは命の根源と繋がっている実感を失っていることではないかなと。

お天道様を拝み、何かあれば「おかげさま」と感謝していた日本人が、戦後その繋がりを断ち切られてしまった。

だから自分だけの欲望に走ったり、思いが満たされないからといって人を殺傷したりするのではないか、と。

細胞1個は1億円の宝くじが100万回当たり続けるくらいの確率で誕生し、その細胞が私たちの体には60兆個も存在している。

いまここで息をしている自分は、それだけで奇跡の結晶なんですね。

 * * *

オリンピックの金メダルやノーベル賞は取れないけれども、自分の金メダルなら取ることができる。

そしてそれが人生の目的だと村上氏は語ります。

(以上)


 

“細胞1個は1億円の宝くじが100万回当たり続けるくらいの確率で誕生し、

その細胞が私たちの体には60兆個も存在している。”

 

細胞一つつくること、私たちには出来ません。

その細胞が60兆個!もあって、それぞれが体の一部になり、

しかも、すべての細胞が協力しあって生きているのですから、

これはもう想像を絶する奇跡。

 

人は、細胞を複製することは出来ても、それを作ることは、未来永劫、出来ないでしょう。

それどころか、原子の一つをつくることも出来ません。

それが実際のところなんであるのかも、良くわかっていません。

 

私にとって、細胞をつくり、人をつくられた創造者がいるということは自明です。

創造者が、とてつもない智慧を持っているということも、また自明でしょう。

協力し合う60兆個の細胞で形づくる人体を生み出すことが出来るのですから。

 

地球には、人間だけでなく、たくさんの種類の生物がいます。

そして同じ種類の生物であっても、一つ一つの姿は、すべて異なっています。

どれ一つとして同じものはありません。

私は、それは創造者が、違いを大切なものと思ったからだと思っています。

なので、創造者が、その一つ一つの生物に対して愛をふり注いでいるということも明らかだと思います。

 

創造者、もしくはそのエネルギーが、ありとあらゆる時空に存在しているということもまた明らかだと思います。

私たちが、今、生きているのですから。


“米国のデフォルト問題について”

2011-07-16 03:32:35 | 日記

ご存知のように米国がデフォルトの危機を迎えています。

 
 
 
82日までに債務上限枠を上げないと、デフォルトということになります。
 
オバマ政権は、財政圧縮と富裕層向けの増税のセットで、野党の共和党と交渉していますが、まとまりません。
共和党は、財政圧縮のみを主張し譲りません。
 
瞬間的にもデフォルト状態にならないためには、手続き日程から考えて来週が大きな山場となります。
 
お互いに、相手の妥協を引き出すために最後まで交渉を引き延ばしているという面もあると思いますが、
国がデフォルトになるかどうか、ということを交渉カードに使ってはならないと思います。
 
野党の中でも、勢力を伸ばして来たティーパーティ党は、もともとデフォルトになっていいじゃないか、
という考え方を持っているようなので、怖いものなしです。
 
日本は、そんな米国債を9000億ドルも持っています。
 
ただでさえ円高でドルの価値が減っている中、デフォルトになれば国債価格自体も大きく値下がりします。
 
復興資金に充てる資金も必要なので、その前に早く売ればいいと思うのですが、出来る人はなかなか出て来ません。
(米国債を売る、と正面切って言った政治家は、過去文字通り息の根を止められているようです。)
 
 
今回、最後の最後で帳尻を合わせて合意される可能性もあります。
でも、同じことはごく近い将来に必ず起きます。
そしてそこでクリアされても、また次が・・・。
 
ギリシャもそうですし、色々なところで、もう綱渡り状態です。
 
疲労困憊してしまったのか、ガイトナー財務長官は、枠の増額が出来たところで、職を辞すると言っています。
ガイトナーさんに限らず、金融、経済関係の閣僚がどんどん辞めています。
自分のときに、デフォルトになると責任問題が・・・ということなのでしょう。
 
 
一方で、デフォルトになった時に備えて、準備も着々と進んでいるようです。
米国では、来週から、なんと一般人がゴールドを売買することが出来なくなります。
それが、デフォルトになった時に、お金をゴールドに買える動きを封じる為であろうことは容易に想像がつきます。
 
でも例外があって、一定の条件をクリアした高額所得者は、売買が出来るというのですから、
とんでもない法律ですが、ちゃんとオバマさんがサインしています。
 
やはりデフォルトになった時のシナリオもちゃんとできているのでしょう。
 
強烈なインフレを起こして、借金の額を減らしてしまうとか、もう堂々と借金を棒引きしてしまうとか。
その時、一番損をするのが、米国債保有の多い日本だということは言うまでもありません。
 
当然、日本へも甚大な影響が出て来るでしょうし、今のヨーロッパからの影響も含めて、連鎖的なデフォルトが起きる可能性もあると思います。
 
しかし、そんな重大なことも、なぜか日本の大手マスコミでは、ほとんど扱っていません。
やはり自分で考えて行動するしかありませんね。
 


“なでしこジャパンに背中おされて”

2011-07-15 04:57:22 | 日記

 

毎日新聞の記事、転載させて頂きます。
 
 
サッカー:被災地支援のドイツ人 なでしこに背中押され
 【ベルリン篠田航一】「日本の勝利は、他のどんな勝利より意味がある」−−。東日本大震災の発生後、自分の車を売るなどして旅費を捻出し、3月と5月の2回、被災地に救助ボランティアとして駆け付けたドイツの元消防団員、アンドレアス・タイヒャートさん(43)は、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で快進撃を続ける日本チームの姿を、必死で生活再建に取り組む被災者の姿に重ねる。「日本チームの頑張りが、私をさらに奮い立たせてくれた。また被災地に行き、日本人の力になりたい」。タイヒャートさんは14日、日本に向けて出発する。
 現在はベルリンで防災・危機管理コンサルタント会社を経営するタイヒャートさんは、市の消防団員として10年以上活動。インド洋大津波の被災地インドネシアなどにも赴いた経験を持つ。震災発生2日後の3月13日には、ボランティア団体「災害対応チーム・ドイツ」の仲間と4人で日本に飛んだ。岩手県遠野市の民宿を足場に、現地のキリスト教団体が手配した通訳を伴い、釜石市や大槌町で、がれきの撤去作業などを続けた。
 忘れられない光景がある。津波で家を流された80歳ほどの高齢女性が、泥の中から木の人形を拾い上げ、4時間以上も一心不乱に布でふいている。通訳の話では、家族も家も失ったショックで、精神状態に異変をきたしていたという。帰国後もこの光景が脳裏から離れなかった。数十万円のボランティア資金は底をついたが、再来日を決め、車を売った。「全てを失った人を見た後、私の車なんか何の価値があるのか考え込んでしまった」
 5月5〜25日に再び訪日し、福島市などで水や物資の配給に奔走した。避難所で互いにマッサージし合う人々。今も救助活動へのお礼メールを忘れずに送ってくれる人々。自らが被災しながら、他人への思いやりを忘れない日本人に驚くという。
 そんな中、6月の開幕以来、必死にボールを追う「なでしこ」の姿はタイヒャートさんの背中を再び押した。スポンサーを探し、日本語の名刺も作った。「頑張る日本人のために、自分ができる限りのことをしたい」。今は被災地で、日本の優勝を見ることを願っている。
(毎日新聞 2011年7月14日 20時14分)
 
“数十万円のボランティア資金は底をついたが、再来日を決め、車を売った。
「全てを失った人を見た後、私の車なんか何の価値があるのか考え込んでしまった」”
 
東日本大震災発生後、今度でなんと3度目の日本出発・・・
その思いの深さ・・・
言葉が見つかりません。
 


“どんなエネルギーを出しているのか”

2011-07-15 04:54:00 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」より転載させて頂きます。

                
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◆『致知』最新号の名言
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        生前親交のあった住友生命元会長の新井正明さんが
        常々おっしゃっていたのは、
               物事を暗く考える人間は暗い運命を引き寄せる。

               天を信じ、明るく明るく考えれば運命からも愛され、
               幸せな人生を築くことができるということでした。


       
            渡邉五郎三郎(福島新樹会代表幹事)

             『致知』2011年8月号
              特集「リーダーの器量」より


…………………………………………………………………………………………

新井正明氏は先の戦争で応召し、
ノモンハンでソ連軍の砲撃を受けて右足を切断する
という悲劇に見舞われます。
 
この現実をどう受け止めるか──。
新井氏は述懐されています。
 
「私は運命というのは自分で
  切り開いていくもんだという考えを持っているのです。
 
 ケガをした後、どういう具合に歩んでいくか。
 その歩み方で、運命は自分が切り開いていけるんじゃないか、
 というのが私の考え方です」
 
 
同じ状況で運命を呪い、
将来を諦めてしまう人生もあるでしょう。
 
しかし新井氏は、マイナスと思われる状況から、
住友生命の経営を担うまでに頭角を現し、
同社を業界大手に大躍進させます。
 
新井氏はこんな言葉も残しています。

 
「私は仕事柄、いろいろな人たちにお会いしますが、
 一流の人というのは例外なく明るい。
 ただ、その明るさも個性とか職業によって
 自ずから違いがある。
 
 太陽のような明るさもあれば
 月の光のような明るさもある」
 
 
「すぐれた人というのは、その体から独特の快い活力、
 エネルギーを出しています。
 それがまるで、韻を踏んでいるような快さを相手に与え、
 あの人にまた会いたいと思わせるのです」
 
 
人生をどのようなものにしていくか。
それはひとえに、その人の心の姿勢に
懸かっていることを教えられます。

…………………………………………………………………………………………(以上)


 “太陽のような明るさもあれば
  月の光のような明るさもある”

その人がどんなエネルギーを出しているのか、ということ。


日常でもよくありますよね。

その方と接しているだけで、なんだかこちらの気持ちまで清清しくなって来たり、

楽しく幸せな気持ちになったり、いつの間にか心も体も癒されたり・・・。


そして、それは、ごまかしのきかないものでもありますね。

人前で話をするプロであるはずの政治家の方々が、カメラの前でその本性を現してしまったりするのですから。

今後益々分かりやすくなっていくようにも感じています。


自分がどんなエネルギーを放っているのか、それを確認することは極めて簡単です。

相手の方の表情を見ればいいのですから。(笑)


“わたしだということ”

2011-07-14 03:38:28 | 日記

           “幸福への近道”というブログを書いていらっしゃる松原照子さんという方がいます。

 
同名で最近本も出版されました。
そのブログ、7月11日の日記より転載させて頂きます。
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Date: 2011.07.11
私達は大地震や大津波に勝つ事は出来ませんが、動物的勘で身を守る事が出来る気がしてならない。
確かに大地震の日時を予測する事は難しい事でしょう。
でも揺れを感じた後の行動が生死を分けると言っても過言ではないと思います。
大きな揺れが90秒も続くと、人々は恐怖のあまりに体が動かなくなる事でしょう。又、動けないのも事実です。
でも、ここでお願いなのです。
大地震が起きた時
1 ご自分が今、どこにいるのかをまず認識する事
2 次に、次なる行動をどうとるのかを考える事
3 大きな揺れは体が思うように動きませんが、先ずはご自分の身の安全を確保するのです
4 揺れが少し緩やかになったら、火を消し次なる避難場所を考えるのです
少なくとも、この4つはいつも心に持っておられる事をお進めします。
大地震の後の大津波は「セットである」と思われるくらいが、私はいいと思います。
そして、すぐに避難を考えて下さい。
「大丈夫」は、危険な考えです。
今回の大地震を思い起こしますと、もうすでにあの大地震は3月5日からスタートしていました。
 3月09日11時45分 M7.3が発生
 3月10日06時24分 M6.8が発生
 3月11日14時46分 M9.0が発生
私達はどれが余震か本震なのか分かりません。
専門家でも日時、規模を前もって知る手だてはないと思います。
でも、私達には本来素晴らしい勘が備わっているのですが、どうも日常の生活ぶりを見ていますと、体験と知識と思い込みと、自己を忘れて暮らす生活の積み重ねが緊急事態に遭遇した時に、どの様に判断するかも分からなくしているようです。

 
     ────────────────────────────────────(以上)
 
私自身は、一つ前に書いた日記と同じテーマだと受け止めています。
 
 
 “今、自分が出来ることはなんだろう”
 
 
自然現象や、経済、原発のこと含めて、これから色々なことが起きて来ると思います。
 
その時一番大切なのは、この問いだと思うのです。
 
 
 “今、自分が出来ることはなんだろう”
 
 
そして、自分なりの結論が出たら、シンプルにそれを行動に移すこと。
 
その時大切なのは、決めるのは自分だという事です。
 
政府でも、周りの人でも、肉親でもない・・・
 
わたしだということです。
 


“今、自分が出来ることはなんだろう”

2011-07-14 03:35:25 | 日記

『致知』メールマガジンからの転載です。

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         「消費の20代と、投資の20代」
       
       
           横田尚哉(ファンクショナル・アプローチ代表)
        
        
                 『致知』2011年8月号
                  連載「20代をどう生きるか」より


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 就職活動で苦労して会社に入ったものの、
 理想と現実のギャップにぶち当たり、
 外れくじを引いたように感じている人も多いかもしれません。
 
 しかし本来仕事には、当たりも外れもありません。
 当時はつまらなくて仕方がないと思っていたはずの仕事が、
 後にその人の大きなベースとなるようなことが
 往々にしてあるのです。


 私が入社して四年半が経ち、二十七歳になった時のこと。
 広島に技術部門が新設され、私は大阪本社から転勤を命じられました。

 その広島の勤務地に、新卒で入社してきた
 後輩のエンジニアがいました。
 他の同期は東京や大阪本社に配属され、
 彼一人だけがぽつんと広島にいる。
 周りの先輩とは年が離れていて普段話せる人もいない。
 
 季節は夏を迎えていましたが、
 彼は毎日つまらなさそうな顔をして
 図面と向き合っていました。

 私はそんな彼に「いま何の仕事をしてる?」と
 声を掛けました。
 
 すると彼は
 
 「横田さん、私もう、ずっとこんな雑務ですよ。
   同期は東京で打ち合わせに参加したとか、
   自分の資料がプレゼンに使われたとか、
   楽しそうに話してる。
   
   自分はアルバイトにでもできるような
   雑務ばっかりさせられて……。
   もっと技術屋的な仕事がしたいです」
  
   
 と言って不貞腐れていました。
 
 私は「あぁ、そうか」と返事をして、もう一度、
 「おまえがいまやっているのはどういう仕事なの。
  その図面の縮尺は何分の一?」と聞きました。
  
 すると彼は「えっ、ちょっと待ってくださいよ」と言って、
 端っこに書いてある縮尺の数値を読もうとした。


「おまえ、数字を見ないと分からないのか。
 半年間もずっとその図面の作業をしてきて、
 いまだにそれを見ないと分からないのか。
 半年間勿体ないことしてるよなぁ。

 一つの図面を散々見続ける経験なんて滅多にできんことやで。
 どんな図面がきても、これは何分の一の縮尺だと
 パッと見て言える。それが技術屋の仕事というもんや。
 
 おまえは朝から晩までそれだけをしていて、
 なんで覚えられんのや」


 私の言葉を聞いて、彼は初めてハッとした表情を浮かべ、
 
 
 「自分はこの半年間、雑務としか思いませんでした」
 
 
 と言いました。


 「おまえの先輩が雑務としてこの仕事を与えたか、
  経験として与えたかは分からない。
  いずれにせよ、おまえはそれを経験にはしなかった。
  
  この半年間ただ“消費”をしただけで、
 “投資”にはなっていない。

  図面を見ただけで、縮尺も何も瞬時にして分かる。
  その技術は教科書にも書いていなければ、
  学校の先生も教えてくれない。
  
  これは経験でしか得られないものなんや。
  おまえはその経験の場を与えられてる。
  おまえはすごく恵まれてる。
  
  同期の人間なんかより、おまえのほうがずっと恵まれてる。
  それをおまえは分かってないだけや」


 彼はこのことがあってから、目の色を変え、
 嬉々として自分の仕事に励むようになりました。


 二十代は夢や理想が人一倍強いため、
 会社や上司に文句を言いたくなることも多いかもしれない。
 
 でもそれは自分の知っている、
 ごく狭い世界の話であることが多いのです。
 
 広島にいた彼は、いま自分が置かれている環境で
 できることは何だろう、ここにいる特権とは何だろうと
 考えたこともなく、無益な日々を送っていた。
 
 しかしここから何を学んでいこうかという気持ちや、
 何かを得てやろうという思いさえあれば、
 誰もが充実した日々を過ごせるはずなのです。
 
────────────────────────────────────(以上)



“いま自分が置かれている環境で、できることは何だろう”


年齢や立場、境遇に関係なく、全ての人にあてはめることが出来る、いい言葉ですね。


今、自分がやっていること、時には、単調にも思えること。

そんな自分にこの問いを投げかけてみる。


それは、自分を、客観的に見つめる作業でもありますね。

まるで自分の背中に焦点のあったカメラの設置場所を、

どんどんどんどん遠くに離していく作業のようにも思えます。


そうすると・・・

それまでの自分では全く気がつかなかったことが見えてくる。


そうなれば、もうしめたものですね。


“本当の言葉とは、そしてそのお返しとは”

2011-07-13 00:30:06 | 日記

『致知』, メールマガジンからの転載です。

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■「致知随想」ベストセレクション 
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      「馬関の集い」
       ~~~~~~~~~~~~~~


                   岡本節治(元住友銀行勤務)


             『致知』2001年3月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです


…………………………………………………………………………………………………

「Sの慰問を兼ね、フグでもつつきながら語り合わないか」

銀行の役員を退き経営コンサルタントをしている
Nから誘いがかかったのは昨年九月だった。

われわれは山陰の水郷松江で
旧制の高校生活を共にした仲である。

Sは銀行勤めののち大学の法学部教授に転じ、
五年ほど前に富山から山口に移っている。

一時消息が途絶えてどうしたのかと思っていたら、
一昨年ひょっこり便りが届き、
二年続けて大手術をしたが
すっかり健康になったとのことだった。

その快気祝いを兼ねて旧交を温めようというのが
Nの提案である。

私に否のあろうはずがない。

思いつく旧友に声をかけ、NはNで呼びかけをし、
東京から、大阪から、広島から、計七人のかつての
淞高生(旧制松江高等学校生のこと)が
Sの住む下関(馬関)に集ったのは、
昨年十一月も末近くであった。

Sは大病した気配など感じさせない元気さで
われわれを迎えてくれた。


      * *


Sが予約していた料亭が集いの場になった。

鬼籍に入った友をしのび、互いの近況を報告し合い、
思い出話にふけるころには本場のフグを肴にした鰭酒が
ほどよく回り、最近の世情に悲憤慷慨する友の姿に、
弊衣破帽で人生を論じ合った
紅顔のむかしが鮮やかに甦ってきた。

やがて宴は終わりに近づいた。


「みんな、ちょっと聞いてくれ」


Nが改まったように言い、ゆっくりと語り出した。


「Sの元気な姿を見るにつけ、
  いまさらのようにSとの出会いが思い出される。
  自分が今日あるのは、Sとの出会いがあればこそなのだ」
  
  
Nは同級生ではあるが、
われわれよりは五歳ほど年上である。

戦争のせいである。


Nは旧満州在学中に徴兵され、敗戦によって
モンゴルに抑留された。
辛酸を嘗めたが、九死に一生を得て帰国。
母と二人の生活は、赤十字病院の売店で働き
どうにか飢えをしのぐ苦しいものだった。

しかし、日が経つにつれ、もう一度学校に行って学び直したい、
という思いが強まってきた。

調べてみると旧制高校への編入試験があり、
Nにも受験資格があることがわかった。

もっともNには五年余りのブランクがあり、
しかも勉強しようにも手元には
一冊の教科書も参考書もなく、
新たに購入する余裕もない。

だが、Nはどうしても進学を
諦めることができなかった。

ある日、病院の売店の前を一人の淞高生が通りかかった。
Nは思わず呼び止め、自分の悩みを打ち明けてしまった。


「わかりました。明日まで待ってください」


淞高生はそう言って去った。

Nは後悔した。

見ず知らずの瀬高生に打ち明けたとて
どうなるものでもない。


ところが次の日、その淞高生は本を何冊も抱えて現れたのだ。


「天にものぼる気持ちだった。
 おかげで編入試験に合格し、
 その淞高生と同級になることができた。
 それがSだったのだ」


初めて聞く話だった。


「学業と仕事の両立には苦労したが、
 その後もSにはいろいろ助けられた。感謝のほかはない」
 
 
目を潤ませて頭を下げるN。
いやいや、と手を振るS。

Nはこの話をしたくて集まりを呼びかけたのだな、と思った。
その気持ちが痛いようにわかった。

Sは侠気に富んだ男である。

そのSに出会えたのは、Nの求める心が強かったからだ、

天が道を開いてくれたのだ、と一同は話し合った。

そんなわれわれの胸に等しく浮かんでいたのは、
若き日に歌った寮歌の一節だった。

「暫(しば)しこの世に宿りせば
 奇しき三筋に結ばれて
 共に起き臥す君と我」


歌詞にある「三筋」とは淞高生の学帽を飾る
三本の白線のことである。

Nはさらに言葉を継いだ。


「Sだけではない。先生方にもお世話になったのだ」


Nは授業料を納めていなかった。
生活が苦しくて納められなかったのである。

卒業間近になって、学校から呼び出しがきた。

授業料が未納では卒業できない、
どうするか、という生徒主事の先生の問いである。

だが、どうすることもできない。

Nはそのように答えた。

生徒主事の先生は溜め息を一つついて、


「そうかね」


と言っただけだった。

われわれは旧制高校最後の卒業生である。
学制改革で淞高は廃校の運命にあった。

留年しようにも学校がなくなるのだ。
Nは中退でも仕方がないと諦めた。

ところが、卒業式のあとで卒業証書が送られてきたのだ。
Nは驚いて、生徒主事の先生や担任の先生に聞いて回った。


「どうしてかわからないが、学校がきみの卒業を
 認めたことは間違いない。
 だから、憚(はばか)ることなく受け取ればよろしい」


先生方の答えは同じだった。


「真相はわからずじまいだったが、
 先生方が代わりに授業料を払ってくださったことは
 容易に想像がつく。
 
 敗戦直後のあの時代だ。
 先生方も決して生活が楽でなかったことは
 みんなも知っているだろう。
 
 にもかかわらず、そこまでしていただいた。
 このご恩は忘れられるものではない」


Nが言葉を切ると、沈黙がきた。
それは感動が熱く渦巻く宝石のような沈黙だった。

あの馬関の集いは、いまも私の胸を離れない。


Nを助けたSの侠気。

そのSへの感謝を忘れないN。

そして、Nをさりげなく助けた恩師たち。


そんな美しい人間の結びつきのそばで
過ごせた青春の日々は、私にとっても
この上なく貴重で幸せな日々だったのだ、
と思わずにはいられない。

そして、こんな素晴らしい人びとと
同じ空気を自分も吸ってきたのだと思うと、
古希を迎えたこの体に、
瑞々しい感性が甦ってくるような気がするのである。


──────────────────────────────────── (以上)



Nさんの悩みを聞いたそのとき、全く見ず知らずだったSさんの言葉、

「わかりました。明日まで待ってください」

そして、

Nさんが授業料が払えないとわかったときの先生の言葉、

「そうかね」

どちらもとても短い言葉ですね。

でも、Nさんは、Sさんに助けられ、そして先生方に助けられました。

 

もしかすると、今は少し言葉が多いのかも知れませんね。

余計な言葉は要らない、大切なのは行動すること。

 

そして、その短い言葉、そしてその善意をしっかり胸を刻み込み、

それこそ何十年か後にその恩を果たすのですから、Nさん、素晴らしいですね。

 


“ユニクロ・柳井正氏が考える「一番いい会社」とは?”

2011-07-08 04:35:35 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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   「僕が考える一番いい会社の条件」
       
       
      柳井正(ファーストリテイリング会長兼社長)

      『致知』2011年2月号
       対談「ドラッカーと本田宗一郎 〜二人の巨人に学ぶもの」より
      http://www.chichi.co.jp/monthly/201102_pickup.html#pick1

                         ※肩書きは掲載当時

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僕が考える一番いい会社とは、
末端の社員でも自分がトップの経営者だと
思っている会社。

自分が全部のことを決められるし、
この会社を支えている、
あるいはコントロールしていると思える社員が
たくさんいる会社です。

それが、大会社になってくると、
会社に使われるようになるんですね。
自分が会社を使うんじゃなく、会社に使われる。

そして自分が下っ端だと思った瞬間にダメになる。


我々の会社でいえば、部長級や課長級がそうなんですが、
自分の立ち位置に捉われ過ぎ。

それぞれの人が自分の立ち位置で物事を考えるから、
ごく限られた範囲内でしか物事が見えない。

そして全部見えていなくて失敗している。
ですから一度、自分もトップの経営者だと思って、
上からいまの仕事を見直したら、
すごく良くなるように思います。


結局、サラリーマン意識じゃダメなんですよ。


自分は会社という場所に、
「自営業」をするために来ている。


自分は給料を貰っている立場だとかじゃなしに、
自分が会社を食わせてる、というふうに
思わないといけないと思います。

────────────────────────────────────(以上)

ここでは、いい会社とはどんな会社なのかというよりも、むしろ、

組織の中で働く自分はどうあるべきか、どのような意識を持つべきなのか、

という個人へのメッセージとして受け取りました。


私もサラリーマンなので、柳井さんの言わんとされていること、よくわかります。

と同時に、日々、常に意識していくのは本当に大変なことだとも思います。


“自分の立ち位置に捉われ”、“ごく限られた範囲内でしか物事が見えな”くなってしまうのは極めて簡単なことです。

組織の中にいると、安心する、居心地がいい、人を批判する、ということになり易いですね。

全く同じことだと思います。

そしてこれは、会社だけではなく、PTAやちょっとした集まりなんかも含めた、ありとあらゆる組織に共通することだと思います。



“自分もトップの経営者だと思って、上からいまの仕事を見直すこと”

“自分は会社という場所に、「自営業」をするために来ている。”

“自分は給料を貰っている立場だとかじゃなしに、自分が会社を食わせてる、というふうに思わないといけない”


私も最近、思い当たることがありましたので、このタイミングで貴重なメッセージを頂いたと思っています。

そして、このメッセージは、一人一人の、今後の“生存”ということを考えてみても、大切なことだと感じています。


“青草も燃える”

2011-07-07 03:15:46 | 日記

致知出版社(http://www.chichi.co.jp/monthly/201108_index.html)「人間力メルマガ」よりです。

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       「人生の師・土光敏夫氏から学んだこと」
       
       
            矢野弘典(中日本高速道路顧問)

        
            『致知』2011年7月号
             連載「私の座右銘」より
            


────────────────────────────────────

 私の人生を支えた信条の一つに、

 
 「青草も燃える」


 という言葉があります。

 青草というのは夏に茂る草のことです。
 冬の乾燥した草とは違って
 水分をたっぷり含んでいるため簡単には燃えません。
 
 しかし、その青草も火種が強ければ一挙に灰になります。
 
 これは土光敏夫さんがご自宅の庭で畑づくりを続けながら、
 実感として得られた言葉です。

 つまり、自分の火種が強ければ
 どんな困難をも克服することができる。
 相手を変えようと思えば、
 まず自分が変わらなければならないという意味です。


 私は昭和三十八年に大学を出てすぐ東芝に入社し、
 川崎にあるトランジスタ工場に配属されました。
 
 当時東芝は経営難に陥っており、
 その再建を任せられた土光さんが
 社長に就任したのは昭和四十年のことです。

 何万人もの社員を抱える
 大企業の社長と二十四歳の駆け出し社員です。
 
 普通なら接点のあるはずがないのに、
 私は幸運にもお目にかかる機会を数多くいただきました。


 土光さんは社長就任後すぐに現場視察を始められ、
 私の居た工場にもお一人でやって来ました。
 視察を終えた後、全従業員を集め、
 
 「力を合わせて会社の業績をよくしよう。
  皆さんは倍働いてください。私は十倍働きます」
  
 と訥々と訴えられました。
 
 驚いたことに、社員は目に涙を浮かべて
 聞き入っているのです。
 その多くは十代の女子社員です。

 私はその時、単なる言葉そのものではなく
 土光さんの全人格、オーラが
 感動を与えているのだと感じました。
 
 後に『正法眼蔵』を読み、
 道元が如浄に会った時の文章
 
 
 「まのあたり先師をみる、これ人にあふなり」
 
 
 という記述に出合った時、
 ああこれだと思ったものです。


 私は真のリーダーたる姿にすっかり魅せられ、
 どうしたらこんなふうになれるのだろうか、
 ということが一生のテーマになりました。
 そして、新聞や雑誌に載っている
 土光さんの記事を貪るように読み始めました。


       * *


 それから八年後、私の人生を変える
 大きな転機が訪れます。
 
 東芝の子会社の朝日木工という会社が業績不振に陥り、
 これを残すか潰すかが本社の大問題になっていました。
 
 役職もない一担当者である私が
 会社の行く末を決める案の作成を命ぜられ、
 何日も徹夜して報告書を作成しました。
 
 当然社長への説明は担当役員がやってくれるだろうと思い、
 検討案を上司に渡して私は事を終えたつもりでいました。

 ところが、報告当日になって急に担当役員に呼び出され、
 私が直接説明するようにと言われたのです。
 
 応接室に入ると大きな長机があって
 奥に土光さんが座っており、
 両側には片方に常務、部長、課長が、
 その反対側には副社長三人が並んでいました。
 
 私が一番手前、土光さんの向かいに座ると
 土光さんはジーッと私の顔を見ました。
 その眼差しは眼光炯々、恐怖ではなく
 畏敬の念を感じさせる眼でした。

 私が説明を始めると一転、腕組みをし
 目を閉じ黙って聞いていました。
 
 私が、この会社は残して再建すべきであると述べ、
 再建策についての説明を終えると、
 今度はバッと目を開けて深く頷き
 「よし」と一言。
 
 これで一諾決裁を得て、その後間もなく
 私は社長付として出向を命ぜられたのです。

 その時、土光さんから餞の言葉としていただいたのが、
 この「青草も燃える」でした。


………………………………………………………………………(以上)


“「力を合わせて会社の業績をよくしよう。
  皆さんは倍働いてください。私は十倍働きます」”

平易な言葉で、多くの社員が泣きました。
 

“単なる言葉そのものではなく
 全人格、オーラで感動を与えること”が出来ること。

“畏敬の念を感じさせる眼”

“バッと目を開けて深く頷き
 「よし」と一言。”

まるで、土光さんが眼前にいらっしゃるかのようです。

真のリーダーの姿に、感動します。


“無私の人”

2011-07-07 03:04:26 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。


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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/7/5】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      財界にこの人ありといわれ、
   国鉄や電電公社の民営化のために
   大ナタを振るった土光敏夫氏。

   晩年、秘書として五年間側に仕えた
   吉良節子さんが語った土光氏との
   貴重なエピソードをご紹介いたします。

 
────────────────────────────────────


       「土光敏夫氏の座右の銘」
       
       
            吉良節子(土光敏夫氏元秘書)
        
            『致知』2003年11月号
             特集「仕事と人生」より
            


────────────────────────────────────

 昭和六十一年、電電公社や国鉄の民営化を
 やり遂げた臨調は解散。
 その功績を認められ、土光さんは民間人では
 初めて生前に「勲一等旭日桐花大綬章」を受章しました。

 その後、次第にお体に無理が利かなくなり、
 ご自宅で静養されるようになりました。
 
 それでも社内には「土光さんの意見を聞こう」
 という案件が多く、私は週に一度はご自宅まで伺っていました。

 神奈川の鶴見にひっそりと佇む土光家。
 「地味で質素」を絵に描いたようなその家は、
 およそ東芝の社長や経団連の会長を
 歴任された方のお宅とは思えません。

 門を開けようとすると「ギーギー」と轟音が響き渡る。
 廊下を歩いてもギシギシいって、
 「女性の私が歩いて穴が開いたら恥ずかしいわ」と
 いつも気を使いながら歩いていました。
 
 冷暖房設備がないあの家に、
 真夏にいらっしゃった方は、
 「あの家は暑くてなぁ」とぼやいていらっしゃいました。


 秘書側が家の修理を申し出ても「まだ使えます」、
 クーラーの取り付けを申し出ても「いりません」の一点張り。
 「営業の話に見えるお客様もいらっしゃいます。
  冷暖房がないと営業上、困ります」
  
 と申し上げると、
 
 「会社が困るなら入れましょう」
 
 と快諾したものの、応接間のみ取り付けを許し、
 自分の部屋に取り付けることは拒みました。

 受勲の際、土光さんは
 
 
 
 「個人は質素に、国は豊かに」
 
 
 
 とおっしゃいましたが、その人生は
 まさに言葉通りだったと思います。
 
 メザシが一番のごちそうで、着飾ることを嫌い、
 背広も鞄も使い古したものを大切に使う。
 ペン一本も、文字が擦れるまで使っても
 「まだ使える、まだ書ける」と言って
 捨てようとなさいませんでした。

 私心なく、公私の別に厳しく、質素を好んだ土光さんが、
 色紙を求められるといつも書いたのは
 
 
 
 「日新 日日新」
 
 
 
 という言葉でした。
 
 出典は中国の古典『大学』で、
 

 
 「きょうという一日は天地開闢以来
  はじめて訪れた一日である。
  
  それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。
  その一日を有意義に暮らすためには、
  その行いは昨日よりもきょう、
  きょうよりも明日は新しくなるべきだ」
  

 
 という意味があるそうです。
 
 それについて、以前土光さんは
 次のようにお話しされていました。



 「一日の決算は一日にやる。失敗もあるであろう。
  しかし、昨日を悔やむこともしないし、
  明日を思い煩うこともしない。
  
  新たにきょうという清浄無垢な日を迎える。
  ぼくはこれを銘として、毎朝
  『きょうを精いっぱい生きよう』と誓い、
  全力を傾けて生きる」



 この言葉に土光さんの人生が
 詰まっているような気がします。

 土光さんが亡くなられた後、
 「日新 日日新」の文字を九谷焼の皿にしたい、
 と熱望される方が現れ、ご協力した関係で
 その一枚をいただきました。
 
 長い間忘れていたのですが、母を亡くしたいま、
 こうして出てきたのです。

 母が亡くなったことに囚われすぎてはいけない。
 過ぎ去りし過去を悔やまず、
 これからやってくる新しい日々を生きていこう。
 
 土光さんの字を拝見し、
 そんな思いが湧きあがってきました。
 清廉の人・土光敏夫さんの生き方は、
 いまなお私を導いてくださるのです。


…………………………………………………………………… (以上)

“門を開けようとすると「ギーギー」と轟音が響き渡る”玄関。

“歩いてもギシギシいって、
「女性の私が歩いて穴が開いたら恥ずかしいわ」と
 いつも気を使いながら歩いていた”廊下。

 
私には、この家をイメージする時、まばゆい光に包まれた家しかイメージ出来ません。


“修理を申し出ても「まだ使えます」、
 クーラーの取り付けを申し出ても「いりません」の一点張り”

“「会社が困るなら入れましょう」
  と快諾したものの、応接間のみ取り付けを許し、
 自分の部屋に取り付けることは拒み”

“ペン一本も、文字が擦れるまで使っても
 「まだ使える、まだ書ける」と言って
 捨てようとなさりませんでした”


感動します。
それはナゼかと考えてみると、土光さんが“無私”ということを本当に日々実践された方だから。

感動します。
それはナゼかと考えてみると、
土光さんご自身にとって、“無私”こそが、本来の自然な姿だったから。
ご自分では、“無私の人”だとは思ってもいらっしゃらなかったのではないでしょうか。

感動します。
それはナゼかと考えてみると、
贅沢したくても、出来なくなるときが実際に来るのではないか、という予感があるから。

それはそんなに遠い時ではないのではないか・・・。
きっと、そんな時に、土光さんの生き方を思い出すのだろう・・・。

土光さんは、贅沢な暮らしが普通に出来る時に、この生き方を選んだのだと。 


“キーワードは江戸時代?”

2011-07-04 05:06:11 | 日記

昨日の日記でも書きましたように、金融、経済は益々大変なことになっていくと思います。

 
そして今、中東の民主化の流れがあります。
これは、自然発生的なものプラス、人為的なものもかなり入っているような気がします。
でも、遅かれ早かれ出てくるものだったのでしょう。
最近は、何となく一進一退のように見えますが、やはり一度始まった動きは、止まらないのではないかと思います。
更に大きなうねりとなって行くのだと思います。
 
そうすると、当然、資源のことが気になって来ます。
石油にしてもこれからまだまだ上がる余地があるのでしょう。
代替エネルギーを含めた新エネルギーが出てくる前に早く価格を上げて、一儲けししてしまいたい、という人もいるかも知れません。
 
食糧も同様ですね。
今、世界的に大きな気象変化が起きています。
地震、火山の噴火、大洪水も起こっていますし、逆に大旱魃で雨が全く降らないところもあります。
夏近くになって雪が降ったり、6月にもう例年の真夏以上の気温になってしまったり。
 
日本もそうですが、米国、中国、オーストラリア、フランス・・・
世界のいたるところでこのような現象が起きています。
そうすると、当然、食糧不足、価格高騰という問題が出て来ます。
 
日本は、原油を100%輸入していますし、食糧も数字のごまかしはあるにしても、かなり輸入していることは確かでしょう。
どんな国でもそうでしょうが、自国の石油や食糧が少なくなって来たら、自国分を優先し、他の国へ送る分をカットするでしょう。
それは仕方のないことだと思います。
 
しかし、そうすると、日本への輸出分が当然カットされることになります。
そんな中で、日本政府が、米の減産を行っていることは信じがたく、全く状況を踏まえていないと言わざるをえません。
むしろ、意図的にやっているのではないか、とさえ思えて来ます。
 
 
そうすると、好むと好まざるにかかわらず、“鎖国”に近い状況になっていくのではないかと思うのです。
以前の日記で、鎖国について触れたことがあります。(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/b4b75ff391f7bb78b47708ab35126abf
鎖国とは、簡単に言うと、江戸時代のような世界に戻っていくということですね。
 
実は、私自身は、それも悪くないのではないか、と思っています。
 
以前、江戸時代に外国から日本を訪問した方々が、その時の日本の姿を書いている本を紹介しました。
 
その方々にとっては、その時の日本はかなり新鮮に見えたようです。
一言で言うと自給自足、そして、その中で“足ることを知る”、という世界だったのだと思います。
今のモア&モアの社会とは一線を画す世界ですね。
 
もちろん、今は、江戸時代から150年以上経っているわけですし、相当違う面はあると思います。
でも、色々参考にはなることはあるのではないでしょうか。
 
それは、大変な試練であることも間違いないでしょう。
 
私自身は、
 
これからの“鎖国”で難局を乗り切った日本の精神性が、世界に広がっていくイメージを持っています。
 


“危機は続くよどこまでも、そして”

2011-07-03 04:49:03 | 日記

先週は、ギリシャ問題が世界の注目を浴びました。

そして議会では、今後5年間の緊縮財政案が何とか通りました。

それが通ることによって、初めて1兆円以上の融資をヨーロッパやIMFから受けられるのです。

結果を見た安心感から、スペインやイギリスも含めたヨーロッパの株式市場は、大幅上昇しました。

 

でも、やはりこれは問題の先送りでしかないのだと思います。

緊縮財政では、税収は伸びません。経済が成長しないからです。

ギリシャでは、最近またデモが激しさを増していますが、これは生活が苦しくなる国民がこの法案に反対しているからです。

その行動には、やはりエゴも入っているのかも知れません。

国民も政府も身の丈以上に今までお金を使ってきたということなのですから。

そして、今の身の丈にあわせることがいやだということなのですから。

 

でも、これから生活が苦しくなるということは本当であり、であれば、今後使うお金は減っていくのでしょう。

いくら節約しても、税収が増えないのであれば、政府の赤字は減りません。

というか、緊縮すればするほど、赤字は増えていくでしょう。

 

問題は、そのことに気がついている人がたくさんいるであろうにもかかわらず、

そのことについて声を上げていう人がいないことです。

 

それはなぜかと言うと、ドイツ、フランス等の比較的裕福な国でも、国民は、ギリシャ等の厳しい国にお金を出すことがいやになって来ているからです。

なんで、ギリシャの為に、自分たちの生活を犠牲にしなくてはならないのかと。

ま、これにもエゴが入っているのかも知れません。

でも更に生活を切り詰めてギリシャにもっとお金を出すのは、当然もっといやなのです。

だから、緊縮政策という間違った政策について、違うのではないか、と声をあげる人はいないわけです。

 

ポルトガルの首相が、最近、ギリシャのやり方は間違っているといい始めています。

緊縮政策は間違っている、お金をもっと使わなくてはならない、と。

それは、全く正しいと思います。

問題は、ポルトガルも他の国の助けがなければデフォルトになってしまうということです。

ポルトガルにお金を出そうかどうか考えている回りの国が、この発言に対してどのように感じるか、ということでしょう。

 

次々と先送りにされて来たこの問題は、近い将来もっと大きくなってまた出てくるでしょう。

そしてその時クリアしたとしても、さらに大きな危機が・・・・。

結局、問題がどんどん大きくなっているのだと思います。

そしてそれを誰も止められない。

止めてしまった時が破局だと。

 

アメリカも同じですね。

政府債務の上限をあげないと、8月2日にはデフォルトを宣言することになります。

そしてそれまでに上限をあげても、またその次が・・・・。

 

先週、空港の入国審査や教師を含めた大規模なストが起こって混乱したイギリスも同じです。

イギリスでは鳴り物入りの緊縮財政を現在実行しつつありますが、国民の大反対を受けるようになって来ました。

 

日本の場合、その国債は95%以上国内で消化されているので、少し事情は異なりますが、やはり今が勝負でしょう。

 

世界的に、政府は、こうした巨大な債務を帳消しにしたくてしょうがないのです。

それは、ハイパーインフレによって行われるのか、単にデフォルトを宣言するのか。

 

国内にお金のある日本の場合、預金封鎖を行ってそれで相殺してしまうという可能性も高いと思います。

以前、日記で紹介させて頂きましたが(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/6e69d624a823105a8d2e6a62909992fb )、

すでに、過去に一度やっているので、行動に移し安いということはあるでしょう。

その場合に備えて、お金や食べ物を少し多めに手元に置いておくということも考えておいた方がいいかも知れません。

それも、一時的な効果にしか過ぎないかも知れませんが。

 

資本主義の限界が、今、世界的に露呈されて来ています。

GDPが成長しないと通用しないモデルである資本主義。

それは、お金を借りると利子をつけて返さないといけないというところから来ているのだと思います。

より多く返さないといけない人は、さらに多くお金を作らなくてはならないという宿命があるからです。

そうすると、企業は成長しなくてはいけないし、個人の収入は増やしていかなければならない。

増やすためにはリスクもとらなくてはならない。

そのようにして、みんなが少しずつ無理をしていく。

 

どこかでこの問題に真正面から向き合い、それを乗り越えていかなくてはなりません。

生きる喜びとは一体なんなのか、ということをもう一度ちゃんと考えて見る機会を頂いているということなのでしょう。

そうすれば、将来、大変な事態が起きたとしても、落ち着いて動いていくことが出来るでしょう。

その中から、次の時代を築く新しい芽が出ていくのだと思います。

 


“菅原文太さん「電力30%減、いいじゃないか」”

2011-07-01 08:01:32 | 日記

毎日新聞の記事よりです。 

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110630ddm013040168000c.html

 山本太郎さん 

「電力会社が最大のスポンサーである芸能界で、異を唱えたら仕事に影響を与えることはわかっていたけれど、今の状況を見過ごすことは人としてありえない、今声を上げなかったら、一生自分を許せなくなると思った」

 

菅原文太さん

「戦後日本は政官財学が癒着して、経済成長優先で原発を造り続けてきたということだろ。そういう仕組みは、ここで断ち切らないと駄目だよな」

「ところが、いまだに聞こえてくるのは『原発がなければ、経済が停滞してしまう』という声ばっかりで、『自然エネルギーに向かおう』という声が聞こえてこないじゃないか」

 「仮に原発をやめて30%の電力が減ってもいいじゃないか。原発を造り始める40年前までだって、別に餓死者が出たわけじゃないだろ。けつをふくのまで電気を使う生活なんて、おかしな話。俺たちが若かったころは、かまどでご飯をたいて、七輪で魚を焼いていた。そういう暮らしの方が、人間が乾かないで済むよな」

 「政治に対してものを言うのは、どんな職業だろうと自由だろ。国民一人一人が、原発に対しての賛否を言ってほしいよね。だから、衆院を解散して総選挙なんかやる前に、原発の是非を問う国民投票をすべきだって言ったんだよ」

「こういう非常の時には、政治家でも学者でも異端が出てこなきゃ困るね。そう、幕末の志士みたいなね」。

 

お二人のコメント、いいですよね。

立場を越えた、心の底からの言葉だと思います。

そして、知りませんでしたが、出身地の福島県郡山市での西田敏行さんの絶叫

 「福島を汚したのは誰だ!」

印象的です。