先週、会社に向かう車で家に引き返し、そのまま日本に飛びました。
最悪の事態は回避されたと思ったところで、スペインに戻って来ました。
しかし、予断を許さない状況が続いています。
かなり遠い場所でも、高い放射性濃度が検出されるようになって来ました。
スーパーやコンビニから、水が消えました。
東電社員の方々、ハイパーレスキュー隊員、消防士、自衛隊員の方々・・・。
現場では、命を懸け、決死の覚悟で働いている方々がいます。
そうした方々、そしてそのご家族のことを考えると、本当に、いくら感謝してもしきれません。
私は、日本の最大の強みは、現場にあると思っています。
愚直なまでの追求心、高いモラル、コミットメント。
今回も、現場の方々の姿が、とても印象的です。
だからこそ、一層、見えて来てしまうことがあります。
日本の政府、官僚機構、マスコミ、そして所謂“専門家”・・・。
有名な“Time”誌に “Is Japan's Bureaucracy Strangling Humanitarian Aid?
(官僚機構が救援を遅らせているのか?」)”というタイトルの記事が出ています。(http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2060773-1,00.html)
(要約:http://gendai.net/articles/view/syakai/129570)
その記事では、被災地に救援物資が届くのに恐ろしく時間がかかっているのは、日本の官僚機構が原因であるとして、具体例を挙げて説明しています。
“日本の船会社が湾岸地域に救援に向かうコンテナ船をヘリの着陸用に提供すると申し出たが、政府は船会社に正式な資格がないことからこの提案を断った。”
“来日した外国人医師団が患者の診察を申し出ても、日本の医師免許がないという理由で門前払い。医師らは医療行為ともいえない最小限の援助活動をするしかなかった。政府は地震から6日後の17日になって外国人医師の医療行為を認める方針を打ち出したが、遅きに失したといわざるを得ない。”
“海外から高齢の被災者のために薬品が寄付されたが、日本の行政当局が承認していないという理由で現地に届けることができなかった。
“輸送業者は許認可特権を持つ官僚ににらまれるのを恐れて表立っては口にしないが、不満タラタラで物資を運ぶ許可を待っている。寄付された物資は地震と津波の数時間後には東京に届いたのに、いまも倉庫に眠っているというからバカげた話だ。”
日本の官僚機構の硬直性に怒りさえ感じます。
しかし、もっと責任が大きいのは政治です。
政治主導と言いながら、それが機能していないのは明らかです。
首相を始めとした民主党の怠慢以外のなにものでもありません。
そして、その事が意図的に行われているのではないということを祈ります。
原発事故、そして放射性物質の拡散についての報道にも憤りを感じます。
その説明内容は、政治家、東京電力、安全院、マスコミ、そしてそこに登場する“専門家”含めて、全ての人たちが安全性を強調し、相変わらず全体像をきちんと説明していません。
例として、一つ挙げて見たいと思います。
関係者は、測定された放射性濃度の数字を説明する際、決められた基準値を一緒に説明することはほとんどありません。
そしてたまに、レントゲンと比べて低い数字だから心配ないと言います。
とんでもないことです。
そもそも、レントゲンで放射線を浴びる時間はほんの一瞬です。
人体に問題ないとされる1年間の被ばく限度は1㍉シーベルト(1000マイクロシーベルト)です。
たまにその数字と比べて説明することがあります。
そして、その数字と比べて濃度は低いから問題ないと言います。
とんでもないことです。
放射性濃度の発表は、1時間当たりの数値です。
年間の許容量と数字を合わせるには、この数字を24時間×365日=8760倍しなくてはならないはずです。
逆に1年間の許容量を、単純に1時間あたりに直すと0.114マイクロシーベルトとなります。
この問題が仮に一年続くとすると、1時間当たりの平均値は、0.114マイクロシーベルトなのです。
仮に1ヶ月で全て解決するとしても、1時間当たりの平均許容量は1.368マイクロシーベルトです。
今、発表されている数字は、いずれもこの数字を大きく上回っています。
限度量自体を上げようとする動きもあるようです。
都合の悪いときに変更する基準とは一体ナンなのでしょうか?
鉛筆をなめて基準を変更しても、人の体は変更出来ないのです。
一事が万事。
政府は、ごまかしたり、ウソを言ったりしないで、きちんと現状を説明し、その上で、考えうるシナリオ、それに伴うリスク、そしてその方策を説明すべきです。
政府の方針に沿わないマスコミ、専門家は排除される、ということも実際に行われているようですが、それは大問題です。
国民の健康、生死にかかわることです。
偽りの情報に基づいて健康を害してしまう方々のことを思うとたまりません。
せめて皆さまには、出来る範囲で自衛手段は取って頂きたいと思います。(3月16日日記)
今回の原発事故では、原子力は、決して人の手に負えるものではないということを痛感しました。
政府がいくら隠そうとしようと、問題は収まっていないどころか、むしろ大きくなっていることがわかります。
何か問題が起きたときに、解決できないということ。
それは、人には原発を扱えないということであり、そもそもそうしたものを持ってはいけない、ということだと思います。
ドイツのメルケル首相は、14日、ドイツの原発の稼働延長計画を3カ月凍結し、総点検する方針を発表しました。
同時に、1970年代半ばに稼働を始めた2基の原発が運転を停止することを決めました。
不思議なことに、日本では、政治家はもちろん、マスコミも専門家も、だれもそういうことを言い出しません。
この事は、ある意味、あらゆる分野に共通する日本の問題だと思います。
今回、そのことが浮き彫りになったということです。
全ての原発の稼動を即刻やめるべきだと思います。
日本には、原発を始めるために、なぜか稼動を止めた火力発電所があります。
実は、そのような既存の発電所を動かして行くだけで、原発を使わなくとも、既存の電力需要が全て賄えるそうです。
とすると、原発を促進して来たのは一体どうしてなのでしょうか?
水エネルギー等の新エネルギー開発を急ぐべきです。
私自身は、今回の問題は、新しい時代に向けて、日本、そして世界が本格的にアクションを起こすまでは、解決しないのではないかと危惧しています。
最悪の事態は回避されたと思ったところで、スペインに戻って来ました。
しかし、予断を許さない状況が続いています。
かなり遠い場所でも、高い放射性濃度が検出されるようになって来ました。
スーパーやコンビニから、水が消えました。
東電社員の方々、ハイパーレスキュー隊員、消防士、自衛隊員の方々・・・。
現場では、命を懸け、決死の覚悟で働いている方々がいます。
そうした方々、そしてそのご家族のことを考えると、本当に、いくら感謝してもしきれません。
私は、日本の最大の強みは、現場にあると思っています。
愚直なまでの追求心、高いモラル、コミットメント。
今回も、現場の方々の姿が、とても印象的です。
だからこそ、一層、見えて来てしまうことがあります。
日本の政府、官僚機構、マスコミ、そして所謂“専門家”・・・。
有名な“Time”誌に “Is Japan's Bureaucracy Strangling Humanitarian Aid?
(官僚機構が救援を遅らせているのか?」)”というタイトルの記事が出ています。(http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2060773-1,00.html)
(要約:http://gendai.net/articles/view/syakai/129570)
その記事では、被災地に救援物資が届くのに恐ろしく時間がかかっているのは、日本の官僚機構が原因であるとして、具体例を挙げて説明しています。
“日本の船会社が湾岸地域に救援に向かうコンテナ船をヘリの着陸用に提供すると申し出たが、政府は船会社に正式な資格がないことからこの提案を断った。”
“来日した外国人医師団が患者の診察を申し出ても、日本の医師免許がないという理由で門前払い。医師らは医療行為ともいえない最小限の援助活動をするしかなかった。政府は地震から6日後の17日になって外国人医師の医療行為を認める方針を打ち出したが、遅きに失したといわざるを得ない。”
“海外から高齢の被災者のために薬品が寄付されたが、日本の行政当局が承認していないという理由で現地に届けることができなかった。
“輸送業者は許認可特権を持つ官僚ににらまれるのを恐れて表立っては口にしないが、不満タラタラで物資を運ぶ許可を待っている。寄付された物資は地震と津波の数時間後には東京に届いたのに、いまも倉庫に眠っているというからバカげた話だ。”
日本の官僚機構の硬直性に怒りさえ感じます。
しかし、もっと責任が大きいのは政治です。
政治主導と言いながら、それが機能していないのは明らかです。
首相を始めとした民主党の怠慢以外のなにものでもありません。
そして、その事が意図的に行われているのではないということを祈ります。
原発事故、そして放射性物質の拡散についての報道にも憤りを感じます。
その説明内容は、政治家、東京電力、安全院、マスコミ、そしてそこに登場する“専門家”含めて、全ての人たちが安全性を強調し、相変わらず全体像をきちんと説明していません。
例として、一つ挙げて見たいと思います。
関係者は、測定された放射性濃度の数字を説明する際、決められた基準値を一緒に説明することはほとんどありません。
そしてたまに、レントゲンと比べて低い数字だから心配ないと言います。
とんでもないことです。
そもそも、レントゲンで放射線を浴びる時間はほんの一瞬です。
人体に問題ないとされる1年間の被ばく限度は1㍉シーベルト(1000マイクロシーベルト)です。
たまにその数字と比べて説明することがあります。
そして、その数字と比べて濃度は低いから問題ないと言います。
とんでもないことです。
放射性濃度の発表は、1時間当たりの数値です。
年間の許容量と数字を合わせるには、この数字を24時間×365日=8760倍しなくてはならないはずです。
逆に1年間の許容量を、単純に1時間あたりに直すと0.114マイクロシーベルトとなります。
この問題が仮に一年続くとすると、1時間当たりの平均値は、0.114マイクロシーベルトなのです。
仮に1ヶ月で全て解決するとしても、1時間当たりの平均許容量は1.368マイクロシーベルトです。
今、発表されている数字は、いずれもこの数字を大きく上回っています。
限度量自体を上げようとする動きもあるようです。
都合の悪いときに変更する基準とは一体ナンなのでしょうか?
鉛筆をなめて基準を変更しても、人の体は変更出来ないのです。
一事が万事。
政府は、ごまかしたり、ウソを言ったりしないで、きちんと現状を説明し、その上で、考えうるシナリオ、それに伴うリスク、そしてその方策を説明すべきです。
政府の方針に沿わないマスコミ、専門家は排除される、ということも実際に行われているようですが、それは大問題です。
国民の健康、生死にかかわることです。
偽りの情報に基づいて健康を害してしまう方々のことを思うとたまりません。
せめて皆さまには、出来る範囲で自衛手段は取って頂きたいと思います。(3月16日日記)
今回の原発事故では、原子力は、決して人の手に負えるものではないということを痛感しました。
政府がいくら隠そうとしようと、問題は収まっていないどころか、むしろ大きくなっていることがわかります。
何か問題が起きたときに、解決できないということ。
それは、人には原発を扱えないということであり、そもそもそうしたものを持ってはいけない、ということだと思います。
ドイツのメルケル首相は、14日、ドイツの原発の稼働延長計画を3カ月凍結し、総点検する方針を発表しました。
同時に、1970年代半ばに稼働を始めた2基の原発が運転を停止することを決めました。
不思議なことに、日本では、政治家はもちろん、マスコミも専門家も、だれもそういうことを言い出しません。
この事は、ある意味、あらゆる分野に共通する日本の問題だと思います。
今回、そのことが浮き彫りになったということです。
全ての原発の稼動を即刻やめるべきだと思います。
日本には、原発を始めるために、なぜか稼動を止めた火力発電所があります。
実は、そのような既存の発電所を動かして行くだけで、原発を使わなくとも、既存の電力需要が全て賄えるそうです。
とすると、原発を促進して来たのは一体どうしてなのでしょうか?
水エネルギー等の新エネルギー開発を急ぐべきです。
私自身は、今回の問題は、新しい時代に向けて、日本、そして世界が本格的にアクションを起こすまでは、解決しないのではないかと危惧しています。