英国やスペインなどの海外にいると、
“自分の国のことを誇りに思う、生まれ育った国を愛している”
ということはごく普通のこととして受け止められます。
“その一体何が問題なの?あなたはそうでないの?”ということになります。
不思議なことに、日本では、“日本の国を愛し誇りに思っている”と言うと、その人は右より、となる傾向があります。
一方、“私は、平和を愛している”と言うと、なぜか左より、となる傾向があります。
私自身は、日本を愛し、平和を愛しています。
そして、そうした方々は多いでしょう。
その場合、私たちは、右よりなのでしょうか、それとも左よりなのでしょうか?
そう考えると、そもそもこの定義自体にムリがあることがわかります。
国を愛することも、平和を愛することも、自然なことでしょう。
そもそも、国を愛することと平和を愛することが、対立概念になるはずがないのです。
以前、学校の行事で、国歌を流したり、国旗を掲揚することは自然なことでした。
今は、そうした学校は少ないと聞きます。
その件で、大論争になったり、裁判になったりします。
とても不思議なことだと思います。
自己は、それを取り巻く環境の中で形成されていくと言います。
自分が生まれ育った地域、そして国は、自分を形成してくれた地です。
自分を育んでくれた地を愛せない人に、自分を愛することが出来るでしょうか。
自分を愛することが出来ない人に、他の人を本当に愛することが出来るでしょうか。
私自身は、日本の明日を担っていく子供たちに、自分の国の大切さを伝えていくことが出来ない教育者は、教育者とは言えないと思っています。
また、政治家の中にそんな人たちがいるとしたら、その国民を正しく導いていくことは出来ないと思っています。
国旗を掲揚したり、国歌を歌わないのは、軍国化に繋がるから、と言う人がいます。
平和の大切さを、子供たちにきちんと伝えて行けばいいだけでしょう。
子供たちの方が、大人よりも本質を理解することが出来るでしょう。
オリンピック等のスポーツの世界ではそうしたことが自然に行われているのですから。
完璧な人というのはいないでしょう。
いいところもあるけど、欠点もたくさんある、それは当たり前のことだと思います。
でも、そんな自分を丸ごと愛することが出来なくて、一体誰が自分を愛してくれるのでしょう。
欠点もたくさんあるけども、いいところもたくさんある日本を、日本人である私たちが愛することが出来ずに、誰が愛してくれることでしょう。
国を愛し、平和を愛すること。
それが、これから日本がよくなっていく出発点なのだと思います。
“自分の国のことを誇りに思う、生まれ育った国を愛している”
ということはごく普通のこととして受け止められます。
“その一体何が問題なの?あなたはそうでないの?”ということになります。
不思議なことに、日本では、“日本の国を愛し誇りに思っている”と言うと、その人は右より、となる傾向があります。
一方、“私は、平和を愛している”と言うと、なぜか左より、となる傾向があります。
私自身は、日本を愛し、平和を愛しています。
そして、そうした方々は多いでしょう。
その場合、私たちは、右よりなのでしょうか、それとも左よりなのでしょうか?
そう考えると、そもそもこの定義自体にムリがあることがわかります。
国を愛することも、平和を愛することも、自然なことでしょう。
そもそも、国を愛することと平和を愛することが、対立概念になるはずがないのです。
以前、学校の行事で、国歌を流したり、国旗を掲揚することは自然なことでした。
今は、そうした学校は少ないと聞きます。
その件で、大論争になったり、裁判になったりします。
とても不思議なことだと思います。
自己は、それを取り巻く環境の中で形成されていくと言います。
自分が生まれ育った地域、そして国は、自分を形成してくれた地です。
自分を育んでくれた地を愛せない人に、自分を愛することが出来るでしょうか。
自分を愛することが出来ない人に、他の人を本当に愛することが出来るでしょうか。
私自身は、日本の明日を担っていく子供たちに、自分の国の大切さを伝えていくことが出来ない教育者は、教育者とは言えないと思っています。
また、政治家の中にそんな人たちがいるとしたら、その国民を正しく導いていくことは出来ないと思っています。
国旗を掲揚したり、国歌を歌わないのは、軍国化に繋がるから、と言う人がいます。
平和の大切さを、子供たちにきちんと伝えて行けばいいだけでしょう。
子供たちの方が、大人よりも本質を理解することが出来るでしょう。
オリンピック等のスポーツの世界ではそうしたことが自然に行われているのですから。
完璧な人というのはいないでしょう。
いいところもあるけど、欠点もたくさんある、それは当たり前のことだと思います。
でも、そんな自分を丸ごと愛することが出来なくて、一体誰が自分を愛してくれるのでしょう。
欠点もたくさんあるけども、いいところもたくさんある日本を、日本人である私たちが愛することが出来ずに、誰が愛してくれることでしょう。
国を愛し、平和を愛すること。
それが、これから日本がよくなっていく出発点なのだと思います。