"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“日本、平和を愛すること”

2011-03-08 04:35:43 | 日記
英国やスペインなどの海外にいると、

“自分の国のことを誇りに思う、生まれ育った国を愛している”

ということはごく普通のこととして受け止められます。

“その一体何が問題なの?あなたはそうでないの?”ということになります。

不思議なことに、日本では、“日本の国を愛し誇りに思っている”と言うと、その人は右より、となる傾向があります。

一方、“私は、平和を愛している”と言うと、なぜか左より、となる傾向があります。

私自身は、日本を愛し、平和を愛しています。

そして、そうした方々は多いでしょう。

その場合、私たちは、右よりなのでしょうか、それとも左よりなのでしょうか?

そう考えると、そもそもこの定義自体にムリがあることがわかります。

国を愛することも、平和を愛することも、自然なことでしょう。
そもそも、国を愛することと平和を愛することが、対立概念になるはずがないのです。


以前、学校の行事で、国歌を流したり、国旗を掲揚することは自然なことでした。

今は、そうした学校は少ないと聞きます。

その件で、大論争になったり、裁判になったりします。

とても不思議なことだと思います。


自己は、それを取り巻く環境の中で形成されていくと言います。

自分が生まれ育った地域、そして国は、自分を形成してくれた地です。

自分を育んでくれた地を愛せない人に、自分を愛することが出来るでしょうか。

自分を愛することが出来ない人に、他の人を本当に愛することが出来るでしょうか。


私自身は、日本の明日を担っていく子供たちに、自分の国の大切さを伝えていくことが出来ない教育者は、教育者とは言えないと思っています。

また、政治家の中にそんな人たちがいるとしたら、その国民を正しく導いていくことは出来ないと思っています。

国旗を掲揚したり、国歌を歌わないのは、軍国化に繋がるから、と言う人がいます。

平和の大切さを、子供たちにきちんと伝えて行けばいいだけでしょう。

子供たちの方が、大人よりも本質を理解することが出来るでしょう。

オリンピック等のスポーツの世界ではそうしたことが自然に行われているのですから。


完璧な人というのはいないでしょう。

いいところもあるけど、欠点もたくさんある、それは当たり前のことだと思います。

でも、そんな自分を丸ごと愛することが出来なくて、一体誰が自分を愛してくれるのでしょう。

欠点もたくさんあるけども、いいところもたくさんある日本を、日本人である私たちが愛することが出来ずに、誰が愛してくれることでしょう。


国を愛し、平和を愛すること。


それが、これから日本がよくなっていく出発点なのだと思います。

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