"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“本性が現れるということ”

2011-03-23 02:20:22 | 日記
福島原発の件、まだまだ予断を許しませんが、最悪の事態も想定されていた中で、冷却活動も進展を見せ、電源も繋がり始め、峠を越えつつあるように思います。

しかし、今、わかっていることだけでも問題点がたくさんあることは明白です。

政府は、今回、“とにかく安全なので、風評に惑わされないで冷静に”、という説明を繰り返して来ました。

しかし、そのことがかえって風評を呼び、国内だけでなく海外でも不安が高まった大きな要因になったと思います。

スペイン政府、飛行機をチャーターし、自国民を救出すると発表しましたが、在日スペイン人に連絡が行かなかったり、大半の人は日本人と結婚しており、配偶者や子供たちが日本出国を拒否したため、定員450人に対して150人しか集まらず、しかも日本への往路は、飛行機をカラで飛ばして必要物資も届けることがなかったため、税金の無駄遣いとして今、パッシングを浴びています。

そうした混乱はスペインだけではありません。

日本政府の情報開示に対して懸念を持った多くの外国人が、日本を脱出して行きました。


私が今でもよくわからないのは、事故のあった発電所では、地震や津波の後、“核分裂”が起きていたのかどうかということです。

核分裂反応が連鎖的に起きるいわゆる“臨界”が起きれば、それは、まさにチェルノブイリ事故の二の舞です。

しかし、様子を見ていると、どうもそうではないようです。

報道から推測する限り、原発が運転していた時に出来た生成物が、熱を発して漏れている、という状況のようです。

“核分裂”が起きていないのであれば、チェルノブイリ事故までの話にはならないはずです。

少なくとも、想定外の大地震でも、“臨界”は止めることが出来たわけです。

今回それが出来たということは、それが機能しなかった可能性のことを考えると、今後の見通しという面で、大変大きな違いがあったはずです。

だから、政府はまずそこを説明すべきで、その上で、考えられるリスクやその可能性、そしてそれに対する対応についてアナウンスすべきだったと思います。

どうも、心配ないと説明することが目的となってしまって、現状やリスクの説明を回避する大方針があったように思います。

そして、この件に限らず、必要な説明をせずにごまかして来た政府のやり方に対して、今回、日本国内も海外もそのことに気づき、それに対してNOと言った、ということであったと思います。


こうした限界状況においては、その人の本当の姿が現れて来ます。

カイワレ大根を食べて安全をアピールした菅首相は、同じやり方を今回も取ろうとしたようです。

原発を見学した後、自ら原発に強いと豪語し、大丈夫、と党首会談で胸を張った時、すでに最初の爆発が起きていました。

炉心内の燃料が溶けているとみてよい、と記者会見した原子力安全保安院の担当者を更送する一方で、東京電力を、「撤退した時には、東電は100%つぶれます」と恫喝しました。

更に、福島第1原発での放水作業をめぐっても「速やかにやらなければ処分する」との圧力発言をしました。

自民党の谷垣総裁を内閣に加えようとしたことも含めて、その考え方の根底にあるのは、自らの存続であるように思います。


東京電力の官僚的な対応も、今回大きな批判を浴びました。

関連して、中部電力は、以前、浜岡原発について、住民より運転差し止め訴訟を受けています。

2007年2月の静岡地裁での証人尋問の際、“非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、中部電力側は、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」”と述べていました。

そして、この時、裁判所も中部電力側について、住民側の主張を棄却しています。


フジテレビの記者たちが、首相の会見中、「笑えてきた」、「ふざけんな」などと私語していた音声が放送されました。

これも、今まで決して出て来なかったマスコミの本音が、そのレベルとともに表に現れて来た例だと思います。


一方で、

シンディローパーさんは、引き続き地震の恐れがある中、

“日本の人を励ましたい、それが歌手として出来ること”、

と言ってコンサートを強行しました。

被災地に居合わせて、津波の被害を目の当たりにしたサンドイッチマンさんたちは、義捐金活動を始めました。



避難所における子供たちの力強さには、本当に熱いものがこみあげて来ます、

「生きていることを喜ぼう」という垂れ幕を、いち早く作って被災者を励ましたり、

お年寄りに様々なサポートをしていくチームを作り、実行していったり、

届いた救援物質を、だれに頼まれるわけでもなく、手分けして運んだり・・・。


毛布を運んだNPOの方が、

“私の方が子供たちに励まされた”

とおっしゃっていました。

自らが、今回の地震や津波の被災者であり、未だに親が見つかっていなかったり、家がなくなってしまった子供たち・・・。


今朝、日本を離れ、スペインに戻ります。

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