"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“放射能対策について”

2011-03-15 03:37:35 | 日記
福島第一原発の三号機も爆発しました。

一号機、他機の事も含めて、風向きによっては放射性が広がっていく可能性もあると思います。

政府の発表は、あくまでも政府の発表であると受け止めて、自分たちで出来ることはやって行った方がいいのではないかと思います。

“雨には当たらないようにしましょう。

帽子を被り、顔はマスク、濡れタオルで覆い、極力皮膚をさらさないようにしましょう。

外出用の洋服と家の中の洋服を分別した方がいいようです。

今のうちにきれいな水道水をたくさん貯めておきましょう。

乾燥昆布等の海草類を食べるといいようです。

添加物の入った食物は控えて、つけものや梅干し等の発酵食品を取るといいようです。”(http://kikuchiyumi.blogspot.com/2011/03/blog-post_13.htmlより抜粋)


にがりの入った粗塩を多くとるのもいいようです。浄化作用があるそうです。

やはり、添加物の入った食卓塩は控えた方がいいようです。


それから、心の持ちようはとても重要だと思います。

かえって、万全な準備よりも、静かに、そしてポジティブに考えていくことの方が大切だと思います。


日本という国も、人の体と同じなのではないかと思います。

体に傷ついた部分があれば、他の健康な力を使って、その傷を癒し治していくのだと思います。

なので、無事な方々は、前向きに元気に過ごしましょう。

日本人のよさでもあるのですが、なんでもかんでも自粛ムードになることは避けた方がいいのではないかと思います。

そして、経済活動の流れを止めないようにしましょう。

日本の血の巡りを良くしましょう。

被害のあった地域、皆様に、暖かい血液、体温、生きる喜びを送りましょう。


スペインの知人、お客様から、お見舞いのメールや電話を頂きます。

一回しか会ったことのない方からも、連絡を頂きます。

本当にありがたいことで、涙が出そうになります。

“こうした状況下でも、協力しながら冷静に行動する日本人は素晴らしい”、と言ってくれます。

そのようにして、過去幾多の危機を乗り切って来たのだと思います。

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“今、私たちが出来ること”

2011-03-14 03:17:26 | 日記
東北関東大震災について、心を痛めていらっしゃる方、多いと思います。

多くの方々が亡くなっています。

ご家族と生き別れになってしまった方々もいらっしゃいます。

住む家を失って、これからどうやって生活したらいいのか、先が見えないと感じている方々もたくさんいらっしゃいます。

昼夜を通して人命救助に当たられている方々、水、食糧、毛布等の救援物資をお届けすべく全身全霊をかけていらっしゃる方々、体の不自由な方々の介護をされる方々・・・。

頑張っていらっしゃる方々がたくさんいらっしゃいます。

被災された方々の為に、自分はいったい何が出来るのかと、もどかしく思っていらっしゃる方もいるのではないかと思います。


先日の日記で、ある手紙を紹介させて頂きました。

それは、卒業式まであと半年で、大学を離れざるを得なかった生徒が、卒業式の日、恩師の山村先生に宛てた手紙でした。
(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/3b0f89389287d1011235efc3cf7b8058)


その手紙の中にあった言葉です。

“先生、教えてくれましたよね。私達に。

「私は弱い人間です。あなたたちだけではありません。
だから一緒に、こんな弱い自分から今日こそ抜け出しましょう」って。

そして

「みんな太陽のようになろうよ」 

とも言いました。

「知らず知らずのうちに相手の心を開かせるような、

そんな太陽のような人になろうよね」って。”


私たちは、今の生活を、目一杯楽しんでいいのだと思います。

ひとりひとりが太陽となって。

被災された方々に、生きる喜びを、全身でお届けしたいと思うのです。

気持ちが折れそうになっている被災地の皆さんが、明日からまた頑張って行けるように。


ある方から、頂いたメッセージです。

“心配する心を自分に向けてみて下さい。

そのことを決して自分は望んでいないことを。

犠牲者に対して自分の出来ることは哀悼の意をあらわすことではなくて、

生きる幸せを表現するだけだと思います。

「宇宙との調和」与えられた力を、場を選ばずに楽しんで下さい。”


今、私もそのように思っています。

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“福島原子力発電所”

2011-03-13 05:10:06 | 日記
昼夜もなく働いていらっしゃるたくさんの方々、助け合い励まし合っていらっしゃる皆様の様子、こちらでも感じています。感謝の気持ちで一杯です。

避難場所までたどり着けなかった女性が、歩道橋の上に緊急避難した際、連れていた5カ月の赤ちゃんとその方が、少しでも暖かく過ごせるようにと、そこにいらした皆さんで囲んで温めてくださったこと、その方が涙ながらに語っていらっしゃいました。

自分の街が、どんどん進んでくる津波に壊されていく様子を目の当たりにして、お母さんに抱かれて泣く子供たちの姿もありました。


私は、菅首相の演説はとてもよかったと思います。
原稿もほとんど見ず、現場で頑張る方々と気持ちを共有しているように思えました。

一方で、大変気になっていることがあります。

福島の原発事故の件です。

もちろん緊急事態なので、想定していないことが色々起こったり、説明、そして質問に対する答えも慣れていなかったりすることは当然だと思います。

でも、あまりにもその説明に整合性が欠けているように思うのです。

枝野さんは、満を辞して避難範囲を20キロに拡大したと言います。

でも、その説明通り、“格納容器とウラン燃料を納めた原子炉圧力容器は無事”なのであれば、それがわかってから範囲を広げる必要はないのではないのでしょうか。

実際、避難場所を一日に4回も変わることになって、寒さの中の移動で疲労困憊していらっしゃる方のコメントもありました。

写真を使っての説明がありましたが、爆発後、一番上の外壁部分だけがきれいに飛んでいる写真、なにか違和感を感じました。

NHKで、爆発前と爆発後の2枚の写真を出していましたが、その時の爆発後の写真と、この新しく出された拡大写真を比べると、目測ではありますがかなり違っているように思えます。

実は、BBCでは、爆発の瞬間をビデオで流しています。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12721498

これを見ても、上の部分が少しだけきれいに吹き飛んだという写真とはかなり様子が異なっているように思えます。

更に、このビデオを、なぜ日本で流さないのか、とも思います。

また、単に熱くなった水素が酸素と結合して爆発した、ということと、実際に被爆者が出ていることとの整合性も、明確ではないように思えます。

一方で、菅首相が、爆発のことを党首会談で隠していたことが明らかになっています。
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E3E0E2E3868DE3E0E2E1E0E2E3E39793E6E2E2E2

今、一番大切なことは、海水を入れて冷やすというプロセルが一体どうなっているのかということだと思います。

この話が出てからかなり時間が経っていますが、今中断しているという話もあり、どうなっているのか不明です。


そうしたことを考えてみると、色々なことが起こっているのに、それを隠そうしているのではないかと思えて来るのです。

もしそうだとしても、それは、国民がパニックを起こさないためにそうしていることなのかも知れません。

現場の方々は懸命の作業をされていると思います。

でもやはり、私は、政府は、今起きていることを、そのリスクを含めてきちんと国民に説明するべきだと思います。

少なくとも、昨晩の原子力公安院の会見は、かなり問題の多いものだったように思います。


私は、この件に関してきちんとした結論が出て、安全性が確認出来るまで、日本のすべての原子力発電所を一度止めるべきだと思っています。

今回の地震は、大変広い範囲で連動して起きたものです。

今後、九州含めて他の地域でもまだまだ油断は出来ないと思います。


もちろん、全ての原子力発電所を止めるということは、生活面、産業面において、相当な支障をきたすことになると思います。

しかし、優先すべきは、まず安全だと思うのです。

実は、次の時代に繋がるエネルギーの開発は、かなり進んでいます。

今、そうした新エネルギーの開発、商業化を早急に進めるべきだと思います。

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“東北地方太平洋沖地震”

2011-03-12 09:00:03 | 日記
被害に遭われた方々のご冥福と、皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。

政府の地震調査委員会も、

「地震の震源域は岩手県沖から茨城県沖まで広範囲にわたっていると考えられ、個別の震源域が連動して発生した想定外の地震だった」

というコメントを発表しています。

私も、画面が映し出される度に、大きなショックを受けました。

不安と怒り、そして悲しみに包まれました。

実際に現場にいらっしゃる方々のご苦労を思うと、本当に胸が詰まります。

しかし、やはり不安や怒り、悲しみは、それを乗り越えて行かなければならないと思うのです。


日本、そして日本人の強さは、みんなでお互いに助け合いながら、一緒に進んでいくことです。

今回、特に大きな被害に遭われた東北、その地は必ず復活します。

そして、その為には、今回の災害に直接遭わなかった私たちも、現地の方々のご苦労を自分の身に受けとめながら行動して行くことがとても大切だと思います。

先日の日記で書きました日本と世界の関係で考えると、アジア、特に中国がどこかで動いていくのかも知れません。

今、世界中で起きている様々なことは、まだ、広がっていくのかも知れません。

しかし、いつも絶対に希望を持ち続けること。

今、経験している一つ一つのこと、そして、こういう時にはこうだった、という感覚をしっかり胸に刻んでおくことは、必ず今後に繋がっていくと思います。

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“世界が愛した日本”四條たか子著

2011-03-10 06:45:17 | 日記
この本には、過去の日本外交の結果、今なお他の国の人々の記憶に残り、感謝頂いている8つのエピソードが書かれています。

それは、ポーランド人のシベリア孤児の救済の話であったり、ユダヤ人6000人を救うビザの発行を行った外交官の話であったり、日韓の架け橋となった李方子妃の話であったりと、その舞台も主人公も様々です。

しかし、そこから見えて来るのは戦後教育を受けて来た私たちが、今まで聞いたこともない、日本人による心を洗われるような決断、行動の数々です。


その中から、私の日記の中でも何度か名前が出た“エルトゥールル号の恩返し”について触れたいと思います。


1985年、イラク当時のフセイン大統領が、

“「今から48時間後、イランの上空を航行するすべての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」”

と爆弾発言をしました。

当然、各国政府は、その間に自国民をイラクから脱出させようと奔走しました。

日本大使館からも450人の在留邦人に対して出国勧告が出ました。

しかし、“イラクとの間に定期便を持たない日本人には脱出する術がなかった”のです。

かつ、日本政府の対応も遅れました。

“在留邦人が多く暮らすテヘラン市北部がたびたび爆撃されたにもかかわらず、外務省には「ミサイル攻撃ではない」という楽観論さえあったという。”状態でした。

結果、状況判断の時期を逸し、飛行機による救援が不可能となりました。

“この時点でテヘランに取り残された日本人は200人以上。しかもその中には82人の女性や子供が含まれていた”のです。

“誰もが希望を失いかけたその時、三日月と星が鮮やかに輝く飛行機がテヘランの国際空港に到着”します。

取り残されていた日本人を乗せて飛び立ったのです。

トルコ航空、2機の飛行機でした。

“それは、タイムリミットまであと3時間という、まさに間一髪の出来事だった”のです。

トルコの当時の首相、オザル首相が、電話一本即決で決めたことでした。

“しかし、なぜ、トルコが日本のために?その理由を日本の政府もマスコミもわかりませんでした。”

後日、駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表します。

“「エルトゥールル号の借りを返しただけです」”


舞台は、それから95年前の1890年、大島に立つ灯台に移ります。

その“宿直室に、突然、全身ずぶ濡れの大男が倒れ込むように入って”来ました。

その時、そこは大型台風の直撃を受けていました。

身振り手振りでのやり取りで、トルコの船が沈没したことを理解したところから、島をあげての救助活動が始まります。

船は、岩礁に激突して砕け散り、650名のうち生存者は69名、うち68名が負傷者という大惨事でした。

しかし、村民たちの献身的な看護活動により、以後、この中から一人も死者が出ることはありませんでした。

大島村は、半農半漁の貧しい土地でした。

“おまけにこの年は漁獲量も少なく、米価の暴騰などで食料事情は最悪だった。

自分たちでさえ飢えを凌ぐのに精一杯という状況の中、それでも村民たちは貴重な米を炊
き出し、蓄えていたサツマイモをふかして出した”のです。

“家々で時計代わりに飼われていたニワトリは、村人の最後の非常食でもあったのだが、これもありったけ集められ遭難者たちに振舞われ”ました。

こうした島民の献身的な救助活動は、95年前の恩を覚えていたトルコの首相、そして命をかけたトルコ航空の乗務員によって、また報われたのです。


このエピソード、教訓も多いと思います。

私たちは、トルコでは教科書にも出ているというこのエルトゥールル号のことを知りません。

だから、イラクの非常事態の時も、なぜトルコが危険を冒してまで日本人を助けてくれたのか、知る人がいなかったのです。

“『朝日新聞』では、日本とトルコがイラン、イラクと等距離外交をとっていることや日本のトルコに対する経済援助を理由として解説した。”

その『朝日新聞』に対し、当時の駐日トルコ大使は、

“「純粋に人道的見地から発したトルコ航空の今回の措置を、日本とトルコの経済協力関係、つまり、日本からトルコへの経済協力に結びつける見方があり、それが貴紙によって報道されたことに深い悲しみを覚えています」”

私も、大使と同じ悲しみを感じると同時に怒りを覚えます。

トルコの方々に本当に申し訳ないと思います。

そもそも、日本人の方々がイラクに取り残されたのは、日本政府、官僚の判断ミス、対応の遅れによるものです。

エルトゥールル号のことが、日本で知られていないということも、マスコミの姿勢が多分に影響していたのです。

まさに、今、このときにも繋がるような状況だと思います。

ここに挙げられた8つのエピソード、いずれも素晴らしい日本人の話です。

そうした事実をきちんと伝えて、引き継いでいく必要があると強く感じます。


全く別の話なのですが、情報の問題という面で共通する話があります。

今回のニュージーランドの地震のことです。

実は、NZ政府が非常事態宣言を出し、安全確保を最優先する中で、日本のマスコミの行動が、現地で大きな問題となっていたそうなのです。

1.2月24日に、二人の日本人ジャーナリストが深夜、病院に侵入し、日本人被災者にインタビューをしようとした。これは、NZ警察により治安を乱す行為と判断され、二人は逮捕された。
ソース:http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10708443

2.5人のジャーナリストが、CBDクライストチャーチ非常事態警備地域(現場規制地域)に押し入ろうとして、取材許可証を剥奪された。これに関し、治安保全官であるスティーブ・ブレイジア(Steve Brazier)は、
「現場規制を破ろうとする者は、排除か逮捕されるのが通常だ」
 と述べている。ただし5人全てが日本人では無い。
ソース: http://tvnz.co.nz/national-news/christchurch-earthquake-wednesday-happened-4043149

3.3月1日は、NZ首相ジョン・キーの呼びかけで、2分間の犠牲者への黙祷が行われた。ところが、この黙祷の最中に、日本人記者は被害者達に話しかけ、その配慮に欠けた無神経さをNZ人に非難された。
ソース:http://twitter.com/#!/search?q=%23eqnz

(三橋貴明氏のブログ内、竹本秀之様からのご投稿「NZ地震報道取材を考える」より引用)

その行動自体も許せませんが、更に問題なのは、私たちがこの事実を全く知らされていないということです。

なんと、“日本メディアは報道協定で、これを一切、報道しないことにしたらしい”のです。

決して許されないことだと思います。

正しい情報が正しく流れれば、日本はもっともっとよくなります。

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“日本、平和を愛すること”

2011-03-08 04:35:43 | 日記
英国やスペインなどの海外にいると、

“自分の国のことを誇りに思う、生まれ育った国を愛している”

ということはごく普通のこととして受け止められます。

“その一体何が問題なの?あなたはそうでないの?”ということになります。

不思議なことに、日本では、“日本の国を愛し誇りに思っている”と言うと、その人は右より、となる傾向があります。

一方、“私は、平和を愛している”と言うと、なぜか左より、となる傾向があります。

私自身は、日本を愛し、平和を愛しています。

そして、そうした方々は多いでしょう。

その場合、私たちは、右よりなのでしょうか、それとも左よりなのでしょうか?

そう考えると、そもそもこの定義自体にムリがあることがわかります。

国を愛することも、平和を愛することも、自然なことでしょう。
そもそも、国を愛することと平和を愛することが、対立概念になるはずがないのです。


以前、学校の行事で、国歌を流したり、国旗を掲揚することは自然なことでした。

今は、そうした学校は少ないと聞きます。

その件で、大論争になったり、裁判になったりします。

とても不思議なことだと思います。


自己は、それを取り巻く環境の中で形成されていくと言います。

自分が生まれ育った地域、そして国は、自分を形成してくれた地です。

自分を育んでくれた地を愛せない人に、自分を愛することが出来るでしょうか。

自分を愛することが出来ない人に、他の人を本当に愛することが出来るでしょうか。


私自身は、日本の明日を担っていく子供たちに、自分の国の大切さを伝えていくことが出来ない教育者は、教育者とは言えないと思っています。

また、政治家の中にそんな人たちがいるとしたら、その国民を正しく導いていくことは出来ないと思っています。

国旗を掲揚したり、国歌を歌わないのは、軍国化に繋がるから、と言う人がいます。

平和の大切さを、子供たちにきちんと伝えて行けばいいだけでしょう。

子供たちの方が、大人よりも本質を理解することが出来るでしょう。

オリンピック等のスポーツの世界ではそうしたことが自然に行われているのですから。


完璧な人というのはいないでしょう。

いいところもあるけど、欠点もたくさんある、それは当たり前のことだと思います。

でも、そんな自分を丸ごと愛することが出来なくて、一体誰が自分を愛してくれるのでしょう。

欠点もたくさんあるけども、いいところもたくさんある日本を、日本人である私たちが愛することが出来ずに、誰が愛してくれることでしょう。


国を愛し、平和を愛すること。


それが、これから日本がよくなっていく出発点なのだと思います。

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“たった一人の卒業式”

2011-03-05 05:12:39 | 日記
毎月、日本から送って頂いている雑誌に、『到知(ちち)』という雑誌があります。

“人間学”を扱い、毎月テーマを決めての対談、随筆、体験談等が掲載されています。

ちなみに4月のテーマは、“先師先人に学ぶ”です。(http://www.chichi.co.jp/)

“おかみさん便り”、というメールも頂きます。

日本の自然の写真、季節折々の言葉、その季節で思い出される話等をお送り頂きます。

下記は、ぞの中から、卒業式の日、大学の先生に送られたある生徒からの手紙です。

本来は、その卒業式に参加しているはずなのですが、途中でその大学をやめざるを得なくなり、卒業式の日、会社の休み時間に一人でおにぎりを食べています。


こうした環境の中にいらっしゃる方々が、日本にも多くいらっしゃること、

今後、そうした方々が出ない世界を作ること、

そして、もし出てしまっても、そっと寄り添って励まし続けていこう、と思います。


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山村先生

きょうは記念すべき日なんですよね。私達大学の卒業式です。

ほんとうなら今頃、卒業式の会場で“仰げば尊し”を歌っているはずなのですが、
私は今ひとり近くの白川公園で“下町の太陽”を口ずさみながら、
昼食におにぎりを食べています。

毎日自分で作って、会社の昼休みにこの公園でひとり食べています。
外食はいっさいしたことがありません。

どうしても喉が乾いた時だけは、自販機の缶コーヒーを飲む程度です。
きょうも仕事が5時に終わったら、
また6時から12時まで別のところでアルバイトです。

もうこんな生活が半年位続いています。

先生。きょうもいい天気ですよ。3月とは言え、太陽がとても眩しくて・・・。
やっぱりこの歌、歌っています。

そう言えば山村先生は講義が始まる前の“おはよう”の挨拶がわりに、
そしてまた私達のクラスが何となく元気がない時に、

「みんなどうしたの?こんなに天気がいいというのに・・・」

と言いながら、よくこの歌、歌っていましたよね。

先生が「みんな知っているでしょ。“下町の太陽”」
と聞くと「知らないよ、そんな古い歌」と笑われながらも、
先生が何度も歌うものだから、そのうちみんなも覚えてしまいましたね。

今から約2年前。

山村先生が初めて私達の大学へ着任された日の4月。私もこの大学の新入生でした。
この大学に来て、山村先生にも会えたし、学校の雰囲気もよく、
私はこの大学が気に入り、嬉しくて仕方がないと思っていた入学式の1週間後でした。

友達もでき大はしゃぎで家に帰ったその晩、
私の父の経営している会社が倒産したことを、父から知らされたのです。

陶器を輸出している小さな会社でした。
でも不債額が多かったため、家や土地も全部取り上げられることになりました。

毎日家に帰ると、紙が貼られた家具や電化製品がひとつづつなくなっていくのです。
ついに冷蔵庫もテーブルもなにもかもなくなってしまいました。

母が勤めはじめました。
でも私はそのまま大学に通っていたのです。
弟もいました。高校生です。何としてでも高校だけは出さなくてはと、
私は4時半に授業が終わるとすぐアルバイトに出かけました。

夜中の12時まで働くので、最初は夕食が込になっていたはずなのに、
実際働いてみると夕食が出ないどころか、食べる時間さえないほどの
忙しい仕事場でした。

夜中の1時頃帰宅すると、何もなくなってしまった台所の床に
サランラップに包んだ小さなおにぎりが2個、いつも置いてありました。
これが私の夕食です。毎晩、母が作って置いてくれるんです。

その後、父は蒸発し、見つかった時自殺未遂をしました。

私達家族は家を追い出され、小さなバラックのようなところに
移り住むことになりました。

この時点で大学をやめることを迫られていました。
でも私は絶対にやめませんでした。

朝、学校に行く前の早朝2時間、学校が終わってからの6時間。
土曜、日曜も返上し、私は夢中で働きながら、
こうやって1年半を過ごしたのです。

でも、とうとう大学をやめなければならない時が来ました。
行政体の手が私のところまで伸びてきたのです。

負債額も多く、また債権者が何人もいる場合は、
その債務者の家族が大学へ行くことは許されないということでした。

あと半年で卒業できたと言うのに・・・。
ほんとうに悔しかったです。

私は今、朝9時から5時まで、夕方6時から12時まで、2ヶ所で働いています。

昔、先生は、朝9時から5時まで、そして夕方5時半から朝8時半までの勤務を
仮眠時間4時間という中で、2年間続けたことがあるって話してくれましたよね。

それを思えばまだまだ楽なほうです。
それに先生は、妹さんが死んでしまったそうだけど、
私には弟もいるし・・・。

先生、教えてくれましたよね。私達に。

「私は弱い人間です。あなたたちだけではありません。
だから一緒に、こんな弱い自分から今日こそ抜け出しましょう」って。

そして「みんな太陽のようになろうよ」 
とも言いました。
「知らず知らずのうちに相手の心を開かせるような、
 そんな太陽のような人になろうよね」って。

先生。色んなことを教えてくれて、ありがとう。

私はきょう、白川公園でたったひとりの卒業式をしています。

卒業証書のない卒業式です。
そして、私が卒業式に歌う歌は、
“仰げば尊し”ではなく“下町の太陽”です。

不思議なことに、このほうがずっと元気が出るんです。

先生。聞こえますか。私の歌・・・。
私の声・・・・。
ありがとう。山村先生。

また明日から新しい気持ちで頑張ります。

オリエより

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“情報にフタをするということ”

2011-03-04 05:06:15 | 日記
中国政府、民主化運動を封じ込める動きをしていますね。

デモ予定の場所で逮捕したり、その前に逮捕してしまったり、関係するネット情報にアクセス出来なくしたり・・・。

都合の悪い情報から何とか国民を遠ざけ、フタをしようとしています。

今までであれば、それも可能だったのでしょう。

でも、これからは、そうしたことも難しくなって来ると思います。

フタをするということは、本来放出すべきエネルギーを溜め込んでしまうということ。

その反動は、将来もっと大きくなって返って来ることになるように思います。


“フタをすること”は、実は、日本でも頻繁に起きています。

中国の民主化運動に対する当局の対応は、それ以外の国々の多くの人々も見ています。

しかし、日本で起きていることについて、多くの人々は知らなかったりします。

『元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)は、勾留中に取り調べを担当した元大阪地検特捜部検事、前田恒彦被告(43)=郵便不正事件を巡る証拠隠滅罪で起訴=から「小沢さんは終わりだ。ご無事をお祈りします」などとすごまれたと当時の様子を再現した。
 大久保元秘書によると、前田元検事は昨年1月21日から2月4日まで取り調べを担当。「認めないと小沢さんはもっと大変なことになる」「小沢さんはうそをついている。おれたちは証拠を持っている」と言い、元代表の逮捕や自宅の捜索などを示唆したという。
 また大久保元秘書は、前田元検事が立ち会いの検察事務官を退室させ1対1で取り調べをしたと説明。「今は作家の時間」「ここで大久保さん登場」などと独り言を言いながらノートパソコンを打ち調書を作成したと主張した。一方で前田元検事は「私もいろいろ悪いことをした。この事件を最後に検事を辞めようと思う」などと話したとも説明した。
 検察側は、前田元検事が作成した大久保元秘書の供述調書5通の証拠請求を初公判直前に撤回している。』 (毎日JP)


「今は作家の時間」?、 「ここで大久保さん登場」?

供述調書を撤回すればいいというものでもないでしょう。

そして、これはきっと特定の検事の問題でもないでしょう。

同じやり方で、無実なのに有罪となってしまった方は、たくさんいたはずです。

この方は、まだ正直な方なのかも知れません。

だから、この方を差し出して、あとは“フタをする”ということなのか。

石川議員も取調の様子を話していましたが、そうした内容は、なぜかほとんど新聞やテレビに出ません。

きっと、たくさんの人々が指摘し始めると、世論の雰囲気が変わってしまうからでしょう。

そうなったり、小沢さんが無罪になったりすると、困る人たちがたくさんいるからでしょう。

正しい情報が正しく伝達されるようになるだけで、日本はもっともっと素晴らしい国になると思います。


“フタをしている”情報の中で、世界的に最大級のものかも知れないのが、所謂「ホロコースト」だと思います。

アウシュヴィッツ等、その被害者数は600万人とも言われます。

しかし、これに関して、実は多くの疑問点が出ています。

戦前と戦後で、ユダヤ人の方の人口がほとんど変わっていなかったり、

専門業者が法廷に出した鑑定書で、

「ガス室とされてきた建物の構造は、使われたという青酸ガスに不向き、チクロンBによる大量虐殺も不可能」

という判定が出ていたり、

換気解剖医学者の、「毒ガスによる死亡例は一件もなかった」という証言があったり、

その事実が疑われるような事柄がたくさんあるのです。

アウシュヴィッツ強制収容所を占領した際に持ち去られた死亡者リストが、当時のソ連指導者ゴルバチョフによって赤十字に公表されました。

リストに掲載されていたのは7万4000人でした。

うち、ユダヤ人は約3万人、ポーランド人がほぼ同数だったそうです。

そして、アウシュヴィッツで亡くなったのは、そのほとんどがチフス等の伝染病によるものだとしているのです。

ナチスによるユダヤ人迫害、強制収容は、紛れもない事実であり、許しがたいことだと思います。

しかし・・・

国連決議でのイスラエルとパレスチナ地域の分割(1月5日日記)。

当時パレスチナに住むユダヤ人人口が65万人だったのに対して、パレスチナ人は100万人超。

にも拘わらず、それまで5%しかなかったユダヤ人の地が一挙に逆転して55%に増えたのは、「ホロコースト」による世論の影響を受けて成ったものです。

一瞬にして、自分の領土を半分以上失ってしまったパレスチナの人々。

パレスチナ問題、そして今に繋がる中東問題は、そこが大きな転換点となりました。

これは、米国が、大量破壊兵器があると言い切ってイラク攻撃したことと同じ図式になっている可能性もあります。

このことも、将来、フタが取れて、真実が明らかになる日が来ると思います。

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“平成の鎖国?”

2011-03-02 05:30:28 | 日記
菅首相が昨年唐突に出したTPP。

どこかの国から、やりましょう(さもないと・・・)と言われたからでしょう。

「平成の開国」という標語で通そうとしています。

本来は、メリット、デメリットをよく開示した上で、意思決定するのが当たり前なのですが。

困ったことに、私たち日本人は、標語に弱いようです。

最近でも、

「財政再建なくして景気回復なし!」

「政権交代!」

という言葉に、まんまと乗ってしまいました。

その結果、財政再建を先にしようとした小泉政権の前半、景気が底割れしてしまいました。

民主党に政権交代して、どうでしょうか。


そもそも日本の開国は、江戸幕府が行ったのであって明治政府が行ったものではありません。

外国からの圧力に屈して、交渉能力のない幕府が結んだ不平等条約でした。

1854年3月3日(ひな祭りの日ですね)に締結した日米和親条約、58年に締結した日米修好通商条約。

日本は、長崎、下田、箱館、横浜などの開港、在留外国人の治外法権を認めざるをえませんでした。

そして、同じ年の安政五カ国条約において、米国だけでなく、ロシヤ、オランダ、イギリス、フランスとも、関税自主権が無く、領事裁判権を認め、最恵国条款を承認する不平等条約を結ぶことになりました。

こうした不平等条約を平等なものに改正して行くことが、維新後に出来た明治政府の外交方針とならざるを得なかった訳です。

それは、日清、日露戦争で、日本の国際的な地位を高めた後の1911年に、日米通商航海条約に調印し、他条約も順次修正されたことによって、ようやく達成されたものです。


その時代のことを考えて、「平成の開国」の意味を考えると、それは、まさにブラックユーモアの世界となってしまいます。

即ち、菅首相が力説する「平成の開国」とは、

“政府の体をなしていない日本が、米国の外圧に屈して行うもの、当然日本にとって不平等なもの。

将来頑張って日本のプレゼンスをまた上げた後、平等なものに変えて行く必要あり。”

という意味になるからです。(笑)

TPP参加予定国の中には、中国も韓国も入っていません。

そして、参加予定国GDPのうち、米国が67%、 日本が24%、即ち2国でなんと91%を占めるのです。

実態は、まさに日米条約ですね。

全部で24項目。様々な業界における関税の撤廃です。

今騒がれている農業部門は、そのうちのほんの1項目に過ぎません。

オバマさんは、米国の輸出を2倍にする方針を掲げました。

TPPはまさにそれを達成するための手段なのです。

米国は、本当は中国とこれをやりたいのだと思います。

でも、国益を考える中国はこれに乗ってこない、しょうがないので言うことを良く聞く日本にやってもらうということだと思います。

関連法案が成立する見込みがなくなった今、菅さんが、以前の小泉さんの「郵政選挙」の真似をして「TPP選挙」をやる可能性は高まったと言えるでしょう。

前者は、日本の大切なお金を米国に差し出すということでした。
後者は、日本の大切な産業を米国に差し出すということです。

本当にそれでいいのか?と思います。



私は、近い将来、日本が「平成の開国」ではなくて、「平成の鎖国」を考えざるをえなくなる状況が来るような気がしています。

今、世界で起きている出来事に共通するのは、それが自然現象であれ、中東の民主化運動であれ、“溜まりに溜まったエネルギーが噴出している”ということだと考えています。

米国や欧州の経済危機も、今までの資本主義の矛盾が噴出していると言うことが出来るでしょう。

そして、世界中でそれこそ様々なことが起きていますが、どれもまだエネルギーが噴出し尽したという感じではないように思うのです。

むしろもっとスピードアップしながら顕著になって行く可能性があるのではないでしょうか。

米国がなりふりかまわず輸出を増やそうとしているのは、それだけ、厳しい状況にあるからだと思います。


今、米国や欧州の所謂先進諸国は、財政支出を抑える方向で動いています。

即ち、経済の縮小均衡に動いているという流れなのです。

その中で、いまや世界の経済成長の支えとなっている中国は、民主化運動を力づくで押さえ、通貨高も力づくで押さえています。

しかし、世界的な流れに抗していくことがいつまで出来るのかということがあると思います。

資源のインフレも進んでいます。

力づくで抑えている分、そこに一度穴が開くと、他よりも影響が大きくなるという可能性もあるでしょう。


今、ほとんどの国は、自分の国のことで手一杯です。

中東情勢を考えると石油はまだまだ高くなるでしょう。

日本は、資源をほとんど輸入に頼っています。

世界的に石油や食料が足りなくなれば、今日本が輸入で賄っているものも、日本に回ってこなくなるでしょう。

なので、好むと好まざるに関わらず、日本は、鎖国状態になっていく可能性があると思うのです。

そうしたシナリオも頭の隅に入れながら、個人も、地域も、国としても、今から準備を始めて行く必要があると思うのです。

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