例のニュートンとアインシュタインの理論を解説した本「光と重力」の中の第4章でした。それは、
「偏微分方程式の長いトンネルを抜けると電磁波であった」と云う著者学生時代の感動を語ったものでした。勿論ノーベル文学賞を受賞された川端康成さんの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」の一文をなぞったものである。しかし、この一文の中に数学と自然科学の真髄が含まれているように思われます。自然科学の中のある現象を数学で捉え、自然科学から離れて数学の計算をすすめ、得られた答えを自然科学へ戻すと大発見になる場合が多いという事実です。
手始めにニュートンの力学にしても速度が変化するのは力が加わったからであるという仮説を数式化し、速度は微分係数だから元の関数を導いてそれらが、月や地球の運動方程式だ、としました。此処までは推定の域を出ていません。ところが、この式を用いて月食や日食の日を計算して待っているとピタリと月食や日食が起こった。その瞬間に月や地球の運動方程式は正しいとなったわけです。ダーウィンの進化論も3次元的な全方向への突然変異を想定し次が「適者生存」と云う原則によって地球上の種は生まれたとするところが数学的で神がおつくりになったというキリスト教的自然観と対立しました。
日本の神道はもう少しおおらかな点がいいと思います。雲の上から長い杖を下し2~3回かき回して上にあげられると杖の先から雫がポタポタ落ちます。それが固まって九州、四国、本州、北海道になりました。しばらくするとそれらの島に木が生え豊かな森になります。森には鹿やサルがいて人間もいました。川には沢山の魚が住んでいて簡単に取って食べることができ森には果物が沢山あり人間たちは食べ物に困りません。これが日本の神話で、神様は人間や動物を造ったりされません。それらは、豊かな自然のいちぶなのです。(T)
キリスト教文化圏でよく言われる「神は数学を用いてこの世を設計された」と同じ意味でしょう。