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レリゴーVSマクドナルド■ありのままで就活■ネーミング企業研究

2014-05-11 21:29:49 | 日記
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「アナと雪の女王」で

レリゴー♪レリゴー♪



http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/anayuki/


英語の発音どおりに表記すれば
Let it go は 「レリゴー」




「レット イット ゴー」と表記してしまうと
“昭和の歌謡曲”みたいなイメージになってしまう><




こういう英語の表記をヒントにして
世代感覚の違いを考えながら就活のヒントをどうぞ。


・・・・・

つまり

レリゴー♪(就活生)VS レット イット ゴー♪(企業の課長クラス)

というわけだ。

・・・・・


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■「McDonald's」はなぜ「マクドナルド」という表記か


さあ企業研究だ。

日本マクドナルドはなぜ「マクドナルド」という表記なのかを調べてみよう。


※※※

日本マクドナルドを創業する際も、「McDonald's」を、正しい発音である『マク-ダーナルズ、または、マク-ダーヌルズ』とせずにアメリカ本社の反対を押し切り「日本語的に馴染みやすい3・3の韻になるよう」に『マクド-ナルド』としたことは有名。

※※※
wikipedia 日本マクドナルド創業者 藤田田(ふじたでん 1926- 2004)の項目より



tarebonが大学生で就職活動していたバブル景気の頃

藤田田(ふじた でん)は現役の有名な経営者で

今でいえばソフトバンクの孫正義みたいな存在でした。



その藤田さんがマクドナルドを創業した頃の社名エピソードは
経営者志望の学生たちには有名な話だったわけです。



■マクドナルドの“レット イット ゴー”


先日の報道では

『マクドナルド、1~3月期の純利益35%減 既存店客数8.8%減』
(2014.5.9日本経済新聞)

というようにマクドナルドの苦戦が続いています。



1971年に日本第1号店を東京銀座三越1階にオープンしてから
すでに43年。


藤田田さんが日本マクドナルド創業時に仕掛けた
いろいろなアイデアは

当時こそ新鮮で時代をリードすることができました。




当ブログの表現で言い換えてみると

“Let it go”を“レット イット ゴー”と表記することが

昭和の経営感覚みたいなものだ。


それがもう行き詰まりに来ているような気がするんだ。


そろそろ“レリゴー”の時代がくるぞ。





■新人の“レリゴー感覚”こそ企業が求めている



tarebonが入社して中堅社員になっていた90年代後半。
工務店向けの販売イベントのネーミングを社内募集したときの話。


ほとんどの社員が「○○フェア」というネーミングしか浮かばなかった時に
新入社員の女子が

「家展」と表記して「住まいの展示会」という意味で

「家展(すまいてん)」

というアイデアを出して採用されたことがあります。



・・・・・・

企業が求めている即戦力としての
企画、発想、新しいアイデアというのは

経験豊富な社会人よりもむしろ
新卒の新人がキーマンになることがあるぞ。



だから今、就活生が持っている発想や感覚を
大切にしよう。


レリゴー

ありのままに ね



2014.5.11



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君たちは元気で生きてくれ!■息子を亡くした社長が語ったこと■

2014-05-07 22:45:18 | 日記
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こんにちは。

ゴールデンウィーク明けの
会社では、新入社員研修を終えた新人さんたちが
職場で仕事デビューを始めています。


tarebonが営業職で仕事デビューしたころは

OJT(On-the-Job Training)ということで
先輩や上司に同行して
得意先を訪問する毎日でした。


そんな頃の5月の
印象的な体験が

新人や就活生たちの
参考になれば幸いです。

・・・・・

新人にとって仕事を学ぶということは
「対人関係を学ぶ」ということとほぼ一緒だと思う。


世代の違う上司や得意先の人たちから
いろんなことを学んでいこう。

・・・・・


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■得意先の社長の息子さんが交通事故の犠牲に


会社の得意先の社長の息子さんが
交通事故に巻き込まれて亡くなられた、という知らせが入り


上司と一緒に葬儀に参列することになりました。


新人のtarebonにとっては
当然のことながらまったく面識のない
得意先の社長さんでした。


そして社会人として初めて
「会社関係者」という立場での葬儀参列でした。




■息子と同年代の参列者へ歩み寄る社長


亡くなられた息子さんは
まだ大学生だったということもあり

同級生らしい友人達も大勢参列していました。



会社関係の参列者で
20代はtarebonのほか数名だけでした。




葬儀が終わったころ


その社長は息子さんの同級生や
tarebonなど20代の参列者一人一人に

丁寧な挨拶と握手を交わし



「君たちは、まだ若くて未来がある」

「だから絶対に、事故にあわず、安全に、元気でいてください」

「これは、私の息子からの遺言だと思ってください」


ということを涙ながらに語ってくれました。



■仕事だけの関係ではなく、真摯な人間関係を紡ぐこと


社会人になると

“仕事だけ”のつながりで

儀礼的な葬儀に参列することも増えてくると思います。



しかし、そういう場面でこそ大切にしておきたいのが


仕事だけのつながりを超えた
真摯な人間感情への共感なのだろうと考えております。





その社長さんは、自身の悲しみを超えて

当時のtarebonたち20代へ
大切なメッセージ・記憶体験を残してくれたように感じています。



・・・


親と同世代の社会人
会社の上司や得意先の部長・経営者クラスという人たちは



やはり息子や娘を眺めるような心情で

20代の学生や社会人を眺めているものだよ。



いろいろな心配、配慮、励まし、エールというものを
なげかけてくれているものだということを

まずは素直に信じてみるといいと思うよ。




上の世代とのコミュニケーションを上手に取りながら
就活や仕事を乗り越えていきましょう。

またね。

2014.5.7



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母の遺言~■挫折に負けるな!■メサイア楽譜の遺品から

2014-05-04 22:44:59 | 日記
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こんにちは。
木々の新緑が目に鮮やかな5月スタートです。


緑色と対になるのは赤色

季節的には真逆のクリスマスカラーですが
赤い楽譜の話にしようと思います。


・・・・・

母親の遺品を整理していたらメサイアの楽譜が出てきて

その楽譜の改訂版を自分が知らずに使っていたことを知りました。

(本日のブログ記事は、先月亡くなった母へ捧げます)

・・・・・

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■日本におけるメサイアの初版楽譜


母が亡くなって、いろいろと遺品の整理をしていました。

音大を卒業して小学校の教員をしていた母なので
実家には楽譜がたくさん残されていました。

そのなかに、赤茶けたメサイアの楽譜を見つけました。

・・・・・
和田書店
昭和二十三年八月二十五日 初版発行
・・・・・


その楽譜は
tarebonが大学時代に合唱団で使っていたメサイアの楽譜の
旧版楽譜だったのであります。


母の遺品の和田書店版(上)と、tarebon所有の基督教音楽出版版(下)


和田書店版の中表紙と基督教音楽出版版の中表紙


※※※

ヘンデルの「救世主(メサイア)」ほどひろく人々に熱唱せられ、熱狂的大衆に聴かれたる作品は稀である。実に音楽史上のユニークな存在である。

(中略)

これは我国最初の「救世主」全曲訳歌詞附出版である。拙訳、又出版上の不備も多いが、我国大衆の「救世主」演奏及研究の進展に資するところがあれば無常の幸である。

訳及編者 木村英三郎 1948年

※※※


初版の序文は

tarebonが大学時代に合唱団で使っていたメサイアの楽譜

基督教音楽出版 昭和62年9月10日 第49版

にも引き継がれて掲載されています。



■親子の縁と仕事の縁


母がメサイアの初版楽譜を使っていたことは
遺品を整理するまで知らなかったことなので

不思議な親子の縁を感じるのですが


こういうことをもう少し
深い意味で理解してみました。




プロの音楽家(声楽家)になりたかったのに
顎関節を痛めてしまい

その結果しかたなく
小学校の教員になりましたが


最終的に「自分の天職は音楽家ではなく教育者だった」
と気がついた、というのが

母の人生の結論でもありました。




天職というものは
ストレートに見出せない。


最初の希望が挫折して
別の道を歩むことから

実は見出せることもあるようです。


■オペラからオラトリオへ


楽譜の縁ということで、ヘンデル(1685-1759)の話でまとめよう。


“音楽の母”の最高傑作「メサイア」は
挫折の果てに生み出された作品です。


※※※

ロンドンでは、ヘンデルのオペラを演奏するためのオペラ・カンパニー「王立音楽アカデミー」が作られ、ヘンデルはオペラ作曲家として順調なスタートを切りました。しかし劇場内部の派閥争いや、風刺劇「乞食オペラ」のヒットのために客足が遠のき、ヘンデルの苦労も空しくこのオペラ・カンパニーは倒産してしまいます。


ヘンデルは自分の財産を投じて興行を再開しますが、今度はこれに対抗して「貴族オペラ」が作られ、またも苦戦を強いられます。一人で作曲も、上演も、劇場経営もこなす激務に追われる中、1737年(52歳)脳卒中になって演奏から退かねばならなくなりました。

※※※
三ヶ尻 正「「メサイア」ハンドブック」ショパン2000年より



そして母の使っていた和田書店の初版と、tarebonが使っていた基督教音楽出版の第49版の両方に掲載されていたメサイア楽譜の序文から



※※※

ヘンデルがこの不朽の巨作を思いたち、これをものにしたのはその頃の事であって、1741年彼が56歳、まさに晩年期に入らんとする時であった。

Opera よりOratorio楽に転向しはじめて、この表題に思付くようになった事情と意図とには実に宿命的なものがあったように思われる。


彼は死に至るまでに34回これを指揮し、1759年4月14日には最後の公演を終えて、その受難と復活日の中間土曜日に昇天した。はげしかった多難の音楽生涯が、静かに天の栄光に移されたのである。


訳及編者 木村英三郎 1948年

※※※



・・・就活生へ、新社会人へ・・・

挫折をしても、けっして負けるな。

ヘンデルはオペラ作曲からオラトリオ作曲に仕事を変えたことで
成功したのだから。


tarebonの母も、おそらくそういうことを
教育者として言い残したかったと思うのだ。


そういうものだと
tarebonも思うものだからね。



2014.5.4



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