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明日はハロウィン。
あの世からの来客が増えます。
不思議な仕事の話をしよう。
仕事というのは「生きている間だけ」やるものじゃあない。
あの世に持ち越す仕事もあるぞ。
そしてもう一回生まれて
その仕事をやりとげることだってあるんだから!?
★★★定期更新は★★★
原則週2回(水・日)+増刊で予定です。
就活解禁まであと約1ヶ月。
★★★☆☆☆☆★★☆☆
■ミケランジェロの作品に加筆した弟子の仕事。
ミケランジェロが活躍したのは今から約500年前。
彼の傑作のひとつ『最後の審判』にまつわる話だ。
※※※※
『最後の審判』が完成した時、多くの人々は、そのすさまじい裸体の乱舞に驚きを隠さなかった。聖職者を中心に非難の声が巻き起こった。
宗教会議に基づいて(裸体に)腰布を着けたのはミケランジェロの第一の弟子を任じるダニエーレ・ダ・ヴォルテッラで、ミケランジェロの肖像や、スペイン広場の上のトリニタ・ディ・モンティ教会の壁画などの名作を残しているが、腰布事件があまりにも有名になったため「ふんどし画家」の異名を与えられることになってしまった。
※※※※
青木昭「システィーナのミケランジェロ」小学館 1995年初版より
ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラはどのような想いで師の作品に腰布を加筆したのだろう。
たとえ命じられた仕事とはいえ、芸術家として良心の呵責があっただろうと思うんだ。
(俺はいつか必ず、この腰布を消し去る仕事をしなければなるまい。そうしなければ、あの世でミケランジェロ先生にあわせる顔もないのだから・・)
チャンスは500年後にやってきた。
あの世のダニエーレ・ダ・ヴォルテッラは、いまだミケランジェロに顔をあわせられずにいたのだ。
一刻も早く地上に生まれて、その仕事をせねばならなかった。
■『最後の審判』修復プロジェクトのマンチネッリ美術部長
ふたたび前掲書から
※※※※
修復プロジェクトの責任者マンチネッリ美術部長に紹介されたのは、1982年の5月2日、修復の足場の上であった。彼はシスティーナ礼拝堂壁画修復プロジェクトの顔であった。アメリカを中心とする修復反対の嵐が吹き荒れた時も、一人で立ち向かい、それこそ寝食も忘れてその意義を世論に訴え続けたのだった。
『最後の審判』の修復で一番大きな問題となったのは、絵の完成後、宗教会議の決定によって、裸体像に着けた腰布をどうするかということだった。
歴史的に意味のあるものだけを残して、腰布は修復の最後の段階で取り去られたのである。
(マンチネッリ美術部長は修復完成式典を見届けた直後、ガンに倒れ亡くなった)
マンチネッリ夫人はこう語った。
「ミケランジェロの壁画修復がとてもうまくいったから、神様は予定を早めてお召しになったような気がします。そう信ずるしかありません」
※※※※
この本を読んだとき、『最後の審判』に腰布を着けたダニエーレ・ダ・ヴォルテッラと、その500年後に腰布を取り去った修復プロジェクトの責任者マンチネッリ美術部長は同一人物だったのだろうと直感しました。
・・・・
ミケランジェロの弟子ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラは
500年後に生まれ変わって
『ミケランジェロの作品に自ら着けた腰布』を取り去るために
ミケランジェロ壁画修復プロジェクトのリーダーとして
生まれ変わって自分のやるべき仕事を全うしたのではないかな?
■仕事選びは意外に深く
就活の仕事選びは、本人が気がつかない部分で
実は生まれる前のはるかな昔から
自分がやり続けてきた仕事
自分がやり残した仕事
である可能性もあるんじゃないかな。
・・・・・・
もちろん最初からそんな仕事に結びつくわけじゃない。
最初にわざと回り道、遠い仕事を選ぶことで
後から別の仕事につくように計画していて
その別の仕事こそが天職というパターンもある。
・・・・・・
こういう話を
信じるか、信じないかは読者の皆さんにお任せしよう。
なにせ、ハロウィンのオバケが語る話だからね。
では次回11月に。
★★★定期更新は★★★
原則週2回(水・日)+増刊で予定です。
11月はいよいよ準備期間だ。
★★★☆☆☆☆★★☆☆
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仕事というのは「生きている間だけ」やるものじゃあない。
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■ミケランジェロの作品に加筆した弟子の仕事。
ミケランジェロが活躍したのは今から約500年前。
彼の傑作のひとつ『最後の審判』にまつわる話だ。
※※※※
『最後の審判』が完成した時、多くの人々は、そのすさまじい裸体の乱舞に驚きを隠さなかった。聖職者を中心に非難の声が巻き起こった。
宗教会議に基づいて(裸体に)腰布を着けたのはミケランジェロの第一の弟子を任じるダニエーレ・ダ・ヴォルテッラで、ミケランジェロの肖像や、スペイン広場の上のトリニタ・ディ・モンティ教会の壁画などの名作を残しているが、腰布事件があまりにも有名になったため「ふんどし画家」の異名を与えられることになってしまった。
※※※※
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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラはどのような想いで師の作品に腰布を加筆したのだろう。
たとえ命じられた仕事とはいえ、芸術家として良心の呵責があっただろうと思うんだ。
(俺はいつか必ず、この腰布を消し去る仕事をしなければなるまい。そうしなければ、あの世でミケランジェロ先生にあわせる顔もないのだから・・)
チャンスは500年後にやってきた。
あの世のダニエーレ・ダ・ヴォルテッラは、いまだミケランジェロに顔をあわせられずにいたのだ。
一刻も早く地上に生まれて、その仕事をせねばならなかった。
■『最後の審判』修復プロジェクトのマンチネッリ美術部長
ふたたび前掲書から
※※※※
修復プロジェクトの責任者マンチネッリ美術部長に紹介されたのは、1982年の5月2日、修復の足場の上であった。彼はシスティーナ礼拝堂壁画修復プロジェクトの顔であった。アメリカを中心とする修復反対の嵐が吹き荒れた時も、一人で立ち向かい、それこそ寝食も忘れてその意義を世論に訴え続けたのだった。
『最後の審判』の修復で一番大きな問題となったのは、絵の完成後、宗教会議の決定によって、裸体像に着けた腰布をどうするかということだった。
歴史的に意味のあるものだけを残して、腰布は修復の最後の段階で取り去られたのである。
(マンチネッリ美術部長は修復完成式典を見届けた直後、ガンに倒れ亡くなった)
マンチネッリ夫人はこう語った。
「ミケランジェロの壁画修復がとてもうまくいったから、神様は予定を早めてお召しになったような気がします。そう信ずるしかありません」
※※※※
この本を読んだとき、『最後の審判』に腰布を着けたダニエーレ・ダ・ヴォルテッラと、その500年後に腰布を取り去った修復プロジェクトの責任者マンチネッリ美術部長は同一人物だったのだろうと直感しました。
・・・・
ミケランジェロの弟子ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラは
500年後に生まれ変わって
『ミケランジェロの作品に自ら着けた腰布』を取り去るために
ミケランジェロ壁画修復プロジェクトのリーダーとして
生まれ変わって自分のやるべき仕事を全うしたのではないかな?
■仕事選びは意外に深く
就活の仕事選びは、本人が気がつかない部分で
実は生まれる前のはるかな昔から
自分がやり続けてきた仕事
自分がやり残した仕事
である可能性もあるんじゃないかな。
・・・・・・
もちろん最初からそんな仕事に結びつくわけじゃない。
最初にわざと回り道、遠い仕事を選ぶことで
後から別の仕事につくように計画していて
その別の仕事こそが天職というパターンもある。
・・・・・・
こういう話を
信じるか、信じないかは読者の皆さんにお任せしよう。
なにせ、ハロウィンのオバケが語る話だからね。
では次回11月に。
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仕事というのはただ一回、一生だけで完結せずに、永遠に続くものだという考え方も大切にしていこう。