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はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

怠惰な日々

2022-08-06 04:21:49 | 日常生活

久しぶりにブログを書く。

前回から特段記すべきことがなかった。

私個人だけではなく

あいかわらず、世の中全体がもやもやしていて

心の底から「はじける」笑いが消え失せている。

天気が良くても、心はくもりの状況が続いているのである。

 

先日病院に行ったら

待合室の前の方で

一人の日焼けした若者が目の焦点が合わないような顔つきで

車いすに座っていた。

今しがたローラースケートをやってたかのような切れ込みのある短パン姿である。

と。

彼は、しゃっくりを頻発するように。

ハハアと僕は思った。

 

一人のベテラン看護師が

彼に「別の診察室へ行きましょうね」と

彼の車いすを押して去ったが

後ろにいた昭和17年生まれぐらいの高齢者の夫婦が

「コロナだろうね。かわいそうに。相当、重症だよ」

とささやき合っていた。

『別の診察室で』にそう思ったのだろうが。

そもそも

コロナと疑わしい人を

一般患者が多数待っている待合室で

のんびり待たせておくだろうか。

来院した時に体温を計っていて

コロナと疑わしき患者は即座に隔離される。

ましてや重症ならばなおさらだ。

 

 

まったく昭和17年ぐらい生まれの高齢者は

なまじっか人生経験があるために

自身の見立て、状況把握というものに自信過剰で

すぐ早合点する。

 

脳梗塞になると

しゃっくりが出るという。

熱中症が度を過ぎると

脱水症状になり

血液がドロドロになる。

ドロドロの血液が血管に詰まると

血栓になり

その血栓が脳にできると

脳梗塞になる場合があるという。

すなわち

水分もろくに取らないで

この灼熱の中で激しい運動をして

脱水症状になると

最悪の場合

脳梗塞になることもあらしい。

たぶん

彼は

まだ意識はあったから軽症だろうが

急性の脳梗塞、脳血栓になったのではないだろうか。

あの

待合室に響き渡るとめどないしゃっくりが

物語っている。

 

一方

私の腎臓の数値も冴えなかった。

クレアチニンが『1・1』。

ヘモグロビンAⅠCが『7・0』である。

すい臓と腎臓を同時移植して

はや11年。

両者、そろそろくたびれかけている。

 

そうはいっても

この10余年、

普通の生活をもたらしてくれた

『大恩人』であるところの

私のすい臓と腎臓は

2011年5月

鳥取の当時60歳の男性から頂いたものである。

遺族の方がおられたら

ぜひ会って

お礼を述べておきたい。


雑感

2022-04-20 03:29:13 | 日常生活

そういえば子猫

そろそろ親猫に似てくるころだけど

どう見ても似ていない。

 

子猫のカラダは、灰色の縞模様と白の二色地。

ママ猫は、白地に真っ黒のマントを羽織ってるかのような二色である。

なにより

目が全然違う。

子猫は、つぶらでかわいいが

ママ猫は、朝青龍のように一重で迫力があり気が強そう。

 

やっぱり

ゲスの飼い主がママ猫の3匹の子猫を連れ去り

最悪の場合、葬り去ったのかもしれない。

ママ猫がその時必死に抵抗したが、かなわなかった。

ゲス飼い主の手を掻いたが

プーチンもどきのそのゲス野郎の逆恨みをかい、

熱湯をかけられやけどを負ったのである。

 

と。

そのとき、飼い主の家族の一人が出てきて

「それじゃあ、あんまりじゃなかっぺ」

と、どこかから一匹の子猫を

白地黒マント猫にあてがった。

で、火傷の跡も一応、赤チンみたいな塗り薬もつけといた。

ちょうど

私がその猫と関わり始めたころだったので

動物虐待の罪で通報されるリスクも考えてのことだったのかもしれない。

とにかく

白地黒マント猫は、あてがわられた子猫が

自分の産んだ3匹のうちの一つだと勘違いして

仲良く暮らしていったわけだが

最近になって

黒マントママ猫は

この子猫は、私の子猫ではなかったことに気づいたのだと思う。

 

ある日を境に遠ざけるようになった。

子猫の方は

「ママ~どうしたの。アタシが嫌いになったの。仲良くして」

と悲しげに鳴き、黒マント猫を追いかけまわす。

黒マントママ猫は

「あっちいけ。シャー」と

目を三角にして、ジャブを繰り出して威嚇する。

 

なんだか切ないなあ。

ところで

茨城のここらのひとは

犬を飼うのは

むろん外で飼い

不審者に対して吠えるという本能を活かし

『優れた防犯ブザー』代わりに利用するだけ。

おおよそ『家族の一員』という概念がない。

野良猫も

地域猫という街の風景の一つという最近の概念を持たなくて

ネズミ除けという目的の利用のためである。

犬や猫は生活道具の一つなのだ。

茨城でも水戸の方はまだ動物愛護の精神があるが

うちの近所に動物愛護と言っても

はあ?と首を傾げられ

「そんな『おんな子どもの考えるようなこと』を分別盛りのアナタがいうの?」

と、せせら笑われる。

神奈川の湘南では、愛犬は

大型犬はもちろんほとんどの家庭では家の中で家族と一緒に暮らしてますよ

と、述べると

「は~湘南の人は変わり者だっぺな」

という。

 

そんな人々だから

たくさん生まれた猫に対して

何をしでかしたかわからない。

 

上記のようなことをしたのなら

家族以外は誰も知らないはずだから

知らんぷりしてよっと。

と思ってるかもしれないが、

天網恢恢疎にして漏らさず

いずれ

真実が白日の下になるにちがいない。

 

さて、

競馬であるが

ダノンベルーガ、残念でした。

最内枠じゃなかったら、チャンスがあったかもしれないが

今さら、愚痴を言っても、せんないことだ。

よほど変な予想をしない限り

いずれは的中するはずだ。

いずれはね。

 

負け続けの中でも、唯一つ収穫物と言えば

「どうやらレース間隔は、2か月ぐらいがいいのかしら」

ということが発見できたこと。

もちろん

馬格によって、適レース距離によって、馬年齢によって、それぞれ違い

すべての馬が

二か月ぐらいのレース間隔がベストとは言えないが

おおむね

そう外れてないような気がする。

 

それにつけても

1,2年ぐらい前。

無観客の時は

本命馬ばかりが勝ったが

今年になって、一転

7番~9番人気ばかりが勝つのはどういうわけなんだろう。

JRAのたくらみなんだろか。

 

友人の馬券師曰く

「中央競馬にたくさん厩舎があるでしょ。

勝ち組の厩舎、負け組の厩舎はあるけれども

でも

それらの中で、まったく成績が伸びず賞金が入らなくて

廃業したなんて話がないでしょう。

おかしいでしょ。

これはつまり

そいういう厩舎のピンチの際は

存続できうるだけの収入が得られるように

賞金を配分している。つまり

そういう時に限ってピンチの厩舎の馬が勝ったりする。

また、

JRAはふだんは乱数表みたいなのがあって

サンデーレーシング、キャロットなんとか

ダノン系の、いろいろ馬主はいるけれど

JRAは秘密の乱数表みたいなのがあって

それを使って

賞金があまり一つの馬主に偏らぬように

とはいえ

あまり規則的にならぬよう巧妙に勝ち馬を配分して

勝ち馬を決めているんじゃないかと思うんだよ。

 

問題は、我々馬券ファンが

その『乱数表の法則』を解読できるかだね

と、馬券師は述べた。

サンデー、シルク、キャロット、ダノン、大魔神など個人馬主

と順番ずつなんて単純なわけじゃないだろからね。

ちょっとちがうけど

競輪におけるラインを読み

レース展開を推理する楽しみに似てるかな。

 

まあ彼の言葉はほんとかどうかは妖しいが

競馬の一つの楽しみ方であることには間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


憂鬱な誕生日

2022-04-12 17:12:15 | 日常生活

18日で61才になる。

あ~あ、やんなっちゃうな~。

たしか

「むかし、船頭のおじさんは60歳のおじいさん」

とかいう童謡があったような。

 

みなさんは小学生の時

自分が60歳を超えるとは思いました?

私は思いませんでした。

というより

考えたくもない

というほうが正確かな。

タバコ反対派は

喫煙は

百害あって一利なしだ

という。

寿命が短くなることは証明されている。

一方

タバコのみは

「タバコというものは、太古の昔から

古今東西にわたって愛されてきた。

なにか、人間にとって有用なことがあるからこそ

今こうして残ってるのではないか」

という。

 

あ~。

たぶん両方の意見は間違えではない。

私はこのように、発想の転換をした。

すなわち

「タバコによって寿命が短くしてきたことが

人間の知恵であり、人類が生き残ったすべである」

現代こそ

「寿命を長くするということは善いこと。すばらしいこと」

「寿命を延ばすことこそ医学ひいては人類科学の発展の証し」

という考えが当たり前というか、疑うやつがいたら

白い目で見るような風潮だが

ようく考えてもらいたい。

その人は、もし仮にタバコを吸わなかったとしたら

90歳まで生きる体質を持っていたとする。

なのにタバコを吸ってきたことによって

75才で亡くなった。

75才から90歳までの

15年間もの人生が短くなって損をしたという考え方もできる。

が!

認知症にも介護を受けることもなく

いわばそれらの直前に

『いい頃合い』でポックリ

あの世に旅立てた

ともいえるんじゃないだろうか。

ゆえに

喫煙は

積極的に『いい頃合い』で旅立つ

あるいは、旅立たせるための

人類の知恵なのである。

と、医学者は

いや

それだと、長生きを否定することにもなりかねない。

長生きこそが善と信じきって突っ走ってきた。

医療に携わってきた身として納得できない。

と、おっしゃるだろう。

でもそれなら

今の医学及び世の中が

ただたんに命を伸ばすこと

一か月でも一日でもとにかく命を長くすることが素晴らしいのみに

治療および薬開発を傾注するのじゃなく

生きている間は、病気になっても

いかに苦しまず痛くなく

なるべく快適に過ごせるか

にもう少し軸足を置いてほしい。

『充実した人生』を重視してほしいのです。

 

コロナで右往左往して

巡り巡って

緩和病棟が減らされる傾向にあったようだが

あれなんか

もってのほか

という感じがする。

 

 

 

 


春なのに

2022-04-09 02:43:49 | 日常生活

ここら辺の人はたいてい移動手段はクルマ

ゆえに

誰も歩いていない町内

まっ昼間に

裏道を歩いていたら

街路樹の桜が満開できれいだった。

誰からも仰ぎ見られず、声をかけられずに気の毒だったので

桜に聞こえるように

「おおっ。きれいだな」

と、呟き、大袈裟に驚いて見せた。

 

スーパーの練り物コーナーで

『ちくわの磯部揚げ』(140円)を購入。

 

次のドラッグストアでは

レジのところに

ウクライナ募金箱があったので

おつりの「21円」を投入する。

いつもの店員(私と同じ年くらいの女性)が

「ありがとうございます」

と言う。

ん?

別に彼女がウクライナ人および関係する人じゃないだろに。

そこが日本人のいい部分かな。

 

それにしても21円は、ちょっとセコかった。

 

ちくわの磯部揚げを

オーブントースターに入れて

ぷっくら膨れるまで焼く。

しょうゆに

ちょびっとずつ

つけて食べると

コレが旨い!

衣の中の

青海苔の香りが鼻孔をくすぐる。

 

できれば青海苔の量をもっと増やして

黄緑色の磯部揚げにして食べたい。

 


三大嫌な音

2022-01-24 08:24:59 | 日常生活

すい臓と腎臓の同時移植手術直後

無菌室で

一時期、13本のさまざまな薬剤の入った点滴スタンドに

ベッドの周りを囲まれたことがある。

そのすべてが常に順調に作動するとは限らない。

点滴のどれかが不具合になり

水滴の管へのスムーズな流入が滞ることになると

 

「ピュルリ。ピュルリ。ピュルリ。ピュルリ・・・・・」

 

と、延々と警報音が鳴る仕組みになっている。

すると、

看護師が来て、問題の点滴を直しにくるのだが

これが

四六時中で毎日だった。

看護師も仕事だから

別に私に対して

「ったくもう。他の仕事やってたのに」

なんて気持ちはないのだろうが

なんか気まずい気持ちになる。

また

とにかく

いつあの音がなるんじゃないかと思うと

落ち着いて食事もテレビにも集中できない。

 

今でも

定期健診で病院へ行って

たまに

点滴を傍らに廊下を歩く入院患者から

「ピュルリ。ピュルリ」

と聞こえると

嫌~な気持ちになり

きつい入院中を思い出してしまう。

 

 

二つ目は

スーパーでバイトしてた時である。

グロサリーといって

主に一般食品の品出し作業をしていたのだが

客が混んでくると

 

ピロピロピロピロ~ン、ピロピロピロ~ン

 

と、呼び鈴が鳴る。

レジ係りの女性が

「応援にきて」

というメッセージなのだが

品出しの作業がリズムに乗ってるときに限って

あの呼び出し音が来る。

品出しが遅れると

「おまえは仕事ができないやつだと周りから見られる。

呼び出し音を無視して、レジに応援に行かなくて

自分の品出しの作業に専念して

その日のそいつのノルマを早々に果たしたやつほど

 

仕事ができるやつと褒められ

グロサリー担当上司の覚えよろしいのだから

まったくもって納得がいかない。

なぜならば

私はというと

女性の助けに弱く

あのピロピロピロ~ンが鳴ると

すかさず

レジへ応援に行ってたからだ。

 

 

三つめは

妹の発する鼻を鳴らす音である。

 

バスルームにいる妹は

自分の発する音が誰にも聞いていないと信じ込んでいるらしい。

 

バスルームの中は乾燥してるから

そこからの音や声というのはより響いて

より鮮明に聞こえてしまうことになぜ気づかないんだろう。

昭和の時代には、お風呂で浪花節を歌って

俺の歌もまんざらではないと悦に入るオヤジがいたが

アレも

バスルームの中は音や声が響くからである。

 

で。

 

妹は

鼻を

フン!フン!フン!

ときには

ズンコ、ココココ、ジュルジュル

という激しい音を発して

 

 

 

鼻くそを吐き出す作業にいそしむのである。

 

 

うら若い女子中学生、女子高生のおなごが・・・。

 

 

あれはやめてほしかったが

直接には注意できなかった。

 

そんな彼女にも

今では孫がいる。