はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

定型だからこその俳句

2023-02-26 18:33:44 | 日記

先週の『ラジオ深夜便』に

黛まどかさんが出演していて

フランスで俳句がブームになってはいるが

季語がなかったり

字数も適当で

5・7・5のように

きっちり定型も守らず

そのいい加減さに

おかんむり。

フランスに行って『俳句フォーラム』とかのゲストに招かれ

ハイキストと称するフランスの俳句愛好家たちへ

「俳句のルールを守ってほしい」

と訴えるや

総ブーイングを受けるという。

 

黛さんの

「字数もバラバラで季語もないんじゃ

もはや俳句とは呼べず、ショート・ポエムです」

という主張は、しごくもっともで

インタビュアの石澤典夫氏は

すぐに賛同の相槌を打つかと思いきや

どうも煮え切らない。

フランス人の肩を持つかのように

「柔道は、かつては、白い柔道着だけしか認められてなかったのに

青いのもOKになって、そうやってその国の状況で

文化というモノは変容してゆくものですが」

とお茶を濁す。

 

あのねえ。

『俳句』から

「5・7・5(フランス語なら別の基準になると思うが)」

「季語を入れる」

これらは

俳句が俳句であって

短歌や詩とは明らかに違う

一つの独立した文学であることを示す

最重要な

「根幹」ともいうべき決まり事。

これらがなされていないものは

もはや俳句とは呼べぬ。

黛さんの主張は当然じゃないですか。

 

「柔道着が青いのもOKになった」

程度の変化とは比較にならないほど大きい。

というより

似て非なる、いや、似てもいない

彼らの「フランスの俳句」と称する作品は

もはや俳句の体(てい)をなしていないのである。

「ハイキスト」とやらが短いポエムを書いて楽しんで

それら作品になにか新しい名称を付けたいのなら

それは勝手です。

しかし!

俳句(haiku)という名称は

使わないでほしい。

 

 

 

 

石澤氏は洋画ファンだという。

『洋画かぶれ』といったほうがいい。

ことあるごとに

フランスおよびヨーロッパの映画のシーンを紹介する。

正直ウザイ。

身も心も

欧米文化に魅了されきっている。

転じて

欧米人の価値観考え方からしか

ものが見えなくなってしまっている。

 

 

「ハハ。あの名作映画『太陽がいっぱい』を作った国の人々に

反論するなんて...」

と、腹の中では

さぞやシニカルな視線を

黛まどかさんに投げていたに違いない。

 

 

 


ウダウダ日記

2023-02-20 18:02:04 | テレビ

『おかあさんといっしょ』の昔の放送特番をなんとなく眺めていたら

砂川啓介氏が出ていた。

「そういえば大山のぶ代って、いつ亡くなったっけな」

と思って検索したら

まだ生きてるんだねえ。

失礼な言い方だが。

 

老人ホームで人気者だという。

よくあることだけど

介護してる方が先に逝っちゃうなんて...。

しかも

年下の方が

大山さんに何の責任もないけれど

なにかやるせない。

 

ここで少し触れたいのが

大山さんのマネージャーの小林明子さん

いまだに老人ホームを訪問して

大山さんの世話をしているという。

マネージャーの鏡なんじゃなかろうか。

 

もうすぐ3月。

三寒四温とはいうが

寒い日はあっても

体の芯まで凍てつく日はもうないような気がする。

コロナ、寒さが一段落ついたと思えば

次は、花粉症か。

やだやだ。

寒いと言えば

小学校3年までは

どんなに寒い日も

雪が降っていようと木枯らしが舞っていようと

半ズボンで登校した。

なんでだろう

自分でもわからない。

今の小学生はそんなやせ我慢をしないんだろね。

 

花粉症という言葉を初めて聞いたのは

西武ライオンズにいた田渕選手だった。

スポーツ新聞に

「花粉症でピッチャーの球が涙で見えない。まいった」

みたいなことを記していたのだ。

花粉症?

なんじゃらほい

その時は、どういう意味か解らなかったが

数年後、身をもって理解させられるようになった。

むかし

朝のラジオで

森本毅郎さんは

「花粉症にならないから解らない」

と少し不機嫌そうに言っていた。

花粉症にならないのは

嬉しいことのように思えて

逆に

旧人類と言われているようで

癪に障るらしい。

あれから

めでたく(?)花粉症になったのだろうか。

 

コロナのマスクも

いよいよ終了となるが

習慣になってしまった今では

なんとなくしばらくは

つけているんだろうな。

女子高生のマスクが

ブルセラショップで高値で売られるようになったりして。

(男性客の)目の前で外したマスクなら

1000円で売ったりとか。

いま日本は

死ぬほどアルバイトの時給が安いし

ラジオの投稿の謝礼も

情けないほどチープだから

そういう事例があっても

不思議じゃないと思う。

 

 

 

 

追伸.

のび太の机のタイムマシンで

西暦6600年に行って

どんな世界か観てみたい。

 

 

 

 

 

 


西城秀樹の甥が...

2023-02-15 00:04:03 | 音楽

グラミー賞を獲得したニュースは

それほど大きく報道されないのは意外だ。

 

ところで...。

以前東京新聞の発言コーナーでも

チラと、それらしきことを書いたのだが

西城秀樹の

『ブルースカイブルー』は

反戦歌である。

でも今さら言うまでもなく

私ぐらいの年代の人

とくに秀樹ファンだったクラスメイトの女子は

みんな知ってることだった。

だからこそ、クラスの『秀樹女子』たちは

終戦後

ちょうど33回忌ごろに創られたこの『ブルースカイブルー』を

ラジカセに入れ

1978年10月の修学旅行時に

広島の原爆ドーム訪問の際

片手にぶら下げたラジカセから

この曲を流しながら

記念碑に手を合わせたのだ。

 

この曲は、いわゆるダブルミーニングである。

歌詞を読む。

「あの人の指に絡んでいたゴールドの指輪を引き抜き、

この僕とともに歩いてと無茶を言ったあの日」

「あの人」は、中国のことだと思う。

「ゴールドの指輪」は、朝鮮半島。

「この僕」が日本。

「ともに歩んでと無茶を言った」

日本と満州の関係を表現している。

「恐れなどまるで感じないで」

と戦争の泥沼にのめり込む日本。

「大人たちから頬をうたれた」

この大人たちはアメリカを含む連合国側だろう。

 

まだ幼い阿久悠が淡路島で

原爆が落ちた瞬間

広島の方を振り返り仰ぎ見ると

空は、目に沁みる青さが忘れられない。

そういえば

私の義理の叔母さんも原爆被害者だが

なにより

あの日の空が

やたら眩しいことだけは強く印象に残ってるそうだ。

核が雲なんか一掃してしまったのか。

まさに『悲しいほどのいいお天気』だった。

 

「悲しみよ。心を伝えてよ」

「悲しみはあまりにも大きい」

西城は絶叫する。

 

西城も阿久悠氏も在日だったんだろうか。