兵庫県立美術館「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展覧会を見に行った。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1701/
スイスの精神病院に三十数年入院中本人が亡くなるまで描かれた二万五千ページに及ぶ、絵と言葉と音符。
本人には画像と言葉と音楽を合わせた「スペクタル映画」宇宙が広がり、それを必死に写し取っていたのだと感じる。
高知の藁工ミュージアムでも、アールブリュット作品を観たことがあったので、
http://warakoh.com/museum
作品よりも、精神科医に紙と鉛筆を与えられてから死ぬまで描きに描き続けた人生そのものに圧倒される。
神戸まで出かけたのは精神科医・斎藤環氏の記念講演を聞くため。
雑誌でオープンダイアローグについての対談をみかけたのがきっかけ。
https://www.opendialogue.jp/
アールブリュット、アウトサイダーアート、生(き)の芸術についての話を聞く。
ところが「今日話すことは、最新刊の雑誌・美術手帖に書いてある」とのこと。
http://www.bijutsu.press/books/2017/01/-20172.html
高知に帰って本屋で美術手帖「2017年2月号アウトサイダー・アート」買い求めると、話したことの半分くらいが紙面にある。
往復8時間の神戸行を半分返してもらいたい。
もともとアールブリュットは、精神病院で書き溜められた「作品でない絵」を、精神科医が「向きあう眼」で発見したことから始まったらしい。
岡本太郎が「土偶の美」を発見したように。
神戸往復の車中、別の本で「人のこころは、表層の心、下層の想い、奥底の心(しん)」からなる、という説を読んだ。
武田泰淳「富士」を思い出しながら、斎藤環氏の話「絵を描かなくてはいられない人と、寄り添う人、見る人のこころが変わらなくてはならない」が腑に落ちる。
「富士」の精神病院でも、心(しん)と心(しん)の交流が書かれていた。
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